【小説】雪福

紀瀬川 沙

本文

 先年、物見遊山を目的に京都へ行った折のことである。ちょうど円山公園の枝垂れ桜がぽつぽつと下紐解けてきた頃合いであった。その転勤前に東京でお世話になった編集者の方と久しぶりに会った。私の宿泊していた柊家旅館からすぐにレストランで夕食をご一緒しつつ、今般のよもやま話に花を咲かせた。その方はなかなか面白い方で、意図してか、大きく年の離れた私のような者にも気を遣わせるようなことをしない。私もその厚意に甘んじて、傍から見るとややもすると失礼にも取られかねないような調子で付き合いをさせてもらっている。とはいえ、無論私が本当に失礼な粗暴に打って出るはずもなく、先方もそれをわきまえて付き合ってくれているようだ。まことにありがたい。

 その席での京名物や京女にまつわる話のなりゆきに任せて、次の日の夜分、私を祇園甲部の花街へと連れて行ってくれた。どうやら自らの顔が利くところがあるようで、ぜひとも私を紹介したいという触れ込みであった。普段から一見さんお断りを標榜する花街の茶屋に、つてあって入ることができるのは光栄ではあったが、私はどうも自らの若齢を気にし過ぎているようで最初のうちは今一つ乗り気ではなかった。だが、私の作風の一つである国風というものが現出しているという簡単には信じられない言葉に押され、私もお供させてもらうこととした。一応名は伏せるが、八坂神社からほど近い〇〇茶屋というところであった。格も勢いも祇園では王道を行く茶屋であるという先触れであった。東都に住まう私も、その名だけは聞いたことがあった。その方がいつの間にか招いた、たまさか近くで用事があったという某新聞社記者と日本画家の方もその店に来ていた。この二人は編集者の方よりもさらに年長であった。私は初対面だったものの、二人ともまことに気さくな方で、話しやすい方であった。何よりも私は年長者が増えて少しばかり安堵した感があった。お三方のするようにすれば、慣れぬ場所とて誤謬はないであろうと思った。

 なるほど、実際にやや気負って訪れてみれば、館の造りから座敷の襖、欄間の透かし彫りまですべてが歴史をそのまま切り抜いたかと思わせるものだった。古風であり典雅といったところか。あちこちに、あたかもつまらない置き物のように無造作に置かれた古美術品も、その一々が立ち止まってしばらく眺めていたいぐらいのものであった。試みに一つそれとなく尋ねてみると、やはり私の睨んだ通りかの高名な歴史上の美術家の作物であった。内心驚いたが、気色ににじませることは堪えた。

 座敷へ上がり、経験も浅く野暮な私にはもったいないほどの豪勢な京懐石と銘酒をいただいた。食膳を調えにきた人から、季節の変わり目で旬のものが少ないとの弁明めいた言葉があったが、私の分かるだけでも桜鯛・白魚・蛤・壬生菜など春の食材が造り・煮物・温物・香の物に用いられていた。それに加えて、酒は京の酒造の大吟醸であるとのことだった。食と相まって、知らず知らずのうちに盃が進んだ。食も酒も、野暮ったい私もさすがに味の格別なるを思い知らされた。ところで、花街にては或る茶屋へ一度参ったらもう他の茶屋へ行くことはできないそうだ。そのような行為は「ほうきのかみ」として嫌われるそうである。もちろん正面だってなじられるわけではない。京固有の陰なるうちに囁かれてしまうのである。私もこれで終生その茶屋と付き合ってゆくわけだ。先方からしたらちょっとした先行投資だったのかもしれない。というのも只の思い上がりか。

 扨て、その編集者の方は慣れた手つきで芸者を手配してくれていたようで、ちょうど良い頃合いになって芸者・舞妓らが座敷へ上がってきた。彼女らの歌舞音曲を鑑賞し、次いで隣に座する彼女らと取り留めもない会話を少しした。会話のなかでは私が年少であることが話頭にのぼった。舞妓らと私とは、私のほうが二、三歳年上である程度で、ほぼ同世代であることが珍しかったらしい。考えてみれば確かに合縁奇縁のようなものなのかもしれない。私と舞妓が茶屋で会うか街角で会うか、八坂の社にまします奇稲田姫にもわかるまい。やや酔狂の私がふざけて吐いた二、三の冗談が美しい笑いを誘った。

 その舞妓のなかに雪福がいた。私が気に入った御仁ではあったが、初めからまばゆいまでに玉光っていたわけではない。美しいことは美しいが、特段水際立った美しさというものでもない。旅のパンフレットにでも探せばいそうな美しさであった。舞いもぎこちなく映り、歌舞の菩薩にはまだかなりの道程が控えているように見えた。だが、芸への真摯な姿勢が舞い姿から判別しえた。彼女の芸と私の追求する芸術は異なるが、私のほうは何か共感して感銘するところがあった。雪福のほうはどうか、わからなくともよい。そして隣座で話せば話すほどに、摩訶不思議によりいっそう惹かれていった。

「雪福というのはいい名前だね。雪見大福ばっかり食べているから?」

「かなわんどす。そないに肥っていまっしゃろか。ぎょうさんは食べてへんんどすけど」

 私が意地悪く彼女をからかったところ、応える雪福のやや赤らんだ顔のきりりとした目鼻立ち、いっそうの白粉乗りが私の認識するところとなって私の心の一部分を大いにくすぐった。同時にふと目に入った雪福の首筋の後れ毛が、私の心をくすぐるだけにとどまらず官能までもを刺激したのだった。私は彼女をもっと知りたくなっていた。

 私は名酒の助力も借りつつ、焦らずたゆまず地道に話をつづけた。それによると、雪福は岐阜の生まれで中学卒業後すぐに祇園へと入ったそうである。平成三年生まれの十八歳だということだった。

 すると今度は雪福のほうから私へ、私の目下の本業である大学生について、自らの羨望も含ませて尋ねてきた。それを契機に新しい会話が始まった。私はうかつにも彼女に、大学に行きたかったかという意味のことを聞いた。口を滑らせたことに気づいたあと、芸の道をゆく女に少し酷なことを聞いてしまったかと思った。芸への邁進の妨げにならねばよいがと思った。恐る恐る、大吟醸の水面から雪福へと視線を移した。だが彼女は単純に、いや、相手に単純と思わせることを意図した明るい声音で、

「うちは阿呆さかいに大学なんていけまへん。高校も行ってまへんさかい」と打ち笑みながら言った。この返事を聞き届けて私はほっとしたのもつかの間、次には彼女の優和さにほとほと感服した。そして感服は敬愛となり、ついには愛情となって確乎とした形を帯びたように感じた。私は雪福が困ってうつむくのも構わずに彼女を見つめていた。客をして好意を誤認せしめればせしめるほど、遊び女の芸の達するところと見なされるのもかもしれない。だがその時の私にとってはそんなことどうでもよかった。私は愛情の先、肉への欲求に変わるすんでのところにいるのがありありと分かった。

 前近代の親に売られた娘ならいざ知らず、現代の彼女らは義務教育を終えて自ら祇園の花街へ入った。それによって身を立てようとも考えていない学業にこだわらず、その間の学校や街中での時間と金の浪費も避けて通った。それからはひたすら芸を志すばかり。どの芸者・舞妓にも当てはまる見上げた根性に思う。大した気概に思う。そんな女丈夫が、また一段としおらしく佳麗に私へと尽くしてくれる。なんとこの小さな心を満たし慰めてくれることだろうか。

 花々しき雪福。片や簡単に最高学府まで進みながら今なおそのゆく道ははっきりとしない私。いずれがどうか、などとは判じがたい。だが私個人は、雪福に対し、憧憬と愛着を抱く心を抑えることはできない。

 爾来、東京の住まいする私はなかなか京都祇園まではゆけない日々が続いているけれども、夜な夜な雪福の笑顔が向けられているであろうどんなお歴々、成金より、私が彼女を贔屓にしていることは奇稲田姫に誓って断言できる。

 彼女の面影と声色がことあるごとに私の頭に今も去来してやまない。


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【小説】雪福 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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