裏切りの少女 ~病気の妹を人質に取られて、私は今日も、仲間を売る~
東紀まゆか
裏切りの少女 ~病気の妹を人質に取られて、私は今日も、仲間を売る~
べッドで苦しむ妹、ナミの姿を見るのが、ヒメは一番辛かった。
その次に辛いのは。
症状が和らいだ時、ナミが荒い息の下、自分に謝る時だった。
「ごめんね、お姉ちゃん。私のせいで」
「大丈夫だよ。ナミは何も心配しなくていいよ」
「でも、このサナトリウム、お金かかるでしょ?」
「お金の心配なんか、しなくていいんだよ」
嘘をつくのは、三番目に辛かった。
子供の頃に両親に死なれ、たった二人の姉妹で、ここまで生きて来たのに。
一年前、ナミは突然発病した。
原因不明の、謎の奇病。
魔法が発達したこのファニティ共和国でも治療法はなく。
サナトリウムでも、回復魔法を使って、病気の進行を遅らせるのがやっとだった。
内臓の一部が、突然、機能しなくなってしまうのだ。
どんなに苦しいだろう。
病室を出て、廊下を出口へと向かいながら、ヒメは妹の苦しみを思った。
出来る事なら、代わってあげたい……。。
その時。
全身を黒い服で包んだ、痩せた男とすれ違う。
すれ違いざまに男が言った。
「近々、極秘兵器〝轟龍の岩〟が東の砦まで運ばれる。そのルートを探り出せ」
「そっ、そんな高度な機密、無理です」
思わず言い返したヒメに、男は前を見たまま言った。。
「だったら、妹をここから放り出す。三日も持つまい」
それだけ言い残すと、男はコツ、コツと廊下を歩いていく、
その足音を聞きながら、ヒメは思った。
ナミの為に、やるしかない。
王都守備隊に勤務する者として……何十回目かの裏切りをするしかない。
一年前、ナミが発病した時。
途方に暮れた私の前に現れた、黒づくめの優しい人。
ナミをサナトリウムに入れてくれ、高額の治療費を払ってくれた。
妹が助かるかどうかだけを気にしていた私は。
彼の不自然な優しさに、気づかなかった。
彼は最初から知っていた。
私が王都守備隊の事務員である事を。
妹の延命の代償は。
仲間を売って、国を危機に陥れる事。
私は、裏切り者だ。
「今日も元気に王都の平和を守るぞ!はっはっは!」
王都守備隊のブリーフィング・ルームで。
妙にハイテンションで笑う筋骨隆々のボスに向かい。
前髪で顔を半分隠したヤサグレが、やる気無さそうに言った。
「ボス、今日ちょっと胃の具合が悪いんすよ。医者に行ってきていいすか」
「健康第一。行ってこい!はっはっは」
その会話に、少し幼く見える青年隊員が割って入る。
「ちょっとヤサグレさん。昨日は風邪で、一昨日は下痢じゃないすか。絶対サボりですよね」
「うるせぇよマジメ。俺は病弱なんだよ」
言い争うヤサグレとマジメの頭を帳簿ではたき、少しキツイ感じのお姉さんが吐き捨てる様に言った。
「はいはい野郎ども。経費精算を今日中にしないと、旅費も接待費も自腹で払ってもらうよ」
「そんなに自腹切ったら、破産しちまうよアネゴ!」
「だったら、さっさと清算しな。あんたらの汚い字と、間違いだらけの計算で、経理部に怒られるのは私たちなんだから。ねっ、ヒメちゃん」
そう言うとアネゴは、男どもへの態度とは正反対に、優しくヒメに笑いかけた。
「え、えぇ……」
王都守備隊、第三支部の事務員。
最前線で国を守る戦士たちのバックオフィス。
それがヒメの仕事だった。
「ヒメちゃん元気ないね?何か悩んでる?」
アネゴの問いに、ヒメは力なく答える。
「なんでもない……です……」
私、この人たちを、ずっと裏切ってるんだ……。
「私、経理に伝票を貰いに行ってきますね」
部屋を出たヒメを、マジメが追いかけて来た。
「あ、ヒメちゃん」
「何か経理に届けますか?マジメさん」
「いや、その、仕事じゃないんだ」
モジモジしながら、マジメは言った。
「東の砦に行く途中に、湖があるんだ。凄く景色が綺麗なんだ」
「えぇ、知ってます」
有名なデートスポットですよね、と言いかけて、ヒメは言葉を飲み込んだ。
「それでさ。もしよかったら、今度の休みに行かない?」
「ごめんなさい、私、病気の妹の世話をしないと」
頭を下げるヒメに、マジメは慌てて言った。
「そうだよね。都合も考えずにごめんね」
ナミの世話の他に、ヒメには断る理由があった。
マジメは好青年だ。休み時間など、ふとした時に交わす会話も面白い。
でも、皆を裏切ってる私には。
男の子とデートするなんて、普通の女の子の楽しみは許されないんだ。
「まぁどうせ、湖は今度の任務で見られるし」
マジメの言葉に、ヒメはギョッとした。
「東の砦にある超兵器、轟龍砲。あれのエネルギー源の〝轟龍の岩〟を、僕らが運ぶんだよ」
ダメだよ、マジメさん。そんな重要な機密を。
「当日は、人数の多い大部隊が山中のルートを行くけど、それは囮。少人数で目立たない僕たちが、湖側を通って〝轟龍の岩〟を運ぶんだ」
裏切者の私の前で喋っちゃ……。
「あれ?どうしたのヒメちゃん。顔色が悪いよ」
「な、何でもないです。私、妹の所に行かなきゃ!」
「なるほど、山中を囮部隊に行かせて、本命は観光ルートを少人数で行くか。考えたな」
街はずれにある廃屋で。
ヒメの情報を聞いた、黒づくめの男……。
このファニティ共和国と冷戦状態にある、隣国デルドランド皇国の諜報員ファングは言った。
「よく聞き出した。東の砦の轟龍砲は、我が国に取って脅威だ。そのエネルギー源を断てば、わが国は優位に立てる。よくやった。妹の治療は続けてやる」
「あっ、あのっ」
密会の場から立ち去ろうとするファングにヒメは言った。
「お願いです!守備隊の皆さんを殺さないで下さい」
踵を返すと、ファングは無表情のまま、ヒメの顎を掴んだ。
「貴様は、何だ?」
「え?」
次の瞬間。
頬を叩かれて、ヒメは床に倒れていた。
「おっと、顔に痕を残しては、連中に気づかれるか」
ガッ、ガッ、と革のブーツで倒れたヒメの体を踏みつけながら、ファングは言った。
「貴様は俺の道具だ!黙って従っていればいいんだ」
自分を蹴るファングの足に縋りつき、ヒメは懇願した。
「お願いです……。皆を……守備隊の人たちを殺さないで下さい」
容赦なくその顔を蹴り飛ばすと、ファングは言った。
「妹がどうなってもいいのか?」
その言葉に、ヒメは動きを止めた。
「お前は私の言葉通りに動けばいいのだ。二度と余計な事を言うな」
ヒメに背を向け、廃屋を出ながらファングは思った。
この任務が終わり、王都守備隊を壊滅させたら。この女、娼館にでも売り払うか。
埃っぽい廃屋に、一人残されたヒメは。
鼻血を流し、横たわったまま、打ちひしがれていた。
もう死にたい……。
でも、私が死んだら、ナミは……。
私には、死ぬことも赦されない。
一人ぼっちの廃屋で、ヒメは声を押し殺して泣いた。
「〝轟龍の岩〟って、意外とデカいんすね」
馬車の荷台に乗った、大きな木箱を見て、マジメが言った。
「今回の任務は、極秘につき最小人数で行うぞ。はっはっは」
ボスの言葉に、いつもの様に、ヤサグレが手を挙げた。
「あ、ボス。俺、親戚のおばさんが危篤で」
「ちょっとヤサグレさん!あんた何人、おばさんが死んでんですか!」
「おばさんの所に行ってやれ。代わりにアネゴとヒメちゃん、行くか」
その言葉に、ヒメはドキッとした。
「綺麗な森の中をピクニックに行く様なものだ。湖の近くも通るしな。はっはっは」
嫌な汗をかきながら、ヒメは思った。
ダメ!
その森で、敵が待ち受けている!
ヒメは決意した。
こうなったら敵が襲撃してくる前に、皆を止めるしかない。
ファングの襲撃は、ヒメの予想より早かった。
人目につくのを恐れたのだろう。湖にたどり着く前の谷で、いきなり襲われた。
「ぐわっ!」
攻撃魔法で爆炎が上がり、〝轟龍の岩〟を積んだ荷台の車輪が外れる。
乗っていた隊員たちは地に投げだされ、馬車は半壊し、馬は逃げてしまった。
岩陰に隠れながら攻撃魔法を放つ敵兵たちを見て、ボスが叫んだ。
「デルドランド皇国の者だな?外交上の問題になるぞ?」
敵兵を率いるファングが答えた。
「ここでお前らを全員消せば、誰の仕業かはわかるまい!」
それを聞いたヒメは、思わず飛び出して叫んだ。
「止めて!お願い!皆を助けて!」
「ヒメちゃん?」
「あぶないよ、ヒメちゃん」
ファングは攻撃を止めるよう部下に合図すると、楽し気にヒメに言った。
「これはこれは、今回の殊勲賞の登場だ」
「え……」
ヒメが最も言われたくない言葉……。王都守備隊の仲間に聞かれたくない言葉を、ファングは言った。
「お前が私に流した情報通り、ここで待ち伏せていたぞ!我が忠実な愛犬よ!」
その言葉を聞き、マジメが叫んだ。
「ヒメちゃん、俺たちの事を、敵に売ったのか!」
思わずヒメは、両手で耳を覆った。
お願い、止めて!
ヨロヨロと立ち上がりながら、アネゴも言う。
「ずっと私たちの情報を、そいつに流してたのね……」
やめて、ごめんなさい、赦して。
今まで家族の様に接してくれた、皆をこんな目に合わせて。
ヒメは出発前に、ボスに渡された、腰の小刀に手を伸ばした。
私、もう、死ぬしかない。
ごめん、ナミ。
お姉ちゃん、もう、ナミに会えない……。
ヒメは泣きながら言った。
「私、許されない事をしたけど……。皆さんの事が大好きでした……」
その時。
立ち上がって体に付いた砂を払うと、ボスが静かに言った。
「俺たちも君が大好きだよ、ヒメちゃん」
次の瞬間。
馬車の荷台に積んでいた木箱……秘密兵器〝轟龍の岩〟が入っているはずの大きな箱が、パカッ、と開いたかと思うと。
中から武装した兵士が十数人、出て来た。
「な、なんだと?」
戸惑うファングと敵兵たちに向かい。
仁王立ちして腕組みすると、ボスは言った。
「ここ数か月、ヒメちゃんの様子がおかしいので、徹底して身辺を調査した。貴様が病気の妹を利用し、ヒメちゃんを苦しめていた事は、お見通しだ」
「くそっ、でもこの数なら、まだ我々の方が優勢だ!」
「そうでもないぜぃ」
聞こえて来た声に顔を上げると。
一同がいる谷を見下ろす高台に、矢を弓につがえたニンジャ軍団がいた。
ニンジャの一人が覆面を外す。
「ヤサグレさん!」
「ヒメちゃんの妹は、もうサナトリウムから助け出したぜぃ」
ファングを顎でさすと、ヤサグレは言った。
「こいつ、とんでもねぇ悪党だぜ。自分の魔法でヒメちゃんの妹を病気にしといて、治してるふりしてやがった。こいつさえいなくなれば、妹さんは治るぜ」
ナミが治る!
その言葉が信じられないヒメとは対照的に、ファングは愕然とした。
「まさか……わざと輸送ルートを漏らして、我々を、ここに誘き寄せたのか?」
「はっはっはっ。君は性格は悪いが、カンはいいな」
ボスの言葉が終わる前に。
アネゴが風の様に走り出て、ファングの急所を力いっぱい蹴り上げた。
「これは、毎日ヒメちゃんが苦しんでるのを見ながら、何もできなかった私の分!」
男の急所を蹴られた激痛に、ファングがうずくまる。
ファングがやられても、敵兵たちは荷台から出て来た兵士と、谷の上から弓を構えるニンジャ軍団の牽制で、動けなかった。
続いて、マジメがファングに殴り掛かった。
「これは、悩んでるヒメちゃんに、嘘の情報を教えなきゃいけなかった、僕の分だぁっ!」
マジメに殴られ、地に倒れたファングの顔の前に。
高台から飛び降りてきたヤサグレの足が踏み下ろされる。
「あんたのおかげで、サナトリウムに調査に行く事が多くなって、俺の仕事は楽になったんだ」
飄々とした口調で、ヤサグレは言った。
「でも、見ちまったんだ。ヒメちゃんの妹が、どんだけ苦しんでるかを。俺もロクな人間じゃないけど……てめぇはクズだ!」
ヤサグレに顔を蹴られ、ファングが吹っ飛ぶのと同時に。
王都警備兵と、ニンジャ軍団が、敵兵たちに襲い掛かり、これを制圧した。
殴られ、蹴られ、息も絶え絶えになったファングを見て、ボスは笑った。
「はっはっは。俺も殴ろうと思っていたが、もう必要ない様だな。ヒメちゃん、何かこいつに言う事はあるか?」
ヒメはしばらく、助けを乞う様な視線を自分に向けるファングを見つめていたが。
彼を指さすと、感情の無い声で言った。
「私が『お願いだから皆さんを助けて』と言ったら、殴られて蹴られて踏みつけられました」
「はっはっは。それはやはり、私も殴らねばいかんなぁ」
「ひぃい、お助けを!」
その日、一番大きなパンチの音が、大空に響き渡った。
裏切りの少女 ~病気の妹を人質に取られて、私は今日も、仲間を売る~ 東紀まゆか @TOHKI9865
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