第23話 もう一つの小瓶

 詰め所を出て王宮の廊下を歩いていたエイルは、すれ違った文官のひとりに呼び止められた。


 渡しそびれた書簡があった、と厳重に封をされた手紙を受け取る。

 しげしげとそれを確認して、エイルはため息をついた。

 普段なら、絶対にこんな雑な引き渡し方をされないであろう重要書類。おいそれとその辺で開封するわけにはいかないのは明白。持ったまま王宮を出てしまうのもよろしくないだろう、と諦めてもときた道を引き返す。


 廊下の角を曲がろうとしたところで、話し声を耳にして、足を止めた。

 そっとうかがうと、向き合って言い争っているラファエロとアリスの姿。


(まだ帰ってなかったのか……)


 どうも惚れ薬の効果が本当にあるのかどうか、という押し問答らしい。

 いつになく積極的な様子のアリスに迫られて、ラファエロが懊悩している。その胸中の複雑さは容易に想像ができて、エイルは吹き出しそうになりながら、手の中の封書に目を落とした。

 詰め所に戻って一応開封するつもりだったが、気が変わった。立ち往生していても時間の無駄なので、一度ここで中身を確認してしまおう、と胸元から小型のナイフを取り出して封を切る。


 中身は、今回の惚れ薬を託してきた知人である魔道士で薬師のリーファから。

 さらっとした書き文字で連絡事項が記されていた。


 ――手違いがあって、そちらの手元に届いた惚れ薬は偽物だ。中身は、弟子が作った自白剤のようなもの。弟子が同じ瓶を持っていて、入れ替わったんだ。体に害は無いし効果もさほどではない。ただ、飲むと若干言動が素直になる。


「素直になる……?」


 思わず声に出して呟いてから、エイルはもう一度二人の様子をうかがう。

 ラファエロの顔がアリスに覆いかぶさるように傾いている。互いの体に腕がまわされていて、二人の距離はこれ以上無いほどに近づいていた。


「……ああ、なるほど」


(効いたかどうかはさておき、「惚れ薬を使っている状況なら」と心理的な抵抗が薄れているのか? ラファエロも、「薬を使っている相手に手を出すなんて」と一昼夜でハゲるほど悩みそうだとは思ったが、そこは悩まないのか……?)


 手紙にはさらに続きが書かれてあった。


 ――惚れ薬のほうは、依頼主から「必要なくなった」と言われて廃棄した。精神感応系はどこの国でも違法だから、危ないものは消すに限る。代わりといってはなんだが、最近開発した媚薬を同封しておく。個人的なものなので、上に話を通す必要はない。使い所は任せるが、強力だ。気をつけて。


(気をつけなければいけないようなものを、送ってこなくても)


 相変わらず変なことをする奴だなぁ、と思いながら手紙をたたむと、ふっと煙を上げて細かな灰となって消え去った。

 送り主による、高度な消去魔法がかかっていたらしい。内容が内容だけに、慎重を期したのだろう。

 手紙が消えてしまったなら詰め所に戻る必要もない。無いが、これから「惚れ薬の検証」のためにあの二人がこのまま一晩一緒に過ごすのかと思うと「大変申し訳無い気持ちになったので」一言、間違いを告げておこうという気になった。

 惚れ薬じゃなかったみたいだよ、と。


 反応を想像しただけで笑顔になる。

 エイルは身をかがめて「おっとっと」と大きめの声を発しつつ、小瓶を廊下の絨毯の上に優しく転がした。

 それを追いかけて拾い上げ、立ち上がる。

 廊下の先で、二人がぱっと体を離して振り返っていた。


「用事を思い出して戻ってきたんだけど、まだ帰ってなかったのか」


 自然と声が朗らかになる。

 落ち着かない様子で見返してきた二人を前に、こみ上げてきた笑いが止まらないまま歩み寄る。

 そのにやにやとしたエイルに対し、「あっ」と何かに気づいたラファエロが足早に近づいてきた。


「その瓶、惚れ薬もうひとつあったのか。俺の分だな?」

「どういう意味だ?」


 聞き返したエイルに、ラファエロは満面の笑みを浮かべて言った。


「アリスだけが惚れ薬の影響下にあるかと思うと、どうしても気になってしまって。俺も飲んでいればお互い様ということにならないだろうか」

「ならないと思う。というかそれはもう検証にならないんじゃないかな」

「検証は十分進んでいるが、俺の気がすまないんだ。それを譲ってもらえないだろうか」


(同じ瓶だから完全に勘違いしているみたいだけど……、これ、中身は)


 手紙に書かれていた内容が頭を駆け巡ったエイルであったが、最終的に「個人的なもの」「使い所は任せる」の一文を思い出して、考えが決まった。

 面白そうだから、まあいいか、と。


「こっちの中身はアリスに渡したものとは少し違う。百倍くらい効きそうだから、飲む前にアリスの同意は得てね。あと、こんな場所じゃなくて、移動してから」


 エイルの含むところのある物言いに、さきほどの一幕を目撃されたことを悟ったらしい二人は、咳払いをしたり顔をそらしたりとてきめんの反応を示した。

 その様子を眺めつつ、エイルはラファエロの手に小瓶を押し付けた。

 心からの笑みを浮かべて、告げた。


「気をつけて使ってね。飲むか飲まないかは任せるよ。アリスだけ飲んでいれば、ことは足りるわけだから。何事も慎重に。効果が強いだけに、こちらはあえてすすめない。二人で決断ができたときに使って。これは本気の忠告だ」


 言うだけ言ってしまってから、不自然な笑いを悟られる前に背を向けた。

 次に会ったとき、二人がどんな顔をしているか実に楽しみだ、と思いながらその場を立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アリスと魔法の薬箱~何もかも奪われ国を追われた薬師の令嬢ですが、ここからが始まりです!~ 有沢真尋 @mahiroA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ