6 焼成、華氏392度
数日後のこと。藤が目覚めたという連絡を受け、私は彼女の元へと向かった。すべての答え合わせをするために。
集中治療室から個室に移った彼女の病室は、温い空気と静かな気配に包まれていた。まるで相反する部屋。紅崎藤という人間に秘められた、妄念の熱量とはまるで真逆の部屋だ。
「いらっしゃい。なんだか久しぶりね、安希世」
ベッドに上体を起こして座る藤は、私をみて満足そうに頷いた。
「もう、なにもかもわかっているんでしょう。いいえ、なにもかもわかるように、私はあなたを導いてきたつもりだもの。私の近くで、私の考え方も、感情も、その眼でみてきた親友ですもの」
「藤……確かめたいことがある」
「もちろん。なんでも答える。安希世にはその資格がある」
私が藤に確かめたいことはそう多くはない。彼女は私の推理をきき、首を動かすだけでいい。頷くか、横に振るか。たったそれだけで事足りる。
ベッドに脇にある棚に、お見舞いの果物が置かれていた。リンゴだ。真っ赤なリンゴが置かれている。真っ赤な毒林檎。
私は唇を湿らせ、言葉を吐き出す。
「藤がいつから計画していたのかはわからない。すくなくともふたりでZOWの限定アップルパイを食べたとき。いや、もしらしたら由香里と出会ったときには決まっていたのかもしれない。藤は由香里の本性を知っていた。私たち三人が親友になったときには、すでに由香里の素行の悪さを承知していた。だから、藤は由香里が乗り換えをするタイミングに合わせてことを起こした。
藤の自殺の直接的な目的は告発。藤が私に宛てたメッセージ。私に『見せたいもの』とは、由香里の裏切りのこと。私に由香里の本性を暴かせ、親友としての縁を切らせること。藤は由香里が他人のモノをうらやむことを知っていたから、由香里を三人の関係から切り離す必要があった。自分で言うのは恥ずかしいけれど……藤が私を独占するために」
この結論を自分の口からいうのは、かなりためらわれた。
なにもかも外れていたら、私の馬鹿々々しい自惚れになってしまう。
「藤は母親の自殺がトラウマなわけでも、浮気や裏切りを憎んでいるわけでもない。由香里のことだって、そう嫌っているわけでもない。どれも紅崎藤の本質じゃない。藤の本質は、私の考えでは、探偵であること。謎を解き、ときには謎を仕掛ける。
藤は探偵だ。でも、探偵に必要なものがひとつ欠けている。それは助手という存在。探偵紅崎藤を完成させるために、探偵の助手となるべき人間を求めていたんだ。そのために私と仲良くなり、謎を解かせ、自分の元へと導いた」
藤は相変わらず垂れた目の下から私を見つめている。口を挟まず、私の結論を待っている。
Why done it ?
なぜ、それを行ったか。その答えを。
「紅崎藤はなぜ自殺したか。答えは、私を助手にするため。探偵の助手となるべき試練を与えるため」
解答は出した。あとは答え合わせだけ。
沈黙が降りる。藤は幾度か目をしばたかせ、そして、吹き出した。
「そうじゃない、そうじゃないよ! まったく、安希世は変なところで鈍いなぁ。探偵だからってなに? 最後の結論の出し方が雑すぎるでしょ! あっははは!」
「ちょ、ちょっと……笑わなくていいじゃない」
私は顔に血が集まるのを感じた。完熟の真っ赤なリンゴの出来上がりだ。
藤はひとしきり笑い終わると、棚のリンゴをひとつ取り上げて、手元で転がす。
「安希世の答えは、結論以外は正解だよ」
「なら、一体なにが?」
「答えはもっとシンプルでいいんだ。安希世はこの数日間、そのことについて触れて、考えていたはずなのに。ちょっとずれちゃったかな。私のやり方も回りくど過ぎたかもね」
藤は私にリンゴを差し出す。
「私は安希世のことが好き。恋愛感情として、好きだよ」
単純にして明快な告白。さっき私が自分でいったではないか。藤は私を独占したかった、と。ならば、その感情は――。
「この林檎を食べるか、食べないか。安希世が決めて。今度は私に答えをちょうだい?」
私に差し出されたリンゴ。蜜のたっぷり入った甘いリンゴか。それとも死に至る猛毒を秘めたリンゴか。どちらにせよ、蠱惑的な力を秘めた毒林檎に違いなかった。
私は藤の差し出す毒林檎に手を伸ばし、ひとくち齧り取った。
<了>
毒林檎の血蜜 志村麦穂 @baku-shimura
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