【ある日の侯爵家の出来事】ベネディクトと投げナイフと。

「……セレーネ様って、サイドスローで投げるんだね……」

 そんな言葉をポツリと溢したのは、カラマンリス邸に世話になっている、カザウェテス子爵家の養子であり嫡男だったベネディクトだった。


 彼は屋敷の裏庭にて、ハタハタと風になびく干されたシーツのそばの、置かれた木箱の上にチョコンと座っていた。

 そこから少し離れた場所で、木の柵に立て掛けられた木の板に向かって投げナイフの練習をしていたセレーネは、「?」という顔をして振り向いた。


「……? ああ、そういえばそうですね。私はナイフを、下、もしくは横から投げますね。勿論、上から投げる事もありますが」

 言われて彼女は、手にした投げナイフに視線を落とす。


 よく晴れた日の午後。

 サミュエルへの護身術の指導が終わった後、セレーネは自分の訓練を続行した。

 サミュエルへの護身術の指導に付き合ってくれるベネディクトは、今日は部屋に戻らずにセレーネの訓練の様子をボーッと眺める。

 彼はあまり普段から喋らないので、そこに居続けるベネディクトの存在を、セレーネは若干忘れかけていた。


「……なんで?」

 ベネディクトは自分の膝に両肘をついて、顎を手で支えるような体勢になって質問する。


 ──ああ、疑問に思ったことは何でも言葉にしてくださいって言ったからなぁ。

 うん、良い事だ。


 そう思ったセレーネは、手にしたナイフをコルセットの後ろに戻す。そして、ナイフを投げていた木の板の方へと行って、刺さったナイフを抜いて足のベルトに差し込んでいった。


「大概、私がナイフを投げる時っていうのは、ナイフを手に持ってる状態からではなく、鞘に収めてる状態からが多いんです」

 ゆっくりした足取りでベネディクトの方へと戻ってきたセレーネは、コルセットに仕込まれたナイフの鞘、そして足に装着したベルトを見せる。

「だからこうして──」

 セレーネは、ゆっくりとした動きでコルセットに仕込まれた鞘からナイフを引き抜き、そのままサイドスローで投げる仕草をした。

「──抜いた動作のまま即投げます。

 私のナイフは殆どが牽制けんせいです。相手へのダメージよりも、相手を怯ませたり驚かせて隙を生む為に使っています。

 だから、投げるまでの速さが命なんですよね。速さを重視したので、自然とこのスタイルになったんだと思います」

 抜いたナイフを元へと戻し、セレーネはベネディクトの方へと振り返って座る彼を見下ろす。

「ちなみに、利き手以外でも投げる練習をしてますよ」

 左手でナイフを抜いて、同じように投げる仕草をした。


「ふーん……」

 ベネディクトは、理解したんだかしてないんだか、セレーネからではおおよそうかがい知れない無表情のままだった。


 ベネディクトからの言葉がそれで終わってしまったので、微妙な沈黙の時間が流れる。

 セレーネはナイフを腰に戻しながら

「ベネディクトはどう投げるんですか?」

 そう問いかけた。

 問いかけに『ん?』と顔を上げたベネディクト。

 セレーネがニコニコしながらベネディクトからの返答を待っていたので、木箱の上で体勢を変えて座り直すと、ジャケットの中へと手を入れて細身のナイフを取り出す。

「こう」

 そして、ナイフを耳の後ろまで掲げたあと、ゆっくりと前へと投げる仕草をした。


「なるほど。その方が軌道が安定しますし、確実に刺さる事が多くなりますね。

 ……あ。ベネディクトは刃の方を持って投げるんですね」

 セレーネはパンっと両手を叩いてウンウンと頷いた。

 彼女の言う事がよく分からなかったベネディクトは、ハタから見てると『痛くないの?』というレベルで首を傾げる。

「は?」

「そう、刃、です。私は柄を持って投げるので」

 そう答えたセレーネは、もう一度ナイフを抜いて投げる仕草をする。

 それを見ていたベネディクトは、自分が持つナイフへと視線を向けて、少し目をパチクリさせた。

「……ホントだ」

「無意識ですか」

「無意識……投げやすい持ち方って、思うと、ね」

 言ってから、ベネディクトは柄の方を持って投げる仕草をした。

「……うん。なんか、違和感あるな……」

 すると、セレーネは再度ウンウン頷く。

「という事は、ベネディクトはナイフを半回転させて相手に刺さるようにしてるんですね」

 そう言って、セレーネは腰から自分のナイフを抜き放って刃の部分を持ち、ベネディクトと同じように耳の後ろまでナイフを掲げてから、柵に立てかけた板目掛けて投げつける。


 ドッ


 ナイフが木に刺さる重い音がした。

「……ホントだ。半回転」

 ベネディクトは少し目を見張る。

「で、私はこうです」

 そう言って、もう一本ナイフを抜いたセレーネは柄を持ったまま、サイドスローで板へと投げつける。


 ドッ


 再度、ナイフが木に刺さる重い音がした。

「一回転してるね……あ」

 それを見ていたベネディクトが、ふと何かに気づいたかのように言葉を止める。セレーネは、ベネディクトから言葉が続くのを、ニコニコとして待ち続けた。

「……もしかして、距離がある時は、俺の場合は、一と半回転とか、二と半回転とかしてるのかな」

 ベネディクトが、そうポツリと呟いたので、セレーネはまたウンウンを頷いた。

「無意識かもしれませんが、相手との距離によって、回転数がちゃんと変わる投げ方をしてるんだと思いますよ。私もそうです。たぶん、もう無意識だと思います。相手との距離で、自然とスナップの効かせ方を調整してるんじゃないでしょうか?」

 ニコニコしながら結構物騒な話をしている事は、二人は気づいていない。

 実は洗濯物を干しに来たランドリーメイドたちが、怯えながら影で二人の会話を聞いていた。


「……セレーネ様のナイフと俺のナイフ、形が違うね……」

 板に刺さったセレーネのナイフを見てから、ベネディクトは手にしていた自分のナイフに視線を落とす。

「あー。そうかもしれません。私が使っているナイフは、そこそこの厚みがあり、片刃に見えるかもしれませんが、ちゃんと両刃ですよ。背の方も研いであります」

 セレーネは腰から抜いた一本を、くるっと回してベネディクトへと差し出す。彼はそれを受け取り、自分のとマジマジと見比べた。

「ふーん……」

 ナイフをこねくり回して眺めるベネディクト。

「ベネディクトのナイフは……細身のナイフですね。両刃で左右対称。どう投げても同じ回転がかかるようにしてるんだと思います」

 セレーネがそう解説すると、ベネディクトは自分のナイフを上から投げる仕草をしたあと、裏投げの仕草をする。

「あー。ホントだ……」

 無意識かよ。天才ってコワイな……自分は、自由自在に投げらせるようになるまで、文字通り血の滲むような努力をしたってのに。

 セレーネはベネディクトの資質に、内心少しだけ嫉妬した。


「私のナイフは、投げて使うだけじゃなく、手に持って刺したり切ったりする事もできるようになってるんですよ。その分、携帯性は落ちるので、仕込める数に限界はありますが……ベネディクトのは、色々な所に仕込みやすそうですね」

 板に刺さったナイフを抜きながら、セレーネはそう続ける。

 言われたベネディクトは、少し視線を宙に漂わせてから、ジャケットをモソモソと脱いだ。

 すると、ベネディクトの脇から背中にかけて革のベルト──ショルダー型の革のホルスターが姿を現す。

「ここに、しまってるよ」

 ホルスターについた、両脇部分の袋へと手を突っ込んで投げナイフを見せるベネディクト。それを元に戻して、次に腰の後ろへと両手を突っ込んだベネディクトは、そこからも数本のナイフを少し取り出して見せた。

「手に持って使うナイフはここ」

 再度投げナイフをしまったベネディクトは、セレーネへと半身を返して背中を見せると、下向きになっているナイフの鞘を見せつけ、そこから手持ち用ナイフを抜いて見せた。

 ──いつか、アティの喉元に突き付けたナイフだった。


「……重そうですね……」

 凄い量のナイフを隠し持ってるんだな……セレーネはその事実に少し恐怖を感じる。

「うーん……もう慣れた。最初っから、こういうのの重さに慣れろって、ずっと身に付けさせられてたから……」

 ベネディクトは、なんて事はない、という顔をして手持ち用ナイフを元の位置へと戻し、脱いだジャケットをモソモソと羽織った。


 ──カザウェテス子爵めぇ……子供になんて事教えてんだよッ……! いや、出来るに越した事はないけれど、それにしたって──


 セレーネは小さく歯ぎしり。


 ──しかも。

 彼はカラマンリス邸という安全な場所にいても、訓練の予定がなくっても、そうやって常にナイフを身に着けていたという事だ。

 もう、それがないと安心できない身体になってしまっているのかもしれない。

 悪い事ではないけれど……頭では理解できても納得はできん!! あの野郎。鼻をへし折ってやればよかった!!

 セレーネは心の中だけで、ムカつくカザウェテス子爵の顔面に回し蹴りを叩き込むのだった。


 木箱にまた緩く座り直したベネディクトは、ふと顎をあげて空を見つつ、ゆっくりと目をしばたいた。

「……ベルナにも教えた方がいいのかなぁ」

 ポツリ、とベネディクトがそう呟く。

 それを聞いたセレーネは、口をひん曲げて視線をあらぬ方向へと向けた。

「うーーーーん……ベネディクトが教えたいのであれば、教えてもいいと思いますよ。絶対教えるべき事、でもないですが、知らない方がいい、という事でもないと私は思います」

 そう言いつつ、じゃあ自分ならアティに教えるのか、と頭の中だけで考えるセレーネ。

 出て来た答えは

『教える』

 だった。勿論、アティがそれを拒否しなければ、の話だが。


「教えた結果、本人が興味を持って続けたいというのであれば更に教えればいいですし、でも嫌がるようなら無理矢理教える事でもないと思います。

 出来る、にこした事はないとは私は思うんですが……」

 セレーネは妹たちにはナイフ使いを仕込んだ。これはベッサリオンが狩猟文化である事と、いざという時に身を守る為でもあった。

 アティは既に猟銃にも興味を示している。これで投げナイフも出来るようになったら、もう立派な狩猟令嬢の出来上がりじゃん。それでいいのかな、と若干の疑問は思わなくもないセレーネだったが、現実自分の妹たちが既に立派な狩猟令嬢になっている事を考えると、今更じゃね? とも思うセレーネ。


「……でも、俺がベルナに教えられる事って、これぐらいしかないから……」

 ポツリ。

 ベネディクトのその声は、セレーネに聞こえるか聞こえないかギリギリだった。

 が、しっかりと届いた。

「じゃあ教えましょう。そのうち、ベルナに教えたい事がもっともっと沢山、出てくるかもしれませんし」

 セレーネはニッコリと笑って、そうベネディクトに告げた。


 その言葉を受けて、少し驚き顔になったベネディクトは、ニコニコするセレーネの顔を凝視する。

 暫く目をパチクリとさせた後──


「……うん」

 少しだけ顔を崩して、ベネディクトはささやかに微笑んだ。

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悪役令嬢継母・サイドストーリー置き場 牧野 麻也 @kayazou

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