写真

麺丸🐔

父と母、そして私

 父の、母の、若かりし頃の写真を見た。新生児の頃の、乳幼児の頃の、幼児の頃の、児童の頃の......そして結婚して私が生まれるまでの。


 父の子どもの頃の写真を見たのは初めてだった。今は背の高い父だが、昔は軒並み低かったようだ。「ずっと残ってて消えへんねん」といってたまに見せてくれる傷跡は、きっとこの写真に写っている時、小学生の頃にできたのだろう。おじさんたちも祖父母も映っていた。ここに写ってんのがこの人やで、と教えてもらってようやく気付く。

「みんな今と全くおんなじ顔してるやんかぁーそのまんまやでぇ」

 と父は言うが、分かるわけがない。だって私、まだ生まれてないし。それにみんな若すぎ。

 こんな他愛もないやり取りを繰り返しながら写真を写真の束をめくる。かしゃ、かしゃりと時代を駆けていく。おじさん、昔から相変わらずやんちゃしてたんだなぁ。あ、昔飼ってたらしい犬だ。コーギーだ、めっちゃかわいい。私は犬を飼ったことがないため正直うらやましかった。そういえば母も昔、白くて大きい犬を飼ってたって言ってたな。父と母の共通点、これとお互いに兄弟が二人いることくらいしか知らないな。十何年も一緒に暮らしてきた家族とはいえ、知らないことは多いものだと改めて気づく。

 中学生、高校生、大学生となって、父は、私の知っている父に近づいていく。最後の写真。母と出会った頃の父は、まだ垢ぬけていない、ぼんやりとした雰囲気だった。



 母の幼稚園児の頃の写真を見て私は驚く。思わず手に取った写真には、私が通っていた幼稚園と同じ制服を着て、入園式の門の前で照れくさそうにピースをする母が写っていた。私が同じ年齢だった時と、瓜二つだった。

「いやぁ、ほんまにそっくりやなぁ」

 えぇー、と感嘆の声を漏らしながら祖母が私と母を見比べる。いや、驚きたいのはこっちやわ!ばあちゃん私のちっちゃい頃も、おかんの赤ちゃんの頃も知ってるやんけ!なんで今驚いてんねーん!と心の中で軽くツッコみを済ませておく。お察しの通り私は大阪人だ。父が昔から、


「これはな、ツッコみの英才教育や。大阪人たるもの、ツッコみはできなあかんのや。例えばそこにボケてる人がおったとしてな、誰もツッコんだらんかったらかわいそうやろ?誰かがツッコまなあかんねん。もし天然ボケでもな、たとえ相手がボケてへんかったとしてもな、これまたツッコまなあかん。ツッコみはな、コミュニケーションを円滑にして、空気を和ませるスーパーアイテムやで。せやから今のうちから練習しとくんや。」


 と言って毎日のようにツッコみの練習をさせてくるから、何かあっても無くてもツッコまないと落ち着かない性格になってしまった。確かに「あんたのツッコみおもろいなぁ」って言われて一目置かれる時もあるけど、さすがにここまでしなくてもなぁ......。ツッコみ、何回も言っていたらゲシュタルト崩壊してきた。うぇ。カタカナとひらがな混じってるの、こうやってみたらけっこう気持ち悪いな。って違う。私が言いたいのはおとんのツッコみ論のことじゃなくて。


 写真を見ながら私と母を交互に見る祖母を見ながら母は、少しニヤついたような、感心しているような、誇らしいような顔で、

「DNAってすごいよなぁ、な?」

 と言ってこちらを向く。うん、本当にすごい。自分でも一瞬こんな写真撮っただろうかと考えてしまうほどにそっくりだったのだ。ほぇーへぇぇー、と驚きながら楽しそうに祖父にこの発見を報告しに行った祖母をおいて、私と母はアルバムのページをめくる。母は昔からスポーツに手芸に楽器の演奏と、いろいろなことをしていたようだ。

「なんや、おかんなんでもできるやん」

 と私が少し嫉妬を含んだ口調で呟く。

「いやぁ、高校生になってからは勉強なんかもう全然わからんしできへんかってんでぇ?」

 かなりの進学校に進んだくせに何をおっしゃるのか。私はふいっと目をそらしてアルバムをまためくる。なんかちょっとだけ悔しいな。

 母が学生だった頃、働いていた頃、父と出会った頃。すご、ウエストも脚も細いなぁ。メイクもばっちり。デパートで働いていたらしい母には、スーツ姿がとてもよく似合っていた。


 アルバムも後半に差し掛かって、妊娠していた頃の母が写った。お腹、おっきい。この中に自分が入っているのだと思うと少し怖い。なんて言えばいいのかな。この自分とは違う自分を第三者視点で眺めているような感じ。平行世界の自分を覗き見ているような......?よくわからない。難しい。むず痒い感覚だ。これからもうすぐ、母は私を産むのだろう。自分が存在する前にも世界がちゃんと存在していたことの証明のようだった。父は、優しいまなざしをしていた。それだけで母を愛しているということが、私にもよくわかった。


 次のページ。私が産まれていた。母はまだ赤い猿のような私を抱きかかえている。これが自分だなんて信じられないな。髪の毛はうっすらと生えていて、私は眠っているようだった。どんな気持ちだったのだろう。そもそも「気持ち」とかいう概念すら持ち合わせてないのだろうか。でもきっと、それがあったかいことはわかっていたと思う。両祖父母も写っている。みんな興味津々といった顔だ。もちろんそうだろう。4人にとって私は、期待の初孫だったのだから。

 父も写っていた。昔とは違う、しゃんとした顔つきだった。これが親になるということなんだろうな。

 写真に写るみんなは笑顔だった。カメラに向かってハイチーズ!といった笑顔ではなく、自然に笑みがこぼれてくる。そういう表情だった。


 あぁ、私にはちゃんと価値があって、誕生と存在を心から喜んでくれる人がいるんだなぁ。


 ずっと忘れていたことだった。学校に行って、スクールカーストがあって、自分よりも優れている人が世の中にはいっぱいいて。私はなにも持ち合わせていなかった。たくさんの人が思い思いに輝く光の波に私は飲み込まれていて、ずぅっと暗い海の底に沈んでいた。17歳。まだまだ人生これからじゃないかと言われる年齢だ。それでもきっとこれ以上あがることができる日はこないのだろうと、なんとなく察していた。SNSで発信したりして、何かにすがって承認欲求を満たすことが出来たら、自分の価値をもう一度認められるのだと思っていた。現実は甘くなかった。何十億人もの人が漂う電脳世界では、私はもっと無力だった。次第にうつ状態になった。もう生きていても何もないんじゃいないか。家族だってそうだ。血がつながっているから、法律があるから、仕方なく面倒を見てくれてる。それだけなんじゃないか。

 長い間、そうやって人間不信で生きてきた。でも違っていた。家族は、ちゃんと私を、生まれた時から愛してくれていたのだ......。


 アルバムをどんどんどんどんめくっていく。めくる手が加速していく。私がいて、妹が生まれて、幼稚園に入園して、小学校に入学して、中学校に入学して、そして高校生になって。遊園地に行ったり運動会をしていたり芝生の上を走り回っていたりして。私はページをめくるたびにどんどん成長していった。みんな笑っていた。とても楽しそうだった。私は泣いた。もちろん写っている全部の出来事を覚えているわけじゃなかった。覚えているといっても、話を聞いて、断片的に思い出すくらい儚い記憶だった。それでも。自分を愛してくれる人がいて、私は写真に写ったその時、確かに生きることを楽しんでいたのだった。とても単純で、でも社会に沈んだ私には見つけられなかった解だった。

 写真が涙でよれてしまわないようにぬぐいながらページをめくっていく。母が、

「いきなりどうしたんよぉ」

 と寂しそうに笑いながら、背中をさすってくれた。やはり母にはかなわないなぁ。


 全てのページをめくり終えて、アルバムを閉じる。すぅっと空気を吸い込んで立ち上がる。

「アルバム、ありがとう。おもろかったわ。」

 そう言って祖母にアルバムを返す。

「また見においでや」

 私を見上げるようにして、にこやかに祖母は言う。母はもう帰る準備をしているようだった。

「うん、また来るわな」

 私も玄関へ向かう。


「おじゃましましたぁ」

「はいよー」


 引き戸をからからと開ける。西日がまぶしかった。でも不思議なことに、それが自然と心地よかったのだ。




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