第4話

――結婚式前日の深夜。


「偉大なる海の魔女よ。私の願いを聞き届けて……」

跪き祈りを捧げるように手を合わせながら、海に向かって呼び掛けた。


リリアの姉達の会話で、海の中に魔女が住んでいることを知った。

対価を払えば、どんな願いも叶えてくれることも。


暫くすると……

「人間の姫よ。お前は何を対価にして何を望むんだい?」

黒いローブを身に纏った老婆が海の上に現れた。


……この老婆が……魔女?

私はゴクリと唾を飲み込んだ。


緊張のせいで身体が震えそうだが……願いを叶えるためならば、私は悪魔とだって契約を結ぶ。――覚悟は既にできている。


「私の望みは二つあります」

魔女に向かって二本の指を立てると、魔女は楽しそうな顔で瞳を細めた。


「先ず一つ目は『記憶を消す薬』を。二つ目は『人魚になる薬』。この二つの薬を私に下さい」


『記憶を消す薬』はリリアに使う。

王子殺してリリアを人魚に戻した後に、人間界での出来事を忘れさせる為に飲ませる。


もう一つの『人魚になる薬』は、自分自身の為のもの。人間であることを捨て、リリアと一緒に生きる為のもの……。


「二つとは……人間は相変わらず強欲だねえ」

魔女はヒッヒッヒとシワ枯れた声で笑った。


「……できませんか?」

「いや、できるよ。人魚姫は人間の足を手に入れるために、美しい声を対価に差し出した。そうして手に入れた足も歩く度に激痛を伴うものだったが……あの子はそれでも人間の王子様への愛を選んだ」


声を失っていたのは分かっていたが……まさか、歩く度に激痛を味わっていることまでは気が付かなかった。

そらは、リリアが誰にも気付かれないように注意していたからだ……。


「まあ、あの子の愛は王子には伝わらなかったようだがね」


知らない内に親指の爪を噛んでいた。

……このモヤモヤとする感情はだ。リリアの心を容易く奪った王子への……嫉妬。


こんなに愛しているのに……。


「『この恋が叶わないのならせめて王子様を想いながら泡になりたい』――これが人魚姫の最後の願いだ。記憶を消す薬を使ってそれさえも奪おうとしているのが、まさか王子に選ばれた人間の姫とは……実に強欲だ」

「…………」

「おや?私が色々と知っているのが、そんなに不思議かい?」

魔女はニヤリと口元を歪ませた。


――海底に住む魔女の底知れなさを感じ、ゾクリと悪寒が全身を走り抜けた。


だけど………ここでは退けない。

握り締めた拳に力を込める。


逃げるな。怯むな。全ての望みを叶えるために。


「人間の姫よ。お前のもまた立派な愛の一つだ。対価を払えるなら叶えてあげようじゃないか」


ニイッと瞳を細めた魔女は、どこからともなく取り出したの瓶を私に差し出した――――。


****


「ねえ、マリーは海の上に行ったことがある?私は十五歳の誕生日に行ったわ。とても素敵な所だった。そこで私は…………」

ふっとリリアの瞳が翳った。


「……なんだったかしら?凄く大切なことを忘れている気がするのだけど」

「……!」

私は想わず縋り付くようにしてリリアの腕を掴んだ。


「どうしたの?」

キョトンと瞳を丸くしながら首を傾げるリリアに『何でもない』と言うように、私は首をブンブンと左右に振った。


「ふふっ。おかしなマリー。……でも、ちっとも思い出せないのだから、きっと私の気のせいね。それよりも、約束していた私のお気に入りの場所をあなたに教えないと!」

リリアはニコリと笑うと、私の手を握った。


私は大きく頷きながらリリアの手を強く握った。


――あの夜。

私が魔女に払った対価は、人魚姫が選んだのと同じ『声』。

代わりに手に入れた尾びれは、動かす度に針を刺されたような痛みが走るけど……。


「さあ!しゅっぱーつ!」


リリアを失うことに比べたら些末なことだ。

鈍感な王子様に人魚姫は渡さない。


――愛しい人魚姫リリアはずっと私の物だから……。



*****


「ヒヒヒッ。人間は本当に強欲だねぇ」

魔女は縦に長く大きい水槽に手を当てながらニヤリと口角を上げた。


すると、老婆のようだった魔女は、一瞬で美しく妖艶な女性の姿に変わった。


魔女の見つめる水槽の中には、人魚姫のリリアと、人間から人魚に変わったマリーの姿がある。


「人間の姫の願いは、『ずっと人魚姫と一緒にいたい。私だけを見ていて欲しい』――だったかしら? 叶った気分はどう?」


――固く繋がれた手と開かない瞳。


「あなたはここで永遠に覚めない夢を人魚姫と共に見続ける。……そして、私は欲しかった物を手に入れた」


魔女はうっとりと頬を染めながら、水槽に身体を凭れかからせた。


「……ああ、美しい。綺麗な人魚のコレクションが増えたわ。それも二体も同時に……」

そのまま水槽に頬擦りする。


「あなた達はきっと、私の生涯の最高傑作になるわ」


チラリと視線を逸らした魔女の背後には、沢山の水槽。


――そこには美しい人魚が並べられていた。


「ふふふっ。これだから海の魔女は止められない」

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泡沫の恋~もう一つの人魚姫の物語~ ゆなか @yunamayo

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