06


 *


 私だけが知っている――

 この人が、今から死ぬのだと言うことを。


(また、間に合わないの……?)


 愛しい背中が、何を見ているのか知っていた。一匹の白猫……過去の私だけを見つめて、あの必死な声で私を呼ぶのだ。それでも、耳の聞こえない猫の私が、迫り来るトラックに、あなたが私を呼ぶ必死さに気付くことはない。

 ただ、ひたむきに大好きなあなたを見つけて、どれだけ長い旅の始まりになるかも知らず、駆け出すんだ……境界線を、超えて。


(もうすぐ、時間だ……)


 状況は、完璧に揃っていた。通りのあちらとこちらを挟んで、一匹の猫と男が立っている。男は背後の私に気付くことなく、通りの向こうの猫を見つめていて……そして、あの暴走したトラックがやって来る。ダメ、だ。


「いや……スバルっ……!」


 手を伸ばし、地面を蹴って。また繰り返す。境界線の、向こう側へと――


「……やっと、捕まえた」


 覚悟していた衝撃の代わりに、包み込まれるような温もりを感じた。苦しいくらいの力で抱き締める腕が、どれだけ伸ばしても届かなかったスバルのものだと、気付いて。


「どう、して」

「時を超えて来たのが、お前だけだと思うなよ……ってな。待たせて、悪かった」


 その言葉に、私が知るスバルより、ずっと深く傷付いた瞳に、そこに浮かべられた愛の色彩に、全てを理解して抱き締め返す。


「スバル……スバルっ」


 会いたかった。どんなにか、伝えたかった。


「大丈夫だ。猫のお前は、今頃『こっち』の俺が捕まえてる。事故は、起きなかった。その世界を、俺達は手に入れたんだ……ソラ」

「もう、どこにも行かない……?ずっとそばに、いてくれるの?」


 すがり付くようにして聞きながら、きっと私はその答えを知っていた。それでも。


「それは『こっち』の俺の役目だろ。ほら、行け……お前の生きるべき、未来が待ってる」


 そっと腕を解かれて、ポンと優しく肩を叩かれる。ただ、それだけ。それだけで去って行こうとする背中に、あふれる想いのまま。


「スバル、大好きだったよ……!」

「……ああ、俺もだよ。ソラ」


 何もかもをこめた『さよなら』に、ボヤけるその後ろ姿に、いつしか白猫が寄り添って……そうして、ざわめきの中に消えて行く。


「ソラ……っ」


 立ち尽くす私の背中に、泣きそうなくらい愛しい声が、名前を呼ぶ。時告げの鐘が鳴る……もう二度と戻らない時間に、さよならを。


「スバル」


 ここが、旅の果て――帰り着く場所。

 青い空の下、この時に、確かな足跡をつけて駆けて行く。大好きな、あなたの元へ――







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恋する子猫の足あと踏んで 雪白楽 @yukishiroraku

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