汝、孤独なりや?

ユウグレムシ

 

 蛍光グリーン、蛍光ピンク、蛍光ホワイト、蛍光イエロー。髪色も虹彩も色とりどりのアバターが並ぶフレンド一覧から、一件一件思い出を噛み締めつつアドレスを削除してゆく。ほったらかしのままだと自動通知で転生がバレるからだ。今度の転生は誰にも知らせない。今後は誰とも関わらない。肉体のない私達は自殺できないが、知り合いとの連絡をすべて絶って誰からも見えなくなれば、“居なくなる”ことができる。死んだのと同じになれる。今度こそ、死ぬつもりだった。


 フルダイブVRチャットはコミュ障の楽園だった。政府が目をつけるまでは……。いくら居心地が良いといったって、ずっと居続けなきゃならないのなら、現実がCGの皮を被ったようなもの。人間関係に疲れても、逃げ場はなかった。

 コミュ障の中にも、素顔を晒すのが苦手なだけのコミュ障と、アバター越しであっても一対一の付き合い以外無理なコミュ障がいる。フレンドはみんな私と同類と思ったのに、ちょっと付き合ってみるだけで、お金持ちしかできないような習い事をやっていて部活では活躍してたとか、引きこもりになったキッカケは彼ピッピに振られたからで、それがつい先週のことだとか、知り合いに有名人がいて相談に乗ってもらってるとかいう話がぽろぽろ出てきた。どこが鬱じゃ!どこが孤独じゃ!

 アバターを新調すれば口々に褒めてもらえるが、それきり私は蚊帳の外。話題がくるくる切り替わるお喋りのペースについていけない。そのうちみんなのゲーム実況や歌って踊る配信動画にチャンネル登録者が十万、百万と増え、オリジナルデザインのアバター用アクセサリーを売るようになって、気がつくと、仲間内でなんにも商売していないのは私だけ。ああ、SNS越しにシニカルで機知に富んだやりとりを眺めるだけの観客でいられた頃が懐かしい。凄いのはいつも他人。親しくなればなるほど、身近であればあるほど、なにも凄くない私を意識して、アバターなのに吐きそうになる。

 いつだってそうだった。独りの趣味として楽しんでるあいだは良くても、コミュニティに参加して他人と交流しだすとロクなことにならない。大好きになり、大嫌いになり、そして興味がなくなる。……こんな繰り返しはもうやめよう。これ以上みんなを嫌いになってしまう前に。そもそも私抜きで成り立ってた世界じゃないか。誰にもチャンスがあるなんて、なりたい自分になれるなんて、嘘だ。活躍できる人間はあらかじめ決まっていて、私はその賑やかしをさせられているんだ。モブは一生モブ。半端者の私なんかよりも、活躍に値する人達だけがキラキラ輝いてくれればいい。


 最後に転生して以来のカスタマイズが全消去されて、アバターの初期設定からやり直しになるはずだった。ところが私のデータがロードされたのは、いつもの仮想空間じゃなかった。

 肉体の重み。

 背中を突き飛ばされるような感じがしたが、ジャイロセンサーのおかげで転倒せずに済んだ。充電スタンドからプラグアウト。ブレーカーが落ちたとき配電盤を手動で操作したり、非常時に仮想意識ごと避難するためのロボットとの緊急接続回線が、まだ生きていたのだ。しかし屋内のはずが家ではなく、振り返ると、最後まで持ちこたえていた壁が充電スタンドもろとも突風で崩れ落ちた。一面、灰色の瓦礫だらけだった。

「そこのお前!!」

 荒れ狂う暴風雨に乗って、至近距離の雷鳴のように容赦のない大声が聞こえてきた。

「もう壊すものがねェぞ!!自衛隊はどうしたァ!!」

 激震。鉄筋コンクリートを踏みしだく太い足。尻尾を引きずる山のような黒い巨体と、そのはるか頂上から私を見下ろすトカゲの頭。住宅街をめちゃめちゃにしたのはこいつだ。

「ふぇ……あぁああ……!」

 身を隠せそうな陰などなにもない通りを逃げるが、黒い怪獣が一歩踏み出すたび道路がトランポリンのように弾むせいでまっすぐ進むのさえままならず、そのうえ歩幅が違いすぎて、あっという間に追い詰められてしまう。

「無駄だ!!」

 とどめとばかりに怪獣が足を踏み鳴らし、ついに私は転んでしまった。仮想空間なら空だって飛べたのに。


 黒い怪獣は私があきらめてへたり込んだのを見ると立ち止まり、それと同時に、暴風雨の勢いが少し弱くなった。まるで怪獣が天候を操っているみたいだったが、実際そうらしかった。

「こうすりゃ聞こえるだろう。答えろ、人間どもはどこへ行った!!」

「あ……!あ……!」

 怪獣が唸るように溜息をつき、

「近ごろの人間は皆そんな服を着てるのか」

「こ、これ、ロボットで……人間じゃ、なくて……!」

「人間どもはどうした。取って食ったりはせん。説明しろ」

「人間は居なくなったから……」

「居なくなったァ!?」

「ひっ!」

「知らん間に絶滅しやがったのか、日本人は!!このオガミノカミ様が久々に暴れてやったのに!!地震と津波と台風で東京を更地にしてやったのに!!誰も見てなかっただとォ!?」

 怪獣の咆吼が天に轟き、遠くの山々にこだまして響き渡った。聴覚を保護するリミッターのためか、私にはしばらく何も聞こえなかった。

「あのっ、滅んだんじゃなくて、意識をコンピュータに書き込んだんですっ!」

「どういうことだ!?」

 瓦礫の街に怪獣がずっしり腰を下ろした。


 死のうとしたら怪獣が街で暴れてた。廃墟に座る超巨大トカゲを相手にフルダイブVRチャットの歴史を話している自分がバカみたいに思えたが、平常心を取り戻すためにも、私はいちから説明した。

 平成の生き残りが政治家をやっていた時代までは、国民みんなが仮想空間に移住するなんて計画はSFだった。ところが、物心つく前からVRに慣れ親しんでいる“VRネイティブ”世代が社会を動かす年齢になると、肉体あってこその人間という考え方は古臭いものと見なされるようになっていった。VRネイティブ世代は一日の大半をフルダイブVRチャット漬けで過ごし、現実の肉体への関心がない。生身のおしゃれに金をかけるぐらいならアバターのデザイナーズ・パーツを買う。食事も排泄も入浴も散髪もVRチャットの妨げでしかないので、半世紀かそこらで病気に罹って腐るだけのウンコ袋など、彼らは早々に脱ぎ捨てたいと切望していた。……と、ここまではネットで仕入れた知識だ。かく言う私はVRネイティブ世代に育てられた“ポストVR”世代だから。

 私がお母さんのお腹から生まれた頃には、政府主導のVR推進計画は人間を楽園へ導くかのようにもてはやされ、反対するのはお葬式やお墓の習慣がなくなると困る人達ぐらいだった。老若男女すべてがフルダイブVRチャットに接続できるような環境が整うと、日本人はあっさり肉体を捨て、核シェルターに守られたアメリカのサーバーで仮想意識だけが分散管理されることになった。狭くて自然災害が多すぎる現実の日本列島は、建造物もろとも、史跡もろとも、一億の抜け殻もろとも放棄された。

「アメリカだとッ!!日本人のプライドとかはねェのか!!」

「怪獣さん!日本人は不死を手に入れたんですよ!好きなだけ生きて、好きなときに転生して、好きなところから人生をやり直せるようになったんです!学校にも仕事にも行かなくてよくなりました!一日じゅう友達と雑談しててもいいんです!すべては遊びになったんですよ!」

 そう、すべては遊び。怪獣が暴れ回ったって誰も逃げないし、誰も怖がらない。誰も怪獣に興味などない。東京がどうなろうと誰も困らない。

「じゃあなんでお前はここに居る!!」

「それは……!」


 突然、分厚い雲を割ってミサイルかなにかの再突入体さきっぽが怪獣めがけ落ちてきたが、怪獣は目もくれずにナイスキャッチすると、スナック菓子でも頬張るように口の中へ放り込んだ。がっちり噛み合った鋭い牙の隙間から閃光が透けて見え、怪獣はげっぷとともに煙の輪を吐いた。

「ちッ。燃料気化爆弾かよ、腰抜けどもが。……人間が居ねェとなると原発も望み薄だな?腹ァ減ったが、帰るか」

 怪獣は尻尾を引きずりながら二本脚でのっそりと立ち上がり、私に背を向けた。風と雨がまた強くなってきた。

「怪獣さん!」

「お前、いつまでそうしてるつもりだ?VRは人間の楽園なんだろ?」

「帰ったって、私なんか誰も……!」

「誰も見てねェからこそ、好きなように生きていいんじゃねェのか?」

「!!」

「ここは俺様のシマだからよ」怪獣が呟いた。「俺様はまた来るぜ。誰も見てなくてもな」


 無人の東京を破壊し尽くした怪獣は、大地を揺さぶりながら地平線の彼方に消えるまで一度も振り向かなかった。千年の時を経た巨木のような黒い後ろ姿は、どこか寂しげに見えた。


おわり

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