荒野の百姓
じゅんくん
Chapter1 3つの農具
男は自分しか乗っていない静かなバスで窓から田舎の美しい風景を眺める。もう5月の中旬。田植えの時期。さらに天気は快晴。田植え日和だ。そこら一帯は田んぼで、田植えを終えた田んぼや、途中の田んぼ、手つかずの田んぼなど田んぼ一つでも様々だ。遠目から見ればまるで荒野だ。
バスの運転手が男に大声で話しかける。
「お客さん、車内は禁煙でお願いします」
「吸わせてくれ」
「煙が残るんでやめてください」
男はやっと理解し、煙草を前の席に擦り付けて火を消す。灰皿が無いのだから仕方ない。
「ちょっとお客さん! 何やってるんです?」
「火消しさ。煙が消えたぜ」
運転手は呆れて声も出ない。注意するのを諦め男に何気ない話をふっかける。
「お客さん、それにしてもなぜこんな田舎に?」
「観光さ」
「観光って言ったってここには田んぼしかありませんぜ」
「銃米村(じゅうまいむら)。日本一の米所と聞いてな」
運転手は不敵な笑みを浮かべる。目は笑っていない。まるで地獄に落ちる死者を見送る鬼のよう。
「そうです日本一の米所。それだけじゃねえ。日本一危険な村でさあ。毎日人が死にますぜ」
「こんなに静かだが。本当か?」
「へっへっへ。この前なんて焼死体が出ましてなあ。私、この目で見てきたんですけどあれは恐ろしかったですぜ。まるでエド・ゲインの焼肉(バーベキュー)大会ですなあ。ジャンヌ・ダルクもあんな酷いは真似はできねえ」
「ジャンヌ・ダルクは焼かれた方だろ?」
「すいません。聖書には詳しくなくてですなあ」
男は聖書にジャンヌ・ダルクが載ってないことについてツッコむのをやめ質問する。
「犯人は捕まったのか?」
運転手はまた笑う。
「犯人はとっくに分かってまさあ。でも捕まえるなんてできません。犯人はここの米農家『沼田家』です。ここら一帯の田んぼは奴らの物。つまりこの村の支配者ですねえ。奴らは米に対するプライドが非常に高く、余所者を嫌うんです」
「見たところアンタも米農家ですな。この村に長居しない方がいい。いつ殺されてもおかしくねえ。沼田の連中はアンタみたいのが一番嫌いだ」
バス停にようやく着いた。かなり移動したにも関わらず辺りの風景は変わらない。田んぼだ。
「次のバスは明日の夜7時。それまで大人しくするんですね。焼死体はもう見たかねえ」
「ありがとう。これ、バス賃な」
男は小銭を出す。
「結構です。地獄に人を運んでおいて金を取るなんて真似はできねえ」
運転手はバス賃を断りバスを動かした。
男は田舎道をブラブラと歩き始める。ウグイスの鳴き声が聞こえる。男は麦わら帽子にポンチョ。ブーツ。腰にはリボルバー。口には煙草。どこからどう見ても米農家である。
道沿いには田んぼが続いている。田植えがだいぶ進んでいる。男は田植え作業をする3人の作業を凝視する。3人は視線を感じて田植えをやめて顔を見上げた。
「おめえ見ねえ顔だな。よそものか?」
「ワシらの田植えに文句あるんか?」
「おめえ名は?」
男は煙を吐いて答える。
「事情があって名は名乗れねえ。それと、その田植えには文句しかない。そんな田植えじゃ新潟に一生勝てない」
「な、なんだと? 新潟の名を出しやがったな!」
「俺たちゃ手植えにこだわってんだ! 今時手植えで田植えなんて珍しいぞ!」
名無しは首を横に振る。
「違う違う。手植えだからいいってもんじゃねえ。お前達は『手植え』という言葉に甘えている。手作業でゆっくり時間をかければ勝手に値段は跳ね上がり、グルタミン酸漬けのセレブどもが買い漁る。味なんて関係ない。手作業さえすれば売れる。儲かる」
「それで満足か? 言っちゃ悪いがそんな田植えを長時間かけて続けるくらいなら機械にやらせた方がマシだ。機械の方が賢い。均等に田植えを短時間でやってくれる」
米農家は怒って
「テメエは手植えを否定するのか!」
「違う。もちろん手植えの方がいいさ。だが、物には全てやり方ってもんがある」
「やり方? やれるもんなら見せてもらおうじゃねえか。テメエの言うやり方を」
米農家達は笑う。
名無しはブーツのままぬかるんだ田んぼに足を入れる。田んぼは常人が想像する以上に歩きづらい。まともに歩くには10年の修行がいるとされている。名無しはまるで舗装された道を歩くかのようにしてペチャッペチャッと田んぼを歩く。
「こいつ。若造のくせして田んぼの歩き方を完成させてやがる。まるでパリコレのようなバランスの整った歩き方だ」
名無しは米農家に向き合って
「苗をくれ」
米農家が苗のぎっしり入った容器を差し出す。名無しは手を伸ばす。その手は2、30代の物とは思えないくらい分厚く、マメがいくつもできていて石のようにゴツゴツしている。
「働き者のきれいな手……実在したのか!」
名無しは苗を一度に3、4本つまむ。そして腰を曲げ、苗を植える。次から次へと苗を植える。一見、ただ植えているだけのように見える。しかし、その田植えを見た米農家達は驚愕する。
「こ、こいつ……できるぞ。田植えが」
「こんな田植えができるのか? 腰の角度、苗を植える時の地面との角度。全てがまるで分度器で計ったかのように一定」
「あっああ……苗が笑っている。手の温度、握力、全てが苗に合っている」
2人が褒める中、1人は悔しくて我慢できず
「えーーい! もうやめだ! 人の田んぼから出ていけ! でてけ!」
名無しは作業をやめ、田んぼから出る。ブーツには泥がベットリと付いている。米農家は名無しに尋ねる。
「テメエ。わざわざ冷やかしに来たわけじゃねえよな? 何しにここに来た? 何の用だ?」
ウグイスが鳴り止み静寂が訪れる。名無しは煙草をつまんで捨て、足で踏みつけ火を消す。口の中に残った煙を吐き出し答える。
「肥料さ」
「!?」
3人は一斉にリボルバーを抜く!
シュパ! シュパ! シュパーーーーン!
田んぼが荒野に変わり、ガンが火を吹いた! 3人の米農家は一瞬で死体(ヒリョウ)になった。名無しの右手はリボルバーの引き金、左手は撃鉄に添えられている。
「早撃ち」だ!
名無しは銃口から煙が消えると同時にリボルバーをクルッと回してガンホルダーにしまう。
向こうからタオルを首に巻いたじいさんが銃声を聞きつけてやって来る。名無しは挨拶する。
「おはようございます」
「おはよう。ところでなんじゃ? また人が死んだのかい?」
「じいさんすまねえ。肥料が増えちまった」
じいさんは田んぼの中に泥まみれで倒れる死体を見つける。
「ああ。立派な死体(ヒリョウ)じゃな」
じいさんは死体の顔を見て焦った表情で訴える。
「それにしてもアンタ。この村から早く出た方がいい。コイツら沼田の米農家じゃよ。このことを沼田の連中が知ったらアンタ、タダじゃ済まんぞ!」
名無しは全く動じない。
「爺さん。俺は名は明かさねえが沼田家潰しにこの村に来たんだ。これは宣戦布告。肥料は手紙の代わりのプレゼントさ」
じいさんは呆れて何も言えない。
村唯一の交番の目の前に軽トラが止まった。交番の周りには田んぼしかないため警官は軽トラでさえ新鮮に感じる。
「来たか。賞金稼ぎ」
軽トラから紳士服を着、黒い帽子を被った男が降りてきた。とても米農家には見えない。都会のビジネスマンに見える。その男は一礼して交番に入る。名無しと違って髭もちゃんと剃られている。
「お前、ライスキラーか?」
「ライスキラーは勝手に呼ばれたあだ名だ。あくまで俺は『ブレッドガイ』しがない賞金稼ぎさ」
「この村は田んぼしかねえ村だ。ほとんどが米農家。米嫌いのお前が仕事を上手くやれるとは思えねえ」
ブレッドガイは微笑して
「田んぼしかねえからかえって好都合さ。俺は誰よりも多くの米農家を殺してきた。この村は殺しがいのある連中が大勢住んでいる」
警官は机に置いてある緑茶をズズズと飲んで
「今日は誰を殺りに?」
「野田さ。奴はどこにいる?」
警官は思った通りの答えが返ってきて息を吐いて
「いずれ来ると思っていたよ。お前のような馬鹿が」
「俺はそこらの馬鹿じゃない。米農家によって肥料にされた連中を多く見て来た。今回は俺も覚悟を決めている。何せ奴の首に500万かけられているからな」
警官は諦めて
「分かったよ。奴はこの交番から西に2キロほど離れた屋敷に住んでいる。名前を野村と偽っている」
「家も名前も知っていて警察は逮捕しないんだな」
警官は苦笑いして首を横に振り
「ガラを押さえるのは簡単だ。だが奴はただの米農家じゃない。奴に手を出せば沼田家が黙っていない」
「米農家が怖くて米農家が殺れるか」
「ブレッドガイ。そうは言うが沼田家には気を付けた方がいい。野田を殺ったらこんな村から早く逃げた方がいい。500万円。悪くない稼ぎだ」
「皮算用はやらねえ。失礼した」
ブレッドガイは立ち上がって脱帽し一礼する。
「奴に会う時は農林水産省の役人を名乗るといい。奴は喜んでアンタを中に入れるだろう」
「助かる」
ブレッドガイは軽トラのエンジンをふかして走らせる。警官は走る軽トラを見てため息をつく。
「田んぼが荒れる……今年の米はきっと血の味がするぞ」
軽トラは野田の屋敷を見つけた。周辺に田んぼしかないので簡単に見つけられた。軽トラから降り、玄関の前に立つ。表札には「野村」と書いてある。庭から何か物音がする。そう感じてブレッドガイは庭に向かう。庭には盆栽の手入れをする男がいた。
「誰だ!」
男はリボルバーを抜いて構える。引き金に手をかけている。ブレッドガイは両手を上げて微笑んで
「野村さん。冗談はよせ。俺は農林水産省の者だ。その農具をさっさとしまいな」
「農林水産省? 見ない顔だがアンタがか?」
ブレッドガイは野田を睨んで
「おい野村、その口の利き方はなんだ? せっかく足を運んだっていうのに。帰ってもいいんだぜ」
野田は急いでリボルバーをしまう。顔を笑顔で崩してブレッドガイに媚を売る。
「し、失礼しました旦那。まさか農林水産省の方だとは。てっきり玄関から訪ねられると思いましてね」
「お前、相手がJAだったら死んでたぞ」
「ハハハ。恐ろしいや、すいません。ささ。中に入ってください。食事を用意します」
「食事?」
「は、はい。きっと気に入ると思いますよ」
野田とブレッドガイは靴を脱いで庭から中に入る。引き戸に囲まれた落ち着いた和室。神棚に花。真ん中にはちゃぶ台が置かれている。
「さあ座ってください。すぐ食事をお待ちします」
ブレッドガイは煙草を取り出して
「ここは禁煙か?」
野田は戸惑いを見せるがすぐに
「大丈夫です。吸っていただいても構いません」
笑顔で返す。ブレッドガイは遠慮なく煙草を吸う。荘厳な和室が一瞬で煙臭くなる。
5分ほどして野田がお盆を持ってやって来た。煙の臭さに驚き、苦笑いをする。野田は丁寧に食事をブレッドガイのから順番に配膳する。野田はちゃぶ台に腰を据えてブレッドガイと向かい合う。ブレッドガイは茶を飲んで
「玄米茶か」
「はい。うちの米を使った自家製玄米茶です」
ブレッドガイは料理に指を指して
「豪華だな。品数も多い」
野田は自慢げに笑って料理を紹介する。
「炊き立てのうちの米。最高の食感と甘味。やはり日本といえば米ですな。そしてこちらがタラの粕漬け。黄金で綺麗でしょ? タラの旬は存じませんがコイツは米との相性抜群ですぜ。さらに小鉢に入っているのは今年山で採ったフキノトウを味噌にした物です。ピリ辛の味付けとフキノトウの苦味。米の甘味と合わせればそれはそれは最高な味が楽しめまさあ。それからコイツは……」
ブレッドガイは手を出して静止する。
「もういい。結構だ」
野田は話をやめて、「いただきます」と言って飯を食べ始める。ブレッドガイは手を付けず煙草を吸い続ける。
「旦那、せっかくの料理が冷めちまう。食ってくださいよ」
「そうだな。食わないのも失礼だ」
ブレッドガイは煙草をちゃぶ台に擦り付けて火を消す。灰皿がないのだから仕方がない。野田はうっかり手がリボルバーに触れていることに気付く。
ブレッドガイはなんと「いただきます」を言わずに飯を食べ始めた。あまりの無礼に野田は目を開き手を震えさせる。ブレッドガイは黙々とおかずを口に運び米を口に放り込む。ゆっくりと咀嚼する。
「旦那、どうですかい?」
ブレッドガイは野田に目を合わせて低い声で
「おい野村、じゃなくて野田」
「!?」
「客について何も知らないくせに飯を出すものじゃない。俺は感じたね」
「な、なにを?」
「殺意さ」
野田はリボルバーを抜く! しかし間に合わない。野田の胸に大きな穴が空く。ブレッドガイが持っているのは「デザートイーグル」という一撃必殺の無慈悲な拳銃農具だ。その衝撃は凄まじく野田は吹き飛ばされて倒れている。デザートイーグルの弾は野田の心臓を破壊した。ブレッドガイは立ち上がって野田の死体を運び、軽トラに乗せる。
警官は軽トラが死体を積んで運ばれて来たのに気付き、ため息をつく。外に出て軽トラの元に駆け寄る。軽トラからブレッドガイが出てきて警官は
「アンタ、本当に殺ったんだな」
警官は胸ポケットから札束を取り出す。
「500万円。大金だ。3年分の給料だな。コイツと一緒に明日の夜7時のバスに乗って帰るんだな」
ブレッドガイは金を手に取り胸ポケットに入れる。
「なあお巡りさん。沼田の首にはいくらかかってるんだ?」
バス停から約4キロメートル。地平線に広がる田んぼに囲まれた銃米村。農家達や農具販売業者、インフラ整備の労働者など多くの人々が集まって賑わいを見せていた。最近は日本一の米所として世界中から注目を集め、経済の点からも活気のある村になっていた。
小さな建物がいくつも密集している中、村の真ん中に一際大きな豪邸があった。表札には「沼田」と書かれている。まるで銀行の警備員のように何人もの男達がライフルを持って沼田家を警護していた。沼田家の玄関から100メートルほど行った所にゲートがあり、中に入れないようになっている。
鐘がカーンカーン! と鳴り、ゲートからボロボロ姿の男が4人の男達に引きずられて出て来た。村の人々は注目する。ゲートの前には広場、その先には大きな通路があり、その道沿いには商店が並んでいる。ボロボロ姿の男は広場の真ん中の絞首台に立たされ、首に縄をかけられ、目隠しを付けさせられる。
ゲートがまた開き、そこから1人の男が現れた。村の人々は彼の目にひどく怯える。彼は髭を生やし、短い銀髪に赤い目。カウボーイハットにガンホルダー、背中にはライフルを担いでいる。
彼の名は「沼田隼輔」極悪非道の沼田家当主。沼田は葉巻を吸いながら絞首台の哀れな男を見て笑い、村人達に大声で叫んだ。
「お前ら! また裏切り者が出た。俺は悲しい。また殺さなきゃいけねえ。ハッハッハッハッハアー!」
「奴はあろうことか俺の許可無しにネットショッピングで大量の農薬を購入し、自分の田んぼの収穫量だけ上げようとした!」
「そこで俺達は死刑判決を下した。裁判無しにな」
沼田は縄をかけられ震え続ける男を睨み
「なるほど首吊りか。甘い……」
沼田は背中にかけていたライフルを構え、レバーを引いて発砲した! ガドォーーン!
レバーアクション式のライフルは精密な射撃で受刑者の頭を撃ち抜いた。村人は処刑を目の当たりにし、悲鳴を上げる。村人の悲鳴を聞いて沼田は舌を出して大笑いする。
田んぼが荒野に変わり、百姓達の血で染まる!
荒野の百姓 じゅんくん @bougumaster26
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