初恋のオランウータン~霊長類VS悪徳警官~

灰鉄蝸(かいてっか)

初恋のオランウータン~霊長類VS悪徳警官~



 覚えている。

 降りしきる雨の中、血に塗れたあなたを見上げたあの日のことを。

 あれは七月の雨が降る、強い風の吹く夜の出来事。

 その日、少女の父と母は死んだ。



――壊れた玩具のようにねじ切れた手足。


――へし折れてだらんとぶら下がった頭。


――リビングルームを血に染める毛むくじゃらの人影。



 そう、忘れられるものではない。

 あの日、あのときの胸の高鳴りは。

 初恋の人(ここでは霊長類全般のことを指す)はオランウータンだった。









「それが私とあのヒト(ここでは霊長類を指す)の出会いだったわ」


 前田ノリコはうっとりと過去を反芻し、喫茶店の人類には耐えがたいコーヒーを啜った。この味で金を取るのは犯罪と言ってもいい壊滅的な味がした。

 この店の店長が手ずから豆を挽いている特製コーヒーは、どう頑張ってもご自宅で再現できない味わいがある。

 本当に人類が作ったのか疑わしいレベルで不味い。

 まあ客の大半は軽食を食べに来ており、この店においてコーヒーを頼むやつはモグリか変態か情報商材を売りさばく詐欺師なのだが。

 ちなみにノリコは変態である。

 当然、テーブルの向こう側に座っている友人は困惑した。


「え、待って……二ヶ月前にノリコのご両親を殺したのって……」

「ええ、オランウータンよ。めちゃくちゃデカかったわ」

「……それ、警察には言った?」

「狂人を見る目で見られたわ」

「あ、そう」


 この友人は名をヨシコという。

 ノリコの小学校からの親友であり、この奇矯な変態の言動には慣れていたが、いかんせん今回はことがことである。

 父母が惨殺されるなんてビッグイベント、普通は人生に一回あるかどうか。

 まして犯人が人外ともなると中々レアである。いや、熊害事件とかなら確率的にそこそこありえるのだろうか。

 それにしても――


「ご両親の敵に一目惚れってどういう状況だよ……」

「だって……好きになったから……」

「もうちょっとかっこいい動物にしろよ……せめてヒグマとか虎とか……」


 ヨシコは親友なので異種恋愛にも理解があった。


「でも、私の初恋のヒトはオランウータンよ」

「厳しいなー……せめてチンパンジーならなあ……」

「恋の障害は大きい方が燃えるわ」

「その障害、一四〇〇万年分の進化ぐらいあるよね?」


「でもよく考えて欲しいのヨシコ。うちって先祖代々の資産家だから……今さら父や母が死んだところで特に私の生活基盤は揺るがないし……」

「ブルジョアだ……」

「そう、むしろ私が当主となって今が我が世の春……!」

「ブルジョアめ……!」


 ノリコはウフフフと笑って不味いコーヒーを啜る。

 目が冴えるまずさだった。


「邪魔な父母が死んで遺産ガッポガッポよ。相続税だけがムカつくわ……薄汚い国家権力許さない……」

「ああ、だから警察に真犯人って疑われてるんだ……」

「無実の罪よ。たしかに死んでくれて嬉しいけど、わたしって乙女だから……」

「ユニコーンも秒で騎乗拒否しそう」

「ふふふ、言ってくれるわね……」


 人間性に問題があるノリコに対してもヨシコは優しい。何故ならばご飯おごってくれるから。

 ゆるふわ倫理観に支えられた麗しい友情である。

 そのとき、喫茶店の扉が勢いよく開かれた。来店を告げるベルが荒々しく鳴り響く中、ずかずかと店内に踏み込んできたのは身長一九〇センチはあろうかという筋骨隆々の巨漢であった。

 その無精ひげの生えた強面に、ノリコは覚えがある。

 両親の死について取り調べを行った刑事、そう、たしか名前は――


「……石井刑事」


 石井刑事はノリコの前でぴたりと足を止めると、後ろに四人ほど警官を引き連れて口を開いた。


「前田ノリコ、お前を殺人容疑で逮捕する」

「――――ッ!!!!」


 次の瞬間、目にも止まらぬ速さで繰り出された手錠を回避――ノリコは怪鳥のごとく飛び上がると、石井刑事の頭の上をぴょんと飛び越えて、すぐ側のテーブル席の上に着地。

 客が食べていたケーキを踏み潰しながら吠えた。


「無実の罪だわ! このクソポリ公、オツムの中身が腐ってるんじゃないの? ママのお腹の中にいるときに(放送禁止用語)のチ〇ポでもしゃぶってたの!?」

「そこまで言わなくてよくない……?」


 ヨシコのツッコミも空しく、罵倒された石井刑事はキレた。


「クソガキが~……俺の捕まえた容疑者は有罪率一〇〇%だぜ~! 証拠がなくても作ればいいんだよ~!!」

「この国家権力の手先イヌのおまわりさん、えん罪の自慢してるわ……!」


 ちなみにノリコは花の女子中学生である。

 だが、石井刑事にそのような容疑者の幼さは関係ない


「少年法なんざ関係ねえ~! 俺は判事にもダチ公が多いからよ~、てめえは確実に有罪で死刑だぜ~!」

「この国の司法、完全に終わってるわ……!」


 それは最早、裁判にあらず。

 警察機構と司法がグルとなり市民を任意に処刑可能な殺戮機構――言わば社会的人間プレス機と呼ぶべき暗黒殺戮空間。

 前田ノリコはそのような国家権力の悪逆に囚われようとしていた。


「ふっ、っていうか語るに落ちたわね! 今の腐敗っぷりはこの喫茶店の客と従業員が全員聞いてるわ! SNSで大炎上間違いなしよ!」

「お~っとてめえの余罪が増えたようだな前田ノリコォ! おい、やれ」


 石井刑事が部下に声をかける。

 すると直立不動で二人のやりとりを見守っていた四人の警官たちは、一斉に腰から拳銃(ヨーロッパ製の自動拳銃)を引き抜いて。

 銃声。

 銃声。

 銃声。

 喫茶店にいた親子連れが、カップルが、老夫婦が、学生が、情報商材を売りさばく詐欺師が、アルバイトの店員が、クソ不味いコーヒー名人の店長が、警官の放った凶弾によって次々と倒れていく。

 うわっとか、ぎゃあっとか、うきゃーッとか悲鳴が聞こえたが、すぐに途絶えた。

 血溜まりに倒れ、うめき声をあげる犠牲者たちを足蹴にして、石井刑事はニヤニヤと笑う。


「ククク……前田ノリコ、てめえの銃乱射を止めるためにこの場で射殺、ってことにしといてやるぜ。怖ェなあ金持ちは。銃器をヤクザから買っておいたなんてよぉ」

「下手くそな作文を――!」


 銃弾の嵐が喫茶店の中を吹き荒れていても、ノリコは無事であった。

 すぅっと気配を消して物陰に隠れていたのである。資産家令嬢たるもの護身術は乙女の嗜みであり、日本国における護身術の起源が風魔忍軍にあることは賢明なる諸兄のご存じの通りである。

 しからば悪逆非道の汚職警官による虐殺程度、乗り切れて当然であろう。

 義憤のあまりノリコが投げつけたチョコレートケーキが、石井刑事の顔面に直撃する。

 強面の悪徳警官は、顔面にこびりついたチョコレートケーキをむしゃむしゃと手づかみで食べながら、ニタァといやらしく笑った。


「クソガキがぁ……おい、店の周りは警官隊で包囲してあるな?」

「ハッ! 石井刑事の仰せの通り! SATも待機済みです!」

「ハハッ、聞いたかよクソガキ。てめえは逃げられねえ、銃乱射事件の犯人として死ぬんだよぉ~!!」

「どうしてそこまでして私を……まさか!」


 勘づいた少女を前にして、石井刑事は嗤う。


「ククク……てめえが親父とお袋から受け継いだ財産が欲しいらしいぜ? いい親戚を持ったなあ嬢ちゃん~!!」


 そして石井刑事がコートの内側から拳銃を取り出す――それは異様なピストルであった。

 銃把グリップから突き出た弾倉は棒状で細長く、拳銃というよりも短機関銃サブマシンガンを思わせる。

 事実、装弾数三三発を誇るその拳銃はフルオート射撃が可能であった。

 その銃口がノリコに向けられる。連射される銃弾の前では、如何にノリコが護身術の使い手と言えど無力だ。


「う、ううううう……! 助けて……」

「ギヒヒヒヒ! てめえを助けるやつなんざいねぇよ~!!」


 目を閉じ、誰かに助けを求めるノリコを嘲笑う石井刑事。

 だが、そのとき――ごおおおお、と耳をつんざくような爆音。

 窓の外に見えるのは、地上すれすれを低空飛行する機影――次の瞬間、衝撃波とともに着弾した二五ミリ機関砲弾により外で包囲網を敷いていた警官隊とSATは挽肉に変わった。

 航空自衛隊基地(パイロット含む自衛官六名が死亡)から略奪された第五世代ジェット戦闘機F-35からの機銃掃射である。

 もちろんパイロットは自衛官にあらず、否、それどころか――人間ですらない人影。

 コクピットのキャノピーがぶち破られ、颯爽と飛び降りる“それ”は、ビルの屋上に着地すると、軽い身のこなしで喫茶店に侵入した。


――なお墜落していったジェット戦闘機は野次馬でごった返す道路に激突し爆発炎上、市民とマスコミ関係者、合わせて百名ほどが即死したのは言うまでもない。


 そのような大惨事に、汚職警官たちも呆然と立ち尽くしていた。彼らが如何に無辜の市民を食い物にする邪悪な存在と言えど、眼前でこのような大量死が起きたのは初めてなのだ。

 そしてノリコは見た。

 石井刑事の部下の頭に向けて、長く太く毛むくじゃらの腕が、天井から伸びてきたのを。

 毛むくじゃらの手は、その太い指で汚職警官の頭を包み込んで。

 熟れたトマトのように人の頭が弾け飛んだ。

 飛び散ったのは真っ赤な血と脳漿。


「うわっ!?」

「ひ、ひぃいいい!?」


 突如として破裂した仲間の頭部に、悲鳴を上げる汚職警官三人。

 石井刑事はすぐさま天井を見上げて、“それ”を目視した。

 “それ”は赤褐色の長い体毛に覆われ、顔だけが体毛に覆われて折らず、黒い皮膚が剥き出しになっていた。それは人型をしているが、腕は足の倍近い長さの異形だった。

 そう、オランウータンである。


「な、何ィ~!?」

「ホキョキョキョキョ! ホッホー!」


 驚愕する石井刑事を見下ろし、オランウータンが笑う。

 オランウータンは天井のダクトにぶら下がっていた片手を放して落下、真下にいた別の汚職警官に飛び乗って。


「う、ぎゃあああ!?」


 その頭を握り潰した!

 通常のオランウータンの握力は一般的に不明とされているが、この覚醒オランウータンの握力は一トンをゆうに超える!

 人間の頭蓋骨などトマトのように握り潰せるのは言うまでもないッ!


「オランウータン様……」


 ノリコは白馬の王子様を見るようにオランウータンに見惚れていた。

 特に理由もなく自分の父母が惨殺された件はけろっと忘れている。

 何故って、恋をしているから。


「クソが……エテ公が俺の仕事の邪魔をしやがってよぉ~!!」


 石井刑事が構えたのはピストル、それもフルメタルジャケットの九ミリパラベラム弾をフルオートで連射可能な自動拳銃だ。

 長大な弾倉ロングマガジンに詰まった三三発の銃弾の制圧力たるや、至近距離においては機関銃にも等しい!

 無論、市街地でこのような銃器を用いれば、流れ弾で無用の死者が出るのは言うまでもないが、街はすでに火の海、あちこちで悲鳴と助けを求める声が響き渡る地獄絵図!

 ならば流れ弾で死人が増えようが誤差である!


「うお~! 死ねェ~!!」


 引き金が軽快に引かれ、けたたましい銃声が鳴り響く!

 如何にオランウータンが屈強な生命体と言えど、至近距離から数十発の銃弾を受けては致命傷は免れない――だがオランウータンの光る知性は人間を凌駕する!

 オランウータンはその長い腕で生き残りの汚職警官二人を掴みあげると、自身の前にかざして即席の盾を作り上げたのだ!

 そしてそのまま刑事の方に突進!


「ぐべろべっ」

「あぎゃっ」


 貫通力を高めたフルメタルジャケットの九ミリパラベラム弾の嵐によって、警官二人はボロクズのように即死!

 だがその皮膚・筋肉・脂肪・骨格からなる積層された肉の盾は、十分に銃弾の運動エネルギーを吸収し無効化せしめた!

 恐るべきは成人男性二人を軽々と持ち上げるオランウータンの圧倒的身体能力フィジカル

 近代になって急速に発達した重火器は動物に対する人間の優位性を決定づけた、だが――このオランウータンは人間を凌駕する知性の持ち主ッ!

 ならば人類に勝ち目はないッ!!


「く、クソ猿……ひぎぃ!?」


 肉の盾で銃弾を防げられた石井刑事――銃弾を撃ちきって拳銃のスライドが後退しきった刹那、肉塊になった部下二人の影からオランウータンが飛びかかってくる。

 その長すぎる二本の腕が、石井刑事の顔面を掴んで。


「ぎ、ぎゃああああああああ!?」

「うきゃきゃきゃ! うほっほーー!!」


 ぶちぶちと音を立てて引き抜かれる悪徳警官の脊髄――まるでオリンピック優勝者が掲げるトロフィーだ!

 言わばこの殺戮は霊長類最強種決定戦、人類代表たる悪徳警官・石井刑事の死によって死闘に決着がついたのである!

 しばらく石井刑事の脊髄トロフィーを振り回していたオランウータンは、やがて玩具に飽きたのか、そっとテーブルの上にそれを置いた。


「オランウータン様……」


 血まみれのオランウータンを見つめるノリコは、このまま自分も死ぬのだろうと思った。

 何故なら彼は殺戮オランウータン、常に人の血で化粧をするかぶき者の霊長類。

 一歩、二歩。

 近寄ってくるオランウータンの勇姿を目に焼き付けようとしていた少女は、予想に反して自分のすぐ横を通り過ぎる“彼”に気づいた。


「え……?」


 振り返るとオランウータンは頬の出っ張りフランジをとんとん、と指で突いて、自分のそれがまだ大きくないことをアピール。

 オランウータンの雄にとって、フランジの大きさは成熟した雄であることを示す重要なファクターだ。

 ノリコは納得した。


「……そう、あなたが一人前になるまで待っているわ……私の王子様……!」


 からんからん、とドアのベルが鳴る。

 ノリコに見送られ、オランウータンは風のように去って行った――出くわした通行人の生首を、気まぐれに引き千切りながら。









 死体だらけの喫茶店から外に出ると、街は赤く燃えていた。


「うわ、何これ、どうなってんの……?」


 そう言ってノリコの背後から現れたのは、彼女の親友ヨシコである。

 あの卑劣な汚職警官たちの銃撃の最中、いち早く死んだふりをして難を逃れていたのである。


「あのヒトは行ってしまったわ……」

「え、っていうかこの街終わりじゃない? 大丈夫?」

「私、もっと強くなるわ…オランウータン様に相応しい女になる……!」


 ヨシコは狂人の親友を見なかったことにした。オランウータンに相応しい女ってなんだよ、突っ込まない慈悲が彼女にも存在していたのである。

 しばらく周囲を見渡したあと、ヨシコは何事かに気づくと、喫茶店の奥からズルズルと死体を引っ張ってきた。

 この店の制服を着た店長である。

 子供のように小柄な彼の頭には、奇妙な継ぎ目が存在していて――そこを引っ張ると見事に化けの皮が剥がれた。


「チンパンジーだ……ゴムマスク被ったチンパンジー……この店の店長ってチンパンジーだったんだ……」


 ノリコは納得した。



「ああ、だからコーヒー不味かったのね……」



-了-

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