失恋スコール

星太

失恋スコール

『――最高気温は34度、突然の激しい降雨にご注意ください。続いて本日のニュースです……』


 テレビから流れる天気予報を耳に入れ、僕は通学鞄を背負いながらあたふたと靴を履く。に遅れるわけにはいかない。


「行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい、気を付けるのよ!」


 バンとドアを開け放ち、大事な紙袋を自転車のかごに入れると、高校までシャーッと駆けていく。右手には海が広がり、左手には平行に線路が走るこの海岸道路が、僕の通学路だ。


 ――高3の夏、一世一代の勝負の日。

 僕は今日、君に告白する。


 天気は今のところ晴れ……でも、雨が降ることはわかっている。青く澄んだ海の上空には、夏の熱気でたっぷりと水蒸気が昇り、もくもくと入道雲が湧き上がっていた。


 やがて前を行く歩行者に追い付く。しっかり者のそいつは、ちゃんと傘を持っていた。僕はすれ違い様に声をかける。


「おはよー! 陽介!」

「おお! いよっす」


 陽介が振り向き、声を返したその時だ。


 ――ゴォォオオオオ――……


 左後方から、2両編成のローカル列車が僕達を追い抜いていく。後部車両の海側の席から、君はこちらに手を振った。


 僕は思わずにやにやして、あっという間に離れていく列車に思いっきり手を振り返した。5年間にも及ぶ片想いの日々を、思い返しながら――……


……


……


……


 初めて君を意識したのは、中1の夏だった。


「おい、3組にオール5を取った奴がいるらしいぜ!」


 1学期最後の日、皆が通知表の数字に沸き立つ中、陽介がそんな噂を持ってきた。誰かと思えば、同じ剣道部の目立たない君だった。へえ、あの子賢いんだ……第一印象は、そんなだったっけ。


 うちの剣道部は、人数が少ない。だから中学生になっても男女混合で毎日打ち合っていた。意識して見てみると、君は賢いだけじゃなく、すごく頑張り屋だとわかった。


「やあああ!」


 男子に負けず鋭く竹刀を振る白道着の君は、とても眩しくて。目を離せなくなるのに、時間はかからなかった。


……


 中2の夏。僕と陽介と君は、生徒会に入った。放課後、運動部のかけ声や吹奏楽部の金管の音色が遠くから聞こえる静かな教室で、一緒に体育祭の企画をしていた。ひとつの机に3人で向き合って座り、カリカリとノートに書き込んでいく。


「絶対成功させようね!」


 君はいつだって、真剣だった。流れる汗もそのままにノートに顔を落とす君を、僕はドキドキしながら見つめていた。


……


 高2の夏。今日みたいに、とても暑い日のこと。突然の夕立ちに、君は昇降口で立ち尽くしていた。


「あーあ、また傘忘れちゃった!」


 賢い君の唯一の欠点は、忘れっぽいことだった。「弁当忘れても傘忘れるな」なんて格言のあるくらい急な雨の多いこの街で、君はよく傘を忘れていた。


 普通ならがっくりくる所だが、君はいつだって明るくて前向きだ。スカッと諦めて言い放つその笑顔に、僕の心はいつも照らされていた。


 僕は背負った鞄の上からカッパを着て、軒先で雨が弱まるのを待つ君と陽介に「お先ー!」と笑ってから、大雨のなか自転車を漕いだ。


 この日、僕はある作戦を思い付いたんだ。


……


……


……


 そして今日、いよいよ作戦を実行する絶好の機会がやって来た。


 朝の天気は晴れ。きっと君は、今日も傘を忘れるだろう。そこで僕は紙袋から折り畳み傘を出し、君にプレゼントする。開くと内側が青空の柄になっている、おしゃれなやつだ。自転車で街中の店を巡って探した、勝負の一品!


 一緒に傘に入って、駅まで歩いていく。そこで告白だ。言葉は、何度もシミュレーション済み。


 学校に着くと、ソワソワして授業どころではなかった。空模様を気にしている間に、流れるように時間が過ぎていく。


……


 部活も終わり、僕と君は並んで昇降口まで歩いていく。僕の心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。窓から空を見上げれば、今にも降り出しそうな鈍色の雲が立ち込めていた。


 降れ、降れ……!


 下駄箱に着いた所で、天に願いが届く。


 ――ザアアアァァァーー……


 昇降口のガラス戸の向こうで、大粒の雨が降り注ぐのを見て、僕はつい笑みを漏らす。君も笑って、


「あーあ、降ってきた!」


 と言うので、僕も笑って


「笑ってる場合かよっ。傘持ってる?」


 と、つっこむ。右手に提げた紙袋を、ぎゅっと握りながら。


「ううん、忘れちゃった」


 照れくさそうに笑って僕を見上げる君。 

 今だ! 僕が左手を紙袋の中に伸ばしたその時――


「あ! 陽介だ! 入れて入れてー!」



 え……?



 昇降口の外でバンと傘を開いた陽介を見つけ、君は駆け出した。タタッと傘に入り、陽介を見る君の横顔は……言葉に、出来ない。


 僕は紙袋に手を入れたまま、呆然と下駄箱に立ち尽くす。


 ――瞬間、全部、理解した。


 賢い君が、何度も傘を忘れるはずがなかったんだ。


……


 やがて2人が見えなくなった頃、僕はカッパも着ずに自転車に跨がり、大雨の中、びしょ濡れになってがむしゃらに自転車を漕いだ。


 左手に広がる海は、朝の凪が嘘のように灰色に波立ち、ザアザアと打ち付ける大粒の雨は、僕の涙も嗚咽も、全部流していく。


 ホントは、わかってたんだ。


 5年間も見つめていれば、脈が無いことぐらいわかる。でも、湧き上がる想いは、止められなかった。

 

 雨が降ることはわかっていた。


 ……わかっていたんだ。



         ――――失恋スコール

 

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