第2話
海の中に戻ったリリアが思い出すのは、あの日に出会った王子様のことばかり。
……人間になりたい。
人間になって王子様と結ばれたい。
日に日に王子への思いは強くなります。
思い悩んだ末にリリアは、海の底の洞窟に住んでいる魔女に相談してみることに決めました。
「ああ、よく来たね。待っていたよ」
魔女はリリアが訪ねて来ることも、リリアが何を望んでいるのかも、何故か全部知っていました。
「お前の美しい声と引き換えに足をやろう。だが、歩く度に得も知れぬ激痛が伴い、王子から愛してもらえなければ、海の泡となって消える。それでも良いかい?」
このまま海の中で暮らしていても、王子様に二度と会えないのなら、死んでいるのと変わらない。何かできるのなら試してみたい。
決心したリリアは、魔女から貰った薬を一気に飲み干しました。
――いつの間にか気を失ってしまっていたリリアは、気付けばお城の一室に寝かされていました。
目の前には、恋い焦がれた王子様。
砂浜で倒れていたリリアを見つけた王子が、お城に連れて来てくれたと言うのです。
言葉を話せないリリアを不憫に思った王子は、リリアを側に置いて可愛がってくれるようになりました。
だけど王子は、あの時に駆け寄って来た修道女が、自分のことを助けてくれた恩人だと勘違いをしていたのです。
あの時に王子様を助けたのは私なのに……。
そんな中、王子に隣国のお姫様との結婚話が持ち込まれました。
はじめは気乗りしていなかった王子でしたが、相手のお姫様が自分を助けてくれたと勘違いしている修道女だと知ると、喜んで結婚を受け入れました。
お姫様は花嫁修業の為に修道院に入っていたのです。
結婚式を数日後に控えた夜。
海を眺めながら悲しみに打ちひしがれるリリアの元に、姉達がやって来ました。
姉達は赤く光る短剣をリリアに渡します。
「結婚式の夜までにこれで王子を刺すのよ。その血を足に浴びれば人魚に戻れるわ」
姉の言葉に、話せないリリアは、必死に首を左右に振ります。
「いいえ、やるのよ。……そうでないとあなたは泡になって消えてしまう」
短剣を返そうとするリリアの手を姉達が震える手で握り締めます。
その時に、リリアは姉達の自慢の髪が短くなっていることに気付きました。
姉達はこのまま泡となって消えてしまう妹を救いたいと、自分達が大切にしていた髪を対価にして、魔女から短剣を貰ったのです。
姉様達にそこまでさせてしまったという罪悪感と未だに残る王子への恋慕。
リリアは短剣を握り締めたまま、泣き崩れました。
その夜から毎日姉達がやって来てはリリアを説得しましたが、リリアは何もすることが出来ませんでした。
――そうして迎えた結婚式当日。
沢山の人々に祝われる王子様と綺麗なお姫様。
リリアは心の中では泣きながらも、二人を笑顔で祝福しました。
本当ならば王子様の横に立っていたのは私だったかもしれないのに……。
……あの時に王子様の命を助けたのは私なのだから、王子様の命を奪う権利もあるわ。
深夜。
リリアは短剣を握り締め、王子達の寝室に潜り込みました。
幸せそうな顔で眠る王子様とお姫様。
愛しくて、憎らしい王子様。
貴方が私に気付いてくれないから!
私を愛してくれないから……こうするしかないのよ!!
リリアは王子めがけて短剣を振り上げました。
――しかし、その短剣を振り下ろすことはできませんでした。
王子は最後までリリアを可愛がってくれたのです。
『君はもう私の妹なのだから、自分達が結婚しても、気にせず今まで通りに城で暮らしてくれ』と、言葉を話せないリリアを気遣ってくれたのです。
……私にはこの人を殺せない。
力の抜けたリリアの手から短剣が滑り落ちました。
だって……彼を心から愛してしまったのだもの。
私にできることは王子様の幸せを願いながら消えることだけ。
お姉様達ごめんなさい……。
リリアが海に身を投げようと手すりを掴んだ瞬間。
背後からガタガタッという争うような大きな音が聞こえました。
音が聞こえたのは王子達の寝室の方。
……何?どうしたの?何の音?
思わずリリアの身体は強張りました。
キィィー。
まるでスローモーションのようにゆっくりと開かれる寝室のドアから、リリアは目が離せませんでした。
そうして、寝室から現れたのは――お姫様でした。
その手には黒いものが
サビのようなツンと鼻をつくような独特の匂いがお姫様からしました。
……これは……血の匂い?
私が落とした剣でケガをしたの?
慌ててお姫様の元に駆け寄ったリリアは、お姫様の様子をくまなく確認しますが、どこも痛がる様子がありません。
「心配しなくても大丈夫よ」
綺麗な微笑みを浮かべるお姫様は、持っている短剣の先をリリアに向けました。
「だって。これは私の血じゃないもの」
――滴り落ちる血がリリアの足に触れた瞬間。
フラりとバランスを崩したリリアは、その場に倒れ込みました。
「……え?どうして…………って、……声が出て……!?」
倒れたことに驚いただけでなく、久し振りに聞く自分の声にもリリアは驚きました。
リリアの声は人間の足を手に入れることと引き換えに失ったからです。
意味が分かりませんでした。
失ったはずの声が戻り……尾びれまで元に戻るなんて……そんなの……。
お姫様は赤く光る短剣から滴り落ちる血を自分の血ではないと言いました。
だったらこの血は…………誰のもの?
『これで王子を刺してその血を足に浴びれば人魚に戻れるわ』
リリアの頭の中に、お姉様達の声が甦りました。
……まさか!?
自由に陸を歩くことが叶わなくなったリリアは、代わりに両腕を必死に動かして、這うようにしながら寝室の中に入りました。
「……王子様!?」
むせ返るような血の匂いが漂う中。
そこでリリアが目にしたのは――胸から血を流しながら絶命した王子様の姿でした。
つい先ほどまで幸せそうな顔で眠っていたはずなのに、何度もリリアが呼び掛けても、冷たくなってしまった王子はもう二度と目を開けてくれることはありませんでした。
「どうして……、どうして!あなたがこんなことを……!?」
王子様には私の分まで幸せになって欲しかったのに……。
私が短剣を落として行ってしまったから?……そうなの?
「あなたは王子様に愛されていたのでしょう……?」
リリアは王子にすがり付いて泣きじゃくりながら、お姫様を睨み付けます。
「王子様に愛されていた……ね」
お姫様の顔は嘲気笑うように歪みました。
「そんなの、ちっともうれしくないわ。私が愛しているのは人魚姫だもの」
ズイッとリリアに近付いたお姫様は、恋する少女のようなうっとりとした微笑みをリリアに向けてきます。
「……何を言っているのですか?」
「ねえ……逃げないで?」
得も知れぬ恐怖に後退りをしたリリアの頬をお姫様が掴みます。
「鈴を転がしたような可愛らしい声と虹色の綺麗な鱗。そんな大切な物を失ってでも、恋した王子様に会うために地上に出て来た健気な人魚姫。あなたに気付かない王子様なんて、死ねば良いのよ」
ニッコリ微笑んだお姫様は、リリアの口の中に瓶に入った液体を強引に流し込みました。
「何を……!?」
無理矢理に液体を飲み込まされたリリアの意識が次第に暗く沈んでいきます。
「あなたは幸せになるのよ。……私の側で永遠に、ね」
お姫様は眠ってしまったリリアを優しく抱き締めながら、自らもまた瓶に入った液体を飲み干しました。
「大好きよ」
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