オランウータン宇宙殺害事件
アビコンマン
或いは、サワタリ・ショウジョウの希望溢れる未来への布石。
0.
ㅤ世界は球形の物体の回転によって成立している。
ㅤそれは素粒子のスピンというミクロから葡萄の房状をした平行宇宙の運行というマクロまで貫かれた現象の構造。
────此処は、その全てがオランウータンという一つの概念に塗り潰された宇宙。
……だが、それだけならいい。膨大にして多岐に亘る世界構造の注釈を省きさえすれば、所詮は一つの宇宙が奇妙な改変を受けて新しい在り方と化しただけなのだから。
ㅤ真に恐るべきは、宇宙一つが巨大な……孤独にして飢えをきたす、ただ一匹のオランウータンとなったことである。
ㅤオランウータン宇宙が存在することによりもたらされた殺戮の規模は、もはや天文学的数値ですら推し量ることの難しいものとなった。
ㅤそれの自我が目覚めたとき、発した悲痛の鳴き声によって隣接する平行宇宙すべての天体運行が狂った。
ㅤ半数の隣接宇宙は飢え凌ぎに食われ。
ㅤ不安と憤懣により振りかぶられた八つ当たりの手足により残り半数が壊滅し。
ㅤ漏らされた糞尿はそれの外部に点在する複数の平行宇宙まで汚染した。
────つまるところ。光年規模の体躯を持つ一匹の宇宙オランウータンが生存するには糧となる宇宙の数があまりに足りず、その外に広がる無は広大すぎた。
ㅤこの哀しき生命の誕生と結末として訪れる餓死の間に、宇宙それじたいが消費され切るのは自明であった。
ㅤそれを殺し得る、ただ一人の男の存在がなければ。
1.
「アンタは信じられないかもしれないが、俺は異世界転生者兼宇宙渡航者なんだ」
ㅤ酒場で酔いが回ったせいか、俺は見ず知らずの相手にそんなことをこぼしていた。
「へへっ、また難儀そうな人生だな。他の宇宙から渡ってくる奴らはそれなりにいるし、異世界転生者っていう奴もそれなりにいるが、その両方ってのは初耳だ。傑作だな!」
ㅤカウンター横にいる、典型的カウボーイファッションのニホンザル……俺の元いた世界の生物の名前だが、それによく似ている現宇宙人……が、金切り声にも似た哄笑をあげる。
「やっぱすげーなここは。俺が元いた場所にゃ両方いなかったし、転生先にも宇宙渡航者は一人しかいなかったってのに。それだけ観測可能な文明水準に達してるってことだよなぁ」
「ま、俺が会った自称の奴らに本物はいなかったけどよ。全員キチガイだった。昔馴染みのダチもある日、ありもしない転生元の記憶を思い出して病院送りだ。安金で悪いクスリを掴まされてよ」
ㅤそう言って、こちらに陰湿な横目を流す。
「はは、わかってるよ。信じてくれ、なんて言わねぇ。与太話として聞いてくれればいい」
ㅤ俺がかつて生きた宇宙────太陽系第三惑星・地球が存在したその故郷は、今や一匹の巨大オランウータンだ。カワダ・タツヤという名前で無職の陰遁者をやっていた惨めな人生を知る者はいない。その残骸くらいは、今頃ヤツの細胞の片隅にでもいるのだろうが。
ㅤお馴染みのトラックに轢かれて死んで西洋風RPGじみた世界に転生する際。神様と称する宇宙の運営者から譲渡された異能は「物質を聖剣に変える力」。そこではまぁそれを使って大暴れして、魔族なるものを滅ぼしたり、RPGらしい種族や職業の様々な仲間といわゆる「剣と魔法の冒険」を繰り広げ、その規模がでかくなるほど色んな女に惚れたり惚れられたりを繰り返した。
ㅤそんなこんなで異世界宇宙の片隅にある、数少ない文明圏を持つ星のそのまた片隅に、俺は一国一城を築くこととなった。本妻に側室、気心の知れた家臣。問題がないとは言い切れないが順風満帆な未来を思い描いていたとき、世界を巨大な音の波が襲った。
ㅤそれが、かつて俺の暮らした宇宙がオランウータンと成り果ててあげた叫び声だとも知らないまま、その余波として引き起こされた天変地異と内乱、封印されし邪神の復活への対応に追われる最中、転生してこのかた、一言もアドバイスすらくれなかった無慈悲な神が俺にふざけたことを告げた。
“すまないが、かつて私が異能を授けた転生者が元の世界に帰還して恐るべき獣を産み出してしまった。君、ちょっと滅ぼしてきてくれない?”
「はっ! そいつは御大層な神様だ!」
ㅤ隣の猿がキャッキャと笑う。だが、目元は欠片も緩んじゃいない。どうやら内心、そろそろ我慢がきかないらしい。
「まぁ、そんなこんなであのスペース・オランウータンを王自ら討伐するため、その星唯一の次元渡航能力者の手を借りてここまで来たんだが、その宇宙がオランウータンのションベンに乗って流れてきたウンコに衝突して、もう生き残らせる術がなくってな……」
ㅤそう言いながら、俺がハイドラのプラセンタとグレイ・ミルクに幾つかの陶酔と覚醒作用のある物質を分子レベルで組み合わせたカクテルをショットグラスで一気呑みするのと、悪いタバコで目の血走ったニホンザルのカウボーイが俺に携行型反物質砲を眉間に向けるのは同時だった。
「もう我慢がならねぇ! ジョークでも少しはうまくやりやがれ! だいたいなんなんだオランウータン宇宙って! 銀河政府の公式見解でそんなもん出たためしもねぇ! テメェの話聞いてると、こっちまで頭がおかしくなるんだよ!」
……こいつは渡りに船。交渉の手間が省ける。
「お客さん、そういうのウチでやるのは困りますよ」
ㅤカウンター奥、幾つもの瓶が並ぶ棚を背に、クトゥルフ頭のウェイターが赤い目でこちらを睨む。
「悪い、ちゃんとするから勘弁勘弁……そうか、そんなに俺が気に入らないか、猿野郎。じゃあ、もう決闘しかないよな?」
「ああ、早いとこ外出ようぜ」
ㅤカウンターの木製扉を押しやって外に出る。無風の、一面凸凹だらけの荒野をダンブルウィードによく似た虹色の無脊椎生物の群体が駆け抜けてゆく。
「渡り鳥さんよ。アンタ、決闘のルールはご存知かい?」
「銀河西部法第三十六条 決闘法。互いに向き合い、タイミングを合わせて背中を向け、およそ十歩ずつ進んだところで得物を抜く。生死は問わず、先に対象に得物を当てたか降参させたほうの勝ち。勝者は敗者に事前に取り決めた契約を超法規的に履行させる強制権を持つ。ただし、例外は別項にて定めるものとする……だっけか?」
「あぁ、まぁ、そんだけ覚えてりゃいいか。話が早い。つーわけで、お前は俺に負けたら有り金と持ち物全部寄越せ」
「奇遇だね。俺もお前に同じ事を言おうとしたんだ」
「抜かせ」
ㅤそうして無言で互いに向き合い、背中を向けて歩く。一歩、二歩、三歩……相手はずるをする気はないらしい。
ㅤそうして十歩め、俺達は互いに振り向き、己が必殺の武器を抜く。猿野郎は件の反物質銃を律儀に腰のホルスターから引き抜き、古き良き西部劇の早撃ちそのものの流儀で腰だめに構える。
────西洋風RPGじみた異世界といい、このスペース・ウェスタン風宇宙文明といい、どうしてこうも俺がゲームやアニメ、映画で見知ったような世界にばかり行き当たるのだろう? そんな疑問を脳裏にちらついた一瞬後、俺の所作は淀みなく腰に帯刀した聖剣を抜く。
ㅤ極限に研ぎ澄まされた集中力のなか、先に相手の銃が発射されるのを知覚する。引き金にかかる力のおこり、そこに合わせて俺は剣を下段霞に構え、
“風の聖霊よ、在れ”
ㅤ内言で圧縮詠唱した加速魔法を上乗せして疾走する。
ㅤその小さな銃身に似つかわしくない、この世の終焉に聞くような重低音とともに発射される反物質エネルギーの軌道から僅かに身を反らす。この宇宙の底無しの異界許容律により、異世界で身に付けた魔法も、襤褸の外套の下に纏ったミスリル製のフルアーマーも効力を維持しているが、反物質という力の前では無意味だ。ひたすらに回避するしか道はない。
(だが)
ㅤ反物質の軌道に沿って、俺は駆ける。相手にしてみれば一秒にも満たないその時間のなかで、直感と思考、体が覚えた経験則が最適な刃筋を導き出す。
「こいつで終いだ、猿野郎」
「ぐ────、────っ!」
ㅤ脇腹から肩口へ、胴体を斜めに両断する逆袈裟斬り。銃対剣という射程のアドバンテージすら超越する技量を以て猿のガンマンを殺害した。
「アンタ、存外にいい鎧を下に着てたな。物理的には通常質量の剣はおろか、レーザーや高周波でも断ちきるのは無理だったろうが」
ㅤ一瞬で意識を絶たれ、虚ろに星空を見上げる両目を見ながら、
「俺の愛した宇宙一つぶんの質量をこめた斬擊だ。斬れないもののほうが珍しいのさ」
ㅤ手向けの言葉を送り、その出来立てほやほやの骸が腰に付けたポーチから、一つの装置を手に入れる。俺が持っていない、だが流しの賞金ハンターであればだいたいが持っているという道具を。
「これで、あのオランウータンを殺しに行ける」
2.
ㅤ空間転移魔法により、スペース・ウェスタン宇宙とオランウータン宇宙の外周に広がる無の領域の境界面まで到達した。後は、
「この、超ひも式渡航装置を使うだけだな」
ㅤスペース・ウェスタン宇宙において星間・宇宙間の渡航は賞金取りの日常だが、この装置は基本、比較的安全を保証された星に緊急帰還するための道具だ。未知の場所への移動手段としては大まかな地点しか特定できない博打なうえ片道切符という、基本的に船よりも劣悪な手段とされる。
「だが、それでいい」
ㅤ多重の聖霊加護をかけることにより存在できる宇宙空間のなか、境界面でスイッチを押し、世界に小さな通り道を開ける。
「……じゃあ、行ってくる」
ㅤ脳裏をよぎるのは元の世界の両親や少しはいた優しい奴らのおぼろ気な顔。異世界で出会った恋人や親友、ヒロインやライバル達の姿。
「楽しい旅だったよ」
ㅤ配水口に吸い込まれる水のように、俺は宇宙を越境する。その細い通路を経て。
3.
ㅤ真空すら存在しない無の領域には理の許容律もまた存在しない。故に俺は聖霊魔法によって、ただの人間の状態でこの空間に存在していられる。
「しかし」
ㅤ何万光年も離れた地点に出たというのに、この巨大さは何なのだろう。全身の毛の一本、皮膚細胞の一つまで漆黒の海原と膨大な星霜の運行で構成され循環する一個の宇宙の化身であるオランウータンの姿は、もはや神と呼ぶべき崇高なアウラを帯びていた。
ㅤしかし、そいつは泣いていた。うなだれ、めそめそと泣いていた。そこに超常の威厳や怪物の未知や深淵はなかった。
「哀しいくらい凄いな、お前」
ㅤ己の生そのものを持て余し、ただ破壊と破滅だけを宿命付けられた存在への憐れみに今更ながら胸を締め付けられる。
「だけどさ、お前のせいで全部失った奴もここにいるんだわ」
ㅤ鞘から聖剣を抜刀する。巧みに重力操作しながら全質量を解放する。
「悪いけど、ここで死ねや」
ㅤオランウータンが振り返る。この永劫の無のなかで、たった一人同じ“寂しいもの”を見つけた喜びに目元を綻ばせ、
「聖剣、臨界。反転せよ」
ㅤ俺はそれを真っ直ぐに見据えながら、
「終焉魔剣・熱死閃」
ㅤ上段に構えた魔剣が持つ宇宙一つぶんの質量。俺の栄光そのものだった異世界宇宙を丸ごと原子崩壊させた死の斬擊を眼前にて歯茎を剥く歓喜の猩猩に向けて解き放つ。
────宇宙の普遍の理が球体の回転であるのならば、それを殺すのは鋭角による直進的な停止の力に他なるまい。故に、ビッグバンを反転させたように冷たい色をしたチェレンコフ光の一閃は、この猿を屠るに相応しい形をしていた。
「「「うきゃきゃきゃっ!!!」」」
ㅤそれは悲鳴だったのか、悦びの声だったのか。両断され、崩壊してゆくオランウータンは俺に伸ばしかけた腕を所在ないまま垂れて、消滅してゆく。
「終わった」
ㅤ聖剣が消滅し、聖霊の加護が消える。ミスリルの鎧から光が消え、俺の死が間近に迫る。
「元より、この人生はゼロだったんだ。ここまでやれれば上等……」
ㅤそう、満足して逝こうとしたとき、背後に奇妙な存在が浮遊していることに気付いた。
「えっ」
ㅤそれは、宇宙服を着ていた。宇宙服を着た、オランウータンが……拳銃で、俺の心臓を撃ち抜いた。
「ぐ、っ」
ㅤそうして、オランウータンが俺の背中に触れる。
“私は、サワタリ・ショウジョウ。君と同じ異世界転生者にして現世界への帰還者。能力は「任意の対象をオランウータンに変える力」”
ㅤ死にゆく俺の意識と裏腹に、細胞がオランウータンと化してゆく。
“新しい宇宙への道を開けてくれたことと、新しいオランウータンの種を用意してくれたことに感謝する。これでまた、オランウータンを増やせる”
(どうして、そんなことを……?)
ㅤ俺の、困惑と怨嗟をこめた最期の思念に、そいつはこう答えた。
“だって、楽しいじゃないか────オランウータン宇宙なんて”
ㅤひたすら、何もわからない困惑のなかで、俺の意識は潰えた。
オランウータン宇宙殺害事件 アビコンマン @akikaze_koh
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