iは愛より出て哀より深し

カム菜

第1話

 申し上げます。申し上げます。旦那さま。

 はい、えぇ、こんなところまでご足労いただいてまぁ。お手数おかけしました。遠かったでございましょう。ささ、お茶でもいかがですか?最近仕入れた特別な品でね、淹れると甘く、けれども爽やかな香りがふわりと広がって、何ともまぁこれが天にも昇る心地で……要らない?はぁ、そうですか。なら私だけ、失礼してと……うーーん、いい香りだ。ほんとに要らないんですか?勿体ない。

 あぁ、それで御用向きは、はぁ、出頭命令。左様で。はい、良いですとも、もちろん。罪を犯した覚えはありませんから、身の潔白を証明しに、もちろん出向きますとも。白々しいですか?ははははは。いや、まぁ。そうでしょうねぇ。なにせ己の師を銀三十で売った薄情ものの言葉ですから、軽うはなりましょうね。おっと、まぁまぁ、お待ちください。出向くとは言いましたが、少しお話に付き合ってからでもよいでしょう。なにせこれから私は罪人として扱われるようになるのでしょう?少しくらいはねぇ、最後のおしゃべりを楽しませてくださいよ。あなた方も気になるでしょう?私がこれまで何をしていたのか。……なぁんて、たいしたことはしてませんけどね。他の弟子たちと違って私は、えぇ、少しばかり財産を持ってはいたものでね、その片付け、相続の準備があったのです。たつ鳥跡を濁さずと言うではありませんか?言わない?そうですか。あとは、まぁ、少しばかり私事を。まぁまぁまぁ、その話は後にして、とりあえず今日の話しましょうか。今日は、めでたい日なので、お祝いの準備をしていました。私の財産と呼べるものはほとんど処分してしまいましたので、えぇ、ささやかですが。何のお祝いかって?ふふ、今日は私の師が処刑されてちょうどひと月になるんですよ。はい、処刑されてです。三日後ではなく?当たり前でしょう。なぜそんな忌むべき日を祝わねばならぬのです。

 へ?そんなに自らの師を憎んでいたのか?ですか?はぁ、おかしなことをおっしゃいますねぇ。私はたしかに師を裏切りこそしましたが、心の底から愛しておりますよ。真に認めて付き従ってきた主ですから。ただね、私が愛したのは神の子であるあの方ではなくて人の子であるあの方でしたので………私はあの方が見せる弱さと、それにより引き立てられる強さこそ、美しく愛おしいものだと思っておりました。

 あの方は、いく先々において、いつも凛としていて、ただしくて、衆生を導くゆるぎない星のような方でありました。あの方自信、ご自身をそういった者として信じておいででした。はい、信じていました。まばゆく光る信仰をお持ちでした。あなたは信じる、ということをなんだと思いますか。……質問が漠然としすぎましたね。ええと、そうですね、あなたは今私がここにいると信じていますか?信じるも何もない?おっしゃる通りです。なにせ私がここにいることをあなたは見て知っているのだから。信仰は、そうではないのです。私がここにいなくとも、私がここにいると信じる。それこそが信仰です。目に見える根拠がないのですから、信仰は揺らぎうるものです。心の弱き者であれば尚更。しかし、その弱さ、弱さに打ち勝ち信仰を保つ強さこそ、最も美しく尊いものではないでしょうか。逆に言えば、知ってしまった時点でそれは信仰ではなくなるのです。ただの知識。保つことになんの障壁がありましょう?……あの方は墓に入られ、三日目に蘇りました。自らが神の子だと、知りました。暗い嵐の中を。一点の光を見据えて、一心不乱に歩んでおられたあの方の美しさは、えぇ、残念ながら墓から出た時に失われてしまったのです。

 それに比べて、あの方の処刑はそれはそれは美しいものでした。あの方はあの時完成し、あの時永遠に失われたのです。え?あぁ、はい。群衆に紛れて見ておりましたよ。私と師の最後の共同作業でしたから。……私、師を売る前に言われたんです。汝の欲するところをなせと。あの方は、救世主として完成を迎える瞬間を、人としての最期を、私に任せて、背中を押してくださったのです!ゴホ、ゴホ、すいません、すこし興奮してしまいました。でもそれくらい、あの人の最期は美しいものでした。それをお手伝いさせて頂いた喜びは、これまでの旅の苦労に報いるには十二分でございました。夢のようでした。

 ただ、ここで、ゴホ、問題になるのが、あの方が救世主となられたことです。あの方は私の手によって救世主として完成しました。神の子としての確信を持ち、人の子としての弱さが不必要になりました。先ほども申し上げた通り、美しさには翳りが見えましたが、しかしそれでも私はあの方を愛しております。ご存知ですか、天の国にまします我らの誠の父は我々を愛しておられども、正義の存在であらせられます故、罪人である我々を救うことはおできにならなかった。しかし、あの方は私たちの全ての罪の贖いとして死なれました。死なれて、復活なされ、誠の父と我々を和解させる掛橋になりました。それを信じるものはどんな罪であろうと赦され、天の国へと、誠の父の身元へとゆくことができるようになったのです。そう、この私の罪ですら許されるのです。信仰すれば、私は天の国へと導かれ、あの方に付き従う衆生共の一人として、あの方を愛し、愛され、何千、何億、数えられない数の子羊たちの中の一人として、永遠にあの方のそばに有れるのです。………これほどまでにおぞましいことがありますでしょうか?

 私は!あの方に付き従い!旅のお供をし!最期を託され!それがなぜ!有象無象共のなかの一人にならねばならぬのか!!!ゲホ、ゲホ、……すいません、取り乱しました。しかし想像してみてください。愛するものに、その他大勢の一人としてしか認識されない。あなたはそれに耐えられますか?私は耐えられません。耐えられませんでした。……はい、そこで先刻後回しにした話に、ヒュウ、ヒュウ、なるのです。

 へへ、私がこれまで、こそこそとなにをしていたのか。それはですね、あの方にとっての有象無象にならぬために、手を打っていたのです……私、神になることにしたんです。

 何を言っているんだこの狂人は?という顔をされてますね。まぁ、狂っていることは認めますが……神と言っても人を作った神にとって代わろうと言うわけではないですよ。人が作った神になろうとしているのです。

 具体的に何をしたのか、気になりますよね?なに、単に神話を仕込んできただけですよ。私が神である神話を。……天の国の誠の父は愛である方ですが正しき方であります。全知全能ではあられますが、正しさゆえに間違ったことはできぬお方であります。悲しきかな、人間は愚かで強欲で怠惰なものです。信じるだけで救われる、といっても、弱いものに信仰を持つことは難しく。それ以上に億劫なことであります。ですので、そう言った方々に信仰していただけるように、ゲフ、私の神話は、信じる人も信じない人も全ての人を平等に、価値のないものとして扱い、それでも存在を受け入れる、そういう神を用意したのです。ええ、そこにあるだけの神です。人を愛さない、愛するのはただ一人の悪いことも良いこともできる、そういう自由な神です。そんな神が信仰されるのかと?ははぁ、わかって無いですねえ。いいですか、人は、起こることに原因を求めるものです。何か良いことが起これば日頃の行いが良かったと、悪いことが起きれば何か悪さをしてしまったからだと。しかし、世の中そう簡単ではないですよね?そうなると、理不尽な、しかし抗わなくてもいいほど強大な存在にいて欲しくなるんですよ。そう、人を愛さない神のような。しかし、振り回すだけの存在では、ええ、不安なのでね、振り回しつつもそばにいてくれる、そんな存在。都合の良い、人間が作った人間のための神!

 そんな妄想を広めてなんになる?そもそもなぜ神になることが私の願いにつながるかですか?うーーん、私もこれが合理的な理由だとは思ってませんがね、ゲホ、一つは念の為ですね。あの方を殺した罪人でありながら救いを拒む私ではありますがね、あの方を信仰してないかと言われると、完全に否定はできないのですよ。私はあの方が我々のために死んでくださった意義を知っています。罪の贖いに、あの方は十分な価値をもたれた贄でありました。そして葬られ、三日後に蘇られました。私はそれを知っています。しかし、救われたくなどないので、ええ、すこしでも救い難い罪を犯すことにしたのです。あの方が、我らが父がその深い愛にて許すとされた罪以上の罪を、根比べですね。もう一つは、今生きる世界でくらい、あの方と並んでいるように見えたかったのです。あの方のことは、他の弟子たちも伝えています。やがて我々が生きるこの世界に、信仰は満ちていくことでしょう。それはさながらあの方の影が奇跡という光に照らされて落とした影が、世界を優しく覆い包むようだと思ったのです。私は永遠の滅びを受ける者ですから、コフ、コフ、奇跡など起こせるわけもないのですが、あぁ、しかし、私の信仰が広まれば、あたかも影を落とすようなものがあると見えましょう。この世界において、影同士だけでも共に並んで立つことができましょう。あの方の後ろではなく前に立ち塞がる者として!!!!はは、はははは、救われるなどよりよほど気分がいい!!!!!あははははは!!!ゲフ、ゴホゴホ!ガハッ!!!!あぁ、失敬失敬、お見苦しいところをお見せしました。あははは、そう恐れなさるな、血を吐いただけです。感染る病の類ではありませんよ、最初に、飲んでいたでしょう、お茶をあれは即効性の毒でありましたー。はは、申し訳ないですね、あなた方に殺されるわけにはいかなかったので。殉教、なんてしてしまうわけにはいかなかったのでね、ここでも罪を重ねることに、ゴホ!したのですよ。処置できぬほど手遅れになるまで素知らぬ顔でしゃべり続けるのは、少し骨が折れましたが。あぁ!別にあなた方を巻き添いにするつもりはありませんでしたよ。あんな場面でお茶を勧められるまま飲む兵士はいないと思ってい…信じていましたから。はは。あははははは!!

 しかしまぁあなた方には悪いことをしてしまいましたねぇ。私のわがままに付き合わせてしまって。ここまでご足労いただいて、なんの手土産も持たせて差し上げることもできないのですから。せめて私のこの退屈な話が、あなた方の好奇心を満たせるものだったら良いのですが……そうだ、わがままついでに、ひとつだけお願いしてもよろしいですか?なに、大したことはたのみませんよ。ただ、私の名前を覚えて帰ってほしいのです。これも、いつかあの方と並び立つための布石の一つ、です。よろしいのですか?はは、有難う存じます。あなた方に、あなた方がもとめる神のご加護がありますように。ああ、肝心の名前を、そう言えばまだ名乗ってはおりませんでしたね。はは……



 申しおくれました。私の名は商人のユダ、へっへ。イスカリオテのユダ。


――そういうと、男はどさりと倒れてそれきり動かなくなった。兵士たちは目の前で自殺を許してしまったことを良しとせず、近くにあったロープで首を吊らせ、到着した時にはすでに死んでいたものとして処理することにした。聞いた話は忘れることにしたが、じくじくと膿む傷のように兵士たちに影をおとした。男を弔うものはおらず、吊るされた死体はいつまでもそのままに放置されていたが、不思議なことにどんなに腐敗がすすんでも天を見るように首を上げた姿勢であり続けた。その様子は近くの者の評判を読んだらしいが、その後の話は誰も知らない。

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iは愛より出て哀より深し カム菜 @kamodaikon

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