第二章 女中と異国の元王子⑤




 コチュンは王宮の医局に運び込まれ、怪我の処置を受けた。左腕を骨折し、全身ぼく、顔にきずと、まんしんそうである。医者はしばらく女中の仕事はできないだろうと告げた。確かに、顔の半分を隠す包帯は、女中というより負傷兵だ。

しんりょうちゅうにすまない、ひとばらいを頼めるか?」

 すると、声とともに医局のとびらが開かれた。現れたのは、トゥルムとニジェナだ。

「いっ、いけません陛下、このような場所に来られては……」

「彼女は皇后付きの女中なんだ。倒壊するやぐらから皇后を守って怪我をした。そのいに来るのは当然だろう」

 トゥルムは医者たちをごういんに追い出した。三人だけになると、ニジェナが口を開いた。

「お前、横になってなくていいのか?」

「痛み止めを飲ませてもらったので、大丈夫です」

うそはやめろ、まだふらふらしてる。こんな大きな怪我で、平気なわけがない」

 ニジェナはコチュンのきょせいくと、コチュンの顔にそっとれた。その目は真っ赤にじゅうけつしていて、今にも泣き出しそうだ。

 だが、先になみだをこぼしたのはコチュンだった。

「……お医者様の話では、きずあとが残るかもしれないそうです……」

 一度せきを切ってしまうと、あふれてくる涙は止めようがなかった。コチュンは顔の包帯をさわった。自分の容姿に自信があるわけではないが、ほかのどこを怪我するより、顔に傷が残るのはやっぱり辛かった。こんなしい自分を、一人で頑張るニジェナには見せたくないのに、強がりをかされてしまうと、しんぼうできなくなってしまう。コチュンが声をまらせ泣き出すと、ニジェナはひざをつき、頭を下げた。

「お前の怪我はすべておれの責任だ。申し訳なかった」

 ニジェナの目からも涙がこぼれたのを見て、コチュンは驚いた。だが、ニジェナは涙をぬぐうよりも先に、コチュンへの感謝を口にした。

「やぐらが倒壊したとき、おれはお前に助けられた。仮におれがやぐらから落ちていたら、いまごろは医者の前でぐるみをはがされ、おれが男だということが明るみに出ていたはずだ。その意味でも、おれはお前に窮地を救われたんだ」

 ニジェナが口を閉じると、その隣にトゥルムが並んだ。

「わたしからも言わせてくれ。君のおかげで、バンサ国中にニジェナの存在を好意的に見せることができた。だが結果として、君を利用する形になってしまった。すまなかった」

 ニジェナとトゥルムに頭を下げられ、コチュンは痛みも忘れるほどきょうしゅくしてしまった。

「頭をあげてください。ここに来るまで、おさなみにってもらっていたんです。会場で起きたできごとは、その彼から聞きました。ニジェナ様を助けられて、わたしもよかったと思っているんです」

「本当に? こうかいしてないか?」

 それでもニジェナが心配するので、コチュンの中に、ちょっとした悪戯いたずらごころが芽生えた。

「こんな怪我をしてしまったので、お給金を増やしていただけたら嬉しいです」

「そんなもの、今すぐ三倍にしてやる。怪我のりょうだいだって払うしばいしょうきんも出す」

 ニジェナはそくとうすると、トゥルムを振り返って強く迫った。

「そうだよな?」

「あ、あぁ」

「あとは、何が望みだ? なんでも言え」

 ニジェナはコチュンをうながした。強気に尋ねているのに顔はそうはくで、腹の底では後悔がうずいているのが丸見えだ。それほどまでに、ニジェナはコチュンの怪我に責任を感じているらしい。いつもの彼は尊大にっているけれど、本当は、牛相撲ではしゃいだり、女中の怪我におおあわてしたりする、年相応の優しい青年なのだとわかってきた。そんな彼が、どうして性別をいつわってまで身代わりを務めているのだろう。

 だから、コチュンは思い切って尋ねた。

「それじゃ、ニジェナ様のことを教えてください。両国の同盟をするために、そうけっこんの代役をしているあなたは、何者なんですか?」

「おい、さすがに調子にのりすぎだ」

 トゥルムが割って入り、コチュンを制した。ところが、ニジェナがトゥルムを遮った。

「トゥルム。団子は命をけておれを救ってくれたんだ。だから、おれは団子に誠意を示さなきゃならない」

「何を言っている、それが危険なことだと、お前もわかっているだろう」

「こいつは信頼できる相手だ。団子には、真実を話す」

 ニジェナの言葉は強かった。どうやっても彼の考えが変わらないとわかると、トゥルムはニジェナの傍から数歩下がり、周囲に誰もいないのをもう一度かくにんしてから腕を組んだ。それがりょうしょうの合図となり、ニジェナはコチュンに向き直った。

「おれの名前は、オリガ。ユープー国王と、ニジェナ王女の弟。ユープー国の王弟だ」

 その告白に、コチュンは息が止まりそうなほど驚いて、しんさつだいから転げ落ちそうになった。すんでのところでかっしょくの腕が伸びてきて、コチュンの身体をがっしり摑んだ。コチュンはその腕にしがみつき、ふるえながら彼を見あげた。

「ユープー国の、お、王子様?」

「兄上が国王に即位しているから、おれはもう王子ではないけど」

 オリガは照れくさそうに答えたが、コチュンは面食らってしまって、まともに話せなかった。でも、思い返せば彼の振る舞いには気品があり、ぼうな面もあるけれど、それをくつがえすほどの知性とりょぶかさを見せつけられることもあった。それが、庶民にできない行為だと、もっと早くに気づいても良かったぐらいだ。

 でも、ユープー国の王子様 なんて、夢にも思うわけがない。

「ニジェナ……じゃなくて、オリガ様は、王族の方なのになぜ政略結婚の代役を?」

 やっとしゃべれるようになったコチュンは、彼の正しい名前を口にした。すると、オリガは名前を呼ばれたことに驚き、頰を赤らめつつ答えた。

「本物のニジェナとおれはふた姉弟きょうだいだ。容姿だけなら、兄上でもちがえるほど似てる。だから、ニジェナがどうしてもバンサ国に行きたくないと言い出したとき、両国の関係にひびを入れないためには、おれが行くしかなかったんだ」

 肩を落としたオリガを見て、コチュンは彼の置かれていた状況を想像した。彼は、差別やぞうが待っているバンサ国から、双子の姉を守ろうとしたのではないだろうか。コチュンが勝手にそうかいしゃくすると、トゥルムが深々とため息をついた。

「まったく、困った話だ」

「で、でも、トゥルム様は最初からご存じだったんですよね? オリガ様が偽装結婚の代役を務めることに、反対しなかったんですか?」

 コチュンがトゥルムに質問をぶつけると、トゥルムはしぶしぶといった風に答えた。

「オリガとは、子どもの頃に会ったことがあってな。まあ、休戦協定をねた、王族同士の交流というやつだ。だが、大人たちは相手を敵国の人間と見なし、日々いがみ合うばかり。わたしは双方の王族に失望したが、このオリガだけは違った」

 トゥルムは答えながら、オリガのきんぱつあたまをわしわしで回した。初めて見る親しげな振る舞いに、コチュンは目を丸くした。

「やめろって、おれはもう子どもじゃないっつーの!」

「わたしから見たら、まだまだガキだ。だが、こころざしをともにするこいつと意気投合し、親たちの目をぬすんで、我々は友情をはぐくんだ。将来、自分たちが国を治める代になったら、必ず今の関係を改善し、国のために協力し合おうと約束した」

 トゥルムはそう締めくくると、オリガの背中をバシンと叩いた。

「オリガは、約束を果たそうとしてくれた。わたしがその覚悟を断るわけがない」

「おれも、相手がトゥルムなら事情をわかってもらえる確信があったんだ。同盟を締結するために、何が何でも政略結婚は成功させなくちゃならなかったから」

 オリガは一通り話し終えると、また表情を曇らせた。

「けど、そのためにお前を巻き込んでしまって、今は申し訳ないと思っている」

 オリガは再び頭を下げた。だが、今度はコチュンは恐縮しなかった。

「つまり、わたしは異国の王子様を助けたことになるんですね」

「そうだよ、お前はおれの恩人だ」

 オリガが即答すると、コチュンは自分で言い出したくせに、頰を赤くしてはにかんだ。その姿に、どうしてかオリガまで恥ずかしくなってしまった。

 すると、二人を後ろから見守っていたトゥルムが、大きなため息とともに告げた。

「女中の無事を確認できたし、わたしたちのかくしつも解消できたな?」

「ああ、いろいろとありがとう、トゥルム」

「女中への給金については、さっきゅうに対応しておく。また別に困ったことがあれば伝えてくれ」

 トゥルムはそう告げると、仕事があると言い残して部屋を出て行った。

 残されたコチュンは、急にオリガと二人きりになって困ってしまった。なにしろ、オリガは異国の王族。今までのように接していいのか、わからなくなってしまったのだ。

「顔のきずあと、どれくらい残るのか聞いたか?」

 おもむろに、オリガが尋ねてきた。急にだまり込んだコチュンを心配したようだ。

「砂でこすってしまったので、の色が少し変色する程度みたいです。でも、王子様を救ったしょうだと思えば、めいの負傷です」

「だから、噓はやめろと言っただろう」

 オリガはそう言うが、これは強がりではなく、本当にオリガを助けられて良かったと思っている。コチュンが本心を伝えようとすると、オリガがコチュンの顔に触れてきた。

「お前の顔に傷を残してしまったのは、おれの責任だ」

 オリガは目を閉じると、きんちょうこわったコチュンの顔に、そっとくちびるを近づけた。

「なっ、何するんですかっ!」

 コチュンは頭が真っ白になって、夢中でオリガをなぐり飛ばした。コチュンが我に返ると、オリガは頰を押さえてぼうぜんとしていた。

「ごっ、ごめんなさいっ、つい、手が出てしまいましたっ」

「団子っ、お前、いきなり何するんだよ!」

 コチュンは自分の行為を反省したが、オリガの物言いに顔をしかめた。

「それはこっちの台詞セリフです。急に口づけしようなんて、何考えてるんですかっ。皇族だってダメなものは、ダメなんです!」

 コチュンが顔を真っ赤にしてり返すと、オリガはきょとんとした顔をした。

「どういうことだ?」

「どういう……って」

 コチュンは答えに迷ってしまった。まさか、口づけの意味が伝わらないなんて。コチュンが困っていると、オリガが申し訳なさそうに言った。

「ユープー国では、自分を守るために傷を負った人に、感謝の気持ちを伝えるきたりとして、傷の上に口づけをする風習があるんだ。バンサ国にはそんな風習がないのか?」

「あるわけないじゃないですか。バンサ国での口づけは、特別な関係の人間同士で行う、愛情表現みたいなものです。オリガ様も、牛相撲の会場でトゥルム様としてたでしょう?」

「あれは演技だ! なんとも思ってない相手との口づけなんて砂のかんしょくしか覚えてない」

 ようやく口づけの意味を理解したのか、オリガは慌てて頭を下げた。

「失礼なことをしてすまなかった。許してくれ」

「まあ、しょうがないです。すいですし」

「おれの国でも、恋人同士が口づけを交わすことはある。でも誤解しないでくれ、おれにはれんあい感情や下心はいっさいない。今のは、おれの国の、礼儀の一種なんだ」

 必死に弁明するオリガのせいで、コチュンまで決まりが悪くなってしまった。恥ずかしいやらおかしいやらで、感情のはばが激しかったせいなのか、コチュンの骨折している腕に痛みが走った。コチュンが思わず声をらしたので、オリガも表情を一変させた。

「痛むのか?」

「調子にのりすぎちゃったみたいです。でも大丈夫、しっかり固定されてますから」

「そうか……なあ、感謝の口づけ、せめて手になら、してもかまわないか?」

 しんけんなオリガの申し出に、コチュンはほかにせんたくがなく、頷き返した。

「まあ、手になら……」

 オリガは嬉しそうに微笑むと、コチュンの手のこうにそっと唇を近づけた。たった今、恋愛感情も下心もないと確認したばかりなのに、コチュンはふっとうするような熱が全身に広がるのを感じてしまった。できることなら、このままオリガに顔を見られず消え去りたい。

自分がどんな表情をしているかなんて、想像もできなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

この続きは、2021年10月15日発売ビーズログ文庫『嘘つき皇后様は波乱の始まり』でお楽しみください!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嘘つき皇后様は波乱の始まり 淡 湊世花/ビーズログ文庫 @bslog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ