25 告白

 日本史談会の動きは迅速だった。

 早希たちが町の中で四苦八苦していた中で、日本史談会は多数の術者を時漏町に派遣。朱鷺沢の式が外部に漏れ出さないように町を完全に封鎖した。

 朱鷺沢の式を掃討するだけの戦力が整うまでの間、時漏町は外界と隔絶されていたことになる。観光客の中には町から逃げ出そうとした者も多かったが、彼らは史談会の手によってひとりひとり回収されていった。無論、記憶の混濁という処置を施された上でだが。

 いざ朱鷺沢を討たんと戦力が揃った時には、早希と八重によって〈ジロチョウ河童〉が懲罰、朱鷺沢は式を回収して姿をくらましていた。

 町の中に踏み込んで状況を確認していた史談会のメンバーによって、八重と早希は重要参考人として確保された。八重の顔が史談会に知られていたことと、早希が町の中で目立った動きをしたために目をつけられていたらしい。

 八重は知っていることをすべて史談会に伝えた。だが史談会を驚かせたのは、早希による状況報告であった。

 まったく素人であるはずの早希が、町で起こったすべてを完全に把握し、理解し、自ら解決に向けて動いていた――これは史談会にとっても予想外の事態らしかった。そのせいで、八重は早希に以前から機密を流していたのではとあらぬ疑いをかけられることとなった。

 結果、史談会は早希の身柄を日本史談会で預かるという命を下した。

 これに猛反対したのが八重であった。早希が何も知らないこと、自分が何も教えていないことを、すでに確認ずみであるにもかかわらず訴え、早希を解放しろと怒りを露わにした。

 早希は八重に感謝しながらも、史談会の判断に従うことにした。

 自分は知りすぎた。だけどまだ、ろくに物を知らないままだ。ならばこんな不安定な存在を野放しにするよりは、きちんとした組織に預かってもらうほうがいいだろうと納得した上での判断だった。

 それに、おそらく史談会に身を置いていなければ、時漏町がこれからたどる道を正確に把握することはできないだろうと気づいていた。

 史談会は早々に「河童の襲撃」という事実を虚構へと塗り替えるべく動いていた。

 朱鷺沢の式である河童たちは、写真に残ることがなかった。とっさにシャッターを切ったカメラの中に残されたのは、ただの風景を写した写真ばかり。

 混乱の中でSNSに投稿された「河童に襲われた」という報告は見つけしだい削除。投稿した観光客たちはみな記憶の混濁という処置を受け、何が起こっていたのかを思い出すことを封じられた。

 時漏町の住民には、同様の処置は施されなかった。あまりに数が多すぎたことに加え、知り合い家族の中に犠牲者が多すぎたため、下手な処置を行うとかえって混乱が増すと判断された。

 時漏町の中だけでは、河童の襲撃は本当のこととして残った。だが多数の死者を出した原因は、滝尾彼方が撒いた毒ガスによるもの――と決定づけられた。滝尾という男はあらゆる意味で生贄として選ばれた存在だった。

 未曾有の毒ガステロ事件として片付けられるように誘導された結果、住民たちも自分の見たものは毒ガスによる幻覚なのではないかと疑うようになっていく。

 今世紀最悪のテロリストの汚名を着せられることとなった滝尾彼方はしかし、何も発言を行わなかった。彼の意識は〈ジロチョウ河童〉にハックされた時点で完全に消滅しており、〈ジロチョウ河童〉が抜け落ちたあとに残ったのは物言わぬ肉体だけ。生命活動こそ行っているが、死んだも同然の状態となった滝尾がその後どうなったのかは早希も知らない。

 滝尾がテロリストとされてしまったことで、時漏町の町おこしも大きな損害を被った。なにせ滝尾が陣頭に立って推し進めた地方創生事業である。滝尾主導のジロチョウ祭りやジロチョウ河童伝説は、どれも汚れたものと見做される。

 ただ、時漏町は被害者として大いに同情を集めた。稀代のテロリストに利用され、多数の犠牲者を出した悲劇の町。時漏町の復興は、地元テレビ局で定期的に放送された。

 河童を使った町おこしは忌避され、改造され河童神輿と名を変えた神輿たちは破棄された。町中を彩った河童の絵や看板も撤去され、ジロチョウ河童伝説の由来を語る看板も市によってなかったことにされた。

 町は近いうちに死ぬ。

 そう言われ続けた時漏町は、早希が町を離れたあともずっと生き残り続けている。

 小さな慰霊碑に手を合わせ終わり、早希は代わり映えのしない町を眺めて少し安堵した。

 東京で大学を出ると、そのまま日本史談会に正式に加入して五年。在学中から身柄を預けていた史談会に入ったことは、家族にも伝えていない。国家公務員となった、とだけ話して、詳細が教えられないということを電話越しに説明した。それ以来家族と連絡は取っていないし、時漏町に帰ってくることもなかった。

 早希の一家は、早希の行動のあおりを受けて時漏町で暮らすことができなくなった。騒動が収まってすぐに家の窓に石を投げ込まれたり、郵便受けに無数の怪文書がねじ込まれることとなった。祖父などは目に見えて意気消沈したらしいが、母が早々に町に見切りをつけ、手早く県外のマンションに引っ越した。自分の現状を正確に伝えることができない早希に対しても、母は快活に笑って言った。あんな町、残ってやる価値もない――と。

 確かに、時漏町に残る者は、外から見れば亡者のように見えるだろう。

 今でもジロチョウ祭りを盛り上げようという動きはあり、その旗振り役を担っているのは堀川隼人だという。隼人はかつての滝尾彼方に感化されたように怪しげな肩書きを名乗り、ジロチョウ祭りの復活を目指して日々PR活動に精を出している。

 早希には、亡者どもの呻きにしか見えない。土地と人間関係に縛られ、狭い視野の中で這いずり回る。

「今井さん」

 背後で声がする。

「お連れしました」

 史談会お抱えの運転手は、そう言って早希が東京からここまで乗ってきた黒いセダンの後部座席のドアを開けた。

「お久しぶりです。先生」

「私はもう教職を退いた。お前に先生と呼ばれる筋合いはない」

 以前よりも語気が衰えているが、突き放すような物言いは変わっていない。

 加古川八重は大きく溜め息を吐いて、車から降りた。

「まったく、下手をすれば誘拐まがいのことを平然とやってくれる。やはりお前を史談会に預けたのは間違いだった」

 早希は小さく笑って、少し足下が覚束ない様子の八重に手を貸す。八重は鬱陶しそうに顔を顰めたが、黙って早希の介助を受け入れた。

「それで――何をしにきた」

 八重の眼光が、一瞬で鋭く変わった。

「朱鷺沢さんとの決着をつける、準備です」

 朱鷺沢未来はあの日からずっと行方をくらませている。だが、彼女が確かに生きて暗躍していることは、日本史談会から見れば明白だった。

 あれから、日本各地で時漏町と似た事件が起きている。

 ある時は鬼。ある時は天狗。ある時は縄文人。ある時は恐竜。朱鷺沢は〈征文形代コンテキスタドール〉を利用して、それらの文脈を書き換え、地方自治体に地獄を顕現してみせた。

 決して表に顔を出すことはないが、すべての大災厄に後ろに潜んでいると目される、最悪のコンサルタント。

 早希は日本史談会で、朱鷺沢を追い、討ち滅ぼすための訓練を受け続けた。その中には当然、彼女の出身である陰陽寮――陰陽師からの講習も含まれる。

「〈征文形代コンテキスタドール〉――宣言――代入――参照――識別子〈ジロチョウ河童〉」

 早希は自らの式を組み上げていく。

 早希に与えられた式は、朱鷺沢と同じもの。彼女を追い詰め、確実に仕留めるために用意された最適な式と術者――すなわち、対象と同質の力とバックボーン。

 ふっと力を抜いて、組み上がっていく途中の式を解体する。

 この町にはもう、〈征文形代コンテキスタドール〉を打つに足るだけの情報流が存在しない。

 早希が行ったのは、かつて朱鷺沢が行った作業工程を再現することで、彼女の痕跡を収集する行為でしかない。朱鷺沢の式の匂いを覚えた早希の式は、やがて優れた猟犬へと変貌する。

 情報流が汚損し、廃棄されたあとでも、そこから得られる情報は多い。特に朱鷺沢と同じ式であるなら。

「終わりました」

「そうか。なら帰れ」

 公園から歩いて帰ろうとする八重を、早希は静かに呼び止めた。

「先生。本、読みました」

 時漏町に平穏が戻ったころ、加古川八重はまず論文を発表した。

 内容は、時漏町で行われたジロチョウ祭りと、その根拠として用いられたジロチョウ河童伝説についての検証。その中で八重はジロチョウ河童という言葉の初出が自分が中学生の時に郷土史部で書いた虚偽の報告であることを示し、またその内容が引用された書籍を『旅と民俗』以外にも見つけ出してすべて列挙し、『時漏れ』発行以前にはこの言葉がまったく見つからないことを証明し謝罪した。

 学会で大きな衝撃をもたらしたこの論文はのちに一冊の本の中に収録されて世に問われることとなった。その本は現代日本に蔓延する偽史や偽りの伝統を検証し分析するというもので、図らずも朱鷺沢が毛嫌いしつつも食い物にしている事柄に対抗するかたちとなった。

「ああ。あれで私は死んだようなものだ」

 知っている。教職を退いたのも、論文を出す直前のタイミング。その後八重は県外へと転居している。

 少なくともこの町は、もはや加古川八重という存在を許さない。悲劇が起こった直後に、追い打ちをかけるように町おこしに利用してきたジロチョウ祭りとジロチョウ河童が偽史だと糾弾した八重は反逆者にほかならず、忌まわしいものとして排斥するしかない。

 さらに八重は、論文内で自分こそがジロチョウ河童の作者だと名乗りを上げている。偽史を検証しながら、自らは偽書を生み出していたと告白する。二枚舌だと言われても仕方のない行為であり、実際その論文が再録された本が出版されて以降、八重の文章が世に出たことはない。

 朱鷺沢ならば、これで八重を殺したと勝ち誇るだろうか――いや。

「先生は死にません」

 早希は八重の手を、強く握った。

「先生はきちんと責任を果たしてくれました。私との約束を、守ってくれた。だからきっと、先生が死なないと信じるには、それだけで十分です」

「そうか」

 八重は早希の指をほどいて、自分の手で優しく早希の背中を抱いた。

「強くなったな。今井」

 抱擁の中で、早希は未熟だったころのように、顔を真っ赤にしていた。あまりに恥ずかしく、懸命に身に着けてきた威厳や自信を奮い立たせた結果、早希の口は勝手に動いていた。

「先生。私……ずっと先生が好きでした」

 八重は悪戯っぽく笑う。

「だろうな」

 早希はこれから、朱鷺沢を追って長い戦いに出る。

 日本史談会は、皮肉にも朱鷺沢の凶行への対応に追われることで、本来の理念を取り戻しつつあった。かつての史談会を知るメンバーが陣頭に立ち、朱鷺沢を討つべく大きく変革を遂げた。朱鷺沢の危険性に気づいた政府は強引な介入を避けるようになり、図らずも最悪の反逆者のおかげで、日本史談会は復活を果たしたことになる。

 朱鷺沢の凶行を可能にしたのは、何よりも時漏町と同じ、短絡的な考えの自治体と人間が掃いて捨てるほど存在する土壌があってこそ。かつて朱鷺沢が唾棄していた歴史や伝統という看板を盲信する人々はいまだに無数に存在し、朱鷺沢がさらなる凶行におよぶための餌はいくらでも転がっている。

 朱鷺沢と対決した時、自分は果たして彼女に反論できるのだろうかと、早希はずっと不安だった。

 八重の教えを胸に刻み、日本史談会にいる間中、自分もまた朱鷺沢と同じ道をたどるのではないかという予感が常につきまとう。

 だけど、もう大丈夫。

 いま抱いている八重のぬくもりが、必ず早希を朱鷺沢と隔てる。

 きっと、このひとはずっと死なない。

 なぜなら――。

「私が先生を殺させない」

 どれだけ長い道のりになろうと、この思いを抱いていけば、早希は永遠に倒れない。

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レジェンドコンサルタント 久佐馬野景 @nokagekusaba

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