桜花の頃に

花端郭公

桜花の頃に

 何か創作をすることは才能だと私は思う。少なくともこれまで文章を書いてきて絶対に手の届かないような完成度の高い作品を書いている人と何度も出会ってきたし、書店に並んでいるような作品はどうあがいても書けないような物ばかりだ。彼らは根本の、生まれ持った物の部分で私とは違っているのだと思う。そして、創作という意味では絵を描くことも一緒だと私は思う。これは絵心が無い人からの意見なので絵が描ける人からしてみれば見当違いのことを言っているのかもしれないが、美術館に行ったとき、授業で描いた絵が張り出されているとき、他にもいくつかの絵が並べられているとき、その中に一際人を惹きつけるような絵がある。そんな絵が描けるのはきっと天性の才能を持った人なのだろう。


 そしてこれから話すのはそんな人を惹きつけることが出来る絵を描く一人の少女との不思議な出来事についての物語だ。


 部活が終わり教室の鍵を職員室に返しに行く。時刻は午後五時半を過ぎ外はすっかり真っ暗になっている。廊下から見える都会のビルの灯り、その夜景はこの時間まで残っている人しか知らない景色だ。そんな誰も居ないはずの、真っ暗な教室の中で人影が動いた、気がした。気になってしまった私はその教室のドアに手をかける。鍵が締まっているはずの扉は何の抵抗もなく開いてしまった。電気が落とされ、真っ暗な教室の真ん中あたりの机に人影の正体は座っていた。長く、美しい、白色の髪。それは まるで物語の中からそのまま出て来てしまったような外見の少女は私が教室に入ってきたことに気が付かないほど熱心に両手の親指と人差し指で長方形を作って世界を切り取っていた。集中している所に声をかけて邪魔してしまうのも申し訳ないと思い、音をたてないようにドアから入って適当な机に彼女と同じように腰掛ける。教室の中に独特の空気感が漂う。張り詰めたようで、それでいて居心地の悪くない、そんな沈黙だった。しかし、数分後にその心地の良い沈黙は破られてしまった。それまで微動だにせず窓の外の夜景を切り取っていた彼女が唐突に机から降りる。その行動があまりにも突然の事だったので私は思わず

「ひゃっ」

 と情けない声を出してしまった。その声で驚かせてしまったのか彼女はビクッと肩を震わせた後恐る恐るこちらの方に顔を向ける。そのまま無言で互いに見つめあう。しばらくの間、気まずい空気が流れた後、先に話し始めたのは彼女のほうだった。

「あなたは誰? いつからそこにいたの? どうしてそこにいるの?」

 矢継ぎ早に彼女は私に質問してきた。

「えっと……名前は美咲……」

「それで?」

「ここにいるのは教室の仲の人影が気になったからで大体十分くらい前からいると思う」

「なるほどね……それで?」

「ここにいるのはえっと……帰ろうとしてたら教室の中に人影があって気になったから……」

「なるほど……そういうことか……」

 そういって彼女は均整の取れた顔を寄せてきた。突然のことで私は思わず後退ろうとする。が、しかし後ろにあった机のせいでこれ以上後ろに下がることができない。その間に彼女は息がかかるほどまで顔を近づけてそのままじっと私のことを見つめる。うっすらと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐり、耳から滑り落ちた彼女の髪が私の頬に触れる。彼女にただじっと見つめられていただけなのに顔が熱くなってしまった。どれほどの時間、そうしていたのだろう、暫く見つめていた彼女はやがて顔を話す。そして、まだ顔が火照っている私に向かって、悪戯っぽい笑みを浮かべながら

「あなた、文芸部の子でしょう?」

 と、問いかけてくる。

「そう、ですけど……」

 私のそんな答えに彼女の笑みは少しだけ満足げなものに変わっていた。

「ならお願いがあるのだけど聞いてくれる?」

「大丈夫、だと思います、多分……」

「ならオーケーね! それで早速で申し訳ないのだけれど私のためだけにお話を書いてくれないかしら」

 果たして彼女は私の話を聞いていたのだろうか。まるでそれが当然であるかのように私が彼女のために物語を書くということが決まってしまった。呆気に取られていた私をよそに彼女は話を続ける。

「それでね、書いてほしいお話なんだけれどね」

 そういいながら彼女は机に置かれていたスケッチブックをめくる。ペラペラとスケッチブックをめくっていた彼女が

「あった!」

 と言って開いたページに書かれていた絵を私に見せる。そこに描かれていたのは一本の桜の木の絵だった。それはまさに『人を惹きつける絵』だった。

「それでね、書いてほしいお話なんだけどこの絵についてのお話なの。お願いして大丈夫かな?」

 そう、彼女に問いかけられるまでの間に私はすっかりその絵の虜になってしまっていた。

「もちろん、大丈夫だよ」

 無意識にそんな言葉が出た。

「ありがとう! それじゃあ早速なんだけど……」

「ちょ、ちょっと待って? もしかしてだけど今から書くの?」

「そうだけど? 何か都合が悪かったかしら?」

「都合が悪いも何も早く帰らなきゃ。こんな時間なんだよ?」

 そう言って時計を見ると時刻はあと少しで六時になることを指していた。それに釣られて彼女も時計のほうを見た。

「本当だ! 教えてくれてありがとね」

「ど、どういたしまして」

「帰らないとだから次は来週、同じ曜日の同じ時間に会おうね」

 そう言いながら私にスケッチブックの絵を渡すと彼女は嵐のように帰って行ってしまった。このスケッチブックの絵も来週までに考えて置いて欲しい。と、言うことなのだろう。我ながら厄介な人に絡まれてしまったと思う。それでも不思議と嫌な気はしなかった。


 家に帰ってから着替えることも忘れて彼女が置いて行ったスケッチブックをめくっていく。そこに描かれていた絵はどれもが緻密で美しくて、そして何よりもなぜか見入ってしまうような魅力があった。そんな中でも一際私の目を惹いたのは彼女が物語にしてほしいと言っていた、あの桜が描かれている絵だった。大きな一本の桜の木、その木の下で手をつないで眠っている二人の少女。鉛筆だけでで描かれていたその白黒の絵には文字通り命が宿っていた。魂の宿ったその絵に見合うような物語を作らなければ、という緊張とこれまでに書いたことがないほどの作品が書けそうだという予感が同時に襲ってきた。

 それからの一週間は、生きてきた中で一番充実していた一週間だったと思う。通学中も授業中もずっといかにして良い作品にするのか。それだけをずっと考えていた。家に帰っからはただひたすらに机に向かって作品を書き出していく。夜遅くまで考えながら、悩みながら作品がより良くなるように、と試行錯誤した。睡眠時間が短くなったせいで友達からも、親からも心配されてしまった。そうして一週間後、自分自身が満足のできる作品をどうにかして書き上げた。


 こうして迎えた次の週の木曜日、あの教室へ向かうと前の週と同じように彼女は机に座っていた。

「あの……待たせてしまってすみません」

 と、私が声をかけると彼女はその美しい白い髪を揺らしてこちらに振り向いた。

「来てくれてありがとう。そこまで待ってないから気にしなくて良いよ! それでお話は書いて来てくれたの?」

「うん、これなんだけど……」

 そういって私は物語が書かれている紙とスケッチブックを手渡す。彼女はその紙を受け取ってそのまま私が書いてきた物語を読み始めた。彼女が紙をめくる音以外、完全な静寂が教室を包み込む。その静寂は決して重苦しく、居心地が悪いような物ではなかった。それは先週、彼女と出会った時のような沈黙の様だった。しばらくして私の作品を読み読み終えた彼女がいきなり顔を上げて私の手を握る。そして

「ありがとっ! このお話、ものすごくいい!」

 と、いきなり大きな声を上げた。

「えっと、こちらこそどういたしまして」

 いきなりのことに驚きつつもそう返すと彼女はそれに続いて矢継ぎ早に作品の良かったところを言っていく。数分間の間ひたすら褒めた彼女だったが、ふと時計を見ると先週と同じように

「あ、もうこんな時間だ。お話書いて来てくれてありがとうね! さよなら!」

 と、言って嵐のように去っていった。教室に残された私はただ呆気に取られて固まっているだけだった。この出来事と彼女のことは二度と忘れないだろう。そう思わせるほど衝撃的な事だった。


 いつのことだっただろうか、もう何十年も前のことだ。何故かただ書かなければという気持ちに駆られて一週間寝る間も惜しんで物語を書いたことがあった。そんな、いつのことなのかも覚えていない些細な出来事を思い出したのはこのスケッチブックのせいだ。私への宛名と「春花」という差出人の名前だけが書かれた封筒に入れられて届いたそのスケッチブックにはどこか懐かしいと感じる絵が描かれていた。一ページずつペラペラとめくっていくととあるページで手が止まる。そこには大きな桜の木とその下で仲良く手をつないで眠る二人の少女が描かれていた。その絵を見ているとどこか懐かしく、そして、何かとても大切な何かを失ってしまったようなひどい喪失感が私を襲ってくる。それでもこの絵に見入ってしまうのはきっと、この絵が持っている人を惹きつける力のせいだろう。そのまま絵を見ていた私だったが、再びページをめくっていった。そして、最後のページにたどり着く。そこには震えた文字でただ一言

「ありがとう」

 と、だけ書かれていた。それを見て、靄がかかっていた記憶が晴れる。これは彼女の絵だ、と確信する。居ても立ってもいられなくなって私は思わす家の外へと飛び出す。玄関を開けて外へ出ると優しく、暖かい風が吹き抜けた。その風に私は気づかされる。

 もうすぐ、桜の季節がやってくるのだ、と。

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桜花の頃に 花端郭公 @hanasaki0157

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