第二話

 世界に怪獣、もとい〝アラハシュ〟という存在が現れ、十年が経過した。

 外見はひび割れた球体のように、複数の浮遊する大陸で形成されたこの星は、ほかの天体には見られない独自の特徴である。

 この世界には科学の他に、科学的に説明が不可能な力の存在を〝アーツ〟と呼称している。

 魔法、という言葉を用いれば、君たちは概念的に理解しやすいだろう。この星が形を保ち続けている理由も、アーツの力が何かしら作用しているとされているのがこの世界の通説である。

 人類が発展を続ければ、いずれアーツの謎が解明されるのではと言われていたが、突如出現したアラハシュによって全てが変わってしまった。

 アラハシュ。

 敵性巨大厄災生物の別称。

 発生初期は〝怪獣〟という名で呼ばれていたが、今ではアラハシュという名で世間に浸透している。それでも、未だに怪獣という単語を使う者も少なくはない。

 アラハシュという名前は、かつて大陸間の狭間から現れ、世界に災厄をもたらした神話の悪魔の使いの名からとられたものだが、彼等こそアラハシュそのものなのではないかと主張する者は多い。

 現に、彼等は神話通り、大陸の狭間から出現する未知の生命体だ。動物とも、近世中期まで確認されていた魔獣とも、遺伝子レベルで逸脱した存在であるアラハシュは、最初の数年で世界の均衡を一気に塗り替えた。

 アーツの力を超えた、とまで言われていた核兵器を抑止力とし、主義主張が異なる勢力同士が睨み合っていた時代に出現したアラハシュ。

 世界は一丸となってアラハシュに対抗するという選択肢をとる前に、アラハシュを抑止力誇示のための贄にする、誤った選択に踏み切る国家があった。

 独裁にも等しい政治体制を敷いていたその国家の元首の暴走。放たれた核兵器はアラハシュの無力化に至らず、それどころか彼らの逆鱗に触れた。

 その国家が属した大陸はアラハシュの集中的な出現により焦土と化し、未だ放射能に汚染された土地だという。

 難を逃れた他の大陸はその間、対アラハシュに重点を置いた防衛策を打ち立て、大陸——この世界でいう大地の裂け目——沿岸の大都市の大半を放棄。人類の生息域は十年で半分近く減少したうえ、初期の市民の大移動による疫病の流行や食糧難が、当時の総人口の三分の一を死へと至らしめた。

 皮肉にも、アラハシュによって人類が団結を果たしたのが、この世界の現状である。


      ※


 降下作戦開始まで〇二五〇秒。

「作業遅れているぞ、何をやっている」

「作戦開始まで三〇〇をとうに切ってる。作業急げ!」

 予期せぬ作戦修正により、格納庫内には慌ただしい光景が広がっている。

 当然これから降下する部隊員が優先して装備諸々の装着をするが、現地到着前提で事が進んでいたため、装備が格納されたコンテナの解放からことが始まる。

ほかに装備の装着補助クルーが複数、入り乱れている。装備の確認は戦闘隊員自身も行うが、万が一見落としがあると命取りになる。特にアーツを応用した精密機械を装着しているため、専門知識を持つクルーがこうして作戦直前まで出力数値など、ケーブルを介した端末で細かい調整を行っている。

「一八〇、切りました」ノイズ交じりの報告が、部隊長の耳朶を打つ。「よし」

「最終確認が終了次第、非戦闘員は速やかに所定の位置に移動」

 すぅ、と一息を挟むと、怒声にも似た声で部隊長は無線に声を吹き込む。

「各員、この戦いは過程にすぎない。能力を生まれ持ったお前たちは生き延び、人類を守る義務がある!」

 何度目になるだろうか。

十年近く、任務の度に同じ言葉を部隊員に放つのは。この言葉を聞き慣れてしまっているのは、もう部隊内でも数人いるどうか。それほどまでに最前線の状況は苦しいものになっている。

 長距離砲撃がアラハシュに致命傷を与えられればどれほど楽だっただろうか。彼はそう思いながら部隊を見渡す。

 彼の視線は、一人の隊員に留まった。

 確か、彼女は。

 これが初任務なのか、先ほどから首から上がきょろきょろと、少し挙動が激しい。

 仕方ない、と今は呑み込むしかない。

 彼女は本来なら、ここにいるべきではない。

「……余も末だな」

 青春を謳歌すべき一八にも満たない少女に、亡き娘を照らし合わせながら彼は本音を呟いた。


「大丈夫だ、バダーイェ……お前なら大丈夫……問題ない、自分を信じろ、自分を……」

 作戦修正のブリーフィング以前から誰とも会話することなく、 少女はずっと、ぶつぶつと自分を言い聞かせていた。

 故郷もない。

 家族ももういない。

 何も失うものはない。

 だが、亡き家族と交わした約束がある。

 死の恐怖感がある。

 シミュレーションでは感じなかった、このピリピリとした感覚。

 今のうちに落ち着け。

 もう少しで開く、この地獄の入り口が唸る前に。

「や」

 突然、右肩に手を置かれ、思わず少女は振り向き、少しカールの効いた黒髪が僅かに揺れる。

そこには、年齢が少女より一回り大きいであろう女性。入念に手入れされた黒髪を伸ばした彼女は気さくな様子で、紺碧の双眸を少女に向けて話しかる。

「慣れない様子だね。ひょっとして最前線は初めて?」

「はい。五年前に適性者であることが確認されたのですが、当時は身体的に最前線に耐えうるほど成熟していなかったので、配属が遅れたのはそれが理由です」

「歳は?」

「十六です」

「……若いねぇ。私は二七。十年守ってきた最年少入隊記録もついに破られるかぁ」

 マスクを脱ぎ捨てる彼女の、控えめでいて、かつ引き込まれるような整った容姿に場違いさを覚える少女。まあ、自分も場違いであるのは変わりないかと思ったと同時に、「残り一二〇」と背後でクルーの声と警報音が響き、照明が一斉に赤黒い光で機内を包み込む。

 一拍置いて。少女は右手で兵装の持ち手を握りなおすと。

「ということは、あなたが〝アーダマス〟使いの……」

「そう。他にも何人かいるんだけど、現地で合流するはずがこういう状況になったわけで、今回の作戦でアーダマス使いは私ひとり」

 作戦開始まであと〇一一〇。

「期待してくれると嬉しいな」

「はあ……」

 後部カーゴハッチが重い音を立てて、ゆっくりと開いていく。ジェットエンジン音とともに、冷気をまとった風が機内に吹き荒れ、ヘルメットを被らない長髪の彼女の髪が靡き始める。

 外の世界が徐々に広がっていく。黎明の、大気を染め上げる薄暗い青い空が続くと思えば、暁の光が正面から差し込んでくる。ニーイェット大陸は未だ星自身の陰に収まっているかもしれないが、あと数分もしないうちに地表にも陽光が届くだろう。

「そういえば名前を聞いていなかったね」彼女は続ける。「私はルヴァン。ルヴァン・ネゴーニトゥラ。コールサインも〝ネゴーニトゥラ〟。大佐って階級はただのお飾りさ」

「……バダーイェ・ウリムウェング。階級は少尉。……コールサインは〝グロリアスター〟」

「おお、〝グロリアスター〟とは大きく出たね。それは花の名前? いや、どっちにしろもとはこの世界を創造したって神話のあれ?」

「……人は呼ぶ。前世を記憶し、永久に生き続ける彼女を神と」

「だが、彼女は幾多の世界を渡り歩く中でその呼び名を嫌い、否定する」

「人と、人ならざる者を繰り返す。ただそれだけの存在」

「その過程で、私たちの世界は生まれる」

「そして、彼女は永久の時の中、待ち続けている」

 バダーイェとルヴァンナは互いの瞳孔を覗きあい、口を揃えて。

「——この輪廻から解放してくれる、最愛の人を」

 重々しい空気が、彼女たちの周りから風と共に流されていく。そして、肌にひびが入りそうな凍てつく風に頭を冷やされたのか、バダーイェは冷静になり。

「……失礼。取り乱しました」

「いいっていいって」

 けらけら、と腰のベルトからぶら下げた筒状の〝それ〟に触れるネゴーニトゥラは笑う。

「それくらいのノリはあったほうがいい。この十年間、新入りで君みたいなやつは、長くて三年も生き延びたんだ。バダーイェはもっとかもね」

「長生きしてみせます」

「いいね。気に入った」

 バダーイェはアーツを操作する技術にたけている。

 こうして弱冠一六歳で前線に投入されたのは能力者の不足が一因でもあるが、それ以上に求められたのが、彼女の異常なまでの能力。

 アーツの力を人が行使するには全身に装着する特殊兵装が必要だが、彼女にはそこまでの大仰な装置は必要ない。現に、彼女はルヴァンのように胸部装甲や籠手といった軽装甲ではないが、それでも背後に並ぶ部隊員のように、整備クルーに装着を手伝わせる手間はかからない。最終調整をしてもらうだけだ。

「ところで、出身は?」

 作戦開始まで〇〇五〇。

 隊列を崩し、延長された床に足を踏み込んだルヴァンナは下の世界を覗くと、うしろに纏めた長髪を風に靡かせながらバダーイェに尋ねる。

バダーイェはというと、その質問に無言のまま。

「……」

 暁の光が差す、真正面のはるか遠くに浮遊する大陸を指した。

「ヤース大陸か……残念だった。私も何度かあそこに行ったことがある」

 ヤース大陸。

 ニーイェット大陸よりも高高度に浮遊するその大陸は、かつて最初にアラハシュの侵攻を受け、人類が放棄した大陸だ。

「今も放射能汚染がひどいと噂を耳にします。でも、きれいなところですよ」

「ああ、きれいだな……この星は」

 暁の光に包まれ、巨大な滝が何本もヤース大陸からのび、虚空に現れた巨大な虹。今にも呑み込まれそうな幻想的な光景だが、駆除されなかったアラハシュが今なお、大陸に徘徊している。その大陸には唯一、アラハシュに勝る生物――かつて地上を支配した、竜族を祖先に持つ大型爬虫類は今なお健在であり、はるか遠くからでもその輪郭を、ぼんやりとだが、確認できるのだから、その大きさは計り知れない。首を天に伸ばしている様子から、今にも雄叫びがここでも聞こえそうだ。

「だから、私たちはこの星を守らなきゃならない。それは、この星を食い潰してきた私たちの義務であり、贖罪だ」

 作戦開始まで〇〇三〇。

「残り三〇」ある程度の独断行動を仲間に許している部隊長だが、それは建前であって、基本的にはルヴァンを任務の度に叱責するのに飽き飽きしたからだ。しかし、作戦開始直前になるとそうはいかないようだ。

「〝ネゴーニトゥラ〟、〝グロリアスター〟。もう戻れ!」

「はーい!」

 笑顔で手を振るルヴァンに、マスクの中で思わず苦笑する部隊長。

 私も戻ろう、とバダーイェは振り返ろうとすると、ルヴァンに手招きに足を止めた。

「ちょっと、こっちこっち」

 床の端に佇立する彼女に、風に倒されないようバダーイェはゆっくり近づくと、ルヴァンは

バダーイェの右肩に手を置いて、

「問おう、〝グロリアスター〟」

 問うた。

「君は伝統を重んじるか?」

 先ほどまでとは違う、その真剣な眼差し。

唐突な質問と、その落差に少しぎょっとしたバダーイェ。

 その質問の趣旨は分からないが、何か試されているのだろうということだけは理解した。

「……はい!」

 ならば、真っ向から答えてやろう。その先に何があったとしても。

それがバダーイェの、〝グロリアスター〟の選択だ。

「よし……行ってこい!」

 

〝グロリアスター〟に話しかけた時点でもう予想していたが、この光景を見るのは何度目だろうか。やれやれ、と隊長は呆れながら〝ネゴーニトゥラ〟に問いかける。

「それが伝統か?」

 最初のころこそ部隊員こぞって彼女の行いを責め立てたが、今ではこの前線部隊の名物となっており、隊長の問いかけも、いつの間にか〝伝統〟に組み込まれてしまっていた。

「――これが伝統だ」

 言って、〝ネゴーニトゥラ〟は作戦開始を合図する警報音にも、流れ込む凍風にも、陽光にも負けない、笑みを、浮かべていた。

 

 行ってこい?

 頭でその言葉を反復した時には、〝グロリアスター〟の足元に金属の床はない。

 臀部から全身に流れた痛覚に気づいたのは、空中に放り出されたあとのことだった。

 眼前に広がる大陸と大空に、彼女は絶叫する。

蹴られた⁉

「何が伝統だ……!」

 遠ざかっていく輸送機――正確には〝ネゴーニトゥラ〟――を睨みつけると〝グロリアスター〟は再び近づいてくる大陸を見返した。

 同じことを、彼女は十年にわたって続けてきたのだろうか。だとしたら、後ろにいた部隊の仲間も全員同じ被害に遭ったに違いない。

 お気の毒に……とは思わない。もしこの結末を知っているのなら、少なからず誰かが止めに入っていたはずだ。

 これが伝統か。

「最っ高だ」

 皮肉たっぷりに思いを吐き出した彼女は全身の装甲にアーツの力を注ぎ込むべく、火を入れる。本来なら出撃前に済ませておくべき行動だが、今回は状況が状況だ。不意を突かれた余韻が残っていたのか、装置を起動させるまで彼女はコンマ五秒を要した。

 こうして降下する形で出撃を行うのは、風による大気中に存在するアーツの吸収の効率化だと技術者は語る。

 顔面から被っていた突風がなくなり、〝グロリアスター〟の周囲には球状の、不可視の盾が展開された。とはいうものの、ここははるか上空。人体に有害な宇宙線が地上より多く、その宇宙線を反射する影響で、うっすらと青紫色をした球に〝グロリアスター〟は閉じ込められているという外観だが、初期調整が終わり、その光もすぐに失われた。

 気流に煽られながらも、態勢を整えた彼女は腰に備え付けられたグリップを握る。戦闘機の操縦桿にも似た形状のそれを操作すると、右手に持った飛行兵装に火が入った。

「三次元ディスプレイ」

 音声認識の確認を兼ねて、彼女が口にすると、不可視の盾に投影されるように、照準補助、リアルタイムの出力から現在地、心拍数に至るまで、様々な情報が視界に広がり、最適化された。

 次にディスプレイの照準に合わせられたのは、遠くで赤煙の軌跡を描きながら降下する友軍だ。

 この理不尽な遅れを取り戻さなければ。

「……くそっ」

 追い打ちをかけるように突風が邪魔をしてくるが、多少体制を崩しただけで、彼女はすぐに飛行兵装に跨った。

 十一の時にアーツに適性を確認された彼女だが、その逸脱した能力を買われ、後方にて五年間もの間、実験機、新型兵器の試験飛行やテストに駆り出されていた。現在制式採用されている飛行兵装の技術らは、ほぼ彼女のおかげとも言っても過言ではない。

 そして、彼女が駆る飛行兵装も、実験段階ではあるが、最先端のアーツの技術が採算度外視で組み込まれた、人類の叡智の結晶である。

 シルエットは、強いて言うならば、二輪車のハンドルなどを無理やりくっつけた、魔改造した箒、という表現が正しい。これは彼女自身の能力を最大限に引き出すために、形状に関しては彼女が提案したものである。伝承の中の英雄に影響された彼女の趣味が明らかに反映されているのは、言うまでもない。

 一点に集約されたアーツのエネルギーが後方に解放される。調整を見誤ったのか、加速度に上半身が後方へ倒されそうになる。シールド内において、ある程度の重力加速度は抑制されるが、急すぎる加速には抑制の効きが若干遅い、というのが現在の技術的限界だ。

 自由落下運動からいきなり超音速に達したのならなおさらだ。

「とんだじゃじゃ馬だ……!」

 シールドから噴き出すように、ソニックブームが発生すると、三次元ディスプレイの線がうっすらと赤くなり、〝グロリアスター〟に危険を知らせた。

 従来の原始的な航空力学を用いた飛行機であれば、音速を超えたとしても、形状にもよるが多少は問題ない。だが、アーツの力を用いたシールドに包まれた状態で音速を超えた場合、空間に存在するアーツとの摩擦が発生し、シールドに歪みが発生する。

 この歪みは非常に厄介なもので、戦艦仕様の大型の制御装置であれば問題はないのだが、人が装備する飛行兵装には、やはり技術的限界が立ちはだかり、シールド維持、重力加速度の抑制に問題が発生し、さらに大量のアーツを消費するのだ。

 それは術者の体力を奪うと同義であり、作戦行動に支障をきたす。

 そのため、飛行兵装にはリミッターが設けられており、このように自動的に術者に警告が促されるのだ。

『遅いぞ、〝グロリアスター〟』

 点がやがて人型に見えてくると、通信回線越しの第一声は隊長のそれだった。

『これで晴れて隊の仲間入りだ』

「とんだ伝統ですね」

 皮肉交じりに返すと、ふと、“グロリアスター〟は異変に懐疑する。

「あのくそったれアーダマス使いはどこへ? 降下したはずでは……?」

『彼女は前の機体に移動した』大隊長は続ける。

『もともと輸送しか任されていない我々にシステム調整を、それも短時間で済ませろなんて無茶な話だ。かといって、未知の大型個体が現れた以上、〝彼等〟を使う他ない。今回は〝ネゴーニトゥラ〟が彼等の終末誘導を行う』

「〝彼等〟?」

『彼女の言葉を借りると、〝彼等〟だな』


「第一から第四パレット、射出口の開閉、パラシュート、ともに異常なし」

「ネゴーニトゥラ大佐。パレットの射出、いつでもいけます!」

 天井から垂れ下がった有線ケーブルは、〝ネゴーニトゥラ〟の左前腕部の装甲に内蔵された通信端末に差し込まれている。そこを仲介した電波が耳の端末で音声に変換され、〝ネゴーニトゥラ〟の鼓膜を揺らした。

『はいよ』

 短い返事が来ると、通信が間もなく切られる。それからの彼女の行動に、応対した新人オペレーターが不安げにこう言う。

「大丈夫なんですか? 彼女、横になりましたけど」

「ああ」多少戸惑いを見せる後輩に、隣の男性オペレーターは続ける。

「新人がそう思うのも無理はないさ。あれが彼女だ」

 奇行が少々多いということは顔合わせ以降知っていたつもりでいたが、想像以上だな、と新人オペレーターは改めてガラスの向こう側にいる彼女を見やった。

「すぐに返事がくる。〝会話〟の邪魔をしてやるな」


「……」

 うつ伏せになり、〝ネゴーニトゥラ〟は網にも似たパレットの中にいるそれらに話しかける。

「これが君たちの最初で、最後の任務だ」

 彼女の視界に映るのは、三六のうちの九つの巡航ミサイルだ。

「私は、君たちのことは好きじゃない。君たちは、誰かを傷つけるために生まれたのだから」

 ひんやりとしたパレットに額を当て、「生みの親は選べないとは、よく言ったもんだな」と、微笑する。

こうして話しかける度、返事をしてくれるのではないかといつも期待してしまうが、当然、意志を持たない無機物から言葉は返ってくることはない。

「お互い、生まれ持った使命を果たそう」彼女は笑いかける。「君たちは兵器として、私はアーダマス使いの末裔として」

「君たちに芽生えたかもしれない意志は、私が必ず連れていく。それがたとえひと時であっても、争いも、兵器もない世界に」

「約束するよ」右の小指を立てた彼女は、間をおいて「……指きった」と、彼女の出身の地方での風習である、誓いの儀を彼等と交わす。

「〝ネゴーニトゥラ〟より指令室。こちらの準備は完了した」

〝会話〟を終えた彼女に、待ってました! と言うわけにはいかない。新人オペレーターは頭で反復していた言葉を有線に乗せる。

「了解。パレットの射出タイミング及び終末誘導を〝ネゴーニトゥラ〟に譲渡します」

左腕の通信端末を兼ねた装甲に、電子音に続くように各パレットの情報が流れ込み、あらかじめ展開していたシールドに写される。全三六の巡航ミサイルが表示されると、それらは四つのパレットを模した四角に囲まれ、スタンバイの状態であると〝ネゴーニトゥラ〟に伝えた。

「それじゃあみんな……いこうか!」


      ※


「見えた!」

大陸の果てまで広がり、その広大さに似合わぬ浅さの雲海の底を突き破ると、ちらほらと、人工物が漂流しているのであろう汚れ切った海上。九つの、どす黒い血の色をしたアラハシュが視認できる。

「あれが、アラハシュ……」

 長らく後方で技術部門に所属していたバダーイェにとって、アラハシュを実際に目にするのは、自身が被災した時以来である。アーツを全身に流し込む時とはわけが違う、ひしひしと伝わる恐怖という名のこの感覚は、生き物が強者と対峙した時の本能が生み出したものだろう。

 バダーイェは息を呑んだ。

 ゆっくりと、海水を垂らしながら会場から浮上するアラハシュの群れ。その外見は現存する竜種や昆虫類の要素が見受けられ、文字通り〝怪獣〟と呼ぶにふさわしい。

『にしてもなんだよ、あの後ろのバカでかいのはっ⁉』

 しかし、前の十体は彼等の目には留まらなかった。

 問題は、その後方から進んでくるそれだ。

『大型種の三倍近くはありますよ!」

 既に海面から姿を現していた後方の一体に、隊は驚愕する。前方の十体が大型と呼称されるなら、それは超大型と呼ぶにふさわしいだろう。頭頂高七〇Mの大型が一体出現した時点ですでにそれは脅威であり、通常の軍隊では太刀打ちができなかった。だが、それも過去の話だ。技術の発展、アーツを駆使する者の戦線投入、通常軍隊による戦法の確立により、最初の数年と比較すれば現在はだいぶ損耗を抑えられてきた方だ。

 しかし、さらにその上を行く個体が突如、この十年の時を経て発生した。

 それは、再び人類が劣勢に立たされたことを意味するのだろうか。

『狼狽えるな』

 部隊長のその一言が、舞台に広がる動揺を薙ぎ払う。

『敵が』人類に敵対する全て——アラハシュ——を意味する。『未知の攻撃を仕掛けてくる度に、我々はそれに打ち勝ってきた。今回も、その繰り返しに過ぎない』

 打ち勝ってきた。

繰り返しに過ぎない。

たったそれだけの言葉だが、彼はその過程で、最前線にて、文字通り眼前で散っていった数多の仲間の残像をその眼に焼き付けてきた。

『そうだろう、お前ら』

楽観的な奴だと、言葉だけならばそう受け取れてしまうだろう。

 しかし、最古参の一人として、屍の山の頂である今を生きている彼の言葉はひどく重たいものだ。冷静さと狂気が入り乱れている。

『おうよ!』

『返り討ちにしてやれ!』

 目の前のイレギュラーを前にしても、誰一人怖気づく者はいない。ここで逃げたところで、彼等に逃げる場所はないのだから。

『威勢がいいのはいいことだが、今回の我々の任務は止めと後始末だ』

 現状、アラハシュとの闘いに最も有効的なのは、彼等遊撃部隊による近接戦闘なのだが、接近する以上貴重な部隊員にもリスクが伴う。

 なので、接近戦の前に長距離砲撃による敵の弱体化が効率的であり、使い古された戦術である。

『幸い、今日は天が我らに味方している』

 

 ゴウン——


と、曇天から轟音が降り注いだのは、その直後だった。

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