第三話
曇天の空にぽっかりと空いた真円は、明け方の天空を映し出す。
その円の中心から広がる蒼い燐光は、まるで翼を形作るように広がっていった。
「〝アーダマス使い〟……」
空と一体となったような美しい蒼。その蒼い翼は白い鱗粉のような光をちらつかせ、明け方の空に刹那の星空を創り出す。
——美しい。
この場にいる第八〇一対アラハシュ独立遊撃部隊全員が、目の前の狂気と対峙してなければ口を揃えてそう言っただろう。
やがて、蒼い翼は根元から溶けていくように、紺碧の空へと消えていく。その翼を生やしていた彼女——〝ネゴーニトゥラ〟が回線越しに言う。
『おお、思っていたよりでかいなぁ』
まるで愛玩動物にでも向けたようなその口調。〝グロリアスター〟が見上げる、遥か上空の彼女は非常に澄んだ顔をしていると、想像するには容易い。
燐光が消えた直後、彼等の意識は〝ネゴーニトゥラ〟を取り巻く無機物に向けられる。
パラシュートに吊るされたように見えた九つのそれらは、同時に、四つのヒレを生やしたような灰色の筒を四方に排出する。
隊長の言っていた〝彼等〟を、ようやく〝グロリアスター〟は理解した。初対面からものの数分しかたっていないが、その数分で〝ネゴーニトゥラ〟とは何かを大体理解した。
十代の少女が十年も戦場の最前線のストレスに侵された結果、性格がああなってしまったのだろうということ。
彼女が、この星で継承され続けてきた〝アーダマス〟の使いであるということ。
『さあ、行こう——〝アーダマス〟』
その呼びかけに応えたかのように、彼女が手に握る筒状のそれの央部に埋め込まれているクリスタル——アーダマスが、再び光を灯す。
〝アーダマス〟。
遥か数千年前から各地の伝説や伝承に記録される、この世の理すら凌駕する天からの賜物。アーツの延長線上に存在するそのエネルギーは、一説には、大国一つを容易に焦土と化す力を持つと言われているほど膨大なものである。
膨大すぎるエネルギーに身体が破壊されることを危惧した先人が、アーダマスを固形にする術が施され、こうして彼女の握る剣の柄に収まるに至る。
透き通った蒼いアーダマスから放射された光は、筒の片端から光刃を顕現させる。大岩すら容易く切断してしまうほどの切れ味を持つその刃だが、今の彼女にその切れ味は必要ない。
『……ぶっつけ本番、上等!』
振り上げた光剣から不規則に拡散していった光が、巡航ミサイル全てを淡い蒼で包み込むと、その時点でミサイル全ては〝ネゴーニトゥラ〟の下僕となった。
『〝制御の力〟と〝無限眼〟の掛け合わせ……いつ見てもぶっ飛んでやがる』隊長が独り言ちる。
アーダマスは、色により様々な力を宿す。その中でも、ネゴーニトゥラの持つ蒼きアーダマスは〝制御の力〟と呼ばれている。攻防共に万能な扱い方ができるその力は、機械文明が進歩したことにより、アーダマスのエネルギーを糧として機械を自在に操るという突出した長所を持つことになった。
しかし、その機械のありとあらゆる構造を全て理解する必要があり、例え常人が〝制御の力〟の行使できても、精密機械を操る芸当は出来ない。
しかし、バダーイェ・ネゴーニトゥラには〝無限眼〟がある。
アーダマス使いの血統に稀に現れる先祖返りで、無限という言葉が意味する通り物体と物体の間にある無限を観測することができる。
この無限眼によりアーダマス、アーツのエネルギーの流れ、もとい分子レベルの物体の構造が把握であり、こうして巡航ミサイル全ての制御を可能としたのだ。
『小さい奴からっ……!』
彼女が手にする光剣は今や指揮棒と化し、虚空を切るように振りかざすと、間髪入れず九つのミサイルが前進するアラハシュへ向けて加速した。
ロケットブースターの推力にアーダマスの力が加わり、瞬く間に音速の壁を軽々と越えたミサイル群は、アラハシュの首へ狙いを定めた。
流れ星のようにミサイルが軌跡を描いたと思えば、気付いた時には全弾が極超音速で目標に激突する。
足元の荒波の音を搔き消すように、一帯に爆音が響き渡る。その名の通り地中貫通を可能とするその威力は、アラハシュを怯ませるには十分すぎるものだった。
『目標、六体が進行を停止。一体は撃滅に成功』
観測班が言う。比較的脆い個体がいたようだ。その個体はミサイルの衝撃で首が前へ大きく折れ、流血をしながら海へと倒れていく。
『もういっちょ!』
〝ネゴーニトゥラ〟が再び剣を振り下ろすと、残りのミサイルが間髪入れずに彼女のもとを去る。
弾頭がアラハシュの顔をえぐり、首に突き刺さり、胴を貫く。
炸裂。
〝グロリアスター〟一行には、立て続けに極音速のミサイルの加速と爆発の衝撃の波が押しよせる。
『圧倒的だ……』
彼等の視界の先には、爆炎の中で、前進していたアラハシュが次々と、面影を残さない肉片として崩れ去っていった。
十年間。隊長という座に居座る中で、これほどまでに希望を見いだせたのは、初めてアラハシュの撃退に成功した以来のことだった。彼の声色には、微かな希望が現れていた。
アーダマス使いに頼る、という形になってしまったのが強いていうなら悔いだろうか。だが、それでもこの成果に、彼は大きな希望を見出した。
『これで、人類はアラハシュの脅威から——』
排除できる。そう言いかけた時だった。
その音は、隊長に限らず、この場にいる隊員にとってひどく聞き覚えのある声だった。
オオオオオオォォォォ——————
黒煙の中、不自然な紅の光が輝きを増していく。
『おい、現状を知らせ。何が起こっている』
真っ先に動揺から解放された隊長は、上空に待機する観測班に通信を飛ばす。
『アラハシュから高熱源反応。こんなパターンは今まで……何か来ます!』
先ほどブリーフィングにいた女性通信士の声色は、雑音に干渉されながらも動揺しているのが明らかだった。
何かが来る。それは女性通信士——いや、人という生物の直観か。隊長がそれを理解した時には、彼女の直観は最悪の形で現れた。
甲高い、高周波の音が拡散されると同時に、煙幕から解放されたアラハシュの額下部から閃光が天空へと放たれる。
その閃光が放たれた直後に、ブツッと回線が途切れ、隊長の鼓膜に不愉快な波が打たれる。
『足が一つやられた!』
『クソッ——』部隊の降下のために多少高度を落としていたとはいえ、高高度を飛行する貨物飛行機を煙幕の中で狙いを定めてピンポイントで当てたのだ。しかも、司令塔を兼ねていた機体を撃墜したのだから。
『幾つ虎の子を隠し持ってるんだよ!』これにはネゴーニトゥラの想定外だった。
偶然か、それともアラハシュの中の危機感がそれを優先させたのか、放射状態の光線はもう一機の貨物飛行機ではなく、ネゴーニトゥラに向けて傾いていく。流石はアーダマス使い、と言うべきか、ネゴーニトゥラは即席のエネルギー波で盾を形成し、光線を弾いた。
『各員散開。固まっていたらあいつらの思うツボだ。次が来るまでに——』
隊長の判断は正しかった。あの光線を一目見て、密集形態で形成できるバリアでも容易く貫通するだろうと見抜いた彼は、回避行動こそが被害を最小限に抑えられると予測した。
これも長い戦歴の中で培った感。最初こそはさっさとくたばって悪夢という名のこの世界からおさらばしたいと思っていたが、初めて長生きしてきたことへの感謝を肌身で感じた。
すぐ横を通過した光線の熱をバリア越しで浴びながら。
『ワッケインが……!』
一人、回避をすることができなかったのか。隊員の悲鳴にも近い叫びを横に、隊長は呆然とした。
生態系から逸脱しているとはいえ、アラハシュも生き物だ。あれほど膨大なエネルギーを再充填するのに時間を要するに違いないという油断が、彼の顔に感情をはっきりと浮かばせた。
同じく、傍で熱を浴びて目を見開いていたグロリアスターは、その熱に幼少期の記憶を呼び起こされた。
かろうじて人の形を保っていた焼け焦げた肉塊にひたすら「お母さん」と叫び続ける少女。
それは〝夢〟しか持っていなかった過去の彼女だった。
その無力な少女を思い出して、グロリアスターの心は奮い立たされる感覚があった。
子供じみていて、叶うはずのない夢を持っていた過去。
その夢を現実のものにするべく準備してきた現在。
夢を証明するときが来たのだと、彼女は焼けるような熱を感じながら確信した。
「グロリアスター、先行します」
手の震えはすでに止まっていた。
最大加速で隊長もろとも小隊を軽く吹き飛ばしたグロリアスターは、視界に広がる警戒表示を無視しながらアラハシュに突貫する。
今まで跨っていた飛行兵装の後端の突起を握ると、音を立てながら兵装は瞬く間に変形し、僅かに箒状の面影を残しながら武器になった。
あたかもグロリアスターは、身体より一回り大きい太刀を握っているようだった。
長い歴史の中で、グロリアスターという存在は数多の伝承で語られている存在が、本物のグロリアスターの姿を見たものはいないと言われている。
錦の御旗を掲げる勇者。箒に跨る伝説の魔法使い。はたまた七色に輝く巨人など、その姿は様々であることが理由だ。
いつしかグロリアスターとは、この世界に存在する概念となった。
絶対なる正義。
その意味の重さと歴代のグロリアスターの影響力から、暗黙の了解でその名は敬遠されることとなった。
だがグロリアは、あえてその名を選んだ。
混沌とするこの世界に、少しでも希望を与えられるように。
「終われ——!」
絶対なる正義という重みを、彼女は振り下ろす。
彼女が握る兵装から、溢れるように超長身の光刃が顕現し、光線を吐き終えたアラハシュの首を断ち切る。
「——一つ」
ガチャンッ、と彼女の腰部ベルトに繋がれた〝バッテリー〟が海面へ落ちていく。
アーツの消費を抑えることができるバッテリーだが、大出力の兵装の出力を数秒しか補うことができず、荷物となったそれはパージされてしまった。
『出力操作ができていない』
自然落下する寸前のグロリアスターを、隊長は滑り込むようにキャッチした。
「排熱処理ができそうにありません。あとは」
『お願いしますだろ? 無茶しやがって』
半身を痙攣させる彼女を副隊長に任せ、隊長の掛け声とともに残るアラハシュに向けて部隊が突撃する。
ヒット&アウェイの要領だ。重装班が射撃で陽動し、隙を狙い近接攻撃班が急所に攻撃を仕掛ける。彼等も太刀に近い兵装を用いるが、グロリアスターが行使したものほど便利なものではない。一般兵が扱えるように出力は制限された分刀身のリーチは短いものの、その切れ味は遜色ないものだ。
「お疲れ様」
声が聞こえる方を振り向くと、あのくそったれアーダマス使いが空中で仁王立ちしていた。
黒髪を靡かせるネゴーニトゥラのニヤケ面は美が勝っており、悔しいが見惚れてしまいそうだった。だが、グロリアスターのケツを蹴った張本人だ。
「こっちに背中を向けてください。蹴り飛ばします」
「実力は前々から聞いていたけど、バッテリーを使ってたとはいえ、あれだけのアーツを行使できるなんて思わなかったよ」
どうやらグロリアスターの声は彼女の耳には届いていないようだ。
「君、本当はアーダマス持ってたりしない?」
まさぐられそうになったところを、何とかその手を退けたグロリアスターは問いかけた。
「援護に行かないんですか? そもそも、あなた一人でもアラハシュを殲滅できそうな気がするのですが」
『援護する必要はなさそうですよ』
グロリアスターに肩を貸していた副隊長がそう口にすると、共通回線の音量を上げる。
『最後の個体の絶命を確認した』
『殲滅、殲滅完了……!』
その言葉に続き、隊員の雄叫びがノイズとともに流れてきた。気のせいか、隊長の声が一番響いている。
「こんなに喜んでいるあいつらはいつ以来だか」
副隊長に代わり、未だ排熱を完了していない兵装を担いだネゴーニトゥラは、次いでグロリアスターの手を引く。
「私がもっと早くから動いていれば、被害が出ることは……」
「気負いするな。ワッケインたちは残念だったが、そのマインドじゃ自分がもたないぞ」
遮るようにネゴーニトゥラは彼女を静止した。
「ですが……」
「優しいんだな。君は」
感傷的になっているグロリアスターに無理もないと、ネゴーニトゥラは十代の自分と重ね合わせる。自分も同じように思っていたのだなと。
一息ついて。
「ティーンエイジャーの君に本来は言うべきことじゃないが、歓迎するよ」
心の底から歓迎しているつもりは毛頭ない。本来なら、年相応の青春を過ごしてほしいというのがネゴーニトゥラの本望だ。
だが、彼女の秘めた力がこの戦況を大きく変えるのかもしれない。
利用するしかない。アーダマスの力に匹敵する、彼女の力を。
ネゴーニトゥラはそう思った。
「ようこそ、八〇一へ……」
兵装を彼女に返した時点で、彼女ら三人は異変に気付くことはなかった。
※
グロリアスター 歴史に刻まれなかった者たち——The ARDAMAS UNIVERSE—— N・オオハシ @Phoe001
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