弁天さまだって恋したい!

山本伊代加

短編

 井の頭公園でデートすると、嫉妬した弁天さまに恋人をさらわれちゃうんだって。


 空は秋晴れの様相を呈し始めていて、木漏れ日がうすら寒い肌に心地よい。休日の井の頭公園は、夏の茂りをそのままに、人々で賑わっていた。二人の少年と少女が大きな池のほとり、歩道の上を歩いている。

「絶好のデート日和だね、いつき」

 写真も動画も撮れるご自慢のカメラを首からさげた少年・天明は、隣を歩く少女・いつきに笑いかける。

「……恋人じゃないから、デートじゃないし」

 天明の「デート」という言葉に、嫌な噂を思い出したいつきは、顔をしかめてみせた。この幼馴染・穂高天明は、学年でも評判のイケメンだ。親戚がメンズノンノモデルに応募したら、書類選考を通過したらしい。当人はなんら関心がなく、予選を蹴ったという。

 なら天明の関心はなんなのかというと、いまは絶賛、その写真の腕を生かしたSNS研究だった。

「今日は、なにを撮るの?」

 今回だっていつきは、天明に誘われなければ家で一人ぼんやりしていただろう。籠もりがちで内気ないつきを、いつだって外に連れ出すのは天明だった。

「そうだなぁ、ネアカ用のパンケーキはさっき撮ったし……なんか面白そうなことでも転がってないかな」

 天明の言葉に、いつきはあたりを見回した。休日の公園は、犬の散歩やランニングをする人、ベンチでおしゃべりするおばさんたちなどで賑わっているが、到底、面白そうなことなど転がっていそうにない。

「そんなこと……」

 振り返ると、天明の姿がなかった。

「天明くん……?」

 どこかに隠れたのだろうかと思ってあたりを見回すが、その姿はどこにもない。

「え、なんの冗談…」

 まさかと思い、池のほとりの茂みの下や、立ち並ぶ木々の裏をのぞく。

 冗談にしたって、タチが悪すぎる。

 あまりに見つからないので、いつきはだんだん嫌な噂を思い出し始めていた。

 ふと井の頭公園地図の立て看板が目に入る。地図の表面は、色あせている上に、ひび割れてところどころ欠けていた。池の端に表記された、神社の鳥居のマークと「弁財天」の文字。


 井の頭公園でデートすると、嫉妬した弁天さまに、恋人をさらわれちゃうんだって。


「まさか…」

 いつきは、池に目をやった。どんより暗い泥色の、大きな池。

 そんなはずはないと思いつつも、いつきは地図の「弁財天」と書かれた場所へ向かう。池辺を歩いていくと、木々に覆い隠されるようにかけられた小さな赤い太鼓橋を見つけた。

 こんなところに、お寺なんて。

 橋をわたると、賑わいは消え、地面がつんと冷えて静まり返っていた。正面に赤く塗られた小さなお堂があり、いつきは思わず、その鐘を鳴らした。

「天明をさらったのは弁天さまですか?」

 震える声で、目をつぶり手をあわせる。

「大事な幼馴染なんです、返してください」

「……幼馴染じゃと?」

 突然聞こえた知らない声に、いつきは小さく悲鳴をあげる。

 社殿の方から聞こえたような気がして目をあけると、いつきの目の前に小さな女性が浮かんでいた。

 美しい派手な着物をまとい、髪を結い上げたあでやかな姿だ。肌は白磁のように白く、黒い髪には金銀のかんざしが輝いている。小さいながらも迫力があるその人は、宙で寝転んでいるかのように姿勢を崩していた。

 小さな女性が誰かに話しかける。

「これ天明、そなた恋人と言ったではないか」

「僕は言っていませんよ……否定しなかっただけで」

 天明の声だ!

 喜んであたりを見回すも、その姿はない。この小さな女性の視線を追うに、私の隣あたりにいるようなのだけど。

「天明?」

「いつき、そこにいるんだね」

 天明の声が、ほっと安堵の息をつく。

「僕も井の頭公園にいるみたい…ただ君がいる本来の次元とちょっと違うようだ」

「次元が……違う……?」

 天明の声がするあたりに手をのばすも、空をきるばかり。

「うーん、とにかくもとの次元に戻れないって」

「戻れない?」

 どうしたものかと考えていると、その小さな不思議な女性が、ふふ、とその小さな口を引いた。いつきは慌てて、女性に目をやる。

「あなたは……もしかして」

「いかにもわらわは弁財天」

 弁財天は扇子を広げて笑う。

「そなたの恋人……じゃないかもしれんが、ええいややこしい……この少年、天明はわらわがいただいた」

「こ、困ります」

 弁財天の宣言に、いつきは声をあげた。

「か、返してください」

「いやじゃ」

 いつきの問に、弁財天は顔を歪める。

「弁天さま、どうして僕をこの次元にさらったのですか?」

 冷静な天明の声に、弁財天は唇をよせてすねた顔をしてみせた。

「だって、わらわだって、恋したいもん」

「「はい?」」

 突然放たれた恋というワードに、戸惑いを隠せない。だが、二人の驚愕をよそに、弁天さまはぐちぐちと言葉を続ける。

「わらわだってイケメンとイチャイチャしたいんじゃ!」

「………」

 いつきが二の句をつげないでいると、天明の声が聞こえた。

「じゃあ、弁天さまに恋人ができたら、僕を元の次元に返していただけますか?」

 いつきの言葉に、弁天さまはコクンと頷いた。

「無論じゃ」

「なるほど」

 天明の姿が見えたなら、おそらく彼はいつもの癖で顎に手をあてて考えているだろう。

「いつき、ここは弁天さまの恋人探しと行こうじゃないか」

「弁天さまの恋人探し……!?」

 いつきは驚いてオウム返しした。

「で、でもそれって、天明の代わりに誰かを捧げるってこと?」

「いいや。弁天さまは神様だ。神様の恋人は、神様だろう」

 神様同士が恋をする……なんだか想像ができなくてぽかんとしていると、いつきは笑って言った。

「そちらはスマホ使える? 弁天さまの伝承を調べてみてくれないかな」

 天明の声にいつきはうなずいて、震える手でスマホを操作する。弁財天で検索して…そこにあった情報に思わず息をのんだ。

「弁天さま、梵天っていう神様の妻だっていう説があるんだけど……」

「「へ?」」

 天明と、なぜか弁天さまも声をあげる。

「べ、弁天さま、既婚者!?」

「ふうむ……」

 弁天さまは崩していた姿勢を起こし、考える素振りをみせる。

「おそらく、その伝承は一般的ではないのじゃろう? 調べるまでそなたらも知らなかったようじゃし」

 弁天で空中でくるっと一回転した。

「わらわは神じゃ。人の信じるものじゃ。ことさらここにいるわらわは、そなたたちがそう思うから嫉妬深く、そなたたちがそう思うから人を拐かす」

「ど、どういう……!?」

「弁天さまは人の記憶からなる存在で、一般人の知っていること以上のことはないってことかな」

 天明の説明に、弁天がコクンと頷いた。

「そうじゃ。信じる力が、神になる。信じられてないことは、神にならない。そういうことじゃな」

 弁天の説明で、天明にはどういうことか分かったらしい。

「つまり、今、現代に、梵天さまと弁天さまが夫婦だっていう伝承を蘇らせる必要があるわけだ。それも多くの人に……でもそんなことどうやって」

 伝承を蘇らせる……なんだか途方もなくて、いつきの頭はくらくらした。

 でも、ここでなんとかしなくては、天明は帰ってこない。

 天明がいなかったら。

 今までの生活から、天明がいなくなることを想像して身震いする。振り回されることもあるけれど、引っ込み思案で根暗ないつきを連れ出してくれたのは天明だ。

 だったら。

「あのね、天明くん。天明くんがよくやってたみたいにSNSアカウントを運営してみたらどうかな」

「えす……なんじゃと?」

 SNSが分からない弁天さまがハテナを飛ばす。

「……いつき、聞かせて」

 天明くんの優しい声がする。いつだって、天明は、いつきの言うことをバカにしたり、否定したりしなかった。

 私が、天明くんを助けるんだ。

「天明くんは、バズらせたりするのが上手でしょう。その方法を、私に教えて。私が携帯を使って、やってみるから」

「……それなら、カップルアカウントがいいと思う。梵天×弁天のカップルアカウントを創るんだ」

 だけど、天明が心配そうな声を続ける。

「簡単なことじゃないよ、一朝一夕で出来ることじゃない。テクニックは色々あるし教えることは出来るけど、少なくとも毎週、あるいはもっと多い頻度で投稿し続けなきゃいけないんだ」

 簡単じゃないのは、いつきだって分かっていた。下手したら数年単位で、時間がかかるだろう。それでも、それが天明くんを助ける方法なら、私にできることは全部やりたい。

「うん……でも、やる。私がやる。だから、天明くん、教えて」

 天明からも、いつきの様子は見えないはずだった。でも、天明にはいつきの覚悟が伝わったのだ。

「――わかった、やろう、いつき。弁天さまの恋人を取り戻そう」


 それから、数年。


 いつきは大学生になってもまだ、カップルアカウントの運営を続けていた。

 カップルアカウント「梵×弁」は、井の頭公園および吉祥寺周辺のデートスポットを舞台とする架空アカウントだ。

 数年諦めずに投稿しつづけたこと、そしてキャラクターがよく若年層に受けたこともあり、ついにフォロワー数が1万人に達成。吉祥寺区域活性化の一助ともなり、ついに書籍化。多くの人がその存在を知ることとなった。

「これで弁天さま、もう一人じゃないね」

 いつきの隣には、天明がいた。この数年、天明がこの世界にいなかったはずなのだが、いつのまにか天明はこの世界で無事大学に進学したことになっていた。

 天明はいつきに笑いかける。

「どうだろうね、いつかまたこの伝承が消えたら、弁天ちゃんはすべてを忘れてだれかをさらうだろう」

 天明は、いつきの手をとった。最近、天明はよくいつきに触れようとするのだが、いつきはそれを、数年誰にも触れられずに異次元にいた後遺症だと考えていた。

「でも、僕らが生きているうちはこのアカウント運営を続けるだろ、続けてる間は、僕らも弁天ちゃんに会いに行けるさ」

「うん……、そうだね」


 二人は、アカウント投稿のネタを探して公園を歩く。

 今日も弁天さま元気かなぁと、二人はあの小さな寺に足を運ぶのだった。

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