第3話

ずっと夢見ていたの。

あの日に出会った人魚姫あなたに、もう一度会えることを……。


****


は、アイリス。

とある国の第二王女として生まれた。

花嫁修業の一環として、物心がつく前に両親の元から離され、修道院で生活をしていた。


修道院での生活は【花嫁修業】とは名ばかりの監視付きの窮屈なものだった。

修道院には私と同じ境遇の他国のお姫様や、訳ありの令嬢達がいた。


頭から足の先まで紺色の地味な修道服に身を包み、露出が許されるのは顔の部分だけという制限された装い。

その顔すらもベールで覆われているお姫様がいたが、どんな事情でそうなったのか……その理由を聞いてみたくても、会話さえも自由にさせてくれないという徹底ぶりで、結局、そのお姫様が修道院を去る前に知ることはできなかった。


――私達は自分達の意思とは関係なく、誰かに命じられるがままに嫁がねばならぬ身。

余計な知識や感情は要らぬと、俗世から隔絶されて生きていた。


そんな牢獄のような生活の中にも一つだけ楽しみがあった。それは読書の時間だ。

幼子が好むような絵本しか与えられなかったが……私が特にお気に入りだったのは『人魚』が出てくるお話だった。


広い海の中を自由に泳ぐ人魚達のなんと羨ましいことか。


私のいた修道院は、海の近くに建てられており、この海には古くから人魚が住んでいるという言い伝えがあった為に、人魚にまつわる絵本が多く置かれていた。


……人魚のように、全てのしがらみから解き放たれて海に溶け込んでしまいたい。

そう、何度思ったことか。


私の人魚に対する憧れは、年々強まっていった。




――そして、運命の出会いが訪れる。


この日の夜は酷い嵐だった。

古い修道院内では、あちこちで雨漏りがしていて、私達はバケツを持って一晩中、右往左往していた。

嵐が収まったのは夜明け前で、修道院の皆は疲れ果てて誰もがぐっすりと眠ってしまっていた。――私一人を除いて。


シーンと静まり反る中。

ふと誰かに呼ばれた気がした私は、近くにあった外套を羽織って修道院の入口に向かった。


「……え?」

いつも修道院の入口で厳しい目を光らせている警備兵ですら眠ってしまっていた。

これ幸いにと、こっそり外に出た私はそのまま浜辺を目指した。


まだ少し荒い波音を聞きながら歩いていると、地平線の彼方から太陽が少しずつ登っていくのが見えた。


「うわー……」

目映い光がどんどん登っていく。


今、この美しい光景を見ているのが自分だけだと思うと、胸がわくわくした。


このまま自由になれたなら……。


そう思いながら海の方に足を進めようとした私は、咄嗟に近くにあった木陰に身を潜ませた。――浜辺に人の姿が見えたからだ。


せっかく外に出れたのに誰かに見つかって、早々に連れ戻されたくはない。

私は気付かれないようにそっと覗き見た。


だけどそこにいたのは、修道院の関係者ではなかった。

砂浜に寝転がっている男性と、もう一人、女の子……?


二人をまじまじと見ていた私は、とあることに気付いた。


女の子には足がなく、代わりに魚のような尾びれがあることに。


……息が止まるかと思った。


太陽の光を浴びて輝く金色の髪と、虹色に反射する尾びれを持つ美しい人魚。


ずっと憧れていた人魚が、すぐ近くにいるのだ。

今にも駆け出したい気持ちを堪えながら、二人の様子を見守った。


人魚は浜辺に寝転んでいる男性の心臓に耳を当てたり、呼吸を確認したりと、必死に介抱しているように見えた。

よく見れば男性は、動かずにぐったりと横たわっている。先ほどの嵐で溺れたのかもしれない。


助けてあげたいが、私が急に現れたりしたら、あの人魚はきっと海に帰ってしまう。


躊躇している私の耳に、

「良かった……」

鈴を転がしたような愛らしい声が響いた。

そして人魚はポロリと一粒の涙を流した。


……ああ。何もかもが綺麗だ。

ほうっと見惚れていると、倒れていた男性が僅かに身動いだ。

どうやら無事だったようだ。


人魚はビクリと小さく身体を震わせた。


あっ……。

慌てて駆け出した時には遅かった。

人魚は一人、広い海の中に戻ってしまった。


身動ぎした男性を恨めしく思いつつも、あの人魚が助けようとした命を無駄にはできないと、男性を助ける為に、修道院に助けを呼びに戻った。


その時の男性が、この国の王子様であることを聞かされたのは後日だった。

嵐に巻き込まれて船から落ちたそうだ。



この一件の後、私は自国に戻された。

嫁ぎ先が決まった為に呼び戻されたのだ。


あの人魚のことが、とても気がかりだったが、力を持たない一国の姫であよ私にできることは少ない。


……もう二度と会えないのだと、国に帰る最中から何度も泣いた。


――しかし、運命はまた動いた。


嫁ぐ為の準備を終えて向かったのは、人魚のいるあの国だったのだ。

しかも結婚相手は、あの時に人魚が助けた王子様。


改めて対面した王子は、あの夜に自分を助けたのを私だと勘違いをしているようで、とても歓迎してくれた。


……そして、その王子の側にはがいた。


虹色の綺麗な尾びれは人間の足に変わり、鈴を転がしたような愛らしい声を失ってしまっていたが……間違いない。

何らかの方法で人間の姿を手に入れ……王子に会いにきたのだろう。


だか、彼女がこんなに分かり易く恋心を示しているのに、肝心の王子は気付く素振りもない。

ただただ無責任に、妹のように可愛がっていた。


人魚あのこが王子のものにならないのは嬉しいが……これではあまりにも彼女が不憫だ。


彼女こそが恩人なのだと、どうにかして話をしようとしたが……『助けたのは自分じゃないなんて、君はなんて健気なんだ』と、王子は全く話を聞いてくれず、気付けば結婚式が目前に迫っていた。


……私は彼女の不幸を望んではいないのに。



――深夜。

誰かの話し声で目が覚めた。


そっと寝室のドアを開けて廊下に出ると、話し声が海に面した彼女の部屋から聞こえ漏れていることが分かった。


気配を殺してそっと耳を澄ませると……


「結婚式の夜までに王子を短剣で刺してその血を足に浴びなさい」

「そうすればあなたは人魚に戻れるわ」

「泡となって消える前に王子を殺すのよ」

「私達の可愛い妹。お願いよ」

複数人の悲しそうな女性の声が聞こえた。


会話の内容から察するに、彼女のお姉さん達のようだ。


お姉さん達の話で分かったのは、人魚の名前が『リリア』だということと、王子を刺して血を浴びないと『泡になって消えてしまう』ことだった。


人間の足を手に入れる対価がそんなにも厳しいものだったなんて……。

王子様を愛している人魚リリアには不可能だろう。

優し過ぎる彼女には絶対に無理だ。



その夜から何夜もリリアの姉達はやって来たが……説得は上手くいかないようだった。


私という存在がいるからリリアは王子様とは結ばれない。

……分かっているが、私はリリアを愛してしまったのだ。……王子には渡したくない。

私とずっと一緒にいて欲しい。

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