第55話 「またね!」

それから半月ほど経ったが、相変わらずママからの連絡はない。しかし今回は連絡が来ないだろう事情を把握しており、以前ほどのモヤモヤはない。その代わり、何かの拍子に偶然遭遇することを期待し、街に出る用事がある際に、敢えて彼女の店の前を通ることは何度かあった。断じて言うが、ストーカーではない。ウロウロしたり、待ち伏せするようなことは一度もない。


実際には、ママやNo.1キャストに遭遇することはなく、そんな状況にも慣れ始めていた日のことだった。

私は、とある居酒屋に向かうべく、1人で街中を歩いていた。休みの日だったので柄物のジャケットに白い開襟ブラウス、淡いブルーのデニムの裾を折り、足元は赤茶色のエンジニアブーツという、普段のスーツ姿を見慣れている人には私と認識するまで時間が掛かりそうな出立ちだった。勿論、マスクは装着している。

夕暮れ時ということもあり、すれ違う相手の顔も認識できないような状況で、居酒屋への道を急ぐ中、赤信号で立ち止まっている女性に声を掛けられた。


「あっ!」

その声に立ち止まるも、相手もマスクをしており、誰か認識できない。

(…?)

すると、その女性がマスクを顎まで下げた。

No.1キャストだった。隣には、同伴相手と思しき男性が1人。予期せぬタイミングでの遭遇に、つい声が上擦ってしまう。

「あっ、こんばんは。この前はライター、ありがとうございました。頂いちゃってすみません。」

「あぁ、あれ?いいよ、いくらでもあげる。」

店の中と変わらず、可愛らしい笑顔でこちらを見る彼女。もっと見ていたいところだったが、彼女側の信号が青になった。

「あ!じゃあまたね!」

彼女はそう告げると、隣の男性と街中へ消えて行った。


(私、気付かなかったのに、わざわざマスク下ろしてくれて、声まで掛けてくれるなんて…良い人だな。)

彼女を見送り、そんなことを考えながら再び歩みを進める。居酒屋に着き、自動ドアの縦長のボタンを押す直前、ふと先程の彼女の笑顔が思い出された。


「またね!」っていいな。次もあるんだ。また会えるんだ。

幸せ者だなぁ、そんな思いを噛み締め、優しくボタンを小突いた。

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成れの果て つぼみつお @mttb_overflow

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