触れてはいけないビデオ
常陸乃ひかる
触れてはいけないビデオ
VHS――通称、『ビデオテープ』。
そんな風に呼ばれていた記憶媒体は、
まあ、それも致し方ないこと。
あの長方形は現在、DVD、BD、MP4形式、etc.
様々な形に置き換わってしまった、過去の遺産なのだから。
けれどあの時代ではVHSが量産され、世間に出回っていた。
娯楽、教養、成長記録――それはそれは、様々な形で。
そう。
これは若い方々にとっては迷惑極まりない、ゴミほどの時代のほんの
――あぁ、ちなみに私はバブル世代ではないので。
1
中学生。思えばもう二十年以上も前の話である。
筆者の
今回の主役、Kは頭が良くて、ほかの生徒にはない、独特の雰囲気というものを醸していた。私がKと出会ったのは中学に入ってからだったので、彼の過去の奇抜な
とはいえ、
『なあ、知ってるか? Kってさ、小学校の頃から――』
中学校生活をしていると、ゴシップが大好きな、頭の中までお花畑のクラスメイトから、否応なしにKの評判を聞かされたものだ。
どうやら家庭環境はお世辞にも良いとは言えず、クラスメイトといざこざを起こしたり、よく嘘をついたり――と、悪いイメージを持たれていたのは事実のようだ。
私とKとの出会いは覚えていない。どういった
けれど私に対しては、『お前はオレの親友だよ』なんてベッドの上でのピロートークさながらに、誰よりも慕ってくれたのを覚えている。
ちなみにKと言っても、
2
涙が一滴も流れない『仰げば尊し』をスピードラーニングした末、四人はバラバラの高校に進学し、徐々に集まる機会が減っていた。つまりそこで、学力の差が顕著になったわけだ。
先述したとおりKは成績が良かったので、県でも有数の進学校に入学し、隣町に越してしまったため、余計に顔を合わせづらくなっていた。
人間には相応の付き合いがある――そう思っていた矢先である。
夏休みに入ると、突然Kから、
『みんなでウチに泊まりこいよ』
というメールが、私の折り畳み式携帯電話に送られてきたのだ。動画が5秒も撮れるカメラを搭載した、32和音を誇るネクストジェネレーション端末である。
うむ、日本の技術は素晴らしい。
――取り分け、Kの誘いを断る理由はなかった。私はMくん、Aさんとともに、慣れない電車を使って隣町へ遊びに行く計画を立てたのだ。
お泊り当日。最寄駅のホームで電車を待つ私たちの周辺は、2000年代とは思えない光景で溢れかえっていた。
一番線に飛び降り、線路を横断して二番線へ移動するヤンキー集団。
透かした顔で、プラットホームにて喫煙するサラリーマン。
ローファーのかかとを潰して歩く女子高生。
――どこまでもド田舎の日常だった。
ある意味、
3
Kの自宅は家族が出払っており、好きなように使って良いと言われた。が、飲酒も喫煙もせず、不純異性交友の相手も居ない野郎ども四人がすることといえば――
テレビゲーム内での大乱闘。
漫画をめくりながら、プライベートスペースを作る。
日が沈むと、ジャンクフードをお供に麻雀。
要するに、随分と男子高校生らしい時間だったのだ。次第に二十二時、二十三時、深夜――日付が変わると、Kはかれこれ十数回のあくびを放ち、麻雀牌を持つ手を止めて、ソファでまどろみ始めてしまった。
船の漕ぐのを見守っているうちに、ほどなくKは寝落ちし、あとを追うようにMくんも夢の中へ――
「なんだよ、KもMも夜更かし弱いな」
「
ダイニングテーブル。
ふたりぽっちでの深夜の座談会も、そう長くは続かなかった。
「うーん……うん?」
――ふと、ふたりは同じ方向に目線をやった。示し合わせたわけではない。ただ、朝日が昇るまでの時間を模索しているうちに、思考が重なったのである。
その先にあったのは、ウェルカム状態のKの部屋だった。
『オレの部屋開けとくから、本とかパソコンとか自由に使って良いぜ』
ふと、この家に上がった時にKが発していた言葉を思い出し、Aさんとの意見は、ツーとカーのように合致した。
「Kの部屋にエロビデオあるんじゃない?」
「良いね良いね。探しましょ」
要するに、いかにも高校生の
4
入室してすぐ左手にあったのは、勉強机とWindows2000が搭載されたパソコンだった。部屋の右手には、幅を取るビデオラックの上に、ブラウン管テレビが鎮座していた。
膝をつき、ガラス戸越しにビデオラックを覗きこむと、当時流行っていたドラマやバラエティ番組を録画したであろう、手書きのラベルが並んでいた。一見すると、Kの部屋に
が、男子が十五、六年も生きると、お宝の
それは、アメコミヒーロー並の特殊能力!
それは、安楽椅子探偵並の経験値!
言わば、男子の生まれ持った本能! というか、ただの性欲!
Aさんが前面のVHSをどかし、ラックの奥をくまなく探ると――やはりあったのだ。森の奥の台座に仰々しく刺さっている
ラベルシールを貼っていない独特の艶は、
我々に、もう確認の言葉は要らなかった。深夜のノリが合わさった私とAさんは、表情をほころばせての狂喜乱舞である。
――だが、今思えばそこでやめておくべきだった。
私たちに必要だったのは、特殊能力でも本能でもなく、少しばかりの危険予測、あとは慎重性だったのだから。
画面がブラックアウトしたのち、右上に浮かぶ緑色のデジタルフォント、
『ビデオ1』
の文字は、心を落ち着かせるためにあったのかもしれない。
5
VHSを吸いこんだビデオデッキが、再生ボタンを押したあとの特有のラグを生み出す。その間、真っ黒なテレビに映るのは、恥ずかしさを隠すような半笑いと、ワクワクを隠し切れない、若すぎる自分たちの姿だった。
心の準備が整う前に、パッと映像が流れ出した。
その内容を目にした瞬間――!
「え? えっ?」
「な、なに……コレ?」
私とAさんは、冷や汗を垂れ流し、まともではない反応を取っていた。
時に、まともではない反応とは? そう、例えば――
ラーメンを頼んだら、あんかけパスタを出された時の動揺。
ライトノベルを買ったはずが、本を開くと挿絵皆無の純文学だった時の落胆。
ピックアップガチャが仕事をしない時の
言い出したらキリがないが、とにかく心理的なダメージである。
私とAさんは顔を見合わせ、「なにこれ?」と、漏れ出してしまった心の声を、何度も重ね合わせていた。
なにせブラウン管テレビに流れた映像こそ、
『小学校のプールの授業を盗撮した映像』
だったのだ。
寝苦しい八月の夜、私は感じたことのない鳥肌を覚えていた。女性の裸体が出てきて、喘ぎ声が流れるとばかり思っていたのだから、当然の反応である。むしろ、内臓の入口がどアップで映っていたほうがマシだったくらいだ。
とても現実を、現実だとは認識できなかったのだ。その間も映像の中のカメラは、女子生徒ばかりを執拗に追い回していた。
プールサイドに座る女児。食いこんだ水着を直す女児。見学する体操服の女児。
私たちの眼前では、ノイズ混じりの異様な日常風景が流れ続け、騒音のような遥かな声が、耳元でゴロゴロしていた。
不思議なものである。
人間は現実を受け入れられないと、幾秒か行動を制されるのだ。
――時を戻そう。
時計の秒針は、優に一周していた。
「止めて止めて、Aさん止めて! ってか……Kは?」
「だ……大丈夫、寝てる。で、何秒観たっすか? その分だけ巻き戻しましょ」
「妙案だね」
ファンタジーからリアリティに帰還した私たちの低いトーンは、危機管理能力の表れだった。証拠を残さないように、テープを巻き戻す間も、気が気ではなく、犯罪者予備軍が目を覚ますのではないか、という恐怖を覚えていた。
もし私たちが、Kの秘密に触れた事実を知られたら――そのあとの気まずさを想像するだけで恐怖した。
サイレントに、かつスピーディに、手の甲に汗を浮かべながら現場を元の状態に戻し、そっとダイニングテーブルに落ち着いたのである。
最終的にその件は、
「Aさん、このことは他言無用で」
「そうなりますよねー」
ふたりとも、胸の奥底に存在するお
Epilogue
――高校を卒業するとKとの交友関係は、掌に落ちてきた雪の結晶くらい、いとも簡単に消滅した。現在でもMくん、Aさんとは付き合いがあるが、
『お前はオレの親友だよ』
なんて恥ずかしいラブコールを送ってきた人物が、真っ先に離れてゆくとは、実に皮肉ではないか。交友関係を言葉で縛る奴ほど、本質は
現に、私の人生で『親友』を語る奴は大抵ロクな奴が居なかった。
しかしながら、あの映像はなんだったのだろうか。
Kが撮ったとは思えない――というか、思いたくないので、カタギではないウェブサイトとか、ビデオショップとかで購入したのだと、自己完結させている。
が、今の時代。
触れてはいけないMP4が皆さんの端末にも眠っていそうだが。
了
触れてはいけないビデオ 常陸乃ひかる @consan123
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