第二幕 灰燼

「メイレ=ゾアと言います」


「めいれぞ? それはなんだ?」


 樽卓バレルの向かいに座るモノノフを名乗る男は口をへの字に曲げて少女──メイレを訝しんだ。


「わたしの名前です……」

 

「そんな変な名は聞いたことがない」


「変って……いや、この街じゃ普通デスヨ……?」


 このモノノフなる男を相手にメイレはほとほと困り果てている。なにせ、言葉が通じるのに通じていないのだ。酒場に来る途中も、見かけるモノ全てに興味を示し、まるで子どもの様な無邪気さで連れて来る事さえ中々に骨を折っていた。


「そ、そうだ、あなたの名前は何て言うんですか?」


 気を取り直し、モノノフに問いかけると、男はしばし腕を組み黙り込んだ。


「分からん」


 十分後、ようやく口を開いたモノノフから出た言葉を聞いてメイレは更に困惑した。


「分からんって、自分の名前かですか?」


 一応もう一度確認の意を込めてメイレが問う。

 

「言うた通りじゃ。だが、こいつだけは覚えておる」


 言って、モノノフが掴み上げたのは彼が路地裏で抱きかかえていた大湾刀。サムライが扱うカタナとはその大きさも然ることながら、刃の厚みも違う。


 モノノフの言う通り、彼が戦いの技術に関して記憶しているのは確かな事だろう。実際にメイレは彼が迷宮経験者二人を軽くあしらう場面を見ている。浅層金拾いスカベンジとは言え、経験者とそうでない者には決定的な差が存在する。


 それは〈資質スキル〉だ。


 迷宮に満ちる魔力に曝され、肉体を順応させた者はその身に力を宿す。本来人間が持ち得ない異能。経験者の肉体は普通の人間では無い。剣で斬られようが魔法で穴を穿たれようが急所で無い限り即死には至らない。故に迷宮探索などという命がけの仕事が成立している。


 モノノフも路地裏で流血していたが、今はその傷はすっかり治っている様に見えた。しかし、メイレにはモノノフが経験者だとは思えなかった。


 モノノフの持つ大湾刀は薄暗い迷宮において取り回すにはあまりに大きすぎるし、乱暴に振るえば仲間も斬りかねない。経験者であれば絶対に選択しない武器だ。


「あなたは迷宮──不羈なる王の暗渠の事は分かりますか?」


「何だそれは? 知らん」


「……やっぱり」メイレは落胆した。 


 もう薄々と理解していたが、このモノノフなる男はメイレの手に余る異質あるいは異端であり一党を組むなどと持ち掛けてみたがアテには出来ないと分かった。

 強さは本物だが、何も知らない人間をあんな所に連れて行くなど金拾い以下の所業だ。メイレはどこまで堕ちても生来の善性には抗えなかった。 


「お時間取らせてすいませんでした。もし、行く宛に困ったら組合を訪ねてみてください、きっと何かしらの仕事があると思いますから」


 そうしてメイレはモノノフに背を向け、酒場を後にする。言ってから思ったが、あのモノノフであれば用心棒なり兵士なり引く手あまただろう。 


 彼は自分とは違うのだ。恐怖に呑まれながら、あの暗闇に心を縛られ、死を望む歪んだ生き物である自らとは。


「死にに行くのか?」


 背後から声を掛けられメイレは肩を跳ねさせた。振り返るとそこには無機質な瞳でメイレを見下ろすモノノフの顔があった。

「なんでついてきてるんですか!?」

「黙れ。己れが聞いている」

 彼の目は深く暗く、メイレという人間を品定めするようにただじっと見据えている。けれど、蔑んではいない。覚悟を。


 覚悟を視られている────


 メイレは頷き、モノノフに視線を返した。


「好し。ならば己れも行こう」モノノフは納得した様に頷いてそう言った。


「え、なんでそうなるんですか!? 確実に死ぬんですよ!?」


 メイレが行おうとしていたのは違法な迷宮行──要するに二度と地上には戻れない死への片道行脚。地上で生きる意味を失い、生きながら死ぬよりいずれ朽ち果て魔に落つ定めが待っていようと。 


 黄金と刹那の栄光に飾られた街で腐っていくならば、暗澹たる地の底で死と隣り合わせの生を望んだ。



 これは死と灰の冒険譚などでは無い。

 灰は灰へ、塵は塵へ。

 未だ灰にもなりきれぬ灰燼の物語である。


 

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塵灰のレゾンデートル ガリアンデル @galliandel

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