スグル
「もしかしたら、年金がどうというより、死んでもお婆さんと離れたくなかったのかもしれないわね」
話は戻って現民の部室。部長が石井の話について物憂げな溜息をつくように他の二人に感想を述べていた。
ちなみに午前中は用事があるらしく鞍馬の向かいの席は空席だ。連絡を受けた部長によると、
「そんなお爺さんの気持ちを踏み躙ってあんな姿に変えてしまうなんて許せないよねぇ。人間のやることではないよ」
憤懣やるせないと、川俣が珍しく怒りを露わに部長の意見に同意する。
「とはいえ、ゴミ屋敷にして近隣住民に迷惑掛けてもいいって訳じゃないだろ」
咎めるように二人の意見に反論する
部長は机に右ひじをついて頬杖するとジトっとした横目で、
「ま、鞍馬君はそう言うわよね」
「だってそうだろ? どっちが可哀想かっていえば、悪臭に悩まされた挙句に近所に曰く付きの事故物件が出来た近隣住民だぜ」
物言いたげな部長に鞍馬は正論で迎え撃つが、
「その通りね。鞍馬君って本当に考え方がクールで格好いいわ」
頬杖をついたままどこか鼻で笑うような部長の物言いに鞍馬はムッとして、
「なんだよ? ひょっとして、俺の所為で危ない目に遭ったって怒ってんのか?」
「どうかしら? でも、一言声を掛けてから行動に移して欲しかったとは思っているわね」
冷たい視線で答える部長に女子への気遣いが足りなかったと言われれば、あの時の鞍馬の頭からはそんなものはすっぽり抜け落ちていたと認めるしかない。
「それは俺も悪かったけどさ。部長だっていくらなんでもあれはないだろ? 川俣が居なきゃみんなして危なかったんだぜ」
ないのだが、素直に謝れるかというと話は別である。相手に信じられないと思わされたのは鞍馬も同じだ。
「それは——わかってるわよ。ごめんなさい」
だというのに、肩を落とした部長に素直に謝られると居心地の悪さをおぼえて黙り込んでしまうのだ。
悪い癖だ、と鞍馬は思う。昨日の今日で、妹の事で懲りたと思えばまた同じことをやっている。
「まあまあ、考え方は人それぞれだよねぇ。みんながみんな同じ意見じゃこうして話し合う意味もないさ」
「ちなみに川俣はそこんとこどう思うんだよ?」
その自己嫌悪から、場を丸く収めようと無難な発言をする川俣をそうはさせまいと引きずり込む。
「そうだなぁ。そこが俺の駄目なところだと思うんだけれど、どちらの気持ちも否定する事が出来ないんだよねぇ。だからどちらかの味方に付けと言われると心苦しいのさ」
申し訳なさそうに意見を述べる川俣に鞍馬は毒気を抜かれて苦笑いを浮かべた。
「いいんじゃない? 中立的な立場の人も会議には必要よ」
「だな。これに関しちゃ別に白黒付ける必要もないし、さっさと本題に入ろうぜ」
部長に乗っかって気まずい話題を切り上げようとした鞍馬はチクリと痛い視線を感じて、
「ま、俺が余計なこと言ったのが悪いんだけどさ」
肩を竦めて先回りに自分の非を認める。
「別に、なにも言ってないわよ」
鞍馬からサッと目を逸らした部長は一度軽く肩を上下させると進行役の顔になって、
「じゃあ、本題に入るわね。まず、あの怪異の名称についてだけど——」
対面に座る鞍馬と川俣に視線で発言を促す。
「そういや、
なんとなしにと言った風に鞍馬。
「あれはそんな可愛いものじゃないでしょ」
表情一つ変えずに一蹴する部長。コケムシとは全体に丸みを帯びたフォルムをした二頭身のゆるキャラである。じっとしているのが好きで、そうしている内に石で出来た体に緑色の苔が生えてモフモフになったのだそうだ。
「じゃあ、ゴミムシってのは?」
「ただの悪口じゃない。川俣君はなにかあるかしら?」
鞍馬の安直な改善案を一言で叩き落として川俣に期待を込める部長。
「そうだなぁ。俺も昨日寝る前に色々と考えてみたんだけれど」
川俣はそこでちらりと自信の無さ顔に過らせて言葉を切る。部長がうんうんと続きを促し、鞍馬がお手並み拝見と楽しげな顔をし、
「悪臭スグルというのはどうかなぁ?」
真面目くさった顔から飛び出したまさかの人名系に鞍馬がヒャッヒャッヒャと腹を抱える。
「それだ! アイツに名前付けるならもうそれしかないって!」
変なツボに入って左足で床をドンドン、両手で机をバンバン叩いてキャッキャとはしゃぐ。
「待って。流石にそれは……。でも、確かにもうそれ以外考えられないかも。とはいえだからって——」
却下の意思を示したものの、部長はその圧倒的なインパクトに抗えず口元に握り拳を当てて自問自答を始めてしまう。
「じゃ、決まりだな。奴の名前は悪臭スグ——」
言い掛けて、またツボに入ったのか「ぶふぅ!」と派手に吹き出す鞍馬。
「そんなに笑わないでくれよ。これでも真剣に考えた結果なのさ」
「悪かったよ。けど、それしかないってのは本当だぜ。アイツは間違いなく……」
ナイーブな川俣に傷付いた顔をさせたことを反省し、粗相のないよう一拍おいて呼吸を整えてから、
「悪臭スグルだろ。俺はこれに一票入れるぜ。部長は?」
微妙に口端をヒクヒクさせながら部長に話を振る。部長はスグルに支配されていた思考を切り上げて顔をあげると、
「そうね。ネットでそれっぽいのを探したんだけど、スカンクエイプっていう
「それって単に人里に降りてきてゴミ漁ってた猿じゃないのか?」
と、鞍馬が身も蓋もないことをいう。部長は頷いて、
「私もそう思うけど。このスカンクエイプは人間を襲って食べたとも言われているのよ」
犬や人間を襲う臭い猿——確かに、と鞍馬は納得して、
「サイズが引っ掛かるけど、アイツをでかくしたらそんな風に見えなくもないか。まあ、一個に絞らないといけない訳じゃないし、両方の五人目ノート作ってみるのはどうだ?」
「そうしましょうか。じゃあ、私はスカンクエイプの記述を担当するわ」
部長が鞍馬の提案を受け入れてさっそくスマホを操作し出す。
「じゃ、俺はスグルだな。川俣は他にそれらしいのがないか調べてくれるか?」
「じゃあ、俺は図書室に行って怪談系の本を調べてみるよ」
役割分担が決まり、それぞれが午前の活動を開始する。
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