カップ麺と異世界転生?!

小林左右也

最後の晩餐は、赤いきつねと緑のたぬきを

 道路で転んで、立ち上がったら異世界でした。

「え……?」

 それは、夜にコンビニへ買い物へ行った帰りでした。




 仕事の帰りでした。予想外の残業で、夕ご飯は食べずじまいです。

 お腹すいたなあ……。

 帰りに何か買って帰ろうかと思ったものの、バッグにはパソコンや資料が入っていて重たくて堪りません。

 一旦帰宅し、身軽になって夜のコンビニへと向かったわけでした。


 お財布だけ持って、歩く夜道。身体の芯から凍えるような冷たい夜でした。

 こんな寒い夜は、やっぱり温かいものが恋しくなります。温かくて心に染み入るような、あのカップ麺が恋しくなるのです。

 わたしがコンビニで買ったのはカップ麺。その名も、赤いきつねと緑のたぬき。どちらか選べなくて、いつも結局両方買ってしまいました……。


 帰ったら、お湯を沸かしながらお風呂の用意もしておいて。

 そうだ、赤いきつねと緑のたぬき、今夜はどっちを食べようかな?


 家族や恋人でもいれば、半分こできるのに。とはいえ、わたしは独り身の上、ひとり暮らし。半分こはできないから、どちらか選ばなければなりません。

 赤か緑の選択に頭を悩ませていたせいでしょうか。わたしがそそっかしいせいでしょうか。


「わわっ!」

 そして転びました。段差もないアスファルトで。

「いたた……」


 ああ、恥ずかしい。幸いここは夜道。転んだわたしを目撃した人はいません。

 かなり膝が痛いです。手首に引っ掛けていたお陰で、カップ麺が入ったレジ袋は無事でしたが、お財布はどこかへ飛ばしてしまったようです。

 お財布を探すべく顔を上げると、見知らぬ光景が広がっていました。


「え……?」


 アスファルトではなくて、石畳の道。外灯は蛍光灯ではなくて、ガラス灯の中に炎が揺らめいています。

 誰もいなかった道には、何人か人がいます。転んだわたしを、驚いた顔で見ています。その人たちは、明らかに日本人ではないようです。外国の人のようですが、どこの国かわかりません。

 異世界。

 ふと、頭によぎったのは、ライトノベルの読み過ぎでしょうか?



 わたしは迷い子として警察らしきところで保護された後、色んな質問をされました。されましたが、彼らの言葉が、わたしにはわかりません。わたしの言葉も、彼らにはわかりませんでした。

 やっぱり、ここは異世界のようです。

 わたしとの会話を諦めた彼らは、食事を出してくれました。

 その食事は生臭いスープと、すっぱいパン……とても残念な食事でした。

 手にしたこのカップ麺を、どんなに食べたかったことでしょう。

 でも、着の身着のまま異世界へやってしまったわたしには、唯一の持ち物がこの二つのカップ麺でした。ぺろっと食べるなんてできません。

 この世界の人には、この赤と緑のラベルのものが、食べ物だとは思わなかったようです。しかも、妙に目に付くこの赤と緑を怪しく思ったようでした。

 レジ袋にはいったカップ麺を取り上げられそうになり、わたしは必死に叫びました。


「お願い持って行かないでください! これは、わたしの大事なものなのです!」

 こちらの世界の人たちは、困ったように顔を見合わせました。

 

 次にやって来たのは、赤い髪と緑の瞳を持った妙齢の女性でした。

 魔法使いのような、黒いのローブを纏っています。銀縁の眼鏡を掛けて、ちょっと気難しそうな雰囲気です。

 その人は、わたしにいくつか言葉を掛けましたが、やっぱり何を言っているのかわかりません。すると、今度は懐からペンダントを取り出しました。赤と緑のグラデーションの綺麗な石が付いています。彼女はそれをわたしの首に掛けました。


「きれい……」

「美しいだろう。地層奥深くからしか見つからない金剛石に、魔力を閉じ込めたものだよ」

「え!」


 驚きました。彼女の言っていることがわかります。彼女も、わたしの言っていることがわかるようです。

 言葉が通じるようになったのは、魔力を閉じ込めたこのペンダントのお陰のようです。

 そう、彼女は正真正銘の魔法使い……魔女でした。


「どこから来た?」

「日本です」

「ニホン? どうやってここへ?」

「ええと……転んだら、いつの間にか、ここに居ました」

「………ここに来た目的は?」

「うちに帰りたいです」


 言葉が通じても、会話が成り立たないこともあるようです。

 その後、色んな質問をされて、そして答えました。その結果、異世界から流れ着いた迷子ということが証明されました。

 明日、この警察らしきところから出されることになりましたが、わたしには行くところがありません。

 都ならば、異世界人を保護と支援をする施設があるそうですが、地方にはその施設はないそうです。都は遠くて、当然行くにはお金も時間も掛かります。

 都へと行き来をする汽車があるものの、その汽車が来るのは三月に一度。その汽車は昨日都へと旅立ったばかりだそうです。


 幸いなことに、わたしを保護してくださる方が現れました。

 あの赤い髪と緑の瞳の魔女でした。

 どうやら年端もいかない女の子だと思ったらしく、気の毒に思ってくれたのでしょうか。日本人が若く見えるというのは、異世界でも同じようですが、わたしはこれでも二十八歳なのです。

 そのことを告げると、彼女はとても驚いていました。今度は、わたしが彼女の年齢を聞きましたら「女の年齢は聞くものじゃないよ」と、ニヤリと笑いました。


「次の汽車が来るまで、うちに来な」

「は、はい、よろしくお願いします!」


 次の汽車が来る日まで、魔女のところでお世話になることになりました。


 魔女の家には、魔法の薬を煮詰める大鍋や、トカゲやヘビの干物、怪しげな薬草などは……ぶら下がっていませんでした。

 赤い屋根の煉瓦造りのこじんまりとした家。お花やハーブが咲き乱れるお庭。室内はカントリーな雰囲気の可愛らしいお家でした。

 働かざる者食うべからず、という思想はこの世界にもあるようです。わたしはこの家でメイドとして働き始めました。


 さて、メイドのお仕事についてです。お掃除お洗濯は問題なかったのですが、お料理が問題でした。そう、わたしはお料理がとても下手くそなのです。

 三日間わたしの料理を食べ続けてくれましたが、四日目の朝からは彼女が作ってくれるようになりました。

 彼女が用意してくれたのは、堅い少し酸っぱいパンに、お野菜がいっぱいのスープ。最初に食べたこの世界の食事と同じメニューなのに、彼女の作ったものはとても美味しくて、心と身体が温まるようでした。


 もしかしたら、こういうのが「お母さんの味」なのかな?

 それを告げたら彼女は「こんなに大きな子供がいるほど歳取っちゃいないさ」と、悪い魔女のように眦を吊り上げました。

 ……年齢の話は今後しないと、心に誓いました。


 彼女はとても物知りで、この世界のことを根気よく教えてくれました。

 言葉も少しずつ。魔法のペンダントがなくても、カタコト程度話せるようになりました。

 この世界の習慣も。東洋と西洋を足して二で割ったような文化で、女性が社会で働くのは当たり前のようです。魔法が存在すること以外は、順応できそうでホッとしました。

 魔法については、もちろん魔力がないので魔法使いにはなれません。ですが魔法薬を作る手伝いや、材料のハーブを育てることを教わりました。

 あとはお料理も。お野菜は豊富で、お肉は山で捕った獣肉をよく食べるそうです。味付けは塩とハーブ。お醤油やお出汁を取る文化はないようでした。

 この国は海から遠くて、お魚は滅多に口に出来ないそうです……残念です。


「お前の国の料理は、どんなものがあるんだい?」


 彼女がそう訊ねたのは、都へ旅立つ前日でした。そう、わたしは明日、都の保護施設へと向かうのです。

 最後の晩餐に、わたしの故郷のお料理を振る舞ってくれるつもりだったようです。ですが、お料理が下手くそなわたしは、故郷の味がどう作られているか知りませんでした。


「あ! そうだ師匠。今夜はわたしが故郷の味をご馳走します」

「お前が?」

「大丈夫。お湯くらいちゃんと沸かせます!」


 そう、元の世界から唯一持ってきたカップ麺。大好きなこの味を、恩人である彼女と食べたいと思ったのです。


「お湯を入れるだけで……ほう」


 お湯を注いだ途端、ふわりと香るお出汁の匂い。彼女は驚いたように二つのカップ麺を眺めています。


「師匠。どっちにしますか?」

「お前のお薦めはどっちだい?」

「う……どっちも、捨てがたいです」


 彼女は少し考えてから、ニヤリと笑いました。


「じゃあ、半分こずつだね」


 二つのカップ麺を半分こずつ。

 ふと、今は亡き母のことを思い出しました。


 あのカップ麺は、母との思い出の味でした。

 母子家庭でした。そして、母もわたしと同様、お料理がとてつもなく下手くそでした。

 だから、時折買ってきてくれる赤と緑のカップ麺がとても楽しみだったのは、今でも母には内緒のままです。

『どっちにする?』

 なかなか選べないでいると、母はお茶椀をふたつ持ってきました。

『半分こしようか』

 赤いきつねと緑のたぬきを、半分ずつ。お揚げも天ぷらも半分こ。

 さくさくとした天ぷら。じゅわっとお出汁が染み込んだお揚げ。少し甘めの温かいお出汁。夢中で頬張ったつるつるの麺。空っぽの胃袋に染み込むようでした。


 そして今は、赤い髪の魔女と、赤いきつねと緑のたぬきを半分こ。


「なかなか美味いね」

「でしょう」


 まさか異世界で、カップ麺を半分こし合うとは思いませんでした。

 カップ麺だけを持って異世界に来てしまいましたが、持っていたのがこの二つでよかったと、心から思いました。


 お出汁を全部飲み干した彼女は、満足げに溜息を吐くと言いました。


「都で手続きが済んだら、また帰っておいで」

「はい……ありがとうございます」


 なんだかお母さんみたい。

 でも、そんなことを言ったら絶対に睨まれそうです。

 だから、わたしはただ、にっこりと笑いました。

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カップ麺と異世界転生?! 小林左右也 @coba2018

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