異・世界革命 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって

北のりゆき

異・世界革命 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって 全話(完結)

異・世界革命Ⅰ 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって


 ー 一九七八年三月二五日 ー

『三里塚を闘う青年学生共闘』を担う最も尖鋭的な部分が、朝倉団結小屋に結集した。三十人ほどいただろうか。オレもその中のひとりだ。

「全員集まったな?」

 今日まで三里塚現地に常駐して闘争を指導してきた現闘団の幹部が切り出した。

「最後の会議を始める」

「⋯⋯明日二六日からの開港阻止決戦は、組織の総力を挙げて取り組むことを政治局が決定した。我々が掲げる空港包囲・突入・占拠は、単なるスローガンではない。我々は断固として人民抑圧空港の開港を粉砕する!」

 水を打ったように静かだ。全員が固唾をのんでいる。

「空港突入部隊は、確実に逮捕され、数カ月か、あるいは数年間投獄されることになるだろう。重傷⋯⋯。死ぬ可能性もある。⋯⋯担いきれないと感じた者は、この場から離れ一般部隊に加わってくれ」

 今さら逃げるやつなんか、いるはずもない。オレも逃げない。この期におよんで日和ってたまるか。

「敵は、全国からかき集められた一万四千人の権力・機動隊だ。我々は、インター・プロ青・戦旗の赤ヘル三派で共闘し、全国から結集した大衆とともに空港を包囲。ゲリラ戦闘で敵を揺さぶり、鉄パイプと火炎ビンで武装した大衆的実力闘争と、特別編成コマンド部隊の戦いを結合させ、空港に突入し占拠する。ターゲットは管制塔だ」

 

「よしっ!」

「異議なしっ!」

 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!

 しばらく拍手が鳴り止まない。

 

「すでに先発部隊が、空港管制塔近くに潜入している」

 本当だろうか? 本当なのだろう! 再び拍手が鳴り止まない。

「我々はこの無線機⋯⋯」

 

「秋葉原で買ったんだろっ!」と、ちょっとおどけた野次が飛ぶ。 

 

「ふふっ⋯⋯この高出力無線機を、革命的科学技術を駆使して改造し、警察無線を完全に無効化することに成功した」

 おぉーっ! と、どよめく。

 パチパチパチパチパチパチ!!

「機動隊を何万人集めたところで、指揮がとれないなら烏合の衆だ。さらに我々は、装甲改造トラックにドラム缶を⋯⋯⋯」

 


 ー 翌朝 一九七八年三月二六日 ー

 

 オレは、装甲車に改造した二トントラックの荷台にドラム缶を乗せ、満杯になるまで百キロ近いガソリンを流しこんだ。注入が終わったら、トラックと共に藪に潜んで出番を待つ。

 空港管制塔は、T字路のちょうど縦と横がぶつかった部分に建っている。後ろは滑走路だ。滑走路一本だけで四キロもあるバカみたいに広い空港だ。管制塔周辺には数千人の機動隊が警備している。

 反対派は、二カ所で同時に集会を開いた。空港の向こう側で一万人。『T字』の下の部分にある小学校跡地で三千人の集会だ。分裂集会になってしまうが、空港突入のためには、どうしてもこの場所で集会を開かなければならない。

 この三千人の集会場から数キロ先に横堀要塞が見える。日本中から一億円のカンパを集めて建設された鉄筋コンクリート製のでっかいサイコロみたいな要塞だ。この要塞に立てこもった五十人の部隊が、アドバルーンを飛ばし火炎ビンを投げつけて機動隊の精鋭部隊を引きつけた。今も戦闘が続いている。

 へへへ⋯⋯。集会が終わると同時に、こっちも祭りが始まるぞっ!


 最初に異変に気づいた警察官は、管制塔の隣にある空港管理ビルに設けられた警備本部の無線係だった。

 同時に複数の機動隊検問所に火炎ビンのゲリラ攻撃が加えられ、増援を求める通信が相次いだ。どうやって厳重な検問をかいくぐったのだろうか。小学校跡地の反対集会が切り上げられると同時に、監視していた機動隊部隊から「鉄パイプと火炎ビンを満載したトラックと過激派が合体し、約五百人が武装を完了して空港に向かった」という悲鳴のような通信が入った。その後すぐに歌謡曲『ペッパー警部』が大音量で混信し、警察無線は通信が不可能となった。

 一万四千人の機動隊を指揮するはずの警備本部は、その機能を停止した。


 集会会場から出撃した五百人の部隊が進撃を始めると同時だった。鉄パイプと火炎ビンで武装した二十人の部隊が二台の装甲トラックの荷台に分乗し、機動隊の設置したバリケードをはね飛ばして空港内部に突入した。停めてある機動隊車両やパトカーは、たちまち火炎ビンの餌食となり黒煙を上げて炎上する。ピストル警官隊が発砲を始めた。


 銃撃を受けながら警察の設置したバリケードを突破し、トラック部隊は管制塔直下に到達した。荷台の二十人は、火炎ビンを投擲し鉄パイプを振りかざして管制塔前を警備していた機動隊に突撃した。機動隊は、催涙銃からピンク色のソーセージに似た強化プラスチック弾を乱射する。

 警備本部のすぐ下で燃え上がる火炎ビン。過激派と機動隊の乱闘の様子が手に取るように見える。窓に張り付いた警察官僚どもの目は釘づけだ。電話を使って「機動隊は全て空港内に戻れ」と伝達するのが精いっぱいの有様となった。混乱をきわめる中で、誰かがこの場所は危険だと悲鳴をあげた。恐怖にかられた官僚どもは、重要と考えているらしい書類を抱えて我先にとエレベーターに乗り込み警備本部から『退避』し、消え失せてしまった。


 その時、前日に潜入を完了していた十五人の部隊が、地下の下水道をたどって管制塔の至近まで到達していた。トラック部隊と機動隊の戦闘音が地の底にまで聞こえる。

「いくぞっ!」

 渾身の力をふるってマンホールをこじ開け、部隊は地上にはい上がる。煙の立ち上る管制塔方面を呆然と眺めていた制服警官たちが地下部隊に気づき、腰のピストルを抜いた。

「ううう動くな! 撃つぞっ!」

 管制塔に鉄槌を下すためのハンマーまで装備した十五人全員がマンホールから地上に出るには、時間がかかる。鉄パイプとピストルが数分間にらみ合う。そして⋯⋯。

 

「よしっ。走れっ!」

 

 ピストル警官が悲鳴を上げた。

「いっ、いかん!」 

 

 地下部隊が、一斉に管制塔に向かい疾走した。

 

 管制塔入口は、ちょうど戦闘が終わった間隙の時間だった。トラック部隊の戦士たちが、血だらけになって引きずられて行った直後だったのだ。まだ何人かの仲間は、リンチされ両手錠をかけられ転がっている。機動隊員にも負傷者が続出し、その場で座り込んでいる者もいる。

 火炎ビンの残り火がくすぶっている戦闘直後の瞬間に、地下部隊が突っ込んできた。トラック部隊の仲間が、立ち上がって両手錠のまま合流しようとする。

 手をこまねいている機動隊をしり目に、部隊は正面入り口を突破し管制塔内部に突入する。十五人は、一階を制圧して時間を稼ぐ部隊と最上階に向かう部隊の二手に分かれた。制圧部隊が投擲した火炎ビンが燃え上がり乱闘が始まった。制服に火がついた警官が転がり回る。五人で最後まで戦った制圧部隊には、凄惨なリンチが加えられた。「殺してやる」と額に傷ができるまでピストルの銃口を押しつけられる者。取り囲まれ気絶するまでジュラルミン盾で袋叩きにされる者。鉄パイプで何度も殴りつけられる者……。

 突入部隊は、鉄パイプで機動隊を蹴散らし、エレベーター前に達した。降りてきたエレベーターのドアが開くと、なんと警備本部の警察官僚どもが転がり出てきた。『過激派』と鉢合わせするや、真っ青になって「ヒィーッ!」などと悲鳴を上げ、頭を抱えて床に這いつくばる警察官僚までいるありさまだ。

 命からがら逃げ散った官僚どもと入れ替わりに、突入部隊が乗りこんだ。扉が閉まる。十人の突入部隊を乗せて、エレベーターは管制塔を上がってゆく。

 ところが、最上階に到達した部隊は、立ち往生してしまった。最後の階段が防護扉で閉鎖されており、侵入が不可能になっていた⋯⋯⋯⋯はずだった。

 管制室への進入路を探している間に、下階の機動隊が階段を上ってきた。阻止部隊が張りついて、手当たり次第にあらゆる物を投げつけ、最後の火炎ビンを投擲、炎上させる。もっと投げる物はないかと周囲を見回すと、壁面塗装用のペンキ缶が放置されている。そいつを投げ落とすと火炎ビンの炎が引火し、下階は火の海になった。どす黒い煙が噴き上がってくる。機動隊は、完全に足止めされた。

 一方、突入部隊は、やおらハンマーを取り出し、強化ガラスの窓を叩き割った。やがて開放された窓から出て外壁に取りつく。そこから命知らずにも地上四十メートルのパラボラアンテナに飛び移り、空港中枢の管制室めがけてよじ登っていった。

 権力悪の象徴である空港管制塔に、赤旗が翻った。


 その頃、鉄パイプと火炎ビンを満載したトラックとドッキングし武装した五百人の部隊も、呆然としている機動隊を尻目に空港内部に突入していた。

 ここでもハンマーを持った仲間が、次々と空港設備を破壊していく。先頭の部隊は、九州からかき集められた管区機動隊や制服警官隊を蹴散らした。道路脇に逃げた制服警官が、ピストルを抜き発砲を始めた。膝を撃ち抜かれた仲間が転倒する。ヘリコプターの拡声器の誘導で、警視庁機動隊の精鋭部隊が接近してくる。

 とにく少しでも、突入部隊が管制塔を破壊する時間をかせがなければならない。

 

 よおーし! オレの番だ!! 暗い内から隠れていたから、待ちくたびれたぜ!

 ガソリン満載トラックで、管制塔前に突入する。大量のガソリンをぶちまけ火の海にして、機動隊の侵入を阻止するのだ! 先行したトラック部隊は二十人だったが、今度は、オレと運転手同志の二人だけ。ゲリラ戦闘だからな。だが、重要な任務だぞ。

 トラックが動き出し、管制塔に向かう道路に入る。目標地点の管制塔の方を見ると、黒煙が立ちのぼっている⋯⋯。


 その時、オレは、見た。管制塔に赤旗が翻った瞬間を見た。


 パラボラアンテナをよじ登って最上部にたどり着いた仲間が、管制室に突入するため、ハンマーを振るって窓を叩き割っている。足場は四十センチもない。転落したら即死だろう。

 

 命がけでたたかっている同志に、オレも負けてられないなっ! 突入した同志が、管制室を破壊する時間をかせぐんだ。

「いくぞーっ! 突入!!」 

 ガソリン満載トラックが、ばく進する。

 制服警官の悲鳴のような声が聞こえる。 

「うわーっ。また来たぞー!」 

 へへへ⋯⋯何度でも来てやるぜっ!

 憎ったらしい機動隊車両やパトカーに火炎ビンを投げつけ、炎上させてやった。ビンが割れた瞬間、火球が上がって燃え上がる。

 

 パリーン! ボァン! ボアアアア⋯⋯

 

 パン! パン! パンッ!

 

 爆竹がはぜるような音がする。???

 制服警官がピストルを抜き、発砲している。なんだ? オレが、撃たれてんのか? へえええ。射線を向けて頭を狙ってやがる。はっ、そんな腰の入らないヘロヘロ弾なんかにゃ当たらねえよ。

 なんだか腹が立ったので、お返しに火炎ビンを投げつけてやる。


 パリン! ボァン! 

  

 制服に火がついた警官が、転げ回っている。

「ひいいっ!」

「消火器! 消火器っ! どこだっ!」

 

 パン! パン! パン! パン! パン! パンッ!

 

 この先は、管制塔直下まで機動隊はいない。ならここだ。機動隊の進入路を大炎上させてやる。

「トラック止めろーっ。火をつけるぞ」

  

 パン! パン! パンッ!

 

 ドラム缶をひっくり返し、路上にぶちまけたガソリンに点火すれば任務完了だ。キレーに焼きはらってやるぜぇ。⋯⋯まぁ、逃げ場は無いから、オレも半殺しにされて逮捕だろうな。

 うーーーーーっ⋯⋯重いな⋯⋯あと⋯⋯すこし⋯⋯⋯。

 ドラム缶と格闘していると金属音が響いた。

 

 カィィィーン ボボボボ⋯⋯⋯⋯⋯

 

 んん?

 ドラム缶に小穴があいて⋯⋯⋯⋯火を噴いてる! ピストル弾が当たったのか!

 次の瞬間、ドラム缶が爆発・炎上し、オレは火だるまになった。

 

 ──────────────────

 

 気がつくと、静かな花畑に立っていた。これが話に聞くあの世の花畑か⋯⋯。

 ついさっきまで火炎につつまれて転がり回っていたのに? 少しガッカリして、「これは唯物論的な状態ではないぞ⋯⋯」なんて考えていた。気がつくと花畑を抜け、河原に立っていた。三途の川なんて本当にあったのかよ⋯⋯。

 岩が転がっており、男が座っている。半跏思惟というのだろう。腰掛けた姿勢で左足を下ろし、右足を上げて左膝に置いている。そいつが顔を上げてオレを見た。?!?! 知った顔だ!

「おい。弥勒じゃんかよ。おまえも死んだのかぁ? 大丈夫か?」

 三年ほど前に予備校で知り合った弥勒五十六(みろくいそろく)である。二浪して東京大学のインド哲学科なんていう浮き世ばなれしたところを目指していた。年は二つ離れていたが、徹夜で酒を飲みながら、討論に興じたものだ。オレは、東大をスベって東北の田舎大学に進んだが、弥勒は見事!三度目の正直で印哲(ひどく難しいらしい)に合格した。空港反対闘争に熱中していたこともあって疎遠になっていたのだが、弥勒はインドに旅に出たとか風の便りで聞いた。

「よう、嶺風。ちょっと手伝ってくれ」

 あいかわらず端的にものを言う男だ。

「死人には、手伝いはできない。へへ⋯⋯」

「たしかに、新東 嶺風という男は死んだ」(オレの名は『しんどう れふ』という)

 やっぱりオレは死んだのか。

「だが、異世界で革命や面白い仕事ができるぞ」

 ?

「おまえ、なにやってんの?」

「インドの山奥で、修行して、解脱した」

 なにやってんだ!

「解脱して、菩薩になった」

 菩薩とは、如来になろうと思えばなれるけど、人びとを救うためにあえて人界に残り修行している仏様の候補生だ。

「オレは、弥勒菩薩だ」

 へええっ?

「五六億七千万年後に現れて、全ての衆生を救うんだっけ? おいおい、こんな所でずーっと五六億年も人を救う方法を考えてるのか? 革命の方がいいぞ」

「正しくは、五億七千六百万年だけどな。経典を翻訳した坊さんが書き間違えたんだ。ガハハハ!」

 弥勒は難しい顔になった。

「⋯⋯全人類を救うことは、困難を極める」

 そりゃそうだ。

「いくら思索を巡らしても、思考が発展しない」

 そうだろうなぁ。

「そこで、新東 嶺風くんに手助けしてもらいたい」

 菩薩の手伝い? オレは、革命的左翼でトロツキストで唯物論者なんだぜ。

 元の世界には、戻れないそうな。まあ、もう死んでるしな。政府や運輸省や空港公団や機動隊や⋯⋯ブルジョワ社会は、あらゆるものが忌々しいから異世界ってのは、ちょうどいい!

 弥勒の受け売りだが、全ての人は、四つの大きな苦しみを抱えている。『生苦』『老苦』『病苦』『死苦』の四苦だ。弥勒に言わせると、『生苦』『老苦』『死苦』の三つは、人であるからには消しようがない。鉱物のようなものに変えないかぎり不老不死にはできない。でも、人を石や鉄のたぐいに変えたら、人ではなくなってしまう。

 しかし『病苦』は、神通力で取り除くことができる、と弥勒は言った。四苦のうち『病苦』のない世界。それを実現するため、オレをその異世界に派遣したいという。四苦から三苦になった異世界を観察して、衆生済度の参考にしたいんだとさ。

 まぁ、派遣される場所によるよな~。労働条件をきいてみた。

 セレンティアという異世界で、地球に似た場所だ。しかし、海が多く陸地面積は地球の四分の一程度。気候は温暖。総人口は一億数千万人。文明の水準は、おおむね中世末期を抜けて近世初期にさしかかったくらい。だいたい三百年前のヨーロッパの発展段階だとか。国同士の小さな紛争のたぐいはあっても、大きな戦争は百年以上無かった。魔法や魔術のたぐいは「ほぼ無い」そうな。

 宗教は、国によって多少の違いはあるが、『女神セレン』を祀る一神教で、大層な戒律や教義はない。多神教ではなく女神の一神教が発展したのは、五十年に一度くらいの頻度で女神セレンが顕現しているからだ。女神を顕現させているのは⋯⋯弥勒だろうな。

「なんで女のカミサマなんだ? 近世初期なのに母系制社会なのか? エンゲルスは、生産力の増大に伴って富の蓄積が可能になると相続制度が生じ父系制社会に⋯⋯」

「いやいや。可愛い女の子の神様の方が、喜んで信仰してくれるかと思ってさ。見てみろって。オレの芸術だっ!」

 金の粒を混ぜた美しい銀の光球が現れ、人型になった。空中に浮かんでいるその少女は、古代ローマ風の白い衣をまとい、輝く金髪で空のような青い目をしている。華奢な細身体型で、十六歳くらいに見えた。

「大層な美人だな。だーけーどー、白人コンプレックスみたいなのが、気にくわないな」

 大層な美人どころか、完璧な美少女である。しかしっ、金髪碧眼を無条件に美しいと感じる自分の内面を意識させられ、癪にさわる。

「そう言うなよ。セレンティア人の『女神セレン』のイメージを具現化させて、すこーしオレの好みを加えたらこうなった」

「神って、人間の内面を理想化し外界に投影したもんだろ? 女神は、普通は豊饒の象徴だよな? なら、もっとこう豊満な体型じゃないのか?」

「オレの好みは、スレンダー美少女なんだよ。はっはっはっ! それでだ。嶺風には、女神セレンの中に入ってもらいたい」

「中に入れって⋯⋯うぅっ⋯⋯女かぁ。なじめないなぁ」

「心配ご無用! 女神セレンのカラダは、素粒子やらエネルギーやらを集めて固定したものだから、生物ですらない。ウンチやオシッコもしないし、二十四時間ずっと働けるし、酸素すら無くて大丈夫っ!」

「うーん⋯⋯。それで、女神はなにができる?」

「一番は、病気の癒しだな。一度に二千人くらいだったら『女神の光』を浴びせれば、たちどころに治る」

「へえ、拝みババアを高級にしたようなもんか?」 

「本当に治るからな。インチキ拝み屋と違うぞ。ペストや癌だってたちどころに治る。ちぎれた腕も生えてくる。知恵遅れは知恵が進むし、精神病も治る。死んですぐなら、死人を生き返らせることすらできる! それに、空を飛ぶこともできる。神々しさを演出するオーラが出てるし、発光することも可能だ」

 この女神力を使って、セレンティアから病気や怪我をなくし、病苦が原因の悲惨を取り除けってわけだ。でもよぉ⋯⋯。

「鉄パイプ⋯⋯火炎ビン⋯⋯。武器はないのか?」

「武器? なぜだ??」

「無力な者は蔑まれ、誰もいうことをきかないね」

 弥勒は、少々考えた。

「救済に強制力を使いたくないんだよ。自立した人間が病苦から解放され、いかにして他苦に立ち向かうか?」

 女神セレンに入って異世界に降臨し、ひたすら病気を治すのがオレの任務か⋯⋯? 闘争の方が、いいんだがな~。 

「女神セレンの顕現は、いろんな奇跡で宣伝してある。ほら、大衆が待ってるぞっ!」

「まあ、やってみるか⋯⋯。最後に教えろ。なんでオレを選んだ?」

「おまえは、オレが知っている人間の中で、最も純粋で正直で正義感が強い男だったからさ」


 !

 そうかなぁ?

「まぁ、やってみる。でもな、世界を変えるのはきっと暴力だ」

 

 ──────────────────

 

 イタロ王国、聖都ルーマ。この地を中心に、数カ月前から女神の奇跡が頻発しはじめた。

 女神神殿の壁に、女神セレン降臨を予言する文字が浮き上がる。

 工事現場で掘り出した岩の模様が、女神セレン降臨を予言する言葉だった。

 いつの間にか子どもに流行っているわらべ歌が、女神降臨の予言歌みたいだったり⋯⋯。

 こんな現象が続けざまに数十件も起きたのだからイタロ王国国民は、ほぼ全員が女神降臨が間近いと信じた。網にかかった魚の腹に降臨の日付と場所まで具体的に書いてあるのだから、これでは信じない方がどうかしている。

 その日は、三月二六日だった。場所は、四万人を収容できる円形闘技場だ。もちろんその日は超満員になった。国王すら臨席している。

 普段は見世物でライオンとトラを戦わせたり、死闘こそ禁じられていたものの奴隷剣闘士が動けなくなるまで戦うなど、神殿や敬虔な信者からは不浄な場所として忌避されている場所だ。しかし、たしかに聖都ルーマで最も人が入る所ではある。

 

 その時がくると、闘技場の真ん中、三十メートルほどの高さの空間に輝かしい銀と金の光の塊が現れた。群衆が静まりかえる。光の球は人の形となり、次の瞬間、空中に女神が顕現した。不思議なことに、遠くの者にも女神の顔がハッキリと見えた。その姿は、彼らのイメージする『女神』そのもので、美の化身のようだ。

 金の粒をちりばめ白銀色に輝く航跡を残し、古代ローマ風の白い衣をたなびかせ、女神は闘技場に舞い降りた。国王を含めほとんど全ての者が、女神に平伏していた。全員の頭に女神の神秘の声が直接響いた。


「私は、女神セレンです」

 

 最後に女神セレン様が降臨されたのは、五十年以上前に外国だったはず。まさか生きているうちに、この目でお姿を拝し御言葉を聴くことができようとは⋯⋯。感激と畏怖のあまり多くの者がふるえている。なかには泣いている者までいる。


「全ての病者と傷者を癒やすため、私は顕現しました」


 なんとっ! なんとありがたいことだ!

 女神セレンが腕を伸ばし天を指さすと、銀と金の光の球がその指先に現れ、急速に脹らみ闘技場を覆い尽くしていった。その間、水を打ったような静けさであったが、しばらくして爆発的な叫び声が闘技場を覆った。そこにいる全員の病気が治り、古い傷さえ消えたのだ。子供時代に失った片足がみるみるうちに生えてきた者は、仰天して気絶したようになってしまった。奇跡を体験した四万人の中で、女神セレンの神力を疑う者は、一人もいない。

 騒ぎがおさまるまで十分以上はかかっただろうか。再び女神セレンの声が頭に響いた。

「女神は、血を好みません。闘技場を廃し、この場所に癒しの神殿を建てなさい」

 群衆の中にいた何人かの建築家の脳に、『女神セレン神殿聖本堂』の設計図が焼きつけられた。

 再び女神セレンが、空中に上がっていった。白銀色の光跡を残しはるか高みまで登るにしたがい輝きを増し、最後に銀と金の光に包まれて消えた。

 

 国王直々の命令が下った。その日の内に軍隊が派遣され、闘技場を取り壊し始めた。奇跡を目のあたりにしてその場から動けなくなった群衆も、そのまま手伝いを始めた。

 もう翌日には、女神セレン正教大神殿聖本堂の建設は、イタロ王国の国家事業となった。聖都ルーマどころか王国中から人びとが集まり、少しでも功徳を積ませていただきたいと「石の一個でも置かせてくれ」「土の一握りでも運ばせてくれ」と夜を徹して働いた。このセレンティアでは驚異的な早さ。わずか四週間で巨大な神殿を建ててしまった。

 二八日間もほとんど眠ることもせずに神殿建設に働いたバロバという元強盗犯が、女神セレンに指名され大神殿長に就任した。バロバは、不信心な男だった。ところが強盗の刑罰で切断された腕が『女神の光』で再生した奇跡を受けて、改心と回心を果たしたのだった。元は荒くれ盗賊団を率いていたような男なので、リーダーシップと組織力はたいしたものだった。

 女神セレンは、毎日二回この神殿に顕現し、昇天するまでの二年間で三百万以上の人びとを癒した。

そのあとを継ぐことになる『聖女マリア』は、奇跡の力で眠ることなく人びとを癒し続け、昇天するまでの一年間で三万以上の人びとを救った。


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女神聖典 聖コマルによる福音書 聖女マリア伝より

聖女マリアは、自らの心臓を指差して「ここを貫きなさい」と言われた。悪魔の入った者が、獣の叫び声をあげ、剣で聖女マリアの心臓を貫いた。他の黒い者たちも獣の叫び声をあげ、何回も聖女マリアを刺した。聖女マリアが昇天しないことを恐れた黒い者が、「悪魔よ、去れ」と叫んだ。何本もの剣に貫かれた聖女マリアは、天を仰ぎ「彼らは、自分がなにをしているか分からないのです」と言われた。恐怖にかられた黒い者は、悪魔の力を振るって聖女マリアの首を剣ではねた。

   

 ──────────────────


「痛ってー! 冗談じゃないよっ! めった刺しにされてブッ殺されるの、二度目だぞっ!」

 脇に立っていた弥勒が、沈痛な表情をしている。

「ああ、ダメだったな。ファルールは、また地獄だ⋯⋯」

「オレ、人助けしかしてないだろ? マリアは三万人くらい癒した。なんで串刺しのあげくに、首をすっ飛ばされるんだよっ! 意味ない人殺しを止めたら殺されるとか、フザケてんのかっ! 人間は変わらねぇなあっ!!」

 二度目ともなると、悟りすましていた弥勒も少しはあわてた。

「いや、嶺風。そう怒るな。聖女の死体は、崇められてたぞ? ほら、映像をみろよ。行列つくって拝んでる。泣いてる者もいるし~」

「エヘヘヘ」と笑う。菩薩らしくない野郎だ。

「マリアの死体を、見世物にしていやがるのかっ! あっ! 棺桶を立てて見やすくしてやがる。首が転がり落ちたらどうするっ! アタマくるな~。罰だっ! バチを当てろ。『女神の火』で、ルーマを焼き払えっ!」

「まあまあまあ。マリアの体は回収したよ。頭と胴体はくっつけといた。罰は、再び『ファルールの地獄』だ⋯⋯。人間がここまで度し難いとはな⋯⋯」

「棺桶なんか拝んでやがる。物神崇拝かっ! 勝手に苦しんでりゃいいっ。あんな馬鹿どもは、もうオレは知らん!」

「そう言わずに、もう一度たのむよ~」

「おまえなぁああぁぁ⋯⋯。剣で頭をすっ飛ばされた時に、どんな気持ちになるか分かるか? 気が狂いそうになるほど痛えんだぞ」

「聖女マリア殺害から二十年経って、少しは人類は反省してるんだって。聖女マリア信仰も流行してるしなぁ」

 えぇっ! 二十年? 聖女マリアとして死んでから、二十年も経っているのか? 一瞬で戻ってきたように感じたが⋯⋯。

「いま観ているのは、二十年前の映像だ。新東 嶺風の精神体を二十年かけて修復したんだ」

 西洋では、肉体は魂の容れ物という宗教や哲学が主流だが、仏教では、肉体と精神は分かちがたく結びついていると考える、⋯⋯と弥勒が言ってた。

「これを色心不二という」

 聖女マリアの肉体がズタズタにされたから、入ってたオレの精神もズタズタに傷ついたんだな。それで二十年もかけて修復したのかぁ。うーん。責任感あるじゃん。

「でもよ~。一年間ほとんど寝もしないで、毎日二十四時間寝食を忘れて病気治ししたり、チョン切れた脚を生やすまでしても、聖女を拒否して殺しにくるんだぜ。病気や怪我を治しても、殺し合いを始めるし。レミングみたいだ。衆生済度なんて、無理だな」

「あぁ。もう病気治しはやめだ。生きている間だけでも、それなりに豊かで平和に暮らせるように社会を変革する。路線変更だ。社会改革のためには、ある程度の強制力の行使は、やむを得ない」

 菩薩っぽくない台詞だが、それだよ。ソレっ! 異議なしっ!

「革命的マルクス主義っぽいな。待ってたぜ。暴力こそ社会を変革する原動力だ⋯⋯」

「今度は、男として降りてもらう。セレンティアにも男女差別があるからな。男の方が仕事をしやすかろう。権力者との繋がりの手筈も整える」

「オレの任務は?」

「自由だ。好きに動けばいい。でも、今回は超能力のたぐいは無い。もともと持ってる現代知識。ちょっとした傷が治る程度の『女神の光』。他人が考えがなんとなく分かる力くらいは、渡しておくよ」

「暴力は? 実力闘争や武装闘争は?」

 顔色も変えず弥勒菩薩は言った。

「自由にしろ。それで三度目の『ファルールの地獄』を防ぎ、セレンティアが良くなると思うなら、殺しでもなんでも好きにすれば良い。おまえは、もう二回もテロられてるしな」

 モリモリとやる気が出てきたぞ! マルクス・レーニン・トロツキー主義の旗の下、セレンティアで世界革命を完遂し、真の共産主義社会を実現するのだ! ひょう!

「まてまて。このままじゃあ確実におまえは、また死ぬ。性格にちょっと加えさせてもらうぞ。『冷酷』『残忍』『狡猾』それに『偽善』をくっつけとくからな」

「まてい! おいおい、オレの性格を変えるなよな。『冷酷』『残忍』『狡猾』『偽善』ってなんだよ? 相当ワルいぞ!」

「今度の路線では、これがないとすぐに殺されちまうよ。くっつけるだけで性格自体を変形させるわけではない。戻ってきたら外すからよ」

 この菩薩、マキャベリストになっていやがる。

 現世より三百年も遅れているセレンティアでは、権力の持つ『暴力を伴う強制力』がいっそう露骨なのかもしれない。法治国家とか称していた⋯笑わせるよなぁ⋯日本ですら、戦闘的な組合活動をしたり空港反対闘争や原発反対運動とかで権力に歯向かったら、当たり前のように殺されたり殴られたり投獄されたりしていた⋯⋯。

 

 ──────────────────


 マルクス男爵家では、熱病で死んでからもう三日たった三男、レオンの葬式の準備をはじめていた。少年時代はヤンチャな暴れ者だったのに、二六歳の早死にだった。

 家族と使用人が、棺を置いた大部屋に集まっていた。葬儀の際に特有の湿った静かな雰囲気の中で、花を捧げ、人を迎え、女神セレン様に祈り、明日は埋葬する。

 異変に気づいたのは、末の妹だった。長い台に置かれた棺を見つめ、大きく目を見開いた。中でゴソゴソと音がしたのだ。やがてゆっくりと棺の蓋が持ち上がり、「ゴン!」と音を立てて床に落ちた。その場の全員が腰を抜かし、四つん這いで逃げようとする者など、大騒ぎになった。

「キャーッ!」「ヒィーッ!」「うわーっ!」

 ドンガラガッシャーン!

 間違いなく死んだはずの『レオン』が、棺から起き上がって言った。

「やれやれ⋯⋯。こんなとこで死んでたのか⋯⋯。女神に会ってきたよ」

 驚愕から我に返った家族は、泣いたり笑ったりしてレオンに近づいたが、生き返った本人であるレオン本人は、やけに醒めている。

 呼ばれてきた医者も、口もきけないほど驚いていた。一度死んだレオン・ド・マルクスは、完全な健康体となって生き返ったのだ。

 死ぬ前のレオンは、主家筋にあたるランゲル侯爵領で騎士をしていた。がっちりした体格で肩幅と胸板があり、身長は一七七センチ、この国の男性としては平均より少し高い。黒髪で黒眼。好みは分かれるだろうが、なかなかに『いい男』であるとは言えそうだ。動物で例えれば、ちょっと熊に似ていて無精ひげが似合うタイプだ。新東嶺風に、容貌がかなり似ている。

 三日も死んでいたのだ。しばらくはおとなしく寝ているかと思ったら、ガバと起き上がったレオンは、突拍子もないことを言いだし、再び家族を唖然とさせた。

「せっかく生き返ったんだから~、聖地巡礼の旅に出る! 遺産はいらないから、オレは死んだと思って旅費を少しいただきたい⋯⋯。いやいや、カネを下さい。二度とねだりませんから。父上」

 相続放棄がどうとかいう書類に散々サインをして二百万ニーゼのカネを受け取り、数日後にはもう旅支度ができた。死んだショックで、少しおかしくなったと思われていた節があったが~。まぁ、すぐに旅に出られるのは、ありがたかった。死ぬ前は、領主領の騎士団所属だったので、たまに遠征をすることもあった。それなりに装備は整っていたので、すぐに旅装ができた。

 ちなみに一ニーゼは、現代日本の感覚で、一円といったとこだ。二百万ニーゼ = 二百万円が尽きるまで、バックパック旅行をしてセレンティアを見てまわる計画だ。日本でもリュックサックを担いだ貧乏アジア旅行が流行っていたっけなぁ。



 セレンティアの武装は、でっかい太刀の一本差しが普通だ。だがオレは、細剣と日本刀みたいな脇差しの二本差しにした。この世界では、かなり珍しい格好だろう。

 転生前は、小学校から高校卒業まで剣道をやっていたので、オレには細くて軽い細剣の方がはるかに扱いやすい。

 生き返ったマルクス男爵家は、フランセワ王国の端の侯爵領主領にあった。国境に近く、イタロ王国の聖都ルーマにも近い。街道を歩けば八日。間道の山道を通れば六日でルーマに到着する。もちろんオレは、山道六日コースをとった。

 山道とはいっても山中を歩くのは二日くらいで、道も場所によっては馬車がすれ違えるほどの幅がある。旅人が一日歩く距離の間隔ごとにちょっとした宿が建っており、泊まって食事もとれる。しかし、街道の宿場町の方が設備が整っていて遊び場もある。それにセレンティアは、平地が多くて山が少ないので、ちょっとした登りでも嫌がる人が多い。

 旅も三日目。夕方の薄暗くなった頃に、今度の旅で一番の山奥に位置する宿屋に着いた。馬車が通行できる道が目の前にあるのだから、実際には山奥というほどでもない。木造二階建てのなかなか立派な建物だ。十部屋以上はある。

 オレは、泊まる部屋の位置をいつも決めている。

「二階の角部屋にしてくれ。晩メシはもらうよ」

 権力や内ゲバ党派の襲撃を警戒して、下宿はいつも二階の角部屋だった。その癖が抜けないのだ。ドロボーが入りにくい部屋なので、それはそれでよいのだろう。明日は山を下って国境を越え、イタロ王国に入る。


 ゴロゴロしていると、宿屋の前にえらく高級そうな馬車が止まった。なにやらただならぬ騒ぎぶりである。剣を腰ベルトに差して降りてみた。十数人が集っていた。

「おう、どいてくれや」

 えらく高級な馬車に、なん筋も太刀傷がついている。こりゃあ、野盗のたぐいに襲われたな。馭者は⋯⋯斬られて死んでらぁ。宿屋にたどり着いて、安心して力尽きたか⋯⋯。

 高級馬車から女が降りるのを誰かが手伝っている。へぇ? こんな所に貴族娘と侍女だぜ。「ひ、姫さまっ」とか言って、侍女の方が貴族娘にすがりついてふるえている。おいおい、普通は逆だろ?

 真っ青になってガタガタふるえているけど、二人とも美人だ。二十歳くらいか? 特に『姫さま』の方は、「女神セレン様のように美しい」という、この世界の最上級のほめ言葉を使っても嫌みになるまい。金髪で青緑の眼のシュッとした美人だ。貴族でなくても顔でメシが食える水準だなあ。

 馬車から降りると、二人とも地面にへたり込んでしまった。この場で武装している者は、オレしかいない。出番だろう。

「おまえら。女を宿に運んでやれ!」

 数人がかりで女を担いで運び込む。同時にかすかな蹄の音が聞こえてきた。

 ⋯⋯⋯⋯馬が、二頭か⋯⋯。

「聞けっ! 野盗の追っ手が来た。すぐここに着く。殺されるぞ。隠れてろ!」

「ひいっ!」

「うわぁ!」

 野次馬の連中が、悲鳴を上げて転がるように宿屋に逃げ込んだ。オレは、細剣を抜き高級馬車の中に入る。すぐ前の席で、血だらけの馭者が死んでいる。オレは、突きの姿勢で剣を構え、後部座席の隙間に潜りこんだ。

 すぐに騎馬の野盗どもが来た。⋯⋯やはり二人だ。二人とも馬車の近くで馬から降りてくれた。一方が残って逃げられたら面倒だからな。

「こんなとこまで逃げてやがったぜ」

「おう、馬車を調べるぞ」

 扉を開けて座席をのぞき込んだ野盗の喉を、思い切って剣で突いてやった。

 ヒョ───ッ という音をたて血を噴き出しながらあお向けにぶっ倒れる野盗。すぐに馬車から飛び出すと、もう一人の野盗が仰天して固まっている。戦おうともせずに背を向け、乗ってきた馬の方へ逃げようとした。追いかけて、剣で太腿を払う。転倒した野盗は、なにやら命乞いを始めたが、逆手にした剣を下ろし背中から心臓を貫いた。即死だろう。

「おう。野盗どもは始末したぞ。出てきな」

 宿屋の連中が、おそるおそる出てくる。

「ちょっと忙しいぞ。死体を隠してくれ」

 野盗が乗ってきた馬の尻をちょっと剣で突いてやって、この先に走らせる。高級馬車も、ここに置かれると野盗どもの目印になってしまう。高級馬の尻を突っついて、こちらも先に行ってもらう。馭者の死体を降ろす時間は、無いな。宿の連中が数人がかりで野盗どもの死体を、道路脇の藪に放り込んでくれた。

「よしよし⋯⋯。いいか、よく聞け! この野盗どもは斥候だ。すぐに本隊が来る。死にたくなければ、逃げろ!」

 すぐにバラバラと宿屋から人が飛び出してきた。

「ほっ、本当ですかっ?」 

 本当だよ。

「いいい、いつ来るんです?」

 そんなこと知るかよ。

「道沿いに逃げたら駄目だ。すぐ追いつかれて殺される。脇の藪に入って逃げろ。逃げられるだけ逃げて動けなくなったら、その場で隠れてろ。すぐに夜だ。真っ暗になる。朝まで隠れていれば助かる」

 藪に入ったら枝やトゲのたぐいで傷だらけになるだろうが、殺されるよりはマシだ。そうだ、忠告しておこう。

「いいか。下に逃げるなよ。山の上に向かって逃げろ」

 キューバ革命の英雄、カストロとゲバラのような山岳ゲリラの真似をして、かなり登山をしていたのが役に立つ。登山で道から外れて迷った時には、下ったらいけない。山は下に扇型に広がっているから、ますます迷う。沢にでも迷い込んだら命が危ない。逆に上に登ったら、いずれ見晴らしの良い尾根に出るので自分の居所が分かる。


「すぐ野盗が来るぞ。急げっ!」

 十数人の宿泊客や従業員が、脱兎のごとく藪に飛び込んで逃げていった。あの勢いなら猟犬にでも追い立てられなければ、捕まらないんじゃないかな。かなり暗くなってきたし、たぶん助かるだろう。

 こんな所で野盗と斬り合うつもりは無い。オレも荷物を持って早くずらかろう。急いで宿屋らしいデカい玄関に入ると、「ひいっ!」という女の声が聞こえる。

「なんだ?」

 玄関から五メートルばかり廊下が続き、突き当たりに食堂の入り口がある⋯⋯。食堂の隅で、超美人の姫サマと美人侍女ちゃんが抱き合ってふるえていた。

「バカっ! なにやってんだ。殺されるぞっ! 早く逃げろ!」

「ひひ姫さま、お逃げくださささささ⋯⋯。ああああ、あし⋯⋯足が動かなくって⋯⋯」

 侍女ちゃんの方の腰が抜けたか~。普通は姫サマが足手まといになるもんじゃないのかなぁ?

 あ、かすかだが馬のヒズメの音だ。野盗がきた。

 オレだけ逃げれば逃げられるが、女を見捨てるのは、⋯⋯ちっ! したくねえな。仕方ない。殺るか。

 かなり大きな宿屋の食堂だ。二十人は入れる。見ると奥に裏口がある。裏庭に出られそうだ。外は月がでており、もう夜だ。

 まず、厨房に駆け込んだ。包丁のたぐいが五本ばかり立ててある。こいつらを持ち出して、食堂の入口と裏口の壁にぶっ刺して突き立てる。残りの包丁は、さりげなくテーブルの上に置いておくか⋯⋯。

 あとは女だ。侍女ちゃんは⋯⋯腰を抜かしていて役に立たねぇな。姫サマの方に包丁を突き出す。

「ほら、受け取りな。こんなモノしかなくて悪いな。すぐ裏口から逃げろ。もし野盗どもに捕まったら⋯⋯」

「これで戦うのですね!」

 この姫サマ、おそろしく気が強いな!

「バカっ! 強姦されるか、これで自殺するか。自分で決めるんだ」

「ううっ⋯⋯⋯⋯」

「ためらうと、かえって痛いぞ。自殺するなら思い切っていけよ」

 包丁をマジマジと見つめる姫サマ。

「王族が、こんな物で⋯⋯」

 しかし、決意の表情だ。その時がきたら、きっと自殺を選ぶだろう。

「でもな。たぶんオレは勝つ。早まるなよ!」

 包丁を握らせ、そのまま腰の立たない侍女を引きずって裏口から外に放り出した。それと同時に宿屋の目の前に野盗どもが来た。

「馬車がねぇな。先に逃げたのか」

「馬で追いかけた野郎どもが、戻ってこねぇ。おい、おめえらも様子を見てこい」

 馬が駆けていく音がする。野盗が通り過ぎてくれれば、姫サマたちは命拾いできるのだが⋯⋯。

 オレの方は、大忙しだ。天井から火のついたランプが二つぶら下がっていた。外してひとつは食堂の入り口近くに、もうひとつは裏口近くの物陰に隠した。

 ちょっと探すと厨房に置いてある大瓶に、ランプ用の油が入っていた。玄関に運んで、油をブチまける。蹴って瓶を転がらせて廊下の半分くらいまで油浸しにしてやった。

 開けた場所で敵に囲まれたら、簡単に殺されてしまう。勝機があるとしたら、狭くて天井が低く大刀を振れない廊下だろう。窓が小さいので月明かりが入らず、暗くてゲリラ戦に都合がよい。

 細剣と太目で短い脇差しを抜き、脇差しは食堂の入口に突き立てておく。外は夜といっても月があって明るい。廊下は真っ暗だ。その場に座り込んで、暗さに目を慣らす。

 どうやら野盗どもは、通りすぎてくれそうな気配だったのだが⋯⋯。

「待ってくだせえ。これ、血じゃないすか?」

 さっきぶっ殺してやった野盗の血か。

「⋯⋯人の血だな。宿屋を調べるぞ」

 ちっ! 来やがるか! 戦闘開始だな。

 野盗どもに、玄関と裏口の二手に分かれて来られたら、まず助からなかった。そこまで知恵の回る山賊はいない。

「うわっ! ⋯⋯油だぁ。すべりますぜ」

「気をつけろよ」

 野盗が転んだ音がする。待ち伏せに気づかない。わざわざ死ににくるとは、バカな野郎どもだ⋯⋯。

 先頭の野盗が薄く見えてきた。ろっ骨の間を通るように剣を水平にして、屈んだ姿勢から心臓を狙って思い切って突いてやった。このやり方は、寄せ場労働運動で暴力団とたたかっていた日雇い組合の人に教えてもらった。闘争で逮捕歴のあるオレを雇うブルジョワ企業はない。いずれ大学もクビになるだろう。権力とたたかうというのは、そういうことだ。日雇い労働者になるのは、選択肢のひとつだった。

 心臓を貫かれた野盗は、仰向けになってひっくり返った。ジタバタしながら転がっている。間髪入れずその横で棒立ちになっている野盗の喉を突き、さらに横に薙いでやった。ヒュ────ッ と笛を鳴らしたような血が吹きだす音をたて、ぶっ倒れる。血の滴が飛んできた。

「だれか、いやがる!」

「気をつけろ!」

 皮兜をした野盗がデッカい太刀を振り上げるが、剣が天井にぶつかり振り下ろせない。丸見えの手首を薙いでやった。細剣なので切断は出来ないが、両手首から凄まじい勢いで血が吹き出してきた。背中を向け這って逃げようとしたので、両脚が露わになる。足を殺すために太股を突いた。

 少しは実戦経験のあるような野盗が、太刀で突いてくる。手甲をしていやがるので、小手を狙えない。だが、粗悪品だ。覆っているのは上だけ。突きをしのいで、手首を下から斬り上げた。刃が手甲に当たった感触があったが、手首をかなり傷つけることができた。太刀を落として倒れたので、首筋に刃を当てて頸動脈を切断するように削いだ。

この狭い廊下では、野盗どもは突き技しか使えない。とはいえ、このまま突きでやり合っても、いずれは突き殺される。人数が多い野盗どもの方が有利だ。食堂入り口まで後退し、細剣を食堂に放り込み、立てておいた脇差しに持ち替える。細剣より短いし太いから、廊下でも思いきり振れる。

 滑りながら油浸しの廊下を抜けた野盗が、太刀を腰に構えて体当たりするように突っ込んできた。

 ガイン!

 火花が散る。細剣だったらヘシ折られていたが⋯⋯。いなして隙だらけになった胴を、斜めに叩き斬った。

 訓練を受けたことのある野盗がいた。体勢を整え狭い廊下で二人が並んで太刀で突いてくる。これは厄介だ。ひとりを斬っても、残ったもう一方に突かれる。せっかくの脇差しだが、投げ槍のように投げつけてやった。一方の土手っ腹に突き刺さり、倒れてジタバタともがく。

 後ろの野盗が、なにかわめきながら突っ込もうとして、油ですべって転んだ。廊下の戦闘は、ここまでだ。食堂に撤退する。すかさず床に置いていたランプを拾った。勢いをつけて、

「ほーれ。火炎ビンだ。受けとりな!」

 火のついたランプを廊下に投げ込んでやった。

 パリーン! ボアン! メラメラメラ~ゴオオォォ~!

 懐かしい音だなぁ。

「ギャアアアアアアアアア!」

「ギェアアアアアアアアア!」

「グエアアアアアアアアア!」

 複数の悲鳴がひびく。乱戦で、野盗どもにとどめを刺す余裕はなかった。まだ息があるやつがいたなあ。

 さっき食堂に放り込んだ細剣を拾う。血脂でベトベトだ。

 火だるまになった野盗が二人、食堂に飛び込んできた。もう戦闘力は無いだろうが、入口で待ち伏せて二人とも斬ってやった。死ぬために逃げ込んできたようなものだ。

 ドガラン! ガシャーン!!

 ものすごい音がして壁がぶち破られた。戦装束の皮兜・手甲・皮鎧をつけた大男が、破った壁から入ってきた。バカでかい大刀を持っている。装備からみて、コイツが頭目だろう。

 待ち伏せされているのを察知して、壁を破壊して侵入してきた。体格だけのやつではないようだ。それなりに頭が切れるのだろう。服の一部には小さく火がついており、かなりの火傷を負っている。しかし、まだやる気だ。

 細剣では、鎧や兜を斬ることはできない。防具の隙間を狙うしかない。だが、そんな悠長なことをしていたら、脳天に太刀を叩き込まれる。受けても剣を折られるか弾き飛ばされる。なにより、十人も斬ったせいで、もう疲労が限界にきている。立っているだけで膝が笑う水準だ。⋯⋯圧倒的に不利だな。

 斬り合ったら圧倒的に不利なら、斬り合わなければよい。厨房から持ち出してテーブルに置いていた出刃包丁を、顔面に投げつけた。

 ガイーン!

 太刀で弾かれる。おら、もう一本!

 ガイィーン!

 また弾かれた。だったら⋯⋯。

「火炎ビンでも食らいなっ!」

 裏口近くに隠していたランプを、顔面に投げつけてやった。普通ならば避けるだろう。だが、今さっき出刃包丁を弾いた意識が残っている。頭目は、太刀でランプを受けた。ランプが割れ、火のついた油を頭からかぶる。

 人間タイマツになって頭目がひるんだ隙に、細剣で太股を突いてやった。これもヤクザとたたかっていた寄せ場労働運動の活動家にきいた。太股は、神経や血管が入り組んだ人体の急所らしい。なにより敵の足が動かなくなる。

 頭から火をかぶり太股を突かれても、頭目は太刀を離さない⋯⋯。こんな野郎の近くに寄ったら危険だ。あの世の道連れにされる。

 疲労しすぎで力を入れると目の前が黒くなった。どうにか力を振り絞り、でっかいテーブルを持ち上げて、頭目の頭にぶん投げた。

ガンンン! グシュ!

 この頭目野郎は、もう這いずることもできないだろう。こいつは、このまま焼け死ぬ。

 廊下から食堂に、火が吹きだしてきた。逃げないとオレも丸焼けになる。ヨレヨレの状態で裏口から裏庭に出ると、あぁぁぁ⋯⋯! なにやってんだ? 姫サマと侍女ちゃんが、裏出口の目の前でヘタリ込んでいる。⋯⋯逃げろよおお!

 火事で崩れた建物の下敷きになったら危険だ。剣を鞘に収め、二人の襟をつかみ、さささいごの力でえぇぇぇ⋯、裏庭の端まで引きずった。もうカンベンしてくれぇ! そこで力つきて座り込み、木に背をもたせ剣を抱いた姿勢のまま、なかば気絶してしまった。

 宿屋が、盛大に燃えている。


 気がつくと、まだ宿屋は勢いよく炎上している。のびていたのは、十数分程度か。

 裏庭といっても、藪を切り開いて物干しや薪やらの置き場にしているちょっとしたスペースだ。境界の塀や垣などはなく、歩けばそのまま山の中に入ってしまう。

 侍女ちゃんが、すがりついてきていた。どうした? 腰が抜けたのは、治ったのかな?

「ぞっ、賊です!」

 どれ? 馬のいななきと男どもの声がする。高級馬車を追いかけていった連中が、戻ってきやがったようだ。

「おい。派手に焼けてやがるぜ」

「オカシラは、どこへ行った?」 

 はっ! あの世に行ったよ!

「裏じゃねえのか。早く見つけねぇと、ぶっ飛ばされるぜ」

 ⋯⋯三人かぁ。やっかいだな。

 よっと、立ち上がる。いつの間にか切り傷を負っているし、身体の節々が痛むぞ。

「どどど、どこへ行かれるのです? ハアハアハアッハッハッハッハッ⋯⋯」

 侍女ちゃんは、過呼吸気味だ。

「オレは、隠れる」

「こ、ここにいて下さい」

 へへへ⋯⋯。殺されるためにかい? 冗談はやめてくれや。

「アリーヌ、お止めしてはなりません」

 姫サマの方が、聞き分けがいい。

「隠れ場所の方をジロジロ見てくれるなよ」

 抜き身の剣を持って、庭と藪の境に立っている木の裏に隠れる。すぐにドヤドヤと野盗どもが来た。

「よぅ、オンナだ」

「おう、いいオンナじゃねぇか」

「ヘヘヘヘヘ、まだ手を出すなよ。お頭に殺されちまうぞ」

 捕まえてなぶろうとでも考えたのだろう。野盗どもが女に飛びついた。もみ合ってる。貴族娘のくせに野盗三人相手に抵抗する度胸があるのは、たいしたもんだ。

「離しなさい! 無礼者っ!」

「いてぇっ! このアマ、光りモンを持ってやがる」

 姫サマが、さっきの包丁で切りつけたみたいだ。止せと言ったのに⋯⋯。殺されるぞ。

「キャアアアアアアアアア!」

「姫さまっ!」

 木の陰からうかがっていると、姫サマの顔面が血だらけだ。侍女ちゃんが、かばって覆いかぶさっている。さっきまで腰を抜かしてたのに、忠誠心が強い。主人と一緒に死ぬ気か?

 強姦しようと野盗どもが女に覆いかぶさった時に、背中から寄って殺るつもりだったんだが。このまんまじゃあ、今すぐ女たちが殺されちまいそうだ。

 そろっと木から離れ、ダンゴになってもみ合っている連中に近づいた。背中から肩甲骨の下あたりを狙い、思い切って剣で心臓を貫いてやった。「ギャッ!」と叫ぶと、血を吹きながら野盗が女の上でもがき回った。

 女を殺す気になっていたのだろう。すでに太刀を抜いていた野盗が、あわてて斬り返してきた。受けずに引く。二対一、かぁ⋯⋯。姫サマの包丁攻撃で、ひとりは結構な負傷をしているようだ。これならいけるか?

 負傷してない方の馬鹿な野盗が、馬鹿なことをした。血だらけの姫サマを楯にすると、首筋に太刀をあてる。侍女ちゃんが、野盗の足にむしゃぶりついて蹴り飛ばされ、吹っ飛んだ。きれいな顔をしてるのにやっぱり忠誠心が強い。

「この女の命が惜しければ⋯⋯」

「くっ、くくっ⋯⋯プッ!」

 おかしくって、嗤っちまったよー。

「な、なにがおかしいんだっ!」

 野盗のくせに、甘っちょろいよなあ。

「オレが剣を捨てたら、オレを殺して、その女も犯して殺すんだろ? だいたい、知らねえ女が死んだところで、オレは痛くもかゆくもなーい」

 いまさらペテンなヒューマニズムに引っかかるかってんだよ。せせら笑いながら真っ直ぐ剣を向け、躊躇せず前をつめる。女を楯にして隠れているつもりでも、体格が違う。急所が丸見えだ。腰のあたり。肝臓をやるか⋯⋯。

 女と串刺しにして殺すつもりだとでも思ったのだろう。野盗は、姫サマを投げつけてきた。姫サマには悪いが、抱きとめない。そんなことをしたら、二人重ねて殺される。飛んできた姫サマをよけて、女を投げて体勢が崩れた野盗の肘を斬った。返す刀で喉を切り裂いて、とどめを刺す。見ると姫サマは地面に転がっている。打ち身で死ぬことはあるまい。

 おっと。最後のひとりは、どこへ行った? 姫サマに切られた怪我をかばいながら、背中を向けてヨタヨタと逃げていく。また仲間を連れてこられたら面倒だ。地面に落ちていた姫サマの包丁を拾って、背中にブン投げた。真っ直ぐキレイに突き刺さり、その場に倒れる。でもまだ、致命傷を与えたかは分からない。うつ伏せに倒れている足の方から近づき、ふくらはぎを突いてみた。「ギャッ!」。悲鳴をあげ太刀を振り回し悪あがきしてきた。手首を叩き斬って太刀を落とし、目を突いた。剣先は、脳まで達しただろう。

 十四人も斬り殺したら、もう体力の限界を超えている。死体の横でひっくり返り、オレはそのまま意識を失った。

 ぶっ倒れていたら、誰かにどこかに運ばれた。くたくたのモーロー状態なので、そのままどこかに転がって寝た。



 野盗どもの死骸が転がっている丸焼け宿の現場にフランセワ王国の騎馬隊が到着したのは、昼過ぎだった。切り捨てられた死体に囲まれて、血を浴びた男が大の字になって寝ていた。

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 (緊急)状況報告 ラヴィラント王宮親衛隊騎馬隊隊長

 少数の護衛のみで聖都ルーマ巡礼に発たれたジュスティーヌ王女殿下を心配された国王陛下の命により、ラヴィラント伯爵指揮の王宮親衛隊騎馬隊十五名が急遽出動した。

 部隊が急行したところ、二日後の早朝、ルリア山道にて王女殿下御乗用の王室馬車を発見。車中に馭者の斬殺体を確認した。騎馬隊は戦闘体勢をとって前進。途中、十数人の野盗の群れと遭遇。戦闘となり、数名の負傷者を出すも撃退した。追撃はせず王女殿下の保護に全力を挙げる。

 十時に、王女殿下が前日に御宿泊予定であった『山みち宿』に到達。その全焼を確認した。付近を捜索した結果、野盗の手より逃れられたジュスティーヌ王女殿下とアリーヌ王宮侍女を発見。お護りした。

 王女殿下におかれては、顔面左耳近くから顎にかけて約二十センチの切創を負われていた。直ちに応急処置を致し、医師の手配を行ない、治療後に病院にお移しする準備を行った。

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 レオンが気絶している間の余談だが、防具や竹刀が考案されるまで、骨折くらい覚悟しないと剣術の稽古で思い切って打ち合うことはできなかった。防具のおかげで日本の剣道は、飛躍的に発展し世界で最も洗練された剣術となった。

 小学生の頃から剣道を十年近く続けてきたレオンから見ると、セレンティアの剣術は、大刀を振り下ろすか薙ぐか突くかの手先剣で、足さばきや駆け引きの類は、ほぼ無い。専門用語を使うと、『打突』ばかりで『技前』が無いのだ。まぁ、剣技以前のシロモノだ。

 さらに余談だけど、鉄パイプで機動隊と衝突した時は、剣道はほとんど役に立たなかった。鉄パイプは振り下ろすと上げるのがなかなか大変なくらい重い。しかし精神面では、えらく度胸がついた。逮捕されたら前科者にされ、社会的に抹殺される。それでも自分は正しいと確信していたから、機動隊の壁に突っこんでいけた。おかげで死んでしまったわけだが⋯⋯。

 鉄パイプや火炎ビン程度の原始的な武器を持って、学生や労働者が硬化プラスチック弾やガス弾を乱射し銃を装備した暴力の専門家・機動隊に突っこんでいくのだから、それは度胸もつく。それがセレンティアにきてどれだけ役に立ったか知れない。



 目を覚ましたら、すでに日が高く、昼だった。半日以上眠って、元気が出たぞっと。窓から外を眺めると、どうやら救援部隊の箱馬車に運び込まれ、床に転がって寝ていたらしい。腰の剣が見あたらず、扉に鍵が掛かっている。監禁されたよ。囚人護送車かいな?

 前世以来、囚人護送車に放り込まれるのは久しぶりだ。見張りがいるわけでもない。本気で野盗のたぐいと思われているわけではなさそうだ。壁に沿って長椅子がついていたので、寝転がって外を眺めた。そういや、手錠もされてない。

 騎士連中が右往左往していた。装備が派手なところを見ると、どうやら王宮の親衛部隊みたいだ。あの美人姫サマは、本物の王女サマだったんだなぁ。

 騎馬の女性騎士が通りかかった。姫サマの護衛だから、女騎士が混ざっているのだろう。肩のあたりが血に染まっている。戦闘があったらしい。ちょっと訊いてみようか。

「よう、女騎士さん。野盗にやられたのか?」

 女騎士、返事もせずにジロとこっちを睨んだ。「そうだ」と言ってるのと同じだな。野盗・山賊のたぐいに苦戦する王宮親衛隊かあ。まあ、実戦経験が違うからな。

「手強かったかい? 肩を斬られたな」

「私は不覚をとったが、野盗どもは撃退した」

 お貴族サマの騎士団は、藪の中までは追ってこない。相当数の野盗どもが山に逃げ込んだだろう。まぁ、頭目を失ったうえに王女を襲って傷を負わしたんじゃあ、いずれ狩りたてられて全滅も時間の問題だ。

「こっちに来なよ。肩の傷を治してやるよ」

 気まぐれでこう言ったことが、この転生でのオレの運命を決めた。

「治す? なにを言っているのだ?」

 窓のそばに女騎士が寄ってきた。負傷した肩には、湿布をデカくしたような白い布を貼りつけている。窓から手を伸ばして剥ぎ取った。

「つっ! なにをするっ!」

 十五センチ程のかなり深い傷だ。鎧のおかけで、鎖骨を砕かれていないのが幸運だった。

「これでよく乗馬できるなぁ。待ってな。すぐ治してやる。動くなよ」


 ラヴィラント騎馬隊隊長は、大量に出血しているジュスティーヌ王女殿下を馬車で長時間運ぶよりも、医師を連れてきて治療させた方が適切であろうと判断した。

 付近を調査の結果、野盗の死体を十以上も確認した。アリーヌ王宮侍女によると、さらに数体が焼け跡にあるようだ。『あの男』が一人で斬ったという。アリーヌ嬢は、子供時代から王宮内の王室付きの侍女で、名門伯爵家の令嬢だ。ウソを言うとは思えない。

 ⋯⋯しかし、騎士団が苦戦するような野盗集団を、たった一人で十数人も斬り伏せる。そんなことが可能なのだろうか? 斬り捨てた野盗の横で剛胆にも寝込んでいた『あの男』は、とりあえず護送用の箱馬車に収容した⋯⋯。

 護送用箱馬車を見ると負傷したローゼット女性騎士が、なにやら『男』と話しをしている。相手は、一応とはいえ容疑者である。注意しようと騎馬で寄っていくと、馬車窓から手が伸び、あっという間にローゼットから応急処置用の接着ガーゼを剥ぎ取った。そして隊長は、生きては二度と再び目にすることは叶わないだろうとあきらめていた、『女神の光』を見た。

 ラヴィラント隊長は、十五歳の時に事故に遭い骨を砕かれ死線をさまよった。両親は、伯爵家の馬車を飛ばし宿場ごとに馬を替え三日三晩走らせた。ようやく到着した聖都ルーマ大神殿聖本堂に、死にかかった少年を担ぎ込んだ。聖なる地で少年の息は、ほとんど止まっていたという。

 ラヴィラント少年は、朦朧としながらも女神セレン様の降臨を感じた。癒しの光りに包まれ、数分後には完全に健康体に戻っていた。後遺症はおろか、傷痕すら残らなかった。

 ラヴィラント伯爵家ただ一人の嫡男を抱きしめる父。喜びに泣き崩れる母。空中を飛翔し『女神の光』を放ち、二千を超える病んだ人びとを癒す女神セレン様の御姿。二十三年たった今でも、はっきりと思い出せる。それは、最も美しい景色だった。

 ラヴィラント伯爵家では、帰国後に敷地に立派な女神神殿を建てた。毎日の朝と夜、女神セレン様に祈りを捧げることが家族と使用人の義務となった。女神セレン様を崇拝しない者は、この屋敷にはいられない。当然だ。当主と奥方と嫡男が、女神様の奇跡を目の前で見たのだから。

 女神セレン様の癒しを頂けなかったら、死んでいたに違いない。その『女神の光』が、目の前に顕現しているのだ。なんということだ⋯⋯。

 レオンが人差し指を伸ばすと、ヒュイイイィィィィィィ⋯⋯⋯⋯という音と共に指先に白銀色に光る三センチほどの玉が現れた。金の粒が混じり、なかなかきれいだ。光る玉がくっついた指先を女騎士の肩に当て、ゆっくり傷に沿って動かす。かなりの深手が、人差し指の動きとともにふさがり消えてゆく。

「よしっ! もう痛まないだろ? 傷痕も残らないぞ」

「ほ、本当だわ。傷が消えた? そ、それは?」

「キズ治しが特技でな。女神や聖女と違って二人か三人しか治せないし、大怪我や病気には効かない。でも、便利だよ」

 生命の危険の無いような傷しか治せないのだから、そう大層な特技でもないと思う。

 隊長らしい男が、目を見開いて寄ってきた。額に汗をかいている。

「め、女神? あ、あなた様は⋯⋯いったい?⋯⋯女神の光⋯⋯?」

 こんな特技は、手品みたいなものだが。驚きすぎじゃないかなぁ。それに囚人護送馬車に監禁されているのに、「あなた様」とか?

「ははは⋯⋯。女神やマリアにくらべれば全然です。小さな傷しか治せません。この技は、ちょっと前に死んだ時に、セレンにもらったんです」

 死んだ? 女神セレン様にお会いした? 直々に神力を授けられた? 驚愕に隊長の脚の震えが止まらない。

 あっ! 王女殿下の御傷を癒していただくことは⋯⋯? 懇願する。

「なにとぞ、その神力をお使いになり、我がフランセワ王国第三王女、ジュスティーヌ・ド・フランセワ殿下の御傷を癒していただきますよう。どうか、お願いいたします」

「はあ? あぁ、いいよ」

 他人に跪拝されたのは、聖女だった時ぶりだ。鍵を開けて護送馬車から降ろされ、姫サマが治療を受けている天幕に向かった。

 天幕に入ると、包帯で顔をグルグル巻きにされた姫サマが寝かされていた。枕元でアリーヌ侍女ちゃんが、真っ青になって座り込んでいる。

「包帯を外して傷を見せてくれ」

 うあ~。元がすげえ美人だから、顔面をザックリやられると、なおさら悲惨だなぁ。意識はあるが泣くでも騒ぐでもなく、青ざめた顔で黙ってじっと横たわっている。若い女が、この怪我で騒ぐでもなく落ち着いている。たいしたもんだ。好きなタイプだぜ。

 すぐに治してやろう。手を伸ばしたらオレの方を見た。

「⋯⋯馭者と護衛騎士たちは、⋯⋯どうなりましたか?」

 ああ、騎士のやつらが言ってたっけ。

「馭者の死体を見なかったのか? 護衛の女騎士は、二人とも殺されてたってよ」

 ツーッと姫サマの目から涙がこぼれた。権力者のわりに、少しは良心が生きているようだ。女騎士たちが強姦されてたことは、言わないでおくかね。

 人差し指の先から、銀玉を出す。

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

「それは? なにをなさるのですか?⋯⋯」

 隊長さん。おそろしく畏まって口上を述ベる。

「王女殿下。女神の光の癒しにございます。どうか、お心を騒がせませぬよう」

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

「⋯⋯女神の光? 放っておいて下さい。わたくしは、死んだ方がよいのです⋯⋯」

 王女サマが弱々しくつぶやいた。この光は、そんな大層なものではありませんよっと。それに、その程度の傷じゃあ死なないよ。アンタの顔面に傷が残ったところで、死人が生き返るわけでもあるまいに。

 ほっぺたに指をかざし痕をなぞると、ものの一分で跡形もなく傷が消えた。もう痛みもないはずだ。

「おお!」とか「ああ!」とか「奇跡だ!」とかいう感嘆の声が聞こえた。礼の言葉も浴びせられた。病気治しの感謝の言葉は、今まで何百万回となく聞いてきたから、もういいよ。それより、困った。

「どうやって、聖都ルーマに行ったものか⋯⋯」

 隊長さんが、やってきた。

「お待ち下さい。あなた様は、野盗どもを斬り伏せ、王女殿下をお護りしたうえに、奇跡の御力で王女殿下の重傷を癒されました。そのようなお方を、どうしてこのままルーマに出立させられましょうか。我らが警護し、王都パシテの王宮にご案内させていただきます」

「オレは、ルーマに行きたいんですよ。でも、困ったなぁ。持ち金からパンツまで、ぜーんぶ焼けちまった」

 自分で宿屋に火をつけたんだけどね。火を放たなきゃ死んでたし⋯⋯。まいったなぁ。

「それでしたら、王族のお命を救ったのですから国王陛下より直々に爵位を賜り、報奨もいただけるかと」

「爵位? そんなものいらない。でも、報奨かあ⋯⋯。おっ! だったら、今カネを下さい。なあに。ルーマにたどり着けるだけあればいい」

 全員が耳を疑った。回復したジュスティーヌ王女が、気丈にも立ち上がり、言った。

「剣士さま、おねがいでございます。どうか、わたくしに王都パシテまで、ご案内させて下さいませ」

 再び全員が耳を疑った。あの心優しくも気高い生まれながらの王女。その美しい容姿も相まって、「女神にもっとも近い女性」とされるフランセワの白い薔薇・ジュスティーヌ第三王女殿下が、こんな得体の知れない男に、これほどへりくだるとは⋯⋯。

 さらに、またまた耳を疑う。レオンが、心底嫌そうに返したのだ。

「王女サマは、少しお眠りになった方がよろしいでしょう」(*訳 いやだね。オレにかまわないで寝てな)

 練れた感じの副隊長が、あわてて割って入った。

「まあ、まあ、まあ、まあ、まあっ! 十人以上も死者が出ている事件ですので、それなりの調査が必要でして、どうしても王都パシテに来ていただくことに⋯⋯」

「殺ったのは十四人だ。⋯⋯で? そんなところに連れていかれるのは、嫌だと言ったら?」

 レオンが殺気を放った。野盗を大勢殺したばかりなので、気が立っている。問答無用で監禁されて腹も立った。剣は分捕ればいい⋯⋯。


 シ────────ン⋯⋯⋯⋯


 儀典用とはいえ、鎧甲をつけた十五人の騎馬隊が相手だ。殺れるのは、三人か、せいぜい五人までだろう。全員ぶっ殺して突破するのは、無理だよなあ。

「分かった。分かりましたよ。早く終わらせてくれよ」

 レオンの放つ殺気が消え、全員がホッとした。

「失礼ですが、お名前を」

「マルクス男爵家が三男、レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクス」

 そう言い捨てて、護送用馬車に戻っていった。



 襲われてピンチの王女サマ。たまたまオレが通りかかって、悪者をやっつけて救う。それから、顔につけられた傷も治す。出来すぎてやがるよなぁ⋯⋯。

 弥勒五十六の手引きだろうな⋯⋯。女を利用して権力に近づけってか? 仮にも菩薩のやり方にしては、ちょっと違うんじゃないかね。弥勒のやつ、女神と聖女の連続殺害で、人間に絶望したか~? とりあえず苦情を申し立てよう。


“よう、嶺風。大活躍だったな。オレは、女なんか利用してないぞ”


 やっぱり見てやがったな⋯⋯。

「出来すぎてるじゃないかよ。おまえの手引きだろ?」


“馭者の出血を止めて宿屋までもたせた。それだけだ。他はなにもしていない”

 うーん⋯⋯。弥勒菩薩は嘘をつかない。


“それよりな⋯⋯。あの王女、おまえを相当気に入ったようだぞ”


「白馬の王子サマってか。バカバカしい。残念だったな。オレは権力者が嫌いだ。生き残った野盗どもを制圧して、山岳ゲリラの頭目をやろうかと考えてる」


“うーん。あの女は、頭が良くて知的好奇心が旺盛だから、現代知識を教授してやったら、ますます惚れられるぞ。そっちの方が革命の早道じゃないか?”

 

「惚れっぽい女なのか? あの顔で国王の娘ならモテるだろ」


“野性的で、若干暴力的で、自分を王女サマあつかいせず、ガッチリした体格で、おまえみたいな顔が好みなんだな。そんな男は、王宮いないだろ? 命の恩人だしな”


「権柄ずくで『ワタクシの男メカケになりなさい』とか命令しやがったら、ムカついて斬っちまうかもしれない。⋯⋯イライラする」


“まあ、好きにしろ。でもな、あの女の『好き』という気持ちに偽りはないから、わざと傷つけるような真似はすんなよ”


「ちっ。分かったよ」

 菩薩のくせに、見合いをすすめる親戚の小母さんみたいになってきた。通話を打ち切った。


 ──────────────────


 護送用馬車には、もう鍵をかけられなかった。飛び降りて逃げちまおうかとも思ったが、ズラかっても文無しじゃあ日干しになるだけだ。逃げられやしないとでも思ったんだろう。ふん!

 さっさと報奨とやらを受けとって、聖都ルーマに行こう。前世の聖女の時に殺されてから二十年ぶりの帰還だ。『ファルールの地獄』で街がどう変わったか、変わってないのか? 直接見てみたい。やり残した仕事もある。⋯⋯あの野郎ども、ぶっ殺してやる。

 退屈だー。苦しいことや痛いことも大キライだが、退屈が一番苦手だ。騎馬隊は、王宮を出て二昼夜かけて丸焼け宿屋に着いた。帰りは、王女サマを乗せた大名行列になった。これじゃあ王宮到着まで、一週間はかかりそうだ。

 食事や泊まりは、本街道沿いの宿場町を利用する。一行は、王女サマを筆頭に、騎士も侍女もみーんな王宮勤めのお貴族サマだ。⋯⋯ああ、オレも下級とはいえ一応貴族か。バカバカしいっ!

 王女サマは、最上位貴族用の一番上等な宿の貴賓室をとり、侍女ちゃんと個室でお食事あそばされる。下々の者には、顔も見せやしねえ。騎士連中は、テーブルマナーのとりすました食事をとる。食事中は口をきいちゃイケナイとか⋯⋯。オレは、元は田舎男爵の三男で、元の元の元は過激派学生だったから、愚にもつかないとしか思えない。そういや空港反対集会で組織がまとめて注文した弁当を食っていたら、「そんな豪華な弁当はブルジョワ的だ」とか難癖をつけてきたバカなセクトがあったっけな。


 つまらないので、宿場町をブラブラすることにした。先立つものが必要だー。なぜかオレを崇めているみたいなラヴィラント隊長に、泣きつくことにした。

「あのー、すいません。カネを貸して下さい。報奨が出たら返しますんで」

 この隊長さんの畏敬と恐怖に満ちた目つきは、なんなんだろう?

「はっ、お貸しします。何にお使いになるのでしょうか?」

「ここは宿場町ですよ? へヘへ⋯⋯。遊びですよ。アソビ!」

「へっ? えっ? どういった? いや⋯⋯。どうぞ」

 財布袋を丸ごと渡してくれた。気前がいい! 五十万ニーゼも入っとる。五十万円分くらいか。うひょう! こりゃあ、遊べるぞお。

「ああ、そうだ。剣を返して下さい。悪所をフラつくんで、護身用に一応」

「それは⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 剣は返してくれなかったけど、護衛兼監視役がつくことになった。ローゼット女性騎士が、ついてきてくれることになった。丸焼け宿屋の前で、肩の傷を治した女だ。チーターっぽい顔をした『キリッと美人』だ。

 あそびだ、あそびだ~! わくわくわくわくっ!

「ローゼットちゃん。今晩は、よろしくな~」

 オレは、いたってゴキゲンなのだが、ローゼットちゃんは不機嫌だ。

「ローゼット騎士と呼んで下さい」

「美人さんだね~。なん歳?」

「二十二ですっ」

「若く見えるね。この世界では、結婚適齢期は十五から二十歳と聞いたが?」

「この世界⋯⋯? 私は、もう結婚しています」

「へーっ、見えないねぇ。もう、ガキは産んだの?」

 にらまれた。オレが前世を生きた一九七八年の日本には、セクハラって言葉はなかったから、意識が低かったのかもしれないね。

 近くの安宿で玄関先の掃除をしていた男に、ちょっと小銭を握らせて情報収集だ。

「いやぁ。でも、女連れじゃあ⋯⋯」

「いーの、いーの。護衛だから」

「⋯⋯? ハハハ⋯⋯面白いアンちゃんだ」

 楽しそうな見世物小屋の情報を仕入れた。突撃だあ!

 場末のエロの臭いがプンプンする悪所にたどり着いた。俗悪な色彩のハダカ女の看板が掛かった小屋に入る。ローゼット夫人騎士(二十二歳・貴族)も、ちょっとためらってから、シブシブついてくる。職務に忠実だなぁ!


 ひーっ、おかしかったなぁー! おマタにラッパを当てて鳴らしたり、吹き矢を飛ばして標的に当てたり、最後に小鳥を産んで飛ばしてみせるとか。おヒネリを投げて、拍手喝采! 大喝采! 腹がよじれるかと思ったよ~。逆にローゼット夫人騎士は、どんどん不機嫌になり苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ローゼットちゃんの旦那の爵位は? エライの?」

「子爵っ!」

 怒ってらぁ。うははは! 子爵夫人が男と場末のエロショーを観賞⋯⋯。あー、おかしー!

 つぎは酒だ。酒っ! 地元の人たちで賑わっている大衆酒場にまぎれ込んだ。オレはともかくローゼットちゃんは、貴族顔だから目立つよなぁ。しかし、場をシラケさせたらイケナイっ! 隊長から借りた財布袋から三十万ニーゼくらい鷲掴みにして、ちょっとカワイイ給仕の女の子に渡した。

「よう、カワイイね。こんだけ分、呑んでるお客さんたちにふるまってくれや」

「こんなに~? すごぉい! 景気いいのね~」

「どうやら王サマが、カネをくれるらしいからなっ。ワハハハハハ!」

「? あら~、お兄さん、カッコいいわぁ。お金持ちだしー。気に入っちゃったぁ。お店閉じたら、アタシの家に泊まらない?」

「おぉ、イイねぇ。店じまいしたら、声かけてくれよな」


 常連客は、気のいい連中ばかりで盛り上がった。タダ酒にありつけて喜んでいたしね。

 やんや!やんや! ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!

「野盗づれをふたりー、ブッタ斬ってから~、宿の中に撤退っ! 油壺を蹴り倒しぃ、油ですべって転ぶ野盗どもをぉ、手当たり次第に斬りまくって~、建物に火を放ったっ! 燃え上がる中で~。やろー、機動隊め~。火炎ビンを食らえー! 人民抑圧空港粉砕! 悪の機動隊から王女サマを救うべく~、⋯⋯あれ、たたかう農民と連帯だろ。⋯⋯なんだ、あの王女オンナ。気まぐれお遊びのせいで馭者と護衛を三人も殺したくせによう。スカしやがって。後悔した演技で、お涙ポロポロってか? ブァッハハハハハハ! 偽善者だ!」

 オレの講談は、酔っぱらいどもに大受けだ。だんだん青ざめてきたローゼット女性騎士に、絡むやつまで現れた。

「面白いカレシだね~」

「くっ、ころ⋯⋯」

 プルプルプルプルプルプル⋯⋯。

 なんだかふるえてらぁ。オレも、からかったれ。

「アンタだって、毎晩ダンナに可愛がってもらってんだろ~。夫婦なら当たり前だよな~。子爵夫人ヅラして、スマしやがってよぉ。ヒック! なんなんだよぉ。今晩はオレと楽しくやろーぜ」

「ぶっ、無礼者っ!」

「子爵夫人ヅラ」のあたりで、「こんなところに貴族がいるわけねーだろ」と、酔っぱらいどもに大受けだ。

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!

 あ、子爵夫人、顔を真っ赤にして剣を抜いた。

 オレも、転がってた土瓶をつかむと間髪入れずにローゼットちゃんの剣を下から叩き上げた。剣が手を放れ、天井に突き刺さる。


 ダンッ! ビイイイィィィン!


 シ─────────ン⋯⋯


 いかん! ここでみんなをシラケさせるわけにはいかないっ。テーブルにはい登った。

「わははは! 芸だよ、芸っ! しょくーん! まだ呑み足りねーか? よーし、王サマからのおごりだー! カネはあるぞーっ! 呑めーっ!」


 ワ────────────ッ!


 ドンチャン!ドンチャン!ドンチャン!ドンチャン!ドンチャン!


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯あー、面白かった。

 楽しい時間は、アッという間だな~。閉店時間になったら、さっきの給仕の女の子が寄ってきた。

「ねーん。アタシの家に泊まってくれるのぉ?」

 うはは⋯⋯。約束を守る子だよ~。

「おう。泊まる、泊まる」

 任務に忠実なローゼットちゃんは、色をなした。

「ちょっ、待って下さいっ!」

「すぐに剣を抜いてオレをコロそうとする子爵夫人はぁ、コワいから~いやだ~。女の子の家を確認したら、王女サマのところに帰りたまえ~。それとも三人で楽しむかぁ! ダーッハハハハハハハ!」

「やだー、もうっ。お兄さんたらぁ。じゃ、いこー♡」

 面白がった酔っぱらいどもが、ヤジる!ヤジる!

「カレシが、他のオンナのところに行っちゃうよ~。ゲラ!ゲラ!ゲラ!」

 高慢で虫の好かない女が、居酒屋の看板娘に男を取られたように見えたらしい。

 ベレンベレンに酔っぱらったまま、女の子の家に上がり込んだ。ローゼットちゃんは、途中までいたような気がする。⋯⋯どこまでついてきてたんだろう?


 翌日の朝食の食堂に、ジュスティーヌ王女殿下がお出でになった。食事中の騎士たちをご覧になり、

「レオン様は、どちらにいらっしゃるのですか?」

 昨夜のレオンのご乱行は、怒り狂ったローゼットに、全員が聞かされていた。

「うっ」

「うっ」

「うっ」

「ううっ」


 シィ──────────────────ン


「まさか、レオン様と食事を分けているのですか?」

 ラヴィラント隊長は、あわてた。

「いいいいいえ、いいえ。決してそういうわけでは⋯⋯。レオン殿は、こういう食事の場をお好きではないようでして。えー、昨日の夜から外に行かれております」

 超美人の金髪王女様、青緑の目を細めてツイッと騎士たちをながめる。たちまち騎士連中がなにか隠していることがバレた。

「命令です。レオン様のいらっしゃる場所を、お教えなさい。⋯⋯アリーヌ。すぐにレオン様をお迎えにあがるように」

 その場にいた騎士たち全員が思った。


『うわあああぁぁぁぁぁぁぁ!』


 貧乏くじを引く羽目になったアリーヌ伯爵令嬢・王宮侍女とローゼット子爵夫人・王宮親衛隊女性騎士が、ジルベールという王宮親衛隊騎士を護衛につけて酒場の女給の家に向かった。十分ほどで、どんな街にもある薄汚れた一角の粗末な下宿の前に着いた。

 こんなキタナイ場所を歩いたことのないアリーヌ伯爵令嬢が、ローゼット子爵夫人に尋ねた。

「本当にこんな所に、レオン様がいらっしゃるのですか?」

 ローゼットが、吐き捨てた。

「間違いありませんっ!」

 作法にしたがいアリーヌは、薄汚れたドアを品よくノックする。

「あーい⋯⋯」

 半裸の女が扉をあけた。若くてかわいい⋯⋯けれども、ちょっとお下品な雰囲気だ。

「おにいさーん。お迎えだよー。あんた、本当にエラい人だったのぉ?」

 こちらもパンツ一丁で半裸のレオンが出てくる。ヨレヨレの二日酔いだ。

「んなわけねぇだろ⋯⋯っと。こりゃあ、来てくれてワリぃなぁ」

「ねえーん、また遊びに来てくれるぅ?」

 半裸のオッパイを、スリスリスリスリスリスリスリスリ~。

「うははは! こっちに来たら、また寄らせてもらうよ。じゃあなー」

 女の子が唇をとんがらせる。

「あーん! ねぇん、お小遣いわぁ?」

「いけねぇ。忘れてた。ほら、受けとんな」

 隊長の財布袋を丸ごと渡す。中を見て女の子が目を丸くした。

「こんなにもらっちゃって、いいのぉ?」

「いいの、いいの。また来た時は、サービスしろよな」

「きゃーっ! サービスしちゃうー。あーん! 大好きぃ!」

『ムチューッ』と頬にキスをする。それを二人の女性貴族が、氷山のように冷たい目で見ていた。


 シ─────────────────ン


 早く連れ帰ってこの者から離れたいが、この下劣でいやらしい男は、二日酔いでまっすぐ歩くこともできない。怒りを抑えきれなくなり、アリーヌ侍女が、とがった声を出した。

「いつもっ、あのようなところにっ、入りびたってっ、いるのですかっ? けがらわしいっ!」

 ヨレヨレヨレヨレヨレ~~

「頭にひびくから~、キンキン声を止めれ~。いつもじゃねぇや。ヤらしてくれる女がいる時だけぇ。ウハハハ⋯⋯。うぅっぷ!」

 アリーヌ「くっ」

 ローゼット「くうっ」

 ジルベール騎士「⋯⋯⋯⋯⋯ククッ⋯」

 アリーヌが、ぶち切れた。

「あなたはっ、ジュスティーヌ様に、申し訳ないと思わないのですかっ!」

「はああ? ゲスヘッペさまぁ?? ダレだよぉ、そいつはぁ~? きのうのオンナかぁ? うえっぷ!」

 道ばたによろけていって盛大に、ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲ~~!

 アリーヌ「ひっ、いやっ!」

 ローゼット「うぅぅっ」

 ジルベール騎士「⋯⋯⋯⋯⋯プッ!」

「あぶぐれごげげげ⋯⋯ブハァーッ」

 レオンの吐いたゲロ臭い息が、アリーヌとローゼットを直撃した。こんなキタナイ臭いを嗅いだことのないアリーヌは、鼻を覆って泣きながら二十メートルもヨロヨロと逃げていく。

 ゲロを嗅がされカッとなったローゼットが柄に手をやりレオンを見ると、⋯⋯頬がパンパンに膨らんでいる。

 ブピュ─────ッッ! ゲロゲロゲロゲロゲロゲ~!

 顔面に向かってゲロが吹き出してきた。「ヒッ!」。なんとか避けたが、あまりあわてたので尻餅をつき、馬糞と啖の混じった泥まみれだ。ジルベール騎士が、腹を抱えて笑っている。


 十年以上も王女の侍女を務めていただけあって、アリーヌ伯爵令嬢は、気が強くて潔癖だった。いかがわしい女の家に泊まり⋯⋯おカネを払って⋯⋯売春まがいの⋯⋯なんてことを⋯⋯!

 不潔! 下劣! いやらしいっ! きたないっっっ!!

 アリーヌ侍女は、まだ若い二十歳の伯爵令嬢である。下々の風俗について、よく分かっていなかったが、レオンのしたことがそういう行為だというくらいは分かる。

 ああ、姫さま。この男。ダメです。不潔ですっ! ふしだらですっ!

 侍女といっても、ジュスティーヌが六歳、アリーヌが七歳の頃から一緒だった幼なじみでもある。姫様の異性の好みも熟知していた。姫様は、洗練された貴族的な優男には興味がなかった。粗暴な無頼漢のような者が好きなのだ。なぜですか? 姫様は、異性の趣味が悪うございます。


 薔薇の花のような美貌と知性を持った優しく明朗な王女は、王宮で常に尊重されてきた。しかし、賢いジュスティーヌは、皆が敬っているのは、単に『王女』だということに、もう六歳の頃には気づいていた。「本当の自分を見てほしい」などと子供じみたことは、決して言わなかった。王族の義務として、完璧な『王女』をずっと演じてきた。虚像にすぎない。本当はどこにもいない幻の王女だ。

 そんな自分に辟易しているジュスティーヌなので、好む異性はこんなタイプだ。まず、王女という肩書きに価値をおかない男。王女にへつらったりしない男。腕をつかんで女を引っ張るような強引な男。そして、野性的で乱暴で暴力の臭いのするような男が好きだった。

 フランセワ王室の至宝としてジュスティーヌは、常に人々の目にさらされ、理想の王女を演じてきた。演技だった完璧王女は、ジュスティーヌの内面に固着し、もう第二の人格にまでなっていた。人格が歪むほどの強いストレスを長年受けて、ジュスティーヌの心は疲れていた。なまじ美貌は本物だけに、一層注目を浴びてなお疲れた。

 レオンに冷ややかにあしらわれたり、なぜか反感を示されることに奇妙な喜びを感じる倒錯した性質は、常に王女を演じて崇められることで崩れた精神のバランスをとるための無意識だ。レオンが現れるまで、ジュスティーヌに無関心でいられる者は皆無だった。

 王宮には、長身で金髪碧眼の洗練された貴族が多い。婚約者候補だった美形貴族青年たちに、ジュスティーヌはすっかり食傷していた。彼女の好きなタイプの容姿は、ガッチリした体つきで、黒髪黒目。お洒落なんかには無頓着で、無精ヒゲが似合うような人がいい。粗野なくらいで、腕が太くてたくましい人。乱暴でも荒々しくて強い人が好き。⋯⋯⋯⋯つまりレオンだ。

 家出同然に王宮から出なければ、ジュスティーヌがレオンのようなタイプの男と出会うことは、決してなかった。理想の人と出会えたジュスティーヌは、たちまち心を奪われてしまった。

 十年以上の付き合いになるアリーヌは、だめんず好きのジュスティーヌがレオンに強く惹かれていることに気づいた。レオンは、ガサツで恐ろしい人に見えるけど、一応は貴族だ。それに野盗から姫様の命、それに私の命も救ってくれた。でも、でもぉ⋯⋯。

 最近はますます美しくなり、レオンの話題となるとさり気なく聞きたがる。こんな姫様の様子に、「たとえ身分違いの恋だとしても、精いっぱい応援させていただきますっ」。忠義なアリーヌは、そんな決心をしていたのに⋯ですがぁ⋯⋯あぁぁぁぁ⋯⋯。

 あの男は、だめすぎでございます! だめだめですっ!


 最高級宿に戻ると、アリーヌは報告に飛んでいった。

「レオン様を、先ほどお迎えにあがりました。お泊まりになっておられたお家をノックしましたら⋯⋯⋯⋯。その、卑しい身なりの若い女が出てまいりました」

 ジュスティーヌが、ピクッと微かにふるえた。アリーヌでなければ、気づかなかっただろう。

「若い女? 卑しい身なりとは?」

「⋯⋯み、みだらな下着姿でございました。その後から同じく下着姿のレオン様がいらっしゃいました」

 自制心の強いジュスティーヌの目が少し開いた。付き合いの長いアリーヌには、王女がひどく衝撃を受けているのが分かる。

「レオン様は、その家にお泊まりになったのですか?」

「はい。レオン様から、そのようにお聞きしました」

「⋯⋯その女性とレオン様は、ご結婚なさっているのですか?」

「い、いえ。そういうことでは、無いようでございます」

「では、なぜ若い男女が、ひとつ屋根のもとで一晩すごすのでしょうか?」

「あ、あの。結婚せずとも、男女が閨をともにすることがあると、仄聞したことがございます」

 ジュスティーヌは、びっくりしてしまった。

「まぁ! それでは赤子ができたら、どうするのですか?」

 元々貴族お嬢様のアリーヌにも、そんなことは分からない。実際は、貴族だって隠れて遊ぶくらいはしているし、セレンティアにはピルに似た避妊薬がある。

「さぁ。下々のことは⋯⋯わたくしには、分かりかねます。ただ、その⋯⋯。レオン様が、みだらな娘に金子を渡しているところを目撃いたしました」

 ジュスティーヌ王女は、あまりにも育ちが良いので、カネを見たことがあるかどうかさえあやしい。当然『売春』という言葉さえ知らない。そのような商売があることすら、想像の外なのだ。

 ?

「えと、えと、えっとですね。その⋯⋯。いやしい生業の者が、金子を受け取ってフケツな行為におよぶ商売があると聞いたことがございます」

「? フケツな行為とは、どのようなことですか?」

「そのっ、その⋯⋯。しっ、失礼いたします。赤子ができるような、男女の営みにございますっ!」

 !

 顔を真っ赤に、なんとか婉曲話法を駆使して、どうにかこうにかアリーヌが『売春』の意味を伝えると、ジュスティーヌ王女は、絶句した⋯⋯。


 最初は、タイクツでたまらなかった護送?同行?連行?旅行?も、大尽遊びをすることを覚えたら、面白くて仕方なくなった。隊長さんからカネを借りなくても、王女殿下救出のために潤沢な行動費が支給されているらしい。そいつを拝借して遊びまくった。

 レオン=新東嶺風は、革命的左翼を自称していたくせに、女を買うわ飲み屋で大騒ぎするわで、呆れられるかもしれない。これにはちょっとは気の毒な理由がある。


 弥勒を通じて前世の世界の事情が伝わってきた。あっちでも管制塔に赤旗が翻ってから二十三年が経っていた。二十一世紀には、日本の左翼はもう壊滅状態⋯⋯。レオンが命を賭けた空港反対闘争も、くだらない分裂と内ゲバでグダグダになってしまっていた。

『空港開港が内政の最重要課題』としていた当時の福田内閣を、空港包囲・突入・占拠闘争の勝利によって揺さぶり、追いつめる。実力で開港を粉砕した事実を掲げ、人民がたたかえば勝てることを実証した。大衆的実力闘争と戦闘的な労働運動を結合させ、社共や内ゲバ党派に取り込まれていた人民大衆を引きつけ、極東解放革命 ─ 急進主義統一戦線に結集させる。真にたたかう革命党と運動を組織する。東アジア革命と日本革命。そして、世界革命の実現に向かって前進する。

 大衆の革命性を信頼しすぎたのが、失敗だったのか⋯⋯。開港阻止決戦の大勝利でも、大衆は急進化しなかった。管制塔を破壊したまでは良かったが、それだけだった。結局はエピソードで終わり、開港が二カ月延びただけだったのだ。

 この事件で組織は、徹底的な弾圧を受けた。逮捕者が二百人を超え、逮捕容疑が無くても警察の『訪問』で職を失う者が続出した。管制塔を破壊した仲間は、実に十年もの懲役を食らった。そのなかの一人は、拘禁反応からくる発作で自殺してしまった。

 さらに内ゲバ党派が、空港反対闘争の主導権を奪おうと言いがかりをつけ、テロ部隊を使って深夜に鉈やハンマーを使って襲撃をかけ、八人の仲間が片足切断や頭蓋骨陥没などの重傷を負わされた。これは氷山の一角で、全国の学園で大勢の人が襲われ大怪我を負うことになった。

 トドメに、バカな野郎が団結小屋で強姦事件を起こして大問題になり、その処分や責任問題をめぐって党は分裂した。とうとう第四インターナショナル国際大会で日本支部は組織ごと除名され、レオンの古巣は消えて無くなってしまったのだ。

 万余の怪我人や逮捕者、それに多数の死者を出した三里塚空港反対闘争。あのたたかいは、いったいなんだったんだ? オレは無駄死にだったのか?

 そういうわけでレオンは、もうすっかりやさぐれてしまっていたのだ。


 ラヴィラント隊長は、困惑していた。

 ジュスティーヌ王女殿下の傷を一瞬で消しさった癒しの神力。レオン殿が女神セレン様の祝福を受け力を授かったことは、揺るぎない事実だ。女神セレン様とお会いし、言葉をかわしたということも本当に違いない。ならば、レオン殿は女神セレンの眷属ではないか!

 神の御言葉を疑ってはならない。神のご意志に背いてはならない。ラヴィラント隊長は、そう固く信じていた。あの限りなく賢いジュスティーヌ王女殿下も、おそらくレオン殿を女神の眷属とお考えになられているはずだ。

 しーかーしー⋯⋯。女神の眷属にしては、レオン殿は、あまりにも荒っぽくて俗だった。騎馬隊の行動費を持ちだしては、大衆酒屋で毎晩ドンチャン騒ぎをして安売春宿に泊まり込む。ひどく荒れており、自暴自棄になっておられるように感じられた。女神の眷属が、そのような姿をお見せになるとは、いったいどういうことなのだろうか?

 レオン殿は、人なつっこいというか人タラシというか、やはり常人ではなかった。アッという間に若手騎士たちを手懐けて、夜遊びに連れ出すようになった。若手騎士といっても、王宮勤務の貴族の子息である。居酒屋でのドンチャン騒ぎはともかく、売春宿に引っぱり込むのは、隊長として苦情を申し立てる義務がある。しかし、レオン殿は女神の眷属なのだ⋯⋯。なにか深いお考えが、⋯⋯あるわけない。困った。

 王女殿下を救援するために編成された騎馬隊なので、十五名の隊員内に女性騎士が五名もいる。レオン殿のおかげで、その女性騎士と若手騎士の雰囲気が悪くなってしまった⋯⋯。困った。

 神界の女神の眷属だからなのだろう。レオン殿には、人間界の権威に対する尊敬の念のようなものは、ほぼ感じられない。今日も借金にきた時に、

「王サマがケチでカネをくれなくても、無料の勲章くらいはよこすハズですよ。いざとなったら、売り払って借金を返します。いくらで売れますかねぇ?」

 そんな不敬なことを真顔で言われ、アタマを抱えてしまった。謁見の場でこんなことを放言したら、王室不敬罪で連行されてしまう。しかし、女神の眷属を逮捕したら、神罰が下るのではなかろうか? そうだ! レオン殿をお連れした私が逮捕役をやらされて女神と王家に忠誠を誓ってきた名誉あるラヴィラント伯爵家に、女神の眷属を迫害したという汚名がついたらどうする? 困ったっ!

 明日は、いよいよフランセワ王国王都パシテの王宮に到着だーがー。うーむ。どうにも心配でならない。

 そこでレオン殿たちが、ドンチャン騒ぎをしている居酒屋まで様子を見に行くことにした。そんなところに王宮付きの伯爵が出入りしているのを見られたら、スキャンダルになるような場所なのだが。

 レオン殿は、金髪碧眼の美青年騎士と肩を組んでいる。フォングラ侯爵家の子息だ⋯⋯。あああ⋯⋯やめて~。

「ワハハハハハ! おまえら税金をむしり取られてるだろ? これはなぁ税金から出たカネだー! みんなー! 取り返すつもりで呑めー! 呑めー! 奪還だーっ!」

 平民どもに大受けだ。うぅっ⋯⋯⋯⋯⋯⋯アタマが、痛い⋯⋯。

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!

「ジルベールよぉ、きのうは楽しかったなぁ。これから売春宿に行こうぜっ!」

「いやー、きのうは参りましたよー。センパイ。あのオンナときたら、もう。えっへっへっへ」

 フォングラ侯爵家の子息が、おかしくなってる! あんなに真面目な好青年だったのに。

「よぉし! じゃあ、くり出すかぁ。なに? この店の子とお泊まり可能? あの酒を運んでる女の子とも? ホント? 泊まれる? ⋯⋯オレ、あの子にした!」

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!

 なぜか拍手喝采。「ピュー!ピュー!」などと口笛が飛んだりする。

 ヨロヨロと立ち上がるとレオン殿は、ジルベール・ド・フォングラ騎士に財布袋を投げた。百万ニーゼは入っていたはずだ。

「ワリぃな、こいつで払っといてくれ。はははは⋯⋯。いいから全部つかっちまえー!」

 片手に酒壷をぶら下げて、カーテンで隠されていた奥の扉をくぐり、レオン殿は、アイマイ女のところに消えていった。


 この任務では苦労ばかりしている隊長だが、代々王室警護を担ってきたラヴィラント伯爵家の家長である。マルクス男爵家のような田舎貴族などとは比べものにならないほど家格が高く、王室に近い名門の出身だ。『女神の癒し』で事故の大怪我から回復し王宮に入り、二十二年も王宮親衛隊に勤めてきた。

 王宮親衛隊は、儀礼兵の役割も担う。国内外の王族、貴族を多く見てきた。もはや人間ではない女神セレン様を別格とすれば、隊長・ラヴィラント伯爵が知る最も美しい女性は、赤子のころから十九年も見ていた見ていたジュスティーヌ第三王女殿下だった。おとなしいタイプの美人が多い貴族女性の中で、ジュスティーヌ王女殿下は、快活で白い薔薇のように美しかった。王族の威厳を備えているが下々に優しく、性格は明朗だが、考え深く知的だった。欠点といえば幼少期に「おてんば」などといわれたが、貴族以上に騎士である隊長には、その活発さも好ましく見えた。

 王族という以上にその類いまれな美貌から、婚姻が許される十五歳に達すると、外国の王族も含めて無数の縁談が舞い込んできた。ジュスティーヌ王女殿下が、結婚にまったく興味を示さなかったのは、あの知性と行動力に釣り合うような相手がいないからだと隊長は考えていた。

 第三王女という、王位継承とほぼ無関係なお立場だ。聖都ルーマ巡礼に出られたとは聞いていたが、たった二騎の護衛しか伴わず、国王陛下のお許しを得ていなかったとは⋯⋯。

 急行した先で、顔面血だらけで昏倒しているジュスティーヌ王女殿下を発見した時には、目の前が真っ暗になる思いがした。いったい何人のクビが飛ぶのか⋯⋯。国王陛下は温厚な方なので、『死刑』ではなく『職を失う』という意味ではあるが。

 隊長は、ジュスティーヌ王女殿下の護衛とともに最重要の任務として、レオン殿の言動をつつみ隠すことなく報告文にまとめ、早馬で王宮に届けている。報告書は、どこにまで到達しているだろうか?


 隊長渾身の報告書は、フランセワ王国国王・アンリ二世の手許にまで届いていた。女神セレンに関わる件は、別格扱いなのだ。

 アンリ二世は、困惑していた。娘のジュスティーヌの出奔事件が、王族に対する傷害事件になり、ついには女神セレンの眷属らしき者の顕現事件にまで発展した。

 女神セレンの眷属?聖人?神使?が本物ならば、実に二十年ぶりの顕現となる。我がフランセワ王国に女神セレンの眷属が顕現されたことは、有史以来初めての名誉であり、大いに国威を高めてくれるだろう。

 しかし、このマルクス家の三男とやらは⋯⋯。賊を十四人も斬り殺して宿に火を放ち、大火の前でイビキをかいて眠り、高位の貴族女性を不倫に誘いセクハラし、良家の子息を誘惑して悪所遊びざんまい、そして連日の大酒。あまりにも⋯⋯女神セレンの眷属というには⋯⋯あまりにも違う⋯⋯。ひょっとしたら悪魔なのでは? だが、本当に女神の使いだったら、神罰が⋯⋯。強烈なものが下される。『女神の火』と、それより恐ろしい『ファルールの地獄』が⋯⋯。

 ジュスティーヌの大怪我を一瞬で癒したのは事実であろう。高位貴族である騎士や侍女が、何人もその瞬間を目撃している。十七歳の時に、実際に女神の癒しを受けて命をとりとめたラヴィラント伯爵が、あれは『女神の光』に間違いないと断言し、大感激しているほどだ。伯爵は、人格的にも能力的にも絶対の信頼が置ける人物だ。

 王宮親衛隊総隊長と騎士団長が揃って申し述べた。どれほどの達人であっても、真剣での斬り合いで倒せるのは三人が限界である。相手が野盗の類とはいえ、一晩で十四人も斬り伏せるなど、もはや人間業ではない。

 ⋯⋯やはり人ではないのか? しかし、そんなバケモノじみた殺人者が、王宮を闊歩するようでは困る。「王サマがケチでカネをくれなかったら、もらった勲章を売り飛ばそう」などという、あんまりなレオンの発言を読んで、国王は頭を抱えてしまった。

 温厚で賢明な政治家であるアンリ二世は、女神セレンの政治利用は危険であると判断した。もはや世俗の手には余る。望ましいことではないが、宗教権威による介入はやむ得ないだろう。神殿とは良い関係を保っておくべきだし、いずれはことが知れる。王家から『誠意』を見せて、あらかじめ神殿に女神の眷属らしき者が顕現したことを伝達する。とにかく神罰だけは避けねば。地獄の再現は、絶対に避けねばならない。

 フランセワ王国の宗教の最高権威であるアルコ神殿長に、至急の手紙を送った。前ぶれもなく国王から届いた手紙を一読して驚愕したアルコ神殿長は、急ぎ内容を筆写し、最速の早馬で聖都ルーマのバロバ大神殿長に急送した。各国の神殿は、セレンティアで唯一の国際組織であり、総本山である聖都ルーマの『女神セレン正教大神殿』と直に繋がっている。


 そんな時に、ジュスティーヌ王女救出騎馬隊が、王宮に帰着した。事件は、大袈裟につたわるものだ。女神セレン関係の情報は、厳秘だったので、レオンとジュスティーヌ王女に関するウワサが広がった。

『野盗に拉致されたジュスティーヌ王女殿下を、アジトに火を放ち三十人も殺しまくってお救いした流浪の剣士が、王宮に上がる。そいつはおそろしく腕が立つが、大酒飲みの殺人マニアで、ひどく好色な男だ。純粋な王女殿下は、たぶらかされてしまい、狂った殺人剣士をいたくお気に召したようで⋯⋯⋯⋯うんぬん』 


 ようやく王都パシテの王宮に到着したレオンは、侍女と護衛が張りついたやけに広くて豪華な部屋に監禁されてしまった。豪華部屋から一歩も外に出してもらえない。半日で、たちまち退屈した。

 王宮側としては、こんな人物に王宮内をフラフラされたら危なくて仕方がない。かといって、粗略に扱ったら神罰が怖い。豪華な部屋に入れてうまいものでも食わせて、チヤホヤおだてつつ実態は軟禁、という都合のよい綱渡りを選択した。

 レオンに女をあてがわなかったのは、内心の知れないジュスティーヌ王女を慮ったからだ。国王のお気に入りである第三王女も、神罰と同じくらい恐ろしかった。高級娼館から綺麗どころを三人もこっそり連れてきて酒といっしょに並べれば、レオンはしばらくゴキゲンだっただろうが、それはやらなかった。

 バロバ大神殿長の返信次第では、レオンをルーマ巡礼に出して厄介払いするつもりだった。とはいえ、うっかり女神セレンの意に添わぬことをしてしまい、女神の代理人である大神殿とトラブルになったらまずい。往復八日はかかる返信待ちである。

 旅装を解く間もなく王女救出騎馬隊の面々が、国王アンリ二世に召され、直々に事情聴取を受けた。

 若手騎士たちのレオンの評判は、最高だった。「腕っぷしが強くて楽しいオレたちの兄貴」「本物の男」「強いのに優しくて気前がいい」といった調子だ。女性騎士と侍女の評価は真逆で、「フケツ」「下品」「ふしだら」「酔っぱらい」などと、もう最悪だった。アリーヌ侍女などは、国王への直訴が罰せられるのを知っているのに、「あの男はっ、姫さまにふさわしくありませんっ!」などと、必死の思いで父王に直言するありさまだった。

 レオンの持ち物は、みんな焼けてしまっていた。剣くらいしか残っていない。取りあえず鞘から抜こうとしたが、抜けない。神力?と一瞬おびえたが、鞘の中で血が固まって抜けなくなっただけだった。柄と鞘を二人がかりで引っ張って、なんとかザリザリと血だらけ剣を引き抜いた。王室御用の研ぎ師を呼び、その剣を鑑定させた。

 研ぎ師は剣を仔細に検分して、「ほおおおおおぉぉぉ。これはまた⋯⋯」とため息をついている。剣に関しては専門といえる王宮親衛隊総隊長と騎士団長が、王に代わって下問した。

「自由に、思うところを述べよ」

「いやはや、恐ろしいお方もおられたものでございますな」

「どういうことか?」

「この細剣で、一時に十人以上も斬っておられますです。急所ばかりを狙って⋯⋯。わたくしは、何万となく剣を触らせていただきましたが、これほどの使い手は、初めてでございますよ」

「剣を見ただけで、分かるものなのか?」

「はい。それはもう。これほど躊躇なく命を取りに行った剣は、見たことがございません。それで、かえって分かりやすうございます」

「詳しく述べよ」

「近くを失礼いたします。⋯⋯ここにある刃の筋は、首を薙いだ跡でございます。三回は、やっておられます。こちらの刃こぼれは、喉を突いた跡でございましょう。こちらも三人以上は突いておられます。なんと申しましょうか、できるだけ軽い力で刃の切れ味を利用して命を取ろうとしておられます。剣先から続いているこの擦れ跡は、心臓を突く際にろっ骨に当たった跡でございます。二回は、心臓を貫いておられます。この背脂は、背中から心臓を突くと附着するといわれております。逃げる相手にも容赦がございません。こちら両側の刃に同じようなコボレがございます。目を貫くと眼窩の骨に当たって、両側に刃こぼれができます。両方きれいな対称です。動かない相手の目玉に向けて剣を逆手に持ってトドメを刺したものでございましょう。この先端の欠けは、足を止めるために太股を突き、大腿骨に当たって欠いたものでございます。こちらの大きな刃こぼれは、手甲に当たってできたものでございましょう。この当たり方ですと、相手の手首も半分ほど斬っておられます。このお方ならば、とどめをお刺しになったでございましょう」


 シ──────────────ン


「この剣の持ち主を、どう感じるか?」

「はあぁ。うぅーん」

「よい。申せ」

「⋯⋯凄まじいお方、でございます。真剣の斬り合いでこのお方に勝てる者は、この国にはおりますまい。人を殺すことに、まったく心を動かしておられません。できるだけ安全で容易に⋯⋯効率的と申しますか、最小の手数で斬ることを心がけておられます。恐ろしい方でございます。わたくしめのような小心者は、このように人を殺すお方にお目にかかりましたら、夜眠れそうにございません。⋯⋯はい。失礼いたします」

 野盗どもの死体の検死報告書の内容とほぼ同じである。王は、動揺した。これが癒しと慈愛の女神であるセレン様の眷属とは、到底思えない。王は、二十一年前の忌まわしい記憶を思い出した。罪深い神殺しの人類の前に、癒しと慈愛の女神が顕現することは、もうないのだろうか?


 セレンティア歴九一七年。神殿で人びとを癒されていた女神セレン様は、邪教徒の不敬により昇天された。直後に、『ファルールの地獄』が起きてしまった。

 慈悲深い女神セレンが再び地上に送られた聖女マリアまでもが、ファルールの手にかかり昇天された。あの時も、聖都ルーマから国境を越えて王都パシテ、そしてセレンティア全土に、伝染病のように『ファルールの地獄』が広がった。王宮内ですら忌まわしい地獄があった。そして『女神の火』。想像すると嫌悪と恐怖で、吐き気がする。


『人は、二度までも、女神を弑した。その時、女神の火で焼き滅ぼされていたならば、まだしも幸せだったろう。ファルールの罪は、あらゆる者の魂に刻みつけられた。滝のように流れる血をもってしても、あがなわれることはない。人びとは、永遠に弑逆の罪を背負い、女神の赦しがくだるまで、地獄の苦しみを受け続け、隣人の憎しみの恐怖を耐え忍ばねばならない。必要なだけ働き、残った時間はすべて女神に捧げよ』


 一部の神官や貴族には、こんなことを言い出す者まで現れる始末だ。こんな厭世思想が社会全体にはびこったら、とても国の統治などできない。

 翌日、レオンの実家があるランゲル侯爵領に派遣した調査隊が帰還した。

 死亡してから三日めに生き返ったことなど、レオンの信じがたい言葉は、全て事実だった。地元の神殿の神官をはじめ、死亡を確認した医師、両親と兄弟姉妹など家族、マルクス家の使用人たち、あらゆる友人知人。本家筋のランゲル侯爵にまで証言を取ってきた。

 生き返ってからのレオンは、たしかに本人に間違いないのだが、かなり人が変わったと意見が一致している。アンリ二世を驚愕させたのは、レオンが棺から起きた際に初めて発した言葉だった。


「こんなとこで死んでたのか⋯⋯。女神に会ってきたよ」


 死んだ者が三日目に生き返り、「女神に会ってきた」と語る! 聖女マリアの時と同じではないか! 聖女マリアの再誕であろうか? やはり女神の眷属なのか? 社会にはびこる女神殺しの厭世思想を乗り越えて、再び人類は聖者を得たのか?

 そのようないわくの者が、たまたまジュスティーヌの危難の場に居合わせ、超人的な剣技で救出し、顔面の重傷を一瞬で癒した。⋯⋯これはいくらなんでもできすぎている。

 親だからこそ分かるが、十人の子の中で、美貌、知力、性格の強さ、慈悲深さ、そして行動力も最も優れているジュスティーヌは、レオンに心を奪われるだろう。ジュスティーヌの婿候補にも挙がっていたジルベール・ド・フォングラ侯爵子息も、同じくレオンに心服している。これも女神セレンのご意志なのだろうか? しかし、それにしても、不敬であるかもしれぬが聖女マリアに比べてあまりにレオンは⋯⋯。

 エンゲル侯爵領の神殿神官は、すでにことの次第を書状にしたため、聖都ルーマのバロバ大神殿長に送っている。レオンは、元々聖都ルーマを目指していた。大神殿からは、フランセワ王国が王族まで使って女神の眷属を横から掠め取ったように見えるかもしれない。誤解無きよう、あらためて親書をしたためるべきだろう。

 万一にも、王都パシテで聖者弑逆が起きてしまったら、今度はフランセワ王国までもが滅亡しかねない。やはり女神セレン関係は、世俗の手に余る。

 ここは、「女神セレンとお会いしたと称するフランセワ王国貴族レオン・ド・マルクスを、本人の希望によって聖都ルーマにお送りする。ルーマ到着以後は、バロバ大神殿長殿の指導を仰ぐ」という線で進めるべきだろう。取りあえずは、バロバ殿の返書待ちだ。フランセワ王国の神殿とも連絡を密にせねばなるまい。

 自らも女神セレン正教の敬虔な信徒であり、穏健で有能な君主であるアンリ二世は、このように結論した。



 レオンは、王宮の豪華な部屋に監禁され退屈しきっていた。三日もするとこんな所から脱出すること本気を考えはじめた。実際にレオンは、悪いことはなにもしていない。野盗に襲われていた女たちを助けただけだ。なぜ拘束されねばならない?

 軟禁は、バロバ大神殿長の手紙が戻ってくるまでになるはずだった。しかし、貴賓対応担当の法服官僚貴族が、「たかが田舎貴族の小セガレが、王宮の上客間に泊めていただけるだけでありがたく感激しろ」と貴族意識を丸出しにして、なにも知らせずレオンを放置したのがまずかった。小バカにされ、ないがしろにされていることが、レオンにバッチリと伝わった。


 現代日本では、現行犯逮捕した者を警察が留置できるのは、二泊三日までだ。それ以上の拘束は、裁判所に検察官が勾留請求をして認められた場合、まぁ、たいてい認められるが、最長二十三日間留置所にブチ込まれる。その後、起訴されたら拘置所へ移送され、不起訴なら釈放となる。

 警察も留置所が荒れたら困るので、看守の警官が持ってきた『官本』を留置人に貸して退屈しのぎさせてくれる。政治犯は独居房が多かったが、雑居房に入れられたら、ヤクザや強盗や泥棒と大いに語らって『犯罪学』を学び、「監獄は革命家の最良の大学である」というどこかの革命家の金言を再確認できる。

 余談だが、『不法入国』の外国人を拘留する現代日本の入国管理局の収容所は、刑期もなければ本もなく他人と話しすることさえ禁じられる地獄で、精神に障害を負って半ば狂死したり、抗議のハンストのあげく餓死する者まで出ている。

 レオンも、同様の目に遭っている。だれも口をきいてくれず、なーんにもないこの豪華部屋の実態は、入国管理局の強制収容所と同様だ。することなく一日中ボーッとしている生活は、頭が変になりそうだった。このまま地下牢にでも移されて一生そのままなのか?などと、妄想みたいなものまで出てきた。空港反対闘争の仲間にも、長期投獄の拘禁反応の発作で自殺してしまった人がいた。

 移送期間も加えれば二週間もワケが分からないまま『不当拘束』されている。レオンのような男がこう考えるのは、当然だった。


 見張りを殺して逃げてやる。


 やろう、ナメやがって。見ていやがれ⋯⋯。看守をぶっ殺して金目のものを剥ぎ取り、夜陰に乗じて王宮を抜け出す。山から国境を越えれば山賊の解放区だ⋯⋯。ふっ⋯ふふふふっ⋯⋯。やれる。やってやるぞ。ざまぁみやがれってんだ。

 護衛と称する監視の騎士が、男女二人。入り口の前で立っていやがる。あとは、シャム猫顔美人の侍女とタレ目の侍女。なんでぇ。たった四人じゃねえか。剣が無くても、制圧するのはなんでもない。

 一番腕が立つのは女騎士だ。男騎士は大したことない。たれ目侍女は無害だが、一番厄介なのはシャム猫侍女だな。コイツには隙がない。隙がなければ作らせればよいだけだが。

 よーし、やるぞぉ。

 高級なでっかい部屋なので、立派な調度品が並んでいる。前世の聖女の時には、ガラス製品は大変高価な品だった。二十年後の王宮でも飾っているくらいだ。今でも高級品なんだろう。

 いくつも飾られてるガラス瓶でも一番デカくて高価そうなヤツを持ち上げて、侍女の前にぶん投げてやった。

「うおりゃあ! 空港粉砕!」


 グワッシャ─────ン!


「ふふふふふ⋯⋯ヘヘヘヘヘ⋯⋯」

 狂ったと思われたかもしれない。全員がしばらく唖然としていたが、我に返った侍女二人が、散らばったガラスの破片を黙って片づけはじめた。気が逸れたところで、屈んでいる猫顔侍女の後ろに回り、ヒョイと腕を掴んでひねり上げ、関節を決めた。

 グイイィ⋯⋯⋯ギリギリギリギリ!

「ツッッ! な、なにを⋯⋯」

「ヘヘヘヘヘ⋯⋯。カワイイねぇ⋯⋯」

 監視の騎士は、やはりオレが狂ったと思い、剣を抜くか取り押さえるか迷っている。そこが狙いよ。

 中腰にさせた猫顔侍女の侍女服スカートをたくし上げる。セレンティアでは、女性が生足を見せることはとても恥ずかしいとされる。

「おぉっと、カワイイあんよが丸見えだぁ。うひょう! 太ももが見えてきたぞぉ。ヘヘヘヘ⋯⋯」

 パンツが見えるまでスカートをたくし上げた。太ももにバンドが巻いており、そのバンドに短刀が取りつけてある。素早く引き抜いてやった。

「もらったー! あれぇ? なんで侍女が刃物を隠してるのぉ? ⋯⋯そんな侍女は物騒だから、腕をヘシ折ろう! ⋯⋯ふん、わりぃな!」

 どうせ殺しちまうつもりだ。いっさい容赦も躊躇もなく。腕を折りにいった。グイッ! ゴギンッ!

 この猫女、自分で肩を外しやがった! やはりコイツは、危険だ。躊躇したら殺される。外れた関節を庇って縮こまった猫顔侍女を思い切って体重をかけて蹴り、吹っ飛ばした。

「ギャン!」

 ドカンッ!

 壁にぶつかり気絶した⋯⋯⋯⋯フリをしている。

 つぎは女騎士だ。分捕った短刀をつまんで振りながら近づいた。

「あの人、刃物なんか持ってましたよぉー。コワい、コワい」

 女騎士の前に短刀を放ってやった。

 ポ──イ

 目の前に物が落ちたら、それが刃物ならなおさら、目が行くものだ。

 ダダン! ドン!

 その瞬間に女騎士に体当たりして壁に押しつけ、みぞおちに肘打ちを食らわせ、よろけたところを鞘をつかみ剣を引き抜いた。

「よーしっ! 剣を獲ったぞぉ! 総せん滅だぁ!」


 剣を持たない女騎士は無力だ。まずは返す刀で男騎士を斬り殺し、つぎに逃げられない女騎士の喉を突く。猫顔侍女は慎重に後ろにまわって腱を切断し逃げ足を奪ってから急所を狙って殺る。騒がれたら面倒だから、可哀想だがタレ目侍女にも死んでもらおう。皆殺しだっ!


 振り返りざまに男騎士を、へへっ! 剣も抜いてないでやんの。よーし、心臓を突いてやる。死ねっ!

 わっ! 倒れた女騎士が足にすがりついてきた。必死の形相だ。あんな強烈にみぞおちを当てられたら、普通は動けるはずないが?

「お願いです! この人を殺さないで!」

 なんだぁ? この女は? 今までお高くとまって口もきかなかったくせによう。よぉーし。なら、おまえから先に殺ってやるよ。死ねっ!

 剣を逆手に持ちかえて、首筋に向けて振り下ろ⋯⋯。

 わ! 今度は男騎士が、剣も抜かず女に覆い被さって命乞い。⋯⋯斬りにくい。騎士なら死ぬまで戦えっ!

「エレノアと私は、命令で⋯⋯」

 へー。この女騎士は、エレノアちゃんっていう名前なんだー。一週間もエラそうに見張ってたけど、口もきいてくれないんだもん。知らなかったよぉー。カワイイお名前だねぇ。どうやら二人は、おつき合いしてるのかなぁ?

 くそいまいましいっ! 思い切り剣を投げつけた。ビュンッ、ドガッ! 壁に突き刺さる。

「おまえら、絶対に抜くなと命令されているな?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 さすがに無抵抗の者を斬るのは、気が引ける。悪あがきして反撃してくれれば、遠慮なく殺れたのになっ。

「⋯⋯もういいっ! てめえら、今度ふざけたら本当に殺すからな。今すぐ釈放しろっ!」


 くそう。とりあえず逃亡計画は中断したのだが⋯⋯ううう⋯⋯。やっぱり退屈だぁ⋯⋯。死ぬ⋯⋯。そうだ! 遊んでもらおう!

「試合しようぜっ!」

 男騎士の剣を納める鞘を取り上げて、強い方の女騎士に渡す。

「オレは、エレノアちゃんの鞘を使わせてもらう。さあ、打ち合おうぜっ! 遠慮なしで斬りかかってこいよ。さもないと今度こそ逃げるぞ!」

 鞘を構える。エレノアちゃんは、断ったらオレがまた暴れだして真剣での斬り合いになるとでも思ったのだろう。構えてくれた。

「あんた、かなり強いよな。順位はどのくらいなんだ?」

 代わって色男の彼氏騎士が答える。

「王宮騎士の序列九位です。女性騎士で十位以内に入った者は、初めてと聞きました」

「そりゃたいしたもんだ。手加減なしだぞ」

 エレノアちゃん、鉄槌を食らったことを逆恨みして怒ってるみたいだ。

「たっ!」

 いいぞぉ! いきなり突いてきた。攻撃的で素敵だけど、足の動きを見れば突きを狙ってたのは予想できた。横にいなして、胴を、

 ペシッ!

「肝臓が真っ二つだぜ」

「くっ!」

 すこし離れてから、鞘を上に構えて突っ込んできた。セレンティアの剣術は、『突き』か『打ち下ろし』しか無いのかいな? 外して小手を打った。

 パンッ!

 少し強かったか? エレノアちゃんは、鞘を取り落とし膝をついてしまった。

「つっ⋯⋯」

「今度は、手首が落ちたな」


 何度か打ち合ったが、全く相手にならない。今度は鞘がエレノアの手から離れ、天井にぶつかって落ちた。

 男女の騎士は呆然としている。

 おっと、忘れてた。猫顔侍女の短刀を拾い、投げてやる。

 ヒュッ、タンッ!

 頭から十センチのところに刺さった。猫顔侍女がむっくり起きあがる。

「あ、危ないですよ~。死ぬかと思った~」

「寝たふりなんかしないで、おまえもやろうぜ」

「嫌ですよ。痛いのキライですから」

 膝を叩いてホコリを払っている。

「勝てばいいだろが」

「うっ⋯⋯。勝てません」

「スカートをまくってる時に、他の暗器で殺れただろ?」

「無理ですよ。あんなに腕を決められて。痛くて目が回りました」

「ああ、肩、悪かったなあ。入れようか?」

「自分で入れましたよっ。十日くらい痛むんですからねっ」


 気がついたら、タレ目の普通侍女が、散らばったガラスの破片を黙々と拾っている。プロだなあ! なんだか悪いようなので、掃除を手伝わせてもらった。


 レオンの大暴れは、ただちに国王アンリ二世に報告された。

 賓客を、見張りをつけて七日も軟禁するなどあり得ぬ。こともあろうに女神セレンの関係者にそのような無礼を働くとは⋯⋯。貴賓対応担当の官僚貴族は、即刻解任された。

 聞けば侍女として入っていた一級保安員は、隠し持っていた短刀を一瞬で奪われ壁にたたきつけられ動けなくなり、護衛兼監視の王宮騎士二名も、剣を奪われてたちまち制圧されたという。レオンに慈悲をかけられなければ、間違いなく全員が死んで逃亡されていたと皆が申し述べた。

「ぶっ殺す」などと、不穏な言葉を口走り暴れているらしい。再びレオンを怒らせたら、女神から授かった神剣くらいは持ち出して王座まで斬り込んで来そうだ。あるいは『女神の火』すら可能性はゼロではない。対応を間違えたら、王宮や王都くらいは成層圏に吹き飛ぶ!

「いっ、いかん! 明日、国王がレオン・ド・マルクスを謁見すると関係各所に伝えよ」



 国王ら王族と高位貴族を中心とした高官。それに参考人としてレオン・ド・マルクスを知る者を集め、明日の謁見にそなえた非公式の会議が開かれた。

 王宮に女神セレンの関係者が滞在している⋯⋯。聖都ルーマですら、聖女マリアが昇天して以来二十年も経つ。フランセワ王国にこのような前例はなく、失態は絶対にゆるされない。女神の眷属顕現は、名誉なことだが頭も痛かった。

 謁見の名目は、王族の命を救ったことへの褒賞である。褒賞金は、あまり安いとみっともない。王族の値段はそんなもんかと国民に笑われる。前例を踏襲して二千万ニーゼに決まった。

 授章は無しとした。本来なら勲章くらい下賜するものなのだが、数日後にどこかの古道具屋に『王族守護一級勲章』が並んでいたら、もう目も当てられない。

 レオンに対する爵位授与に関しては、かなり揉めた。

 フランセワ王国は、領邦封建国家から中央集権王政国家への移行期にあった。それは地方の領主貴族が王都に集まり、数世代かけて官僚化しつつある緩やかな変化であり、血が流れるような政変はまだ起きていない。セレンティアでは、『ファルールの地獄』はあっても百年近くも大国間の全面戦争はなかった。

 フランセワ王国の政治は、王家と有力貴族間のバランスで成り立っている。それを崩すおそれのある『授爵』や『陞爵』(爵位が上がること)は、戦功か王族救命ぐらいでしかなされず、新たに王家寄りの貴族をつくることになる授爵は、領主貴族どもから歓迎されない。

 王族の救命は、二階級特進となる。レオンは、マルクス男爵家の三男であり一応は貴族であるが、爵位を継いだわけではない。無爵なので、新たに爵位を賜る『授爵』となり、無爵→男爵→子爵。賜るのは子爵位であろう、と決まりかかった。

 それに猛然と反論したのが、レオンに救われた当の本人であり、当事者ということで一応その場に呼ばれたジュスティーヌ第三王女だった。

 レオン様のマルクス家は男爵なのですから、男爵→子爵→伯爵。伯爵位に『陞爵』というかたちであるべきです。「わたくしの命の価値は、子爵程度なのですか?」。

「ワタクシの命を助けたんだから、レオンをもっと昇進させなさい」というジュスティーヌ王女の理屈は大概なのだが、父王には、娘の内心が読めた。王女が貴族家に降嫁することは、しばしばある。しかし、ほとんどの場合は、降嫁先は公爵家か侯爵家といった上位貴族で、まれにラヴィラント家などの名門伯爵家に降嫁することがあるくらいだ。子爵家に王女が降嫁した前例は、ない。

 五十歳も年上の大臣や高官に囲まれながら、レオンを伯爵にするべきだと説く十九歳の娘。優しくて誠実な男ならいくらでもいるだろうに。あんな得体の知れぬ男のどこが良くてジュスティーヌは、惹かれているのだろうか? 父王には理解できなかった。実際にレオンに会ってみれば、「なるほど。ジュスティーヌは、こういう男が好きなのだな。たしかに王宮には、こんな男はおらぬ」と納得したのだが。

 しかーし、今のジュスティーヌなら、駆け落ちくらいは敢行するだろう。相手に全くその気がないのが幸いだった。あまりに意志力が強く決断力と行動力に優れているのも考えものだ。⋯⋯ううむ。

 その場に居合わせた貴族の多くも、ジュスティーヌ王女の気持ちに感づいた。若い王女の恋をほほえましく思ったし、いつも快活で貴族に愛想のよい(⋯演技をしている)ジュスティーヌに好感を持つ者は多かった。この美しいジュスティーヌ王女をめぐって派閥間でいさかいが起きたり、王家と有力貴族家が婚姻で結びついて宮廷政治の秩序が乱れるより、よほど良いのではないか?

 ジュスティーヌとレオンが結婚したならば、フランセワ王家と神殿勢力が繋がることになる。それは王家と神殿・民衆の間に太いパイプができることと同じだ。その危険性に、その場にいた貴族はだれも気づかなかった。この場にいた高位貴族の多くは、その報いを受けて滅びることになるだろう。

 ジュスティーヌが本当に幸せになれるのか大いに不安に感じつつ、娘王女に甘い父王が介入した。「女神セレンの関係者である」という意味の分からない理屈で、レオンは『マルクス伯爵』ということになった。


 王サマとの謁見ということで、レオンは翌日の朝から風呂に入れられたりピエロみたいな服を着せられたりした。ピエロ服は、断固拒否! そこらの貴族の旅装みたいな服に替えた。この服ひとつでも大騒動があったらしく、国王の勅許を受けてどうだとかこうだとか、いちいち面倒で恩着せがましい。

「この謁見は、王女救出の際の戦闘行為に対する褒賞の授与が目的である。これは戦闘の結果による功績であり、軍功と同列にみなされる。軍功による軍装での謁見は当然であるのだから、旅行中であった者の旅装もまたこれに準ずる」

 この変な理屈をひどく恩着せがましく感じたのは、レオンだけである。その他の全員には、国王陛下は、ジュスティーヌ王女殿下とレオンには、おそろしく甘いと感じられた。


 謁見の間は、正面に入口があり、奥行き五十メートルほどの長方形のでっかい大広間だ。奥が何段か高い王族の席になっており、国王と王妃を中心にして、王族らが座っている。貴族らは、五十メートルの両側にずらんと並んで立つ。

 日本の村の寄り合いでは、御神体の前に神主が座り、その斜め後ろを村長と村の有力者らが座布団に座って順番に陣どる。御神体に近い所にいる者ほど地位が高くて発言力が強く、女子供やヨソ者は座布団なしで土間にそのまま座る。

 たぶん高位貴族ほど王サマに近い所にいるのだろう。「猿山の猿のような序列づけはドコも変わらねぇな」と、ひどくおかしくなった。

 入り口で剣は取り上げられてしまった。謁見の間に招き入れられ、スタスタスタと王サマの前まで四十メートルほど歩いていった。王女救出騎馬隊の若手で、帰りに一緒に乱痴気騒ぎで遊んだフォングラ侯爵家の嫡子ジルベールが付き人になってくれた。やけに気が合うと思ったら、ほん数年前までは庶子で、下町で不良少年をしていたそうだ。

 王サマの前に着いたら黙って跪く。階級的に屈服したみたいで忌々しいのだが、そうしないと殺されてしまうので仕方ない。上から王サマの声が聞こえた。

「面を上げよ。直答を許す」

 国王アンリ二世にとって、レオンの顔を見るのも口をきくのもこれが初めてだった。娘のジュスティーヌが焦がれる豪傑が、どんな男か興味もあった。どんな鬼のような大男かと想像していたが、体格は良いにしても所作は貴族のそれであり、黒神黒目の容姿はいたって普通に見える。金髪碧眼の美形ぞろいの王宮貴族の中では、醜男ではないにしても、まあ下の方だろう。ボサボサ頭と不精ヒゲが似合いそうだ。娘王女は、面食いではないらしい。

 アンリ二世が感心したのは、初めて数百人の貴族に囲まれ一国の君主の前に立っているのに、この男からは緊張も気負いもまったく感じられなかったことだ。そこらの役所で手続きといった風情である。

 国王が台本の言葉を暗唱する。

「⋯フランセワ王国第三王女の生命の危急に際し、自らの危険もかえりみず⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 明らかにレオンは退屈している。

「⋯⋯⋯⋯によって、レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクスに、フランセワ王室より褒賞を与え、伯爵位を授けるものとする。異議ある者は、今この場にて申し述べよ」


 シ─────────────ン⋯⋯⋯⋯


「異議あり!」

 ドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨ⋯⋯⋯⋯

「異議ある者は申し述べよ」うんぬんは、儀礼的なものだ。本当に異議をとなえる者が出るとは想定していない。

 ジュスティーヌに幾度か求婚していた侯爵家のセガレが、前に出て吠えた。失恋の痛手で、少しおかしくなったらしい。

「このような得体の知れぬ者に爵位を授けるなど、王室と貴族界の汚れになりましょう。おそれながら、反対にございます」

 ドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨ⋯⋯⋯⋯

 レオンの実家のマルクス家は、男爵という末席とはいえ立派な貴族だ。その三男であるレオンは、爵位はないが貴族名簿に記載されている。決して「得体の知れない者」というわけではない。

 レオンは、カネだったら欲しいが、爵位なんぞ欲しいと思ったことはない。クレクレとねだったこともない。トンチンカンなくるくるぱーの姿がおかしくって、笑ってしまった。

 笑ったのを見て、侯爵家のセガレ、激高!

「なにがおかしいっ!」

 手袋を投げつけてきた。レオンは、もうおかしくってしょうがない。こっちの世界でも手袋を投げつけるのが、貴族の決闘の申し込みなのかぁ。手袋を拾ってセガレくんに放り返してやった。   

「フフフ⋯ワハハハハハハハ! ジルベール、あの剣を持ってきてくれや」

「おう、センパイ」

 侯爵家の子息にふさわしくない返事をして、一分も待たず面白そうに長短二本の剣を持ってきてくれた。長い剣が百センチ、短い方が七十センチほど。日本刀に似ている。軟禁が解けてすぐに王宮の武器庫をあさって持ち出した。王室蔵だけあって、よい剣だ。

 剣を立てて、これ見よがしに長さを比べる。

「長い方を使わせてやるよ」

 当たり前のように長剣を渡した。受けとってしまったのが、セガレくんの生涯の不覚となった。

「じゃあ、決闘。プッ! やろうか。死んでも文句いうなよ。ププッ!」

 短い刀の刃が上を向くように鞘ごと腰ベルトに差し、柄に手を当てて近づく。三メートル⋯⋯二メートル⋯⋯一メートル⋯⋯。

「どうした? ホレ、抜けよ」

 玉座の前で刀を抜いて斬り合ったりしたら、その場で拘束される。ひとつ間違えたら死刑だ。いや、それより、抜いたら間髪入れず斬られるだろう。レオンの剣は、鞘に入っているのに?

 思わず一歩後ずさると、レオンは間合いを広げず中腰で追ってくる。腕に覚えのある貴族は、なにが起こるかは分からないが、セガレくんは死んだと思った。

「おやめなさいっ!」

 ジュスティーヌ第三王女が、王族の席から立って、色をなしている。白いドレスをひるがえし降りてくると二人の間に割って入り、レオンに向かった。

「無益な殺生は、なりません。これでは、ただの人殺しではありませんか!」

「ケンカを売ってきたのは、こいつだろ。ケガするぞ。どけ」

「おねがいです。おねがいですから⋯⋯」

 レオンは、鞘ぐるみで剣を腰から引き抜いた。鞘でグリグリやるか、ひょっとしたら殴りつけて王女を排除しようと考えたようだ。さすがに多数の貴族の面前で王族にそれをするのは、まずすぎる。今度はジルベールが、二人の間に入ってレオンの腕をつかみ、どうにかこうにかなだめようとする。

「まあまあまあまあまあまあ⋯⋯ねっ? たのむよ、センパイぃ。王女様のお気持ちも考えてさぁ⋯⋯」


 その場で腰を抜かしてしまったセガレくんは、王宮親衛隊の騎士に引っ張られていった。

 二人の親しい?やりとりを聞いた貴族の多くは、レオン・ド・マルクス伯爵とジュスティーヌ・ド・フランセワ王女は、もう男女の関係にある、と見た。しかもレオンの方が上位に立ってる? ⋯⋯それは誤解なのだが。国王の前で痴話喧嘩するほどなら、二人の結婚は間近だろう。ならばレオンは、準王族扱いだ。だれもレオンが連行されないことを不思議には思わなかった。

 血を見ないで済んだことに、レオン以外の全員がホッとした。最後に国王夫妻のお言葉を賜って終わりである。おとなしい性格で公的な場ではほとんど口をきかない王妃が、母親らしい気遣いを見せた。

「ジュスティーヌが、救われた礼にと、そなたをお茶に招待したいと申しておりました」(*訳 ジュスティーヌは貴方のことを好きなようだけど、貴方はどう思っているの?)

「私のような無骨者が、招待されるなど⋯⋯。ご遠慮申し上げます。王女殿下のお茶会なら、もっとふさわしい方がおられるでしょう」(*訳 いやなこった。もっといい男を探しな)


 国王は、レオンが権力目当てで娘に近づいた男ではないことに安堵したような、これほど出来た娘に目もくれない男に腹が立つような、複雑な気分だった。

「貴下は、これからなにを望むのかな?」

「当初の目的である聖都ルーマを訪れ、それからセレンティアの聖地巡礼の旅に出るつもりです」

 健気なジュスティーヌが、口をはさむ。

「わたくしも、ルーマ巡礼の途中でしたの。今度は、マルクス伯爵が同行してくださるから、安心ですわね」

 衆目の中で娘がなりふり構わずすがりつく必死の姿に両親ともに、これはもうなにもこの子を止められないと観念した。「この粗暴な男のどこが良いのか?」。レオンは心底嫌そうな顔をしている。付き人のフォングラ侯爵家の嫡子が肘でつついているのが王座から丸見えだ。

 レオンだって冷静になれば親の前で、「まとわりついてくるなよ。うぜぇな」などと言うわけにもいかない。黙って聞き流すことで、お断りの意志を示したつもりだったが⋯⋯。相手は権力者の娘だから、断るのも大変だ。

 とにかく、なんとか謁見の儀は終わった。国王の面前で斬り合い寸前の決闘騒ぎを起こした男として、レオンはフランセワ王国の貴族界で話題になった。


 レオンは、なにもわざとジュスティーヌを苦しめているわけではない。現世の空港反対闘争の敗北的なありさまに怒って荒れているうえに、弥勒の手で踊らされるのが気にくわないのだ。なにが狙いだよ? 弥勒の野郎は「人の心を操ったりしない」とか言ってたくせに! 

 オレなんぞと関わったら、だれであろうと不幸になる。新東嶺風は、三度連続でひどい死に方をした。一度目焼死、二度目めった刺し、三度目めった刺しの首チョンパ。どうせ四度目もそんな死に方だろう。

 あの子は、王女サマなのに度胸があって性格が良いらしいから、なおさらだ。さっきも手袋決闘野郎の命を助けてやった。優しいよね。顔面を斬られて大怪我した直後なのに剣の間に割って入るなんて、なかなか出来ることではない。巻き添えを食わせたら、気の毒だもんな⋯⋯。

 徒歩で聖都ルーマまで行きたかったのだが、王宮は、なにがなんでも絶対に馬車で送り届けてくれてしまうつもりだ。旅は歩きで、観たり聞いたり話したりが面白いんだけどなぁ。

 旅支度という名目で王都パシテをうろつき回ることにした。護衛兼監視役にジルベールが同行する。自分で「スパイですよー」とか言って笑っている。傍目には、貴公子をレオンが護衛しているように見えただろう。

「王サマのくせに、みみっちいよなぁ。二千万ニーゼだってよ。借金を返したら、千五百万ニーゼしか残らねーや」

 一週間で五百万ニーゼも飲んだり食ったり抱いたりしたのかよと、ジルベール君は、苦笑い。

「そういう前例らしいですよー。王子を助けたんだったら、五千万ニーゼになったんですけどね」

 この世界は、階級社会なので男女差別も当たり前にある。フランセワ王国は、まだマシな方だ。

「性差別で損こいた! でもよぉ、二千万ニーゼで伯爵家を立てろったって、そりゃあ無理な話しだぜ」

「ですよねー」

「王サマが職でも世話してくれるのかなぁ。⋯⋯つまらない仕事なら、辞退するけど」

 そんなことを話しているうちに『山みち宿本店』に着いた。野盗騒動で焼いちまった宿屋の本店だ。



「失礼。ご主人にお会いしたい」

 初対面の人に会う時には、外見は大切。どう見ても上位貴族のジルベールと、貴族に見えなくもないオレの二人組。立派な応接室に通してもらえた。

 ジルベールは、『?』になっている。出てきた菓子をボリボリ食っていると、番頭がやってきた。やはり、『?』だ。

「レオン・ド・マルクスといいます。焼けちまった日に『山みち宿』に泊まってました」

「それは、大変なご迷惑をおかけしまして⋯⋯」

 かなり警戒しとる。当然か。

「野盗と斬り合った時に火がついたのは、オレにかなり責任があるんですよ」

「かなり責任がある」どころか、オレが火をつけたんだけどね~。うははは⋯⋯。付け火しなければ殺されてたし。

「弁償金を持ってきました。受け取って下さい」

 ドーン!

 千五百万ニーゼ分の金貨を入れた袋をテーブルに置く。十五キロ。

 驚いた番頭がなにか言ってたが、さっさと出てきてしまう。

「やれやれ、肩の荷が下りたぜ。ルーマまでは、タダで連れていってもらえるからなあ。あとは隊商の用心棒でもして、セレンティアを巡るさ」

 ジルベールは、なんだか真面目な顔をして見ていた。どうした? そのまま案内を頼み、王都パシテの名所を観光する。

 どこにだって、うまくて安い店はある。子供のころは下町貧乏庶民で今は貴族のジルベールは、そんな店を知らなかった。でも、店構えと客層を見たら、なんとなく分かるんだよねー。良さそうな店に入り込み、夜中まで飲み食いした。ジルベールのおごりだ。カネは、もう残ってない。まぁいい。安くて旨い酒を呑んで、店仕舞いで追い出されて、二人で馬鹿笑いしながら夜中に王宮に戻った。


 翌日王宮では、『あの』マルクス伯爵が国王陛下から賜った二千万ニーゼを一日で使い尽くしたと評判になっていた。その話を聞いて一人だけ喜んだ者がいる。

 ジュスティーヌ王女は、「レオン様が、おカネを全部使われたのでしたら、もういやらしいお店には行かれませんわね。うふふ」。そう言って噂を持ってきた侍女のアリーヌに、にっこりしたのだった。



 持ち金は使い尽くしてしまっても、王宮では三食寝床つきなのでレオンは、なんの不自由もなかった。楽チンである。とはいっても常にゴロゴロしてるのは、よろしくない。せっかくなので、王宮親衛隊の連中に剣術を指南したりもした。

 軍隊じゃなく護衛隊なんだから、大太刀はやめろ。屋内で突発事が起きることが多いのだから、取り回しのよい短い剣を予備で持て。敵が大剣を力任せに打ち込んできたら、初太刀は受けずに外せ⋯⋯。

 意外にも貴族の子息騎士や女性騎士たちは、強くなりたいという意欲が旺盛だった。喜ばれると嬉しいので、毎日寄って先手とスピード重視の現代日本の剣道を指導して強くしてやった。竹刀を真似た模擬刀を工夫して打ち合わせた。打ち合いは、ずいぶん楽しいようだ。しかし、ちゃんとした防具が無いので、改善されたとはいえ怪我が絶えない。骨折などはどうしょうもないが、切り傷などは、例の『女神の光』で治してやる。毎日二名にしか使えない傷治しだ。周囲の反応は、ちょっと異常だった。どんな熱心に稽古していても『女神の光』を使うと止まる。そこにいる全員が取り囲んで、光が傷を癒してゆくのを畏怖の目で見るのだった。

 第五王子の怪我を治したこともある。子供が転んで怪我するなんて当たり前だ。お付きの侍従や侍女を罰さないことを「女神との約束な」と、勝手に宣言してから治した。この件で『女神の光』は、王室公認になったらしく、ずいぶん評判が上がったようだ。

 王宮親衛隊は、百五十人の中隊が四つで六百人が交代で勤務している。女性王族や貴族も多いので、軟禁中に鞘でやり合ったエレノアちゃんみたいな女性騎士も五十人ほど在籍している。王宮だけあって見栄えも重視されるらしく、みんな美人だっ! 女の子に剣を指南すると尊敬されたりチヤホヤされたりで、すこぶる気分が良かった! 気分いいぞお!

 手袋決闘野郎と、謁見の間でどのように戦おうとしていたのか訊かれ、居合いを見せた時は大ウケだった。映画で観て格好良かったので一年くらい居合いの道場に通った程度の未熟な技なのだが、こちらの世界の人たちには神業に見えたようだ。

 巻き藁の代わりに倉庫の奥に転がっていた古カーテンを巻いて立てた。武器庫から持ち出した日本刀に似た剣を刃を上にして腰ベルトに差し、柄に手を置き、中腰でつつつつ⋯⋯カーテンに近づいて⋯⋯

「たっ!」

 鞘走りで抜きざまに、下から上に逆袈裟斬りにした。巻きカーテンが二つになって落ちた。


 シ─────────────────ン⋯⋯


 しばらくは水を打ったような静けさで、それから拍手喝采となった。貴族の子息とはいってもまだ若い。それに今は騎士だから血の気も多い。こんな芸が大好きみたいだ。『女神の光』の定員は一日二人までなのに、真剣で居合いの真似ごとをして大きな切り傷をつくる者が続出した。ひとつ間違えると一生腕が動かせなくなる大怪我をしかねない。危険なので居合い遊びは禁止にした。

 そんなこんなでいつの間にやら王宮親衛隊の剣術指南係みたいになり、『達人』『剣神』『十四人斬り』などと呼ばれるようになった。

 次世代の官僚貴族の中心になる若い王宮親衛隊騎士たちとの師弟関係は、後に生きてくることになるだろう。


 レオンと直接に言葉と剣を交わしている王宮親衛隊騎士たちは、レオンの凄まじい(ように見える)剣技はまだ人間業としても、『女神の光』には強烈な畏れを感じていた。国王陛下が勅令で『女神の光』に関する情報を国家機密に指定して、外部に漏らすことを厳重に禁じているほどなのだ。なのにレオンは、下働きのメイドが厨房で指を切ったのを見つけて、『女神の光』でホイホイと癒したりする。レオンにとって、王子も下女も関係ないようだ。

『女神の光』の神力を持っているからには、女神セレン様に近い方に間違いない。セレンティアにおける女神セレンといえば、輝くばかりに美しく気高い絶対の存在であり、絶大な神力を持って万物を癒し、豊穣をもたらす美と光と癒しの女神だ。でも、あまりに不敬を働くとお怒りになって、『女神の火』で一国くらいは吹きとばしたりする。めったにないことだが⋯⋯。

 女神セレン様の昇天後に顕現された聖女マリア様は、女神セレンに仕える神殿の神女だった。静かに微笑む美しい栗色の髪の優しい女性で、女神セレンの昇天の際にお供して神界に昇られ、癒しの神力を授けられて下界に戻られた。慈愛と自己犠牲の聖人だ。裸足で貧民街をおとずれてあばら屋に住まい、迫害されながらも貧しい者のために寝食を忘れて尽くし、全てをなげうち癒しを行った。

 ⋯⋯⋯⋯レオンさんは、ぜんぜん違う~。男だし、女と暴力が好きだし、大酒飲みで浪費家で、人を殺したし⋯⋯。


 稽古の怪我の『癒し』の最中に、騎士の一人が勇気を出してたずねた。

「あの、それは、どうやって⋯⋯?」

 ゴクリ⋯⋯。皆がききたかったことだ。

「ああ。オレは、一度死んでなぁ。あの世でセレンにもらったんだよ」

 本当は女神セレンではなくて菩薩になった弥勒五十六がよこしたんだけど、セレンを創ったのは弥勒だ。同じことだろう。

 そこに居合わせた皆は、足のふるえを止めることが出来なかった。女神と会った? 女神セレン様の眷属なのか? この人はいったい⋯⋯?

 その夜には国王より、「レオンに、女神セレンや女神の光の質問をしてはならぬ」という禁令が下された。


 軟禁が解けた後の王宮は、レオンにとってなかなか居心地がよかった。普段はきりっとした美人騎士の女の子たちにチヤホヤされて楽しい。このまま王宮に居着こうかな~、と思っていたら、急に聖都ルーマに出立することが決まった。

 なぜだ?


 ジュスティーヌ王女付きの侍女であり、いっしょに野盗に襲われたアリーヌは、意外にもなかなか地位が高かった。名前も偉そうだし、職名も偉そうに聞こえる。常に王族に関わる仕事なので、王宮の警備部と保安部に、こっそり行動を確認されているほどだ。

 アリーヌ・ルイーズ・ド・スタール 伯爵令嬢

 パシテ王宮一級侍女職王家担当第三王女付第一侍女

 王宮警備部要警護対象:B(担当係官による定時所在確認)

 王宮保安部要視察対象:A(担当係官による行動範囲及び交友関係の定期点検)


 ちなみに『王女』の場合は、こんな感じである。

 ジュスティーヌ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネ・ド・フランセワ 第三王女殿下

 フランセワ王国王家アンリ二世陛下及びカトリーヌ陛下御息女。王位継承権六位

 王宮警備部重要警護対象:S(担当係官による常時所在確認)

 王宮保安部重要視察対象:S(担当係官による行動範囲及び交友関係の常時点検)


 余談だが、侍女や女官は王宮警備部に定期的に所在確認をされている。なので騎士などとデキるとたちまちバレる。のちにレオンが出世して警備部の記録にアクセス出来るようになると、侍女たちの行動記録を引っ張り出し、「うはははははっ! アイツとアイツがー♡」と、大いに楽しんだ。


 伯爵位くらいの中級貴族にとっては、自家から王宮や王家と直接繋がりが持てる王宮侍女を出すことは、本人だけでなく一族にとっても大きな利益になる。特に王族付き侍女の採用には、コネは通用しない。忠誠心を第一に、容姿をも含むあらゆる能力を考慮し、実力本位で選び抜かれるのだ。おそろしく狭き門である。

 ところが当時九歳のアリーヌは、ジュスティーヌ王女に会った瞬間に、出世や家のことなんかどうでもよくなってしまった。「なんと美しく気高くお優しい素晴らしい方なのかしら。ジュスティーヌ様にお仕えするために、わたしの人生はあるんだ」。それ以来アリーヌは、ほとんど実家のスタール伯爵家に帰らず、ジュスティーヌ王女の側で仕えてきた。

 最も優れた少女が王家付きの侍女になり、侍女の中でも地位が高い。アリーヌは、中位貴族家令嬢出身の侍女たちのリーダー的存在でもあった。その人脈を使いアリーヌには、ちょっとしたスパイの才能があった。王宮を巡っては、ジュスティーヌのために情報を仕入れてくる。ジュスティーヌのための情報といえば、想い人であるレオンについてだ。正直なところ、「あんな男は、ジュスティーヌ様にふさわしくないっ!」とは思っていたが、「ジュスティーヌ様がお望みになるなら、手足となって働くまでです」。

 あの男が毎日出入りしている王宮親衛隊の騎士たちには、レオンはイヤになるほど評判が良かった。畏怖されていると言ってよいほどで、とても悪口を言える雰囲気ではない。いつの間にやらローゼット子爵夫人騎士とも関係を修復しており、若い女性騎士たちにチヤホヤされて喜んでいる。やっぱりフケツな男だった。

 中下位貴族令嬢出身の侍女の間では、⋯⋯やはりレオンの評判は良かった。だれにでも愛想が良くて侍女が大荷物を抱えて困っていたりすると、ニコニコしながら手伝ってくれたりする。ちょっとお高いエリート侍女のアリーヌがレオンの悪口をふれ回ろうとしても、冷たく無視され嘘つき扱いされるありさまだ。侍女にまで取り入ったりして、イヤらしいやつなのだった。

 王宮の実務を担う女官たちにも、レオンはウケが良かった。毎日一度くらい女官の仕事部屋に顔を出して、嬉しそうに書類仕事を手伝う。「レオン様が手伝って下さると、アッという間に仕事が仕上がるわ」などと評判は上々だ。あの男は、女官たちまで抜け目なく籠絡してゲレツな正体を隠しているのだった。

 極めつけは、レオンが下階に降りていくのを見かけて、あとをつけた時のことだ。アリーヌには下賤な下女に見えるメイドたちに囲まれて女神イモ、⋯女神様が下されたからジャガイモを女神イモと呼ぶ、その女神イモの皮なんかをむいてメイドたちに愛嬌を振りまいて喜んでいる。下働きのメイドとはいっても、そこは王宮勤めだ。平民でも、だいたいが良家の娘である。年頃の可愛い少女ばかりだ。

「もうっ! 伯爵さまったらぁ♡」

「ふははは! 三個いっぺんに女神イモをむくよ~」

「きゃー! 伯爵さまぁ。すごぉーい♡」

「カワイイなぁ。もっと女神イモむくから、およめさんになってくれー」

 やだー♡ キャッ♡ キャッ♡ キャッ♡ キャーン♡♡

 アリーヌは、地団駄踏みたくなった。

「この男はぁぁぁ⋯⋯っ!」

 このイヤラシくてイヤラシイィっゲレツな男は、王宮中の女を引っかけようとしてるんじゃないのっ? きっと人目につかないフケツな所で、フケツなことをしてるんだわ! ヒドイ!


 アリーヌのスパイ情報は、全てジュスティーヌ王女の耳に入った。レオンが王宮中の女の間をうろつき回り、メイドの仕事部屋にまで入り込んで愛想を振りまいていると聞いたときには、さすがにしばらく考え込んだ。やがてツイと立ち上がると、父王に謁見を申し込んだ。


「国王陛下。いえ、お父さま。お願いでございます。わたくしがルーマに同行することを、どうかお許し下さいませ。わたくしは、レオン様から離れたくないのです。レオン様のお側で、ずっとお世話させていただきたいのです。お父さまは、女神セレン様の眷属がこの国に顕現されたことを、どのようにお考えになってらっしゃるのですか? レオン様は、この国に必要とされる方です。わたくしが、かならずフランセワ王国に連れて帰ってきます。ルーマなどには渡しません」

 これがあのジュスティーヌの言葉なのか? 父王は、王女である自分の娘がこれほど情の深い性格を潜ませていたことを知り、驚き、とうとう諦めた。

 その夜には、数日後にレオンが聖都ルーマへ出発することが正式に決まった。

 ジュスティーヌが、レオンのルーマ行きに同道すると耳にしたアリーヌは、仰天した。事実上の家出にすら黙って従うほどジュスティーヌを無条件に肯定するアリーヌだったが、こればかりは納得できない。十二年の王女付き侍女人生で、初めて姫様に意見した。

「姫様、あの男はふしだらです。そのようなことは、おやめなさいませ」

 ジュスティーヌは、苦しそうだ。

「⋯知っています。でも⋯一緒にいられるなら⋯我慢します」

 我慢って⋯⋯。そんな、ひどい! なんで姫様がっ、こんなことをっ。

「あの男は、いやらしくて、乱暴で、大酒飲みで、人殺しですっ! いっしょになっても、絶対に幸せになれませんっ!」

 命を救ってもらっておいて、「あの男は人殺し」もないものだが。

「あのね、アリーヌ。あの人は、わたくしの持っていない⋯いいえ、想像もできないものを、たくさん持っているの。だから好きになってしまったんだわ」

 姫様が持ってないものなどない、と固く信じるアリーヌには、納得できない。それに、それに、あの男は、あろうことか姫様を嫌っている。

「あの男は、ひ、姫様をきらっ⋯⋯愛していません。卑しい魂胆があるんです。お分かりにならないのですか?」

 侍女に言われなくても、本人が一番分かっている。悲しそうだが、ジュスティーヌは、強かった。

「今は。でも、いつかは愛されるよう努力を⋯⋯」

 そんな、ひどい⋯⋯。姫様は幸せにならなければいけないのに。きっと心がお疲れになっているのだと思った。

「お心が乱れてらっしゃるのです。どうか、しばらく落ち着かれてお考え直し下さい。あの男とルーマなどと⋯⋯」

 七歳から一緒だったアリーヌにすら分かってもらえないことが、ジュスティーヌには、さびしかった。

「わたくしは、ほとんど王宮から出ることもままならない王女です。あのような人と会えることは、二度とないでしょう。⋯あの人を失ったら、わたくしはきっと死んでしまう⋯⋯」

 その後、体調が悪くなってしまったアリーヌは、自室に下がるとベッドの中で一晩中泣いた。

 


 なんか知らんけど、急にルーマ巡礼の日取りが決まった。ようやくかぁ。

 出発はありがたかったけど、ジュスティーヌ王女サマが同行すると言い出した。女についてこられても迷惑なので、面と向かって苦情を言った。まあ、貴族的な婉曲話法を使ったつもりだけど、それでも標準よりは直接的だったらしい。アリーヌににらまれた。

「マルクス伯爵がルーマに行かれることがご自由なら、わたくしがルーマを巡礼することも自由ではないかしら。ふふっ」

 ジュスティーヌ王女は、こんなことを言ってウフフと笑い、話を聞かないであっちに行ってしまった。さすがは生まれながらの権力者王女サマ。まるで運輸省や空港公団だ。聞く耳を持たねえなぁ。

 徒歩は無いと思っていたが、なんだか⋯大名行列みたいだ。小型馬車一台を用意してくれればありがたいくらいなのに、でっかい馬車が五台も行列して、護衛の騎馬隊騎士が二十人くらいついてくる。税金をこんなことに使っていいのか? しかも、面倒くさい女三人と同じ馬車に入れられた。とてつもなく気が重い。

 ジュスティーヌ第三王女

 アリーヌ第一侍女 伯爵令嬢

 マリアンヌ第二侍女 伯爵令嬢


 第二侍女のマリアンヌの名前は、正式には、マリアンヌ・ジェルメーヌ・ド・ヴァルクール伯爵令嬢。職掌は、パシテ王宮一級侍女職王家担当第三王女付第二侍女。アリーヌもそうだが、なんだかすんごく偉そうだ。しかもこいつは、アリーヌよりたちが悪い。腹に一物抱えていやがる。

 うあ~。息苦しい。いやだ。

「メイドの女の子たちと同じ馬車がいい」。そうジュスティーヌ王女に言ったんだけど、「まあ、伯爵ともあろう方が、メイドと同じ馬車が良いなんて。うふっ、ふふふっ⋯⋯」。

 一笑に付されてしまった。だいたい、オレのルーマ行きのはずなのに、ジュスティーヌ王女の馬車列になっている。それは別にかまわないんですが⋯⋯。八日もこいつらとカンヅメかあぁ⋯⋯。

 アリーヌは、ちょっとキツネ顔の長身の美人なんだが、常にオレをにらんで敵意むき出し。

 ジュスティーヌ王女は、容姿言動すべてにわたって『ジ・お姫さま』というオーラを発している。姿勢良く座り、ずーっと黙ってすましている。無駄口を叩かないのは、王族だからだろうか?

 第二侍女のマリアンヌは、ちょっとタヌキ顔の愛嬌美人⋯⋯。胸はデカいが身長は普通ぐらい。まあ、王宮侍女に、背の低い娘はいない。こだわりがあるのかな? たまにさりげなくオレの様子を窺うそぶりを見せる。

 マリアンヌは、ルーマ無断巡礼事件でジュスティーヌの出奔を国王に通報した。ジュスティーヌに無条件にしたがい、腰を抜かしながらも命がけで主人を護ろうとしたアリーヌとは違うベクトルで忠誠心が強いのだろう。

 こんな三人に囲まれてしまっては、面白くない。面白くねえよ! キャッキャッウフフのメイドちゃんたちの馬車の方が、楽しいのにぃ!


 臭いので窓を開けたら、アリーヌに怒られた。

「閉めなさい。風で姫さまの御髪が乱れます」

 女臭くて、もう耐えられないのだ。

「イヤだね。なぜ臭い液をなすりつけてる? 鼻が落っこちそうだ!」

「無礼者っ! 閉めなさいっ! これは香水というんです。⋯知らないのですか? フフン!」

 なんぼなんでも香水くらい知っとるわ。嫌われてるなぁ。

「ジュスティーヌ⋯サマが、窓を閉めろって言ったかよぉ。おまえらは臭いんだよ。臭い! 臭い! もうガマンできんっ!」

 タヌキ侍女が割って入ってきた。

「姫さまの御髪が乱れないように、もう少し窓を閉めましょうね。姫さま、多少開けてよろしいですね?」

 まったく動じていないジュスティーヌ。あいかわらずシュッとして姿勢がよい。

「ええ⋯」

 マリアンヌは、ちょっぴりだけ隙間を残し、さっさと窓を閉めてしまう。

「このぉ~。タヌキがぁ⋯⋯」

 唇に手先を当て、タヌキが上品に微笑む。

「イヤですわ。わたくし、マリアンヌという名前ですのよ」

 お品が良いよなぁ。「ですわ⋯」「ですのよ⋯」だとさっ! うまく化けやがって。

 相手が男だったら、どうとでもなるんだが。女をブン殴るのは気が引ける。てか、王女をぶっ飛ばしたら死刑になるかもしれない。女三人対オレ一人で、どうにも分が悪い。八日もこの調子かと思うと、心底ゲンナリした。


 夕方、高級宿に着き、二番目に良い部屋をあてがわれた。一人でボンヤリしていてもつまらないので、小銭を持って安居酒屋や宿場町につきものの売春宿を探しに行く。⋯全部閉まってやがる。なぜだー?

 大勢で行ったら店を開けてくれるかもしれない。護衛騎士の詰め部屋に行ってみる。王宮の剣の稽古で、もう皆とは顔見知りだ。

「うほーい。遊びにきたぞー」

 最初はお高い貴族の子息だったのだが、最近いい感じに崩れてきた。みんなで囲んで、「どーでした?」「どーでしたか?」などときいてくる。どうやら王女馬車同乗の件で、うらやましがられているらしい。いやいや、辛いぞ。ずーっとあの三人と馬車に乗っているのは辛い。

 ジュスティーヌは当然だが、アリーヌとマリアンヌも男どもに人気がある。同世代の貴族娘の中では出世頭で、容姿でも目立つ存在だとか聞いた⋯⋯。キツネとタヌキがかあ?

「へー。でも、アリーヌはオレを嫌っていてにらんでくるし、マリアンヌは腹黒タヌキだぜい。二人ともジュスティーヌ⋯サマ中心で、一緒にいても面白いことはなーんにもないぞー」

「でも、ジュスティーヌ殿下は、レオンさんのことを、えっと、お好きなんでしょ?」

「王女サマには興味ない。迷惑だ」

 これにはそこにいる全員が、あきれかえった。

「なぜ、ジュスティーヌ殿下が、レオンさんの巡礼旅行に同行されたか。意味は、お分かりになりますよね?」

「聖都ルーマに行きたかったんだろ。でも、オレがジュスティーヌ⋯サマに同行させられているみたいだ。軒を貸して母屋をとられる⋯⋯」

 皆は再び驚いた。剣の達人で、人を見る目も人間的魅力もある。末席とはいえ貴族の生まれだ。なのに貴族同士のやりとりの機敏は、この人にはまったく理解できていない。

 周囲に大勢仲間がいるので、気が大きくなっていた。親切にも親衛隊騎士たちは、噛んで含めるように教えるつもりになった。

「男性の旅行に未婚の貴族女性、まして王族の女性が同行するなどということは、結婚直前か十年来の婚約者でもない限り、あり得ません」

 ええっ? 結婚直前? 気づかぬうちに、変なところに追い込まれている?

「おまえらが、ついてるじゃんかよ⋯⋯」

「貴族社会は、そうは見ません。王女殿下のご同行には、特別な意味があります。国王陛下のご裁可が必要です。つまり、国王陛下から結婚せよと下命されたのも同然なんです。現に社交界では、ジュスティーヌ殿下とマルクス伯爵のご結婚は既定の事実として⋯⋯」

 オレは、聖都ルーマに行きたかっただけなのだが~。

「勝手に他人の結婚を決めるなよな⋯⋯」

「え? ジュスティーヌ殿下と結婚するのが、イヤなんですか?」

「ああ、イヤだ」

 これには、全員がたまげた。

「だ、だって、王族ですよ? 王女殿下ですよ? 結婚したら準王族あつかいで、大出世できますよっ⋯?」

「女に頼って出世なんか、したくねぇよっ」

 弥勒の手の上で転がされるのは、腹が立つしな。

「だいたいオレは、だれにも結婚を申し込まれたり、つき合ってくれとか、好きだとか言われてもいない。なのに藪から棒に結婚とか、おかしいじゃねぇか」

「えっとですね。⋯⋯フランセワ王国に帰ったら、すぐ内々に『問い合わせ』があるはずです」

「断ればいい。断るっ!」

「これほど表に出てしまったら、断れませんよ~」

 ⋯それって、『問い合わせ』じゃなくて強制だろ。なんで結婚を強要される? おっ、名案を思いついたぞ!

「ああ! フランセワ王国に帰らなければいいじゃないか! しばらく行方をくらませてもいい。存在しない者とは、ケッコンできない。王女サマの気まぐれにつきあってられるか! すぐに熱が冷めるだろうよ。はっ!」

 げえ─────────っっ!!!!!

 一同はさらに驚愕した。マズい。これはマズいっ。この人なら本当にやりかねない。いや、必ずやる。

「どっ、どこが? ジュスティーヌ様のどこが気に入らないんですかっ? 王族で、性格が良くて、あれほどの美人ですよっ? フランセワ王国で、一番美しい方ではないですか?」

 顔については、考えなかったなー。どうせ皮を剥いじまえば、みんな同じだし。

「一度死んで、あの世で女神セレンに会った話しはしたよな。セレンに会ったことがあるヤツはいるか?」

 !

 みんなギョッとした。レオンに女神セレン様の話を聞くことは、国王から禁じられている。

 セレンティアでは十五歳からが成人。二年の訓練や見習いを経て、親衛隊騎士は、十七歳から二十二歳の者が中心だ。女神セレンの昇天が二十一年前だから、ここにセレンを見た者が一人もいなくても不思議ではない。

「お姿を拝したことがある。二十三年前だ」

 ラヴィラント伯爵だ。野盗騒動の時には、ジュスティーヌ王女救出に駆けつけた騎馬隊の隊長だった。帰りの道中で遊ぶカネを貸してくれたっけ。国王の信頼が厚く、今回の巡礼団の隊長に指名されたらしい。

「でしたら分かると思うんですけど、セレンのあの美しさは⋯⋯」

 セレンの造形は、セレンティア人の美意識を抽出して結晶化させたものだ。神々しく見える神力のたぐいも放出させている。人間離れした美しさは当然なのだ。⋯人間じゃないし。

「ううむ。しかし、セレン様は人を超えたる美神。女神とお較べするのは、あまりにも酷⋯⋯」

「ええ。セレンの美しさは、ケタ違いですよね。そんな女神と対面して長時間話したものだから、人間の美しさにあまり心が動かされなくなったと言いますか⋯⋯」

 正しくは、前々世の自分がセレンの中に入って超絶美少女神になったせいで、基準が自分の顔=女神セレンの顔になってしまったのだ。容姿でレオンの心を動かせるような人間はいない。そうはいっても、女自体や女を抱くことは好きなのだから、奇妙だ。

 女神セレン様と長時間話した! そのせいで美人が美人に見えなくなった? 親衛隊騎士の一同は、レオンの王家に対する尊敬の念が少なく感じられることや、常識のない変人なのも仕方ないと納得できてしまった。

 親衛隊騎士の中にアリーヌ侍女の手の者が、まぎれこんでいた。レオンにエロ見世物小屋に連れて行かれて迷惑したローゼット子爵夫人騎士である。レオンとは仲直りしたものの、アリーヌとは友達だった。ローゼットからアリーヌを通して、レオンの言動は全てジュスティーヌの耳に入った。

 ジュスティーヌは、優しい女性であるが、常に王族としての矜持を保ち気位は高かった。生まれてからずっと彼女は、臣下にかしずかれてきたし、それが日常であり当然でもある。王族であるとともにジュスティーヌは、たぐいまれな美しさによって父王からさえ特別あつかいされてきた。なので比較相手が女神セレンだとはいえ、容姿に関して「どってことない」とレオンに切って捨てられたことに衝撃を受けた。

「王女なんかと結婚するのがイヤだから、フランセワ王国に戻らない」というレオンの言葉は、本音に違いない。ジュスティーヌは、そう長くもないこの旅で、なんとかレオンを振り向かさねばならない。それができなければ、レオンとの結婚話は消える。男に逃げられた王女と笑われることは我慢できても、レオンを失うことだけは想像するだけで血の気が引く思いがした。

 今までのように『王女サマ』の態度では、レオンは、うんざりしてしまう。では、どうしたらよいのか? 相手は、神界で女神と話しをして神力を授かるような男である。ジュスティーヌには、見当もつかなかった。ジュスティーヌに相談されたアリーヌとマリアンヌも途方に暮れてしまった。特にアリーヌはレオンのことが大キライだったが、姫さまのために知恵を絞った。


 翌朝、状況が改善されていた。

「おおっ。臭くないぞ。たすかるなぁ」

 マリアンヌが、満面の笑みで述べる。

「ええ。マルクス伯爵様のご要望にお応えして、わたくしたち、香水を自粛することにいたしました。いかがですか?」ニコニコ。

 アリーヌは、顔を背けている。「たかが成り上がりの伯爵風情が、偉そうに王女殿下に指図するなんてっ」。アリーヌの実家も伯爵家なのだが⋯⋯。

 アリーヌとマリアンヌは、姫さまのため健気に朝から情報収集にはげんだ。年の功でラヴィラント伯爵、既婚者のローゼット夫人騎士、レオンといっしょに遊びまわっていたジルベールたち。

 彼らの意見を総合すると、

「レオンがジュスティーヌ王女に関心も持ってないのが、最大の問題点だ。なんとか結婚に持ち込んだとしても、レオンの気性では自宅に居着かず、どこでなにをするかも分からない。蒸発する可能性すらある。不幸な結婚になることは目に見えている。まずは、両者に会話がなければ、文字通りお話にもならない。ルーマまで七日もあるのだから、二人きりで共通の話題や関心事を⋯⋯⋯⋯」

 そこまできて、詰まってしまった。「共通の話題や関心事」だって? レオンとジュスティーヌほど、生まれと育ちと性格が異なる男女は、なかなか無いんじゃなかろうか? 実際には、とてもよく似たところのある二人なのだが。


 馬車の中では、レオンは、ほおづえをついて外を眺めている。常にイライラしているようだ。斜め向かいのジュスティーヌは、シュッと背筋を伸ばし姿勢よく座ったまま黙っている。レオンの隣に座ったマリアンヌは、侍女仕事をしようにもすることがない。チラチラとレオンの様子を窺っている。アリーヌは、レオンに対する嫌悪の念を隠せず、顔を見ないように背けている。

 本当はジュスティーヌは、レオンに話しかけたい。このままではダメだと焦ってもいる。しかし、なにを話題にすればよいか分からない。王族であるジュスティーヌには、もうじき二十歳になる今まで他人の気を引くために話しをした経験はない。王宮一級侍女の二人も、いつも王女の前で粘る者を剥がす役をしてきた。会話を盛り上げるような仕事なんかしたことはない。

 必然的に馬車内は、『墓場の沈黙』とでもいいたくなるような状態が続いた。ようやく昼になり宿場町に着いた。その宿場町で一番の高級宿の前に馬車列が止まる。レオンは、一刻も早く外に出ようと馬車が止まる前から扉を開け、飛び降りようとしている。

「レオンさま。あの⋯⋯あの⋯⋯」

 普段は立派に王女様を演じているのに、レオンの前で王女のペルソナを脱ぐとジュスティーヌは、うまく喋れなくなってしまう。

「お食事を、ご一緒に、ぜひ⋯⋯」

 なに言ってんだ、このオンナ?という顔で、レオンはチラとジュスティーヌを眺め、馬車から飛び降りる。

「食事は、女性陣だけで心おきなくどうぞ。ワタクシは遠慮させていただきます」(*訳 いやだね。自分らだけで食いな)

 レオンは、腹を立てていたのだ。昨日の夜、小銭を持って居酒屋や見世物小屋や売春宿を巡ったのに、みーんな閉まっている。なんでも、「高貴な方が宿泊されるので、本日は悪所を閉じよ」とかなんとかいうお達しがきて、そろって臨時休業となったのだそうな。

 今日体を売らなければ明日メシを食えない娼婦だっていることを、レオンは知っていた。それに、こいつらのせいで酒が飲めない。遊べない!

 とてもジュスティーヌたちと一緒にメシを食う気にはならない。権力を振りかざして細民の生活を圧迫するようなやつは、大キライだ。殺しちまいたい!

 売春宿にウキウキと女を買いに行くような男が、偉そうにそんなご立派なことを言えるのか?なのだが、とにかくハラが立ったのである。ストレスが溜まり、遊ぶこともできないレオンは、ひどく怒りっぽくなった。

 けんもほろろのレオンの態度に、今度はアリーヌが、カンカンに怒った。侍女とはいっても伯爵令嬢だ。

「お待ちなさいっ! 姫様に無礼ではないかっ!」

 言いながらツカツカと近づき、レオンの顔を張り飛ばそうと手を出してきた。そのままおとなしくビンタされるレオンではない。パシッ! 難なくアリーヌの手首を受け止めてつかむと、ギリギリと握りつぶした。



 もう、いい加減に本気でハラが立ってきたぞ。同行を許してやったから、ケッコンしろだあ? ふざけんな!

「いっ、痛いっ! 放しなさいっ!」

 ギリギリギリギリギリギリギリギリ⋯⋯

「あっ、ああああ。いっ痛いっ! いやっ。放してっ!」

 この権力者の子分のキツネ女、どうしてくれよう。このまま腕をへし折って、王女もろとも殺しちまうか。野盗から命を助けてやったんだから、オレが殺しちまったっていいよな!

 ギリギリギリギリギリギリギリ⋯⋯

 アリーヌの腕に、激痛が走り、麻痺してしびれてきた。

「ひっ。ゆるし⋯ご、ごめ⋯⋯」

 アリーヌは、その場に座り込みたくても、手首をつかまれなにもできない。「そうだわ。コイツは、野盗を十人も斬り殺した恐ろしい人殺しだった。なんで忘れていたんだろう?」。

 手首が痺れて消えてしまったような感覚と恐怖のあまり目がかすんできた。ポロポロ涙が出る。

 気づくとマリアンヌが、目の前に立っていた。アリーヌの手首を握っているレオンに慇懃に頭を下げた。

「どうか、この者の無礼をおゆるし下さい。おわび申し上げます。格段のお慈悲を下さいませ」

 深々と頭を下げている。どういうわけかマリアンヌを見たレオンは、ますますいきり立った。

「タヌキが。イヤだね。権力の女スパイがっ! こいつの泣き声でも聞いてなっ」

 普通の女なら震え上がるところだが、マリアンヌは動じない。スッと伸ばしたマリアンヌの手指が、ズブリとレオンの腕の筋肉にめり込んだ。

「てっ! ちっ!」

 脊髄反射のようにレオンの手が飛び上がり、腕を放した。その場でへたり込むアリーヌ。半ば気絶している。

 マリアンヌを見てレオンは、ニヤと笑った。

「へへ⋯⋯やるなぁ。さすがは王族担当保安員暗殺係。権力の手先だな? おう、公安の下っ引きか?」

 言うと同時にレオンは、躊躇なくマリアンヌの懐に入り当て身を食らわす。つまり腹をぶん殴った。

 ドスッ!

「うっっ」

 素早く背後にまわり、片手で腕を決めて締めあげた。

「かわいいアンヨが丸見えだぜっ」

 王宮で軟禁されていた時と同様に、侍女服のスカートをまくり上げる。なのにマリアンヌは、ほとんど抵抗できない。露わになった白い太股に、バンドで短刀が取りつけられているのが見えた。

「いただきぃ!」

 素早く短刀を引き抜いたレオンは、間髪入れず刃をマリアンヌの襟首に当てて侍女服に差し込み、うなじから腰まで一気に服を切り裂いた。

 ピ────────────ッ!

「あっ! いやっ!」

 マリアンヌの背中のブラジャーのホック部分にも細工があり、小型の短刀が取りつけられている。そいつも素早く取りあげる。

「おーっとっとっと、危ないなぁ。女スパイどもは、いつもこんなとこに光り物を隠してやがる。殺し屋がっ!」

 そう言うなりマリアンヌのブローチを鎖を引きちぎってむしり取った。少しブローチをいじくると、パラパラと灰色の粉が落ちてきた。

「毒か。てめえに食らわせてやる。死ねっ」

 転倒したマリアンヌに二本の短刀を投げ返した。結構な速さで顔面に飛んできた短刀を、似合わない素早さで受け取めるマリアンヌ。続いて毒入りブローチが飛んできて、口のあたりにぶつかった。

「短刀の二刀流⋯⋯。至近距離から投げても面白いし、斬り込んでもいい。こいよ。イヤならその毒を飲んで、死ねっ!」

 親衛隊騎士なら皆が知っている中腰で前のめりの姿勢で、マリアンヌにすり寄る。

「てめえ、オレを殺せと命令されてたよな? ん? 殺し屋。イヌっ! 妙な目つきでチラチラ窺いやがって。殺す機会を探ってやがったな」

 侍女に偽装した武装保安員のマリアンヌに、「どうにも手がつけられなければ、レオンの処分もやむなし」という内示があったのは事実である。とはいえレオンの暗殺は、国王が命令した場合のみ許される。暗殺命令が発せられる可能性があると聞かされただけで、マリアンヌがレオンの命を狙っていたわけではない。それでも暗殺準備命令にマリアンヌは、激しく動揺した。

 レオンは、マリアンヌの傍目からは分からない動揺とわずかな殺気から、暗殺されることもあり得ると判断していた。自分を殺そうと企んでいるやつと同じ馬車に毎日十時間も乗るのは、いくらなんでも気が滅入る。

 これまでのわずか数年でレオンは、三度も死んでいる。三度とも気が狂うほど痛かった。神経がちぎれて性格が変わったんじゃないかと思えるほどの凄まじい激痛だ。仏典では、死ぬ時の痛みは七本の剣で同時に貫かれるほどと書かれている。実際はそれ以上だった。三度目に死んだのは、レオンの感覚ではほんの数週間前だ。もう二度と御免だと思っていたら、「今度は毒殺か?」である。神経毒で窒息してのたうち回って死んだり、腐食性の毒で内蔵を腐らせて血を吐いて死ぬ姿を想像したら、文字通りおぞ気立った。冗談じゃない!

 実際には賢明で穏健な国王は、今までに一度も暗殺命令など出したことはない。しかし、レオンはそんなことは知らない。ただ、マリアンヌが殺気を放って自分を殺せる機会を窺っていた事実があるだけだ。

「なにがケッコンだ。ふざけんなよっ。いつ毒を食らわされるかとヒヤヒヤしたぜ⋯⋯。おらっ! かかってこい。殺すつもりだったんだろうが! 叩き斬って返り討ちだっ!」

 マリアンヌが背中を向けて逃げても、野盗の時のように脚を斬られて動きを止められ、とどめを刺される。女だからといって容赦する男ではない。

 このままだったらマリアンヌは、死んでいたはずだ。そこに天の助けがきた。今まで固まっていたジュスティーヌ王女が、二人の間に割って入ってきたのだ。

「申し訳ございません。わたくしどもが悪かったのです。どうかお怒りをお収め下さい。うっ⋯⋯」

 青緑の目がポロポロ泣いている。よほどマリアンヌが死ぬのがイヤなようだ。

「毒殺しようとしたくせに。なにを権力者がしおらしげに。おまえがこれを飲めっ!」

 激高したレオンは、地面に転がっていた毒ブローチを蹴ってジュスティーヌと顔にぶつけた。

「そんなことは決してありません。でも、レオン様の自由を⋯束縛してしまい、誤解を招いたことを⋯⋯」

 そんなことでこれほど怒ったら、ただの異常者だ。毒殺に脅かされた以外にも、怒る理由はあった。

「だったらどうなるか、飲んでみろっていってるんだよ! あんたの侍女は、いつもいつもいつもいつもオレの後をつけて嗅ぎ回り、盗み見し、盗み聞きし、ネタを集め、密告しやがってっ! そのうえ殺す機会を窺ってやがったっ! 遊び場所まで潰しやがったな! スパイ風情が偉そうに殴ろうとしやがったっ! おまえが命令したのかっ! もう、ガマン、できん。殺すっ! 死ねっ!」


 現代日本の公安警察は、反体制的とみなした集団に組織的にスパイを潜入させる。情報を取るだけでなく、スパイに組織をかき回させたり、弾圧の口実をつくるため挑発行為をさせたりもする。新東嶺風の組織にも、スパイ・挑発者の潜入があった。スパイに売られて投獄された同志さえいる。

 アリーヌとマリアンヌは、害がないとはいえスパイみたいなことをしていたのには違いない。新東嶺風は、仲間を裏切って売るスパイが殺意を感じるほど、大大大大大大っ嫌いだった。

 ジュスティーヌは、その場から動こうとしない。

「二度とそのようなことは、させません⋯⋯決して。ですから、どうかゆるして下さい」

「どけっ! スパイと殺し屋を殺すっ! おまえは毒でも飲んでろっ!」

「どっ、どきませんっ」

 レオンの口調が、急に優しくなった。これは、かえって危険な兆候だ。もう死ぬ気になっている。

「ふぅ⋯⋯。あんたがどかなければ、親衛隊騎士が巻き添えを食らって大勢死ぬことになる。あんたもオレも死ぬ。なぁ、あんたは、前にバカやって護衛と馭者を三人殺してるよな?」

 だんだん激高してきて再び声が大きくなってきた。ここが王宮なら、とっくに斬り合いになっているだろう。

「王女だからって、なんでも思い通りになると思ったら、大間違いだっ! どけえっ!」

 騒ぎにあわてて駆けつけてきた二十人の親衛隊騎士たちが、レオンとジュスティーヌを取り囲んだ。遊び仲間のジルベールや実直なラヴィラント伯爵の顔も見える。

 レオンが例の居合いを使ったら、ジュスティーヌは、〇・一秒で斬られて死体になるだろう。戦闘になっても、巻き込まれてやはり斬られる。

 囲んでいるのは、王宮騎士の二十人だ。一斉に斬りかかれば彼らが負けることは考えられない。しかし、あのレオンが本気で暴れたら、十人以上は殺されるか、腕を斬り落とされるぐらいの怪我は覚悟しなければならない。

 それに、王女が殺されたら⋯⋯このままでは殺されそうだが、護衛騎士は厳罰に処せられる。よくて投獄と家門断絶。最悪の場合は、死刑もあり得る。

「王女殿下。どうかおどきになって、マリアンヌとアリーヌを見殺して下さい」。騎士たちは祈る思いだった。実はレオンは、そう間違ったことをいっていない。『伯爵』を殴ろうとした侍女や毒殺を謀った侍女が、その場で斬られても文句は言えない。


“そ こ ま で ”


 レオンの脳内に声が響いた。弥勒の声だ。やっぱり見ていやがったか。

 その場で王女を斬り殺しても不思議ではなかったほどのレオンの殺気が、瞬時に消えた。ガバと顔を上げ、空の一点を凝視している。数百メートル先の空中に、人の姿に似た『女神の光』が、銀色に輝いていた。

 その『女神の光』に、レオンが苦情を申し立てた。

「スパイだらけだ。暗殺される。どこにも行けん。なにもできん。なんの自由もない。これでなにしろってんだっ!」

 その場にいる者たちには、レオンの声しか聞こえない。しかし、眼前の『女神の光』は、明らかにレオンの声に反応していた。

 この光は、女神セレンが顕現される直前に現れる人の型の光の集合体であろう。ジュスティーヌ王女や手首を痛めたアリーヌ侍女まで、レオン以外のすべての者がその場に平伏した。


“そう、短気を起こすな。ルーマは面白いぞ。マリアが死んだ後に『ファルールの地獄』がどうなったか、見たくないのか?”


「ふん⋯⋯。だがこの様子じゃ、ルーマでも権力者どものペットにされる。家畜同然だろっ」

 ジュスティーヌ王女をはじめフランセワ王家は、レオンをペット扱いしたつもりはない。もちろん、よほどのことがない限り、殺す気もない。しかし、反権力意識が強い過激派出身の新東嶺風=レオンは、今の自分の状態を『権力者に飼い慣らされたブタ』と自己規定し、そんな自分にまでムカッ腹を立てていた。


“ルーマの大神殿は、押さえておく必要があるんだ。マリアの時はそれで失敗しただろ”


「ルーマの大神殿? じゃあ、フランセワでの仕事はどうする?」


“おまえの自由にして良いといったろ? でも、フランセワの方が仕事しやすいだろうな”


「もう面倒くせえよ。また、『女神の火』を使ってビビらせればいい」

 平伏しているすべての者が、ゾッとした。最も恐ろしいとされる神罰『女神の火』。その神罰を下されたら、地上の全てが焼き尽くされ地獄に堕ちるという。


“脅迫では、だめだ。人間の自律性を損ないたくない”


「権力で他人をしたがわせるのだって、変わらんだろうが」


“人間性に内在する権力性や暴力ならば、なんの問題もない。人とは、権力や暴力なしでは生存できない存在だからな”


「女神の『ドカン』はいけないが、組織で活動するのは問題ないというのか?」


“そうだ。フランセワ王国は、セレンティア世界で最も進んだ大国だ。利用すればいい”


「国家なんぞ階級支配の道具にすぎない。利用するのにこだわりはないが、貴族生活が性に合わないんだよっ」


“貴族なんかやめて、軍人になれ。軍隊は、国家権力の最大最強の暴力装置だ。使い勝手がいい。おまえは、トロツキストだろ。赤軍を創設するなり、革命戦争を始めるなり、世界革命を目指すなり、好きにすればいいぞ”


「⋯⋯なるほど。ふーん。面白いな。あぁ、ちょっと短気を起こしちまった。癒しを頼む」


 ついさっきまで本気でアリーヌとマリアンヌを殺すつもりだったのだから、「ちょっと短気を起こした」どころではないのだが。ガタガタふるえているアリーヌの手をつかんで持ち上げた。

「いっ、いたいっ!」

 手首は腫れ上がり、かなり痛みそうだ。

 数百メートル先の女神光体から光線が照射され、正確にアリーヌの手首に当たる。瞬時に腫れが引き痛みが消えた。アリーヌは、畏怖のあまり地面に倒れると、再び平伏してしまった。


「こっちも頼む」

 侍女服がビリビリのマリアンヌを指差した。


“洋裁店じゃないんだからな~。こんな奇跡のたぐいはもう二度とないぞ”


 女神光線が照射され、引き裂かれたマリアンヌの侍女服が、元通りに直った。ちなみに王宮侍女服は、一般人の年収分くらいの値段がする。


“慈善活動をする必要はない。剣となり、望むようにこの世界を変えろ。いくら人が死んでもかまわない。どうせ二度も『ファルールの地獄』をやった連中だ”


 菩薩のくせに、ファルールの地獄をかなり根に持っている。


「剣か。そりゃあ、いいね!」

 前触れもなく瞬時に女神光体は消えた。レオンの機嫌は、すっかり良くなっている。

「赤軍かぁ。ふふふん⋯⋯。赤軍総司令官。国防人民委員。軍事革命委員会。武装蜂起。プロレタリア独裁。赤色テロル! 暴力革命! うん! いいね、いいね! やるかぁ!」

 気がつくと、騎士の連中とアリーヌ、マリアンヌ、それにジュスティーヌまでもが消えた女神光体に向かって跪拝している。

「あれ? どうしたんです? もう消えちまいましたよ。さあ、食事に行きましょう。ジュスティーヌ様、さそったのはあなたでしょう?」

 レオンだけ、すっかり素に戻っている。しかし、目の前で女神の奇跡を見せられた者たちは、だれも動こうとしない。動けない。

「ああ。あれは、オレを止めにきたんですよ。ここで斬り合って死のうと思ってましたから。でも、解決したんで、もう気にせんで下さい」


 レオンは、女の子を相手に血を見る寸前の騒ぎを起こした。いつものことだが、もちろんこれはレオンが悪い。

 レオンは、常にスパイされていると激怒していた。アリーヌやマリアンヌだけでなく、王宮の内外で常に複数の者がレオンを監視していたのは事実である。なにをするか分からない人物だし、聖都ルーマのバロバ大神殿長とフランセワ王国の国王が、二十年ぶりに顕現した女神の眷属らしい者のルーマ訪問に関して折衝している最中だ。万一にでもレオンが行方をくらませたら、大問題になってしまう。

 なので、どこにいてもレオンをつけてくる者が、視界の隅にチラチラする。新東嶺風だった時に、公安警察から公安調査庁、はては自衛隊の情報保全隊とかいうわけの分からない連中にさんざん尾行された経験があるので、レオンは王宮保安部の素人くさい尾行に容易に気づいた。一週間も監禁された後にそんな尾行が続くと、レオンはもう実に鬱陶しくてたまらなくなった。

 マリアンヌ第二侍女が、要人の警護にあたる保安員であることにも、初日に気づいていた。訓練を受けた姿勢や身のこなしを見れば、ひと目で分かる。

 王宮育ちのジュスティーヌ王女の周辺で、身元がたしかでない『あやしい者』といえば、レオンしかいない。どうしてもマリアンヌはレオンの身辺を洗うことになる。それはレオンから見れば立派なスパイ行為だった。さらに出発してからのマリアンヌの挙動不審な態度は、どんな命令を受けてきたか容易に想像ついた。表面上はにこやかで慇懃なスパイ暗殺者(とレオンは判断した)マリアンヌの偽善は、レオンに思い出させた。笑顔ですり寄ってトロツキーの息子セドフを毒殺し、トロツキーをピッケルで虐殺したスターリニストの手口だ!

 忠僕・アリーヌの情報収集は、スパイなどといえるものではなく、結婚前の娘のために行うケナゲな身上調査に近いものだろう。王宮侍女が二十日も特定の貴族の情報収集をしたとバレたら、もちろん問題になる。しかし、軍事スパイではないのだから、処分はせいぜい左遷といったところだ。ぶっ殺すなどという物騒なものであるはずがない。

 実のところレオンは、ジュスティーヌの人格に関しても深い疑念を抱いていた。ジュスティーヌが野盗に襲われた際に、馭者だけでなく護衛の女性騎士二人が強姦されたうえに殺されている。レオンには、ジュスティーヌはこの件をまったく気にもかけていないように見えた。「権力者王女サマは、下々の者が殺されようがどうなろうがお構いなしか? ペっ! そんなやつは大嫌いだ」。

 新東嶺風だった時の光景。屈強な機動隊員が十人がかりで頑として用地買収に応じない七十歳の婆さんを殴りつけ歯をへし折って小屋から引きずり出し、ブルドーザーで小屋をぶち壊して見せた国家権力と二重写しに見えた。無関心を装いつつジュスティーヌに軽蔑と憎しみの念すら抱いていたのだ。その権力者王女サマが、どんな気まぐれなのか知らないが、やけに自分に執着してハエのようにうっとうしい手下のスパイを差し向けてくる。これもレオンを激しく苛立たせた。

 実際のジュスティーヌは、非常に明朗活発ではあるが、賢くて優しい女性である。本物の人殺しであるレオンに人殺し呼ばわりされるまでもなく、自分の軽率な行動のために従者たちが三人も殺されたことを後悔し反省し、深く傷ついてもいた。アリーヌだけは、気づいていたが、他人の見ていないところでジュスティーヌは、しばしば泣いた。しかし、国の代表である王族が人前に出る際に、そんな感情を面に出してはならない。このことは、第二の人格としてジュスティーヌ王女の精神に固着していた。それがレオンから見ると、「遊びに行くために人を殺しておいて、いい気にスマしていやがる」となってしまう。

 右から左まで、政治に関わるような者は、大抵が権力亡者だ。例外が、過激派に少数存在する徹底した反権力主義者だろう。過激派だって権力獲得を目指す集団なのだから大抵は権力亡者であり、アナーキストじみた反権力主義者が混じっているのは奇妙なのだが、実際にかなり存在する。過激派がもっとも熾烈に反権力闘争をたたかっていたので、そんな反権力主義者を引き寄せるのかもしれない。新東嶺風は、そんなタイプの反権力人間だった。

 王宮で二十日も待たされてようやく出発したら、スマした権力女とスパイ女と暗殺女どもに囲まれて一週間も虚飾の馬車に押しこまれることになった。ようやく宿場町に着いてスパイ女どもから逃げ出し、気晴らしに外に出てみれば『悪所』は、全て閉じられている⋯⋯。しかも巡礼を終えてパシテ王宮に戻ったら、結婚がどうだとか? オレの意志は? ふざけていやがるのか?

 もともと過激派の武装闘争の特別行動隊員で、ピストルを乱射する警官隊に突っ込んで、全身火傷で死んだような男である。この『権力の横暴』に、とうとうレオンの怒りが爆発した。憎悪されている『権力者』の側は、レオンをいささか持て余してはいても悪意は無いのが、また不幸だった。

『悪所』の閉鎖は、もちろんジュスティーヌのしわざではない。当たり前だが、好きな男が売春居酒屋で大騒ぎしたり、売春宿にしけこむのを喜ぶ女はいない。しかし、レオンとジュスティーヌは赤の他人なのだ。レオンの立場で見れば、勝手についてきた連中だ。あれこれ文句をつけられる筋合いはない。皮肉を返されるか、返事もせずそっぽを向かれるのが関の山だ。

 しかし、レオンは気づいてないが、彼らは非公式とはいえ王族を戴いている国の使節として聖都ルーマに向かっている。レオンの乱行は、あまりにも外聞が悪い。困り切って、「どうにかならないかしら」と頭を抱えたジュスティーヌ王女の様子に、随員が動いたのが真相である。でも、そんなことはレオンの知ったことではない。「ついてくるな」としか言いようがない。まとわりついてくる権力を振りかざした悪が、体を張って日銭を稼いで生きている弱い立場の人たちを踏みにじったようにしか見えない。それに自分の気晴らしも、できなくなってしまった。


 多くのすれ違いがあり激怒していたとはいえ、レオンの行動は、やはり常軌を逸している。それなりに親切にしてくれていた王女や侍女。顔見知りになり、かなり親しくもしていた護衛の親衛隊騎士たち。そんな彼らを死ぬまで暴れて殺せるだけ殺し、道連れにあの世に行くつもりだった。

 この時のレオンは、強度のストレスからくる適応障害にやられていた。今回のひどく攻撃的な行動は、その症状である。

 ①過激派・焼死・闘争敗北 ②女神・惨殺・祭り上げ ③聖女・裏切り・惨殺・祭り上げ ④王宮・監禁・陞爵 ⑤馬車に軟禁・命を狙われ?・王女と結婚???

 このセレンティアでは二十数年経っているが、新東嶺風としての感覚では過激派時代を加えても六年程度だ。レオンに限らず、こんな短期間でのこれほどの環境の激変に人間の精神は耐えられない。

 女神セレンだった時に、三百万以上の人たちの病を癒したレオンが、ストレスで精神のバランスを崩して病んだのは皮肉だった。さすがに菩薩の弥勒も看過できず、しぶしぶ介入してきた。『女神の光』でアリーヌの腕やマリアンヌの侍女服を治しただけではなく、レオンの適応障害も一瞬で完治させた。

 しかし、「奇跡はもう二度と無い」と引導を渡されてしまったのだった。


 貴族用の宿の貴賓室でレオンとジュスティーヌは、対面して食事をとることになった。あえて護衛の騎士はつけない。見かけによらず度胸のあるジュスティーヌが、数人の騎士が護衛してもレオンをいらだたせるだけで意味は無いと判断したからだ。

 ジュスティーヌ王女の後ろに、アリーヌ侍女とマリアンヌ侍女が控えている。二人は、恐ろしかった。女神様の奇跡を目のあたりにしたことが恐ろしかった。それ以上に、自分たちを斬り殺そうとし、それを止めて下さった姫様を、「人殺しがっ!」と面罵した男が涼しい顔をして目の前で食事をしていることが恐ろしい。

 本来、会食中に給仕をしている侍女と貴族が会話するなどあり得ないのだが、レオンはまるで頓着しない。

「マリアンヌ、すまなかった」

 訓練された武装保安要員でもあるマリアンヌは、内心の動揺をおもてに表さない。

「なにがでございますか?」

「保安員だとバレたら、王女の侍女は続けにくいだろ? これからどうするつもりだ?」

 平静に食事をしているように見えるジュスティーヌが動揺していることにアリーヌは、気づいた。貴族の令嬢であるアリーヌには、マリアンヌが辞めなければならない理由が分かっていた。王族の侍女は、貴族の令嬢から選ばれる。暗殺まで任務に入っている保安要員が、貴族であるはずがない。

「王宮に戻りましたら、お暇をとらせていただき仕事を探そうかと」

 王宮一級侍女職で王族を担当していたという職歴。しかも優しげな美人なら、引く手あまただろう。

「ヴァルクール伯爵家の令嬢というのは、詐称か?」

「養女というかたちで、籍だけお借りしました。一度だけお会いしたことがございます」

「ふん。ヴァルクール伯とやらは、警察官僚か。岡っ引きのクセに貴族とは、笑わせるなあ!」

 新東嶺風の警察嫌いは、セレンティアにきても直らない。公安刑事に面と向かって「ケガレ役人がっ!」と罵り、まわりにいた仲間たちに「それは差別だ」と怒られたようなやつだ。第四インターだったからそれで済んだが、解放派だったら査問やら糾弾やらを食らって鉄パイプでぶん殴られていたかもしれない。

 ジュスティーヌ王女が口をはさんだ。

「ヴァルクール伯爵は、優しそうなお爺様ですわ」

「ふっ。公安の岡っ引きは、そんなふうに見えないと仕事にならないからね。優しそうだけど、よくみると目つきが悪いですよ」

 普段なら絶対にしないのだが、アリーヌは言わなければならないと決心した。ことは女神様に関わる。

「あの、あのっ。女神様の奇跡で腕を⋯⋯ありがとうございました」

 チラとアリーヌを見たレオンは、皮肉に笑った。

「手荒なことをしてすまなかったね。二度は無いと思えと叱られたよ」

「叱られたって⋯⋯? あの?」

「女神セレンにだよ。もう癒しのやる気を失ってるから、腕を叩き斬ってたら、くっつけてもらえなかったかもしれないな。危なかったよ」

 レオンは平気でゾッとするようなことを言う。急に口調がきつくなった。

「⋯⋯いいか? 二度とオレのまわりを嗅ぎ回ったり、妙なウワサを流すなよ。これからは命に関わるぞ」

「ひっ!」となって硬直するアリーヌ。ジュスティーヌが、どうにか引き取る。

「まあ、こわい! もう、あんなにお怒りにならないで下さいね」

「⋯⋯ええ、なれない王宮暮らしで、頭の調子が少しおかしくなってました。セレンが治したから、そっちはもう大丈夫です。これからは、ちょっと面白い仕事をするつもりです。でも、嗅ぎ回ると命に関わりますよ」

 動揺のあまり足元も定かでないアリーヌに比べ、マリアンヌはしっかり侍女の仕事をしている。

「なぁ、マリアンヌ。オレとジュスティーヌが結婚したら、『マルクス伯爵家』を立てることになるらしい。そこで働かないか?」

「!」

「!」

「ありがとうございます。喜んで」

 さすがは保安要員。決断が早い。

「ジュスティーヌさん。結婚しましょう。今晩、オレの部屋に来てほしい」

「えっ? あ、あの⋯⋯それは⋯⋯」

「おいやですか? なら、オレがそちらに伺います。侍女は下げておいて下さいよ」

「い、いえ。わたくしから伺います」

 場が急に静かになった。今夜夫婦になるらしい男女は、黙って食事をとっている。

 どうやらアリーヌの首は、繋がったようだ。でも、そんなことよりアリーヌは、姫様のことが心配だった。それに今晩のことと、将来のことも。



 朝起きると白いガウンのような着物をまとったジュスティーヌが、レオンを見つめていた。顔を見返すとベッドの端に移動し背中を向けて座ってしまう。たぶん照れたのだろう。

 シーツに縦十五センチ、横十センチほどの楕円形に近い形の赤いシミがある。珍しいものなので観察した。生理の血はオレンジ色っぽいが、破瓜の血は赤黒くて本物の血という感じがする。どれ、味と匂いは?

 ぺろ、クンクンクン⋯⋯

「ひっ! やややっ、やめて下さいっ!」

 いつの間にかこっちを向いていたジュスティーヌが、飛びかかってきた。

「匂いをかいじゃいけないのか?」

「ああああたりまえですっ!」

 血の味と匂いしかしなかったけど、恥ずかしいのかな? よく分からない。

「処女を抱いたのは二人目だから、珍しいんだ」

「うっ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 乱れたベッドと血の付いたシーツ。だれが見ても、ナニがあったか一目瞭然だ。

「恥ずかしい⋯⋯」

 両手で顔をおおってしまった。へえ、王族でも、下々の者に対して『恥ずかしい』という感情を抱くんだ。

 ここは、フランセワ王国の王都パシテからイタロ王国聖都ルーマへ向かう街道に建つ貴族向け高級宿だ。王族すら泊まることがある。⋯⋯てか現に泊まっているな。敵対国であるブロイン帝国やルーシー帝国の『目』や『耳』が潜り込んでいるのは、間違いないだろう。

「フランセワ王国第三王女が、恋人貴族の部屋にお泊まりした」と通報されるのは、時間の問題だ。シーツを置きっぱなしにして『物証』を握らせる必要は無い。なにに使われるか分かったもんじゃない。王族とは不自由なもんだ。

 ベッドからシーツをはがし取る。

「記念に持って帰るかい?」

「いやです」

「なんで? 十九歳まで処女だったなんて、なかなか立派なことだと思うぞ?」

「えっ? なっ! 貴族ならあたりまえのことですっ!」

 へぇぇ? そうなのか? 資産を持たない庶民と、相続財産を持つ階級では、いわゆる『貞操観念』が異なる。エンゲルスが『家族・私有財産・国家の起源』で書いていた通りだ。少し面白い。

 豪華部屋の装飾も兼ねているのだろうが、デカい暖炉がある。もう五月だが、塞いでない。シーツはここで焼いちまおう。

「このシーツは、一般人の給料一カ月分くらいの値段がする」

 王族や上位貴族が、ちょっとなにかしたら、細民の生活なんて吹き飛ばされてしまう⋯⋯。

「焼いてしまうのは、申しわけない気がします」

「まあ、代金を置いていけば、よかろうさ。国家機密を守るためだから、仕方ないよ」

「え? 国家機密?」

「フランセワ王国第三王女が、処女を失った。相手は⋯⋯」

 真っ赤になって両手で顔をおおってしまった。

 シーツを丸めて暖炉に放り込んだ。部屋の隅に置いていたショルダーバッグを引っぱり出す。中に入っているのは、ちょっとした雨具、ナイフ、水筒、乾燥肉、乾パン、小銭などだ。あったあった、火打石と火口。

「なぜ、このようなものをお持ちなのですか?」

「つまらない巡礼に嫌気がさしたら、こいつを持って逃げようと用意してた。暴れて斬り合う必要なんかなかったよなーっ。逃げりゃよかったんだ。ははは!」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 火打石と火口を使って発火させ、シーツに火をつけた。ジュスティーヌが、えらく感心している。

「まあ。こうやって火をつけるのですね」

 ほどなくシーツは灰になった。

「ほとんど寝てないだろ。朝食は、サンドイッチでも作らせて馬車で食べればいい。休みなよ」

 レオンにめずらしく優しい言葉をかけられて、ジュスティーヌは、にっこりした。

「はい。ドキドキしてしまって。痛みもありましたし⋯⋯。いやだわ! レオンさ⋯あなたは、なにをなさるのですか?」

「オレは、下の食堂でメシを食ってるよ。ちゃんと寝なよ。じゃあ、馬車で会おう」

「はい、⋯⋯あなた」


 階段を降りながら考えた。

「ジュスティーヌは、オレを「あなた」とか言ってた。王女とセックスしたら、その時点で婚姻が確定して夫婦ってことになるのかなぁ? あらゆる権力を粉砕して平らにならし、全身血まみれになって共産主義社会を実現したいと本気の本気で考えているのに、結婚をエサに権力者の娘に近づくってのは矛盾だよなー。弁証法の、『否定の否定』の実例になるのかなあ? ははは! オレは活動家だ。理論家じゃないから分からねえや」。


 部屋で一人で食事をするのは陰気くさくて嫌なので、食堂へ降りていった。ほとんどが貴族だけあって、静かに食事をしている。レオンが顔を見せたら、ますます静かになった。

 バレてる⋯⋯。こういうウワサは、広がるのは早い。若い親衛隊騎士連中が多いので、どうしても好奇心に勝てずチラチラとレオンの方を見たりする。

 居づらいなあ。階段の途中で、ベン!と壁を叩いた。皆が一斉にレオンを注目する。

「昨日は、くたびれたっ。腹ペコなので、一緒に食事させてもらうよ。ヘヘ」

 プッ! クスクス⋯⋯。下働きとして連れてきたメイドの女の子たちにウケてる。なぜか嬉しそうだったり、どういうわけか頬を染めて恥ずかしがっている子もいる。若い男性騎士たちもニヤニヤしはじめた。なかには「やったね」と、親指を立てるヤツまでいた。

 年配のラヴィラント隊長とローゼットら女性騎士たちは、苦い顔をしていた。

 空いている席に座ると、隣りは、

「おう、ジルベールじゃないか。おはよー」

 ジルベールは、やけに嬉しそうだ。

「センパイ、昨日はどうでした? ホントは、訊いちゃいけないんですけど。うへへへ」

 まったく名門侯爵家の子息らしくない。今は嫡子となったが母親は元妾で、子供時代は下町に住んで悪ガキと駆け回って遊んでいたそうだ。そんなやつだから気が合うのだろう。

「かなり痛がって、たくさん血が出たぞ」

「うっ!」となったジルベール君。しばらく下を向いている。なぜに動揺するのかレオンには、分からない。ジルベールが、小声で言ってきた。

「ロコツですねぇ~。ジュスティーヌ殿下が、おかわいそうだから、そんなこと言いふらしたらダメですよ」

 自分からきいてきたくせに。こういったところは、やはり貴族だ。


 セレンティアには、電気はない。夜になったらランプ生活となる。今の季節だと、日の出が五時、日の入りが六時半だ。太陽が出ている明るい時間は、十三時間半。夜になったらランプの灯りで薄暗くても可能な作業をして、九時には寝てしまう。貴族の屋敷であっても多少は明るい程度で、基本的に生活パターンは同じである。

 レオンとジュスティーヌ一行も、五時ごろに起きる。六時半までに食事をして支度を調え、七時には出立だ。

 騎士や随員たちが両側に並び整列している間を通り、清楚な白いドレスをまとい王族用の小型ティアラを身につけたジュスティーヌ王女が、アリーヌ第一侍女を連れ、ななめ後ろに小荷物を持ったマリアンヌ第二侍女を従えて、今日はいつもよりフワフワした足取りで王族用超高級馬車に乗り込んだ。ジュスティーヌ王女の様子にみんな興味津々なのだが、さすがにジロジロ見たりする者はいない。

 レオンは、毎日のこの大仰な行事をバカバカしいと思っていた。本当は、同乗するレオンも護衛のふりをしてマリアンヌと並んで後ろについているべきなのだが、そんなことはやってられない。毎度サボってそこらで剣を振り回し、出発直前に王女馬車に乗り込んでいる。


 聖都ルーマまであと六日である。一行は、馬車旅に退屈したレオンが再び荒れるかと危惧していた。ところが前日の事件以降、レオンは、憑き物が落ちたように機嫌よく穏やかになった。

 レオンが激怒するので悪所閉鎖は取りやめたのだが、あの日以来、夜になっても高級宿から抜け出すことがなくなり、悪所閉鎖をする意味もなくなった。

 いつも渋滞する橋で一般人を通行止めにして王宮馬車列が橋を渡った時には、「順番も守れないようでは、王族はガキ以下だな」などと皮肉を言った。以前なら、イライラと腹を立てて黙り込んでしまい、通行止めを命令したわけでもないジュスティーヌに冷ややかな視線を向け、口もきかない態度だった。ずいぶんと丸くはなった。猫を被っているのだが、それでも大助かりだ。

 ちなみにアリーヌだったら、「平民風情が姫様のお馬車をお待たせする? とんでもないっ!」という考えだ。比較的身分制度がゆるやかなフランセワ王国でも、アリーヌの反応が当たり前である。


 やはり男女は、身体を重ねると気やすくなる。ちゃんと話しをしてみると、ジュスティーヌは、非常に知的好奇心が強く創造性が豊かな優秀な人間だということが分かった。弥勒の言っていた通りで、なにも知らないバカでお人形みたいな高慢お姫サマだと思ったのは間違いだった。

 ジュスティーヌの理解の早さに、レオンはしばしば驚かされた。「とても王女なんかにしておくのは、もったいない」。


 レオンの元人格である新東嶺風は、東大をスベって東北の田舎大学とはいえ国立大学に現役合格している。国立大学を受験したので、高三レベルだが理系の知識もそれなりにある。

 空港反対闘争の合間には、大学に戻り学習会に参加したり主催したりで、学生たちを組織した。

 ある時、大学構内で「空港包囲・突入・占拠」のスローガンを情宣をしていたら、自治会権力を握っていた日共=民青が、あろうことか大学当局と一体となって闘争破壊の敵対をしてきた。激怒した嶺風は、腐敗せるスターリン主義者の正体をむき出しにした自治会長に鉄拳制裁を加え、乱闘騒ぎになってしまった。乱闘といっても「スターリン主義者め! よくも同志トロツキーを殺したな!」などと叫びながら、嶺風が民青の自治会長に馬乗りになってポカポカ殴っていたのだが。よほど悔しかったらしく民青は、「ニセ左翼トロツキスト暴力集団 新東嶺風(法学部二年)の暴力を許すな」なんて大書したビラをバラまいたりした。名指しされた当の嶺風は、「たしかにオレは、トロツキストで暴力主義者だぞ」と鼻で笑った。

 人集めの口実のはずの学習会のおかげで、マルクス主義の基礎をかなり学べた。とても『資本論』までは届かなかったが、『経哲草稿』や『国家と革命』『帝国主義論』『裏切られた革命』あたりまでは、なんとか進んだ。あとは、『レーニン選集』『トロツキー著作集』『毛沢東選集』をつまみ食いしたくらいだ。それに親友だった弥勒五十六の哲学好きの影響を受けて、ヘーゲル観念哲学、実存哲学、マルクス主義哲学・社会学。反面教師として宇野経済学や京都学派⋯⋯。こんなものが新東嶺風の思想を形づくっていた。

 新東嶺風は、文字通りの過激派で、ブルジョワ権力を打ち倒すためならなんでもするつもりだった。時代や出会いが彼を純粋トロツキストにしたが、気質的にはアナーキストに近かったかもしれない。「第四インターアラブ支部に依頼して自動小銃を手に入れよう」とか、「大量にアドバルーンを飛ばして空港に飛来した飛行機を撃墜しよう」などと大真面目に提案し、組織の幹部をビックリさせたりした。

『兵士の友』とかいうパンフレットを作って自衛隊員に配ってまわり、首尾よく自衛官を何人かオルグして内部文書の軍事教範などを持ち出させ、読みふけったりもした。この時期は、公安警察だけでなく公安調査官やら自衛隊の警務隊やらが身辺をウロウロし、小うるさくてかなわなかった。『戦理入門』『現代戦争史概論』『近代戦争史概論』『野戦築城第二部』『野戦築城第三部』『警務科運用』『作戦情報』『普通科中隊』『普通科連隊』『師団』。旧日本軍の有名な『歩兵繰典』は、神田の古本屋で手に入れた。

 左翼系の軍事書籍も、片っ端から読みあさった。トロツキー『革命はいかに武装されたか』、毛沢東『遊撃戦論』『抗日遊撃戦争の戦略問題』、ヴォー・グエン・ザップ『人民の戦争・人民の軍隊』、ゲバラ『ゲリラ戦争』、マリゲーラ『都市ゲリラ教程』、アルベルト・バーヨ『ゲリラ戦教程』、ノイベルク『武装蜂起』、『プロレタリア兵学教程』、赤軍派『前段階武装蜂起論』、中核派『先制的内戦戦略論』、革マル派『革命的暴力行使論』、戦旗派『戦略的武装論』。

 地下出版されていた極左軍事書籍も、あらゆる伝手をたどって手に入れた。『栄養分析表』『新しいビタミン療法』『遊撃戦の基礎戦術』『薔薇の詩』『腹腹時計』『都市計画案』『雲と火の柱』『世界気象観測報告書』『赤軍』『銃火』『ケーキの作り方』などなど。嶺風の六畳一間の下宿には、そんな怪しげなパンフレットが山積みされていて、仲間が面白がって図書館代わりに利用して読んでいった。

 もちろん基礎は大切だ。書店で買える基礎的で重要な軍事書籍も熟読した。『孫子』、クラウゼヴィッツ『戦争論』、リデル・ハート『戦略論』、ジョミニ『戦争概論』。特にクラウゼヴィッツは、ドイツ観念論哲学の影響を受け、戦争と暴力の本質を解明し、戦争における物質面のみならず精神的諸力の作用に関して深く考察されており、興味深く感じられた。

 嶺風にとっては、かったるいマルクス主義哲学よりも軍事学の方が、実はよほど楽しかった。組織の仲間には、よく『極左軍事主義者』などとからかわれたものだ。でも、赤軍の創設者で初代軍事人民委員のトロツキーに憧れていたのだから仕方がない。嶺風が、空港開港阻止決戦で指導部ではなく実働部隊に入れられたのは、あまりに軍事に偏向しすぎているという組織の判断があったのだろう。


 馬車の中でジュスティーヌは、目を輝かせ身を乗り出してレオンの『講義』を聞いていた。しかし、同乗していたアリーヌとマリアンヌは、以前のレオンのようにゲンナリしている。「よく分からないのだけどレオン様の言っていることは、女神セレン様にそむく考えではないかしら?」と思わないでもなかった。レオンの講義は、こんな調子だ⋯⋯。

「世界は、神や絶対知といった観念に向かって発展してゆくのではない。物質、すなわち自然の観察と実験に基づいた合理的な科学に向かって発展する。この考えを弁証法的唯物論という。弁証法は、『対立物の相互浸透と統一』『量から質への転化』『否定の否定』の三つを具体的原則とする。まずは原則のひとつ、『対立物の相互浸透と統一』について検討しよう。ヘーゲル弁証法の基本概念である止揚と正反合は⋯⋯ウンヌンカンヌン⋯⋯」

 こんなことを馬車の中で十時間もしゃべりまくって聞かされるのだから、アリーヌは頭が変になるかと思った。わけの分からないことをひと区切り話すと、うっとりと聞いて目を輝かせている姫様とレオンが討論を始めてしまう。『上部構造』?『生産関係』?『発展段階』?『ジンテーゼ』?『あうふへーべん』?????

 カラスでも鳴いていると思って聞かなければよいのだろうけど、嫌でも耳に入ってしまう。夕方に貴族用宿に着いた頃には、アリーヌとマリアンヌは、もうクタクタのヘトヘトになっていた。


 夕方の五時ごろに貴族宿に着くと、正面玄関前に王女馬車が止まる。馬車の中ではジュスティーヌは王女ティアラを外している。再びアリーヌがうやうやしくお付けする。

 馬や他の馬車から降りてきた随員や騎士たちが駆け足で両側に並び玄関まで続く壁をつくり、その中を貴族侍女を連れた王女サマがしずしずと進み、入宿される。その宿で一番エライ人だったり、場合によってはその宿場町で一番エライ人が、立派な玄関で平伏せんばかりにお出迎えする。王女サマは、優雅かつ鷹揚に微笑み、ねぎらいの言葉を賜る。毎回こんな調子だ。

 うへぇ!

 朝のようにサボれないので、レオンはマリアンヌの後ろでもっともらしい顔を作ってついて行く。まったくバカバカしいったらない。

 生まれたときから虚飾の儀式にならされてきたジュスティーヌだが、こんなものは無意味な権威づけにすぎないとベタ惚れのレオンに吹き込まれ、儀式はなるべく簡易に済ませようと心掛けはじめた。するとレオンの機嫌がよくなり、随員たちにも日を追って二人の仲が親密になるのが感じられた。

 高級宿に着いたらジュスティーヌは、レオンの部屋に入り浸りである。最初は二人の仲がどうなることかと心配していた随員は、ようやく安心できるようになった。巡礼といっても実際は新婚旅行のようなものなのだから、なるべく二人きりにしてさしあげようと、心配りまでしてくれる。

 フランセワ王国では、貴族男女の婚前交渉は、望ましいこととはされていない。まして王族である。眉をひそめる者も少しはいたが、父王が許しているのだから、まあ、問題はない。

 しかし、二人だけの部屋は、皆が想像しているような甘ったるいものではなかった。この世界では高価な紙とペンを持って男女が対面し、「人間は生まれながらに自由であるはずである。なのに現実には無数の鎖に繋がれている。なぜか? どうすればよいか?」とか、「『要素還元』と『再現性』の二つの方法論によって自然科学の進歩は担保される」なんてことを、ジュスティーヌの質問をはさみつつ講義し討論しているのであった。

 中世に近いセレンティアで、奇跡的なほど現代的で開明的な考えの素地を持っていたジュスティーヌは、まるで水を得た魚のようだった。『夫』であるとともに最良の師を手に入れたのだ。レオンだって、これほど熱心で優秀な『弟子』は、かわいい。

 言ってしまえば、最初からレオンはジュスティーヌ王女の権力が目当てだった。いいように利用するつもりでジュスティーヌを受け入れたのだ。ところが少しずつジュスティーヌのことを好きになっていった。もちろん聡いジュスティーヌは、レオンが権力目当てで自分の気持ちを受け入れたことを知っていた。でも、自分自身はレオン様を好きなのだから、どこからか持ち込まれた政略結婚などより、ずっとよい。少しずつレオン様の心を溶かし、暖かいものを築いていこう。そう考えていた。

 事実上もう夫婦である二人は、身体の相性も非常に良かった。それに少なくともジュスティーヌには、深い愛情があった。ガサツで無神経でデリカシーのないレオンへの、優しく賢いジュスティーヌの心遣いも大きかった。聖都ルーマに到着する八日の間に、二人はお互いが信頼できる関係をある程度まで築いていた。

 美少女主神の容姿に似合わず女神セレンの宗教は、地球でいえば仏教系である。セレンの背後に菩薩の弥勒五十六がひかえているからだ。キリスト教やイスラム教と違って、女神セレンは、唯一絶対神ではない。女神が人間や世界を創造したわけでもない。セレンは、人間をとてつもなく高次にして超能力なども持っているが、時には誤りを犯す可能性のある神ということになっている。教典や教義なども、まだまだ整理されていない。キリスト教などとと異なり仏教では、『愛』を執着と捉えてあまり良いものとは考えない。なので菩薩の世界観では、人間は本質的に孤独であり、神や菩薩もまた同様だ。

 前世で女神や聖女だった時には、レオンは、常に孤立してひとりだった。だが、今回は違う。レオンは失うものを得た。


 出発してから八日目の午後に、イタロ王国の聖都ルーマに入った。超高級ホテルの正面に着いた友好国フランセワ王国の王女一行は、極めて丁重に迎えられた。

 アリーヌが喜んだことに、ルーマに入るとレオンはわけの分からないことを喋りまくることをやめ、窓にとりついて黙って興味深そうに外を眺めていた。聖女だった時以来、ルーマは実に二十年振りなのだ。

 聖都巡礼者による経済効果だろう、表通りはかなり賑わっているように見えた。ここが『ファルールの地獄』の中心地とは、とても感じられない。

 王女に次いで二番目に良い部屋に案内されたレオンは、メイドの女の子に頼んで実家から持ってきてもらった「一番みずぼらしくてボロっちい服」に着替えた。メイドとはいっても平民少女の憧れの王宮内務員だ。かなり良いところのお嬢さんである。頑張ってボロ服を探してくれたのだが、全然みずぼらしい感じはしない。実家が末席貴族出身のレオンが着たらよく似合うくらいで、ルーマの街を歩けばかなり良い身なりに見えてしまう。


 もう四時過ぎだが、この服を着て高級宿を抜け出し、まずスラム街に行くことにした。四十分も歩けば着くはずだ。聖女だった時に拠点にしていた場所である。病気治しだけでなく、寄せ場労働運動を参考にして貧民学校を建てたり寄付金で炊き出しなんかもしていた。あれから二十年経ち、スラムはどう変わっただろうか?

 ルーマの街でも珍しい大小二本差しを腰ベルトにつける。ドアから出ると、ジュスティーヌと鉢合わせした。しばしば薔薇に比せられるジュスティーヌであるが、派手な色は好まず、いつも白を基調とした装飾の少ない服を好む。見る人が見れば超高級品だと分かるだろうが、貴族としても質素で清楚に見える。それがジュスティーヌの美しさを増している。ゴテゴテ装飾された瓶に花を入れるより、洗練された白磁の瓶に挿した方が美しく見えるのと同様である。もっとも本人は、そんなことは意識していない。

 一緒についてきたがったが、ジュスティーヌは、スラム街とはどんな場所か理解していない。生ゴミや人糞の臭気がたちこめ、場合によっては死体が転がっているようなところだ。そういった因果を含め、今度つれて行くと約束し納得させた。

 それにレオンは、ここで人を殺すつもりだった。ジュスティーヌは、邪魔になる。闇にまぎれた個人テロルで、二十年前の聖女マリアの時の報復をするのだ。何人殺せるだろうか?


 多くの都市では中心に官庁街があり、その周辺に高級商業街や高級住宅地、そこから中流街に続き、中流街の端や隅に貧民街やスラム街がまだらに混在する構造になっている。なかには貧民街が全体を覆っているような街もあるが、聖都ルーマはセレンティアでも有数の豊かな都市だ。

 やはり表通りは、二十年前とそう変わっていない。中流街を通って港の方に向かうと貧民街に入った。貧民街の中のドブ川に沿ってスラムが続いている。川は、しばしば境界線だ。境界だから所有者がはっきりしない。それに悪臭や害虫、水害などで住環境が悪い。川筋は、底辺スラム化することが多い。

 川にぶつかりスラム街を歩いた。やはり川沿いの小道は、レオンが聖女マリアだった二十年前となにも変わらない。ここに住む人たちの生活は、少しも向上していなかった。「神殿は、二十年もなにをしていた?」。

 日が落ちたころ、マリアが殺されたあの場所にたどり着いた。唯一そこだけは、変わっていた。貧民学校も小さな校庭も影も形もない。代わりに巨大な神殿が黒々と屹立していた。レオンの胸の中にも、黒々としたものが広がっていく⋯⋯。「明日は、ルーマ大神殿長のバロバと会う。あの野郎も、殺しちゃおうかな⋯⋯」。


 まずは、たしかめたいことがあった。「たしかめたいこと」を警備隊のたぐいの公権力にたずねたら、しょっぴかれるかもしれない。なにかの店でさりげなくきいたとしても、まともな人間じゃないと思われてつまみ出されそうだ。居酒屋だったら、酔った連中に袋叩きにされるかもしれない。密室で腕力の無い相手とじっくり話ができる場所は、やはり売春宿だろう。売淫代なんて情報料と考えれば安いものだ。

 どの都市でも売春地帯は、スラム街の近所にある。さんざん遊んできた経験から、そんなものに鼻の利くレオンは、ちょっと探してたちまち悪所を見つけだした。

 表通りにある毒々しい裸女絵を立てているような売春店ではない。飲み屋の体裁をとった小さな掘っ建て小屋が密集する売春窟だ。女の顔を見て選べるよう、戸口を半開きにして椅子に座った売春婦が客を誘っている。こんな場所の客にしてはやけに身なりの良いレオンは、ちょっと目立った。自分から声をかけてくる女やポン引きはいない。

 レオンが探していたのは、人が良いが少し頭が弱く、何度となく騙され続けてとうとう淫売の世界に堕ちてきたような女だ。全身から人の良さをにじませているような売春婦は、けっこういる。『サービス』が良いし、愚かで不幸な身の上にほだされるので、意外に固定客がついていたりもする。

 売春窟を一周し二周目に入ってすぐに、目当ての女を見つけた。一周目では見かけなかったから、前の客が帰った直後なのかもしれない。

 黒髪短髪で丸顔の女が、戸口の椅子に座って愚かしくニコニコと笑っている。年は、二十代後半くらいに見える。小柄で貧相な体つきだ。美人ではないが不美人ともいえない。最上級の美女であるジュスティーヌとは較べるのも悲しいくらいだが、この売春窟では、上玉の部類だろう。

 レオンは、わざと遊び慣れたしゃべり方をした。警戒されたら口が堅くなってしまう。今の身なりの良さを逆手にとって、物好きな上客を装うことにした。

「よう、カラダはあいてるかい? いくらだ?」

 女は、少しドギマギしたようだ。レオンは、まあまあいい男だし、この売春窟の客にしては、身なりがまともだった。

「あ、えっと。一時間で、さん⋯⋯四千ニーゼだよ。ねぇ。遊んでってよ。ねっ。いいだろ?」

 レオンは、店に入った。


 居酒屋という体裁をとった売春小屋だ。屋内は、すえた匂いがする。入ってすぐの場所にテーブルがあり、上にホコリをかぶった酒土瓶が転がっていた。その奥に不潔な中型ベッドがあった。シーツは体液のシミだらけだ。

 女は、さっさと服を脱ぎはじめた。

「おちんちんを、そこの水であらってねぇ」

 見ると部屋の隅に頭くらいの大きさの壷が置いてあり、ドロンと濁った水が入っている。壷の横に柄杓が転がっていた。

「なぁ、教えてほしいんだけどな⋯⋯」

「なぁにぃ?」

 もう素っ裸になりベッドに座って笑っている。

「クラーヌの丘が、どこにあるか知らないか?」

 首を傾げる。

「アタシ、聞いたことないよ⋯⋯」

「じゃあ、クラーニオの丘は?」

「ヒッ!」

 聞いた瞬間、女の顔色が変わった。両手で身体を覆い、乳房を隠すような姿勢になる。ベッドから腰を浮かし、レオンから離れようとする素振りさえ見せた。少しふるえているようだ。

「お、お客さん、外国の人だろ? なんで⋯あんなところに? イヤだよう⋯コワイよ⋯⋯」

「行きたいんだ。どこにある?」

「だいたいアッチだよっ!」

 指さした方向を頭に刻み込んだ。善良そうな女だ。デタラメではあるまい。特別な丘だ。おおよその場所さえ分かれば場所を特定できるはずだ。一応聞いてみる。

「どうやって行く?」

「あんなところに行くやつなんか、いるもんかい! お客さんもやめなよ。コワイとこなんだよ。アタシのお父ちゃんだって⋯⋯」

 笑顔が消え、本当におびえている。

「だれも行くやつは、いないのか?」

「いるわけないよ! でも、たまに神殿の神官さまが、悪魔祓いをして下さってるよ」

 神殿に案内させるか⋯⋯。少し意地の悪いことを言いたくなった。

「おまえの父親は、悪魔なのか?」

「ち、ちがう! ちがうよう⋯⋯。あそこでお父ちゃんが⋯⋯。お父ちゃんが生きていれば、アタシだって、もっと⋯⋯」

 もう、泣きそうになっている。

「ファルールの地獄でか?」

 文字通り、女は飛び上がった。

「そんな言葉、使っちゃダメだよ。聞かれたら殴られるよ。殺されちゃうかもしれないんだよ!」

 訊きたいことは聞けた。追加に千ニーゼ渡してやる。仕入れた情報に比べれば安いものだ。

「これで、子供とうまいもんでも食いな。子供は、何人いるんだ?」

 裸体を見れば、子供を産んだことがあるか無いかくらいは分かる。

 たちまち売春婦は、機嫌を直した。元の愚かなニコニコ顔に戻る。相場は、三千ニーゼなのに五千ニーゼもせしめたんだから、それは嬉しいだろう。

「二人さ。ありがとねー」

「学校には行ってるのか?」

「あははは。まさかあ! 昔は、このあたりにも学校があったらしいけどね」

 こりゃあ、笑える! 笑いながら捨てばちな気分になった。

「なるほど。フッ、フフフ。じゃあ、遊ばせてもらおうか」

 もしジュスティーヌが、自分以外の男に抱かれたら、レオンはどんな顔をするだろうか? しかし、残念ながら、それは強姦以外ではあり得ない。なのにレオンはやりたい放題だ。


 コトが済むと索漠とした気分を抱えたレオンは、売春窟を出て、もうひとつのやり残した仕事に取りかかった。二十年前のあの五人の中で、まだ生きていやがるのは三人だった。

 最初のターゲットは、材木かなにかを運ぶ作業員、というより土方といった方がしっくりくるが、そんな連中のタコ部屋にいた。鍵はなく、屋内はランプ代を惜しんで窓からの月明かりしかない。ウナギの寝床のような三段ベッドで、その男は口を開けて寝ていた。

 レオンは当たり前のように宿舎に入り当たり前のように近づき、脇差しを抜き、躊躇なく喉をえぐった。大量の血が吹き出した「ヒューッ」という音が鳴り、しばらく死体が痙攣して寝床がガタガタと揺れた。しかし、今ここで人が殺されたことを、だれも気付かなかった。おかげで無意味な殺生をせずにすんだ。

 二人目は、さっきの売春窟にいた。入口にぶら下がっているピンク色のランプが下ろされ扉が閉まっている店が、現在仕事中というわけだ。さすがに鍵を閉めている。ガラスなど無い荒い格子の窓から腕を突っ込んで、内側から鍵を開いた。

 奥の不潔の極みのようなベッドで、売春婦の上に乗った男が尻を動かしている。重ねて二つの串刺しにすれば騒がれずに楽なのだが、罪のない女を殺したくはない。

 床に置かれたピンク色ランプの横を通りベッドの脇に立った。『仕事中』の娼婦は、眠そうな顔をして向こうをむいていて、レオンに気づかない。男は『作業』に夢中だ。「あの時もこんな調子だったのかな⋯⋯」。そんなことを考えながら、男の肩甲骨の下に剣を当て、一気に貫いた。心臓が両断され男は数秒で死んだ。

 女の始末に困った。客が突然「グゲ!」とうめき、脱力し、のし掛かってきて大量の血を吐いたのだから、さぞ驚いただろう。見ると枕元に血刀を下げた男が立っている。

 レオンは、女の喉元に血が滴る剣を突きつけた。悲鳴を聞いて売春窟を仕切っているヤクザがきたら、もっと面倒だ。かわいそうだが騒ぐようなら喉をかき斬って殺すつもりだった。女は真っ青になって腰を抜かして口もきけない。ベットリと血が付いた剣で頬をピタピタしたり、「おまえの顔を覚えた。しゃべったら殺すぞ」とか、さんざん脅してから売春窟を出た。

 死にたくないなら、女は死体と一緒に朝まで静かにしていてくれるだろう。かなりの額のカネを枕元に置いていったが、受け取るだろうか?

 最後のひとりは、表通りに店を開いていた。少し成功したらしい。闇にまぎれて様子をうかがっていると、もう閉店したらしく数人の小僧が裏口から出てきた。鍵を閉めていない。楽々と入らせてもらった。

 店では太った男が帳簿らしいものをつけ、小僧と小娘がなにやら片づけをしている。そこに突然、血に塗れた抜き身の剣を持った男が入ってきたのだから驚いた。まず三人を一カ所に集め、小僧と小娘を掃除道具の入っている戸棚の中に押し込めた。

「死にたくなかったら、騒ぐんじゃねえぞ」

 もちろん出てきたり騒いだりしたら、小僧だろうが小娘だろうが遠慮なく殺すつもりだった。太った男に、剣を突きつけた。

「この店は、二十年前に女を奴隷に売り飛ばしたカネで手に入れたのかな? あの女は上玉だったから、いいカネになっただろ。ん?」

 過去の悪事を突きつけられた男は、顔面蒼白になった。しどろもどろに言い訳をはじめる。

「あ、あのころは、少しグレてました。でも、今は真面目にやってるんです。あの人におわびはしますから、い、い、い、命だけはどうか。妻も子もいるんです。必ず償いは⋯⋯」

 殺すと決めているレオンが、暗い目をしてつぶやいた。

「おまえに犯されたあの女は、死んだ。⋯⋯殺された。どうにも腹が立つ。⋯⋯死んじまいな」

 憎しみに煮えたぎる切っ先が男の喉を突き、そのまま横に薙いだ。花火のように血を噴きながら男が倒れた。床は、血の海だ。

「朝までそこにいろ。出たら殺すぞ」

 戸棚に押し込めている小僧と小娘に脅しをかけた。念のため扉に脇差しをぶっ刺した。こいつらにはかわいそうだが、戸棚から出ようと思っても突き通った刃物に目が行って、出るに出れないだろう。

 レオンは、血の海の店から出た。小僧と小娘は、朝までホウキや雑巾と一緒にふるえているだろう。


 血の臭いを嗅ぎつけた野犬の群れに吠えられながらレオンが高級宿に戻ったのは、十時ごろだった。現代日本人の感覚では深夜一時過ぎくらいだ。やけにフカフカして逆に寝づらいベッドに転がっていると、ノックの音がする。公然の秘密なのだが、ジュスティーヌが忍んできたのだ。

 ところが部屋に入るとドアの前で止まり、動こうとしない。どうやら怒っているようだ。

「レオン様」

 声が尖ってる。

「ずっと貧民街を廻られていたようですわね」

 ある国の民度の水準を知るには、刑務所とスラム街、それに下等な売春窟の様子を見るのが、一番良い。

「ああ。マリアンヌを使って、あとをつけたな。あいつも結構な美人だから、男にまとわりつかれて閉口していたよ。まいてやったけどな」

 体を起こしたレオンが、一瞬真剣な顔をして、それから暗く笑った。

 まったく悪びれる様子のないレオンに、ジュスティーヌはたじろいだ。だが、もう言葉を止めることができない。

「いかがわしいお店にお入りになったとか。なにをなさっておられたのですか?」

「情報収集が目的だったよ。ついでに売春婦を抱いた」

 レオンには、隠す気なんぞさらさらない。

「なっ! そのような不品行は、二度となさいませぬように」

 怒ったジュスティーヌが、王女様口調になった。

「ほほう? ジュスティーヌ⋯⋯サマは、私の妻ですか? もう女主人気どりにおなりになっている? いかなる御権限で御命令を? 王女サマとしての御命令とおっしゃるなら、いかなる法的根拠によるのでしょうかね? ははは!」

 レオンは、みごとに開き直った。ついさっき三人も殺したばかりで気が立っているうえに、ムシャクシャしてなにもかもに腹が立った。皮肉のつもりなのか、馬鹿丁寧なしゃべり方をする。

「どうぞ、ご自身のお部屋にお戻り下さい。ここにお越しになるような「不品行」な振るまいは、二度となさいませぬように」

 言い終わるとふたたび寝ころんで、プィッと向こうをむいてしまった。「たかが娼婦と遊んだくらいで、ゴチャゴチャとくだらねえ。必要なことだったんだ。こっちは殺しで気が立ってんだよ。なんでもいいからどこかに失せろ!」。こんなところがレオンの本音である。ずいぶんひどい『革命的左翼』もあったものだ。

 ジュスティーヌは、身分が高く美しいだけでなく、自制心が強く、聡明で賢い。いつも王女としての矜持を保ち、誇り高かった。当然だが、そのようなジュスティーヌは、常に人びとに好かれ尊重されてきた。こんなに無茶苦茶な扱いを受けたことは一度たりともない。

 ジュスティーヌは、なんとしてでもレオンと結婚するつもりだった。「聡明で賢い」のならあり得ない決意なのだが、これはもうジュスティーヌにとっては、衝動ともいえる大前提だった。レオンを失ったら、自分は干からびて死んでしまうと思えるほどに、どうしょうもなく心を奪われていた。

 人は、自分の持たない精神的な傾向や能力を持つ者。逆に自分と似た者。それに欠落を抱えた者に惹かれる傾向がある。

 ジュスティーヌは、身分制社会の王女として生まれ育ちながら責任感は持っても特権意識にとらわれず、ほとんど差別意識を持たない点で、能力以上にその『性格』が天才的だった。王女として生まれ育ったジュスティーヌは、そろそろ二十歳になる今まで貧しい人や餓えている人がいることさえ知らなかった。弱者の苦しみををレオンに吹き込まれたジュスティーヌは、王女という自分に罪の意識さえ抱えるようになっていた。

 ジュスティーヌの父王は、娘とレオンのある部分がそっくりだと感じていた。一国の王女が、ろくな護衛もつけず無断で外国に巡礼旅行に出るなど、巨大なロケット花火を作って「これに乗って月に行くんだ」といって自爆する水準の暴挙である。優秀なジュスティーヌは、うまく自分の役割を演じていたが、実際には王宮の暮らしにうんざりし退屈し切っていた。突発的に命知らずな無鉄砲なことをしでかす性格。他人を強く惹きつける磁力を発している点も、ジュスティーヌとレオンはよく似ていた。

 親だから分かるそんな性格のジュスティーヌなので、娘は生涯独身で終わるのではないかと父王は危惧していた。あのジュスティーヌが恋焦がれているという男が現れたことに喜び、喜んで伯爵位を授け、内々に結婚を許した。この二人をくっつけると、フランセワ王国の貴族界をかき回されるではないか、という程度の危惧は抱いていたのだが⋯⋯。

 レオンは、セレンティアの人たちには、超天才に見えるだろう。しかし、女神や聖女に転生し、千万を超える人の生死や裏切りを味わってきた新東嶺風=レオン・マルクスは、正常人の道徳観や貞操観といった精神構造が崩れていた。人間を『個』として見ることができず、『群』として見てしまう。レオンがしばしば見せる思いやりやデリカシーに欠ける言動は、これが大きな原因だ。また、数千万の死を見せられてきた結果、もともと少なかった死や暴力に対する抵抗感が極度に低くなっていた。

 ジュスティーヌを愛しはじめているのは、たしかだった。しかし、なかなかジュスティーヌだけが特別とはならない。「近くも遠くもどのような者でも、あらゆる人間は等価である」という神や菩薩の原則は、レオンの骨身に染みていた。ありていに言えば、三千ニーゼで身体を売っている娼婦と大国の王女が、どちらも砂のひと粒という意味でレオンにとっては等価だった。

 そんなレオンの超天才性と人間観、生死を越えた異様な性格が、優しく円満で良識的なジュスティーヌの魂を離れられなくなるほど強く惹きつけてしまっていた。また、王女として常に他者の上位に立ち、荒々しいものとは無縁に生きてきたきたジュスティーヌが、レオンの持つ激しい暴力性に性的に引きつけられたのも事実である。


 売り言葉に買い言葉で、ここから出て行ったら、レオンとの結婚はなくなるかもしれない。そんな危険を冒すことはできない。ジュスティーヌの賢さと自制心は、そう判断した。レオンとの結婚をあきらめる選択肢は、もとより無い。

 王女が臣下に降嫁した場合、婚家では宝石のように扱われるのが普通だ。しかし、できたばかりのマルクス伯爵家にそんなことは、期待できない。それより王女の夫が下等な悪所に出入りして悪名を流すようでは、実家の王家にまで迷惑をかけてしまう⋯⋯。そんなレオンの悪癖に自分が耐えられず、狂ってしまうかもしれない。

 賢いジュスティーヌは、その場に立ちつくしたまま考えた。「必ずレオン様とは、結婚します。そのためには、わたくしの一時の感情は抑えましょう。それより、フランセワ王国と王家、臣下や民の立場や気持ちを考えなければなりません。わたくしは、誇りあるフランセワ王家の王女なのだから、レオン様にひれ伏して愛情を乞いねだるようなことは、してはいけない」。

 野盗に襲われ王宮に戻った頃を思い出した。勇気を出してレオンに近づいたジュスティーヌに返ってきた侮蔑の視線。初めて愛した男にそのような態度をとられる。なぜ自分がレオンに嫌われるのか? 嫌われるどころか、なぜ軽蔑されるのかも分からず、ジュスティーヌは深く悲しんだ。

 香りに誘われるように自然に人が集まる薔薇のようなジュスティーヌは、生まれて初めて他人に好かれるために努力をした。そのかいあってか、あるいは王女の地位が目当てなのか、レオンに愛しいと思われるようになった⋯⋯と思う。なのに今回の喧嘩だ。

 レオンが、そうと決めたらすべてを切り捨てる性格であることは、分かっていた。「感情的に責めたのが、いけなかったのだわ。もっと理詰めで、納得していただけるような言いかたをしなくては」。しかし、王女として、レオンにへつらうような態度をとることは許されない。

 誰が、どこからどう見ても、悪いのはレオンの方であろう。なのに立ち往生して冷や汗を流しているのは、ジュスティーヌなのだ。どうにか分かってもらおうと、子供をあやすような調子になった。

「さっきは、怒ってごめんなさい。わたくしたちは、フランセワ王国の代表です。なのにレオン様が⋯⋯⋯⋯悪いところに行かれたら困ってしまいます。それにわたくしは、女ですから。その、他の人と⋯⋯そのようにされるのは、悲しいですわ」

レオンは、転がったままジュスティーヌの方を向き直ると笑った。暗い目をしている。「へえ、切り口を変えたな」。そんなことを考えているようだ。

「もう行かない」

「え?」

 ジュスティーヌは、意外な言葉に驚いた。

「女が欲しくて行ったわけじゃない。あれは情報収集だ。ああいう所じゃないと集められないネタがある。安淫売を抱いたのは、それが取引だったからだ」

 王女が聞いたこともない言葉、「『ヤスインバイ』ってなにかしら?」とジュスティーヌは思った。

「王都に帰ったら組織を建設する。それでたぶんネタ集めにオレが動く必要は、なくなるだろうよ」

 ジュスティーヌの表情が、明るくなった。当然だが、レオンが自分以外の女を抱くことが、ひどく苦しかったのだ。

「あっ、あら。そうですか。それは良かったですわ」

 突然レオンが、真剣な顔をした。

「でもな、二度とオレに尾行をつけるのは止めろ。場合によっては、マリアンヌでも殺す。後味の悪いことをさせないでくれよ」

 ジュスティーヌは、自分も相当まずいことをしていたのだと気づいた。前にもレオンに言われたのに⋯。スパイされることをひどく嫌がる人だった。だからあんなに怒ったのだ。レオンならだれであろうと、必要ならば容赦なく殺してしまうだろう。たとえ気になることがあったとしても、二度と決してレオンの行動を探るようなことをしてはいけない。ジュスティーヌは、肝に銘じた。

 めずらしくレオンがあやまった。

「悪かったよ」

 レオンがなにを「悪かったよ」と思っているかといえば、他の女を抱いたことではなく、それがバレてジュスティーヌを傷つけたことに対してである。結婚する気の女がいるのに買春したことを悪いとは、テンから思っていない。

 仲直りのつもりだろう、レオンが腕を伸ばしジュスティーヌを誘った。花に誘われる蝶のようにフラフラと近づくジュスティーヌが、よく見ると、レオンの腕に点々と血が付いている。怪我ではない。ならばだれかを⋯⋯。

「レオンさまっ。剣を見せて下さい!」

 隠す気など、さらさら無いらしい。ベッドに立てかけていた剣を、「ホイ」と鞘ごと投げてよこした。ジュスティーヌ王女殿下に対して、これほどぞんざいに物を渡す者は、他にはいない。

 こわごわと剣を抜くと、異臭がただよい血のりがベットリと付いていた。

「いったい、だれを⋯⋯」

 まともな返答のあるはずがない問いだと気づき、口をつぐんだ。再びジュスティーヌは、王女様口調になる。

「このようなことが露見したら国際問題になることは、ご承知なさってますわね?」

 レオンは、ふてぶてしい。

「個人テロルで三人始末してやった。なあに、バレやしない。バレたところで、知らぬ存ぜぬでシラを切ればいいだけだ」

 汚いやり方だが、たしかにその通りなのだ。

 レオンが再び腕を伸ばした。

「どうした? 来いよ」

 ジュスティーヌは、すこし後ずさりした。再び口調が尖った。

「レオン様、その前にお風呂にお入り下さい」

 もしジュスティーヌが、売春窟のおそろしく不潔なベッドやドロリとした水の入った壷を見たら、卒倒したかもしれない。セレンティアには性病は無い。でも、人を殺したり娼婦に触れた腕で抱かれるのは、気持ちが悪かった。不潔なものは洗い流してほしい。

 この程度の禊ぎで、ついさっき人を殺した男に容易に抱かれるジュスティーヌも、少しおかしくなっているのかもしれない。なぜ平然と人を殺して帰ってくるような者が、これほど愛しいのだろうか? 変な超常の力は使われていない。ジュスティーヌは、自然にレオンを愛するようになり、底無し沼に落ちたように沈んでいった。


 女神の宗教は、いくつかの分派はあるが、セレンティアで唯一の宗教である。大陸の名からして女神セレンから派生した『セレンティア』だ。

 世俗権力とは別に、セレンティア各国に女神セレン神殿があり、独自のネットワークで結ばれている。その中でも別格的権威を有するのが、イタロ王国聖都ルーマの女神セレン正教大神殿である。実際に女神セレンが聖本堂に降臨し、二年にもわたって三百万以上の人を癒したのだ。さらに女神セレン昇天後には、代わるように神殿で聖務を奉仕していた神女から聖女マリアが現れ、多くの人たちに尽くした。この場所は、女神に愛された特別な土地であり神域であった。それと同時に、二度にわたって『ファルールの地獄』が発生した呪われた都でもある。

 バロバ大神殿長は、元は強盗団の首領であった。女神セレンの奇跡を目の当たりにして回心し、女神直々に指名されて大神殿長に就任した。腐敗とは無縁の高潔な宗教家で、組織者としても極めて有能な人物だった。宗教関係の行事では、王や皇帝ですらバロバ大神殿長に跪拝する。

 実際に存在していたのだから当たり前だが、ジュスティーヌを含めてセレンティアの全ての人間が女神を信じている。女神セレン正教の敬虔な信者であるジュスティーヌは、レオンが時折見せる神殿に対する嘲笑的な態度が恐ろしかった。スラム街から戻ってから、どういうわけかレオンのルーマ大神殿に対する軽蔑と憎悪は、以前よりはるかに強く深くなったように感じられた。

 小馬鹿にした態度で大神殿に入り、バロバ大神殿長様に無礼を働き、女神セレン様をあざ笑う。レオンがそんなことをしでかすと想像しただけで、ジュスティーヌは、身ぶるいするような思いだった。しかし、なにか懇願したところで、言うことをきくような男ではない。ジュスティーヌには、レオンの背をそっと抱いて頬を寄せることしかできない。


 翌朝、なかなか寝つけなかったジュスティーヌが起きると、大神殿からの書状が届いていた。

 フランセワ王国のしきたりでは、妻に届いた手紙は、夫が先に開封して読む権利がある。王族としては最も開明的なジュスティーヌですら、そんな男尊女卑を当たり前に思っていた。それどころか、自分に届いた手紙を開封もしなければ読みもしないレオンに、「まだ妻と認めていないのかしら」と、さびしい気持ちになることさえあるくらいだ。なので、大神殿からの手紙を「見せてくれ」と言ってきたレオンに、ちょっと驚いた。初めてのことだ。

 手紙を読んだレオンは、「フン」と鼻で笑い、少し考え込み、二人での朝食中も無口だった。食事を終えると、「ちょっと降りてくる」と言ってさっさと席を立ち、行ってしまった。ひどいマナー違反なのだが、王女と侍女たちは、レオンの悪気のない無礼と奇行にはもう慣れっこになってしまった。

 階段を降りると、高級レストランみたいな食堂に出る。騎士、侍従、侍女、女官といったフランセワ王国一行の貴族連中が、食事をしている。メイドや下働きといった平民は、貴族と食事部屋を分けるのが普通だが、ジュスティーヌの、より正確にはレオンの方針で、平民区画をつくりそこで一緒に食事をさせている。本当は混ぜてしまいたかったのだが、メイドが水でもこぼして貴族に殴られでもしたら気の毒なので、こうなった。

 階段の踊場に立ったレオンが、食堂を見下ろして叫んだ。

「注目!」

 話し声が止み、レオンに注目が集まる。このフランセワ王国一行で一番地位が高いのは、もちろんジュスティーヌ王女だ。だが、ジュスティーヌは、レオンのいうことならは大抵きく。護衛責任者のラヴィラント伯爵でさえ、王女のオトコといってへつらう人物ではないのに、どういうわけかレオンの主張をほぼ丸飲みにする。つまり実質的には、この一行はレオンの指示で動くことになる。

「先ほど大神殿より、書簡が届いた。本日九時に大神殿聖本堂にて我々とバロバ大神殿長らとの会見が行われる。聖本堂内に立ち入りが許されるのは十名。それ以外の者は、聖本堂入口にて待機。聖本堂内での武装は、一切許可されない」

 大神殿聖本堂は、女神セレンが病者や傷者に癒しを行い、昇天した聖所だ。また聖女マリアが、『女神の光』を顕現させる前に聖務を行っていた場所でもある。そのうえバロバ大神殿長が、お目見えになる。まさか大神殿長様が、お出ましになるとは⋯⋯。拝顔の栄に浴せれば、末代まで語り継げる栄誉だ。なのに、たった十人しか入場が許されない。

 だれが選ばれるのかと食堂がざわめく。レオンは無視して続けた。名前を呼ぶ順番は、村の寄り合いと同じでエラい順だ。ソ連共産党政治局の序列にも似ている。⋯⋯というかそのままだ。

「聖本堂に入るのは、ジュスティーヌ・ド・フランセワ王女殿下が筆頭である。続いてジージョ・ド・ラヴィラント伯爵、レオン・ド・マルクス伯爵、ローゼット・ド・クラフト子爵夫人、ジルベール・ド・フォングラ親衛隊騎士、アリーヌ・ド・スタール王宮一級侍女、マリアンヌ・ド・ヴァルクール王宮一級侍女、ミルヒ・ラヌーブ王宮内務員、シェリル・セノール王宮内務員、リーリア・スレット王宮内務員、以上九名がジュスティーヌ殿下お護りする。三十分後に正面の入口に集合。以上!」

 食堂が、「~王宮内務員」のあたりでどよめいた。王宮内務員とは、メイドのことだ。まさか平民に押し退けられるとは思わなかったのだろう。ちょっと度胸のあるヤツが文句をつけてきた。

「貴族の代わりに平民を入れるとは、どういうことでしょうか?」

 そもそもセレンティアで階級制度を廃絶することが、レオンの目標のひとつなのだ。しかし、そんなことをここで言ってもはじまらない。どうせ理解もできないだろう。

「フランセワ王国の人口は、約千五百万人だ。その中で貴族は、一パーセントにも満たない。聖本堂に入るのは、王族一人、貴族六人、平民三人。むしろ貴族の数が多すぎるくらいだ。それに、バロバ⋯⋯⋯⋯ええっと、バロバをなんて呼ぶんだっけ?」

「バロバ大神殿長様です」

「あれが大神殿長サマ⋯⋯ねえ。へへっ! まぁ、後から大神殿長サマに頼むから、たぶん全員が聖本堂に入れる。そう心配するな。すぐに集合だ。急げ」

 集合が三十分後と急なのは、「自分も入れろ」としつこく食い下がられるのがうっとうしいからだ。ここらへんの手口は、現代日本のゴロツキ与党政治家の真似をした。

 聖本堂入りとなったメイドの女の子たちが困惑している。レオンは、平民の女の子や子供には特に優しい。「大丈夫だよ。オレについてきな。なんの心配もないぞ」と声をかけ、頭をナデナデした。

 メイドは、平民だとはいっても、大店、町長、王都庁の役人といった階層の十五から二十歳までの少女たちだ。しつけや教育もしっかりされている。とはいっても平民階級のメイドが、王女殿下のお供で『聖地の中の聖地』である聖都ルーマ大神殿聖本堂に入ることは、前代未聞だろう。

 二十歳前後で退職して王宮から離れると、メイドは、借りた名字を返上する。ところが「以前この名字で王宮で働いてました」と、返上した名字を通称として一家が使用することを黙認される。例えば娘が王宮メイドに採用されると、『カクエー商店』だった店名を『田中商店』に改称することが黙認される。これは商売人にとっては、『店の格が上がる』とかで、浮沈に関わるとても重要なことらしい。そこそこ大きな商店では、幼い時から娘を厳しく仕込んで王宮勤めをさせようとする。だからメイドといっても、賢さ、性格、容姿、いずれも優れた女の子ばかりだ。

 女神イモの皮むきなんかをしてメイドちゃんとじゃれながら、レオンは、しっかりと観察していた。ルーマ行きが決まると、最も優秀なメイドを五人ほど引き抜いて一行に加えた。「この子が留守したら仕事が回らなくなる」などと苦情がきたほどだ。旅行中も五人を観察し、この三人を選抜した。この三人は、王都パシテ王宮メイドの、つまりフランセワ王国の平民娘の中で、最も優れた女の子たちなのだ。

 ちなみに、ミルヒ・ラヌーブ王宮内務員は、雑貨屋や武具屋など八店舗を有する大店の娘だ。シェリル・セノール王宮内務員は、王都で一番大きな衣料品店の娘。豊かな平民が主な顧客で、近々めでたく『セノール服店』に改名する。リーリア・スレット王宮内務員は、建設会社の社長の娘。土建屋というと荒っぽいイメージがあるが、お嬢であるリーリアが休憩中の作業員に飲み物を出して回るなど、人を大切にする社風で知られている。リーリアが王宮メイドに合格した時は、会社中が酒盛りで大騒ぎになった。ここもめでたく『スレット建設』に社名変更するらしい。

 レオンが聖本堂入りの一行に平民娘を加えたのには、もちろん意図がある。

 レオンは、神殿の中を蝶々みたいに飛びまわって癒しをする女神や、ボロ小屋で病気治しをする聖女をやるのは、もううんざりだった。いくら女神の癒しをしても人間の獣的な性質は変わらない。悪いことはひとつもしていないのに、二回とも惨殺されてしまったのだから、なおさらそう実感する。

 今度は、力だっ! 暴力が担保する権力で、セレンティアを革命してやる。

 女神イモの普及など女神時代の努力の結果、その大前提になる生産力の増大は、かなりうまくいった。次の段階は、暴力の行使で生産関係と上部・下部構造の変革を上と下から強制する。その結果、さらに生産力が増大し、螺旋を描くように上部・下部構造が発展する。少なくとも物質的な苦を減じ、人間の正の面を大きく発展させることができるはずだ。

 レオンは権力の基盤を、フランセワ王国王都パシテの平民に置くつもりだった。しかし、王宮貴族と平民の繋がりは、ほぼ無い。ほとんど唯一の例外が、通いで王宮勤めをするメイドたちだった。

 レオンは、積極的にメイドたちに近づいた。自我があるのか無いのか分からないような貴族侍女。官僚くさい女官。お堅い女騎士。彼女らと比べると、かわいらしく快活で、くるくるちゃきちゃき働く町娘のメイドたちは、レオンをリラックスさせ、一緒にいると楽しかった。

 メイドたちの方も、レオンに興味津々だった。国王陛下が掌中の玉のように大切にされ、外国の王子や公爵家からの結婚申し込みさえもお断りされているジュスティーヌ王女殿下の想い人。悪漢に襲われたジュスティーヌ様を、白刃を振るってたった一人で三十人(*盛られている)もやっつけて救った本物の勇者! 殊の外お喜びになった国王陛下は、ジュスティーヌ様と結婚されるように、伯爵の位を授けられた!

「賜った報奨金は、ジュスティーヌ様をお助けする時に焼けてしまった宿屋に全部あげてしまったそうよ」

「まあ! なんてご立派なんでしょ!」

「王宮にいらっしゃるんでしょ? ちょっと怖そうな方ね」

「ジュスティーヌ様の方が、お熱だとか」

「きゃあ! あのジュスティーヌ様がぁ?」

 育ちが良いとはいえ、若い女の子だ。当然、ウワサ話が大好きだ。

 王宮の普通の貴族は、メイドなどに関心はない。なのにレオンは、ちょいちょいメイドの仕事場に遊びにきた。一緒になって女神イモの皮むきを手伝ったりする。かわいい娘ばかりなのだが、セクハラじみたことは一切しない。最初は緊張していたメイドたちも、たちまちレオンに手懐けられてしまった。実際にレオンは、メイドたちには愉快で優しく親切だった。それによく見れば格好も悪くない。メイドの休憩室に王室用超高級菓子を持ちこんで、「さあ、みんなで食べよう! 王サマの味だぞ!」なんてことはしょっちゅうだ。

 廊下のすみで泣いているメイドがいた。洗濯物の高級服がやぶけてしまった程度のことなのだが、レオンは、「よーし! オレにまかせろ」というなり、

 バリバリバリバリバリ~!

 高級服を真っ二つにやぶいてしまった。仰天して腰を抜かした泣き虫メイドの頭をちょっと突っつくと、「うっかりやぶいちまった。メイド長に謝らないとなあ」と言ってメイド長のところに行き、自分が破いたことにしてうまく納めてくれた。さらにその後で、メイド長には喜びそうなものを贈って抜け目なく機嫌をとった。

 レオンの行動は、まったく貴族的ではない。本物の貴族には、メイドたちの機嫌をとるという意識自体が生まれないだろう。

 メイドの間では、レオンの評判はうなぎ登りだった。最初は、

「ジュスティーヌ様の想い人ってどんな方かしら~」だったのに、「やっぱり王女様は、人を見る目がすごいわあ! 素晴らしい方を選んだわね~」ということになった。

 メイドたちが実家に帰ると、やはり王宮のことをきかれる。本当は話してはいけないのだけど、そこは怒られそうになくて、楽しく面白い話をしたくなる。それは、ジュスティーヌ様の想い人といわれ、貴族の世界でも注目の的である、本当は優しいレオン・ド・マルクス伯爵のことになる。

 雑貨屋の娘なら、そんなことを聞いた店員がなじみの客に話す。建設会社のお嬢だったら、作業員たちに話が広がる。服屋だったら、店員が採寸しながら世間話しをする。フランセワ王国には、まだマスコミはない。レオン・ド・マルクス伯爵の噂は、口コミで平民街に広がっていった。

 しかし、メイドに優しく、庶民派で、気前がよく、腕っぷしの強い王女様の婿殿という程度では、まだまだ支持基盤には弱い。民衆を味方につけるには、『職』と『パン』と『サーカス』を提供しなければならない。さらにそれだけでなく、神秘性も必要だ。そこでルーマ大神殿聖本堂とバロバ大神殿長サマのご登場となる。メイドの三人娘には、人間拡声器になってもらおう。



 聖都ルーマ大神殿長のバロバは、困惑していた。今まで多くのニセ眷属やニセ聖者が現れたが、どうやら今度は、本物かもしれない。フランセワ王国王家とフランセワ王国神殿は、そのように判断している。しかも今度は男だというではないか!

 バロバは、人が二度にわたって女神を否認し殺したこと。特に二度目の聖女マリアの死には、自らも深く関わり、聖女を昇天させ地獄を招いたことを、深く悔やみ闇のような恐怖を感じていた。「人類は、女神セレン様に見放されたのではあるまいか?」。

 早急に会わねばなるまい。本当に女神の眷属ならば、聖女マリア以来二十年ぶりの顕現である。

 大神殿聖本堂は、縦百二十メートル、横八十メートル、高さ三十メートルほどのたまご型ドーム球場のような形をしている。立っていられない病者・傷者たちなら三千人。つめれば一万五千人を収容できた。空気圧を利用した建築技術などあるはずもないセレンティアでは、内部に柱の無いこの規模のドーム型建築物など、存在自体が奇跡である。女神セレンが屋内で飛翔し、病者や傷者に癒しを行う際に邪魔なので柱を無くしたのだ。複数の建築家の脳に女神セレンから設計図が送られ、突貫工事で建築された。

 女神セレンの昇天によって癒しが無くなった今では、聖所として封印され、年に数回だけ女神セレン降臨記念日などに、聖遺物とともに公開されている。そんな聖本堂を特別に開扉してフランセワ王国の一行を迎えたのだから、ルーマ大神殿としても相当な熱意だった。

 聖本堂は、たまごの先の部分が一般席より高いステージのような神官席になっており、説法壇と巨大な女神セレン像、それより小さな聖女マリア像が安置されている。正面口は、ドームの下側にある。そこから入場し下から上までドームを廊下で縦に割るように通り、およそ百メートル歩いて神官席の説法壇の前まで達する。

 普通ならば信者の立場であるフランセワ王国一行が先に入って最前列の信者席で待機し、神官たちのお出ましを待つところだ。国王や皇帝である場合に限り、特別に招かれて神官席に上がることが許される。大国フランセワ王国といえども第三王女の私的巡礼では、聖本堂の神官席に上がることはできない。


 ルーマ大神殿は、セレンティア最強の情報網を駆使してレオン・ド・マルクスの行跡をたどった。結果は、「女神セレンの眷属に間違いない。神使であろう」である。聖女マリア昇天から二十年ぶりに顕現した女神の眷属、レオン。前の二神は、美しく優しくたおやかな慈悲と慈愛の女神だった。ところが、このレオンという眷属・神使は、たしかに奇跡の力を宿し、神界で女神セレンとお会いしている。

 しかし、野盗と斬り合って十数人も殺しまくり、家に火を放ち、逃げる敵の眼窩を剣で貫いてとどめをさすような殺人鬼でもある。招かれた王宮では、なにが気に入らなかったのか屋敷が買えるほど高価なガラス瓶を投げつけて叩き割る。止めようとした若い王宮侍女の腕をへし折り蹴り飛ばし肋骨を砕く。たまりかねて剣を抜いた護衛騎士をその場で二人まとめて叩きのめし半殺しにする。授章の場では、国王の面前で決闘騒ぎを起こし、血を見る寸前の事態となり、参列していた数百人のフランセワ貴族を騒然とさせた。

 売春婦や平民メイドといった下賤な者どもとねんごろで、ところかまわず性行為にふけっているという噂もある。スラム街を支配している売春稼業の暴力団とも親しいらしい。

 今回の巡礼の途上でも、公衆の面前で王宮侍女の服を切り裂き短刀で脅して強姦しようとした。驚いて止めようとした護衛騎士団にまで剣で脅して、斬り合い寸前となった。

 そのうえ、どうやってたぶらかしたのか、ひょっとしたら無理やり手込めにしたのか、一国の王女を愛人にして、あろうことか聖地巡礼の最中に処女を奪い、それから毎晩自室に引っぱり込んで犯すというありさまだ。まるでケダモノである。

 悪魔が女神の眷属に化けているのではないかという意見も出た。だがレオンが女神の眷属ならば、アレが出るかもしれない。神罰『女神の火』を下されたら、神殿はおろか聖都ルーマが溶岩の下に沈みかねない。そして永遠に地獄の業火に焼かれて、もだえ苦しむのだ。

 神官団の多くの者たちは、今日のこの会見の無事を祈り、脂汗を流していた。


 フランセワ王国の一行が時間通りに正面入り口から入ると、すでに神官団が神官席に着いて待っている。このことは、高位貴族らの作法に詳しいジュスティーヌ王女、ラヴィラント伯爵隊長、アリーヌ侍女らを驚愕させた。

 フランセワ王国一行の中から選抜された十名は、百メートル歩いて神官席の前に到達した。レオンは、遮るものはなにもないかのようにフワと二メートルも飛び上がると、そのまま当たり前のように神官席に上がり込んでしまった。残されたジュスティーヌたちは、文字通りふるえ上がった。しかし、顔色に出すわけにはいかない。涼しい顔をしたレオンが、手をさしのばしてくる。

「ジュスティーヌ⋯さま。お手をどうぞ」

 ここで手を取ってしまったら、レオンの乱心ではなくフランセワ王家の意志ということになってしまう。ジュスティーヌは、レオンを無視して跪き、拝礼の姿勢をとった。

「ジュスティーヌ・ド・フランセワ王女をこちらへ」

 レオンが女神だった頃に見たような顔だが、二十年分老けた高位神官があわてて指示する。早歩きに降りてきた案内役に従って、舞台そでの隅の階段からジュスティーヌが神官席に上がってきた。「正面に階段を造ってないところが、いかにも張り子の虎の宗教権威だよな」とレオンは、神殿のこけおどしに舌打ちしたくなった。

 レオンが勝手に神官席に上がったことは、不問とされたようだ。さっき指示していた老け神官が、ジュスティーヌに近寄ってきた。この下っ端が代表してジュスティーヌに挨拶するつもりらしい。レオンが声を上げた。

「バロバ大神殿長⋯⋯サマが、ジュスティーヌ王女殿下にご挨拶される。一同起立!」

「いいのかなぁ⋯⋯?」という調子で、信者席に残ったフランセワ王国の一行八人が、跪いた姿勢からノソノソと立ち上がった。

 ジュスティーヌは、ふるえあがって消えてしまいたい気分だ。たかが第三王女の私的な巡礼に、聖本堂の正門を開いて迎えるのが超特別なら、神官団に迎えられるのも超超特別だし、神官席に上げられることも国王か公的な使節団でもないかぎりあり得ない。まして女神様から直々に大神殿長に任命された『女神の代理人』バロバ様から直接に言葉をいただくなど、国王陛下でも難しい。

 消え入りたいジュスティーヌの気持ちなど委細かまわず、レオンは、ズカズカと神官団の中に入っていった。わざと神官たちにまぎれていたバロバの前に真っ直ぐ進み、声を上げる。

「はじめま⋯し⋯て、かな? バロバ大神殿長。フランセワ王国ジュスティーヌ王女殿下がお待ちです。こちらへどうぞ」

 なれなれしく腰に手を回して、バロバを引っ張りだしてきてしまった。「なぜこの男は、ワシの顔を知っておるのだ? しかし、レオン・マルクスが女神の眷属ならば、当然であろう」。バロバは、そう思い直した。

 少しも嫌な顔を見せずバロバ大神殿長は、ジュスティーヌの手を取って愛想よく微笑んだ。

「ジュスティーヌ王女、聖都ルーマ女神セレン正教大神殿神殿長バロバが、あなた様を歓迎いたしますぞ。女神セレン様の祝福のあらんことを」

 本当は、消え入りたいような気持ちなのだが、ジュスティーヌとて生まれながらの王族だ。おくびにも出さず薔薇のように微笑んだ。

「バロバ大神殿長様。女神セレン様の祝福をいただき、この身に余る誉れにございます」

 実際に、バロバから祝福を受けてジュスティーヌは、申し訳ないとは思いながらもひどく感激している。ジュスティーヌも、敬虔な女神セレン正教信者なのだ。だが、この中で群を抜いて女神に近いのは、レオンである。なんといっても前前世は、その女神だったのだから。だが、もう神殿を見限っている。


 バロバ大神殿長たちの関心は、もちろん神使・レオンの方にあった。バロバは、率直な性格だった。悟りすました偽善な宗教屋には似合わない性質である。能力と共にこの性格が、女神セレン=新東嶺風の眼鏡にかない、大神殿長に任命される理由になった。

「失礼ですが、マルクス伯爵。『女神の光』をお持ちだとか?」

 レオンは、「二十年経っても、こいつは変わらねえなあ」と思いつつ、

「ええ、持ってます。⋯⋯ええっと、私の部下たちを聖本堂に入れてやると約束しておりまして。許可して下さいませんか?」

 レオンも率直に答えて、率直におねだりをする。バロバは、紙になにか書いて小坊主に渡した。

「⋯⋯すぐに入ってこられるはずです」

「ハハ⋯⋯。ありがとうございます。私は、約束を必ず守ると決めておりますもので」

 同時に指先から『光』を発現して見せる。

「傷治し程度にしか使えませんが⋯⋯」

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

 金の粒をまぶした銀色のピンポン玉が現れた。全神官の注目が、『女神の光』に集中する。想像よりはるかに凄い食いつきだ。

「おおおぉおぉぉ!」

「なんとっ!」

「まさにっ! これはぁっ!」

「生きている内に再び拝見できるとは!」

「女神セレン様、ありがとうございます!」

 天を仰いだり⋯⋯杖を取り落としたり⋯⋯思わず駆けよってきたり⋯⋯。平伏して拝みださんばかりの古参高位神官たちの勢いに、レオンも含めフランセワ王国勢は、驚いてしまった。神官集団の中で最も肝が太いであろうバロバですら、脚がふるえている。

「そ、その御光は、い、いったいどのように?」

 いろいろな所で何度も話したけど、情報が届いてないのだろうか?

「死んだときに、女神セレンに会って授かりました」

 高位神官たちが、のけぞった。こいつら全員が二十年前に見た顔で、偉そうな坊主顔になってるのが、ちょっとおかしい。

「おおおぉおぉぉおぉぉぉ!」

「女神セレン様がっ!」

「女神の光を!」

「なんとっ! ううむ!」

 彼らにとって最も重要であろうことを、脚をガクガクさせながらバロバが質問してくる。

「女神セレン様の再降臨は⋯いつ⋯どちらに⋯⋯?」

 バロバは、率直である。ならば、レオンも率直に答えることにした。


「無いですよ」


 ギョッとして、おそるおそるといった調子で、バロバが聞き返してくる。

「無い、と申されますと?」

「その通りの意味です。女神セレンが、このセレンティアに降りてくることは、二度と、永遠にありません」

 その瞬間に膝を折り、崩れ落ちた神官がいる。バロバは重ねてたずねる。

「なぜ、そのように、お分かりになるのでしょうか?」

 分からないのかね? この人は?

「なぜって⋯⋯。セレンが言ってましたから。怒ってたなぁ」

 神官たちの空気が凍りついた。自分たちがどれほど調子の良いことを言っていたかに、ようやく気づいたらしい。

「!!女神様っ!」

「おゆるしを~!」

「ひぃ! どうすれば、どうすればぁ!」 

「うわあぁぁぁ!」

 頭を抱えてしゃがみこむ神官。壁に頭をぶつけている神官。アリーヌみたいに過呼吸になる神官。床に倒れ伏してふるえている神官。アイドルに会った女の子みたいに気絶して口から泡を吹き運び出される神官までいる。

 突然いきり立った若手の神官が、レオンを指差して、叫んだ。

「嘘だっ! 我々は、女神セレン様の再降臨を祈念し、日夜祈りを捧げているっ! それが聞き届けられないはずがないっ! コイツは悪魔だ! 悪魔の手先だっ! 退け! アクマ! コイツはアクマだっ!」

 耳の痛いことを言われ、逆ギレして金切り声を張り上げるやつは、どこにでもいる。そんな野郎は性格が悪くてバカでムカつくから、死んでもいいのだ。

 弥勒に取りつけられたレオンの冷酷モードが発動した。もうひと押し女神様パンチがほしかったところだ。ちょっと神官どもをビビらせるのに、使わせてもらうことにするぜ。

 指先から再び『女神の光』を発現させる。

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

 金の粒をまぶした銀色の球が現れた。これを正確に表せる言語は、三次元世界には存在しない。あえて無理矢理に表現するなら、『多次元多時空に多層多重に存在し⋯⋯ ( 略 ) ⋯⋯歪みとゆらぎを持つ実存的存在』。

 わけが分からないが、三次元世界であるセレンティアにはあり得ない『モノ』(正確には物質ではないのだが)であり、肉眼で光学的に見ただけで神の世界のなにかだというくらいは直感的に理解できる。

 指先の『光』をクルクル回しながら、レオンは冷酷そのものの表情になった。

「おまえ、神殿の神官だよな。オレが悪魔なら、セレンが護ってくれるだろ。ヘッ。試してみようや。⋯⋯⋯⋯⋯死ね」

 指先からピンポン玉くらいの『女神の光』が離れ、金切り声神官に向かって浮遊して行く。逃げようとしても、スイーッと後についてくる。追尾ミサイルみたいだ。とうとう金切り声神官の背中に当たり、光の粒になって消えた。

「ギャ─────────────ッ!」

 その瞬間に、凄まじい叫び声をあげて金切り声神官が床に倒れた。

「グアッ、くる、くるし⋯⋯。たすけ⋯⋯グエエエェェ!」

 しばらく転がり回っていたが、やがて動けなくなり、身体をねじったような格好になってうなり声を発しながら痙攣をはじめた。

 レオンの『女神の光』は、ちょっとした傷治しにしか使えない。ところが逆に、体内に小さなカサブタをつくることを思いついた。即実行で、金切り声神官の心臓の冠動脈にカサブタをつくり、血流を止めた。

 心筋梗塞の極端な症状だ。二十分で心臓が壊死しはじめ、六時間程度で死ぬ。脳の血管を詰まらせても脳梗塞で死ぬが、心臓の方が派手にもだえ苦しむ。殺しではなく威嚇が目的だから、やるなら心臓だ。

 意外⋯でもなかったが、古参高位神官たちは、金切り声神官にひどく冷淡だった。「あの『女神の光』を、悪魔などが複製するなど絶対に不可能。『女神の光』を授かるような方は、女神セレン様の眷属に間違いない。よりにもよって神殿の聖域で女神の眷属を悪魔呼ばわりしたら、神罰が下るのは当然。苦しみもだえて死んで当たり前」。こんな感じである。

 大勢の死を見すぎ、若干の人格改造まで受けた新東嶺風=レオン・ド・マルクスは、人の死に対して無頓着で冷酷そのものになっていた。死とは、いつかはだれにでも発生する現象にすぎない⋯⋯。

「六時間くらいで死にます。転がり回ると邪魔なんで、運び出した方がいいですよ」

 これでは、「オレが殺してやったぞ」と宣言したのも同然だ。神官だって死ぬのは嫌だろうから、少しはビビるだろう。

 金切り声神官を見下ろしながら、「放置させて、苦しんでいるところを見せつけた方が効果的だったかなぁ」などとレオンが考えていると、ジュスティーヌ王女が割り込んできて色をなして怒った。

「なりませんっ! マルクス伯爵! この者を助けなさい!」

 ヒステリー女なんかはトボケてテキトーにあしらうことにした。「ツラと頭がよくて親の七光りがあるけど、しょせん小娘だよなー。必要なら一人くらい死んだっていい。むしろ殺すべきだろう」。レオンは、そう考えたのだ。

「えー、聖域で涜神発言をした神罰ですので、ワタクシには、ドーすることもできません」

 大ウソを見抜いているジュスティーヌは、ますます腹を立てた。

「そのようなウソをっ! レオン! 助けるのです。今すぐに!」

 ちょうどその時に喜び勇んで聖本堂に入ってきたフランセワ王国一行の外待機組は、神官席の様子に驚いてしまった。嘆き悲しんでいる神官たちの群れ。なかにはもだえ苦しんでいる神官がいる。巨大女神像の前で、ジュスティーヌ王女が、レオンに食ってかかっている。あんなに仲が良かったのに? どっ、どうすれば? せめてジュスティーヌ様に冷静になっていただかないと。しかし、あの聖域は、招かれた者以外は上がることが許されない。

「早くしないと死んでしまいます。助けなさいっ! 王女として命じます!」

 レオンは、トボケた態度を崩さない。

「女神には、王や皇帝といえども命令できませんよお?」

「卑怯者っ!」

 ジュスティーヌの手が出た。もちろん黙って顔面を張り飛ばされるレオンではない。アリーヌの時と同様に、パシッと手首を掴んだ。

「あぁ、ダメだ⋯⋯」。フランセワ王国一行の誰しもが思った。ジュスティーヌ王女を助けに行こうにも、場所は女神の聖域である。しかも神罰を受けたらしい人たちが、目の前で苦しみもだえている。どうやら死にかかっているようだ。恐ろしくてとても近寄れない。

「離しなさいっ! 無礼ではないかっ!」

 ジュスティーヌの精神力と誇りに、レオンは感心した。同時に「オレの言いなりにならない王女サマに用は無いな。この場で殺しちまって伝説をつくり、そいつを土産に山に入り、野盗や流民を集めてゲリラでもやるかぁ」などと考えた。ほんの十二時間前は、ベッドの上であんなに仲良しだったのに⋯⋯。

 レオンをにらんでいたジュスティーヌの青緑の目が潤み、ポロポロと大粒の涙がこぼれてきた。

「おねがいです。あんなふうに人を殺さないで⋯⋯」

 ジュスティーヌが王女権力をいくら振りかざしても、「めんどうくせえ。殺しちまおうか」くらいにしか感じないレオンだが、毎晩寝ている女の涙には、少しは揺れた。神使化しても、まだまだ人間性は残っているようだ。

「ちっ!」

 投げつけるようにジュスティーヌの手首を離すと、死にかかっている神官をチラッと見た。レオンがちょっと指を動かして血栓を除去した瞬間、体を硬直させヒクヒクと痙攣していた状態が治まった。血流を止めて二十分も経ってないから、たぶん助かるだろう。ショックで死ぬかもしれないが、そんなことは知ったことではない。

 ジュスティーヌは、手首を押さえて床にへたり込んでしまっている。忠実侍女のアリーヌが血相を変えてなにか叫びながら神官席に上がろうとするが、冷静侍女で保安員のマリアンヌが体術を使って抑え込んでる。

 もう、ここですることは無さそうだ。レオンは、引き上げ時だと考えた⋯⋯。


 十歳も老けたようなバロバが、最後の頼みの蜘蛛の糸にすがりついてきた。

「人間が二度にわたり女神様と聖女様を弑したこと、赦されることのない大罪です。されど、いと慈悲深き女神セレン様に、お怒りを解いていただくには、いかなるお詫びをすればよいでしょうか? なにとぞお教え下さい」

 バロバ大神殿長が、どこかの成り上がり貴族に拝礼して教えを乞う。レオンの前前世は女神セレンだったのだから、正常な関係とも言えるのだが、この世界の常識では異常だ。

 他の神官どもも口々に叫び始めた。

「どうか、お教え下され~」

「なにとぞ、おとりなしを~」

「セレン様に我らの気持ちを~」

 もともと神官どもなど、社会の寄生虫くらいにしか見ていなかったレオンだ。連中のあまりの愚かさと身勝手さにムカッ腹が立ってきた。

「ライゼム、アドゥ、ガカオ。黙れっ!」

 とりわけ大声でわめき散らしていた高位神官どもの二十年前の俗名だ。普通の人間なら、彼らの名を知っているはずがない。口を閉じた神官どもは、恐怖の目でレオンを注視する。

 レオンの口調が、なんだか神様っぼくなった。

「バロバ・ルゴダよ、おまえは言ったではないか。「女神亡き後は、神殿があとを継ぐ」と。ファルールの地獄に反対したマリアに、「神殿に背く者は、女神に背く者だ」と言ったであろう。神殿を牢に変えた暑い小部屋で」

 バロバ・ルゴダとは、バロバ大神殿長の実名だ。これを知っている者は、この世には、もうバロバ一人しかいない⋯⋯はずだった。そして「神殿が女神のあとを継ぐ」とバロバから聞かされた者は、聖女マリア。ただ一人だ。

 二十一年前の暑い夜だった。ファルールの地獄に反対したマリアは、神官たちに罵られ殴られながら引きずられ、牢獄代わりの小部屋に監禁された。何日も水も食料も与えられなかったマリアに、最後の説得をしたのが、バロバ大神殿長なのだ。頑として説得に応じなかったマリアは、神女服をはぎ取られ半裸で裸足のまま大神殿から叩き出された。だが⋯⋯。

 見透かしたレオンの声が続いた。冷徹そのものだ。

「殺されなかっただけ⋯⋯か?」


 バロバ・ルゴダが幼いころ、かっぱらいにしくじって捕まったことがある。バロバを捕えたその男は、今のレオンと同じ目でバロバを眺め、大通りに引きずってゆくとそのまま放り出した。振り返りもせず去ってゆくその男の背中を見ながら、幼いバロバは、殴られた方がマシだと思った。その時のことを不意に思い出した。

 レオンは、バロバを冷然と見ている。

 他にも『神勅』と称して念を押しておきたいことがあったのだが、こんな連中を相手にするのもバカバカしい。神官どもに、これ以上まとわりつかれる前に、早く帰ることにした。

 神官席から飛び降りたレオンは、少し大回りをして外に出ることにした。入口から真っ直ぐ伸びる廊下の他に、ドームの壁に沿ってぐるりと廊下が巡らされている。その途中に聖遺物と称するガラクタの展示コーナーがあり、少し興味を引かれた。

 神官席で大仰に嘆き悲しんでいるやつもいれば、レオンの後についてくる神官もいる。バロバもよろめきながらついてくる。

 レオンに並んだジルベールが、小声でたずねた。

「あの~。ファルールの地獄って、なんなんですか?」

 レオンは驚いて足を止めた。「こいつは侯爵家のセガレだよな」。能力次第では大臣にもなれる家柄だ。

「聞いたことが、ないのか?」

 ジルベールは、苦笑いした。

「子供のころ、下町の悪ガキから聞いたことがあります。父にたずねたら、二度と口にするなって殴られましたよ」

 泣いたりわめいたりするカオス状態の神官席に見切りをつけ、ジュスティーヌたちも追って来た。まさか王女が⋯⋯。聞いてみよう。近寄るとアリーヌ侍女に、にらみつけられた。たしかに手首にあざをつけたりして可哀想なことをした。だが、それよりも⋯⋯。

「ジュスティーヌ! ファルールの地獄について、王家では、どう考えているんだ?」

「え? さっき初めて聞きました。あの、ファルールの地獄とは⋯⋯?」

 隊長のラヴィラント伯爵にも聞いてみる。

「ファルールの地獄のとき、隊長は十九か二十歳でしたよね。行かれたんですか?」

 野盗団との戦闘の始末も冷静に処理したラヴィラント護衛隊長は、今までになく動揺した。

「ファルールの地獄を話すことは禁じられています。私は、家族の反対で行かれませんでした。家出してでも向かおうとしたのですが、屋敷に監禁されましたよ」

 ファルールに行っていたら、ラヴィラント隊長の人格は、破綻していたのではないだろうか。

「それは⋯⋯。なによりでした。さすがラヴィラント伯爵家です」


 レオンが考え込みながら歩んでいると、やがて聖遺物の展示スペースにさしかかった。ガラクタを一段高いところに並べてご大層なものに見せかけている世にも下らないシロモノだ。愚劣の標本のような聖遺物とやらを、ゴミを見る目で流し見していたレオンの足が止まった。粗末な木製の棺の中にドス黒い血の痕が染みついた『聖柩』が、過剰に飾り立てられ展示されている。ジルベールが肩をすくめながら言った。

「悪魔に殺された聖女マリアの死体が、柩から消えたそうですよ。私は、誰かが持ち出したんだと思いますがね」

 レオンが薄笑いを浮かべている。なにか自嘲的な笑いだ。

「それは違うぞ⋯⋯。マリアは、ここで見世物にされるのが嫌だったんだ」

 そう言うなりレオンは、展示スペースに飛び上がって聖柩に抱きつき、渾身の力を込めて床にたたき落とした。

 ドゴン! ガッシャーン! ガラガラガラガラ⋯⋯

 ジルベールを含む全員が、青くなった。尻もちをつく者、ヘナヘナとへたり込む者⋯⋯。ジュスティーヌは、両手で顔を覆って泣きだしてしまった。アリーヌと、マリアンヌさえも呆然としている。「とうとう、絶対にしてはならないことをしでかしてしまった⋯⋯」。

 展示スペースから半壊した聖柩を見下ろしたレオンは、どういうわけか、ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえそうなほど怒り狂っていた。飛び降りると転がっている聖柩に近づき、今度は思いきり蹴り飛ばした。

 ガッ! ガラララン!

「秘宝館の目玉見世物のつもりかっ! ふっ、ふざけやがってぇ!」

 バラバラにしなければ気がおさまらないとばかりに、聖柩を執拗に蹴りまくった。

 ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! ガッ!!

 聖柩を赤黒く染めている『聖血痕』に気づくと、柩に入ってグリグリと踏みにじりはじめた。

 ようやくバロバが追いついてきた。

「こ、これは?」

 振り向きざまにレオンがバロバを指差して怒鳴った。

「バロバ! 貴様っ! よくここまで恥知らずになれたなっ! ファルールを⋯⋯ファルールに無反省なのかっ!」

 ジュスティーヌは、芯の強い女だ。失神しそうな気を取り直し、涙をぬぐってレオンの腕に飛びつき、すがりついた。

「やめて下さい! バロバ様になんということを! 皆、レオンが乱心しました。早く取り押さえなさい!」

 あまりのことに呆然としていて、だれも動けない。

「待てよ。おまえたちは、なにも知らない。いいだろう、教えてやるよ。たしかにこの場所は、ファルールを語るのにふさわしいなっ」

 後についてきた古手の高位神官どもが、叫びだした。

「待って下さい!」

「若い世代には!」

「知らねばすむことです!」

「それは禁じられて!」

「ようやく傷が癒えたのです!」

 バロバが、手を挙げてさえぎった。

「よさぬか。もう二度と女神の赦しは、得られないのだ」

 レオンは、動揺している坊主どもの姿を憎悪の目でながめ、鼻で笑った。

「フッ、あれからもう二十年以上も経ってるのか。おまえらの最初の恐怖は、『女神の火』だったはずだ」

 レオンは、少し声を落とした。めずらしくなにかを後悔しているようだ。

「あの『火』が、ファルールの地獄を準備したのかもしれない⋯⋯」


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 二十二年前。

 聖都ルーマ大神殿聖本堂に、女神セレンは、必ず毎日二回降臨した。現実に美神が出現し、あらゆる病を癒すのだ。

 不治の病であろうが、手足が切断されていようが、精神病であろうが、単なる気のせいだろうが、あらゆる病気や怪我が聖本堂で『女神の光』を受けるだけで快癒した。

 有料席と無料席があったが、無料席であっても差別なく癒しを受けることができた。有料席は、少し早く入場でき、女神セレンがよく見えるというだけの違いだが、多くの人は有料席を選んだ。金額は、『無料』『千ニーゼ以上』と『一万ニーゼ以上』の三種類である。

 集まった寄付は、神殿の維持費を差し引いて全て栄養不良の貧困者への炊き出しに使われた。そのおかげで餓死から救われた者や生きることができた孤児などが大勢いた。なかには炊き出しに寄生しようとする者が現れた。生真面目なバロバなどの神官たちは憤慨したが、女神は「自由にさせよ」と意に介さなかった。

 乳幼児の死亡率が劇的に下がり、平均寿命は四十歳代から六十歳代まで二十年も伸びた。世界中の病者と傷者が聖都ルーマに集まり、イタロ王国は空前の好景気に沸いた。なかには勝手に女神像のたぐいを売りだし、ひと財産築いた者もあった。これもバロバたちをひどく憤慨させたが、やはり「自由にさせよ」なのだった。

 新東嶺風が転生していた女神セレンは、病苦に悩む傷病者が限りなくゼロに近づけば、それでよかったのだ。生苦、老苦、病苦、死苦という人間の四つの苦しみのひとつを無くせば、それで桎梏のひとつを外すことができた人間は、より高い段階に進むことができるだろうと考えた。

 新東嶺風=女神セレンの理想は、最悪のかたちで裏切られることになる。その最初の予兆は、『女神の火』事件だった。今でもレオンは、それを無視するべきだったのか、それとももっと徹底的にやるべきだったのか、分からないでいる。


 今すぐ治療しないと死ぬ、というような患者がかつぎ込まれると、いついかなる時でも女神セレンは顕現し、病人を癒してから光を残して去った。信じがたいほどに慈悲深く、優しい女神である。しかし、『優しい』を、『弱い』とか『抵抗しない』などと解釈し見下して、つけいってくる下劣なやつは、どこの世界にもいる。現代の日本にもいくらでもいる。

 大神殿聖本堂には、女神と人を隔てる柵のようなものはない。女神セレンは、空中を飛翔し『女神の光』を散らし病者を癒している。空を飛んでいるのだから、柵など意味がないし飛ぶのに邪魔になるのだ。

 とはいえ女神信仰の人たちが喜ぶので、床に降りたり、有料席のあたりで発光して見せたりした。近くで見た人たちは、平伏したり泣いたり拝んだりと大喜びだ。喜ばれるのは良いことだろうから、ちょくちょく廊下を歩いた。床に足が触れず流れるように歩く白い衣の美神。その後ろを残像のように金と銀の光の粒が舞い輝き、その姿は一目見た者が生涯忘れられないほどに美しかった。


 その日の二度目の癒しの際に、女神セレンの前に立ちふさがった者がいた。ネズミのような顔をした男だった。そんなものは飛び越えて進んでもよかったのだが、なにか言いたいことがあるようだったので、対面して立ち止まった。

 ネズミ顔男は、女神セレンを指差して怒鳴り声を張り上げた。

「おまえは、ニセ女神だっ!」

 見物人が席を取ってしまい本当の病人が癒しを受けられないことを避けるために、聖本堂の入口で神力で検査を行い、傷病者と付き添い以外は入場をお断りにしている。なかには健康なのに自分は病気だと思い込んでいる人もいて、そんな人は心の病気だということにして聖本堂に入れていた。

 ネズミ顔男も、そんな病気だったのかもしれない。とはいえ聖本堂にいるからにはネズミ顔男は、病気や怪我を癒されたはずだ。なのに面と向かって指をさしニセ女神よばわりしてきた。

 さらにネズミ顔がわめいた。

「神とはっ、ファルール聖国に厳護されている黄金の女神像様ただひとりのみっ! 他はニセモノだ! 黄金女神像信仰以外は、全て極悪の邪宗教であるっ! 他の神を拝むと地獄に堕ちるのだ! 永遠の地獄が怖ければ黄金女神像様を礼拝せよ! 偉大な黄金女神様をさしおいて、小娘がヒョロヒョロと飛び回り病気治しなどとは、薄汚い魂胆が透けて見えるぞ。こいつは、病気治しをエサに愚鈍な大衆を操る悪魔だ! 死んでから黄金女神天国に入るのが正しい信仰なのだ! 自分を崇めた交換に病気を治してやるなどとは、カネと交換に麻薬をばら撒くのと同じだ! まさに悪魔の所行である! ニセ女神を焼き殺せ! よく見ろ、黄金女神様に比べると、貧相な小娘でブスじゃないかっ! アハハハハハハハッ! ブスッ!」


 慈愛と癒しの女神セレンとはいっても、中身はあの気性の荒い過激派の新東嶺風である。この言いぐさには、激しくムカついた。

 エンゲルスが『唯物論と観念論』で述べたように、「『物質的な実体』に基づいた存在が思考を規定」した。砕いていうと、女神の身体に入っていたために嶺風の精神は、かなり女性化していた。なので、とりわけ最後の「ブスッ!」に腹が立った。

 弥勒と交信する。

「このまま引き下がったら神様ってより、病気治しの拝みオババの高級版になっちまうぜ? お祈りという小銭をチャリンと投げ込むと、病気が治る自動販売機だ」


“病気が治って人類から四苦のひとつを滅すればそれで良いのだから、女神が自動販売機でも大きな問題はないぞ”


「なら、食ったらどんな病気でも治る草の種でも、そこらじゅうに蒔けばいいだろっ! ブスとはなんだ。ブスとはっ?」


“余計ないさかいを避けるためにも、女神にはある程度の権威や威厳が必要だというのか⋯”


 嶺風=セレンは、とたんに元気が出た。

「そうそう。でもな、暴力の裏打ちのない権威や威厳なんぞ、張り子の虎だぜ。オマワリが怖がられているのは、殺人道具であるピストルを腰にぶら下げているからだ」


“うーん。人殺しはダメだぞ~”


 許可が出た。

 ネズミ顔男に関心を失った女神セレンは、子供の手から放れた風船のようにその場から浮上し、垂直に上がっていった。天井にぶつかってもそのまま通り抜けて、聖本堂の屋根の上に現れた。

 その時、物乞いから閣議の最中の国王にまで、百万人のルーマ市民の脳内に女神セレンの神秘の声が響いた。


「十分後に、海をみよ」


 大神殿聖本堂は、大騒ぎになっていた。混乱にまぎれてネズミ顔男は、姿をくらませてしまった。卑怯者なのだから、そんなものだ。

 バロバ大神殿長は、癒しの時には必ず神官席の説教壇に立って神殿内の様子を確認していた。女神セレン様のまえに立ちふさがり怒鳴り散らしている涜神者を確認し、すぐに若手の神官たちを送ったのだが、逃げられてしまった。この時の苦い経験が、のちにバロバの涜神者に対する厳しい姿勢となり、ファルールの地獄をさらに悲惨なものとした。

 先ほどから女神セレンが、聖本堂の上方五十メートルの空中に立っておられる。美しい銀色に輝き、高層建築物などないルーマのあらゆる場所から見えた。その日は曇天で嵐に近い強風だったのに、古代ローマ風の白い衣装をたなびかせ、しかし空中で女神セレンは、立った姿勢で微動だにしない。

 聖都ルーマは、函館や長崎といった港と高台の街に似ている。おそらく全ルーマ市民百万人が、高台に建てられた大神殿の上に浮かび輝く女神セレン様の姿を目にした。スッと腕を伸ばして海を指した女神の後を追って、すべての人が海を注視した。

 お怒りであろう女神へ謝罪の祈りを捧げていたバロバに、女神セレン様の御声が届いた。うるわしい御声だが内容は、バロバに理解できない。「きっと尊いお言葉なのだろう」。


 じゅっきろめーとるさきこうどせんめーとるにうらんにひゃくさんじゅうごをいちぐらむせいせい ひゃくぱーせんとのしつりょうけっそんをしょうじさせよ れんさはんのうをじぞくさせりんかいじょうたい はつねつはんのうをともなうかくぶんれつはんのうをおこせ かくばくはつとどうじにほうしゃせいぶっしつとゆうがいほうしゃせんをじょきょすること

 (十キロメートル先、高度千メートルにウラン二三五を一グラム生成。百パーセントの質量欠損を生じさせよ。連鎖反応を持続させ臨界状態。発熱反応を伴う核分裂反応を起こせ。核爆発と同時に放射性物質と有害放射線を除去すること)


 十キロ彼方の海の上に太陽が生まれた。

 爆風によって一瞬で曇天の雲を吹き飛ばし青空が見えた。衝撃波でその付近の海が煮え立ち真っ白になった。海面を白くして目に見える形で衝撃波が陸に近づいてくる。太陽はさらに巨大になり、七十度の熱線がルーマの人びとの肌を刺した。爆発の約三十秒後に轟音が到達した。火山が大噴火し、同時に数百の雷鳴が轟いた音だ。


 ドカン! グワン! ドドォー!!! ガラガラガラ! バリバリバリバリ! ゴオオオオォォォォ!


 数秒後に衝撃波が到達した。

 ドン!

 爆心地から十キロも離れているのに、爆風速は六十メートルを超えている。ハンマーで叩かれたような衝撃で人びとがよろめき、石が吹き飛んだ。目と耳をふさぎ、うずくまっている者も多い。

 ようやく衝撃波が通過し、目を開くと、太陽は巨大な火の柱となって天空を登っている。火の柱に続いて、見上げるような雲の柱が目の前に立ちふさがった。やがて何キロも飛ばされてきた巨大な魚が何十匹も街に降ってきた。魚たちは奇形にねじれ目玉や内臓が飛び出し、路上に転がり死んでいる。

 恐怖した人びとが屋内に逃げ込むと、やがて嫌な臭いのする黒い雨が降ってきた。どす黒い雨は、翌朝までやむことなく、聖都ルーマを暗く染めた。


 凄まじい女神の怒りをその目で見たイタロ王国国王は、ただちに王立科学アカデミー勅任教授団を召集した。イタロ王国は、同盟国であるフランセワ王国の先をゆく先進国だ。聖都ルーマは、自治都市であるとともに首都でもある。原始的な天文台や地震観測所さえあった。そこから全てに優先して観測データが集められ、学者たちによって夜を徹して分析された。

 翌朝、徹夜のせいばかりでなく、恐怖で顔色を青くさせた学者たちが、なんとかまとめた報告書を国王に提出した。学問に理解のある王ではあったが、読んでも意味がよく分からない。


 (極秘)(緊急) 

『女神の火』現象に関する報告書 王立科学アカデミー勅任教授団

 現在入手しうる各種データに基づいてルーマ東方十キロの海上上空約千メートルで発生した、いわゆる『女神の火』現象に関する分析及び知見をまとめた。

 (注)機器による精密観測が不可能であるため、各種数値は計算値である。

 ①-1 出現した火球の直径は約四百メートル。表面温度は五万度に達したと推定される。

 ①-2 火球中心部の温度は百万度を超えたと推定される。

 ①-3 火球直下約八百メートルの水表面の温度は四千度に達したと推定される。

 ①-4『女神の火』火球において多くの未知の現象が観測された。特に理論上の仮説であった放射線の存在が多数確認された。

 ②-1膨大な熱エネルギーが急激に解放されたことにより生じた非常に強力な上昇気流によって、巨大な『雲の柱』が発生した。対流雲の一種と推定される。

 ②-2『雲の柱』の到達高度は二万メートル以上である。雲頂は成層圏まで到達した。

 ②-3『雲の柱』下層より、超高温によって生じる亜硝酸や窒素酸化物、その他未知の物質が多数採取された。

 ③-1 爆発で放出されたエネルギーは八十兆ジュール以上と推定される。エネルギーは、爆風、爆音、衝撃波、熱線、放射線、その他未知の現象となり放出された。

 ③-2 爆発時における爆発点の気圧は五十万気圧以上と推定される。これにより強烈な衝撃波が生じた。

 ③-3 爆心地での爆風速は五百メートル毎秒以上と推定される。局地的に音速を超える衝撃波が発生した。

 ③-4 爆心地での爆風圧は一平方メートルあたり五十五トン以上と推定される。

 (特記)

 以上のような膨大なエネルギーの放出現象は、現在のところ恒星表面の熱反応でのみ観測されている。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」

 困惑した国王が下問する。

「報告書の内容を、分かりやすく説明いたせ」

 そういう質問があることを予想していた王立科学アカデミー総裁が、報告書をかみ砕いて解説した。

「女神セレン様は、大気中に太陽をおつくりになったのでございます。それが空気に触れて爆発したのでございましょう」

 太陽!?

「ルーマ市街に太陽などをつくられたら、どうなるのか?」

「溶岩の湖ができるのか、すべてが吹き飛んで成層圏まで吹き上がるのか⋯⋯。今は分かりませぬが、生きているものは、なにひとつございますまい」

 自らの目で見て凄まじいとは知っていたが、そこまでとは! 驚愕した国王が腰を浮かせた。

「!!!いっ、いかん!」

 昨日、女神セレンに大不敬を働いた愚か者がおったという。王座を蹴って立ち上がり、大神殿に急行した。


 バロバ大神殿長も頭を抱えていた。女神セレンが、優しいだけの癒し神ではなかったことが、驚きだった。バロバに限らず皆が、いささかではあるが女神を舐めて甘ったれていたのだ。女神の怒りが、あれほど凄まじいものであろうとは⋯⋯。

 不敬ネズミ顔男を捕えず逃がしたのもまずかった。バロバは、不信心者の大不敬発言の内容を読んで、そのあまりにひどい言いぶりに深い穴に墜ちていくような感覚に陥った。女神セレン様の怒りがぶり返して、今度こそ聖都ルーマを焼き払うのではないかと不安にもなった。

 女神に対してできることは、お祈り以外になにひとつない。だが、国王府が文句をつけてきた時の用心に、取りあえず、「あなたの国民の不敬発言のせいでしょう」と、国王にその不敬発言の写しを送りつけた。こんな時でもバロバは、なかなかの政治家である。


 女神セレンの癒しは、毎日欠かさず八時と二時に行われた。普段なら付き添いも含めて三千人近くが聖本堂に入るのだが、昨日の『女神の火』におびえてしまい、すぐに癒やさないと死んでしまいそうな人や外国から来た人など、普段の十分の一程度しか入場しなかった。

 代わりに神官席に国王を先頭に国王府の高官たちと、バロバ大神殿長と高位神官たちが勢ぞろいし、備えられた椅子には座らず床に跪いて女神に謝罪の姿勢を示している。

 その少し前に国王とバロバ大神殿長がはち合わせた時には、お互いに責任をなすりつけて罵りあった。しかし、女神の面前でそのような醜態をさらしても無意味である。それどころか、さらなるお怒りを買いかねない。今日は信者の数がとりわけ少ないことも、お怒りを買うかもしれない⋯⋯。

 とにかく国と神殿の代表が、誠心誠意の謝罪の姿勢を表さねばならないということになった。そこで皆で跪いているのだが、数分後には、成層圏か溶岩かで自分は死んで地獄に堕ちているかもしれないと考えると、全員が冷や汗まみれになった。

 八時ちょうどに聖本堂内の空中に『女神の光』が銀色に輝き、やがて人型に凝集し、女神セレンが顕現した。相変わらず美の化身のようなうつくしさである。いつもと同じように病者たちの上で旋回し、女神の光を散らして癒しの奇跡を行い、仕事が終わると光の粒に戻り消えていった。

 女神セレンは、国王と高官連や大神殿長と神官団には、一瞥もくれなかった。赦すとは言われなかったが、お怒りの様子もない。聖都ルーマは、命拾いしたようであった。

『女神の火』に関しては、王立アカデミーの報告書も含めてルーマ大神殿より各国の神殿に伝達され、そこから各国政府にも伝えられた。

 聖都ルーマは国際都市でもあったので、目撃した外国人から民間にも『女神の火』の凄まじい話が、セレンティア全土に広がったのである。


 新東嶺風=女神セレンは、最近ちょっと舐めた態度をとるようになったやつらを少しビビらせてやる程度のつもりだった。

 そのためルーマから十キロばかり離れた海上でウラン二三五を核分裂させて、特殊相対性理論「質量とエネルギーの等価性 E = mc2」によりエネルギーに変換させた。広島型原子爆弾の一・五倍程度の威力の核分裂爆弾を炸裂させたのである。空港反対闘争のために飛行機を撃ち落とせ、とか真顔でいう男である。やることが過激なのだ。反核運動なんかにも、ちょいちょい顔を出していたくせに⋯⋯。

 放射性物質や有害放射線は、あらかじめ取り除いておいた。嵐に近い天候だったので船なども出ていない。ルーマは海に面した斜面に発展した街なので建物は強風に強く造られていた。大きな物的被害はほとんどなかった。

 人的被害も、恐怖のあまり百人以上も寝込んでしまったとか、衝撃波で転んで骨折したとか、飛んできた石が当たってコブができたといったくらいで、『女神の癒し』で簡単に治療できる程度のものだった。

 問題は、人の心だった。嶺風は、「ビビらせてやったぜ」と大得意だったが、人びとの精神に大きな傷を残したのだ。

 セレンティアは、南北アメリカ大陸によく似ておりアラスカの部分を大きく広げた形の穏やかな大陸である。地震や火山の噴火などは、ほとんどない。火薬も普及していないので、大きな爆発などを見た者はいない。セレンティア人は、雷が一番激しくて恐い爆発音だという人たちなのだ。

 そんな人たちが、目の前で凄まじい核爆発を見せられたのだからたまらない。実は、ショックで脳や心臓をやられて死んでしまった人が数十人もいた。嶺風が女神の力を使ってこっそり癒したのだが、「ちょっとやりすぎたかなぁ」と多少は反省した。でも、もうやってしまったことだ。手遅れである。


『女神の火』の恐怖は、全世界に広がった。「女神セレン様のお怒りにふれると永遠に地獄の業火で焼かれる」とかいう尾ひれまでついた。


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 レオンは、聖女マリアの聖遺骸が納められたという聖柩に染みついた聖血痕を、まだ踏んづけている。見かねたバロバ大神殿長が哀願するように言う。

「レオン様、それは⋯⋯」

「大神殿の神官が、マリアに関してアレコレいう権利があるのかな? ⋯⋯まぁいい。『女神の火』の後も、女神セレンは毎日顕現して癒しを行っていた。降臨して二年目だったかな。女神が斬殺されたのは」

 それを言われると大神殿の神官たちは、平静ではいられない。女神セレン様をお護りできなかった後悔で、気が変になりそうになる。

 レオンは、広大な聖本堂の一角を指差した。

「めった刺しにされたのは、あそこら辺だった。近くにいたマリアは、女神殺害を見てショックで死んじまったっけ」

 正確にその場所を指差してる。

 悪魔の手によって女神セレン様が昇天されてしてしまい、二度と顕現されなくなった日を思い出して、神官が嗚咽した。

「そんなに悲しむ必要はない。死人を生き返らせたり、手足を生やしたりできる神なのだから、復活なんて簡単だよ」

 再び蜘蛛の糸が見えてきたバロバが、すがりついてきた。

「それでは、女神セレン様はなぜ?」

 あきれた。そんなのは女神の意志に決まってるじゃないか。噛んで含めるように言わないと分からないのか?

「セレンはね、無意味なことを止めたんですよ。人は、女神に頼るのではなく自らの力で自らを救わねばならない。それで、人であるマリアを聖女として復活させた。あんたらは虐待したが⋯⋯」


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 女神セレンが降臨して二年が過ぎた。神力をもって、風邪から末期癌まで三百万以上の人びとを癒し、病から回復させた。

 中身は新東嶺風である女神セレンは、大嫌いだったソ連の専制君主スターリンの言葉を思い出していた。「ひとりの死は悲劇でも、大勢の死は数字にすぎない」。この伝でいけば、「ひとりの癒しは善美でも、大勢の癒しは数字にすぎない」。

 聖本堂で、毎日病気治しをしただけではない。神託と称して公衆衛生学を広めたり、女神イモなどの栄養豊富で栽培が容易な作物を与えたりした結果、イタロ王国の平均寿命が二十歳も伸びただけでなく、セレンティア全土で平均寿命が十年近く伸びた。

 すべての病気をセレンティアから根絶し、四苦から病苦を取り除くことで、人間の水準を一段高いところに発展させる。それが弥勒から授けられた嶺風=女神セレンの使命だった。

 計画は順調に進んでいた。いくらかのツッコミどころはあるにせよ、だれにとっても利益になる良策であるように思えた。ところが、救うつもりだった肝心の人間から、何重にも拒絶されることになったのだ。


 その日も女神セレンは、癒しを終え中央の廊下を歩いていた。もう、病気の人はいないかなと周囲を見回した時、突如として腹に剣が突き立てられた。背中からも太刀が突き通され、剣先が胸から飛び出した。

 女神の身体でも痛みは感じる。実際に、狂うんじゃないかと思うほどの激痛に襲われた。しかし、見苦しく逃げ回ったりせず、女神らしくセレンはその場に立ちつくしていた。

 実際に嶺風=女神セレンは、良いことばかりしているつもりである。その結果が衆人環視での惨殺だ。さすがに「あんまりじゃないか」と言いたかったが、喉を切り裂かれ、肩から袈裟切りにされ、倒れたところを十人掛かりで取り囲まれ、メチャメチャに切り刻まれて声も出なかった。

 セレンの傷からは、血液のかわりに光の粒が吹き出してきた。めった刺しにしても埒があかないと見て、クビを刎ねとばされると、人の形を維持することが不可能となった。セレンは光の粒のかたまりとなり、数秒後に消滅した。

 数分間の出来事だった。すべてを間近で目撃したマリアという神女は、卒倒してそのまま心臓が止まってしまった。女神セレンをテロった連中は、十数人ほどの集団で、太刀のたぐいで武装していた。なにやら勝ち鬨をあげると、悪びれることなく堂々と廊下を行進して出口に向かおうとした。

 その時、殺される瞬間の動物が発するような悲鳴が聖本堂に響いた。叫びながら枯れ木のような老婆が先頭の大男に躍り掛かると、その足に噛みついた。これが『ファルールの地獄』の始まりとなったのだ。

 老婆は一瞬で斬り殺された。たが次に若い女が『女神殺し』につかみかかり、剣で貫かれて死んだ。訓練され武装した十数人のテロ集団に、さっきまで病人や怪我人だった素手の五千人が、一斉に襲いかかった。どれだけ斬っても刺しても殺しても、爪や歯を武器にした人びとがテロ団に押し寄せていった。

 数におされ武器を奪われたテロ団員は、八つ裂きどころではなかった。皮は一寸刻みに引きちぎられ、内臓は引きずり出され床に叩きつけられ踏みにじられ、骨は粉々になるまで打ち砕かれた。最聖所であった大神殿聖本堂は、血の臭いが充満し目玉や切断された手や足が転がっている現世の血の海地獄となった。

 比較的正気を保っていたバロバ大神殿長は、テロ団員を生かして捕らえることを命じた。神官たちが発狂した群衆に割って入ろうとしたが、殴り倒され踏み殺されそうになるありさまだった。袋叩きになり血だらけになった神官たちが、ズタズタに死にかかったテロ団員をなんとか一人だけ確保した。

 テロ団員に厳しい尋問などは必要なかった。怒りと憎しみに憑かれたようになっている神官たちに取り囲まれていながらそいつは、「邪悪な悪魔セレンを打ち倒したのだ!」と誇らしげに言い放った。


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 ファルール聖国は、人口三百五十万ほどの小国だった。聖都ルーマからは、北東に二千キロほど離れた半島国家だ。

 他国と同様に女神信仰であったが、ファルール聖国の宗教は奇妙だった。黄金女神像といわれるセレンの偶像を熱烈に信仰していたのだ。国王が最高神祇官を兼ねており、貴族は全員が神官。あらゆることが宗教で規制される神権国家だった。

 彼らは、黄金女神像のセレン以外の神など信じていない。実際に本物の女神セレンが降臨し病気治しをはじめたと聞いても、最初はデマ扱いし、やがて否定しきれなくなると悪魔の誘惑であると断じた。

 現実には、黄金女神像にいくら貢ぎ物やら生け贄やらを捧げても、病気や怪我は治りはしない。狂ったオウムのように一日七回も黄金女神像の前で頭を振って祝詞を唱えても、やはりなにも変わらなかった。「信仰と交換に病気を治すのは悪魔であり、死んでから天国に連れていってくれるのが真の女神である」という教義を広めようとしたが、病に苦しむ人たちにはなんの役にも立たなかった。

 不治とされた病人や怪我人が、悪魔の誘惑に負けてファルール聖国から脱出しはじめた。彼らに続いて女神セレンの話を聞いた多くの者が、ファルール聖国から逃亡をはじめた。軍が国境を封鎖すると、人びとは丸木舟をこしらえて海から逃げた。

 ファルール聖国にとって黄金女神像信仰は、国の背骨である。いわゆる上部構造とされる『政治制度』『社会規範』『文化』といった一切が、黄金女神像信仰に規定されていた。ファルール聖国は、貧しい後進国だ。黄金女神像セレンが授けたと称する煩瑣な戒律に縛られて農業をはじめとする産業の発展は阻害され、国民の多くは半ば栄養失調状態にあった。宗教という上部構造が、社会の基盤である生産力の発展を阻害する逆規定の典型である。

 黄金女神像セレンの信者でなければ、ファルール聖国で生きることはできない。黄金女神像信仰が、ファルール聖国と社会を支えていた。ところが本物の女神セレンが現れたために、黄金女神像信仰が崩れはじめた。その結果、政治体制どころか、ファルール社会を構成していた全てが音を立てて崩壊しはじめた。悪魔セレンが出現して以来、わずか二年でファルール国民の一割が国外に流出した。

 ファルール聖国の政治=宗教指導層は、単なる宗教搾取者ではなかった。何世代にもわたって彼らは、心の底から黄金女神像を信仰していた。そして今、聖国民を惑わし黄金女神像様に害をなす悪魔のニセ女神を地獄に追い返さねばならないと決定した。いくら遠国でうごめいているとしても、打ち払わねばならない。

 悪魔セレンをせん滅して黄金女神像様の威光を再び輝かせるために、選りすぐった神兵による聖戦士団が結成された。二千キロも遠征し、ルーマで彼らは見事に使命を果たした。


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 さしあたって恐ろしいのは、『女神の火』だった。起きるとすれば、女神が顕現される明日朝八時だろう。

 バロバ大神殿長は、すでに死を覚悟していた。バロバは、率直で責任感の強い男だった。聖都ルーマのすべてが『女神の火』によって消えるとしても、必ず事件の記録は残さねばならないと決意した。

 倒れそうなほど疲労していたがバロバは、朝までに女神が昇天された現場の目撃証言やテロ団の生き残りの供述調書を、自らの見解も加えてまとめた。それらの写しを国王府、各国の神殿、さらにイタロ王国に点在する神殿に早馬で送った。これらはファルール聖国への怒りと憎しみを全世界にまき散らすことになってしまう⋯⋯。

 夜明け前から大勢の人たちがルーマから逃げようと街道で列をなしていた。それ以上の数の人びとが、大神殿に集まり広場を埋めつくした。女神セレン様におわびしたいと考えたのだ。バロバの報告書を読んだ神官たちは、随所に立って事実をありのままに伝えていた。ひとことも聞き漏らすまいと黙って聞いていた民衆の間に、ある感情が渦巻いた。女神セレンの癒しで、肉親や親しい友人の命を救われた経験のない者は、ルーマには一人もいなかった。

 八時になった。大神殿長や国王をはじめ、ルーマのあらゆる人びとが女神セレン様に赦しを乞い平伏していた。

 ⋯⋯しかし、なにも起こらなかった。なにも起こらなかったのだ! 時計のように正確に顕現されていた女神セレン様は、現れなかった。死なずにすんでホッとした者もいたが、やがて気がついた。「我々は女神セレン様に見放されたのだ。女神は二度と顕現されない!」。人びとは泣いた。これは、『女神の火』よりも恐ろしいことだ。

 やがて、だれかが思い出した。

「女神様を殺したやつが、生き残っている!」

 群衆が、叫び声をあげて神官席に詰め寄った。もとより神官団と国王たちも女神弑逆者に対する怒りと憎しみは人びととなんら変わらず、生かしておくつもりはなかった。

 大神殿前広場に十万人を超える詰めかけた。大神殿のバルコニーに国王とバロバ大神殿長が姿を現した。なにか醜い物をバロバが引きずっている。血だらけの服の男だ。バロバは、その髪を掴むと顔を群衆にさらした。

 こいつが女神殺しだ!

 十万の憎しみの声が、地鳴りとなって響いた。バロバは、両手で女神殺しを持ち上げると、凄まじい勢いで群衆の中に投げ入れた。


 聖都ルーマの外れに、気の優しい正直で善良な男がいた。

 働き者だったが、ひどく貧しかった。妻が病弱で、寝込むことが多かったからだ。体が思うように動かない妻は、男が見ていないところでいつも泣いていた。

 男には、八歳と六歳の娘がいた。二人とも痩せていて、よく病気をした。子供たちは、病弱だから痩せているのか、栄養が足りていないので病弱なのかよく分からなかった。

 女神セレンさまが降臨されたという話を聞いた。妻を背負い子供たちを連れて五時間かかって大神殿にたどり着いた。わずかなカネを持っていたが、神官さまに、貧しい者は払わなくてもよいと言われた。聖本堂の中に案内され、しばらく待つと女神セレンさまが顕現された。

 男には、この世にこれほどきれいなものがあるとは、想像さえできなかった。光り輝く女神さまの姿は、人生で最も美しい光景として男の魂に、死ぬまで刻みこまれた。

 天国のような美しい時間が過ぎ、女神セレンさまが神界にお帰りになると、いつも苦しそうに咳ばかりしていた妻が、健康になっていた。少しふらつくものの自分で歩くことさえできた。子供たちもすっかり顔色がよくなり、咳をしなくなった。

 聖本堂を出ると家族は食堂に案内された。女神さまからの贈り物だといって食事を振る舞われた。今まで食べたこともない、この世のものとは思えない美味な食べ物だった。配膳をしていた神女さまが女神さまのお言葉だといって、「飢えた者や痩せた者は、いつでもここにきて食事をするように」と言われた。

 男は、テーブルに突っ伏して泣いた。

 一家は幸せになった。男は正直な働き者だったし、健康になった妻も気だての良いしっかり者だった。子供たちも健康で明るくなった。少しだがおカネが残り、神殿に納めることができるようになった。

 家族は、女神セレンさまが聖本堂に降臨される八時と二時には、神殿に向かって跪き顕現されている女神さまに感謝の祈りを捧げた。子供たちにとても優しい父だったが、女神さまにお祈りを忘れることだけは絶対に許さなかった。


 ある日、男が朝起きて仕事の仕度をしていると、おそろしい話を聞いた。女神セレンさまが、病気で苦しんでいる者を癒やすため顕現されたあの女神セレンさまを、剣で刺し貫いた者たちがいるというのだ。男は大神殿まで走った。

 大神殿前の広場には、見たこともないほど大勢の人たちが集まっていた。何人かの神官さまが、口々にバロバ大神殿長さまが書かれた説明を読んでいた。皆が人垣をつくり黙ってそれを聞いていた。「ファルールという悪魔の国が、女神さまが光で人びとを癒し苦しみから救うことを憎み、暗黒の悪魔軍を差し向け、癒しの最中に卑怯にも後ろから獣のように襲いかかり、女神さまの尊い御体を魔剣で切り裂いた」のだという。

 詰めかけた人びとが叫んだりわめいたりしながら広場をうろうろしていた。男もなにをすればよいか分からず、ただ立ちつくしていた。やがて聖本堂から大勢の人たちが出てきた。多くの人は泣いていた。女神さまが顕現されなかったのだ。だれかが「もう女神さまは、きて下さらないのだ」と叫んだ。男は、足元が崩れ深い穴に落ちていくような気がした。

 十万もの人が神殿前広場に集まり、身動きできないほどになった。しばらくして大神殿のバルコニーに、バロバ大神殿長さまと国王さまがお姿を現した。お二人は捕らえた悪魔の一味の髪をつかみ、バルコニーの手すりにさらした。悪魔の顔は、遠くてよく見えなかったが、怒りで目が眩みそうだった。バロバ大神殿長さまは、両腕で悪魔を持ち上げると神の力でそいつを民衆の中に投げ込んだ。しばらくその辺りで赤い霧が立ちこめたように見えた。

 男は、考えながら家に帰った。こんなに考えたのは、生まれて初めてだった。帰ると妻と子供たちが抱き合って泣いていた。男は真っすぐ台所に行き、一番大きい包丁を取り出した。丁度良い棒が見当たらないので、ほうきを引っ張り出した。ほうきの柄に荒縄で包丁をくくり付けた。背負いカバンに水筒とわずかにあった干し肉をいれた。

 妻は、泣きながら夫の戦支度を手伝い、顔を見上げて笑ってから再び泣いた。娘たちは、外に飛び出すと野花をたくさん摘んできた。ほうきの柄に包丁をくくり付けた父親が玄関から出る時に、頭上に花の雨を降らせた。妻と娘たちは、父が再び帰ることはないだろうと分かっていたが、行かなければならないことも知っていた。自分が女なので、ついていけないことが悔しかった。

 男は、ファルールに着くまで徒歩で七十日もかかることを知っていた。しかし、たとえ雑草を食い乞食をしてでもたどり着くつもりだった。しばらくして気がつくと、大きな包丁を持った少年とか錆びた剣を引きずった老人たちがいっしょに歩いていた。

 武器を持ってファルール聖国を目指す群衆の流れは、日ごとにふくれあがり、二十万人をこえた。

 暴徒を制止するよう命令されたイタロ王国軍が前に立ちふさがったが、群衆は止まらなかった。兵士の隙間をすり抜けて前進した。剣を抜く兵は一人もいなかった。フランセワ王国との国境には、フランセワ王国軍が配置されていたが黙って通してくれた。女神信仰の厚いフランセワ王国では、むしろ歓迎され、食糧の供給さえ受けられた。街道では大勢のフランセワ人が、彼らに手を振り食べ物を運びお祈りを捧げた。五十万人以上のフランセワ人が加わり、群衆はさらに膨れ上がった。群衆は、いつしか『神殿軍』と呼ばれるようになった。

 神殿軍は、フランセワ王国を四十日かけて縦断し、ボラン王国に入った。ファルール聖国と仲が悪かったボラン王国では、フランセワよりさらに歓迎され、武器の供給さえ受けた。ボラン王国の東北に国境を接する半島国家が、ファルール聖国である。

 やがてブロイン帝国やルーシー帝国など、世界中から神殿軍が集まってきた。その数は百万を超え、日を追って増えていった。

 ファルール聖国も、手をこまねいてはいなかった。動ける男を全て徴兵して国境を固めた。人口三百二十万の国で、六十万人が兵となった。大国である人口千五百万のフランセワ王国の常備軍が、約十万人である。


 七十日かけてファルールにたどり着いたこの正直で善良な男は、悪魔の軍勢が前に立ちふさがっているのを見た。少し立ち止まって支度を整え、男は包丁をくくり付けたほうきを振りかざしてそのまま正直に敵陣に突っ込んで行った。一瞬で男は殺され、血を噴いて地面に転がった。

 準備を整えて待ちかまえていた軍隊と、包丁のたぐいが武器の群衆では勝負にもならなかった。まるで肉挽き機に吸い込まれたように神殿軍は突撃し、血の池と肉の山になって殺され続けた。

 神殿軍の一部は、国境の山を越えた。戦略的になんの意味のない場所なので、ファルール軍はいなかった。何日か進むとファルール人の山村があった。女や子供、それに老人たちが働いていた。若い男は、みんな兵隊にとられていたからだ。

 神殿軍は、ファルールの悪魔どもにおどりかかった。泣こうが命乞いしようが一切容赦はなかった。母親から赤ん坊を取り上げて地面に叩きつけた。それでも死なないので首を切断した。狂ったようになった母親には錆びた出刃包丁を根元まで腹に突き刺した。生き返ったらいけないので、念のため心臓をえぐり出した。這いずり回って逃げる老人には、後頭部をこん棒でめった打ちにした。まだヒクヒクと生きているので、砕けた頭蓋骨に手を突っ込んで脳をグチャグチャにして殺した。村の隅から隅まで探し回って殺しつくすと、あらゆるところに火を放った。悪魔の住みかなどで寝るくらいなら、雨でも野宿する方がずっとマシだった。悪魔の死体は、まとめて焼いた。残った悪魔の骨も呪われているので、砕いて粉にして風に吹き散らした。畑の作物は、悪魔の食い物なのですべて引き抜いて死体と一緒に焼き捨てた。こんなものを食ったら悪魔になってしまうかもしれない。餓死した方がまだよかった。

 丸木舟で数百人の神殿軍が、ファルールの海岸にたどり着いた。漁村も山村と同じこととなった。神殿軍の通ったあとには、人はおろか家畜や作物まで生きているものは何ひとつなかった。

 前線では、すでに五十万人の神殿兵が戦死していた。神殿軍は、一切損害を省みず朝も昼も夜も間断なく攻撃を続けた。いくら防いでもあらゆる隙間から神殿軍が侵入した。一旦侵入すると自分たちが追い詰められ殺されるまでファルール人を殺しまくった。とうとうファルール軍の前線の一角が崩れた。勝てそうだと見て参戦したボラン王国軍が、戦線の穴をついて拡大した。

 戦線が崩壊し、大半が徴兵された一般人であるファルール軍は、潰走した。交渉も降伏も許されなかった。兵士であろうが民間人であろうが、手当たり次第に殺された。見かねたボラン王国軍が降伏したファルール軍を保護すると、神殿軍が攻め込んできてボラン王国軍を殺し始めた。悪魔をかくまう者は、悪魔だ! ボラン王国が抗議しようにも、神殿軍に指揮者などいなかった。

 女を犯す神殿兵など、ほとんどいなかった。そんなごく少数の者は、悪魔と交わったという理由でその場で殺され、焼かれた。犯された女も悪魔なので、一緒に殺されて焼かれた。

 ボラン王国が得たものは、なにもなかった。神殿軍の破壊を止めようとすると問答無用で殺しにくるので、なにもできなかった。元ファルールの領土は、徹底的に破壊し尽くされた。

 ファルールの生き物は、ネズミやトカゲの類まで見つけ次第、殺され焼かれた。村も町も都市も、ありとあらゆるものが焼き払われた。森や林には火がかけられた。燃えなかった木は一本ずつ切り倒され、再び芽を出さないように切り株は根ごと掘り出されて焼かれた。池や川には毒が流し込まれ、無数の魚が腹を見せて浮かんだ。だが、それを食って死ぬはずの野生動物は、もう、あらかた殺されていた。

 雑草の一本、虫けらの一匹ですら忌まわしかった。この呪われた土地を不毛にしなければならない。ファルールという存在を抹殺するのだ。消し去るのだ。

 大量の塩が運び込まれ、ファルールの悪魔が耕していた畑に撒かれた。最初に皆殺しになった山村にも、数日がかりで塩が運ばれ畑に撒かれた。塩では手ぬるいので、水銀や硫酸やその他の毒物が大量に生産され撒き散らされた。神殿兵の中に水銀中毒になり狂ったようになって死ぬ者が出たが、だれも気にしなかった。とうとうセレンティア中の塩を集めて使ってしまったので、海水をぶちまけることにした。宗教的信念だけが持ち得る忍耐力と持続力で、数年間ひたすら海水をファルール全土に撒き続けた。畑だけではなく森や林まで不毛の地に変わった。

 ファルールは、白い砂漠となった。


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 唖然としているジュスティーヌやジルベールに、レオンは語る。

「ファルールという国は、今はもう無い。国境だったところは高い壁で遮断され、ファルールから飛んでくる鳥は射殺される。ファルール人は、絶滅した」

 レオンは、再び聖女マリアの『聖柩』をつま先で突っつきはじめた。

「セレンが癒したのは、末期癌から風邪まで含めて約三百万人。ファルールの地獄で死んだのは、約五百万人⋯⋯。完全にマイナスだよなあ。フフフ⋯⋯」

 誰も触れられず歴史から抹殺しようとしていた『ファルールの地獄』について、これほど整理され具体的な話を聞いたのはバロバですら初めてだった。王女であるジュスティーヌが聞かされていなかったのは、事件にフランセワ王国が加担していたことを隠そうという意志の表れだろう。戦争のない平和なフランセワ王国の伝説を信じていた王女は、驚き、そして恐怖を隠せない。

「そんな⋯そんなことがあったなんて⋯⋯」

 当時十九歳だったラヴィラント伯爵も、あの時にそれほどの規模の大虐殺があったことは知らなかった。青ざめている。

 レオンが向き直った。

「でもな。ファルール地獄は、これで終わりではなかった。いや。これからが本当の地獄だったのだ!」

 ラヴィラント伯爵には、なにか思い当たることがあるようだ。顔を背けた。バロバと神官たちが、恐怖の色を見せた。

「どうしょうもなかったのです⋯⋯」

「止めることは、できませんでした」

「私たちは、なにをすれば良かったのでしょう!」

 レオンが鼻で笑った。

「マリア以外は、新しい地獄を止める気なんか、無かったくせに」

 レオンは、再び聖女マリアの『聖柩』を見た。想うところがあるのだ。

「昇天した女神セレンは、それでも人間を救おうとした。セレンが殺された現場に居合わせ死んだマリアに癒しの力を授け、復活させた。ふん! マリアが生き返った時は、大変な騒ぎだったな。癒しの力まで授けられていたのだから、カミサマ扱いだ。⋯⋯最初だけはな!」

 バロバが、おぼつかない足取りで寄ってきた。

「どうか⋯⋯。それ以上は、おゆるし下され。どうか」

 レオンは、ますます冷ややかだ。

「マリアも、同じようなことを言いませんでしたか? 真のファルールの地獄には、マリアと神殿が深く関わっている⋯⋯」

 バロバをはじめとする神官たちが、一様に青ざめた。後ずさる者もいる。

「そうだ! クラーニオの丘だ! クラーニオの丘に連れて行って下さい。今も神殿が悪魔祓いをしてるんでしょう?」

 神官たちは、今や真っ青だ。

「く、クラーニオの丘をどこで?」

「あそこは⋯⋯。あそこはいけません!」

「最も穢れた恐ろしい場所です」

 レオンは、切り札を出した。

「セレンに、三つばかり伝言を頼まれています。言っても無意味なので伝えず帰ろうと思ってたんですが。クラーニオの丘でなら⋯⋯。ふさわしい」

『女神の眷属で神力を有する神使レオン』と、とっくに神官たちは判断していた。荒い性格なのは、女神セレン様のお怒りの表れなのだろう。神使様の命令である。お怒りを鎮めていただき神勅を聞かせていただかねばならない。


 神殿の用意した数台の馬車に分乗し、『クラーニオの丘』に行くことになった。王女であるジュスティーヌは、王族用の王宮馬車に乗り、侍女たちに加えてレオン、ラヴィラント隊長、ジルベール君が直接護衛に同乗する。

 フランセワ王国の一行三十人に合わせて、バロバら大神殿の神官たちも三十人ほどが同行した。忌み所であるクラーニオの丘に高位の神官や貴族らが六十人も訪れるなどということは、かつてないことだ。

 一時間足らずでその丘に着いた。直径八百メートルくらいの巨大な饅頭か古墳に似ていた。高さは二百メートルほどだろうか。丘全体が地肌を見せ、木が一本も生えていない。まばらに雑草が茂っているだけだ。ジュスティーヌにも、ひと目でここが人工物だと分かった。

「こんな変な丘は、見たことありませんわ」

 思わずつぶやくと、レオンが暗い笑いを浮かべて言った。

「知らぬが⋯⋯。ちょっとした街にはね、どこにでもこれを小さくした丘がありますよ。フランセワ王国の街にもね」

 年長者のラヴィラント隊長が、顔色を変えて腰を上げた。しばらくなにか言いたそうにしたが、やがて諦めたように腰を下ろす。

 直径八百メートルの円形の外周は、二千五百十二メートルだ。その外周に沿ってトゲの付いた頑丈な柵が張り巡らされており、だれも入れないようになっている。東西にひとつずつ入口の扉がある。近い方の扉の前に馬車が止まった。王女馬車から飛び出したレオンが、思いきり扉を蹴り飛ばすと、凄まじい音を立てて扉が吹っ飛んでいった。そんなことでも神力に見えるらしい。神官が何人か拝んでいる。

 ここから頂上まで細い道が続いていた。おそらく悪魔祓いのためだろう。

「草が少ないな⋯?」

 レオンがつぶやくと、横に立っているバロバが答えた。

「呪いと⋯⋯毒のために雑草も育たないのです」

 一行は、頂上を目指して登りはじめた。禍々しい気配に少しおびえた様子のジュスティーヌが、レオンの腕に手を置いて身を寄せてきた。

「どうして、このような丘を造ったのでしょう?」

「人を埋めるためさ。この足下には、十六万以上の死体が埋まっている」

 そのことを知っていたバロバと一部の高位神官たちをのぞき、全員が息をのんだ。しかし、「この人がそう言うのなら、その通りなのだろう」。皆がそう思った。


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  精神性は、身体に強く束縛・影響される。マリアは、栗色の髪で灰色の目をした物静かな十八歳の女性で、優しく献身的な、自己犠牲的といってもよいほどの性格だった。中級貴族の三女だったが神女になることを希望し、王府の侍女に上げたいという親の意向に生まれて初めて逆らって神殿に入り、下働きをしていた。

 そんな肉体と記憶にかぶさるかたちになったマリア=新東嶺風からは、鉄パイプと火炎ビンを振りかざしてトラックで機動隊の群れに突っ込むような暴力性は影を潜めた。また、精神の諸作用が女性的になった。

 混ざっているとはいえマリアの意識を保っているのは、主に嶺風の精神である。生き返ってからのマリアの変わりように、多くの人が驚いた。気が強くなり自分の意見をはっきり述べるようになった。特に不正に対しては、その場でキッパリと指弾した。高位の者に対しても一切遠慮がなかった。そのため多くの敵をつくったが、少しも気にする様子はなかった。

 生き返ったマリアは、数日後には癒しを始めた。

 女神セレンのように飛翔して一度に数千人も病気を治すことは、できなかった。マリアは、ひとりずつ患部に手を当てて病気や怪我を癒した。まったく寝ないで病気治しを行っても、一日に百人を癒すのが限界だった。マリアが寝ないで癒しをしていることを知った人びとは、深夜でも行列をつくり根気よく順番を待った。

 マリアは、金持ちや貴族を特別扱いすることをひどく嫌がった。権力やカネの力で列をとばした者の癒しを拒否し、一番後ろに並ぶようにと言った。並ばなかったので癒しを断られた貴族が腹を立て、剣を抜いて突きつけると、他の者の癒しを行いながら、「それで気が済むならば刺しなさい」と言い放った。

 マリアが生き返ってから四カ月ほど経ち、聖都ルーマにファルールの地獄のありさまが伝わってきた。ちょうど神殿軍がファルール軍の戦線を破り全土で虐殺を始めたころだった。ほとんどの神官たちは、悪魔どもに神罰が下ったのだと喜んだが、マリアは違った。

 いつもは癒しに専念しているマリアが、数千人の信者が集まる大神殿の朝の説法に姿を現した。一万数千人も癒した聖女、マリアの名はすでに広く知られ、多くの人たちから崇められるまでになっていた。それまでいくら請われても大勢の人の前に出ることはなかったので、初めてマリアを見た者が大半だった。

 中背だが若干痩せ気味に見えた。優しい穏やかな顔をしていた。まだ少女のようにも見える美人だった。まさに女神から遣わされた聖女という風貌である。多くの信者がその場でひれ伏したほどだ。

 ところが、その口から飛び出してきた言葉に神官も信者も、その場にいた数千人が仰天した。それは、容姿から想像できるよりはるかに厳しい声であり、内容だった。


「わたくしは、いま行われている恐ろしい行為について、それに関わる全てのものに抗議します。皆さん。ファルールの虐殺を、今すぐに中止しなさい! 女神セレンを傷つけることなど誰にもできません。女神は、あなた方のあまりの愚かしさにあきれ果てられ、昇天されたのです。慈悲深い女神は、最も愚かな者、最も罪深い者から救おうと祈念されていました。女神に刃を向けた愚か者たちこそ、最初の救いの対象なのです。その者たちを殺し、あまつさえ兵を挙げて攻め込むなど、なにごとであるかっ!」

 唖然としていた信者たちが、怒りはじめた。罵声がとび、誰かが丸めたゴミくずをマリアに投げつけた。胸のあたりに、ポスッとぶつかる。

「私は、女神の力を授かり、癒しのために顕現した聖女である。その私を罵り、石を投げつけるおまえたちは、女神を切り裂いたやからと同じではないか! おまえたちは、すでに悪魔に憑かれている。今すぐに悪の誘いを断ち切り、正気に返りなさい!」

 信者たちは、もう騒然となって手がつけられない。「殺せ!」とか「火をつけろ!」とか、不穏なことを叫び、暴動寸前になった。神官たちがマリアを取り押さえようと右往左往しているが、説教壇に登るハシゴをマリアが外したので、なにもできない。

 マリアの中に入っているのは、もちろん新東嶺風である。おとなしくて優しいマリアの身体性が精神に影響して、マリアの時はずいぶん性格が穏やかになっていた。しかし、女神時代の努力を台無しにされて激怒していた。無意味な人殺しを糾弾しているうちに、過激派時代のアジ演説の気分がよみがえってきた。

「運悪くファルールに生まれただけの、なにも知らぬ民を手当たり次第に殺すなど、極悪人の所行である! 赤子を殺す者、女子供を殺す者、老人を殺す者、彼らこそが悪なのだ! 今すぐに戦闘を中止させよ。ただの殺人者となり果てた者どもに武器を送ってはならない。ひと切れたりとも食糧を送ってはならない。虐殺を煽動している悪に献金してはならない。保身のため女神を裏切った特権神官官僚を打倒せよ。階級の敵を地獄に叩き落とせ! ニセ神殿を打ち壊し、人民の新しい神殿を打ち立てよ! 真の女神の道を進めっ!」

 マリア、⋯⋯というより嶺風は、ますます頭に血が上ってきた。演説に第四インターナショナルのスローガンが混じる。

 どこからかハシゴを持ってきた神官たちが説教壇に上がってきて、もみあいになる。どうにかマリアを捕えようとするが、暴れて手がつけられない。説教壇から落ちたら大怪我だろう。それよりも怒り狂っている信者の中に落ちたら殴り殺されるかもしれない。なんといっても相手は聖女だ。うっかり殺してしまって女神の怒りに触れたらどうする? 神官たちは持て余した。

「彼らは、神殿軍などではないっ。ただの人殺し集団だっ。⋯⋯離せっ! 乳にさわんな。コノヤロー! 悪の誘惑に心を奪われ魂を売り渡した殺人者⋯⋯子供を殺し満足にひたる人間以下のケダモノ⋯⋯ペテン師でしかない血塗れのニセ神官⋯⋯良心を失った極悪人と虐殺者の群れ⋯⋯手を汚さず見逃す卑怯者も同罪⋯⋯神殿は悪に屈し人類の敵となり強盗の巣になった⋯⋯いてっ! 虐殺反対! 帝国主義戦争ヤメロ!!」


 マリアの叫びは、ファルールの地獄を止めるには、なんの役にも立たなかった。しかし、人びとの心の底に澱となって沈み、長く残った。マリアの死後。すべてが終わった後で、その時代の唯一の良心の声として言葉遣いは若干美化されたものの、歴史に残った。


 怒号に包まれたマリアを神官どもが取り囲んで引きずっていった。そのまま大神殿の牢獄代わりの小部屋に放り込まれた。

 水も食事も無しで数日放置された後に、審問会が開かれた。マリアを連れ出しに差し向けられた神官たちは、それでもまだマリアが大層美しいことに驚いた。

 審問官をやる羽目になった高位神官たちを前にして、マリアは、一歩もひるまなかった。堂々と、「ファルールの地獄は、罪もない人びとに対する虐殺行為です」と弁じ立てた。女神セレン正教の教えに照らしても、常識で考えても、マリアが正しいのだから、グウの音も出ない。

 マリアの姿は、普段の穏やかな聖女からは想像もつかない。子熊を殺された母熊のようにいきり立ったマリアは、バロバ大神殿長をはじめ審問官をひとりずつ指差して、「ファルールの地獄に加担するのですかっ?」と問い詰めはじめた。ムニャムニャとごまかそうとしても、徹底的に突っ込んでくる。これでは、どちらが審問されているのか分からない。辟易した審問官たちは、マリアを牢に戻して果てない鳩首会議を始めた。

 バロバ大神殿長は、もともと真面目で誠実な人物である。怒りにとらわれ、暗殺団の生き残りを狂った群集の中に投げ込み自らの手で処刑したが、その短慮も悔いていた。だが、暗殺団に命令を下し送り込んだファルール聖国の指導者は、なにがなんでも処断せねばならないとは考えていた。しかし、民衆が自発的にファルール人を皆殺しにし、そのうえファルール全土を不毛の地に変えようとするなど想像もできなかった。

 マリアは、強く神殿を非難した。しかし、実際にファルールの地獄を引き起こしたのは、極限にまで達した民衆暴力。民衆の力だった。マリアは、神官たちに取り囲まれ引きずられていったが、もし神官たちが壁にならなかったら、民衆によって殺されていたかもしれない。

 死後三日目に復活し、病に苦しむ人間を哀れんだ女神セレンに癒しの力を授けられ顕現した女神の眷属。ほとんど眠ることもなく癒しを行い、すでに一万数千人を病気から回復させた麗しい聖女。マリアを女神と同じように崇めている者は多い。そんな聖女マリアですら、ファルールの地獄に反対すると命に危険がおよぶ。

 少しは頭が冷えたかと釈放されたマリアは、患部に手を当てて病や怪我を癒しながら、ファルールの地獄を非難する言葉を口にした。多くの者は、黙って聞いてなにも言わず去っていった。なかには病が癒えたとたんにマリアに唾を吐きかけていく者もあった。

 バロバは、神殿が民衆を煽動しているのではなく、民衆が神殿を引きずっていることを理解していた。すでにマリアに感化された者が十人以上も殺され焼かれている。いずれ聖女マリアが殺されるのは、時間の問題だと思えた。女神セレンは、そのときにどうなさるだろうか? 女神セレンは、マリアの死を受け入れるだろうか? 無用な犠牲や混乱、特に『女神の火』だけは、なんとしてでも避けねばならない。

 女神セレン以外に、もうひとつ神がいることをバロバは、知った。Vox Populi, Vox Dei.(民の声は、神の声なり)。民の声があるかぎり、ファルールの地獄は止まらない。ファルールのあらゆるものが殺され続けるのだ。

 バロバには、マリアを害したいという気は毛ほどもなかった。ただ、民衆の圧倒的な憎悪の力を目の当たりにして、マリアには、もうファルールを諦めてもらいたかったのだ。

 イタロ王国国王臨席で公開法論が開かれることになった。聖都ルーマ大神殿の全神官対聖女マリアの討論である。

 その日、大神殿聖本堂に一万数千人が詰めかけた。聖女マリア=新東嶺風には、これが討論にもならないことが分かりきっていた。体のよい晒し上げで、ことによったらその場で殺されるだろう。「まるでモスクワ裁判だ⋯」。

 公開法論などといっても、やれ『女神の意志』がなんだとか『ファルールの悪魔』がどうだとか、事実の検証をしようもない観念的な神学論争なのだから、言葉をぶつけ合うだけでまったくかみ合わない。どうにかお互いの主張を要約すると、マリアは「殺すな」と主張し、大神殿は「民衆が殺したければ勝手にせよ」だった。神殿が虐殺を煽動するのを止めさせたことは、マリアの糾弾の数少ない成果だったのかもしれない。

 こんな言い合いは、詰めかけた民衆には意味が分からなかった。しかし、多くの人がファルール人を心の底から憎んでいた。なので、マリアが「殺すな」と発言する時は怒号や罵声の嵐が渦巻き、神殿神官の発言には拍手喝采だった。バロバは、マリアが群衆の怒鳴り声に少しもひるまないことに驚嘆した。「この方は、やはり女神の眷属なのだろう⋯⋯」。

 実際には前世の新東嶺風が、大学内の党派闘争で浴びせられた民青や革マルの野次や罵声で、そんなものに慣れていたからである。あえなく落選した大学自治会選挙の公開演説で、民青に野次り倒されたことを思い出した。ただし、人数がその時の百倍だったし、憎悪は千倍だった。

 やがて、国王が裁定する時がきた。イタロ王国国王は、賢明な君主だった。賢明なので、マリアに理があることは分かり切っていた。しかし、死にたくなければ大神殿を勝たさねばならぬことも分かっていた。もちろん神罰を受けるのはまっぴらだ。聖女殺しの責任を負うなど、とんでもなかった。なので、民衆に投げることにした。

「民よ。いずれが正しいか指さして示せ」

 千人くらいがそっとうつむき、マリアを指した数十人が殴られる音がした。残りの一万数千人は、一斉に神殿神官たちを指さした。

 マリアは、屈強な神官たちに両腕をつかまれ、大衆の歓びの声に包まれて、罵られ殴られながらその場から引きずられていった。再びマリアは、牢獄代わりの小部屋に監禁された。


 マリアは、水も食料も与えられず蒸し暑い牢部屋に投獄されていた。牢獄部屋は、狭く殺風景で、粗末な寝台だけがあった。マリアは、ベッドの端に座り、いずれ処刑される時がくるのを待っていた。

 見張りの者たちは、水も食事もまったく与えられないのに数日のあいだ一睡もせずに端座し祈り続けるマリアに畏怖を感じた。白い神女服に何カ所も血がにじんでいるような状態でも、マリアは、とても美しかった。

 やはり聖女様なのだ! 聖女に害をなすことが恐ろしくて、見張りの多くは逃げてしまった。なかにはわざと鍵を閉め忘れた者もいたが、マリアは逃げなかった。

 五日たった暑い夜に、バロバ大神殿長が訪れてきた。バロバは、聖女マリアを尊敬しており、なんとか命を助けたいと考えていた。最後の説得にきたのだ。

 椅子を運び込ませ、マリアと対面した。他の者は下がらせ、牢獄部屋で二人きりになった。

「食べ物と水を持ってきました。どうぞ」

「最後に見苦しい姿をさらしたくありません。お持ち帰り下さい」

 優しく従順なだけの女が、これほどまでに強くなった。死を覚悟した者に、何を言っても無駄だとバロバは分かっていた。

 もう二度と聖女マリアと話すことは、できないだろう。「言いたいことは、言っておかねば」。悲壮な気持ちで、そうバロバは考えた。

「女神セレン様が昇天され、あらゆる人が、すがる杖を失いました。人間は弱い。今はファルールを憎むことでまぎらわしていても、いずれ恐怖にとらわれ、不安の日々を送ることになります。全ての人間が、これから永遠に、です。心が強いあなたには分からないでしょう。多くの人は弱い。弱いのです。行く先をだれかが指し示し、与えられた定めに従い、支配され服従することで心の安寧を得る。病気治し以上に、今まではその役を女神セレンが担ってきました⋯⋯」

 そんな『服従人間』の製造こそ菩薩である弥勒が最も避けたかったことであり、新東嶺風もそんな生きかたをする人間は、「蟻や猿とどこが違う?」と考えていた。だが、バロバ大神殿長も、そのような業を背負った人びとの幸せや心の平安を真剣に祈っている男だ。

「女神セレンが顕現されなくなった今となっては、人間が女神の重みを背負わなければなりません。女神亡き後は、神殿があとを継ぐしかないのです。それが民衆の脆弱な魂を救う唯一の方法です。しかし、神殿が人びとの上に立つといっても、実態は民衆の意識を拾って方向を指し示しているだけです。女神セレンの代行者になった神殿は、民衆の代弁者でもあります。ですから、神殿に背く者は、女神と民衆にも背く者となるのです。Vox Populi, Vox Dei.(民の声は、神の声なり)。今後、神殿がファルールの地獄を煽るようなことは、決してさせません。しかし、もうファルールを止めることは、誰にもできないのです。神殿は、ただ沈黙を守ります。個人としても大神殿長としても、あなたを苦しめるようなことはしたくありません。ですからどうか聖女マリアよ。沈黙して下さい」

 マリアから返ってきた言葉は、ひとことだった。

「今すぐ、ファルールの地獄を止めさせなさい」

 バロバは、その言葉を返されると最初から予想していた。予想通りだったことがひどく悲しいが、同時に強い喜びのような気持ちもわき上がった。

 マリアが五日ぶりに寝台から立ち上がった。

「さあ、連れて行きなさい」

 マリアは、自分は死刑になると覚悟していた。それでよいのだとも考えた。少なくとも一人は、命を捨ててファルールの地獄に反対したという記録が残る。ナチスに立ち向かい処刑された白バラ抵抗運動と同様に、それは狂気の時代にも人には勇気と良心がある証しになるだろう。

 マリアの進む道は、群集の罵声と歓呼の渦の中で火あぶりにされるか、良くて斬首刑だったろう。しかし、どうにか死刑だけは避けようとバロバは、この五日間あらゆるところを駆け回ってきた。しばらく沈痛な顔をして押し黙っていたが、やがてバロバは立ち上がって口を開いた。

「マリアよ、あなたは女神から見捨てられ神殿から追放されました。神女服を脱いで立ち去りなさい」

 バロバは、牢獄部屋から急ぎ足で立ち去った。マリアが服をはぎ取られるさまを見たくなかったのだ。入れ替わって女の神官たちが現れ、マリアの神女服を脱がせると裏口に連行し、半裸で裸足のまま大神殿から放り出した。


 それが再び、さらに大きな地獄をもたらす結果となるとは、バロバはおろかマリアですら想像できなかった。その未来が見えていたら、マリアは、その場で舌をかんでいただろう。


 ──────────────────


 レオンとバロバの一行は、十分もかからずクラーニオの丘の頂上に着いた。頂上は狭い広場のようになっていたが、貧弱な雑草以外はなにもない。

 レオンは、バロバにいくつか聞きたいことがあった。

「あんな時間にあの場所で半分裸の女を放り出したら、どうなるか分かりそうなもんですが⋯⋯。マリアが死ねばよいと考えたんですか?」

 そんなことは、バロバには初耳だった。目をむいて驚いている。

「まさか! マリアの実家に迎えにくるように使いをやりました」

 中位とはいえマリアの実家は貴族だった。マリアの記憶では、温かい一族だ。マリアが神女になると言い出すと泣いて止め、神殿に入ってからも家族が順番に様子を見にきていた。マリアが神殿をクビになったからといって、見捨てるような人たちではない。むしろ全力で守ろうとしただろう。

「なるほど。では、バロバさんの使いは、マリアの実家までたどり着けなかったんですね」

 バロバにとっては、二十年隔てて聞かされるとんでもない事実だった。

「そんな⋯⋯。では、聖女マリアは、あれから?」

「あれから⋯⋯? どうしょうもないでしょ。裸足で歩きましたよ。あっという間にヤクザに捕まって、小屋に押し込められて強姦されました。連中は五人いたから、寄ってたかって五回は犯されたんでしょう。ぶん殴られて半分気絶してたけど⋯⋯⋯⋯痛かったぜぇ」

 青くなったバロバは、がっくり崩れて呪われたクラーニオの丘の土に膝をついた。拳がふるえている。

「その者どもは?」

「二人は、もう死んでました。残った三人は、きのう死にました。ひとりなんざぁ、マリアを奴隷に売ったカネで商売をはじめていて、意外に繁盛してやがった。もっと苦しめて殺せばよかった!」

 話が聞こえてしまったらしいジュスティーヌが、ブルっと小さくふるえた。レオンがバロバにたたみかける。

「もうひとつお聞きしたい。神殿が奴隷を売買するのは、女神の教えに反するように思いますが、どうなっているのでしょう? マリアは売り飛ばされて奴隷市場で裸にむかれましたよ?」

 三たび愕然とするバロバ大神殿長。

「馬鹿なっ! 死罪に値する大罪を犯した者が希望した場合に限り、特段の慈悲をもって死刑の代わりに奴隷に堕とす『奴隷免罪符』を発行することはありますが⋯⋯」

「大神殿に、マリアは死罪に値する大罪人と考えたヤカラがいるんでしょう。その制度は、見直した方がよさそうですね」


 ──────────────────


 マリアは、ヤクザ男どもに輪姦された後、すぐに奴隷商人に売り飛ばされた。商品としてではあるが、奴隷商ではそれなりに大切にされた。傷を治療され殴られてついたアザが消えるまで、神殿の牢部屋よりよほど快適な奴隷牢に閉じ込められていた。何日も飲まず食わずでいたためにやつれていたマリアの商品価値を上げるためだろう、意外なほど良い食事が出た。

 何日かしてアザが消え顔色が良くなると、後ろ手に拘束具をはめられ奴隷輸送用の馬車に運び込まれた。行き先は、奴隷の競売市場である。それは例の売春窟の近くにあった。いかがわしい施設は、スラムの近くに固まるようだ。

 競馬場での馬の下見所のように、奴隷の競売市場にも『商品』を鑑定するための観覧牢があった。全裸にされ、シーツのような薄い布切れを渡された。全て見せるのは、ステージに立たされセリにかけられるまでおあずけらしい。客の嗜虐心を刺激するためだろう、足首に枷をはめられ不必要に太い鎖がつけられた。

 身体はマリアでも、精神の多くは男である新東嶺風なので、忌々しかったがこんなことは別段恥ずかしくもなかった。ただ、ドジを踏んで犯されて処女だったマリアの身体に傷をつけ悪いことをしたと思った。

 マリアは神殿にこもってひたすら病気治しばかりしていた。なので、ほとんど顔は知られていない。しかし、ここではなぜか「マリーちゃん」と呼ばれていた。『人気商品』らしく人だかりができ、いくらか質問を浴びせられた。

「男性経験はあるか?」

「たぶん、五人です」

「多いな」

「数日前に犯されるまでは、処女でした」

 とてもウソとは思えない口ぶりだった。

「以前は何をしていた?」

「大神殿のしん⋯⋯⋯⋯」

 見張りに止められる。

「すいませんっ、それ以上は困ります」

 他には字が読めるかなどと聞かれた。二桁の掛け算や割り算を暗算して見せたら驚かれた。

 マリアは、もともと若くて優しげな美人だ。気品のある容姿や所作、言葉づかいなど貴族の娘としか思えない。奴隷に堕ちたのは、よほどの事情があってのことと推察された。打ちのめされ憔悴しきったような女奴隷たちの中で堂々としていてハキハキと受け答えするマリアは、頭の良と気品さえ感じさせ、ひどく目を引いた。

 その場にいた数少ない優しい人は、こんな所にいるべきではない女性を救いたいと考えた。数多くいた変質者は、美しく芯の強いこの女を痛めつけて心をヘシ折る快感を想像して激しく興奮した。

 マリア=嶺風には、夜中に半裸でウロウロしていたために、ゴロツキどもに捕まって輪姦されたまでは理解できた。しかし、なぜそのまま奴隷にされ競売にかけられるのか、まったく分からない。駄目で元々と見張りに聞いてみると、案外簡単に理由を教えてくれた。大神殿が、『奴隷免罪符』なるものを発行したのだ。これは犯罪をおかして人間以下の存在とされた者に発行される奴隷堕ちの証文である。ご丁寧に実名で、「マリア・マグダ・ディ・コルデー」を名指しして奴隷宣告していた。マリアの名が分かっていたので、「マリーちゃん」などと呼ばれていたのだ。

「聖女を殺すのはマズいが、奴隷に堕とすのはヨイ」という神官どもの思考が、マリア=嶺風にはさっぱり理解できなかった。とはいえ謎思考の持ち主に、うまく陥れられたらしい。拉致られて強姦されたのも、そいつらの手引きだったのだろう。

 見張りの男は、案外話し好きで気のいいアンちゃんだった。いろいろな話を聞けた。今日は若い女奴隷を取引する日で、性奴隷や娼婦奴隷が競売にかけられるそうだ。前世の新東嶺風だった時に、社研の学習会で旧日本軍が慰安所で性奴隷を酷使していたことは知っていた。しかし、しょせんは昔の他人事だった。まさか自分が性奴隷になろうとは夢にも思わなかった。

 高値で買われた奴隷ほど、大切にされるらしい。奴隷史上の最高値がついたのは、捕虜にされたどこかの小国の王女で、八億ニーゼで買われ外国の王様の側室になったんだそうな。「あんただったら、貴族様の奴隷メカケになれる」とか、妙な慰めをされた。

 マリアは、本日の『目玉商品』だったらしい。一番最後にセリ場に引き出された。シーツみたいな布切れは取り上げられ、丸裸だ。「元のマリアに悪いかなぁ」と思って両手で胸を隠して出ていったが、恥じらっているように見えてますます色気が増しただけだった。

 奴隷市場のセリ場は、三百人くらい収容する劇場に似ていた。数百のギラギラした目にさらされて、乳房を隠していた両手を解かされて飛行機のポーズをさせられたり、そのまま回転させられたり、万歳の姿勢をとらされたり⋯⋯。マリア部分の精神は息が止まりそうなほど恥ずかしがっているのだが、嶺風にとっては、こんなことで目をギラつかせている連中を見ていると、バカらしくて仕方なかった。

 美しく教養があるばかりでなく、この奴隷が軽蔑の目で客を見下していることに多くの者が感嘆した。こいつは奴隷堕ちしても、貴族の矜持や誇りを失っていない。子ができず悩んでいるある貴族などは、この女を孕ませ産ませれば、さぞよい跡取りができるだろうと考えたほどだ。妊娠したら奴隷身分から解放し、正式に側室にすればよい。


 マリア=嶺風は、奴隷に売られても、いずれ隙を見て逃げるつもりだった。それまでは、せいぜいおとなしくしていようと考えていた。なのだが、ゲスな視線と下品な野次にだんだん腹が立ってきた。売り子のはやし立てが、また奮っていた。

「さー、お待たせいたしました。いよいよ本日の目玉! 最高級品の出品です! とくとご覧下さい。高貴な貴族の娘が市場に出ることは、メッタにございません! おん年十八歳。花に例えれば咲き誇る寸前。どーぞ、この美しいお顔をじっっっくりとご覧下さいませ。華奢な容姿が最高の女奴隷! 読み書きができて掛け算と割り算までできる教養あふれる貴族の娘が、なんの因果が奴隷に転落! これほどの女奴隷を手に入れるチャンスは、二度とございませんよっ! 昼はお子様の家庭教師に。夜は旦那様の個人教授に(ゲラゲラゲラゲラゲラ!) 残念ながら処女ではございません。しかしっ、ホンの数日前までは、ムスメでございました! この美貌に卸売り業者が我慢できなかったのでございます!(ゲラゲラゲラゲラゲラ!) 断言いたします。この女奴隷は、ほとんど経験はございません! 数日前に悪徳業者に犯されただけっ! ご覧下さい。レッキとした医師の診断書付きでございます!(紙切れをヒ~ラヒラ) 今はまだ、その部分は痛々しく腫れておりますが、なにとぞご安心を! 処女膜まではムリでございますが(ゲラゲラゲラゲラ!) 当方が責任を持ってアソコを養生いたします(ゲラゲラゲラゲラ!) カンペキな状態に磨き上げ、ご自宅までお送りいたしますのでございますっ! いささか痩せてはございますが、均整のとれたこの美しいカラダっ! 小ぶりですがカタチの良いオッパイっ! 健康でございます。血統正しい気高い貴族娘でございます。奴隷メカケにして子供を産ませるもよし! 性奴隷としてイチからお好みに仕込むもよしっ! 高級娼館の看板娘にして稼がせるもよしっ! これは買わないと損でございますよーっ! さーあ、最高級女奴隷高貴なマリーちゃん! まずは切りよく、一千万ニーゼから!!」

「二千万!」

「三千万ニーゼ!」

「三千五百万!」

「四千万!」

「五千万ニーゼ!」

「おおぉっ! 今年の最高値がつきました! 五千万! 五千万ニーゼの落札で、よろしいでしょうかっ?」

「五千五百万!」

 ウオオオオオオオオォォォォ!

「屋敷を売る! 一週間待ってくれ!」

「手付け金を半額用意していただけるなら、十日お待ちいたしまーす」

「よーし! 六千万ニーゼ!」

 シ─────────────ン

 ドヨドヨドヨドヨ⋯⋯⋯⋯

「八千万ニーゼ!」

 ウオオオオオオオオオオォォォォォ!!!

「八千万っ! 八千万ニーゼが出ましたぁ! 九年ぶりに最高落札価格を更新ですっ! 八千万! 聖都に立派なお屋敷が建つ価格ですっ! 皆さま、よろしいですか? 本当によろしいんですねーっ! はいーっ、ベスケー侯爵閣下が、八千万ニーゼで元貴族最高級女奴隷のマリーちゃんをご落札でございますでぇーすっ! あーりがとうございましたぁぁ! せーだいなる拍手を、おぉぉお願いいたしまーす!」

 おお─────っ! パチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!


 八千万ニーゼ? 八千万円くらいか? なんだよー。どっかの田舎王女の十分の一の値段かよぉ? 三億くらい出せ!

 予想より安かったので、混じっているマリアの意識もプリプリ怒りはじめた。そこらへんの自尊心は、やはり貴族出身だ。

 全裸のマリアは、セリ場の最前まで歩いた。裸美人が近くに寄ってきたので、奴隷を買いにくるようなクズどもはヤンヤの大喜びだ。マリアは、腕を伸ばし人差し指で天をさした。

「女神の光っ!」

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

 銀と金の光が指先からきらめくと、奴隷市場をなめて広がっていった。数秒後、マリア以外の全員が昏倒していた。

 今のレオンだったら、こいつらを手当たり次第に殺していただろう。しかし、マリアの身体に入った嶺風の精神は、元マリアに強く束縛されていた。女性化し、ひどく優しくなっていたのだ。

 殺すことなど思いもよらず、とりあえず逃げることを考えた。女の客が何人かいたが、極彩色の服が下品すぎて元マリアの精神が嫌がって拒絶反応を示す。少しはマシなセンスの服を見つけたが、こちらも「盗む」という行為に元マリアの精神が激しく拒絶反応を示し、脱がすことができない。困り切って周囲を見渡すと、セリ場に天幕のつもりなのか、白い遮光カーテンのような布が張られていた。どうやら元マリアは、他人から服を剥いで奪うことを嫌悪したらしい。これには元マリアの精神の拒否はなかった。白布を外して身体に巻きつけ、女客の頭から「拾った」ピンで止めると、何日か前に神殿ではぎ取られた古代ローマ風の神女服みたいになった。床に落ちていたサンダルを拾ってマリアは、奴隷市場からぬけだした。

 でも、ちょっとだけ気になった。ベスケー侯爵ってどんな人だったんだろうか?


 うまく逃げ出せたとはいえ、困ってしまった。当たり前だが大神殿には戻れない。元マリアの家族のもとへ逃げ帰るのも、迷惑をかけるだろうから避けたかった。それに途中で逃亡奴隷として捕縛されたら、どうなるかも分からない。

 そろそろ夕方だ。またゴロツキどもに輪姦されるのは御免だった。行き先のない足は、自然に歩きやすい向きに進んだ。坂があったら無意識に下りてゆく。坂の先にはドブ川があった。川の両側はスラムである。マリアは、いつの間にか夕方のスラム街に入り込んでいた。

 明るい時間のスラムは、夜とはまるで違っていた。地域のコミニティが生きているため、意外なほど安全なのだ。放し飼いのニワトリと一緒に半裸で裸足の子供たちが、大勢かけ回っていた。そんな中に純白の女神さまの服を着たおねーちゃんが、やってきたのだ。子供の習性にしたがって、大勢がマリアの後をついてきた。人懐っこい子供がマリアにたずねた。

「おねーちゃん、女神さまなの?」

 マリア=嶺風は、子供が好きだった。だから子供を苦しめ堕落させる貧困やそれを生み出す社会の仕組みを激しく憎んだ。

「女神? 違うわよ。うふふ⋯⋯」

 マリアは、本当にひさしぶりに笑った。

「じゃあ、神女さまだったの?」

「神女だったけど、神殿を追い出されちゃったの。困ったわ⋯⋯」

 子供たちは、ビックリした。「なんでこんなにきれいな女の人が、神でんをおいだされてしまったんだろ?」。

 幼い子供が路地で転んでビービーと泣いていた。両膝から血が流れていた。マリアは子供に駆けよると膝をついて、「もう痛くないよ。すぐ治すからね」とあやしながら子供の膝に手をやった。「なんだ?なんだ?」と取り囲んでいる子供たちは、マリアの手が銀色に輝いたのが見えた。一瞬で両膝の傷は消えた。

 子供たちは、やっぱり「このおねーちゃんは、女神さまなんじゃないかな?」と思った。でもすぐに、女神さまのつぎにえらい人を思いだした。

「おねーちゃんは、聖女さまなの?」

「そうよ。聖女なの」

 マリアは、再び笑った。


 子供たちに引っぱられ、病人のいる場所に連れていかれた。死にかけた赤ん坊を抱いて泣いている母や、土木作業中に大怪我をして追い出された男らが大勢いた。病人の多くは、栄養失調からくるもので病気だけ治しても根本的な意味はなかった。それでも少しでも楽になるならばと、マリアは病者を癒した。

 やがてマリアは、住人が逃げたか殺されたかして空き家になっていたスラム街の外れの少し大きな掘っ建て小屋を提供された。マリアは、それから殺されるまで七カ月間、ほとんどこの『癒しの小屋』から出ることなく、病気治しを続けた。

 マリアがスラム街で癒しを始めたという噂は、すぐに大神殿に伝わった。意外なことに大神殿からの妨害や圧力は、ほとんどなかった。スラムの住人たちも、マリアが追放された神女であることをすぐに知った。でも、たまにカネをせびりにくるだけの神殿などより、マリアの方がよほどありがたかった。このころになるとファルールには、人間はおろかもう生物の姿さえ無くなっていた。

 癒しの小屋の前には、長い列ができた。マリアは、寝なくても平気な身体になっていたので、眠らないでひたすら病者・傷者を癒し続けた。手伝いの人たちに少しは休むように忠告されたが、病気で苦しみ悶えている者や怪我で血を流し苦しんでいる者が黙って並んでいるのを見ると、とても休む気にならなかった。二十四時間ぶっ続けで働いても、百人を癒すのが限界だった。列は少しも短くならなかったが、それでもマリアは癒しを続けた。

 手伝いの人たちには、聖女の凄まじい自己犠牲に見えた。なかにはこっそりマリアを拝む者までいた。しかし、子供たちは能天気で、よく癒しの小屋にやってきては、ひたすら働いているマリアの気を晴らしてくれた。癒しをしながら子供たちに読み書きを教えるのは、マリアの小さな楽しみだった。

 さすがに文無しでは不自由だし、栄養失調の人にせめて一食くらいは渡したい。そう考えて、手伝いの人に頼んで底が抜けた大きな壷を拾ってきてもらい、穴をふさいで小屋の出口に置いた。常に飢餓線上にいるようなスラムの人たちからは無理だったが、隣接する貧困街から訪れた人はよく銅貨を入れてくれた。

 神殿の時と同じように、貴族がやってきて今すぐに治療するように強要されたことがあった。チラと見るとぐったりした十二歳くらいの少女だった。弱っていたが直ちに命に関わるような症状ではなかったので、列の後ろに並んで順番を待つように言った。神殿の時と同様に、護衛騎士と名乗る者が剣を抜いて突きつけてきた。小屋の空気が凍りついたが、マリアは護衛騎士を一瞥もせず「邪魔です」と言って剣を払い、癒しを続けた。

 生意気な女を少し脅かしてやろうと護衛騎士は、剣の刃をマリアの右頬に当てた。その時、手元が狂ってザックリ深くマリアの右頬を傷つけてしまった。大量の血が流れ、例の白い遮光カーテン製の服の右側が赤く染まった。沈黙に包まれた小屋の中で、立ちつくした護衛騎士を横において、それでもマリアは黙々と癒しをおこなっていた。

 しばらくして、戸板に乗せられた急患がかつぎ込まれてきた。血だらけのマリアの姿を見て運んできた人たちが驚いて騒ぎ、患者を小屋に運びこむのに手間取り少し時間があいた。その間に、マリアが自らの右頬をなでると瞬時に傷が消えた。さらにその場で血でぐっしょり濡れた服を脱ぎだしたので、男どもはど胆を抜かれてしまった。女衆が飛んできてマリアを隣の小部屋に連れて行き、着替えさせた。少し学のある者が、「マリア様は赤子のように清らかな聖女なので、イヤらしい考えが無いのだ」と説明して、皆が納得した。

 十七時間後に、貴族の少女の番になった。白血病だったが、数分で癒すことができた。例の護衛騎士が「お嬢様がここにいらしたことは、誰にも言ってはならない」などと脅しじみたことを言い残して去っていった。間の抜けたことに、『お嬢様』の名前なんか誰も知らない。それにマリアは、忙しかった。そんな言葉は完全に無視して、つぎの病者の癒しを始めていた。一部始終を見ていた子供が、「あんなやつ、治してやらなくていいのに!」と怒った。マリアは、なにも言わずしばらく静かに笑っていた。やがて、「つぎは、左の頬に⋯⋯」と、小さくつぶやいた。

 数カ月後に銅貨が壷いっぱいに貯まった。マリアは、貧民学校を建てることにした。なにか事情があって貧民街に流れゴロゴロしていた教育のある若者が、マリアの働きに感動して教師を引き受けてくれた。

 スラム街は、みんな不法占拠なのでいつか追い出されてしまうかもしれない。この銅貨で土地を買うことにした。癒しの小屋の近くのスラム街と貧民街の中間あたりに、ごく小さな校庭のあるミニ学校が建つくらいの土地を買った。持ち主が、『聖女マリア』に心服しており、壷の銅貨で格安で譲ってくれた。

 校舎を建てる資金はもう無いので、スラムの人たちに頼んだ。彼らは喜んでどこからか廃材を集め、『スラム様式』とでも呼べそうな五十人ほどが入れる平屋の校舎を建ててくれた。とうとう完成したと聞くとマリアは五分ほど走って学校の前に行き、しばらく嬉しそうに眺め、また走って癒しの小屋に戻り、待たせたことを謝って、再び癒しをはじめた。

 この学校が、マリアの死に場所になる。

 マリアは、ここで子供に読み書き計算を教えれば、スラムから抜け出すことができると考えた。これはマルクスが批判した空想的社会主義の考えに近い。毎年五十人がスラムから抜け出しても、新しく五十人がスラムに流れてきたら同じことだ。スラムを生み出す社会を変えないと駄目なのだ。より正確に言うと、人間を飢餓線上に置いて、多くの人がしたがらない仕事を生存できるギリギリの賃金で働かせる『スラム』という『装置』。その搾取装置の存在が、不可欠な土台のひとつとして成り立っている社会。そんな社会を変える方法は力しかない。強制的に変えない限り、この小さな学校もいずれ泡のように消えてしまう。

 もちろんマリア=嶺風には、そんなことは分かっていた。しかし、神殿を追放され奴隷堕ちまでしたマリアは、もう社会的には死んだも同然の存在だった。そんな力は無い。でも、すぐにくるだろう最後の時まで、できるだけのことはしようと考えていた。


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 女神聖典 聖コマルによる福音書 聖女マリア伝より

 第九章

  ①.女神セレン昇天聖日の深夜、聖女マリアは、癒しが終わったことを悟られた。癒しの小屋にいた者たちは、すべてが床に臥し倒れて眠り込んでいた。聖女マリアは、立ち上がられ、癒しの小屋から出られた。マルコスというひとりの少年が、聖女マリアが出て行かれることに気づいた。 ②.マルコスは、「深夜にどこへ行かれるのですか。外は暗いです」と言った。聖女マリアは、「女神セレンの御元へ帰る時がきたのです」と答えられた。そして「血と苦しみに会いにいく」とつぶやかれた。マルコスは驚き、眠っている皆を起こそうと試みた。しかし、ひとりも起きる者はいなかった。 ③.聖女マリアは、癒しの小屋から出て行かれた。マルコスは、後に続き「私はあなたを守る」と言った。聖女マリアは、振り返り「たたかってはいけない。隠れて全てを見ていなさい」と答えられた。聖女マリアは、しばらく聖都ルーマの貧しい者が多く住む町を歩かれた。とても苦しそうなご様子で、御顔から血の汗を流しておられた。 ④.聖女マリアは、貧しい小屋に囲まれた小さな学校の庭に入っていかれた。そこは、癒やされた者たちが寄付した銅貨を集め聖女マリアが建てられた学校だった。校庭の中央に立たれると、「ここは、ふさわしい」とおっしゃられた。やがて十人ほどの黒い服をまとった者たちが現れた。彼らは、聖女マリアを害そうと悪魔が入った不信心者たちであった。全員が剣を帯びていた。 ⑤.マルコスは、怖れて建物に逃れた。悪魔が入った者たちは、剣を抜き聖女マリアを指して言った。「この女は、偽りの癒しをおこない女神を汚した」。そして剣先で聖女マリアの左頬を傷つけた。傷から血が流れた。黒い者たちは、血を見てあざ笑って言った。「見ろ。女神ならば、血が流れるはずがない」。聖女マリアは、天を指して言われた。「女神セレンとすべての人びとに見てもらいましょう」 ⑥.聖女マリアの指先が輝き、女神の光があらわれた。銀色に光る球になって上り、屋根の高さで止まった。近くに住む者たちが、昼のように明るくなったことに驚き、窓や戸の隙間から覗いた。彼らは、聖女マリアと剣を持った黒い者たちを見た。悪魔が入った者は、「これこそ悪魔の業なのだ。おまえは死ななければならない」と叫んだ。⑦.聖女マリアは、「この地に流れる血は、女神セレンの血であり、私の血であり、癒した者たちの血でもある」と言われた。そして、自らの心臓を指差して「ここを貫きなさい」と言われた。悪魔の入った者が、獣の叫び声をあげ、剣で聖女マリアの心臓を貫いた。他の黒い者たちも獣の叫び声をあげ、何回も聖女マリアを刺した。⑧.聖女マリアは、「この血は、多くの不幸で購われるでしょう。血が河のように流れ、大勢の人たちが苦しむことが悲しい」と言われた。聖女マリアが死なないことを恐れた黒い者が、「悪魔よ、去れ」と叫んだ。何本もの剣に貫かれた聖女マリアは、天を仰ぎ「彼らは、自分がなにをしているか分からないのです」と言われた。恐怖にかられた黒い者は、悪魔の力を振るって聖女マリアの首を剣ではねた。 ⑨.聖女マリアの頭が地に落ちた瞬間、空に輝いていた女神の光が消え、周囲は暗闇になった。地鳴りとともに地面が揺れ、大神殿聖本堂の女神セレン像を覆った幕が二つに裂かれた。恐怖にかられた黒い者たちは、逃げ去った。マルコスが、聖遺骸にとりすがり「聖女マリアが死んだ」と叫び、激しく泣いた。 ⑩.おびえて隠れていた住人たちが、近くの小屋から出てきた。何人かはランプを持っていた。地に落ちている聖女マリアの頭を見た者が叫んだ。「大変だ。聖女マリア様が亡くなった」。その声を聞いて多くの者が集まり、聖遺骸の周りを囲んで泣いた。やがて荷車が運ばれてきた。人びとは、聖遺骸を載せて聖都ルーマ女神セレン大神殿聖本堂まで運んだ。大勢の女や子供たちが泣きながら聖遺骸の後についてきた。知らせを受けた大神殿は、すべての神官と神女が跪いて聖遺骸を迎えた。 ⑪.聖女マリアの聖遺骸は、柩に納められ女神セレン像の隣に安置された。やがて聖遺骸から芳香が漂う奇跡が起きた。あまりに多くの人たちが訪れたため大神殿に入ることができず、人びとは行列をつくって聖遺骸の前を通り、御姿を拝した。三日たっても行列は途切れなかった。四日目の早朝。行列している者や人びとの整理をしている者が、突然眠気に襲われ、全員が地に伏して眠った。 ⑫.人びとが目を覚ますと、すでに柩から聖遺骸が失われていた。柩には、聖血痕が遺されていた。ある者は、「殉教された聖女マリアは、女神セレン様の御手によって引き上げられ昇天されたのだ」と言った。別の者は、「女神セレン様は、聖女マリアを殺した人間をお赦しにならず、聖遺骸をおとりあげになったのだ」と言った。またある者は、「聖血痕が遺されたのは、人が聖女に血を流させたことを忘れさせない女神セレン様のお考えである」と語った。

 聖女マリアが殉教された地には、聖マリア神殿が建てられた。

      

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 マリアがスラムに流れてから七カ月ほどたった深夜、いよいよ自分が死ぬ時がきたことを悟った。剣を持った十人ほどの男たちが、癒しの小屋を囲んでいた。このままでは関係ない人まで皆殺しにされ、小屋に火を放たれるだろう。マリアは、女神の光を発現させ全員眠らせ小屋から出ることにした。自分が突然消えたら問題になるのではと考え、はしっこいマルコス少年についてきてもらうことにした。死にざまを見て記録に残してもらいたい気持ちもあった。

 小屋を出る時に癒しの順番を待っていた病者が地に伏して眠っているのを見て、申し訳ない気持ちがした。しかし、もう時間が無かった。

 人を巻き込まないで殺される場所はないか、と思案した。すぐにあの貧民学校が思い浮かんだ。マルコス少年を連れて小さな校庭に入った。

 マリアがこの貧民学校の中に入ったのは、これが初めてだった。なにか懐かしいような、やるせないような、不思議な気持ちがした。「ここは、ふさわしい」と、小さくつぶやいた。

 マルコス少年に、校舎に隠れているように強く命令した。

 しばらく校庭の中で待ち、考えていた。「自分は、この世界でなにかを少しでも変えることができただろうか?」。

 マリアは、白血病の少女を治した。両膝から血を流している少年を癒した。それでなにかが変わり、なにかが良くなっただろうか? 病気が治ったという利益を、個人に手渡しただけで終わったのではなかろうか?

 やがて、抜き身の太刀を下げた全身黒衣の男たちが現れた。殺し慣れした殺気を放っている。

 囲まれたマリアは、『女神の光』で四周を照らした。左頬から血を流し、自らの心臓を指差し、「ここを貫きなさい」と言った。



 バロバ大神殿長は、深夜に叩き起こされた。スラム街で元聖女のマリアが殺されたという知らせである。マリアは、とっくに実家に帰ったとばかり思っていたバロバは、仰天した。それになによりも、マリアの死が悲しかった。大神殿長という立場から離れれば、バロバは、マリアのきれいで真っ直ぐな心を愛していた。

 マリアが、スラムに拠点を構えて二万近い人たちを癒したと聞かされ、戦慄した。大神殿の神女時の癒しを加えると三万を超える重病人が、マリアに救われている。聖都ルーマの人口は約百万だ。貧民ばかりとはいえ、親族や友人がマリアに救われた者は多い。

 大神殿は、女神に遣わされた聖女の神女服をはぎ取って破門したのだ。昇天された女神セレンに代わって神殿が人びとを救い導く使命を担い、そのために不動の権威を保持せねばならないと確信していたバロバにとって、神殿と聖女が対立していた事実は大問題である。

 住人たちが、マリアの死体を大神殿に運んでいるという連絡がきた。受け入れるか追い払うか、バロバに選択の余地はなかった。すべての神官と神女を起こし、マリアの『聖遺骸』を迎える準備をさせることにした。その間に古参の有力神官を集め、マリアの破門は「無かった」という決議をした。マリアの処刑を主張していた神官も含めて、反対する者は、ひとりもいなかった。神殿の権威に逆らい正義ヅラしていた小生意気なマリアは、どうせ死んでいるのだ。せいぜい死体を見世物にしてやろう。

 みすぼらしい荷車が、大神殿の前に到着した。数百の貧乏人が、泣きながら後についてきていた。粗末な服をまとったマリアの『聖遺骸』は、めちゃめちゃだった。二十カ所近くもめった刺しに貫かれ、頭を斬り落とされていた。

 いい加減なねぎらいの言葉をかけ、貧乏人どもを追い払った。粗末な服はハサミで切って捨て、神官どもによって聖遺骸は仔細に点検された。マリアが処女ではなかったことは、マリアを憎んでいた者も含め多くの神官を驚かせた。幾人かは、唇に薄い笑いを浮かべていた⋯⋯。

 どうせマリアが非処女だったことはバレやしないが、聖女の頭と胴体が離れていては、さすがにマズい。裁縫道具をつかって大急ぎで縫い合わせた。あわてていたため、少しズレて変な感じに首がねじれた。首のあたりを高価な花で埋め、死体に襟の長い立派な神女服を着させて、どうにかこうにかごまかした。

 神殿は大混乱だった。神官たちが駆け回っていた。だれかが聖本堂の女神セレン像の前で転び、覆っていた幕を破いてしまうありさまだった。忙しいので破れた幕を放置していたら、だれかが「女神セレン様の奇跡だ」と言い出し、「この幕は聖遺物だ」ということになった。

 聖女マリアが殺されたという噂が広がり、夜明け前には大神殿前広場に、群衆がつめかけてきた。聖遺骸は、聖本堂の女神セレン像の横に安置することになった。ついでに破けた幕も女神の奇跡を顕現した聖遺物として展示することにした。

 公開法論の時に、殴られ引きずられていくマリアを歓呼の拍手喝采で見送った民衆。そんな仕打ちを受けたマリアから、その死の直前まで尽くされ病を癒された三万人の人びと。その民衆が、マリア殺害にどんな態度をとるだろうか? 大神殿を焼き討ちされるのではあるまいか? バロバら高位神官どもは、生きた心地がしなかった。

 聖本堂を開扉すると人びとは、聖遺骸に殺到した。高価な花のたぐいで飾りたてられた死体の前で、多くの人たちが泣いたり叫んだりしていた。

 自らの過去の所業を忘却したこの愚かしい姿をバロバは、空虚な気持ちでながめた。「やはり神殿が導かないと駄目なのだ」。

 四日目の朝に、聖遺骸が消えた。神界から女神セレンが、ご覧になっているのだろう。しかし、同じことだ。


 ──────────────────


 クラーニオの丘とは、髑髏の丘という意味だ。この奇妙な丘の下に、十六万人以上の死体が埋まっているらしい。聖都ルーマの人口は、およそ百万人だ。

 聡明なジュスティーヌは、瞬時に悟った。「普通の亡くなり方ではないのでしょう。殺されたのだわ。でも、なぜ? だれに?」。

 レオンが、バロバにというよりも、自分につぶやくように言った。

「最初のファルールの地獄は、怒りからでした。ところが、この二度目の地獄は、後悔と恐怖が引き起こしたように思います。⋯⋯でも、死体の数がちょっと少ないですね。残りは海に?」

 バロバが答えた。自嘲的な声だ。

「ええ、最初は⋯⋯。しかし、海が穢れるという苦情がきましてね。この丘は、我々が造ったのです。こんな墓場を造ることになって初めて気づくとは。神殿が民衆を導くなど、愚かでした」

 前世はマリアでもあったレオンには、是非バロバに聞きたいことがあった。返答次第では、バロバを殺していたかもしれない。

「もし、マリアのいう通りに、神殿がファルールの地獄を全力で止めていたら、どうなっていたでしょうね? 二度目の地獄は避けられたでしょうか?」

 バロバは、肩を落とした。それは、眠れない夜に何度となく考えてきたことなのだ。

「狂った民衆に、神殿が引きずられていました。無理です。止めていたら私もマリア同様に殺されていたでしょう。二度目の地獄も同じです。マリアには、かわいそうなことをしてしまった⋯⋯」


 その時、バロバが気づくと、レオンが丘の入口を眺めている。そして、ニヤと笑った。

「ファルールから、お迎えがきたようです。フフ⋯。マリアを殺った時と同じ格好してらぁ。黒ニンジャ衣装か! あっ、もう抜いてやがる。殺る気満々だ」

 異様な黒衣の集団が、クラーニオの丘の入口にいる。全員が抜き身の剣を持ち、殺気を放っていた。隊長のラヴィラント伯爵が、フランセワ王国の護衛団に号令する。

「全員、武装を確認しろっ!」

 うろたえた声が帰ってきた。

「なっ無い!」

「剣がありません!」

「武器はどこだっ?」

「しまったっ! 神官に渡したままだっ!」

 ラヴィラント隊長が激怒している。

「馬鹿者っ! なにをやっておるかっ! 武人が剣を手離してどうするっ!」

 この丘には、棒切れひとつ、石ころ一個も落ちていない。

「すっ、素手で戦います!」

 ここで動転していないのは、レオンだけだ。

「やるなぁ。柵の中に追い込んでウサギ狩りか。味方で武装してるのは? オレ、ラヴィラント隊長、ジルベール君。⋯⋯三人だけか。死ぬかな?」

 さすがは代々王家に仕える忠誠なラヴィラント伯爵家の騎士だ。気を取り直したラヴィラント隊長が指揮をとる。元々有能な人なので的確だ。

「なんとしても王女殿下をお護りするっ! 殿下を中心に人の壁を作れ。我らが倒れたら剣を拾って戦え。敵が迫ったら数人がかりで素手で武器を奪え。ジュスティーヌ様を必ずフランセワにお帰しするのだ!」

 面白そうに黒衣の刺客を見ていたレオンが状況を説明した。

「敵は、東西の入口から五人ずつです。強いですよ。ラヴィラントさんとジルベールは、ここから離れないで東の五人を防いで下さい。オレは西の五人を殺りに行きます」

 突然戦闘が始まりそうで、神官たちがオロオロしている。

「バロバさん! 大神殿に敵がいるようですよ。護衛のみんなは、剣を巻き上げられました。じゃあ、黒服のやつらをお迎えしてきます!」

 人垣の中からジュスティーヌが声をかけてきた。顔は見えない。

「おねがいです。死なないで、ください」




 あの野郎ども。敵の武装を解除して、逃げ場の無い見通しのよい場所で、はさみ撃ちかぁ。戦い慣れしてやがるなぁ!

 ベルトに差している剣をひっくり返し、刃を上に向けた。わざと平静に走り、手を振って見せたりする。降伏の使者か潜入させていたスパイとでも思ってくれればありがたい。剣は抜かず、敵意を見せずに近づく。十メートル⋯五メートル⋯三メートル⋯⋯。

 間合いに入った瞬間、抜き打ちで逆袈裟に斬り上げた。黒装束が滝のように血を噴き出し斃れる。さすがに驚いて敵の動きが一瞬止まった。返す刀で、

「だっ!」

 もう一人、黒装束の手首を叩き斬った。

 だが、強い。強いというより、殺し慣れしている。二人が倒れても全くひるまず、残った三人が一斉に剣で突いてきた。貴族の剣法なら突くだけだが、こいつらは、突いてから薙いでくる。身体に少しでも刃が触れれば、結構な傷を負う。三対一でも油断せず、そうやって戦闘力を削いでいって、弱ったところを血祭りに上げるつもりだ。⋯⋯強い。

 このままでは、いずれ殺られる。しゃがんでクラーニオの丘の毒土をつかみ、顔面に投げてやった。ひるんだ隙に、仰向けになって死んでる袈裟斬り野郎の剣を拾って、背を向けて走って逃げた。ジュスティーヌのところへだから、「戻った」というべきなのか。

 駆けて追いすがってきてくれれば、拾った剣を投げるなり、振り向きざまに斬り返すなりできるのだが、追ってこない。

 ⋯⋯目を洗ってやがる。どうせ袋のネズミなのだから、リスクを最小にして、確実に殺っていくつもりだ。こいつらは、『ファルール帰り』だ。ずいぶん殺してるんだろう。現在のセレンティアは、二十年前の大量死のため壮年が少なく、代わりに子供や若者の数が多い。最初のファルールで五百万人、二度目のファルールの地獄で四千万人が死んだ。この世界では、百人くらい殺したやつなんてゴロゴロいる。

 

 ジュスティーヌを囲んで護っている『人間饅頭』にたどり着いた。ジュスティーヌは、中の『アンコ』になってアリーヌと抱き合っている。マリアンヌは、『饅頭』の皮になり表に出ている。目を合わせると、小さくうなずいた。⋯⋯よし。

 チラと見るとジルベール君の顔面が真っ赤だ。血が目に入ったら視力が失われ、戦闘力が無くなる。よく支えてくれているが、このままでは斬られるのは時間の問題だろう。

 ぶん捕った剣を地面に突き立てた。

「エレノア! ジルベールを支援しろ」

 王宮でガラス瓶を投げつけた時に見張っていた女騎士だ。今回は、彼氏と離れジュスティーヌの護衛任務についていた。この娘は強い。

「はっ! しかし、マルクス伯爵は?」

「あんな野郎ども。オレひとりで、十分だ」

 エレノアが剣をつかんで走っていった。三対五か⋯⋯。

 入れ替わるように抜き身の剣を下げた黒衣の三人が登ってきた。

 明るく開けた場所で、訓練された敵三人と真剣で斬り合って勝てる者など、そうそういない。後ろに目はついてないし、腕は二本しかない。剣は意外なくらい重い。敵の一人が背後に回り込んだら終わりだ。

 だが、勝たなければ、ここにいる者は皆殺しになるだろう。

 ジュスティーヌの饅頭を背にして十メートルの間隔をとり、黒い敵を迎える。この殺人者は、野盗のたぐいとは違う。極力リスクを減らし、効率的に敵を殺すことを第一にしている。三人共に中段で横に並んだ。剣も無意味に太かったり大きかったりしない。武器を見れば、だいたい相手の力量は分かる。こいつらは、殺し合いに強いタイプだ。

 時代劇のように順番に斬りかかってきたりもしない。右の黒男が徐々に背後に回るように動き始めた。腕の構造上、左より右に回られる方が斬りにくい。⋯⋯本当に戦い慣れていやがる。

 饅頭たちが、叫んでいる。

「右です!」

「後ろに回られます!」

「早く!」

 そんなことは、分かってるんだよぉ!

 右の黒男が真横にきた。こいつが視界から消える時が、オレが死ぬ時だ。三人に一斉に斬り込まれ腕を斬り落とされる。これじゃあ、道連れもつくれねえや。

 他人に命を預けるのは、自分で戦うよりはるかに消耗する。⋯⋯まだか?

「グエッ!」

 右に回り込んでいた黒男が、カエルみたいな声を上げて転倒した。

 前の二人組が一瞬気を逸らした。その隙を狙って、真ん中黒男の手首を削いだ。手首から血を吹き、こいつも剣を落として転倒する。

 先に倒れた右の黒男の横っ腹には、マリアンヌが投げた短刀が突き刺さっている。いつもマリアンヌが太ももに取りつけている、色っぽいやつだ。

 一対一になった。オレなら撤退するがな。コイツは逃げねえな⋯⋯。人を虐殺しすぎて、死ぬのが怖くなくなったか? 先に打ち込んだ方が不利なのは分かり切っている。お互いに対面したまま動けない。

 早く。早く。早く。早く。早くしろ。早くしろ。まだか⋯⋯? 早く!

 ドスッ!

 マリアンヌの投げた短刀が、黒男の太ももに突き刺さった。いつもブラジャーの背中ホックに取りつけてる、色っぽい小さい方のやつだ。

 隙をついて喉を突き、えぐって薙いだ。

「ガッ!」

 倒れた黒男の血が、クラーニオの丘を染める。⋯⋯やっとくたばったか。

 饅頭に声をかける。

「早く剣を奪ってラヴィラント隊長の救援に行けっ!」

 あわてて剣を拾って駆けていく。オレの剣もだれかに渡す。王宮の武器庫から持ち出してきた良い物らしいが、なに、こんなものはしょせん人斬り包丁だ。

 向こうの形勢は八対五に逆転した。集団戦闘訓練を受けている王宮親衛隊騎士が、もう殺し屋風情に負けることはないだろう。

 マリアンヌが黒男の横っ腹に刺さった短刀を回収している。

「ずいぶん待たせやがって。冷や汗をかいたぜ」

 短刀を布で丁寧にふいている。

「申し訳ございません。だれが投げたか分かると、斬られてしまいますので」

 物騒な会話だが、貴族侍女の立ち居振る舞いが板についている。相変わらず丁寧な侍女しゃべりをする。このタヌキ系美人のマリアンヌが、ついさっき人を殺したとは、とても見えないだろう。

 今度は、黒男の太ももに刺さった短刀を抜いた。フキフキしてから背中に手を回し器用に取りつけ直している。

「こちらは、伯爵様がお手打ちなさると考えまして、遅れてしまいました。⋯⋯ズルいですわね」

「百パーセントの自信がなかった。こういうヤカラは、どんな手を使ってくるか分からないからなあ。まともにやり合いたくない」

「まぁ、ご謙遜を。ウフフ。⋯⋯本当にズルい。ズルいですわ」

 マリアンヌの短刀が飛んでくることを、黒男は予期していた。再び投げて短刀を弾かれたら、饅頭に飛び込まれマリアンヌは斬られていただろう。だからマリアンヌは、オレが黒男を殺ることを期待して待った。しかし、オレが先に仕掛ける意志がないことを見切って、黒男の意識が饅頭に向く前に避けにくい太ももを狙った。均衡を崩せれば、オレが斬る。よい判断だ。

 死体を検分する。手首を斬った真ん中黒男には、まだ息があった。

「おい! この野郎の腕を縛って血を止めろ。舌をかまないように猿ぐつわをかませろよ。⋯⋯生かして大神殿に連れ帰って、後ろにいるやつを吐かせるんだ」

 バロバ大神殿長がきた。

「こいつの顔に見覚えありませんか?」

「⋯⋯いや、見たことありませんな」

「きっと大神殿には、こいつの顔をよく知ったやつがいますよ。ここにいる神官たちは、バロバさんの派閥ばかりじゃないですか? 袋のネズミの一網打尽にしようとしたんじゃないですかねえ」

 思い当たる節があるようだ。バロバは考え込んでいる。

 ジュスティーヌが近づいてきた。オレが死ぬと思ったらしく、ボロボロ泣いている。そっと抱いてきた。

「愛してます」

 なに言っとるんだ?

「血がつくぜ」

「お怪我は、ありませんか?」

 恐ろしそうに転がっている死体を眺める。腰を抜かさないだけでも大した王女さまだ。

「ああ。やりにくい相手だった⋯⋯。なんとか無事だよ」

「見たことない剣術でしたわ。なにか、おそろしかった⋯⋯」

 日常的に一流の騎士に囲まれているからだろう。やつらの異様さは、ジュスティーヌにも分かったようだ。

「百人も虐殺すると、あんなふうになるのさ」

「ファルール聖国で、そんな非道なことを⋯⋯」

 あぁ、王女なのに、二度目のファルールのことも知らないのか⋯⋯。

「それもあるだろうが、自分の国で百人以上殺してるやつなんか、いくらでもいる」

 トンッと、クラーニオの丘の土を蹴って見せた。

「えっ? そんな! 聖都ルーマで?」

「ルーマだけじゃない。フランセワ王国にだって、そんな人殺しは大勢いるんだ」


 ──────────────────

 

 聖女マリアの聖遺骸に会うために聖本堂に押し寄せてきた者の多くは、本当は悲しみではなく恐怖を感じていた。とりわけ、聖遺骸の近くでこれ見よがしに大声で泣いたりわめいたりしている者の多くは、そうだった。ほんの七カ月前に、マリアに罵声を浴びせ「殺せ!」と叫んだ者が多かったのだ。

 たった一年で女神が殺され、聖女も殺された。どうやら大神殿と聖女は、和解したらしい。だが、自分は? 数カ月前に自分が聖女をののしった言葉を思い出し、ゾッと冷や水を浴びせかけられた気がした。

 ファルール人が今度は聖女を殺した。次はどんな涜神行為をしでかすつもりだ? 今度こそ女神セレンの堪忍袋の緒が切れないだろうか? そうなったら、あの凄まじい『女神の火』が頭の上で炸裂するのか? そんなことになる前に、聖都にひそんでいるファルール人をなんとかしなければ⋯⋯。

 見世物にされた四日目の朝に、『聖遺骸』が消えた。噂を聞き駆けつけてのぞくと、残された聖柩にマリアの『聖血痕』が、ベットリと赤い痕をつけていた。多くの者がそれを見て心底から震え上がった。

 死んで地獄に堕ちるのは嫌だ。やつらが女神や聖女を殺さなかったら、こんなことにはならなかったのに。そうだ。ファルール人を殺して仇を討てば、聖女を侮辱した罪も少しは赦されるかもしれない。こんなことになったのは、全部ファルール人のせいだ。

 少しずつ恐怖が憎悪に変わっていった。


 最初は、汚らしい安居酒屋の酔っぱらいのヒソヒソ話だった。

 ファルール人を区別しろ⋯⋯大勢のファルール人が隠れている⋯⋯ファルール人は特権を持っている⋯⋯ファルール人がたくらんでいる⋯⋯ファルール人が集まっていた⋯⋯ファルール人がオレたちを陰で支配している⋯⋯ファルール人の血は汚れている⋯⋯ファルール人は劣っている⋯⋯臭いファルール人の命は猫の命より軽い⋯⋯ファルール人はゴキブリだ⋯⋯不逞ファルール人が武器を集めてる⋯⋯不逞ファルール人が子供を殺して切りきざんだ⋯⋯不逞ファルール人が井戸に毒を投げた⋯⋯不逞ファルール人が火をつけようとたくらんだ⋯⋯不逞ファルール人を見つけだせ⋯⋯不逞ファルール人を殺せ⋯⋯殺せえ⋯⋯殺せええ⋯⋯。

 ヒソヒソ声が少しずつ大きくなり、やがて昼日中に街中で公然と話されるようになった。


 街のはずれで若い夫婦が、小間物屋を営んでいた。搾取のための制度だった黄金女神像信仰に嫌気がさし、ファルール聖国から逃げてきた二人だった。『女神セレン正教』に改宗し、近所の人たちともうまくやっていた。

 聖女マリアの昇天は、ファルール人をかばってくれていたお方なので、悲しかった。事件直後から店の売上げがひどく落ちたが、それは仕方がないことだと思った。しばらく子供をあきらめて、妻が外に働きに出ることを相談していた。

 ある夜、十数人の見たことのない男たちが店の前に現れた。「不逞ファルール人の店だ!」「不逞ファルール人を追い出せ!」「ファルールに帰れ!」などと叫びながら、店に石を投げはじめた。親しくしていた近所の人たちが集まったが、止める者はいなかった。店の中でファルール人の夫婦が抱き合ってふるえていると、武器を持った男たちが入ってきて引きずり出された。

 夫が棍棒でめった打ちにされているところを、抑えつけられ泣いている妻は見せられた。夫が動かなくなると、今度は妻の胸元に大きな包丁が突き立てられて抉られた。この二人の消えていく意識が最後に見た光景は、燃えている二人の店だった。二人の死体は、切断され炎上する店に投げ込まれ焼かれた。

 これが第二のファルールの地獄の始まりだった。翌日、さらに亡命ファルール人の店が数十か所も焼かれた。警備隊や軍は黙ってみているだけだった。さらに翌日、数百人の亡命ファルール人が殺され、路上に死体が投げ出された。死体は広場で焼かれ、大勢の人たちが集まって見物した。そんなことが何日も続いた。

 亡命ファルール人を殺し尽くしても、この地獄は終わらなかった。むしろ、ほんの始まりにすぎなかった。これからが本当の地獄だったのだ。

 ファルールと取引があった商店が焼かれ、店主と店員が殺された。

 ファルール人と結婚していた者が殺された。生まれた子供も殺された。

 ファルールに行ったことがある者が殺された。

 ファルール産のものを持っている者が殺された。

 ファルール人と親しくしていた者が殺された。

 ファルール人の近所に住んでいた者が殺された。

 ファルール人に顔が似ているだけで殺された。

 エラが張っている者は、ファルール人なので殺された。

 十五エン五十センと発音できないと、ファルール人なので殺された。

 知らない者に指さされ、「こいつはファルール人だ!」と叫ばれると、それだけで殺された。

 恐ろしくて隠れていると、この家はあやしいと言われて家ごと焼き殺された。

 一番安全だったのは、もうどこにも存在しないファルール人を探して殺す、『ファルール狩り』の自警団に参加することだった。

 しかし、ファルール狩り自警団がはち合わせると、お互いに「ファルール人だ!」と叫び声をあげ、どちらかが全滅するまで棍棒や包丁や歯や爪で殺し合った。

 暴徒を蹴散らすように命令した軍司令官は、ファルール人だと疑われて兵に焼き殺された。やがて兵同士が殺し合いを始め、部隊同士がお互いがファルール人に支配されていると言い合って殺し合いを始めた。

 最も危険だったのは貴族だった。家系図を調べられ少しでもファルール人の血が入っていたら一族郎党が皆殺しにされた。使用人が主人を殺したこともあったが、その使用人も殺され屋敷は焼かれて塩をまかれた。

 こんな時にのんきに畑を耕している者は、ファルール人とみなされ殺された。少しでも目立つとファルール人とみなされて殺された。先に「あいつはファルール人だ」と指さして叫ばないと殺された。

 流通が止まり死体が山となり、飢えと伝染病が広がりはじめた。はびこった飢えと伝染病もファルール人の仕業であるとされた。人びとは、もうどこにも存在しないファルール人を殺すために狂ったように走りまわり探しまわった。

 第二のファルールの地獄は、伝染性の疫病に似ていた。聖都ルーマから始まり、街道を伝ってイタロ王国全土に殺し合いが広がった。やがて国境を越え、隣国のフランセワ王国に地獄が感染し、さらにボラン王国、ブロイン帝国、ルーシー帝国、イスペニア王国⋯⋯。ありとあらゆる国と街に癌細胞のように際限の無い虐殺と殺し合いが広がった。世界は地獄に堕ちた。

 放置された死体の山が伝染病を発生させたと気づくと、人びとは街の外れに大きな穴を掘り死体を投げ込みはじめた。ファルール人とみなされた者が穴を掘らされ、掘り終わると殺されて最初に投げ込まれた。死体には、塩や硫酸や水銀といった毒が撒かれた。ファルールの悪魔が出てくるかもしれないので、上に土を盛り上げて『丘』をつくった。撒いた毒のために、『丘』にはほとんど草も生えなかった。この『丘』は、全世界に毒キノコのように生えて増殖していった。

 

 多くの人びとは、ファルール聖国の三百万人以上を皆殺しにするなどやり過ぎだと内心では思っていた。だが、マリアのような少数の例外をのぞいて、言えなかった。迫害が恐ろしかったからだ。

 ファルールが白い砂漠になった後で、人びとの心の底に後悔と、それを十倍する恐怖が残った。つぎは自分たちの番ではないのか? ファルール人が同じことをやり返すのではないか? 不死のファルール人が復讐にくるのではないか?

 その恐怖を癒したのが、聖女マリアのあげた声だった。自分が言ったような気分になれて、人びとは少しは安心できた。マリアが痛い目にあえばあうほど安心できた。だが、とうとうマリアは惨殺された。多くの人びとは、自分の中に残っていた免罪符が剥ぎ取られた気がした。最後に残ったものは、増幅された恐怖だった。

 今度こそファルール人が攻めてくるのではないのか?

 自分たちが、奪い、痛めつけ、虐待し、蔑んできた汚くて弱いやつら。そいつらが混乱に乗じてやってきて、以前の自分と同じことをするのではないかという恐怖。大震災のの混乱のさなかに自警団をつくり、数千人も虐殺したやつらと同じ心理だ。 

 第二のファルールの地獄は、始まった時は分かっても、終わった時期は判然としない。凄まじい民衆暴力は、ごく初期には煽り立てた者がいたものの、指導者は存在しなかった。たちまち煽動者の手を離れて、そいつまで飲み込んでしまった。

 ルーマで生じた小さな火は、やがて地獄の業火となり、世界中をなめつくした。全世界の人びとが、病み餓えて衰え、殺し合いをする力が無くなった時に、第二のファルールの地獄は、ようやく消えていったのだ。だが、その時には、世界の人口の三割、四千万人の命が失われていた。


 ──────────────────


「そんな、ことがあったなんて⋯⋯」

 愕然としたジュスティーヌがつぶやいた。ついさっきまで殺し合いをしていたクラーニオの丘には、聖都ルーマのファルールの地獄で殺された十六万人の死体が埋められている。その上に黒衣の死体が九個加わった。

「い、いやだ! ひっ、ひど、ひどい⋯⋯ひどい⋯⋯」

 常に冷静な、あのマリアンヌが、激しく取り乱した。

「わたしのお父さんは、二十年前に行方不明に! お母さんが、ひとりでわたしを育ててっ。お父さんは、もう?」

 レオンに、気遣いはない。

「二度目のファルールで殺されたんだろう。行方不明になった村か町の土饅頭の中だろうな」

 この世界にマスコミはない。庶民には、なにか恐ろしいことが起きていると知ることはできても、具体的になにが起きているか知る手立てはない。

 ジュスティーヌが、崩れ落ちて嗚咽するマリアンヌを抱いて優しく背中をさすり、耳元でなにかささやいている。王女が侍女を。普通では考えられないことだ。

 レオンが、命拾いしたバロバ大神殿長に話しかける。

「死体は、神殿に持ち帰って首実検して下さい。オレたちがここにくることを知っていたのは、大神殿の神官だけです。神殿の中に、こいつらを差し向けたやつがいる」

 バロバがこれほど怒ったのは、強盗団の首領をしていた時期以来だ。多数の神官に裏切られ、殺されかかった。

「女神の眷属や他国の王女まで弑そうとするとは⋯⋯。ゆるせぬっ!」

 レオンが、たたみかけた。

「絶対に信頼できる者だけを使うべきです。油断すると死体がどこかに消えちまいますよ。あぁ、逆にこの死体をエサにすれば、裏切り者をあぶり出すのに使えるかもしれないな⋯⋯」

 バロバのような男に訊くまでもないことだが、念のためたずねてみることにした。

「マリアを殺したのが、ファルール人の残党とは、まさか信じちゃいませんよね?」

 そばでジュスティーヌを護衛していたラヴィラント隊長が、目をむいた。

「なっ! 違うのですか!」

 そんな与太を信じていたのかよと、レオンの方も驚いた。

「そりゃ、あの時期のファルールは、ほとんど皆殺しでもう塩を撒いている段階でした。それに、ファルールの地獄に唯一反対していたマリアを、ファルール人が殺す意味なんか無いでしょ?」

「で、では、だれが?」

「だれが一番マリアを迫害していて、しかもマリアが死んだら利益を得るかを考えれば⋯⋯。バロバさん、オレはルーマにくるまで、あなたがマリアを殺させたんだと考えていました」

 背中をふるわせてバロバは、声を絞り出す。

「そのような女神を弑するようなことは、決して」

「バロバさんがここにいて、殺されかけたのが無実のなによりの証拠ですね。⋯⋯当時は神殿でもマリア殺しの犯人を捜査しましたか?」

「当然です。しかし、全く手掛かりさえなく⋯⋯」

 そりゃあ、当たり前だ。レオンは、不思議だった。なぜ身内に関することでは、これほど目が曇るのだ?

「調べる側が犯人と繋がってたら、手掛かりが出てくるはずなんてないですよ」

 驚愕しているラヴィラント隊長、それにジュスティーヌとマリアンヌ。バロバは今日の襲撃でもう察していたらしい。

「この襲撃をお膳立てしたやつと同じスジでしょう。うまくたぐり寄せることができたら、マリア殺しの真犯人を捕える二十年ぶりのチャンスです」

 バロバは、どこまでたどりつけるだろうか?



 マリアは、スラム街で癒しをしていた。スラムは、よそ者がくると目立つ。マリアにとって、むしろ安全な場所だった。

 癒しと同時に、可能な限り栄養失調の人に食料品を配ったり、貧民学校を建てたり、住環境の改善を呼びかけるなど、社会運動に近いこともした。これは、スラムを支配していた地域ボスの親分には、迷惑でしかなかった。彼らにとってスラムの住民は、貧しく教育が無いほど好都合である。今日食べるカネも無い者は、どんなに安い賃金でも働く。無学な者からは、ピンハネをしやすい。たとえ死んだって、貧乏人などいくらでも流れてくる。豊かなはずの現代日本の『原発ジプシー』といわれる人たちに似ている。

 地域ボスのヤクザにとってえらく迷惑だとはいえ、聖女とまで言われた女は殺せなかった。そんな時に神殿から、「破門されたニセ聖女だ。死んでも神殿が揉み消す」という囁きが聞こえてきた。しかし、だれがマリアを殺するかで、動きは止まった。喧嘩騒ぎで大怪我をしてマリアに癒されたヤクザは大勢いた。獣のような顔のヤクザだろうが嫌な顔もせずに治療し、「無茶をしてはいけませんよ」と言って優しく微笑むまだ少女のような聖女を殺せる人間のクズは、そうはいない。ましてヤクザは、迷信深かった。

 そんな時に、ファルールで人を殺し尽くしてしまい、することがなくなった『神殿軍』の一部が聖都ルーマに戻ってきた。英雄気取りだが、どんよりした虚ろで据わった目をしていた。それぞれ百人以上は虐殺してきたこの連中は、人を殺しすぎたために心の一部を摩滅させていた。帰国しても正業に就く気にならず、徒党を組んで昼間から街中をうろつき、人びとから気味悪がられた。

 ある日、お祈りに行った神殿で「ファルールの聖戦をおとしめる悪魔の女がいる」と囁かれた。連中は、ルーマでも悪魔を殺すことができるのが、嬉しかった。

 マリア殺害の真相は、大神殿の神官の一部がお膳立てをし、スラムで一番下劣なヤクザの下っ端が手引きし、ファルール帰りの虐殺者たちが暗殺を実行した⋯⋯。


 レオンは、クラーニオの丘の入口に向かって降りはじめた。顔面血だらけのジルベール君が、仲間の騎士に肩を借りている。

「おぉ。よく生きてたなあ。スゲーな! まだ一回分残ってるから、顔の傷を消してやろうか?」

 最後まで斬り合ってフラフラなジルベールが苦笑した。

「自分の女顔が嫌だったんすよ。せっかくできた格好いい傷を消さんで下さい」

 武人でもある貴族の顔についた傷跡は、命を張る実戦をくぐった印しであり勲章だ。せっかく命がけで痛い思いをして手に入れたのに、消されてしまってはたまらない。


 レオンは、肝心の用件を忘れている。

「新手がきたら面倒です。早く帰りましょう」

 バロバに声をかけて丘を下りようとする。

「おっ、お待ち下さい!」

「はあ?」

「あの、女神セレン様の御神勅を、まだお聞きしておりません」

 そのためにここまできたのに、斬り合いに夢中ですっかり忘れていた。バロバたち神官にとっては、そんな斬り合いより女神の言葉の方がよほど大切だろう。

「あああぁぁ。これは失礼しました。セレンからは、三つ聞いてきました。一部重複しますが。では⋯⋯」

 コホン、ちょっと咳払い。人差し指を天に向け、腕を伸ばす。

「女神セレンより神勅を伝える!」

 ヒュイイイイイィィィィ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

 指先から銀色のピンポン玉『女神の光』を発光させた。

 奴隷市場の全員を昏倒させたマリアの千分の一の力も無いのだが、女神セレンの身分証明書として神官たちに絶大な威力を発揮した。バロバを先頭に、聖都ルーマ大神殿の高位神官たちが平伏した。

「女神セレンは言った。二度と癒しを行うことはない。されど我は、人界に剣を投げ込まん⋯⋯。

一、神殿と神官は自由に活動するがよい。女神は容喙しない。

二、女神が顕現することは、二度と無い。

三、女神は剣を投げ込んだ。神殿はレオンの邪魔立てをするな。

 ⋯⋯以上です」

 平伏している神官の皆さんがガタガタふるえはじめた。

 女神様に、「二度と来ないから、勝手にしてろ」と引導を渡されたのだから、無理もない。神官たちは泣いていた。

 女神と聖女を葬って、未遂とはいえ今度は神の使いを殺そうとしたのだから、普通はこのくらいは当たり前だろうと考える。ところが宗教者は、女神に無限の慈愛を求める。何度も殺されて、今も殺されかけたレオンにとって、そんな無意味なことは、もうコリゴリだった。

 レオンがセレンティアを征服するのなんか、簡単だ。

 この世界の教皇的立場にいるバロバ大神殿長を『女神の光』で従わせ、各国神殿に通達を送らせ、狂信的な神の軍団でも組織し、服従しない国に軍事的圧力をかけ、それでも降伏しなければ信者たちにゼネストを起こさせ、最後の手段に神軍をさしむけて宗教戦争をしかければ、十年以内に世界を征服できるだろう。

 必要だと割り切ったら、戦争や殺人に躊躇するレオンではない。しかし、そんなことをしても、ファルールの地獄の三の舞になるだけなのは分かる。十年後に統一される宗教国家セレンティアは、滅び去ったファルール聖国のような息が詰まる神権国家になるだろう。

 さまざまな軛と鎖から人間を解放しその無限の可能性を自在に伸ばそうという弥勒五十六=弥勒菩薩と新東嶺風=レオン・マルクスの理念とは、神や宗教にとりつかれた社会は、逆のものだ。


 敵も急だったらしく、殺し屋どもが甲冑をしていなかったのが幸いだった。護衛団は、剣のたぐいは失っても甲冑を身につけていたので、だれも死なずに済んだ。

 殺し屋どもの死体九個と捕虜一人を馬車に積んだので、神官の一部は死体と同居する羽目になった。さすがにメイドちゃんや侍女たちを、血だらけ死体と一緒に運ぶのは、かわいそうだ。きっと泣いてしまう。

 さっきまで真剣で斬りあい、殺した敵の返り血を浴びている護衛騎士が、敵からぶん捕った血糊がついた抜き身の剣を十三本もギラつかせ、ピリピリと周囲を警戒しているのは異様だった。剣がまわってこなかった七人は、棒切れを拾って振り回している。自国の王女が暗殺されかかったと思っているのだから、護衛団が戦闘態勢を取るのは当然なのだが。

 たまたま通りかかった村人がビックリして逃げていったのを、「敵の斥候ではないか?」などと、本気で言っている。いよいよルーマに近づくと、抜き身の剣を構えて血の臭いを漂わせている集団に野良犬が吠えかかり、気が立っている誰かがそいつを斬り捨てた。通行人は、みんな逃げ散ってしまった。

 ルーマの城門の入口で、警備隊とひと悶着あった。警備隊としては当然だが、斬殺死体と半殺しを十も馬車に積んだ血まみれ抜刀集団を、市内に入れるわけにはいかない。血まみれ護衛団は、「敵の追撃があったらどうする」と殺気立っている。入れろ入れないの押し問答になり、あわや強行突破で血を見そうになったところで、あわてたバロバ大神殿長が割って入り、どうにかことなきを得た。

 ルーマ市内に入ってからも、包帯でミイラ状態のジルベール君をはじめ血まみれ騎士たちが、騎馬で大通りを駆け回り、路地ごとに敵がひそんでいるのではないかと点検する。「フランセワ王国と戦争になった」などとデマが飛び交い、ここでも市民はみんな逃げてしまった。通りにいるのは野良犬と悪ガキどもだけで、血まみれ騎士を指さして「カッコいい」なんて言っている。隊長とミイラ騎士が人気を二分し、女性騎士のローゼットは女の子に人気があった。

 ようやくルーマ大神殿にたどり着くと聖本堂の入口に、「勝手に忘れてったんだろ」と言わんばかりに、護衛団の剣のたぐいが並べてあった。これを見て激怒したラヴィラント隊長が、なにも知るはずもないバロバ大神殿長に食ってかかった。敬虔な信者であるローゼット女性騎士が、必死になって隊長をなだめる。バロバは、もう頭を下げるしかできなかった。

 レオンは、バロバと話をさせてもらうことにした。世話になったのに、このままではあまりにも気の毒だ。常にレオンを尊重しているラヴィラント隊長は、なお怒りながらも引き下がってくれた。

「バロバさん。セレンは、人間を見捨てたのではないと思います。ただ、二回も殺されて、病気を癒すことでは人間全体を救えないと判断しました。その証拠に、剣を投げ込んだと言っています。剣は、役にもたつ⋯⋯」

 朝に較べるとバロバは、十歳は老けて見えた。だが、この人が抑えてくれないと、絶大な権力を得た神殿勢力が、なにをするか分からない。

「あなたはマリアに、「女神が昇天した今となっては神殿が民衆の支えになる」と言いました。腐った者を神殿から取り除ければ、それもひとつの道です」

 バロバは誠実な男だった。

「私のせいで聖女マリアが殺されたのだと、ずっと悔やんできました」

 この男は、二十年も悩み続けていたのだ。

「マリアに手を下したのは今日の連中だし、指図した者は大神殿に隠れています」

 バロバは、責任感も強かった。

「その者どもを、ここまで増長させた私の責任は⋯⋯」

 自分で言ったことを、忘れたのかな?

「「民の声は、神の声なり」ですよ。真にマリアを殺したのは、民衆です。ほとんどの者が良心の呵責を感じていた時に、その良心を突いて正しいことを叫んだマリアは、憎まれました。痛めつけられている弱者や少数者を侮蔑し踏みにじるのが、人間です。そして、踏みにじられた弱者の側に立つ人を憎むのもまた、人間の一面でしょう。マリアの死は必然でした」

 弱者や少数者の側に立つ人を憎み、嘲笑してみせ、醜悪な優越感にひたる者は、現代の日本にも幾らでもいる。良心が欠如しているから平気で嘘をつきデマをとばす。恥知らずだから同類で集まり衆を頼む。自分に自信がないから攻撃的だ。そして最後には頼みの綱の『差別』にすがりつく。下劣な差別を非難されると、やれ「これは区別だ」やら、「表現の自由だ」やらと金切り声を張り上げる。

「世界中の神殿を掃除して下さい。そして、これはお願いですが、世俗の政治に関わらないで下さい。皆を不幸にしますから。あのファルール聖国がいい見本です」

 バロバは、背筋を伸ばした。今まで手をつけなかったことを、始める決意をしたのだ。

「分かりました。⋯⋯あなたが、投げ込まれた『剣』なのですね? 愚問ですが、なにをなさるつもりなのですか?」

「まず、結婚をするつもりです。婚姻の誓約式の司式者をお願いできないでしょうか?」

 バロバは、少々意外だった。『剣』などというから、もっと不穏なことを想像していたのだ。

「それは⋯⋯⋯⋯おめでとうございます。相手の方は⋯⋯。あぁ!」

「えぇ。ジュスティーヌです」

 外見は少し熊で、性格もかなり暴れ熊に似ているレオン・ド・マルクス伯爵と、フランセワ王国の薔薇とも謳われる優美なジュスティーヌ・ド・フランセワ王女。強い男と美しい女。バロバには、お似合いに思えた。そして、神使の結婚式の司式者という栄誉を女神に授けられたことを、大層嬉しく感じた。それに大国であるフランセワ王国の王女は、女神の剣の妻にふさわしいように思える。

「なるほど。喜んで務めさせていただきます。して、証人は?」

 レオンは、血だらけ護衛団やメイドたちを指さした。

「そこにいます。足りなかったら通行人を捕まえて頼みましょう」

 レオンらしいと思っただけで、バロバは驚かなかった。

「人数に規定はありませんので、その必要はございません。それで、式はいつに?」

「今です」

 これには、さすがのバロバも、たまげた。

 王族と貴族が、今すぐこの場でケッコン? 駆け落ちでもあるまいに。



 ジュスティーヌの結婚支度を手伝っているアリーヌ侍女は、困惑していた。姫様が、「今すぐこの場で結婚式をする」と非常識な宣言をしたのに、特に反対する者もいない⋯⋯。

 ジュスティーヌが野盗に襲われた件をアリーヌは、まだ後悔していた。出発を泣いて止めて、ジュスティーヌたちが振り切って行ってしまうと深夜の王宮を駆けて国王陛下に報告に行ったマリアンヌの方が、正しかった。

 横目でマリアンヌを窺うと、涼しい顔をして姫様の後ろに控え、なにか準備をしている。一番年長で隊長のラヴィラント伯爵は、結婚式が始まるのをおとなしく待っている。一番家格の高いジルベールは、顔は包帯でグルグル巻きだけど口は笑っている。唯一味方してくれそうだったローゼット子爵夫人騎士は、ルーマ大神殿聖本堂で結婚式をするという前代未聞の王女殿下の栄誉にボーゼンとして腰を抜かしそうだ。そういえばこの人は、女神セレン正教の熱心な信者だった。「ああ、だめだ。止められないわ⋯⋯」。アリーヌは、お尻から空気が抜けたみたいになってガックリきた。「あんなガサツな男と姫様があああ⋯⋯。姫様、気の迷いです」。


 レオンと並び聖本堂内に設えた式場に向かい歩いている時に、バロバは、生涯忘れることのできない歓喜の体験を得た。レオンがふと足を止めると、壁に沿って並んで立っている数トンはありそうな大きな木の柱を眺めている。

「あの大きい柱は、バロバさんが一人で立てたんですよね。すごいなあ!」

 レオンが知るはずもない二十三年前。女神セレンの奇跡に感激して強盗団を解散したバロバは、聖本堂建設の土木作業に精を出していた。信仰から得た力を振るって一人でこの巨大な木の柱を担ぎ、持ち上げて地面の穴に差して、立てた。バロバの剛力に周囲の者はヤンヤの大喝采だった。だが、この力持ちが後にバロバ大神殿長になると知る者はいない。バロバも、周囲の者たちがどこのだれかも知らず、今となっては調べようもない。

 バロバは、このことをだれにも語らなかった。ただ、この柱に特別な愛着を持ち、通りかかった際にそっと撫でたりしていた。

 バロバは、神使レオンの顔をまじまじとながめた。気にもとめずレオンは続ける。

「セレンも見てました。それで、すぐに肩の傷を癒した。見て知ったから、強盗団の首領だったとしても⋯⋯。いや、違うな。強盗だったからこそ、セレンは正しいだけでなく、ふさわしい人としてバロバさんを大神殿長に指名しました」

 無茶な作業で骨が見えるほど擦り切れた肩の傷が、その時、銀色に輝くとともに瞬時に癒されたことを、バロバは思い出した。「女神セレン様がご覧になっておられたか⋯⋯。なんとありがたい」。バロバの心は、歓喜に満たされた。


 レオンとジュスティーヌの結婚式は、簡素なものだった。ジュスティーヌは、王家のティアラを着けているものの白い清楚なドレス風の服だ。レオンは、普段着で帯剣していた。

 ジュスティーヌは、白く美しかった。嫌々従ってきたアリーヌですら、姫様の女神のような美しさに有頂天になってしまったほどだ。「まるで大輪の白薔薇だわ」。

 説教檀のバロバが祝祷を唱え、結婚証明書に司式者の署名をした。続いてそこにいた全員が、証人の署名をする。王族と貴族の間の結婚証明書に、護衛騎士やメイドが署名する前代未聞のものになった。それに普段は『司式者の署名』をする側の神官たちも、命を助けられたレオンに頼まれて証人の署名をしてくれた。

 全員の署名が終わると、夫と妻が署名をして婚姻の誓約が成る。

 夫が先に署名することになっている。ささっと左側に元気な字で書いた。

『レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクス』

 妻は、その右側に同じペンで署名する。レオンが、いま書いたばかりのペンを渡した。

『ジュスティーヌ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネ⋯⋯⋯⋯

 ここでジュスティーヌの手が止まってしまった。迷っている。レオンが横から小声でささやいた。

「フランセワ・マルクスだ。フランセワを入れろ」

「ええっ? で、でも、それは。⋯⋯うぅ⋯⋯⋯⋯はい」

 ジュスティーヌは、驚いてレオンを見て、再び結婚証明書に向かい、決心したように署名を続けた。

『ジュスティーヌ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネ・ド・フランセワ・マルクス』。優美な字だ。これでレオンとジュスティーヌは、夫婦になった。


 指輪の交換は、指輪を手に入れる時間が無くて省略としたのだが⋯⋯⋯。

「お待ち下さいっ!」

 元気声でネコ目顔の侍女が、駆けよってきた。王宮に軟禁されていた時に、レオンが瓶を投げ腕関節を外した見張りの保安員だ。

「なんだ、キャトゥじゃないか? いたのか?」

「なるべくお目につかないように、ご一緒してましたよ~。こちらは国王陛下から、必要なら使うようにとお預かりしましたっ」

 ちょっとうやうやしげに小箱を渡し、急いで戻っていく。小箱には指輪が二つ入っていた。

「ありがたい」などと言いながら、レオンは指輪をつまんで自分の指にはめようとする。

「小さくて入らないぞ~」

 ジュスティーヌが柔らかく微笑んだ。

「それは、わたくしの指輪です。レオ⋯⋯あなたは、こちらの指輪ですわ。それに、お互いに指輪を交換するのです」



 聖都ルーマには、五日間の滞在予定だ。

 レオンは、二日で用件を済ませてしまった。マリア殺害は、セレンティアでは二十年前の出来事だが、昏睡していたレオン=新東嶺風にとっては、ほんの三カ月前のことだ。その聖女マリア時代の後始末ができた。

 わざわざクラーニオの丘に行ったのは、あわよくば聖女マリアを殺した敵の残党をおびき出し、あぶり出すつもりだったからだ。まさか王宮親衛隊の護衛団が、神殿に武器を取り上げられるとは想像もしていなかった。

 襲撃してきた敵の狙いは、明らかだ。レオンの暗殺とバロバ派神官の一網打尽である。今ごろ大神殿では、潰しにいくバロバ派と、それに抵抗する反主流派が権力闘争を繰りひろげているだろう。殺し屋集団を使うような危ない橋を渡る反主流派が、本気になったバロバ大神殿長に勝てるとは思えなかった。安易に暗殺に頼るような反主流派神官たちも、おそらくファルールの地獄が生み出した遺産なのだ。

 神官連中が権力争いに熱中してレオン一行を忘れてくれている間に、新婚旅行のルーマ観光をすることにした。ジュスティーヌは大喜びだ。

 王女は、自由に王宮から出ることはできない。レオンならば、メイド部屋に顔を出して女神イモむきで遊んだり外に繰り出すこともできた。しかし王女は、王族区画から出ることさえ難しい。最高級に贅沢な暮らしはしていたものの、実質的には囚人とそう変わらないのだ。知的好奇心が強く行動的なジュスティーヌが、耐えられる環境ではない。なんとか十九年我慢したが、それでも「奔放で甘やかされた第三王女」などと陰口をたたかれた。とうとう家出同然に王宮を飛び出し、野盗に襲われる羽目になった。

 知らない街を自由に歩ける。これだけでもジュスティーヌにとって、大変な贅沢だった。王女といわれるこの女性も、また犠牲者だった。

 建設会社社長の娘のリーリアが古着屋で買ってきた平民服を、ジュスティーヌはウキウキと着てみた。ところがこれが、おろしいほどに似合わなかった。姿勢、体型、手足の長さ、顔だち、仕草、声、歩き方まで、まるで平民と違う。平民服を着た貴族にしか見えやしない。

 仕方なく再度リーリアに古着屋に行ってもらい、ダブダブの服を買わせた。あまりに美しすぎる髪は、ダブダブ服の中にしまって隠し、スカーフを巻きつけて貴族っぽい顔の輪郭も隠した。最後に大鏡でダブダブ服を着た自分の姿を観たジュスティーヌは、はしたなく数分間も笑い転げてしまった。

 表通りを歩き、観光名所や市場を見てまわった。護衛の姿がチラチラしたがたいして気にもならず、ジュスティーヌは、生まれて初めての自由を満喫した。「今までで一番楽しかったです」などと言っていた。

「これからは、王女というより伯爵婦人だからな。マリアンヌをつければ、自由に外にでていいよ」

 生まれながらの囚人が、解放された。


 翌日、護衛をまいてジュスティーヌを、マリアのスラム街に連れて行った。掘っ建て小屋に住んで飢餓線上にある人たちが存在することを「知っている」だけなのと、実際に「見て嗅ぎ体験する」のとでは、大違いだ。レオンは、以前のスラムに連れていくという約束を守り、ジュスティーヌに見せておきたかった。

 突然後ろから刺されて財布を奪われたり、道端に死体が転がっていないだけ、スラムといってもまだましな場所だ。だが、すえた臭いがただよい路上にまで餓えと不潔が蔓延している。

 上辺を撫でた程度とはいえ、それを見てしまったジュスティーヌは、王族としての義務感を刺激されたのだろう、「民をこのような環境におくことなど、許されません。イタロ王室は、なにをしているのですか」などと言って、怒っている。まあ、フランセワ王国に帰ったら、今度は王都パシテのスラム街にも連れて行ってやろう。


 スラム街を抜けて貧民街に入ったあたりで、『聖マリア神殿』にぶつかった。

「ここは、聖女マリアが貧民学校を開いていた跡地だ。マリアが殺されたら、たちまち神殿に建て替えられた⋯⋯」

 スラムの掘っ建て小屋を見た後では、ものすごく豪華な宮殿のようにも見える。

「貧民学校のおかげで毎年五十人がスラムから出れたとしても、新たに五十人がスラムに入ってくれば同じことだ⋯⋯」

 レオンは、ジュスティーヌにではなく自分に向かってつぶやいている。

「バロバが学校をつぶして神殿を建てたのは、当然だ。人びとの心を安らげるのが、やつの仕事だったからな。誠実に任務を果たしただけのバロバを責めるのは、身勝手だな」

 そんなことを言いながらも、全身から不快感を発して通りすぎていく。

「あら? 中には入りませんの? せっかく⋯⋯」

「どうせ、聖遺物とか称するガラクタが並んでるだけさ。物をさながら神のように崇め立てることを、『物神崇拝』という。くだらないものに騙されるなよ」


「じゃあつぎは、『悪い場所』の売春窟に行くぞ」

 そこは、スラム街近くの貧民街にある。

 さすがにジュスティーヌは、ギョッとした。売春窟がなにをする場所かくらいは、レオンの乱行のおかげで知っていた。

「え? な、なにをなさるのですか?」

「いくらなんでも、新婚の妻を連れて買春遊びはしないぞ。どんなところか見てみたいんだろ?」

 昼間なので大半の売春小屋は閉まっている。探すと何軒か『営業』している小屋があった。オバサンが入口前の椅子に座って、ぼんやりしている。

「よう、悪いな。部屋だけ貸してくれや。三千出すぜ」

 仕事は無しでカネだけ入る。こんなに良いことはないだろう。

「一時間だよ。汚さないどくれよ」

 さっさと売春小屋に入っていくレオン。ビクビクしながらジュスティーヌが続き、すぐに手で、鼻と口を覆った。

「うっ。なんですか? この匂いは」

 不潔と性行為の悪臭をまぎらわせるために甘ったるい香が焚かれ、不快感をさらに増している。

「オレは、安売春の匂いと呼んでる」

 売春小屋の構造なんて、どこも似たようなものだ。酒土瓶が転がってるテーブルの向こうに、極めつけに不潔なベッドがあった。ジュスティーヌは、幽霊でも見たような表情になった。

「ここで客とセックスする。代金は三千ニーゼが相場だ」

 もう、ジュスティーヌは涙目だ。

「こ、このシーツは?」

「精液とか、よだれとか、汗とか、あと女の⋯⋯」

「ひっ!」とかいって後ずさったら、ドロンとした水の入った壷に足がぶつかった。

「始める前に、そいつで股ぐらを洗うんだよ。床に水をこぼすと怒られる。これはもう二十人くらいは⋯⋯」

 ジュスティーヌは、きびすを返して屋外に逃げ出した。ついていくと両手で口を押さえて、えずいている。

「あっ、あんなことを⋯⋯くらいなら、わたくしはっ、舌をかんで死にますっ。ウッ、ウウッ、ウエッ!」

 ⋯⋯⋯⋯近くに人がいなくて良かったなあ。殴られるぞ。しかし、そんなに吐きそうになるほど、ひどかっただろうか? レオンは、悪所に慣れていた。少し優しい口調になる。

「なあ、こんな商売をしたい女は、たぶんいない。家族や事情を抱えて売春しないと生きていけないんだよ。「ワタシなら死ぬ」というのは、「オマエは死ね」とか「死ねるワタシの方が高い」と、そんな境遇の人たち見下しているのと同じだ。恵まれた者がそれをいうのは、傲慢だろ?」

 ジュスティーヌが、ショックを受けて落ち込んでしまったので、帰ることにした。最底辺を見せられて、ひどくしょげている。

「スラムや売春窟を無くすには、貧困を撲滅することだ。社会全体を豊かにして、そのうえで分配を公正しなけりゃならない。それを力づくでやる。手荒い仕事になるが、一緒にやろう」

 ジュスティーヌが、顔を上げた。良く言えば目がキラキラ、悪く言えばギラギラしている。無為に過ごしてきたが、ようやく生きる意味を見つけた人間の顔だ。

「はい。やりましょう」


 闘争に学生をオルグする場合、どんなに言葉で説明するより現場に連れて行くのが最も効果があった。機動隊が待ちかまえていて嫌がらせで小突き回したり、持っていたカバンを取り上げて手を突っ込んでかき回し、中のものを地面にまき散らしたりする。

 そんな程度の弾圧に屈伏して、二度と関わろうとしないやつも多かった。そんな腰抜けは、いずれ裏切るからむしろ不要だ。逆に権力の横暴に怒り、同志になって団結小屋に住み着いてしまったり、そこまでいかなくても支援してくれるようになった人は多かった。

 どうやらジュスティーヌは、社会悪に怒るタイプのようだ。レオンは、得難い同志を獲得できた。

 

 多くのものを見すぎて何かの毒にあてられたのか、翌日のジュスティーヌは、少し具合が悪くなってしまった。

 ベッドで休んでいると、レオンがウロウロと看病しようとしてアリーヌに追い出されているのが微笑ましかった。

 レオンは、ジュスティーヌのことを少しずつ愛しはじめてもいた。なによりも三回も様々に生まれ変わってきたレオンにとって、初めて得た語るに足る『同志』でもあった。

 レオンは、『大切』な人間ができてしまったのだ。これは、特定のヒト・モノ・コトに執着しないという弥勒の教えとは反する。人間の男の身体に戻り、レオンは良くも悪くも相当に人間的になった。

 昼過ぎには体調が良くなったジュスティーヌは、お気に入りの白い服を着てレオンと腕を組み、今日は貴族としてきれいなところばかりを巡り、ルーマの休日を楽しんだ。


 いよいよフランセワ王国に帰国する日、異常なほど特別なことに、一行をバロバ大神殿長が見送った。後ろに従う神官たちの数が先日よりも増えている。派閥争いを優勢に進めているのだろう。周囲をフランセワ王国の騎士が護衛する中で、二人は最後の挨拶を交わした。

 レオンは、少々感傷的な気分になっていた。

「最後ですが、お願いがあります。聖マリア神殿の近くに五十人くらいが学べる貧民学校を建てて下さい。資金はお送りします」

 あわてたバロバがこたえた。

「あれは、マリアに申し訳ないことをしました。資金は不要です。当方で再建いたします」

 レオンは、バロバに釘を刺した。

「神学校を建てるのは、やめて下さい。子供が一年で読み書き計算できるように訓練する実技学校を建てて下さい」

 バロバは意外に感じた。

「世俗的ですな⋯⋯」

 レオンは、にこやか返した。

「世俗の世界で、やりますよ。徹底的にね」

「わたしども神殿の役割は、心の救済ですな」

 周囲の者にはなにが面白いのか分からなかったが、二人で笑い合っている。

 金髪碧眼の貴族的で美形な顔に念願の傷跡をつけることができたジルベールは、二人を見て思った。「センパイと一緒だと面白いことばっかりだぜ。センパイにくっついてったら、面白い人生になりそうだ。これからも、ついてくぜい」。

 ラヴィラント隊長もその場にいた。「マルクス伯爵は、女神の代理人である大神殿長様と同格のお方。うむ。やはり女神セレン様の眷属なのだ。国王陛下の次ぎに守護せねばならぬお方である。極秘にラヴィラント伯爵家の者に申し伝えねば」。

 王宮侍女を退職するマリアンヌは、王女馬車に荷物を載せながら聞いていた。「働きやすい王女侍女をクビになりそうでしたけど、マルクス伯爵様に拾っていただけて助かりましたわ。マルクス伯爵家は、ずいぶんと荒々しい職場のようですから、投げ剣の訓練をやり直さないと」。

 信仰深いローゼット女性騎士は、もう何度も見ているバロバ大神殿長の声を聞いて再度感激していた。任務がなければその場で拝礼したかったほどだ。「こんな男が、大神殿長様に対等の口をきくなんて⋯⋯。いいえ、女神セレン様のお考えは広大無辺。大神殿長様は、女神の代理人。わたしの考えなど及びもつかない理由があるのだわ」

 レオンの目につかぬようにこっそりついてきていたキャトゥ・ヌーコ二級侍女・保安員は、見つかって痛めつけられずにすみ、ホッとしていた。この旅のレオンの言動や動向は、キャトゥによって毎日記録され王宮に送られていた。「この会話も、国王陛下にお送りしますわよぉ~」。


 そのころフランセワ王国パシテ王宮では、国王アンリ二世が、表のラヴィラント隊長と裏のキャトゥ保安員から別々に届いた娘の結婚証明書の写しを眺めていた。「半信半疑だったが、ジュスティーヌのやつ。本当にやりおったわ」。これが国王というよりも父親としての感慨だった。

 父王は、「ジュスティーヌが男だったら」と何度思ったか分からない。抜群の頭の良さと考え深さ。性格の強さ。恵まれた容姿。王族としての威厳。隠れてはいたが決断力と実行力にも優れていた。いささか優しすぎるのが欠点だが、女なのだからこれも美点だ。

 これほど優れた娘を王宮に囲い込んでいることに、父王は強い罪悪感を抱いていた。だが、うっかりどこかの大貴族に降嫁させたら、十年またずにその貴族家が貴族集団をまとめ上げ、王家に対抗する大勢力になるだろう⋯⋯。父王は、それほどジュスティーヌの能力を高く評価していた。

 この結婚証明書を見ただけで分かる。司式者が、バロバ大神殿長? 女神の代理人が、たかが第三王女ごときに? 常識では、あり得ない。

 そのうえ、上位貴族家の結婚式で司式者になって少しも不自然ではない大神殿の高位神官が、証人として三十人もずらりと名を連ねている。かと思うと、護衛騎士?侍女?メイド!が王族の結婚証明書に署名していたりもする。こんな結婚証明書は、空前絶後だろう。

 この神官団を敵に回すことはしてはならない。「フランセワ国王が勝手に無効にするから、もうフランセワ人には結婚証明書を発行しない」とやられたら貴族が大騒ぎし王権が揺らぐ。この結婚証明書と結婚の無効を言い立てることは、不可能だ。元々そんな気はないが⋯⋯。

 普通は王女の結婚ともなれば、フランセワ王国中の貴族がパシテ市に集まって、やれ披露宴だパーティーだと二週間はつぶれる。証人の署名は、選ばれた貴族が二千人以上も順番に、結婚証明書に紙を継ぎ足し継ぎ足しして書くものだ。だが、貴族二千人とこの高位神官三十人の結婚証明書のどちらに価値があるかといえば⋯⋯。娘夫婦の手腕に父王は感嘆した。

 さらに父王は、娘の署名に目をやった。ここが大問題なのだ!

 ジュスティーヌ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネ・ド・フランセワ・マルクス

 結婚してマルクス伯爵家の女主人になったのに、『フランセワ』姓が外れていない。第一王女と第二王女には、結婚の際に全てフランセワ姓を抜かせている。たとえば、公爵家に降嫁した第一王女は、公爵夫人という貴族になり、情はともかく籍の上ではもう王族ではない。娘王女の婚姻で、王権に手が届くことが可能な貴族の外戚をつくるわけにはいかないのだ。

 フランセワ王国は、領主貴族の集合体である封建国家から中央集権的な絶対王制へのゆるやかな移行期にあった。国王アンリ二世は、生涯にわたって穏健ながらも少しずつ貴族の権力を削ぐ政策を採ってきた。それが分からぬジュスティーヌではない。分かっているならば、『フランセワ』の王族姓は、自ら返上するはずだ。

 父王は、考え込んでしまった。レオン・ド・マルクス『伯爵』のことだ。剣の天才で、野盗十四人に続いて今度の巡礼旅行でも、謎の刺客を五人もたちどころに斬って捨てたという。天才にありがちな、生活力や常識が欠落した人物なのだろう。国王の面前で決闘騒ぎを起こすような男だ。

 下賜した恩賞は、野盗退治で焼いてしまった宿屋に全部くれてやったと聞いた。驚いた宿屋が、王宮に届けてきて発覚した。通常なら処罰ものだが、相手は王女の夫だ。この始末はどうなることやら⋯⋯。

 王宮をウロウロして身分の低い下女と無邪気に遊んだり、親衛隊の道場で稽古をつけて、勢い余って騎士を叩きのめしたり。それに酒と乱痴気騒ぎといかがわしげな女が好き⋯⋯。うぬ。父親としてジュスティーヌが心配になってきた。

 たしかに夫がアレでは、ジュスティーヌも不安であろう。マルクス『伯爵』といっても領地があるわけでもない。屋敷や使用人すらない。無職でほとんど無一文だ。有力な親戚や後ろ盾もない。考えるほどに、ますますジュスティーヌが心配になった。

 あの男は、ジュスティーヌの持ち物を売り飛ばしたりしないだろうか? 王族の宝石が市場に出回ったりしたら、王家の沽券に関わる。悪質な大貴族などよりは余程よいが、あの賢いジュスティーヌが妙な男に引っかかったものだ。さらにさらにジュスティーヌが心配になった。

 やがてジュスティーヌから手紙が届いた。今までにお父様から受けてきた愛と恩を切々と並べ、自分は悪い娘であったと反省し、勝手なことをしましたと謝り、「おねがいでございます。どうか、フランセワ王家の片隅にいさせて下さいませ」。

 父王は、ジュスティーヌには甘かった。例の結婚証明書や結婚相手が少し狂気じみているという事情もある。ジュスティーヌが王籍に留まることを許可した。これでジュスティーヌは、正式に王女を名乗ることが許された。レオンは準王族となる。



 六十歳台のバロバと二十歳台のレオンは、お互いに肩を叩き合って別れを惜しんだ。

「レオンさん。あなたは、これからなにをなさるつもりですかな?」

 レオンは、天を指した。それから地を指差す。

「セレンとマリアは、天から舞い降りて地上に至りました。私は地上から天に上がりたいと考えます」

 今さらきくまでもない質問なのだが。

「どうやって、ですか?」

「力です」


 遠ざかる馬車列を見送り、やがてバロバは感慨に耽った。

 女神セレンが再び降臨されることは、もうないのだ。しかし、絶望しなくてもよい。女神様は、この世界に剣を投げ込まれた。それはきっと、必要なことなのであろう。我々は、まだ見捨てられていない。

 まずは、女神セレンのご意志に逆らう者どもを大神殿から掃除せねば。マリアに顔向けができぬ。

 レオンは、バロバの決意を少々軽く見ていたかもしれない。数カ月後、フランセワ王国でレオンは、「聖都ルーマ大神殿の神官が、二十数名も不慮の事故で死亡した」という王宮諜報部の報告書を目にして、何日か機嫌が良かった。


 二人の帰国の旅について詳細に書くことはしない。平穏で仲むつまじく幸福であったとだけ述べておこう。しかし、アリーヌを絶望させたことに、レオンは新妻に八日間みっちりと講義を行った。

 新東嶺風は、闘争にばかりかまけ、良い学生ではなかった。多くの知識は、大学受験レベルで止まっている。大好きだったマルクス=レーニン=トロツキー主義の知識も、かなり偏ったものだ。だが、現代の地球より文化・文明が三百年ほど遅れているセレンティア人であるジュスティーヌには、レオンは天才的な知識の宝庫に思えた。それまで王宮で逼塞させられていたジュスティーヌは、砂が水を吸い込むようにそれを吸収した。知識が注入されることで、人は変わる。思想が人をとらえて動かすようになることで、物理的な力となる。

 レオンの『教育』のおかげでジュスティーヌは、フランセワ王国パシテ王宮に到着したころには、この城を出る前とは少し異なる人格になっていた。


 この若い夫婦に、破壊や殺人までもをやむ得ないこととして決意させたのは、社会にはびこる貧困や不正という悪だった。

 レオンは、文字どおり『剣』となってセレンティアの社会を根底から覆し、組み直そうと決意していた。そのための手段は、戦争と革命である。ジュスティーヌは、『盾』となってレオンを支えてゆくだろう。

 このまま進めばレオンは、屍の山を築き、多くの人びとを地の底に沈めることになる。女神と聖女の失敗で、すでに四千万もの人を殺してしまっている。今さらなんのためらいがあろうか。

 筆者には、この二人の道が三度目の地獄に続かないように願わずにはいられない。だが、レオンには、『裏切られた革命』の知識と、醜悪な結果に終わった多くの闘争の記憶がある。

 この先にも、まだ物語は続く。剣を振るい、血の海を泳ぐ物語だ。それは、これまでとは全く異なるものになる。ならばそれは、別の機会に書くべきだろう。我々のこの物語は、一旦ここで終えることにする。


(完)

『異・世界革命Ⅱ 空港反対闘争で死んだ過激派が解放戦争で少女奴隷を自由にする』に続く

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異・世界革命 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって 北のりゆき @tanukikun0325

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