後編

 ヤーラ皇女が帰ってから、クロードは物思いにふけることが多くなり、部屋にこもることが多くなった。王宮の人々はそれを「恋わずらい」と隠す事なく噂し、国中が、自国の若く凛々しい王子が、大国の皇帝となる姿を想像して浮かれていた。

 それを面白く思っていないのは、今やクロードと完全に敵対してしまったハージェスと、彼に想いを寄せるリュシエルぐらいだろう。先日ようやく王から婚約破棄の知らせが届き、無理に外出しなくて良くなったこともあり、クロードと会える時間はグッと減ってしまっていた。


(笑顔で送り出さなきゃいけないのはわかってる。でも、そんなのは嫌……)


 彼がいなくなることを考えただけでも落ち込んでしまう。それでいて、彼本人には何も言えない。そんな自分が、リュシエルはたまらなく嫌だった。


「……リュシー。今いいかい?」


 珍しく控えめな兄の声がして、リュシエルは慌てて背を正した。エドガーはリュシエルの部屋に入ってくると、辺りに人がいないのを確認してから部屋に鍵をかける。


「どうしたの? お兄様」

「リュシー。お前に話すべきか迷ったんだが、知っておいた方がいいと思って」


 兄が何を言おうとしているのか分からず、リュシエルは困惑した。それから兄の口から出た言葉は、彼女をさらに戸惑わせた。

  

「クロード様が内密にナーバ帝国に行った」

「ナーバに……?」


(どういうことなの? なぜナーバ帝国に?)


 リュシエルの頭の中で、ぐるぐると言葉が回る。


「まさか……ヤーラ皇女に会いに……?」


 信じられないという気持ちで聞けば、兄が口を閉ざした。

 

「……それは言えないんだ。しばらくすれば戻ってくると思う。その時クロード殿下に聞いてみてくれ」


 そう言うとエドガーは去っていったが、リュシエルは返事をすることができなかった。リュシエルの頭の中では、クロードが遠路はるばるヤーラを追いかけ、抱きしめる姿が映し出されていたのだ。


(クロード様は、正式な婚約すら待っていられないほど、ヤーラ皇女を愛していたの……?)


 立っていられず、リュシエルはへなへなとその場に座り込んだ。

 本来、クロードが内密にナーバ帝国を訪れないといけない理由は何もない。準備や調整に時間こそかかるものの、彼は婚約者候補として堂々とヤーラに会いに行く権利を持っているのだ。それをせず会いに行くということは、クロードが片時もヤーラと離れていたくないという証のように思えた。


(クロード様が、本当に手の届かない人になってしまう)


 悲しさから、リュシエルは一人ひっそりと涙を流すしかなかった。





 クロードがナーバ帝国に向かってから一ヶ月、王宮の方でもクロードの行方をごまかすのに限界がき始めているようで、人々の間ではヒソヒソと第二王子の行方が色々な噂と共に取り沙汰されていた。けれどリュシエルはどんな噂話にも興味が持てず、ただ沈んだ日々を過ごしていた。


 そんなある日、妹であり一番の癒しの存在であるアンジェラが母と茶会に出かけてしまい、一人自室で手持ち無沙汰に過ごしているところに、控えめなノックが聞こえてくる。


「……リュシー、今から少しだけ出れるかい?」


 やってきたのはエドガーだ。


「ええ、構いませんけれど、どこに行くのですか?」

「いや、すぐそこだ。裏口にね、お前に会いたいという人物が来ている」

「私に……?」


 リュシエルはいぶかしみながらエドガーについていった。兄が呼ぶということは怪しい人物ではないのだろうが、なぜわざわざ裏口に? と頭の中は疑問でいっぱいになる。


 そして連れて行かれた裏口にいた人物を見て、リュシエルは口を押さえてハラハラと涙を流した。


「クロード様……!」


 クロードはフードがついた黒のマントに旅装束という、普段の彼からは考えられない格好をしていた。その顔は少しやつれ、無精髭まで生えている。クロードはリュシエルが泣いていることに気づくと、慌てて駆け寄り、涙をぐいと親指で拭った。


「どうしたんだリュシー。一体何があったんだ?」

「いえ……ごめんなさい、久々にクロード様に会えたのが嬉しくて」


 正直に言うと、クロードは笑った。まさかそんなことで泣いているとは思わなかったのだろう。


「何やら心配させてしまったね。悪かった。どうしても秘密裏に行わねばならないことだったから、君には何も言えなかったんだ」

「クロード様、それはどういう……?」


 話についていけず、リュシエルが訪ねようとするのを、クロードがさえぎる。


「その前に、言わせてほしい」


 かしこまったように咳払いをして、クロードが緊張した面持ちでその場にひざまずき、リュシエルの両手を取る。何が起きるのかわからなくて戸惑うリュシエルの瞳を、クロードの濃紺の瞳が真っ直ぐ見つめた。


「リュシエル・ベクレル嬢。……私と、結婚してくれないか」

「えっ……!?」


 何を言われているのか、すぐには理解できなかった。


「本当は、もっと綺麗な格好で、もっとロマンチックな場所で言えたら良かったんだが……久しぶりに見た君があまりに可愛くてつい」


 一方のクロードは、何やらはにかみながら言っている。その顔は照れと嬉しさで紅潮しており、嘘を言っているようには見えない。


「なっ……どっ……、へ、変ですわ! 私が可愛いなんて、そんなこと!」


 動揺のあまりトンチンカンな部分に突っ込めば、クロードが真顔で返す。


「ずっと言おうと思ってたけど、君は可愛いよ。笑うと目が細くなるところも可愛いし、アンジェラの面倒をせっせと見てる君も可愛い。何より、いつも自分にできる精いっぱいをしようと努力している健気な姿は、とても可愛いと思う」

「な……!? な……!?」

「だから好きになった。好きになったら君はもっと可愛くなった」


 臆面もなく言ってのけるクロードとは逆に、リュシエルは顔を真っ赤にして何も言えなくなってしまった。まさかそんな風にクロードが思っていたなんて、夢にも思わなかったのだ。


「……だから、返事を聞かせてほしい。リュシエル、私と結婚してくれないか?」


 リュシエルは言葉の代わりにコクコクと頷いた。これは夢だろうか? もし夢なら、一生覚めないで欲しいと願う。


「ああ、良かった! ずっとこの日を夢見ていたんだ。あとは父に報告するだけだ」

(あれ、でもヤーラ皇女のことは……?)


 リュシエルははたとヤーラ皇女のことを思い出した。


「あの、クロード殿下は、ヤーラ皇女様のことが好きなのではなかったのですか……?」

「ヤーラ皇女? なぜ? 彼女はいい友達になれるとは思うが、私が好きなのは今も昔も君だけだよ」

「でも、ナーバ皇国に行ったのはてっきりヤーラ皇女を追いかけて行ったのかと……」


 リュシエルが正直に言えば、クロードは「ああ」と納得したように言った。


「話すと長くなるんだけれどね……ナーバに行ったのは人探しをするためだ。その人がナーバにいると言うのを教えてくれたのが、ヤーラ皇女なんだよ」

「人探し……?」

「ちょうどいい。これ以上あの方達を待たせておくのも良くないし、エドガー、呼んできてくれないか」

「かしこまりました」


 ずっとそばでニコニコと見ていたエドガーが、足早にどこかへ消える。そしてすぐに、フードとマントにすっぽりと身を包んだ、二人の人物を連れてきた。

 前を歩いていた人がフードを下ろすと、リュシエルはハッと息を呑んだ。

 フードの中からは、黄金のように輝く豊な長い金髪がこぼれ、目から下は黒いベールで隠されていて見えないものの、純度の高い宝石を思わせる水色の瞳はハッとするほど美しい。後ろにいるもう一人はフードを深く被っていて顔は見えないが、背の高さや肩幅の良さから判断すると男性だろうか?

 リュシエルがまじまじと観察していると、クロードが要人に接するように恭しく頭を下げて、それからリュシエルに説明した。

 

「訳あって名前は名乗らないが、その身元は保証する。この方達はリュシーの呪いを解くために来てもらったんだ」

「呪い?」


 突如出てきた物騒な単語に、リュシエルはまた混乱した。


「初めまして。貴女が噂のお嬢さんね?」


 大人の色気を含んだ甘い声が、彼女の口から発せられる。リュシエルが慌てて挨拶を返そうとした所で、細く華奢な美しい指が、ついとリュシエルの頬に伸びてくる。


「きゃっ……」

「びっくりさせてごめんなさい。良く見せて頂戴ね」


 それから彼女は、一通りリュシエルの顔を撫で回したあと、悲しげに言った。


「……これは、ひどいですわね。魔法の質自体は大したことはないけれど、こんな魔法を女の子にかけるなんて……。かわいそうに。ずっと苦しめられてきたのでしょう。今解いてあげますわ」


 彼女が何を言っているのか良く理解できなかったが、彼女の手から伝わってくる暖かさは不思議なほど心地よく、本能的にリュシエルを傷つけることはないとわかった。そのため、リュシエルはされるがまま、身を任せていた。


「この国には、魔法を使える人間はほとんどいないんです。だから誰も彼女の呪いに気が付けなかった」


 説明するクロードの言葉が聞こえる。

 確かに、ヴァランタン王国は魔法とはほぼ無縁の生活をしている国だった。海を隔てた大陸の向こうでは魔法が当然のものとして存在しているらしいのだが、ここで魔法といえば、王家直属の魔法使いが二人いるのと、王宮で使っている魔法で灯されたランタンぐらいのものだろう。市民どころかリュシエルたち貴族の家ですら、魔法の品は置いていない。小さな半島に存在するヴァランタンは、魔法なしの至って原始的な生活を送っていた。


「王宮に魔法使いはいらっしゃらないの?」

「二人います」

「それでこの有様なら、耄碌したか、質が低いかのどちらかですわね。いずれにせよ、首にすることをお勧めしますわ」


 苦々しく言いながら、彼女はリュシエルの顔を一通り撫でるように手を動かした。触れた箇所からくすぐったいような、暖かくなっていくような、不思議な感覚が広がっていく。


「……はい、これで大丈夫ですわ。しばらくは元に戻ろうとする反動で、寝込むことになると思うわ。わたくしの見立てだと、三日かしら」


 切長の美しい目元が、優しげに微笑んでいる。


「あの、さっきから言っている呪いって……」


 そこまで言いかけて、リュシエルの体がぐらりとかしいだ。クロードが慌てて抱き寄せる。


「詳しくは後で話す。今は無理せず、しばらく眠るんだ」

「クロード……様……私は一体……」


 突然猛烈な眠気がリュシエルを襲っていた。それ以上何か言うこともできないまま、意識が暗闇にズブズブと沈んでいく。完全に眠りに落ちる前に「もう大丈夫だよ、リュシー」という優しい声を聞いた気がした。





 どのくらいの時が経ったのだろう。次にリュシエルが目を覚ました時、辺りは昼だった。いつも目覚めの後は体がだるく、どんよりとした気分なのに、今は驚くほど体が軽く気分もいい。まるでずっとくくりつけられていた重しが取れたようだ。


「おねえさま、おきた!」


 突進する勢いでまとわり付いてきたのは、妹のアンジェラだ。


「おねえさま、みて! かがみ、みて!」


 アンジェラは興奮したようにリュシエルの手をぐいぐいと引っ張り、無理矢理鏡台の前まで連れて行こうとした。


「待ってアンジェラ、一体どうしたの……えっ!?」


 鏡に映った自分の姿を見て、リュシエルは仰天した。幻かと思い、慌ててぺたぺたと顔中を触ってみると、鏡の中の人物も全く同じ動きをして顔を触った。


「うそ……これ……もしかして私なの!?」


 鏡に写っていたのは、透明感を感じさせる眩いばかりの美女だった。大きなアーモンド型の眼は長いまつ毛に彩られてぱっちりとしており、先がつんと尖った鼻はちょうどいい高さと大きさで、ぽってりした唇は愛らしい。そして今までどんなに努力しても治らなかった下ぶくれは綺麗に消え去り、アンジェラと同じ卵型の綺麗な形をしていた。おまけに肌までしっとりと艶があり、化粧すらしなくても良さそうなレベルである。相変わらず目はやや三白眼気味ではあったが、それすらもどこか色気を感じさせるくらいだ。


「一体何が起きたの……!?」

「おにいさま、くろーどさま、おねえさまがおきたよ!」


 呆然とするリュシエルを置いて、アンジェラが叫んだかと思うと、間髪入れずにクロードとエドガーが部屋の中に飛び込んでくる。


「リュシー!」


 次の瞬間、リュシエルはクロードの腕の中に抱きしめられていた。


「目が覚めたんだな。よかった……。疑っていたわけではないが、本当に起きるか正直不安だった」

「おほん。クロード様、いいですか? 婚約するとはいえ、妹はまだ独身の身。適切な距離を保ってください」


 感極まった様子のクロードを、エドガーが静かに押しやる。


「ああ、すまない。……それにしてもリュシー、本当に綺麗になったな」

「そうだよリュシー! ああ、呪いが解けてよかった。こうしてみると、アンジェラや母上と良く似ている!」

「待って……待ってください。いい加減説明してくれますか? 呪いって、一体どういうことなんです?」


 散々置いてけぼりを食らったリュシエルが焦ったそうに言うと、クロードが微笑みながら言った。


「リュシー、これはヤーラ皇女が教えてくれたんだが、君にはずっと呪いがかけられていたんだ。そのせいで本来の容姿が歪められ、ずっと偽りの姿で暮らすよう強要されていたんだよ」

「呪い……!?」


 そういえば、ヤーラは以前会った時、リュシエルに何かかかっていると言っていた。単語が聞き取れずリュシエルには何のことか分からなかったが、あの時言っていたのはこのことだったのだろう。ヤーラはそれをクロードに伝えていたのだ。

  

「この前君に会わせたのはとある高名な魔法使い様でね。彼女がナーバ帝国に滞在していると教えてくれたのもヤーラ皇女だ。ただ事情があっておおっぴらに探すわけにはいかなかったから、秘密裏に探さざるを得なかったんだ」

「そんな……。そもそも、なぜそんな呪いが私に……!?」

「それはこれからわかるだろう。さあ、急いで支度をしてくれるかい? 王宮に、父上に会いに行かねば」


 まだ状況もしっかり飲み込めていない中、リュシエルは言われるまま急いで湯浴みをし、身支度を整えた。終わるとすぐさまクロードやエドガーたちと同じ馬車に詰め込まれ、王宮へと運ばれる。駆け足気味のクロードに引きずられるようにしてたどり着いた謁見室には、王だけではなく、側近である父や宰相、各大臣など、そうそうたるメンツが揃っていた。中には、久しぶりに見るハージェスとモルガナもいる。皆はリュシエルの姿を見ると、ハッとしたように息を呑んだ。


「お待たせしました。リュシエルが目覚めたので、連れてまいりました」


 クロードの言葉に、周りがざわめきたつ。


「リュシエル? あれが、リュシエル・ベクレル侯爵令嬢だと言うのか?」

「一体何があったんだ、以前の彼女とは全然違うぞ」

「リュシエルなのか……!? 本当に……!?」


 最後に言ったのはハージェスだ。その顔には赤みが差し、ぽうっと、まるで見惚れるようにしてリュシエルを見ている。そばにいるモルガナに苛立ったように袖を引いていた。


「来たか」


 玉座に座っていたヴァランタン王が重々しく口を開くと、途端に辺りはぴたりと静かになった。


「ーー皆、突然呼び立ててすまないな。いくつか重要な知らせがある故、許せ」


 それから王は、ゆっくりとクロードとリュシエルの方を見た。


「まずはいい知らせから行こうか。我が二番目の息子クロードだが、そこにいるリュシエル・ベクレル侯爵令嬢との婚約を許可する」

「ありがたき幸せ」


 クロードが頭を下げれば、パラパラと拍手が上がる。


「それから、リュシエル嬢に関してだが……」

「父上! あれは本当にリュシエルなのですか?」


 王の言葉を遮ったのは、どこか気色ばんだ様子で叫んだハージェスだ。


「そうとも。あれがリュシエル嬢だ。……そうだろう? フラヴィニー侯爵」


 突如名指しされたフラヴィニー侯爵、つまりモルガナの父親は、顔を真っ青にして震えていた。


(なぜフラヴィニー侯爵に……?)


 状況が飲み込めなかったのはリュシエルだけではなかったようで、モルガナも驚きの顔で父を見ている。


「お父様……どういうことですの……?」

「娘に聞かせてやるといいフラヴィニー侯爵。お前がベクレル侯爵家の長女、リュシエルに何をしたのかを」

「ご、誤解です。私は何も……」


 震える声で否定しようとするフラヴィニー侯爵に、クロードが声を荒げた。


「言い逃れができるとは思わない方がいい。こちらは既に証人を抑えてある。呪いをかけた魔法使い本人と、長年フラヴィニー侯爵の家令をしていた男が証言している。『フラヴィニー侯爵は、娘のライバルとなりうるベクレル侯爵家の長女、リュシエルの姿が醜くなるよう呪いをかけた』とな。それだけではない。魔法使いを密かに雇って、今までもずっと悪事を働いてきたそうだな?」


 それを聞いて、フラヴィニー侯爵が哀れなほどガタガタと震え出した。もはや言葉も出ないようで、顔色は既に死人のようになっている。王が玉座を指でトントンと叩きながら、低い声で言った。

 

「知っての通り、ヴァランタンでは王家以外の者が魔法使いを雇うことは大罪に値する。加えて呪いとなる暗黒魔法自体、ヴァランタンに限らず世界条約で禁止されている。さらに、リュシエルは王太子の婚約者、つまりは将来の王妃となる女性だった。その彼女に害をなすということは、王家へ対する反逆罪にもあたる。それとも何か申し開きすることがあるか? フラヴィニー侯爵よ」


 フラヴィニー侯爵は、もはや言葉もないようだった。その場にガックリと膝をつき、魂が抜けたように呆然と虚空を見つめている。


「ないならば、フラヴィニー侯爵家は爵位剥奪の上、フラヴィニー元侯爵は斬首刑に処す。連れて行け」


 王が顎をしゃくると、そばに控えていた騎士たちがフラヴィニー侯爵を取り立てようとした。それに気づいた娘のモルガナが、慌てて王の前に身を投げ出す。弱々しいながら、ハージェスもそれに加勢した。


「陛下! どうか、私に免じて情けを……! あんまりですわ!」

「そ、そうです父上。何かの誤解もあるかもしれません。私の妻になる人の親がまさかそんな……」 

「それからそなたたち二人にも言いたいことがある」


 王はそんな二人の言葉を無視し、ぎろりと冷たく見下ろした。


「モルガナ・フラヴィニー嬢よ。そなたがクロードからハージェスに乗り換えた件も遺憾ではあるが、まずはなぜハージェスの子を妊娠したなどと嘘をついたのか教えて欲しい」


(えっ……!?)


 リュシエルは思わず口を抑えた。そうしなければ声が漏れてしまいそうだった。


「妊娠が嘘……? モルガナ、どういうことなんだい……?」


 ハージェスが、信じられないと言う顔でモルガナを見る。モルガナは、父親の助けを乞うた時よりもさらに青ざめていた。


「う、嘘ではありませんわ……。私、確かに月のものが止まって……。ちょ、ちょっとした勘違いだったんです……」

「ならなぜ、そのことを今まで黙っていたのだ?」

「それは……」


 そこまで言って、モルガナはわっと泣き出した。王はため息をつくと、今度はハージェスを見た。


「それから、我が息子、ハージェスよ」

「は、はい……」

「お前は昔から、不出来な子だった。弟のクロードの優秀さに勝てないとわかるや否や、努力することを放棄して、放蕩の限りを尽くして……。それでもいつかは成長するのではないかと思い辛抱強く見守ってきたが……結局お前は、最後の砦すらも、自ら壊してしまったな」

「最後の砦……?」

「リュシエル・ベクレル侯爵令嬢との婚約だ。放蕩者なお前を、それでも支えてくれるであろう真面目なあの子との婚約は、お前に与えられた最後の砦であり、救いの手だったのだ。……考えたことはなかったのか? 私が、なぜお前たち二人の婚約にそれほどまでこだわっていたのは」

「そ、それは……」

「見た目でとやかく言う者もいるようだが、リュシエル嬢の勤勉さ、真面目さ、謙虚さ、全てにおいてこれほど国母となるにふさわしい女性はいない。それなのにお前ときたら何をした? リュシエル嬢を大事にしないどころか、ひどいあだ名をつけて嘲笑い、さらには不実まで働きおって。おまけに選んだ女も女だ。クロードがどれだけ彼女を大切にしていたのか、私が知らないとでも思ったのか? それを地位に目が眩んであっさりと乗り換えたと思えば、妊娠したという嘘までついて……。全く、本当に救いようがない」


 王の顔には、深い失望が刻まれていた。流石にまずいと察したハージェスが慌てて身を乗り出す。


「ち、父上! 身を入れ替えます。これからは精一杯次期国王として勤勉にーー」

「もう遅い」


 王は冷たい瞳でハージェスを見ながら、切り捨てるように言った。


「クロード。お前の王位継承権を剥奪する。そして王太子として、新たにクロードを指名する」

「父上!」


 その場が一斉にざわめきたった。固唾を飲んで見守っていたリュシエルも、反射的にクロードを見上げると、彼はまるで最初から全て分かっていたかのように頷いてみせる。


「ハージェス、お前は今後、ただの王子として、国の外れにある離宮へと住まいを移せ。それから、今後はその宮のある領地から離れることは許さない。結婚はしても良いが、お前の子にもまた、王位継承権はないものとする」


 それは、事実上の幽閉宣言だった。


(まさか陛下が、こんなにお怒りだったなんて……)


 事件が起きてから婚約破棄に至るまで随分と時間がかかったとは思っていたが、どうやらリュシエルだけではなく、国王も裏で激怒していたらしい。あの空白の期間に、王はハージェスに対して完全に見切りをつけてしまったようだ。


「父上、どうか、父上!」

「ーー連れていけ。それから、モルガナ嬢も」


 王の命令で騎士が動き出したのを見て焦ったのだろう。ハージェスはぐるりと向きを変えると、血走った目でリュシエルを捕らえ、それからーー


「リュシエル! いやリュシー! 頼むお前からも父上に行ってくれ! ちょっとした行き違いじゃないか? お前は俺に相応しい美人になったし、やり直そうじゃないか! なあ、頼むよ!」


 到底正気とは思えない言葉を叫びながら近寄ってくるハージェスの前に、クロードが素早く立ち塞がった。


「やめろハージェス! 馴れ馴れしくリュシエルに近寄るな!」


「邪魔をするなクロード! リュシーと話をさせろ! そうすればきっと彼女はーー」

「……私は」


 庇ってくれたクロードの腕をそっと押しやり、目で大丈夫だと合図をすると、リュシエルはハージェスを真っ直ぐ見据えた。その態度にハージェスが狼狽える。


「もし、ハージェス様が私のことをスナギツネと言ってくれなかったら、私は真実の愛に気づくことができませんでした。だから私は、スナギツネの私を愛してくれた、クロード様と幸せになりたいと思います。ハージェス様、今までありがとうございました。どうぞお幸せに」


 そう言ってにっこりと笑ってみせた。それはリュシエルにできる、精一杯の仕返しだった。


「だ、そうだ。お引き取り願おうか兄上」

「な……! こ、この俺がせっかく……! リュシエル! スナギツネの癖に!」

 

 なおも喚き続けるハージェスは、やってきた騎士達に半ば引きずられるようにして連れて行かれた。呆然としていたモルガナもいつの間にか退出しており、騒ぎの元凶が消えると、王はまた大きなため息をついた。


「……クロードよ」

「はっ」

「此度の働きに感謝する。それから、今後は王太子として、次期国王としてよく務めるのだ」

「かしこまりました」

「それから、リュシエル・ベクレル侯爵令嬢よ」

「は、はい!」


 緊張で、思わず声がうわずってしまったが、王は優しく微笑んでくれた。その目元がクロードにそっくりで、不躾にもかかわらずついじっと見つめてしまう。


「長い間、そなたにも迷惑をかけた。親心ゆえに、そなたを無理にハージェスと添い遂げようとさせたこと、ハージェスの暴走を止められなかったこと、悪かったと思っている。……許してくれるか」

「もちろんでございます。私は陛下にお仕えする身ですから」

「そうか。……ならば、これからはクロードのことを支えてやってくれ。未来の王妃として」

「はい、喜んで」


 リュシエルは恭しく頭を下げた。その姿に周りから、自然と拍手が溢れる。ーーこうしてリュシエルは、再び『王太子の婚約者』として、ヴァランタン王国に返り咲いたのだった。 





「父の意思が固いことを知っていたから、どうにか兄が自滅してくれないかと思って色々していたが、思った以上に上手く行きすぎて最初は信じられなかったよ」

「色々していたんですか?」


 帰りの馬車の中、送りのために乗っていたクロードがリュシエルに教えてくれる。


「ああ。モルガナを必要以上に大事にしていたのもそのうちの一つだ。彼女を過剰に褒めれば、兄のことだ。きっと私から奪いたくなるだろうと思って」

「そんな……歪んでいます。弟から恋人を奪おうなんて」

「事実、歪んでいたんだ。……ある意味可哀想な人だよ。偉大な父と、自分より優秀な弟の圧力で、おかしくなってしまったんだろうな……。けれど、リュシーという宝を手にしておきながら、大事にしようとしないなんて自業自得としか言えない。でもおかげで、私が君と結婚するチャンスをつかめた。もう君のことは話さないつもりだから、覚悟していてくれ」


 大真面目に言うクロードに、リュシエルは赤面した。


「それはきっと……どちらかというとクロード様の方が変わっているのです。私はその、以前は自分でもスナギツネに似ていると思いましたし」

「なんでだ? そもそも、スナギツネは可愛いだろう」


 クロードは一向に意見を曲げる気はないようだった。


「それにしても残念だ……。リュシーはとても綺麗になったが、もうあの頃の君には会えないのは寂しいな。笑うと目が細くなって、とても可愛かったのに」


 放っておけば延々と語り続けそうなクロードに、リュシエルは恥ずかしくなって話を変えることにした。


「そういえば、結局あの魔法使いの方達はどなただったんですか? 結局、最後までお名前もお顔も拝見することができませんでした」

「ああ、それはね……長くなるから、君の家に着いてから話そうか」


 送ってもまだ離れないつもりのクロードに、リュシエルはまた笑みをこぼした。

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婚約破棄されたスナギツネ令嬢、実は呪いで醜くなっていただけでした 宮之みやこ @miyako_

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