第一幕 武に仕える者

 夜と朝にある少しの逕庭。

 朝未あさまだきの薄暗い中を少女は走っていた。ぼろぼろの外套を纏う影が、街を疾走していく。

 少女は【探索者】であった。

 古来より存在する異形棲まう迷宮。

 それに挑む者達の事を探索者と呼ぶ。

 彼らは自らの死と栄光の道を奔走する。

 だが……少女は少しばかり事情が違っていた。


 少女は探索者だが、探索者では無かった。

 辛うじてその資格を有しているだけの探索者くずれであり、今は一党パーティにも属していないはぐれ者であった。

 迷宮ダンジョンへの潜行には二人以上の“一党”でなければならない。つまり女は探索者という迷宮に挑む者でありながらにして迷宮に挑む資格を持っていなかった。


 それでも少女は走っていた。

 迷宮へと向かって足を動かしていた。

 迷宮の入り口は街の外縁にあったが、その周囲は分厚い石の壁に囲まれており、背後には巨大な山脈が控えている。

 それは誰しもが入れる場所ではない事を悠然と──また厳格に物語る。

 

『資格無き者、この門通るべからず』


 迷宮を囲う壁と門にはこの言葉が刻まれている。少女はそれを目にして一瞬足を止めた。


 迷宮への許可なき侵入は犯罪だ。

 陽を拝める日は二度と来ないかもしれない。

 しかし、それはこのまま地べたを這いずり燻っていても同じ事だ────まともに生きては行けない。

 もう少女の覚悟は決まっていた。


 少女が迷宮の門へと向けて再度走り出そうとした時、かすかに声が響く。


「……だ」


 あまりに小さな声。掠れており、空気が抜けた様に発されている。もし、街に賑わいのある時間帯であったら少女はおろか、誰一人として気付く事は無かっただろう。

 少女の決心が鈍った。

「──ッ」

 こんなにも簡単に揺らぐものだったのかと少女は自分を恥ずかしく思ったが、それより声の主の姿を探して少女は周囲を見回す。

 だが、見える範囲にその姿は無かった。


「こ……だ…?」


『ここだ』。


 少女にはそう聞こえた。

 そして声はすぐそばの路地から聞こえてきている事に少女は気付く。

 そこは暗く、湿った裏通りだ。

 その奥からは依然として、掠れた声が聞こえてきている。

 何かの導きか、それとも悪魔の誘惑か。

 確かめる為、少女は裏通りへと足を踏み入れた。


 アーカムの影────表通りから一歩外れるだけで街は迷宮ダンジョンの様相を見せる。

 月明かりすらまともに届かず、視界の一尺先には闇。少女の目の前にあるのは建造物の壁と壁に挟まれた一本道だ。

 更にその奥は街の成長と共に複雑に肥大化した裏路地の集合体が広がっていた。

 成長に取り込まれた部分には街の仄暗い部分が眠っている。暗殺者、犯罪組織、売春宿……これまで少女には関わり合いの無かったものだ。

 以前までなら気付かぬ振りで通り過ぎていただろう。だというのに、先ほど一つの決心を付けたせいで吹っ切れてしまったのか、躊躇する事なく女は進んでいった。


 暗い。

 不覊暗渠アビスに潜ったのはもう随分と前だ。暗所でも利くはずだった自分の目は既に地上での生活に慣れ切ってしまっていた。

 だがまだ壁伝いになら進める。

 迷宮での経験で“道”の輪郭だけは辛うじて捉える事が出来ている。

 問題はこの先に何がいるのかが分からないこと。

 ……幸い、と言っていいのか、人らしい気配を感じない事から破落戸まがいの探索者みたいのもいないだろう。

 更に一歩、少女は踏み出したその足に違和感を覚えた。


 ぬる────。


 微かに滑る地面。

 油でも撒かれているのか、やけに足の裏に張り付く液体が少女の足元には広がっていた。

「……!」

 すん、と微かに鼻を鳴らす。

 生ぬるさを覚える纏わりつくような臭気。何度か鼻を鳴らして、少女は『うっ』と顔を歪めた。

 視界は優れないが、臭いで分かった────


『これは血だ』

 

 しかも人間の血だった。

 少女には“覚え”があった。


 脳裏に浮かぶのは真暗い回廊の奥。

 そこから這いずり現れる────かつての仲間たち──その亡骸──落ち窪んだ深淵を宿した眼窩を向けて──生き残った自分を憎み、呪い……羨んでいた。

 

 どくん、と少女は心臓を大きく跳ねさせた。


「────はっ……はっ……!」


 呼吸が乱れる。鼓動が早まる。

 迷宮が少女に与えた“呪い”だ。

 暗闇の向こうには死があり、かつての仲間たちはそこにいるのだという幻覚を見てしまうそういう呪いだ。

 幻覚だと分かっていても、拭いされない少女の抱く罪悪感。

 足元に広がる血は彼らのモノなのか。

 少女の足元の血は更に暗闇の奥へと続いていた。


 これは、幻覚だ。何もかも幻覚だ。

 少女は自らに言い聞かせ、小さな胸をぎゅっと押さえまた一つ足を進める。

 かつての仲間の幻影を振り切るが如くに、少女は震える足で一歩ずつ進んでいった。

 ふと、暗闇の中に“形”を見つけて、少女は立ち止まる。そして闇に向けて言葉を投げかけた。

 

「誰……?」


 闇に投げた言葉に返事は無い。

 少女は、胸の前で握った掌をもう一度強く握りしめて“形”へと近付いた。

「────ッ!?」

 辿り着いた先そこで少女が見つけたのは見た事の無い鎧を身に纏い、身の丈はあろう巨大な湾刀を大事そうに抱えている満身創痍の男だった。

 男の纏う鎧は傷だらけで、所々から血が流れている様であったが、息はあるのか浅く静かに呼吸をしている。だというのに、男の姿はさながら眠っているかの様に落ち着いた呼吸をしていた。

「どうしよう」

 困った声で少女は呟く。

 しかし、少女はここに足を踏み入れた時点で、今夜迷宮に忍び込む事は諦めていた。

 そして今は別の思惑が浮かんでいた。


「あの、生きてますか?」


 おかしな質問だと自分でも言ってから気付いた。死んでる者は返事をしたりしないのだから。


「血が出てますよ……?」


 男からの返事は無い。

 もしかすると死んでいるのかもしれない。

 もしくは、もうすぐ死ぬのかもしれない。

 それなら……と少女は男が抱える大曲刀へと手を伸ばした。


 これを持って他の一党に行こう。見たこともない湾刀だ、珍しいモノなら持参金として渡せば一党に入れて貰えるかもしれない。

 湾刀の柄を掴みかけて少女は自らの良心に咎められ、我に返った。

 ……そんなのは駄目だ。

 自分は一体どこまで落ちぶれれば気が済むのだろうか。浅ましく醜い思考ばかりが浮かぶ自分に嫌気が差す。

 少女は思い直し、今度は男の側に近寄ると久しく口にしていなかった“言葉”を唱える。


「『精霊よ、慈哀の月の精よ。かの者の血肉を癒し賜え』」


 『呪文』と呼ばれる真に力ある言葉が少女の口から放たれる。少女が唱えたそれは、他者を癒す力を有す職手クラスである【精養士スピリット・メンター】の扱う精霊術の中位呪文であった。

 少女は唱えながら自分が精養士であった事を思い出していた。

 呪文を唱えるのも随分と久しぶりだった。しかし脳裏に刻まれた呪文を間違えるわけも無く、少女の手を伝って溢れた蒼白い光が男の身体を癒していく。


「これで、傷は治ったはずだけど……」


 額に浮いた汗を拭って、少女は男の流血が治まったのを確認する。


 しかし、男は反応を示さない。

 呼吸だけはしている様だが、目を覚まさないで眠り続けていた。


「この人、どうしよう……」


 とりあえず宿にまで運ぼう。と考えた少女は男を背負おうとしてみたが、女の体躯、ましてや戦士職の様な腕力も無いのでは体格の良い男を運ぶのは困難だった。

「はぁ……はぁ……!」

 どうにか運ぼうと少女は男の身体を動かそうとしたが、男はまるで岩の様にその場で眠りこけており微動だにしなかった。

「どうなってるの、このヒトッ!?」

 肩で呼吸しながら、少女は不可思議な男を見やる。

 どうにかして動かせないだろうか?

 そこで、少女は一つの方法を思い付いた。


「アレなら──」



 ◇



 一度宿に戻った少女は、その腕に薄汚れた布切れを抱えて再び男のいる路地裏へと戻ってきていた。


「これに入って貰えば何とかいけそう。それに引きずってもそんな痛くないだろうし……」


 女が持ってきたのは“死体袋”だった。

 当然、まだ未使用のモノではあったが、死体袋に生きている人間を入れるのは少女としてもあまり気分の良いものではない。


「よし、これで────」


 男を何とか袋に収め路地裏から出ようとした少女の耳に、不意に足音が聞こえてきた。

 がちゃり、がちゃり。

 大きな金属音を鳴らして歩いており、相手が体躯の大きな人間だと少女は推測する。

 しかし、鎧を着込んでいて路地裏に入ってくる人間は限られている。

 行き場の無い者かあるいは、脛に傷を持つ者だ。

 少女は、瞬時にそれが“善く無い者イビル”だと察した。

 “善く無い者”とは、当然“善き者グッドネス”では無い。されど完全なる悪では無い。

 あくまで探索者としての在り方スタンスに対するモノの評価である。

 特に路地裏は無法の領域であり、彼ら“善く無い者”の棲まう場所であった。

 ここでは彼らがルールであり、善き者の倫理は通用しない。

 もし、襲われたとしても少女には抵抗する手立ては無く、見窄らしい探索者くずれの少女を憐れむ者はいても助ける者はいないだろう。少女の背に冷たい汗が伝うと同時、低い声が路地裏に響いた。


「女だ」

 直後、間髪入れずに軽薄そうな蛮声が続いて響いた。

「はァ? 日照り過ぎて幻覚でも見てんのかァ? ってマジじゃねぇか!」

 

 板金鎧を纏った大男と盗賊の様な身なりの小さい男は少女の存在に、下品な笑いを浮かべていた。

 

「へへへ、ツイてんなぁ!」

 盗賊の方が言って板金鎧の背を叩く。

 男達は女を見つけて舞い上がっている様だった。恐らくは、迷宮での稼ぎが悪かったのだろう。男達の口ぶりからして、少女は最悪を想像して青ざめつつもどうすればこの場から逃げられるかを考えた。


 このまま袋に入れた男を置いて逃げればチャンスはあるだろうか?

 否。逃げ切れないだろう。

 片方は盗賊と思われる為、全力で走っても無理だ。まして彼らの勝手知ったる路地裏バックアレイだ。不可能だろう。

「────ッ!!」

 どうする、などと考えずにロクな手立てもないまま少女は自身の得物であるワンドを剣の様に構えて二人組を見据えた。


「おお? やるみたいだぜ、この女ァ!」

 小柄な男が笑い、大男は背負っていた鉄棍アイアンクラブを手にし、地面を叩いた。その衝撃、威力は叩かれた石畳が凹み、砕け散り、細かな破片がぱらぱらと少女へと降る。鉄棍アレで殴られれば、華奢な少女の体など容易く砕かれてしまうだろう。

 怯えた瞳を隠すように少女はローブを深く被って、大男を見据えた。

  

「先手をやるよ、どうせ何も出来んだろうがな」

 大男が兜の奥でくぐもった声で笑う。杖で板金鎧を砕くなど女には出来ないと分かっての事だ。

「顔はやめろよォ〜? 後で萎えるからな」

 退屈そうに路地裏に置かれた木箱に腰を下ろした小柄な男が野次を飛ばす。

「分かってるっての。ホラ来いよ?」

 大男が自らの体を前へと突き出す。

 何にせよ少女に引くことは許されない。

 やるしか無いのだ。

「わああぁぁぁ────!」

 直後、少女は叫ぶと力一杯踏み込んで杖を大男の板金鎧に向けて振り下ろす。杖と言えど固い樹木から作られたある種棍棒に近い代物だ。

 思い切り振ればあるいは────。

 そんな少女の淡い願いはがん、という大きな音にかき消された。

 少女の攻撃を受けた大男は、やにわにその腕を掴み軽々と少女を宙吊りにする。


「おうおう、先に手を出したのはお前だからなぁ。何されても文句言うんじゃねぇぞ?」


 大男の手が少女の外套へと伸び、まとっていたボロのローブが乱暴に引き裂かれその下の少女の肉体が月光の下に晒された。

「────ッッ」

 その時、少女は自分の愚かさを呪った。

 いつもこうだ。

 一つ乗り越えた所で、更に悪いことが起きる。

 少女はその目に涙を浮かべながらも、恥辱に耐えようとするが男達の下卑た視線と声がそれを許さなかった。 


「見窄らしい格好してるかと思えば意外に良い身体してるじゃねぇか」

「この分なら十分楽しめそうだ!」


 大男の手が、少女の頬に触れるとその手は徐々に下へと降りてきた。まるで蛇のように狡猾に進んでくる手が、少女の触れられたくない部分へと向かってくる。

「……────ッ」

 途端、少女の中で堪えていたモノが堰を切って溢れ出た。


 お前はここで終わりだ、と。

 この先へは進めない。

 いつまでも“行き止まりの道”で喚いているだけの存在が自分だ。

 いくら歩き出そうと前にあるのは壁。進む道なんてどこにも有りはしない。

 まるで運命がそう告げているかの様だと、少女は嘆いた。


『停頓』


 それはつまり、死んでいるのと同義だ。

 進んでいく者達に置いていかれ、過去に埋もれいつしか忘れ去られていく。

 そんなの、生きながらに死んでるとしか言いようが無い。


『────無いじゃない!!』

 

 心の内で少女はそう叫んだ。

 少女が泣き出し、男達はそれを嘲笑う。

 男達は少女が、自らが嬲られ慰み者にされる事を嘆いて泣いているのだと思っているのだろう。

 だが少女は今更その様な事で泣いているのでは無い。

 悪い事に際限が無い事を少女は知っていた。あの四階層での経験を勝る苦しみは地上に戻ってきてから今の一度も無い。

 泣いているのは、生きながらにして死んでいる自分の運命を呪ってのモノだった。


 少女の嘆きは『死』よりも強い、生ある者の『呪』の声だった。

 

 それを聞き届けるのは神か、それとも悪魔か。


 ──ただ一つ、その声を聞いた者がいた。


 瞬間、少女の視線が路地裏の奥へと向けられる。音がした訳でも、まして声が聞こえた訳でも無い。

 ただ、何かがそこにいると直感したのだった。


「騒々しいな。れは死んだのでは無いのか」


 くぐもった声が少女が視線を向ける先から聞こえ、男達もようやくそれに気付く。


「誰だァ!?」

 大男が声に驚き周囲を見回す。小柄な男も同様に警戒して、短刀を取り出していた。

 そして、二人は奥に転がる“死体袋”へと視線を定める。

「なんだありゃ?」

「死体袋……か?」

 まさか死体が蘇ったのか、と二人は勘ぐるがすぐに声の主が回死者リビングデッドで無いことに気付く。

 回死者が発するのはせいぜい呻き声程度であり、明朗な言葉を発する様な事は無い。


 ならあの死体袋の中身は……。

 二人の男の顔に汗が浮かぶ、何か得体の知れないモノがあそこから生まれる。

 そんな予感があった。

 

 直後、ズ──────と袋の内から薄く伸びた刃が生え、二人は息を呑んだ。

 刃は袋を裂いていき、腕甲を身に付けた腕が飛び出す。

 黒い腕は地面に手を着くと、乱暴に袋を突き破り上半身を出す。

 そして、やおら立ち上がり、とうとう少女と男達の前にその全貌を露にした。


 六尺はあろう長大な湾刀を携え、東洋のモノと思われる軽めの黒い甲冑を纏った戦士────この街でも珍しい職手クラス


 その姿はサムライと呼ばれる東洋の戦士であった。


 異様な登場に緊張の糸を張り詰めていた男達だったが、相手が人間で、しかも侍と分かると安堵して嘲弄を始めた。


「なんでぇ、ただのサムライかよ! 足は遅い、武器は鋭いが当たりにくい! 二人で掛かれば大した相手じゃねぇぜ」

 そう揶揄して小柄な男は短刀ダガーを構える。大男も少女を突き飛ばして鉄棍を持ち上げた。


「お楽しみが控えてるからよ、とっとと死んでくれや!」

 小柄な男が先に飛び出す。

 風の様に自然に、それでいて疾い。

 盗賊の資質スキル──〈速掛け〉だ。

 対して侍の男は武器を構えすらせず、盗賊の男を待ち構える様な素振りも見せていない。

 単純にこの侍が反応できていない、小柄な男はそう考えて間合いを詰めていく。


『簡単にれる!』


 そして、侍の懐に飛び込んだ盗賊の男がそう思った矢先、腹部に違和感を抱き視線を落とした。


 湾刀の柄────?

   

 小柄な男は再度視線を持ち上げて、大きく目を見開いて眼前の侍の手元を見る。

 恐らくは、最小の動作で撃ち出すように抜かれた刃の柄に腹部を打たれたのだろう。

 小柄な男の速力を利用して、打ち出した柄で最小最速の反撃カウンターを侍は行っていた。

「ば、馬鹿な……」

 それを最後に小柄な男は意識を手放し、侍の前に頽れる。

 侍は倒れた男に一瞥もくれず、何事も無かったが如く今度はじっ、と大男に視線を向けていた。

「なんなんだてめぇは」

 大男が侍へと投げかけると、侍は首の後ろに掛けていた黒い編笠を深く被って静かに、けれど力強い声音で応えた。

「──れが“何者”か?」

 呟く様に侍は質問を反芻し、静かに笑った。

 無論、大男はそんな哲学じみた事を考えて問いかけたのでは無いのだろう。

 だが、侍はその問いを自らの『存在理由レゾンデートル』を問われていると受け取っていた。

「ただのサムライじゃねぇのは、分かったぜ。てめぇの動きは迷宮経験者のソレだ。だが、ソイツは俺だって同じ事よ! 最初から分かってりゃ油断なんてしねぇッ!!」

 侍の答えを待たずして大男が踏み出した。侍と男との距離は四尺程。大湾刀の射程距離リーチは六尺もあり、既に間合いである。

 しかし……侍は刃を抜かずまた構えもせずに大男の動きをただ傍観していた。侍は極めて怜悧れいりに、状況を見定めていたのだ。故にらこの狭所での戦闘において六尺もある大湾刀は十分に振るう事は出来ないと判断していた。


 一方、少女は両者の戦いをただ呆然と眺めていた。

 片や“善く無い者”、片や正体不明の侍。

 自らの運命の骰子ダイスは一体どこに転がっていくのだろうか────?


 少女が思うのも束の間、決着は早々に着いた。

 無刀で待ち構える侍、そこへ鉄棍を振り上げて猛進する大男。

 戦いの観測者である少女は思った。

 侍は背丈はあるものの体格は大男に比べ、細身で纏っている鎧も軽鎧の類である。だと言うのに武器の大湾刀だけはやたらと大きく長いが、抜かないのであれば文字通り無用の長物だ。


 怒気に満ちた表情の大男が侍へと迫りながら叫んだ。

「武器も抜かねぇ、なんちゃって侍が! このままぶっ潰してやる!」

 振り上げられた鉄棍に力が込められる。侍のリーチによる有利は既に無い。

 鉄棍を振り下ろせば、勝負は決まる。

 大男は自らの勝利を確信していた。だというのに、侍の余裕の正体が掴めず振り下ろすのを躊躇った。


「一つ誤解を解こう」

 目の前から声が聞こえ、大男の額に汗が伝った。

「己れの邦にも技を重視する者は居た。各々が手前勝手に名乗った“流派”を持っている。そうして剣術を学び士道を尊ぶ者がさぶらいとなる」

 危機的状況にありながら、淡々と語る侍に大男は得体の知れない恐怖を抱きながら更に前へと足を進ませる。あとは振り上げた鉄棍を侍の頭に叩きつければ良いだけだ、圧倒的に有利なのは自分だと大男は自らに言い聞かせて叫んだ。

「だからなんだってんだッ! 侍なんぞ────」 

 鉄棍を高く振り上げたところで、大男の動きが止まった。大男よりも僅かに低い所で、侍の放つ眼光が大男の目をまっすぐ捉えており、その威圧感に大男は動けなくなってしまっていた。

 頭上の鉄棍を意にも介さず、侍は言葉を続けた。

「……更にもう一つ、戦を求めるだけの徒輩がいる。奴らは武士もののふと呼ばれ、己が命を削り剣を磨く事に生涯を捧げた者どもだ。己れを呼ぶのであれば侍では無く、モノノフと呼べ」


 侍──では無く、モノノフは獣みたく姿勢を低くした。同時に、大男は恐怖に顔を歪めたままがむしゃらに鉄棍を振り下ろす!

 しかし、振り下ろした先に既にモノノフの姿は無い。その姿を探して、大男が視線を彷徨わせている内に、モノノフは大男の真横へと迫っていた。

「くそォォッ!?」

 大男が振り払おうと、咄嗟に振るった腕をモノノフは軽く頭を下げて簡単に回避する。

「遅い」

 次に、モノノフは鉄棍を握っている男の腕を捻り、流れる様に男から鉄棍を奪った。


「す、すごい……あんな戦士見たことない」

 思わず少女は感嘆を漏らして、モノノフの流れる様な技に見入ってしまっていた。


 そして、大人一人ほどの重さがある鉄棍をモノノフは片手で軽々と持ち上げ、間髪入れずに大男へと振り下ろす。

「ひっ──」

 容赦なく振り下ろされた鉄棍が、恐怖に顔を歪める大男へと迫る。


 しかし、鉄棍はその眼前でぴたり、と止まった。

 

「勝負有り──と言った所だと思うが?」

 突きつけた鉄棍を下げて、モノノフは腰を抜かして座り込む大男を見下ろしていた。

「あ、あ……」

 刹那とは言え死の恐怖に晒された大男はまともに声も発せずに、ただモノノフを見上げるしか出来なかった。

 すると、やれやれと言わんばかりにため息を吐いたモノノフは大男の前に屈んだ。

「怖じ気たか。面倒じゃのう……」

 次の瞬間。

 ぱぁん! と大男の頬に強烈な張り手をく食らわせた。

「あぶぇっ!?」

 奇天烈な声を上げて、大男はじんじんと痛む頬を押さえる。きょろきょろと周囲を見た後、目の前に立つモノノフを見て苦笑を浮かべた。

「へへっ……あんたが誰だかはわかんねぇけど、あの女が目当てなんだろ……? あいつはやるから許してくれよぉ!」

 大男に言われ、モノノフの視線が路地裏の端でボロ切れにくるまった少女の姿を捉えた。

「??」

 急にこちらを向いたモノノフの意図が分からず少女は困惑した。だが、すぐにモノノフは少女を視界から外した。

 次いで、モノノフの目がぎろり、と大男に向く。その瞳は怒りの色が露わにして“鬼”の如き気迫で大男へと迫った。

「ガキに興味はありゃせん。だがな……女子供に手をあげる奴ァ許せんなぁ!」

「ひっ、ひぃぁああぁぁぁッッ!!」

 同時に、大男は甲高い悲鳴を上げると四足動物の様に地面を這い、惨めに泣き叫びながらその場から逃げ出した。

 

 大男が視界の中で小さくなっていくのを見届けて、モノノフは鼻を鳴らした。


「──ふん、世も末じゃな。逃げぬのならば、下らんモノで切らにゃならん所だった」


 モノノフは背後を見やり、倒れたままの小柄な男の足を掴んで路地裏の外へと放り投げて、少女に顔を向けた。

「お前、危ないところだったな」

 黒い編笠を押し上げて、モノノフは朗らかな笑みを見せる。

 少女からしてみれば、危なかったのは先刻まで血を流して倒れていたそちらの方が危なかった、と思う。

 しかし、今はそんな事よりもこの異様な戦士に対してある考えが少女の中に浮かんでいた。少女はバッと勢いよくモノノフの手を掴み自分の格好も忘れて衝動にまかせて叫んだ。


「わたしの一党に入ってくれませんか!?」


「──はぁ?」

 モノノフは何がなんだかと言った様子で、掴まれた手と少女の顔を交互に見た。そして、苦笑する。

 

「とりあえず、服を着ろ。話はそれからじゃ」


 言われ、少女は視線を落として、自分が今どんな格好なのかを思い出した。

 

 ──それが精養士の少女メイレと異端のモノノフの出会いであった。

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