隣の部屋

中原恵一

隣の部屋

 俺は都内の大学に通う大学生だ。


 とは言っても勿論東大でも医大でもない、しがない私立だ。

 別に俺にとってそんなことはさして重要ではない。


 俺にしてみれば、ようやくあのうるさい両親から離れられたという解放感だけが、この数年間の待ち望んでいたことなのだ。


 しかし念願叶っていざ来てみて思ったのは、することがない、ということだった。

 これは結構切実だった。


 部屋に引き篭ってネトゲばかり、東京の方が電気屋もいっぱいあるし、買い物には良いのだが、これでは折角都会にやってきたのに忍びない。

 高校生の時とほとんど生活が変わっていない。


 まあでも、バイトもめんどくさいし、合コンやっても女の子と話しできる自信ないし、今のままでいいや。


 そのときの俺は、正直惰性に身を任せて、怠惰な生活を送ることしか頭になかった。


 しかし、最近の俺には、少し気になることがあった。

 それは自分が住んでいるアパートの一室から更に奥にある、隣の501号室のことだった。


 そこの部屋の住人はいささか不気味だった。

 部屋からほとんど出てこない挙句、何か異様なのだ。


 反対側に隣合っている部屋も大学生が利用しているのだが、そこは真夜中の三時になっても騒いだりしていることもある。

 大学生じゃサークルの関係もあるし、珍しいことでもないだろう。

 まあかく言う俺も、カラオケムード全開で、ロック音楽を大音量で歌って叱られたこともあるから、人のことは言えないのだが。


 しかしその部屋の住人も大学生のはずなのだ、少しぐらい騒いだっていいだろう。

 でも隣は俺の部屋なんかよりもよっぽど静かで、昼も夜も人が住んでいる気配すら感じさせない。


 更に奇妙なことは、隣の部屋のベランダだった。

 そこは俺の部屋のベランダから、一枚の板に仕切られて向こう側にあるのだが、一回だけ覗いて見たことがあったのだが、そのときの光景は忘れない。


 いつものようにパソコンで対戦をしていると、開けたままになっていた窓から何かひどい悪臭がしてきたのだ。


 最初はごみの回収車でも来たのかと思ってベランダに出たのだが、どうも違うらしい。

 匂いは隣の部屋からしてきているようなので、首をうんと仕切りのボードの外へ突き出して、覗いてみたのだ。


 そこに広がっていたのは、気味の悪い光景だった。

 大量に積み上げられた雑誌、干された儘何カ月も放置されたとみられる洗濯物。

 特に倒れた青色のポリバケツから飛び出した生ごみなどが散乱していて、その上にハエがたかっている様子は、見るに堪えなかった。


 俺は次の日、大家に苦情を言いに言った。


「なんとかしてくださいよ、あれじゃ臭くてたまらないんですよ」

「しかしそう言われてもねぇ」

「501号室に住んでるの誰なんですか? 今すぐ連絡取ってください。私が直接言いますから」

「ん〜」

 大家さんは一瞬指を顎にあてて考え事をしていたが、しばらくして俺を郵便受けのとことへ連れていった。

 すると、501号室のポストにはダイレクトメールや広告、新聞等が抜き取られないまま溢れんばかりに刺さっていた。

「都会じゃ珍しいことじゃないからねぇ」

 大家さんはそう言って、去って行った。


 これじゃダメだ。

 あの部屋の中にいる奴を引っ張り出して、謝らせてやろう。


 しかし俺は部屋に戻って、座イスに座った瞬間、ある恐怖に襲われた。

 いや待て、もしかしてあそこに住んでるの本当に人間なのか?

 ひょっとして、幽霊やなんかじゃないだろうな?


 俺は信じないぞ、そんなの。俺は強気になったが、夜の一人部屋でこんなことを考えているのは確かに怖かった。


 そういや前インターネットで、隣にある部屋で昔人が殺されていて、以来そこの部屋や隣に住んだ人間は気が狂うとかいう話し読んだなぁ。


 どうしよう、誰か相談できる人はいないか……

 と、思い立って彼は携帯をとったが、生憎東京に来てから友達は俺には一人もいなかった。


 自分で確かめるしかない、俺はベランダに出た。

 ここから外の柵につかまって歩いていけば、隣の部屋にベランダから侵入できるはずだ。

 俺は気合を入れてベランダの柵に足を掛けて乗り越えると、外側からしがみついた。


 ここは五階だ。流石に足がすくむ。

 俺は吹きすさぶ風を感じながら、震える足を隣の部屋のベランダへと進めていった。


 五分くらい経った後だっただろうか。俺は漸く隣のベランダの柵に辿りつくことに成功した。


 運動神経落ちたなぁと思いながら、俺は下を見ないようにして目の前にある窓ガラス越しに部屋の中を垣間見た。

 そこには、ゲームに熱中する気持ち悪いオタク風の男がいた。


 なんだよ、俺は拍子抜けして、そのまま横ばいに部屋へ戻ろうとした。

 すると、窓際の異変に気づいた男がこっちの方を向いた。


 マズい、気づかれた。

 俺は大急ぎで部屋に戻ろうとした。

 彼はどんどんこっちへと迫ってくる。急がないと、俺は不法侵入で捕まってしまう。

 しかし俺は焦るあまり手が滑って、五階から下へ転落してしまった。


 次の日死体で発見された俺は、自殺という扱いになっていた。

 あの男が自分の部屋の柵から人が転落して死んだ、なんて言わなかったからだ。

 警察が現場検証をしている横で、主婦と大家がこんな会話をしているとは、俺は想像もつかなかった。


「しかし何が起こるかわからないわね、怖いわぁ」

「そうですね」

「あの子、友達一人もいなかったんですってね。部屋からめったに出てこなかったそうじゃない」

「まあ、今時自殺する人間なんて多いですし、気にしてたらこっちが病んでしまいますよ」

「若い人ってホント、何なのかしら」

「さあねぇ、都会じゃ珍しいことじゃないからねぇ」

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隣の部屋 中原恵一 @nakaharakch2

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