第6話

 その日の夜、自分の部屋のベッドに潜り込んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。


 パパかママの足音がする。こんな夜中に尋ねてくる人を怪しんでいるのか、その足音はどこかおぼつかない。ゆっくりと扉が開かれる音。そして――


 次の瞬間、まるで怪獣の悲鳴のような甲高い怒鳴り声を聞いた。僕のベッドにまでビリビリと響くその声の主は、どうやら優子ちゃんのママのようだった。毛布にくるまっていたから、何を怒鳴っているのかよく聞こえなかったけれど、頻りに「あんたの子どもを呼べ!」と叫んでいるのは聞き取れた。「申し訳ありません、よくよく言い伝えておきますから」と何度も何度も叫んでいるのは、僕のママの声だ。


 絶え間ない言葉のぶつけ合いを聞きながら、僕は毛布の中で更に体を小さくする。熱い息と汗、そして目から溢れる涙が被っている毛布を湿らせ、まるでカエルの胃袋の中にいるような気分だった。今すぐにベッドから出たかったけれど、今出たら優子ちゃんのママに連れ去られてしまうかもしれない。今の僕にできることは、ただじっとして、眠りの世界へ誘われるのをひたすら待つだけだった。



 次の日、僕のお別れ会が学校で密かに行われた。クラス代表が投げるように色紙を寄こし、早口でお別れの言葉をつらつらと並べた。みんなで真顔の記念写真を撮って、僕が握手を求めても誰も手を握ってくれなかった。そして、僕が学校を背にして校門をくぐると、クラスのみんなは飛び跳ねて喜び、僕に向けて大きく手を振った。みんな口々に「ばいばいき~ん!」って叫んでいた。


 校門の隅に細い影が伸びている。影の元を辿ると、案の定、そこには顔馴染みの魔法使いが立っていた。彼女の狭い額に巻き付いた包帯が、その下にあるはずの眉毛までを隠してしまっている。おかげで、僕を見て悲しんでいるのか、怒っているのか、よく分からなかった。


「……今日学校休んだんじゃなかったの?」


「うん……でも、ここ学校の外だから」


 優子ちゃんの声からして、怒ってはいなさそうだった。黒髪をゆらりとなびかせながらゆっくりと近付いて、僕の顔に手を伸ばす。


「このほっぺた、どうしたの?」


 僕の真っ赤に腫れた右頬に手を当てて、きょとんと首をかしげる。今日の朝、僕のママの手によって付けられた、お仕置きの印であり、見限られた証がずきずきと痛む。


 昨日、僕が優子ちゃんをほったらかして逃げ帰った後も、彼女はなかなか目覚めなかった。そして、ようやく目覚めたときにはもうすっかり日が暮れていたので、彼女は急いでお家に帰ったらしい。泥だらけの服のまま、膝を擦りむいたまま、額から血を流したまま。変わり果てた娘の姿に感情を暴走させた優子ちゃんのママは、その感情をそのまま抱えて、夜、僕の家までやって来た。

 そして朝になって、僕はママに右頬を打たれ、叱られた。


「どうしてあんたは引っ越し前に限って面倒事ばかり持って来るの? もうママ知らない! 出てって! あんた一人で何とかしなさいよ!」


 ――こうして僕は、ママからも嫌われてしまった。多分、今帰っても家には入れてもらえない。学校からも追い出されてしまったし、帰る家もない。


 僕は、どうすればいいんだろう?


「心配ないよ。私だってママから怒られもするし、打たれることもあるもん」


 平気顔してそんなことを言ってのける優子ちゃんは、本当に魔女なんだと思う。あの日、僕におまじないをかけた時も、にこにこ笑っていた。幸せそうな顔をして、僕から全ての幸せを奪っていったその顔を、どうしても許すことができなかった。


「優子ちゃんの嘘つき。あの時、『寂しくならないおまじない』とか言ってたのに。あれからクラスのみんなにも、玲奈ちゃんにも、先生にも、優子ちゃんのママにも、僕のママにも嫌われちゃった。……寂しくならないなんて、全部嘘じゃん」 


 両手に拳を握り、ようやく今になって言えた、僕の本音。心が穴だらけになってしまった僕の、悲しい叫び。ぼろぼろずたずたになってしまった気持ちを、少しでも良いから彼女に分かって欲しかった。


 でも、優子ちゃんはきっぱりとこう言う。


「違うよ」


 僕は、躊躇いなく言い切った彼女の言葉に押し返される。


「たっくんはクラスのみんなに好かれたかったの? 先生に、玲奈ちゃんに、ママにも好かれたかったの? それが、たっくんの言う『寂しくない』ってこと?」


 その声には、少しだけ憤りが感じ取れた。優子ちゃんの目は真っ直ぐに僕を見ている。まるでいけないことをした僕を叱るママの様な目だった。


「私はそうじゃないもん。クラスのみんなとか先生とかどうでもいいし、玲奈ちゃんは鬱陶しいだけだし、ママとパパは大嫌い。……でもね」


 彼女の細い手が、僕の手を包み込む。


「――私は、たっくんがいるだけで、全然寂しくなんかないの。たっくんがいたから、私いっつも笑顔でいられたんだよ」


 彼女のもう片方の手が、額に巻いてある包帯を取り去る。白い肌をえぐるように刻まれた、生々しい傷跡が露わになる。でも、そんなものになんて目はいかない。


「……たっくんのことだけは、絶対に忘れない。だから、たっくんも私を忘れないようにって、お願いを込めたおまじない。ちゃんと効いたのかな?」


 額の下に広がる、優子ちゃんの眩しい笑顔に、僕の目は釘付けだった。どんなに辛い思いをしても、どんなに酷い目に遭っても、どんなにたくさんの人から見捨てられても、いつもこの笑顔だけは一緒だったことを、馬鹿な僕はずっと気付かないでいた。


 ――そして、ようやくそのことに気付いた今日この日、僕はここからいなくなる。もう全てを失ってしまって、あと失うものといえば優子ちゃんの笑顔しか残されていないというのに。自分の目から溢れてくる涙を、どうしても抑えられない。


 恥ずかしいのに、もう泣くのはうんざりなのに、冷たい頬を伝う温かな涙は、いつまで経っても止まることを知らなかった。


(終)

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魔法少女ユウコちゃん クマネコ @kumaneko114

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