ポンペイの予知夢
高黄森哉
私、夢を見たの
「あっ!」と、私は真夜中なのに大声を上げてしまった。電気をつけると学習机に座る。とても怖い予知夢を見た。
予知夢。それは未来を予知する夢のことであり、大抵は、悪い運命を予見する。ありえないと思うかもしれないが、今日の体験からヒントを得て夢の中で明日をシミュレートするのは、ごく普通の生理現象だと心理学的に説明されている。私は、その演算が異常に鋭い。私の予知夢が外れたことは、生まれて一度もなかった。
私が予知した内容は鮮烈で、私の住んでる地域が、火山灰に呑まれてしまうといったものだった。佐藤君との登校中に火砕流に巻き込まれ、高温の中、私は灰になってしまう。そこにコンクリートが流しこまれ、噴火の犠牲者として展示される遠い未来まで見えた。
まず夢の理由を分析していく。これは自分を肯定するための分析であり、この工程なしには行動に移せない。そうだ、そういえば、社会の岡村が世界史の授業でポンペイの悲劇を解説していた。写真付きで見せられたのがショックで、海馬に深く刻まれたのかもしれない。さらに、睡眠中、地下深くで沸き起こるマグマの振動を感知したのだろうか。その振動、近くの山が活火山であるという知識、そして世界史の授業が組み合わさり、無意識に演繹的推論を組み立てたに違いない。
夜中にも関わらず、男友達の佐藤君に電話を掛けた。「もしもし」と訊くと、彼は眠そうな声で、今の時間を尋ねた。私は、夢の内容を必死に説明したが、寝ぼけてることを疑われ、遂には切られてしまった。とても心細い気持ちになった。
私は、誰一人、私の予知を信じてくれないであろうことを呪った。しかし同時に、どれだけ信用を獲得しても、この荒唐無稽な超能力を根拠に説得するには、足りないと悟った。それどころか自分までもを疑った。予知はひょっとすると外れるのではないか、過去の予知はデジャブによる錯覚だったのではないか、こんなふうに。それに予知が外れれば、火砕流に巻き込まれるより赤く高温に火照り苦しむことになるだろう。事なかれ主義者のブレーキ。だから、この予知能力は、私が信じているだけにすぎない荒唐無稽な幻想なのだと、自分に嘘を付いた。それは、とても都合がいい考え方だった。
大体、一晩でどうやってこの街を脱出するというのだ。家族をどう説得する。精神病院に連れてかれるのが関の山。それに私が生き残ったところで佐藤君は死ぬ。駆けつけるに彼の家はあまりにも遠すぎた。そしてそれでは意味がない。私は、私が解決しなくていい理由を積み上げていく。
今回の予知は外れる。今回は例外だ。それが正常性バイアスの賜物であることを薄々感じながらも、布団にもぐるしかなかった。精神を落ち着かせるため、明日の午後の小テストについて、頭の中で復習する。きっと死んでしまうから、受けなくてもよい小テストなのに、こんなに心配しているのは、我ながら不思議な感覚であった。
その夜、また夢を見た。予知夢じゃないごく普通の、筋だってない夢だ。私の町にポンペイの人々がいて、私は自分のことを棚に上げて「なんで噴火の予兆があったのにあなたたちは逃げなかったよ」と、石になった彼らを問い詰めた。すると「人間だからだよ。人間は自分の都合の悪いことは起こらないと信じてる」と、地響きの唸りが耳に届いた。その通りかもしれないと納得したら、心がすっと軽くなった。
朝がやってきて、目玉焼きを食べて、両親に最後になる、「行ってきます」を言うと、「珍しいわね」「行ってらっしゃい」と返ってきた。玄関を出ると鳩が鳴いて、塀からアマカエルが跳んで、空は真っ青に快晴で、ここがあと十分くらいで灼熱地獄に変わってしまうなんて、とてもじゃないが信じられなかった。信じたくもなかった。だから私は信じなかった。
交差点で佐藤君と合流する。佐藤君は、「昨日寝ぼけてたでしょ」と私をからかった。私はまんざらでもない様子で、「そうだけど、ぐっすり寝むれた」と虚勢を張った。彼は、「昨日は、寝れなかったや」、目をこする。そして、「こりゃあ、小テスト、駄目だな」と、笑ってみせた。私は、「世界史の小テスト、頑張らなくちゃ。そうだ」、なんて言って、リュックから世界史の教科書を取り出し、もうしなくていい午後の小テストの頁を読み上げ始めた。
ポンペイの予知夢 高黄森哉 @kamikawa2001
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