塵灰のレゾンデートル
ガリアンデル
序幕 冬の夜
要塞都市アーカム
都市の外縁に隣する迷宮【
昨日と今日では違う顔ぶれが行き交い、また次の日は新しい顔がやって来る。
彼らは【探索者】と呼ばれる者どもだ。
しかし、厳密にはそんな職業は無い。
探索者とはあくまで迷宮に挑む人間を管理する為に街が用意した肩書きであり、また彼らの実力を把握する為の
彼らの多くは“酒場”に集まる。
そこで共に迷宮に挑む仲間を募り、やがては“
今日も酒場では新しい顔と古い顔が言葉を交わしていた。
◇
「わりぃがお前みたいな縁起の悪いヤツと組むのはごめんだぜ」
その男は、アーカムでもそこそこに名の知れた探索者であり、鉈の様な剣を扱う事から『大鉈のジルゾルデ』として呼ばれている。
彼の両隣にはまた別の男が二人座していた。
二人の男はジルゾルデに比べて若く、いかにもこの街に来たばかりだと分かる新品の革鎧に傷一つ無いショートソードを携えていた。
彼らの戦士職の訓練教官を兼任しているジルゾルデが難しい顔をするのとは逆に、彼を取り巻く二人は彼に浮ついた笑みを向けていた。
「ジルゾルデさん、治癒系の
若い男の一人が彼に提案したが、ジルゾルデは「馬鹿か」と一蹴する。
「探索者ってのは
当の本人を前にしてジルゾルデは少女を不吉呼ばわりするが、酒場で聞いていたであろう他の探索者の誰一人として、彼の言葉に異を述べる者はいなかった。
それがどう言う事か、二人の若い探索者はこの時分で充分に察して黙り込む。
ジルゾルデの言葉を聞いて少女が俯く。それを見たジルゾルデはため息を一つ吐いて言葉を続けた。
「……見せ物みたいにして悪かったな、姉ちゃん。“詫び”だ、受け取れ」
ジルゾルデは“不吉”と呼んだ少女に対して小さな袋を投げ渡し、次いで早く去れと言わんばかりの鋭い視線を送る。
「……!」
射抜く様な視線に晒された少女は、すぐに彼に背を向けて逃げる様に走り去っていった。その背が酒場の外を行き交う人の群れの中へと消えていくのを見送って、ジルゾルデはもう一度酒を呷った。その横で若い探索者の二人が落胆の声を漏らした。
「あーあ……結構可愛い子だったのに、勿体ないっすね」
若い探索者は二人してそう言う。
ジルゾルデが酒を流し込みながら口の端で嘲るように笑う。
「なんだ。てめぇらモテたくて探索者になったのか?」
しかし、若い探索者の二人は彼の言葉に含まれた意味に気付かないまま言葉を続けた。
「そういう訳じゃないっすけど……女が居た方が色々張り切れるみたいな────?」
一人がそう口にした瞬間、宙に舞っていた。
唐突にかち上げられた方の男の意識は既に飛んでおり、もう一人の若い探索者は驚愕して目を見開いた。
なぜ、どうして。そんな事よりも、さっきまで笑って酒を飲んでいたはずよ男に対しての恐怖が先行した。
『殺される』
若い探索者がそう思いながら、ジルゾルデを見やると、そこにはずいと寄せられたジルゾルデの顔があった。
「おい。なんで今こいつはぶっ飛ばされたと思う?」
彼はもう一人の若い探索者に問いかけた。
対して、若い探索者は到底答えられる様な精神状態では無かった。
恐怖に震え、目の前の男が怪物にでも見えているかの如くに怯えていた。
「なぁ、なんでだ?」
続けざまにジルゾルデが問うと、若い探索者は崖際で足元を探るように慎重に口にするべき言葉を探して────踏み外した。
「……ば、ばか、だった、から……?」
言い終えてへらっと笑みを漏らした若い探索者に、ジルゾルデが鼻を鳴らして明確な嘲笑を見せる。
「へっ」
少し間が空いて、彼は若い探索者の肩に手を置く。
「
ジルゾルデが笑って、男の肩に置いた手に力を込めると、とうとう若い探索者は恐怖で気を失ってしまった。
◇
優しい人だったな……。
薄汚れたローブを纏い、人の行き交う大通りを縫う様にして少女は歩いていた。
その手には先程酒場で詫びと称して渡された小袋が握られており、中身は銀貨が七枚も入っていた。
──それだけあればこの街では半月は暮らしていける程の額だった。
だからと言って、少女には物乞いに身を落とすつもりは一切無い。
今回は偶々であり、少女自身入っていた金額に驚き返すべきかを迷っていたが、あの男に向けられた存在を否定する様な鋭い視線にもう一度晒されるのかと思うと、再び酒場の方へ足を向ける事は出来なかった。
そうして少女はようやく自らが利用している宿に着いた。
一泊銅貨一枚のボロ宿だ。
馬小屋の方が幾らかマシかと思える程だが、少女にはここである理由があった。
まず第一に宿代を払えなくなった者は探索者としての資格を失う。
これは街の経済を回す為の仕組みであり、あまりにも増えすぎた探索者を自然淘汰する為の仕組みである。
第二に、今は馬小屋でさえ金を取られるという事。時期によっては耐え難い環境だが、十分に休めるという事はそれだけで価値があった。
第三は言わずもがな、普通の宿は一泊で銀貨一枚も取られる程高価になっていたから。
馬小屋でさえ一泊、銅貨五枚。比ぶれば、少女が利用している宿がどれほど劣悪な物か。
しかし、おかげで少女は探索者の資格を失わずに済んでいる。
少女がここまで落ちぶれた生活に至るまでには、一年の期間があった。
少女が探索者として活動を始めたのは今より二年前になる。
始まりはとある
しかし少女にとって、今やその頃の記憶は思い出す度に脂汗が浮き、嗚咽し呼吸苦を催す程の嫌な記憶となって今でも時折夢に現れ少女を苦しめている。
一党は一年前、四階層に足を掛けたその時に壊滅した。
その時の事は、獣の尾を踏んだ事で迷宮そのものが自分達に牙を向いた様に少女は感じた。
あの恐怖は到底拭えるモノではない。
何故あの時、敗れ全滅したか。
理由は至極単純。四階層の魔物を相手に手も足も出なかった。
ただそれだけ。
冴剣の一党、そう呼ばれる所以は
実力不足。
ただただ、そうとしか言えなかった。
一党の壊滅時、少女だけが生き残ったのはクロウルが自分だけ逃げようと隠し持っていた【転移玉】を奪い取ったからだ。
その時の記憶は曖昧だが、確かに自分が奪ったのだという罪悪感だけが頭にこべりついており少女に忘却を許さない。
迷宮で味わった恐怖よりも少女を苛ませているのはそれだった。
少女が落ちぶれてなお、探索者としてこの街に残るのは忘れる為だ。
もう一度四階層へ行き、仲間の亡骸を弔い、贖罪をする事。
そうして全てを忘れ、この罪悪感から解き放たれたい。そんな浅ましい願いが少女の根底にはある。
…この一年、限り限り繋いで来た少女だったが、タイムリミットは間近に迫っていた。
『一年以上探索者として活動していない者は資格剥奪となる』
今はもう冬の月。この冬が明ける頃までに迷宮に挑まねば探索者では無くなってしまう。
……そうなった時、自分はこの心中に巣食う罪悪の澱にじわじわと埋もれていき、やがて死に至る。
そんな予感──いや、今がまさにそうだった。
『死んだ方がマシ』『早く解放されたい』『どうして私ばかり』
悪い思考が飛び交い始めると少女は決まって耳を塞いで
現状の事ばかり考えると死にたくなる。
明日からどうするかを考えよう。
迷宮には一人で挑む事は出来ない。
最低でも二人。それが最低基準である。
どちらかが生き延びた場合、“袋”に詰めなければならないからだ。
そこで少女は、以前に通りで探索者達が話していた事を思い出した。
昨今では、死を省みず迷宮に不法侵入して暮らす輩もいるらしい。
少女はそれしかないと思った。
その方法ならば迷宮内で一党を組めるかもしれない。
まして日の下に出れない類の人々。
彼らなら呼びかけにも応じてくれるかもしれない。
そうと決めた少女は、真夜中である事にも関わらず宿を飛び出していた。
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