番外編
「これは一体何なんですの?」
離宮にある中でも比較的小さな厨房で、レンガの壁や
隣ではしょんぼりと肩を落としたダミアンに、しょっぱい顔をした料理長。それにメイドたちが揃えたように困った顔でこちらを見ている。
「パ、パ、パンケーキを作ろうと思ったんだ……」
少しつっかえながらダミアンがぼそぼそと言う。最近の彼は専門療法の甲斐あって、レイチェル相手なら手帳なしでもなんとか喋れるようになっていた。
「パンケーキを?」
「ふ、普通のケーキよりは、か、簡単だと聞いて……」
ダミアンが委縮していると、料理人がおずおずと「妃殿下」と進み出る。
「恐れながら、ダミアン殿下は妃殿下に喜んでほしかったようで……。けれども殿下を厨房に立たせてしまうなど不敬の極み。わたくし、今日をもって職を辞させて頂きたく……!」
「ちょ、ちょっとまって! あなたが責任をとる必要なんてないわ。わたくしだって厨房に立つし、ダミアンだって料理を覚えるのはとてもいいことよ」
料理長が早まらないよう制してから、レイチェルはもう一度フライパンを覗き込んだ。
「……こっちは残念だけどもうあきらめるしかなさそうですわね。もはや炭って感じだもの。捨ててしまってもよろしくて?」
確認すると、ダミアンがこくこくうなずく。使用人たちが急いで炭ボールを片付けているうちに、レイチェルは腕をまくりあげた。
「失敗は誰にでもありますわ。それよりダミアンさま、気を取り直して今度はわたくしと一緒に作りませんこと?」
にっこりと微笑むレイチェルに、ダミアンが目を丸くする。
「一緒に? で、でもそれじゃ、サプライズにならない……」
「あら。わたくしはもう十分いただきましてよ。炭化した丸いパンケーキなんて初めて見ましたもの」
「そ、そういう意味では」
ぬっと下唇を突き出したダミアンを見てレイチェルが笑う。不満がある時特有の癖は、まだまだ治りそうにないらしい。
「いいんですのよ。サプライズは気持ちが大事。それにわたくし、純粋にダミアンさまと一緒にお料理してみたいわ」
「君と一緒に?」
「ええ。それなら料理長の手も煩わせないし、何より楽しいじゃない。……だめかしら?」
言って、いたずらっぽく見上げる。とたんにダミアンがぐぅと言葉を詰まらせた。
「き、君はずるいなあ……。僕が断れないって、知ってるくせに」
ぷいと顔を逸らして答える彼に、レイチェルはうふふと笑った。それからうきうきと、二人分のエプロンを手にとる。一枚は自分に。もう一枚はダミアンに。
「では、わたくしはメレンゲを作りますわ。ダミアンさまを下地を作ってくださる? 混ぜすぎには気を付けてくださいましね。さらさらじゃなくて、ボテッとしてるぐらいがちょうどいいですわ」
卵に小麦粉、お砂糖、それに膨らし粉。
用意した材料の中から最初に卵をいくつか手に取ると、レイチェルはボウルの角でカシャカシャッと卵を割った。そのまま素早く黄身と白身をわけ、黄身の入ったボウルをダミアンに差し出す。
以前よりずっと男らしく角ばってきた手で、エプロンをつけたダミアンがせっせと泡だて器でかき混ぜた。その間に、レイチェルも手元のボウルに白身を入れる。
まずは手早くかき混ぜ、泡立ってきたところで一回目の砂糖を投入。それからすぐにシャカシャカと手を動かし、泡が細かくなったのを確認したら二回目の砂糖。やがて全体がとろりとクリーミーになってきたところで、最後の砂糖を入れる。
そうしているうちに、ツンと弾力のあるツノが立った淡雪のようなメレンゲが姿を現した。
「できたよ」
声に釣られてダミアンを見れば、彼の方も完成したらしい。あたたかなお日様を思わせる、まろやかな色の生地が程よい固さでまとまっていた。
「ばっちりですわね。じゃあわたくしのメレンゲと、ダミアンさまの生地を合体させましょう」
そう言うとレイチェルはへらでメレンゲをすくい、生地の中に落とし込んだ。それから優しくさっくりと全体を混ぜれば準備完了だ。
あらかじめ火であぶっておいたフライパンを一度、濡れ布巾の上におろす。ジュッ! という音とともに、蒸気がもわっと上がった。ダミアンが慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫かい!? 火傷は!?」
「大丈夫ですわ。取っ手にも濡れ布巾を巻いてありますもの」
そうしてフライパンが程よい温度になったところで、再び火の上に戻してバターを落とす。じわじわと溶けたバターの香ばしい匂いが、あたりに漂ってくる。
「まずはわたくしが最初に作りますわ。ダミアンさまはよく見ていてくださいませ」
言いながら、レイチェルはおたまに生地をすくい上げた。隣ではダミアンが、塵の一つも見逃すまいと真剣な目で覗き込んでいる。
その様子にもう一度ふふっと笑ってから、レイチェルはとろぉりとクリーム色の生地を落とし込んでいった。丸い生地はフライパンの中でうっすら厚みを持ち、まるで満月のよう。あたためられた生地から、ふんわりと甘い匂いが立ち上る。
そのままダミアンが固唾を呑んで見守っていると、ごくごく弱火で膨らみ始めた生地に、ぷく、と泡が浮かんだ。かと思うと、ぷくぷくと、いくつもの泡が浮かんでは消えていく。
「泡が出てきたら、そろそろですわ。すぐにひっくり返したくなりますが、もうちょっとだけ辛抱です。もう少し、もう少しだけ焼けるまで……今ですわ!」
レイチェルはすばやくターナーを差し込んで、勢いよく生地をひっくり返した。ボテッという音とともに、片面が綺麗に焼けた小麦色のパンケーキが顔をのぞかせる。
「あとはもう片面も焼ければ完成ですわ。いい感じに厚みもでてきているでしょう?」
「すごくふわふわで、おいしそうだよ!」
ふわんと香る甘い匂いに、興奮したダミアンがごくりと唾を呑む。
「じゃあ次はダミアンさまの番ですわね」
ダミアンはすぐさまうなずいた。
念入りに観察したおかげか、彼は先ほどの失敗が嘘のように次々と綺麗なパンケーキを焼き上げていく。それから、どう? とばかりに瞳を輝かせてレイチェルを見た。
「まあ! 本当にお上手。さすがダミアンさまですわね」
両手を叩いて褒めれば、ダミアンがえっへんと胸を反らせる。
「それにしても、思ったよりたくさんできそうですわね。みなさんにも配りましょうか。そうだわ、クリスティーナたちも呼んでお茶会にしましょう」
戸籍上妹となったクリスティーナは、今はレイチェルの侍女として働いていた。ダミアンが大量に焼き上げたパンケーキがあれば、恋人の騎士や他の使用人たちの分も十分に足りるだろう。
レイチェルがクリスティーナを呼びに厨房から出ていこうとしたところで、後ろから手を掴まれた。そのまますっぽりと、ダミアンの腕の中に包まれてしまう。
「だめ、行かないで」
ぎゅっと、閉じ込めるようにレイチェルを抱きしめたダミアンが言う。
レイチェルは驚いて顔をあげた。以前より高い位置で、ダミアンと視線がぶつかる。
「まあ。背はこんなに大きくなりましたのに、まだまだ子供っぽいですわね? ダミアンさまは」
レイチェルが笑うと、ダミアンはヌッと下唇を突き出した。
「そ、そんなことはない。僕はもう大人だ」
「本当かしら? ――これでもそう言えて?」
レイチェルはダミアンの腕の中でくるりと振り向いた。それから彼の白い頬に手を添え、唇についばむようなキスをひとつ落とす。
「……ふふ。ほら、まだまだ子供ですわ。あっいけない。パンケーキが焦げますわ!」
するりと腕を潜り抜けて、レイチェルが慌ててフライパンに駆け寄る。
その後ろでは、顔をゆでだこのように真っ赤にしたダミアンが、カチンコチンに固まっていた。
「まだまだ、妃殿下には敵いそうにないですな」
顔をほころばせた料理長が、こっそりとダミアンに囁いた――。
<終>
【コミックアンソロジー収録】転生した元悪役令嬢、村娘生活を満喫していたはずが白豚王子に嫁ぐことになりました 宮之みやこ @miyako_
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