第32章 禁忌の能力
「着きましたよ。ここが理事長室……、ですよね?」
「いや知らねぇよ。なんでそんなに自信なさげなんだよ」
「し、仕方ないじゃないですか。私だって学院のこんな端まで来たことないんですもん」
歩くこと一時間。俺たちはリリエルに案内され、ようやく目的の部屋の前にたどり着いた。だが室名札の理事長室という文字は酷くかすれており、学院の辺境に位置しているので、どうやら案内した本人でさえ不安になっているようだった。
俺はそんなリリエルを一旦放置し、部屋の前に着くなり、集中した様子で壁に耳を押し当てているグラスに状況を確認した。
「グラス、どうだ?」
「……うん。大丈夫っぽい」
俺の問いに対し、ゆっくりと目を見開いて答えたグラスは、そのまま詳細を口早に説明してくれた。
「部屋の中には一人だけ。割と歳を食った男性で、種族はエルフ。内装はかなり質素で、東西方向に棚。中央には
「リリエル。部屋から魔法の気配は感じるか?」
「へっ!?あの、と、特に感じませんけど――」
「よし、じゃあ突入するぞ」
「いや、その前に一つツッコませてください!」
罠が仕掛けられている可能性も低いことが判明し、いざ突撃しようとしたその時、リリエルから小声で静止がかかった。
「なんだ?お前が先陣切ってくれるのか?」
「突っ込みじゃなくてツッコミです!まずグラスさんのあの索敵について説明をください!」
そうか、そういやこいつは初見か……
既に俺は見慣れてしまったそれの原理については、グラス本人が何でもないことのように話してくれた。
「壁を通じて音の反響とか、風の通りとか、空気の揺れとかを感じ取っただけだよ?」
「マ、マジですか……、なんという空間認識能力……。ビュームってそんなこともできたんですね」
多分全国のビュームが「そんなわけないだろ」と毒づいたと思うが、グラスがそれをできる理由について触れると、また話が長くなるので一旦無視しておこう。
「気ぃ取り直してもう行くぞ。いいな?」
俺がリリエルに確認を取ると、時間を取って申し訳なかったという面持ちで静かに頷いた。
それを見て俺は、理事長室の古びた扉を押し開けた――
徐々に明らかになる内装を即座に把握すると、先程グラスが言っていた通りの位置にオブジェクトが配置されていた。そして少し埃っぽい部屋の中で、唯一高価そうなデスクにその男はいた。
やや老け込んでいるものの、まだハリのある顔つきと、静けさの中からも滲み出る貫禄で、そのエルフには老人という印象が全くなかった。彼、メイガスはこちらに気が付くと、身構えていた俺よりも先に開口した。
「――こんにちは、狼さんたち」
意識が
っと、そんな場合じゃない。交渉で初手から相手に飲まれるわけにはいかないし、とりあえず……
「こんにちはー。早速で悪いんだけど、なんで俺らの正体が割れてるかだけ説明くれます?」
俺は落ち着いた物腰のメイガスとは対照に、無礼とも取れる砕けた口調ですぐさま疑問を問い返した。
同時に、遅れて部屋に入って来た二人のほうを確認すると、グラスは周囲を警戒しながらも、普段の余裕は全然崩していなかった。この手の交渉や駆け引きは、これまで大体俺が担ってきたので、グラス的にはいつも通りって感覚なのだろう。
一方、理事長のことが苦手らしいリリエルは、俺のあまりの態度にどうしたものかと、少しあたふたしていた。
慌て過ぎだとも言いたいが、そもそも竜人議会の議員とは、ユートピアの全人口80億人のうち、竜人以外の四種族からそれぞれ5名ずつの計20名しか選ばれない、国の中のトップもトップなのだ。当然、一般人からすれば天上の存在なわけだから、むしろこいつの方が正常な反応を示しているともいえる。
俺が場の全員の様子を伺っていると、メイガスが先ほどの質問に対して、俺の態度に全く憤ることもなく、他人をも落ち着かせる声音で再び話し出した。
「以前よりあなた方のリーダーと繋がりがあってね、今日ここに団員が来るということも、数週前に伺っていたよ。それから、口調はそのままで構わないよ」
「そうっすか、じゃあ遠慮なく」
なるほどな。事前に、それも割と最近にリーダーと話していたと……。しかもそれを受けて、この三人でわざわざ学園に派遣されたということは……
ここで、俺はいつものように観察と推測を行った。
メイガスの姿勢がやや前傾になり、聞く体勢から話しかける体勢になったことと、含みを持たせるような俺の質問に対する答え。
これらから読み取れることは、メイガスも俺らに交渉を持ち掛けようとしているということだ。そして俺らに対する交渉の内容なんて、ほとんど決まり切っていると言っても過言ではないだろう。
話をスムーズに進めるためにも、俺は先んじてその話題を促した。
「んで、俺らはこの学院の、どんな問題を解決すれば話を聞けるわけ?」
俺が予想したことというのは、メイガスが議会の情勢を話す条件として、学園で起きている問題を解決してもらうというものだった。
そして、その読みはどうやら合っていたらしく、メイガスの眉が驚きに少しだけ持ち上がった。するとメイガスはそれ以外に変化は見せないまま、こちらの話の展開に合わせてすぐさま返事をくれた。
「ふふ、勘がよくて助かるよ。君たちのリーダーとは、情報提供の代わりにある依頼を受けてもらうという約束だったからね……。そうだね、君たちには本学の教員の中から、魔法生物の密輸犯を暴いてもらうつもりだよ」
ほうほう、こんな名門校で密輸ねー。しかも教員の中に犯人がいると……。
今度は俺が少し驚いて一瞬考え込んでいると、それに気づいたグラスが、代わりに質問役を担ってくれた。
「先生質問でーす。どうして犯人が教員の中にいるって分かるんですかー?」
馴れ馴れしいグラスの態度に、リリエルが再びギョッとしていたが、メイガスは少し乗り気味に説明した。
「非常にいい質問だね、グラス君。こっそり内申点をあげよう。さっき魔法生物を密輸していると言ったよね?それが実は、ただの魔法生物ではないんだよ」
「なっ、なんだってー!」
メイガスが乗ってくれたためか、オーバーなリアクションで返すグラス。そしてそのリアクションに、リリエルが
と、そんな状況の中、メイガスはあくまでも冷静さを保ったまま、温暖な季節であるにもかかわらず、先ほどからずっとつけていた手袋を外してみせた。
「その前にまず、私の魔法についてご説明しようか――」
――その瞬間、メイガスの雰囲気と部屋の空気が一変した。
先ほどまで周囲を包んでいたはずの、昼下がりの心地よい物静かさは一瞬にして消え去り、代わりに室内には、猛烈な竜巻が発生したようなプレッシャーが充満した。
しかし、実際にはそんな竜巻は発生しておらず、室内の物体自体は特に動いてはいない。
そんな中、この中で最も魔法適性の高いリリエルが、圧によって苦しそうに呻いた。
「くっ、うっ……、なんて、魔力圧――」
そう、このプレッシャーの正体はメイガスが身に纏った魔力だったのだ。その高純度のエネルギーを彼の右手に収束させることで、空気中の魔力に力場が生じていたのである。
リリエルとは逆に、魔法の感知を苦手とするビュームのグラスでさえも、毛を逆立ててメイガスへの警戒心をあらわにしていた。
これ程の魔力を、一点に集中させるメイガスの魔法。その能力は果たして――
三人で固唾を飲んでメイガスの右手に注目していると、段々と彼の手に収束していた魔力が形を帯びていき、黒くて丸い何かが出来上がろうとしていた。
やがて一段落ついたのか、力場は少しずつ収まっていき、部屋の中に元の静かな空気が再来した。そして完全に落ち着いたところで、メイガスは今の魔法によってできた、それについて話し始めた。
「これが私の能力、ライフクリエーション。その名の通り、
そう告げたメイガスの右手には、ちょうど彼の手のひらサイズの、黒い毛玉のような未知の生物が乗っていた。
ブラッドウルフ ~母を殺した犯人と、ギルドでコンビを組むことになりました~ 二野 十条 @arinko210
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