七不思議 満月ノ夜ニ――


 柊に突き飛ばされた澪の目には、寂しげな柊の顔が焼きついていた。


 澪は階段に叩きつけられる自分を想像し、身構える。


 だが、誰かがふわりと澪を抱きとめた。


「まだこんなところに人が居たのかっ。

 民間人かっ。

 早く逃げろっ」


 自分を抱きとめ、叫んだ男を見て、澪は叫ぶ。


「柊っ」


 青年将校のような格好をした、凛々しい横顔のその男は柊に瓜二つだった。


 だが、澪が柊の名を呼んでも、彼は反応せず、澪を抱いたまま叫ぶ。


「走るぞっ。

 しっかり掴まって、煙を吸い込まないよう息を止めていろっ」


 その軍人は澪を抱き、木造の建物を侵食しようとする炎の隙間を縫って走った。


 降りかかる火の粉に澪は目を閉じる。


 口許を手で覆い、息を止めていた。


 苦しいっ、と思った頃、ふっと頬に冷たい風が当たった。


 目を開けてみると、もう建物からはかなり離れていた。


 身体にまとわりつくような木が焼ける匂いも熱気ももうない。


「片桐少尉っ、ご無事でしたかっ」


 何人かの兵士たちが男に駆け寄ってきた。

 男は澪を下ろし、彼らと話しはじめる。


 地面に足をつけた瞬間、揺れた澪の制服のブレザーのポケットでカサリと音がした。


 見覚えのない四つ折りにされたルーズリーフがそこに入っていた。


 広げると、柊のものらしき字が見えた。


「澪へ

 お前が飛ばされたそこは戦時中の日本だ。


 お前は永遠にその世界からこちらに戻れることはない」


 そんな衝撃的なことが書いてあった。


「澪、今、お前の側に居る男は前世の俺だ」


 お前はそいつと結婚する。

 そう柊の手紙には書いてあった。


 部下たちと話しながら焼け落ちる兵舎を見ているその顔は、確かに柊そっくりだった。


 澪は慌てて、そのつづきを読む。


「俺はお前と初めて会ったとき、自分の前世をぼんやりとだが、思い出していた。


 兵舎が爆撃された日、炎の中から助け出した、名前以外記憶を持たない娘と結婚し、戦争から平和な時代へと生きた記憶を。


 だが、お前の方はいつまで経っても思い出さず、俺はそのことにイラついていた。


 だけど、あるとき、思い当たったんだ。


 俺だけがその前世を思い出し、お前だけが思い出さない理由。


 炎の中から助けた娘と結婚したその記憶。


 俺にとっては過去だが、お前にとっては未来のものなのではないかと」


 柊が自分を突き落とす直前にささやいた言葉を澪は思い出していた。


『さよなら、澪。


 お前の未来は俺の過去……』


「最初にお前と出会ったのは、逃げ遅れた兵が居ないか、みんなに止められながらも、確認に入った兵舎の中だった。


 お前は燃え盛る兵舎の中、制服姿で階段の上から降ってきた。


 制服なんて、いつの時代もそう変わらないものだから、なんとも思っていなかったが。


 思えば、あれは、うちの高校の制服だった。


 そして、悟ったんだ。


 前世の俺が結婚したのは、時間を超えてきたお前だったのだと」


 ようやくわかった。

 霊が見えないはずの坂田のおじいちゃんに軍人さんたちが見えた理由。


 その軍人さんたちは霊ではなかったのだ。


 おじいちゃんが見たのは霊ではなく、過去と現在が重なった瞬間だったのだ。


 車にはねられた美術教師が見たものも、また同じだったのだろう。


 柊の手紙はまだ続いていた。


「お前を無理やり引き止めることもできたのかもしれない。


 だが、そうしたら、今、俺たちが出会っているこの未来もなくなる気がした。


 それに、前世の俺はお前の存在にずいぶんと助けられていた。


 そのときの記憶は大切な思い出として、今も俺の中にあるから」


 覚悟を決めたような顔で自分を階段下に突き飛ばした柊の顔を思い出す。


「澪。

 幸せに――。


 いや、お前が幸せになるのは知ってるけどな。


 俺はまた、お前が生まれ変わってくるのを待っているよ。


 俺がジジイになってても、必ず、また惚れろよ。

 お前のことは新しい学園七不思議として残しておいてやるからな。


 満月の夜。

 サイレンが鳴って、現れた軍人さんに女生徒が連れ去られたって。


 少しずつ変貌しながら。

 でも、都市伝説みたいに残るだろうよ。


               柊」


 どんな終わり方……。


 淡々としたその感じが、柊らしくて笑ってしまう。


 笑ってしまうのに、涙が出た。


「落ち着いたか?」

と柊そっくりの軍人、片桐直哉が訊いてくる。


「怪我してるのか。

 あちらに衛生兵が居る。


 見てもらうといい。


 ……お前、なんであんなところに居たんだ。

 スパイか」


 いや、いきなりのスパイ疑惑……。


 私、あなたと結婚するんですよね?


 今だろうが、過去だろうが、前世だろうが。

 柊はなにも変わらず、柊だった。


 見上げて笑うと、片桐は気まずそうに目を逸らす。


「……娘、行くぞ」

とこちらに背を向けた。


「はい……」


 澪はあの手紙を大事に折りたたみ、またポケットにしまった。


 グラウンド部分は今も昔も変わらないように見えたが、振り返ったそこに校舎はなく。


 ただ燃え落ちた兵舎の黒い残骸だけがあった。


 いつか此処にあの校舎が建ち、私たちはまた出会うだろう。


 柊……。


「さよなら」


「娘、急げっ」


「澪ですっ」

と叫び返しながら、澪は前世の柊、片桐少尉について歩いていった。


いつの間にか日は暮れ、空に昇るのは、今も昔も変わらぬ


               ――満月。



                                  完

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満月ノ夜ニ 櫻井彰斗(菱沼あゆ) @akito1

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