その人は、貴方の運命の人ではありません

蛸キウイ

第1話


 初恋は小学校3年生の時だった。その子の名前も顔も今となっては思い出せないけれど、とびっきり明るくて、笑顔が素敵な子だったことだけは覚えている。いつも皆の中心にいて、誰にでも分け隔てなく接している、優しい女の子だった。

 多分、当時同じクラスだった人は、それが恋愛感情かはともかく、皆その子が好きだったと思う。


 ある日突然、告白しよう、と思い立った。きっかけは覚えていない。天気が良かったからとか、たまたまその子と朝上手く話せたからとか、給食がカレーだったからとか、そんな馬鹿みたいな理由だったと思う。


 告白しようと決意した後は早かった。放課後、その子を校庭の隅にある鉄棒の近くまで連れ出した僕は、きょとんとしている彼女に向かって、大きく頭を下げ、手を差し出した。……親が見ていた恋愛バラエティ番組の影響で、男が告白するときは、そうするものだと思い込んでいたのだ。


 乾いた地面を見つめながら顔を真っ赤に染め、震える声を絞り出そうとした、その時だった。

 僕の頭に、女性の声が響いた。ナレーターとか声優みたいな、誰かに聞かせるために訓練された美しい声だった。



「その人は、貴方の運命の人ではありません」



 突然聞こえた声に動揺した僕は、告白しようとしていたはずの女の子のことなんてそっちのけで、声の主を探した。告白を盗み見たうえに、『運命の人じゃない』なんて失礼なことを言うひどいやつを許せなかった。だけど、どれだけ探しても声の主は見つからず。当然、告白も失敗に終わった。

 こうして、僕の初恋は、あっけなく散ったのだった。



 それが、僕と『運命』さんの出会いだった。




 * * * * *




 その日以来、僕は女の子に恋をすることができなくなった。少しでも「この子、可愛いな」と思おうものなら、


「その人は、貴方の運命の人ではありません」


 という声が頭に響くのだ。これでは恋愛感情を抱くどころではない。

 誰にも相談は出来なかった。テレビでも漫画でも、誰にも聞こえない声が聞こえるなんて言って信じてもらえたのを見たことがなかったから、僕もきっとそうだろうと思った。実際、その判断は正しかったのだと思う。たとえあの時家族や友達に相談していても、何も解決はしなかっただろう。


 そうして3ヶ月ほど経ったある日、僕は限界を迎えた。とにかく1人になりたくて、夜中に家を飛び出すと、何も考えずに走って、走って、そうしてたどり着いた誰もいない海岸で、海に向かって思いつく限りの言葉で僕の運命を決めつける声を罵倒した。返事が返ってくることなど期待してはいなかったけれど、とにかく怒りをぶつけなければ壊れてしまいそうだった。


 だから、その声が聞こえたとき、驚くと同時に怖くなったのを覚えている。全力の怒りの感情を家族以外に向けたことなどなかったから、どう反応されるかなんて知らなかったのだ。



「えーっと……聞こえてますか?」



 それは間違いなく、僕を苦しめてきた『声』と同じだった。

 しかし、今までは何を言っても反応など返ってこなかった。何故今になって、という困惑と、叫んだことによる昂揚で、僕は頭が真っ白になってしまっていた。

 だけど声は、僕のことなんてお構いなしに喋り続けた。


「あはは……本当はまだ教えちゃダメなんですけどねー? 15歳になるまでは、『私達』の存在は隠しておくことになってるんです。説明しても余計に混乱させちゃうだけなので」


「だけど、貴方があんまりにも酷いこと言うんですもん。……ちょっと文句言いたくなって出てきちゃいました!」


 その声は、自分のことを『運命』だと名乗った。


 『運命』さんは、ランダムに選ばれた人間へその人の運命の相手を教えるという仕事をしているのだという。その方法というのがまた面倒で、なんでも、直接「〇〇さんがあなたの運命の人です」と教えてはならないらしい。知り合う前から教えてしまうと因果がどうこう、なんて言っていたけれど、詳しいことは覚えていない。


 とにかく、直接運命の人を教えることの出来ない『運命』さんたちは、対象の人が誰かに恋愛感情を抱きそうになった段階でその人が運命の人か『判定』をすることにした。それがあの『その人は、あなたの運命の人ではありません』という言葉だったというわけだ。


 そこまで説明を受けた段階で、1つの疑問が浮かんだ。


「あれ、でも初めて声が聞こえたのって僕が告白したときだったよね? そのルールなら、僕があの子のことを『良いな』と思った段階で声が聞こえるはずじゃないの?」


「あ、あはは……あんまり見てなかったら、知らない間に告白まで行ってました。いや、まさか小3で初恋なんて思わなかったんですよ! てっきりもうちょっと後かなぁって!」


 どうやら『運命』さんが大分ポンコツな人らしいと気づいたのは、このときだった。




 * * * * *




 それから『運命』さんは、僕が女の子を「可愛い」と思う度に冷や水を浴びせ、ついでに僕とお喋りをしていくようになった。人に運命を教える仕事とやらはよっぽど暇らしく、その頻度も時間もどんどん伸びていって、一年後にはなにもなくても勝手に話しかけてくるようになっていた。


 たとえば、夏休みの最終日。


「ひーまー、ひまー、ひまですよー! ね、ね、なんかして遊びません?」

「遊ばない」

「えー!? なんでですか!? 私はこんなに貴方と遊びたいというのに! 女の子の誘いを断るなんて最低ですよ!」

「……そんな言葉に騙されて『運命』さんと遊び呆けていたせいで、まだ宿題がちっとも終わってないから。今日は絶対遊ばない」

「……ひとつ、いい言葉を教えてあげましょう。『宿題は、夏休みが終わってから始めるもの』。……私はこの言葉を胸に学生時代を乗りきりました」

「それ、ただの『運命』さんの駄目人間エピソードじゃん」

「うぐっ! だ、駄目人間じゃありません! 人よりちょびっと自制心が弱いだけです!」

「それを駄目っていうんだけど……っていうか、『運命』さん学校とか卒業してるんだ」

「そりゃもう。割と高学歴じゃないと就けないんですよ? この仕事。まぁぶっちゃけ私ってそっちの世界でいうところの大天使的な存在なので試験とかなかったんですけど」

「うわぁ……コネ入社を堂々と話すあたり本物の駄目人間、というか駄目天使? だね」

「駄目駄目言わないでください! ……というか、なんだかんだでお話に夢中じゃないですかぁ? えっへへー、やーっぱり私と遊びたいんですね?」

「……もう喋らない」

「あ、すいません、すいませんってばぁ! そんな拗ねないでくださいって! ね、ね、じゃあ5分だけでも――」



 たとえば、修学旅行。


「うおーーーーー! 金閣寺だあああああ!!!! ……って言っても、私には見えないんですけど」

「……前から思ってたんだけどさ、『運命』さんってこっちのこと見えてないんだ?」

「そうなんですよ! 馬鹿上司がカメラ代ケチりやがったせいで音声と貴方の精神状態しかこっちには届いてないんです! そのせいで私は貴方の成長を映像で見ることも出来ないんです、酷いと思いません!?」

「映像が見えてたら余計うるさそうだったから良かったなって思ってるよ。……でも、そっか。『運命』さんにはこれ、見えてないのか……」

「あ、goo○emapで検索して画像は見てますよ? リアルタイムじゃないから完璧には共有できませんけど、大丈夫です。……さっきからクールぶってるわりに内心テンション上がりまくってる貴方の気分を盛り下げるようなことはしませんとも!」

「…………もう知らない」

「あー! すいませんって! ……ありがとうございます。私と一緒に楽しもうとしてくれたんですよね?」

「……ふん」

「あはー、照れちゃってー! あ、左前の人、運命の人じゃないですからね!」

「わ、分かってるよ! ちょっと可愛いなって思ってただけ!」



 たとえば、卒業式。


「うぅ……うぐっ……。うえええええええ!!!!」

「……ねぇ、うるさいんだけど」

「だっで、だっでぇ! いつのまにが、こんだにおおぎくだっでだなんで、おぼっだら……うえええええん!!!」

「……だからって、家を出る前から泣かなくても良いと思うんだけど。僕まだパジャマだよ? ……ま、ありがとね」

「う、うがあああああああああああ!!!!!」

「ちょ、何で余計にうるさくなったのさ! 最早それ泣き声じゃないじゃん!」



 突然聞こえるようになった『運命』さんの声。最初は凄く嫌だったけれど、いつの間にか、それは日常になっていた。『運命』さんがいなくなることなんて、考えられなくなるくらいには。




 * * * * *




 中学校に入って迎えた初めての夏のある日、僕は1人の女の子に告白された。同じクラスの、隣の席の女の子だった。他の人よりは関わる機会は多いけれど、かといって学校外で会ったりするような関係ではなかった。


「……どうしよっかなぁ……」

「……運命の人じゃありませんよ」

「分かってるよ」

「ふーん? その割にめちゃくちゃ心は揺れ動いてるみたいですけどー?」

「いや、そりゃ生まれてはじめて告白されたんだから意識くらいするでしょ」

「ふーん、へー」


 そのときの『運命』さんは、とびきり不機嫌だった。今までも無視し続けたりしたときに不機嫌になることはあったけれど、そんなときでも仕事はきちんとこなしていた。しかし今日は、その『仕事』にキレがないようだった。

 いつもならもっとはっきりと、「付き合うべきじゃない」とか「運命の人以外と付き合うなんてありえない」とか「えー、今どき運命の人を信じないのなんてありえないよねー!」とかぎゃーぎゃー騒ぎ立てているころなのだ。

 僕が悩んでいるのなんて分かっているはずなのに、それを邪魔してこない『運命』さんに、なぜかモヤモヤした。


「ねぇ、運命の人以外を選ぶとどうなるの?」

「……そんな選択肢はありません」

「そんなわけない。僕に選ぶ権利がないんなら、そもそも運命の人を教える意味なんてないはずでしょ? なにもしなくたって勝手に結ばれてくれるんだから」


 『運命』さんは、なにも話さなかった。しばらく経って、ようやく、諦めたように口を開いた。


「……運命の人っていうのは、結ばれるべき存在なんです。だから……運命の人と結ばれれば、一番幸せになれるんです」

「つまり、運命の人以外と結ばれたからって不幸になるわけではない?」

「…………相対的に見れば、不幸になります。だって、運命の人と結ばれるのが最高の幸せなんですから。ただ……運命の人以外と結ばれたからといって、誰かが死んだり、怪我をしたり、なんてことにはなりません。就く職業が変わったり、喧嘩が増えたり、離婚の可能性が上がったり……そんなところです」

「そっか」

「……付き合うんですか?」

「うーん、どうしよう。……『運命』さんは、どう思う?」

「……知りませんっ」


 そこから、どれだけ話しかけても『運命』さんは答えを返してくれなくなった。

 なんでこの時、『運命』さんに意見を求めたのか。なんで『運命』さんは、「運命の人と付き合うべき」とは言わなかったのか。理由はわからない。

 ただ、『運命』さんの「知りません」という言葉が、耳に残って離れなかった。

 たしかだったのは、どうやら、僕と『運命』さんは、はじめて喧嘩をしたらしいということだった。


 結局、その子とは付き合わなかった。


 告白を断ってすぐ、『運命』さんと仲直りしようと思った。ただ、普通の人とは違い、『運命』さんと仲直りするのは骨が折れる。なんせ、直接会うことが出来ないのだ。単に遠距離というだけならばメッセージを送るとか電話をかけるとか、いくらでも手段はあるけれど、『運命』さん相手ではそれも出来ない。結局、僕にできるのは、独り言のように『運命』さんに語りかけることだけだった。


「えーっと……『運命』さん?」


 返事はない。


「話があるんだ。この間のこと」


 返事はない。


「謝りたいんだよ。僕が嫌な奴だったと思う。『運命』さんの仕事を無駄にするような質問を沢山した」

「……がぃ……す」

「え?」


 一瞬、小さく『運命』さんの声が聞こえた気がした。けれど、それは本当に一瞬のことで。その後声が聞こえてくることはなかった。


 ただ、どうやら『運命』さんはこちらの話を全く聞いていないわけではないということが分かった。それだけでも僕は救われたような気持ちになった。だってそれは、さっきのたとえでいうのなら、常に電話がつながっている状態と同じなのだから。それならば、やりようはある。


 僕は夕方になるのを待って、1枚の写真を持って外に出た。その写真に写っているのは、僕が一番推しているアイドル。何度も何度も、テレビや雑誌で見る度に『運命』さんに「運命の人じゃないですよ〜」とからかわれていた女の子だ。


 満員電車を乗り継ぎ、駅に着くと、人混みから外れて山の方へと向かった。『それ』だけを目的にするならば、人混みから外れていたほうが都合が良いからだ。


 山を登って目的地に着いたときには、もう辺りはすっかり暗くなっていた。爆発音が響くなかで、僕は1人、一心不乱に写真を見つめ、心を昂ぶらせる。きっと、『運命』さんならば仕事をしてくれるだろうと信じて。


「……その人は、運命の人じゃありませんよ」


 そのあきれたような声が聞こえた瞬間、僕は写真をポケットに突っ込んで、頭を下げた。


「ごめん! 僕が悪かった!!」

「……それは、聞いてましたけど。それだけのためにそんな気持ち悪いことしてたんですか?」

「これしか思いつかなくって」


 はぁ、と『運命』さんのため息が聞こえた。「仕方ないなぁ」とでもいうような、それは優しいため息だった。


「なんか、私が悩んでたのが馬鹿みたいです。……っていうか、そこうっさいんですけど! どこにいるんですか!?」

「んと……一応、今日花火大会、なんだけど。ほら、『運命』さん、景色が良いところが好きって言ってたから。謝るならなるべく綺麗に花火が見える場所の方が良いかなって思って、山の休憩所まで登ってきた。ここ、穴場なんだ」

「……音だけじゃ、綺麗かどうかなんてわかんないじゃないですか」

「…………だよね」


 それはいつもとは正反対のやりとりだった。けれど僕はなぜか、『いつもと同じに戻った』と感じていた。


「ほんっとに、まったくもう。変なところで抜けてるんですから」


 そう言って、運命さんはくすくすと笑った。表情は見えないけれど、きっと微笑んでいただろうと思う。

 『運命』さんはひとしきり笑った後、ぱん、と音を鳴らした。多分、手を叩いた音だった。


「じゃあ、分かりました。いつか2人で、きちんと花火大会に行きましょう?  こんな誰もいないところじゃなくて、もっと賑やかなところに。それで、許してあげます」


 そうして、1つの約束を交わして。僕と『運命』さんの喧嘩は、仲直りで終わったのだった。




 * * * * *




 やかましくて、自由で、自堕落で、そのくせ仕事だけは無駄にきっちりやっていて、涙もろくて、なんだかんだ優しくて。そんな『運命』さんとの生活が、僕は気に入っていた。


 ずっと、こんな生活が続いていくのだろうと思っていた。

 だけど、『運命』さんの仕事は、僕に運命の相手を教えることで。だから当然、その日はやってきた。


 彼女と出会ったのは、高校2年生のときだった。登校中、曲がり角から飛び出してきた彼女とぶつかってしまったのだ。その後謝られて、謝って、少し話をしていたら僕の学校に今日から通うことになった転校生だと知った。しかも、僕と同じクラスだった。


 そこからも、彼女との『イベント』は続いた。

 休み時間に話していたら、彼女と知り合いだということが先生に知られ、学校を案内することになった。

 くじ引きで決まった委員会が、たまたま一緒だった。

 帰り道に寄った本屋で手を伸ばした本がたまたま同じで、手と手が触れ合った。

 せっかくだからとその後喫茶店でお茶をしていたら、映画も本もすごく趣味が合った。


 彼女と話している間、『運命』さんが話すことは一度もなかった。


 なにかに引き寄せられるように、あらかじめ決められていたかのように、僕は彼女と過ごしていると、心の内がぴったりと嵌るような感覚を覚えていた。


 後から考えてみると、この時すでに僕は彼女が運命の人だと気づいていたのだろう。だからあえて、彼女を恋愛対象として意識しないようにしていた。彼女と仲良くなればなるほど、なぜか焦燥感ばかりが募っていった。



 そうして、短期間に彼女との距離が急激に縮まり、それと反比例するように『運命』さんと話すことが減ってきていたある日。


 僕は彼女と、学園祭の買い出しのために、休日2人で出かけることになった。

 駅前で待ち合わせをして、軽くお昼を食べて、その後フラフラとウィンドウショッピングをして。

 ようやく学園祭に必要なものを買い終えたときには、もう夕方になっていた。

 誰がどう見ても、間違いなくデートだった。


 別れ際、駅で挨拶を済ませて立ち去ろうとした僕の服を、彼女が掴んだ。

 プレゼントがあると言って、彼女は僕の服を掴んでいるのとは逆の手で隠し持っていた袋を僕の方に差し出した。

 そのまま袋を僕に押し付けた彼女は、慌てて僕の服から手を離すと、たたたっ、と走って僕から距離を取ってから、くるりと振り返った。


 夕焼けを背負い、微笑みながら手を振って別れを告げる彼女の姿を見て、僕は――


 「ああ、可愛いなぁ」と、思ってしまった。


 


 「――おめでとうございます。彼女が、貴方の運命の人です」


 彼女と別れた直後、『運命』さんはそう言った。

 いつもの馬鹿みたいに明るい声ではなく、初めて聞いた時のような作られた声でもなく、喧嘩をした時のような不機嫌な声でもない、それはまるで、感情を押し殺したような祝福の言葉だった。


 僕は、運命の人が見つかって仕事を終えた『運命』さんは、中学校のときのようにそのまま話さなくなってしまうのではないかと思っていた。だけど現実は、もっと残酷だった。


「……いやー、やーっぱり彼女でしたね! まぁ私は知ってたんですけど! 実際お似合いだと思いますよ? 趣味も合うし、見た目も清楚な感じで貴方の好みですし、優しいし、真面目だし! さすが運命の人って感じです! ほんっとに、おめでとうございます!」


 『運命』さんは、いつもより一際高いテンションで祝福の言葉を続ける。


「いやはや、それにしてもここまで長かったですねぇ。ようやく貴方が運命の人と出会えて良かったです! はじめてちゃんとお話したときなんて、もう壊れちゃいそうで見てられなくって……」

「ねぇ、『運命』さん」

「はい?」


 喋り続ける『運命』さんを遮って、僕は話しかけた。


「……『運命』さんは、どうなるの?」

「どう、って……別に、なにもありませんよ? 私はこれからもいつもどおり、適当にきちんと仕事をするだけです」

「嘘だ」


 そんなあからさまな言い訳で、納得できるわけがない。


「……嘘じゃ、ないです。私の仕事は変わりません。…………ただ、相手が変わるだけで」

「変わってるじゃんか! 僕と『運命』さんの関係は、すっごく変わってる! ねぇ、明日からも今までみたいに話せないの? 別に、『運命』さんが僕の担当でなくたって良い。『運命』さんが暇な時に、話しかけてきてくれるだけで――」

「それは、無理です」


 いつもの『運命』さんとは違う、強い拒絶。これ以上言わないでくれと訴えるような、跳ね除けるような否定。


「……なんで?」


 どうしてそんなことを言うのだろう。僕はただ、これからも『運命』さんと話していたいだけなのに。


「担当が変わってしまったら、貴方との連絡手段は上司に返却しなきゃいけませんから。……そもそもが、歪だったんです。普通はこんな風に関わったりするような関係じゃないんですから」


 『運命』さんは、小さくため息を吐くと、声音をはじめて聞いたときのような『作られた声』に変えて言った。


「だから、終わりにしましょう。――おそらく学園祭の最終日、彼女からの告白があります。それが、最後。貴方がそれを受け入れて、彼女と結ばれて、私が祝福をして。……全部、おしまいです」


 事務的に言葉を紡ぐと、彼女は「それじゃあ」と言って、そこから何も話さなくなった。


 僕は、なにも言い返すことが出来なかった。




 * * * * *




 僕はなにを求めているのだろう。本当は分かっていた。最初から、分かっていた。

 だけどそれを認めたくなかったのは、あまりにも長く一緒にいすぎたから。あまりにも距離が離れているから。あまりにも――違いすぎるから。


 僕は『運命』さんとは違う。性格も、趣味も、年齢も、生まれも、もしかしたら種族だって。


 運命の人と結ばれれば、幸せになれる。それはきっと、そうなのだろう。出会ってすぐに仲良くなれて、近くにいてくれて、趣味も合って。たぶん何も知らなかったとしたら、とっくに好きになっていた。それくらい彼女は魅力的だった。


 だけど、僕は『運命』に出会ってしまった。

 

 だから――――――




 * * * * *




 学園祭が終わった日の夜。僕は夜道を歩いていた。『運命』さんが話しかけてくるのを待ちながら、ふらふらと目的地もなく歩いていく。

 やがて、海岸に着いた。そこは僕と『運命』さんがはじめて会話を交わしたのと同じ海岸だった。


 海の音を聞きながら、砂浜に腰を下ろす。秋の海風にぶるりと体を震わしながら、ただ、『運命』さんが話すのを待っていた。


「――なんで、断ったんですか?」


 第一声は、怒りを込めた疑問だった。


「うーん。そうだなぁ……タイプじゃなかったから、かな」

「そんなわけありません!!!」

「実際そうなんだから仕方ないじゃんか」

「だって、あの人は貴方の運命の人なんですよ!? 貴方が結ばれるべき、貴方と幸せになるための、最高のパートナーなんです!! それがタイプじゃないなんて、そんなのありえません!!」

「でもそれって、結局誰かが決めたものでしかないでしょ? 僕はその誰かが決めた運命を好きになれなかった。だから、彼女には申し訳ないけれどお断りをさせてもらった。……彼女も受け入れてくれたし、もうこれ以上話すことなんてないんじゃないかな?」


 はぐらかすように喋り続ける僕に業を煮やし、『運命』さんはどんどんヒートアップしていく。


「そんなものが許されるわけないんです! 貴女は彼女と結ばれるべきなんです!」

「どうして?」

「どうして、って……」


 なんで今さらそんな当たり前のことを聞くのか。彼女の声からは、そんな感情が伺えた。

 彼女は一度深呼吸をすると、言い聞かせるように言った。


「だって、それが貴方が幸せになる最高の方法です」

「うん、でも僕はそれが最高だとは思えなかった」

「だって、貴方は彼女をとても魅力的だと感じていた」

「うん、彼女はとても素敵な女の子だと思う。欠点なんてあげられないくらい、魅力的な子だ。でも、彼女を選んでも僕は幸せになれないと思った」

「だって、だって――そうじゃないと。貴方が運命の人と結ばれてくれないと」


「私は、貴方を諦められないじゃないですかっ……!」


 それが、『運命』さんの本音だった。


「貴方のことが好きだった! 口が悪くて、冷たくて、それなのに妙なところが抜けてて、表情に出にくいだけで感情豊かで、すっごく優しい貴方のことが、大好きだった! だけど、報われるわけがないって分かってたから! 貴方には運命の人がいて、それを教えることが私の仕事なんだから! だから、諦めたのに。貴方が運命の人と結ばれるのを祝福しようって決めてたのに、それなのに……なんで断っちゃうんですかぁっ……!!」

「……僕も、そうだったから」

「……へ?」


 ぐずぐずと、鼻を鳴らしながら泣き出してしまった『運命』さんに、僕はそう返す。

 本当は、僕がするもりだったのだけれど。先に告白されてしまっては仕方がない。告白には、返事をしなければ。


「怖かったんだ。『運命』さんがいなくなっちゃうのが。僕から『運命』さんに話しかけることは出来ないから、告白してもし断られたら、もう話せなくなっちゃうのかもって。それがなかったとしても、運命の人と結ばれる気がないって分かったら担当じゃなくなっちゃうんじゃないかとか、色々考えちゃうと、怖くて動けなかった」

「それっ、って……」


 呟いた彼女に、僕は頬を掻きながらうなずく。


「うん。僕も、『運命』さんのことが好きだ」

「……っっ! い、いや、駄目です! 嬉しいですけど、でも、駄目!!」

「なんで?」


 さっきのように、僕は『運命』さんに理由を求める。さっきと違うのは、『運命』さんの声から、隠しきれない歓喜が滲み出ていることだった。


「だって、まず、年齢が全然違います!」

「年の差カップルなんていっぱいいるじゃん。そもそも『運命』さんって寿命とかどうなってるの?」

「とても長いとだけ言っておきます! それに、見た目の問題もあります! もし私がすっごくブスだったらどうするんですか! いや私めちゃくちゃ可愛いですけど!」

「可愛いんなら別に聞く必要ないじゃん……ってのは置いといて。まぁ可愛い方が良いのはそうかもだけど、僕があんまり見た目とか気にしないタイプなの知ってるよね?」

「う、まぁどちらかと言うと内面にキュンと来てましたねいっつも……」

「というか、『運命』さんこそどうなの? 僕がすっごくブサイクだったら」

「……えーっと、実は私、資料として貴方の写真持ってまして。あの……すっごくタイプ、なんですよねぇ……」

「……変態」

「ちがっ、別に黙ってたわけじゃないんですよ!? 聞かれなかったから答えなかっただけで……って、ああもう! そんなことは良いんです!! えーっと、えーっと、声……は好き、性格……はもちろん好き、頭が良いのは知ってる、運動ができないのはむしろ可愛い、お金……は別に私が用意すればいいや。うーん…………あ、そうだ! 距離!! 距離の問題がありませんか!?」

「……それは、たしかに」

「えっ、あっ……で、でしょ?」


 それまでの言い合いに見せかけた好きなところ暴露大会から一転、僕は考え込んでしまった。

 そこだけは、どれだけ考えても解決できなかった。

 

 僕が『運命』さんのいる場所に行くことは出来ない。そもそも場所を知らないし、教えてもらったところで行けるような場所にあるとは限らない。『運命』さんの普段の口ぶりからすると、別の世界なんてことも十分ありえる。

 今までのようなかたちにも限界がある。『運命』さんが仕事を終えた以上、前言っていたように、僕と話すための手段は返却しなければならない。『運命』さんに聞けば、もしかしたら他になにか連絡手段を得ることはできるかもしれないけれど……出来ることなら、直接会いたい。ていうか触れたい。自分で可愛いって言っちゃうくらいの容姿を拝まなければ我慢できない。だけど、その会うための手段が分からないわけで……


「あー…………どうしよう」


 さっきまでの昂揚した気分はどこへやら。僕は死んだ魚のような目で、答えのない問いを考え続けていた。

 そんな僕に、黙っていた『運命』さんが恐る恐る話しかける。


「あのー……」

「……なに?」


 まだ答えが出ていないのに、更に付き合えない理由を重ねるつもりなのだろうか。というか、なんでそんなに頑なに僕と付き合えない理由を挙げるのだろう? さっき好きって言ってなかった? 嘘か? もしかして嘘なのか?

 疑心暗鬼に蝕まれる僕に、『運命』さんはとんでもない事を言ってきた。


「実は……私、普通にそっち行けます。なんならそこから他の県に行くより早く」

「……はぁ!?」

「いや、実際行くってなると許可とか取らなきゃですし、そっちに住むなら仕事もやめなきゃで結構時間はかかるんですけど……別に、行けます。簡単に」


 思わず、大声で叫んでしまう。


「え? は? え、じゃあなんで聞いたの?」

「えーっと、なんとか理由を絞り出さなきゃって思って……えへ」

「いやえへじゃないし。そもそも理由を絞り出す必要もないし。僕のこと好きなんだったらさっさと『うんだいすきーえへへーちゅっちゅー』とか言ってれば良いし」

「いや、なんかその前で抵抗した手前恥ずかしくなっちゃって。ていうか私のイメージアホっぽすぎませんか!?」

「……恥ずかしいからって僕に答えられるわけない問題出してくる奴なんてアホで十分」

「う、言った後で貴方は私がそっち行けるの知らないやって気づいたんですよぅ……と、ともかく!」


 無理矢理話を切ると、『運命』さんは、しばらく間を開けてから、小さな声で言った。


「きょ、きょりは、だいじょうぶ、ですから。……つまり……その。えっと」


「問題は、全部解決しましたから。……よろしく、おねがいします」


 見えないけれど、何故か今、『運命』さんは頭を下げているのだろうという確信があった。

 だから僕も、大きく頭を下げて、手を差し出す。テレビで見た俳優のように、初めての告白をやり直すように。


「よろしく、お願いします」




 * * * * *




「まっつり、まっつり、まっつりだー♪」

「はしゃぎすぎじゃない?」

「そりゃはしゃぎますとも!」


 夏。30度を優に超える気温の中を、僕は歩いていた。Tシャツを汗でべっとりと張り付かせ、手で顔をぱたぱたと仰いでもその動作によって余計に暑くなる。それでも、心は弾んでいた。

 当然だ。今日は、待ちに待った花火大会なのだから。


 あのときと同じように、満員電車を乗り継いで、人混みと同じ駅で降りる。そのまま、あのときとは違い、流れに乗ったまま進んでいく。


 しばらく歩くと、祭りの気配が近づいてきた。段々と暗くなり始めた空に変わるように、提灯の淡い光が辺りを照らし、ソースや砂糖の焦げる匂いが食欲をそそる。


「えっと……たぶんこのへんだと思うんだけど……」

「そうですねー! あ、そこの人は運命の人じゃありません!」

「はいはい、分かってるって。まだ続いてたの? それ」

「いやー、もう癖ですかねぇ。ぶっちゃけ中学校くらいからは貴方が他の女に色目使ってるの咎めるつもりで言ってましたし」

「つまり今のも?」

「はい! 可愛い可愛い美少女の嫉妬ってやつです!」

「ふーん」

「ふーん!? え、なにそのどうでも良さそうな反応! もっと嬉しがるとかないんですか!?」

「可愛いのも嫉妬深いのも知ってるし。……少女かは知らないけど」

「……そ、そですか……って、一言余計なんですけど!」

「ごめんごめん。……照れた?」

「照れませんー! それより早くしてくださいよ!!」


 待ち合わせ場所に指定した広場をきょろきょろと見渡す。分かりやすい場所だからだろう、周りは僕と同じように誰かを探す人でごった返していた。

 これはもしかしたら探すのに苦労するかもしれないなぁ……と思っていたのは一瞬のことだった。 

 

 なにせ、その人はあまりに浮いていた。


 浴衣を着た人が多いなかで、麦わら帽子に白いワンピースを身にまとい、ぶんぶんと腕を振り回しながら広場を歩き回っていた。……ここを海と間違えてないか?

 その顔は……自分で言うだけあって、めちゃくちゃ可愛い。少なくとも、僕が今まで見たなかでは、一番。


 間違いなく、あの人だろう。僕はそちらへ向かいながら、あえて目線をそらし、他の女の子を見る。


「む。また他の子見てますね? その子も違います! あ、その子も、その子も! むー、なんかどんどんドキドキ強くなってるんですけど!!」


 地団駄を踏み出したその人のもとへ、人混みをかき分けてようやく辿り着く。

 そうして、『彼女』の姿をしっかりと見つめてから、問いかけた。


「……じゃあ、この人は?」

「……えへへ。その人はですねぇ――――運命の人では、ありません!」

「うん、知ってる。――はじめまして、『運命』さん」

「はいっ!」



 僕は、運命の人を選ばなかった。だけど――『運命』と共に生きていける僕は、きっと誰より幸福だろう。

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