ホワイダニット・オランウータン

John・G・マッケローニ

(ドリアンを割り裂くほどの尋常ならざる握力によりページがちぎられている)




かった……本当によかった。ひとまず危機は去ったんだな」

「えぇ、あの殺戮オランウータンはもういません。ここにいるのは八郎さんと僕──連続殺人鬼ショクリンマスクだけですよ」

「えっ?」


 植木うえき八郎はちろうは安堵のため息とともに血を吐いた己に困惑し、そして眼前の苗木なえぎ三輝みきの目に宿る狂気に気づくとようやく状況を理解した。


「かひゅ……ごぼっ……」

「だから、悲鳴を上げても大丈夫です」


 再び床へ倒れ込む八郎に覆いかぶさった三輝は、傷口に懐から取り出したプルーンの苗を埋め込む。


「そ、そうか……殺戮オランウータンが去ったからといってこの館に潜んでいた殺人鬼がいなくなったわけでは、ない……ぬかったわ……君たちが双子だったことにまでは気づいたのだが……」

「八郎さんは賢いですね、きっといい木が育ちますよ。でもそういうのは気づいたらちゃんと言わなきゃダメです。そうすればきっと探偵さんも助かったのに」

「オランウータンの襲撃で……それどころじゃなかったからな。それを言うなら君らこそ……双子だという伏線を張っていないじゃないか」

「兄の隆の存在はちゃんと示唆していましたよ。それはもう見事な叙述トリックだったのですが……ほとんどのページが破り取られてしまいましたからね、残念です」

「あとはもう……結末を語るのみ、ということか……」


 八郎は穴だらけの館を見あげる。彼が探偵と共に密室での植林殺人のトリックを調べていた時、殺戮オランウータンは前触れも伏線もなく天井を突き破って現れた。“犯人が天井のわずかな凹凸をつかんで空中を移動したというのはありえない。隠し通路があるはずだ”……そう推理した探偵をあざ笑うかのように、殺戮オランウータンは天井どころか壁にすらぶら下がってみせた。しかも片腕や片足で逃げ惑う人々をむごたらしく殺害しながらである。その狼藉の結果、穴だらけになった犯行現場はもはや隠し通路の特定どころではない状態になり果てたのであった。


「ちなみに僕らが使っていたのは隠し通路じゃありません。攪乱のために用意した隠し通路があったのは事実ですけど」

「なん……だと」

「時間移動です」

「時間移動かぁ……」


 八郎は部屋の中央に置かれていたあからさまに怪しい機械装置の残骸に目を向けると、その正体に気づけなかった己を恥じた。当然オランウータンの圧倒的暴力によって鉄クズと化したそれはもう動くこともない。


「つまり……あれはタイムマシンだったのだな」

「そうです、犯行を行ったのはタイムジャンプしてきた三日前の僕……つまり僕の主観時間において、皆さんがこの屋敷に来る前にもう全ては終わっていたんです。作動原理も説明しましょうか?」

「いや……もう目もかすんできてね……もうあまり時間がないようだ。難解な科学的説明はまた……次の……機会に」

「わかりました。ふぅ……これで僕の秘密はすべてお話ししました。なるほどこれは胸が軽くなりますね」

「私の胸はめちゃくちゃ痛いが……用が済んだのなら……逃げるべきではないかね。いつ……殺戮オランウータンが戻ってくることか……」


 もはや虫の息である八郎は、三輝の身を案じるかのような言葉をかける。もはや自分を刺した相手に憎しみを抱くほどの気力も残っていなかった。


「根が優しいですねぇ八郎さんは。でも大丈夫です。いや、もう手遅れとでも言いますか……あのオランウータンの恐るべき企みを止めることはもうできないんですよ」

「いやに勿体ぶる……探偵でもあるまいに」

「この際いいじゃないですか。殺戮オランウータンのおかげでこの事件(ミステリー)は破綻しきっている。なら最後に“オランウータンはなぜ殺戮を行ったのか”について話をさせてください。そうすれば僕もあなたももう助からないことがわかるはずです」

「私が助からないのは……君が刺したからだと思うのだが」

「推理というか昨日見た夢の内容と今の状況が偶然似ているから何となく思いついただけの与太話ですが……あ、でもご安心を。結構予知夢見るんですよ僕」

「もう勝手にしてくれ」






「まず八郎さんはオランウータンが外に逃げたと思っているようですが、彼が逃げたのはタイムホールの中です」

「タイムホールかぁ……つまり未来か過去へ逃げたと」

「過去ですね。夢で見たので」

「いやに断言する……」

「そもそも殺戮オランウータンはミステリーを破壊する存在です。彼の殺戮は物理的・倫理的制約をものともしない……われわれ人間の尺度では図ることができない暴威、あらゆるトリックを不要とするフィジカルの前にはどんな理屈も握りつぶされてしまう。そんな彼が時間的制約すら超越したならば……もう全てのミステリーはおしまいです」

「……いや、それは違う」


 八郎は重い瞼を懸命に開くと、信念の灯がともった瞳で三輝を見据える。そして喉にたまった血を吐き捨てると、なけなしの力を込めて高らかに反論を唱えた。


我々ミステリーは殺戮オランウータンになど負けはしない。そこに謎があり、探偵がいればいい。十戒も二十則も知ったことか、当の本人たちだって守っていないのだ。オランウータンという暴力装置だって、ミステリーになりうる……いや、既に殺戮オランウータンミステリーがあるはずだ!ちょっとしたコンテストが開けるくらいにな!」


 そう言い切った八郎は、いよいよ気力も使い果たしたのかぐったりと脱力する。


「……探してみたまえ…………人間ミステリーの可能性を、舐めるなよ……」


 八郎はがくりと頭を垂れ、そして動かなくなった。しかしその口元には笑みが浮かんでいた。





「…………話の途中だったんですけど、まぁいいでしょう。おやすみなさい」


 三輝は微笑みながら八郎の瞳を閉じると、ため息をつく。


「その通りですよ八郎さん、人間ミステリーの可能性は殺戮オランウータンさえも飲み込んでしまう。彼の動機はきっとそこです。彼の目的はミステリーという概念の破壊、殺戮はあくまで手段に過ぎない。しかし彼はいつしか気づいた、事件ひとつひとつを蹂躙してもミステリーは死なない、ならば───」


 三輝の視線の先にあるのは壊れたタイムマシン。半壊したメーターに刻まれた数字はおよそ6500万年前──霊長類の祖先が生まれたとされる時期を示していた。


「僕たちの祖先、あるいは彼の祖先たる初期霊長類をすべて殺戮したとしたら?あの乱暴者が今更自分の消失を厭うことはないでしょう。そして発達した脳と肉体で同類相手へのアドバンテージは盤石。そして大型恐竜も入り組んだ森の中ではその力を発揮しきれない。つまり殺戮オランウータンの独壇場です。彼はついに人間ミステリーの完全殺害を成し遂げる」


 突如、激しい揺れが起こる。地震のようだが物が落ちたりすることはない。すぐに三輝は地面が揺れているのではなく、すべてが激しくいるだけだと気づいた。ここ以外も、世界のすべてが同じくブレているのだろう。


「……もしここまで聞いていても、あなたは同じことを言ったでしょうね」


 やがてすべてが明滅し、ぼやけるように消えていく。


「“ミステリーの可能性を舐めるな”って───

 


 了

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