五月の妖丁

@Armadillo3612

五月の妖丁

五月の妖丁


東京の大学を出た私は地方の街の会社に就職した。

そこそこ発展していながらも、個人経営でやっている古風なスタイルのお店があり、都会育ちの私にとっては逆に新鮮だった。

そんな町の外れの辺りに、古道具屋があり、物腰の良さそうなお爺さんがいつも番をしているのだ。

中にはごっちゃり物があり、木と機物の香りがする。

今日日見かけない物が多く、手巻きの時計、キセル、ガラス細工、昔の古書などが売られている。


そこで、柳刃包丁を見つけた。

かっちり高級そうな箱に入れられていて、それでいて値段は異様にお手頃だった。


元は値打ちがあったと思うのだが、私は古物の相場などこんなものだと思い、お買い得と考えた。

何より、小さな日本刀のような鋭さを持つそれがかっこよく見えたのだ。


「店主さん、これ、いただいてもよろしいでしょうか」

「いい包丁だ、大切に使ってあげてください」

今時こんな事を言われるのも珍しいと思いつつ、ありがとうございます。大切に使わせていただきますと返した。


美しい刀身にみぼれて買ってみたは良いものの、普段から魚を捌く事が無かったため、主に肉類を切ることに使った。

最初はスーッと刃が通り、切れ味はぞくりとするほど気持ちいい物だった。

しかし、1ヶ月たったあたりで、その包丁はかつての鋭さを失った。

明らかに刃の通りが悪くなってしまった。自分なりに研いだりしてみたのだが、一向に改善しない。


普通に捨ててしまってもよかったのだが、元は立派な包丁で勿体無いと思い、かつての古道具屋さんに売りに行くことにした。


「ああ、またか...」

「また、ってどういうことです?」

「すみません、こんな事を話しても信じてもらえないと思っていて、隠していた訳じゃ無いんですけど...」

「この包丁、最初はとある刀工さんに鍛えてもらった物なのですよ...ここに銘も入っているでしょ?とてもいい物ではあるのですよ」

「でも、1ヶ月もすると切れ味が悪くなってしまうのです。前の持ち主さんはちゃんとした研ぎ師さんに研いでもらったそうなのですが、一向に切れ味が戻ることも無かった」

「元々がとても立派な包丁なので、誰かが使ってくれるかもと私の元に来たのですがね、その次に購入された方も最初は切れ味が良かったというのですよ...不思議な話ですよね、前の持ち主さんが手放してから私は何もしてないのですよ。」

「それで、結局ここへ戻ってきてしまう...なんていうのかな、そう、プライドが強くて今の境遇を受け入れられなくて、病んでしまう若者のような...」


そこまで聞いて、私はこの包丁を少し手元に置いておきたい気持ちが出てきた。

「すみません、もう少し私が持っていたいのですが、よろしいですか」

「ええ、いいですよ、でも、不良品を売ってしまったという事ですし、返金だけでもいたしましょうか」

「いいえ、返金は要りません。もう少し使ってみてみます。」


私はそれなりにいい大学を出てきている。

大学での研究はそれなりに難しい事をしてきていて、私はその中でも優秀だと考えていた。

就職活動期になっても素晴らしい修士論文を出したら社会がそれを認めてくれるだろうと、就職活動期に真面目に就職活動をせずにいた。

しかし社会はそれほど甘くはなく、やっとの思いで就職に漕ぎ着けたのが今の会社だった。

会社ですることはとても簡単で、基本はコピペだったり、簡単な電話対応で済む事だった。

残業は少なく、ほとんどの日は定時で帰れる為、とても今の境遇を気に入っている、むしろ今時贅沢なぐらいだ。

しかし、どうしても張り合いが無くて、業務中に別な事を考えてしまう事があり、先日は自分ではありえないようなミスも犯してしまった。

簡単な事さえも正確にこなせない自分に腹が立ち、もっと難しく張り合いのある仕事であれば、なんて事を考えながらその日その日を過ごしている。

そんな私に良く似ていると感じた。


私は車を走らせ港の方に行き、鰤を一尾買ってきた。

今まで既に加工されたサクのような物を捌いた事はあるが、丸々と太った鰤を捌くのは初めての体験だった。

タブレットを立てかけ、捌き方の手順をよく見ながら、それを捌いてみた。不思議な事に包丁はそれにスーッと通る。全く、引っ掛かるような感覚が無い、多少荒削りではあるが刺身状に切り分ける事が出来た。

「いい仕事するじゃん...」


洗いが終わり、今は傍に休ませてある包丁にそうささやいた。


それから、週末になると漁港へ足を運ぶようになった。

なるべく今まで捌いた事のない魚を選ぶようにしている。

そして、捌いた魚をビールで流すのだ、まさに社会人の楽しみというやつだ。


今では包丁の切れ味が衰えることは無い。

私は少し羨ましいと感じつつ、少し救われるような気持ちになるのだ。

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