ギシギシ、ゴンゴン
尾八原ジュージ
ギシギシ、ゴンゴン
ああ、すみません先輩。わざわざ電話もらっちゃって。
いや、病気とかじゃないんですよ。俺は元気なんですけど、ちょっとあって。
ええと、話すとちょっと、長くなるんですけど。
この話、十年くらい前から始まるんですよ。その頃、大学進学のために上京したばっかりだったんですけど、孤独でねぇ。
初めての一人暮らしで、大学も友達とか全然いないし、周りは知らない人ばっかりでしょう。おまけに俺、方言が恥ずかしくってね。それで余計に口きかないもんだから、なおさら友達なんかできるわけがないんですよ。うじうじしてたら、サークルなんかも入りそこねちゃって。
そんなわけで、毎日授業終わったらアパート帰ってぼーっとするだけ、っていう生活をしてたんです。ベッドでひっくり返ってSNSやったり本読んだりしてると、いつの間にか夜になってたりして。
でね、夜になるとうるさいんですよ。上の部屋が。
単身用のアパートなんですけど、バカップルが同棲してやがってね。何度かすれ違ったことがあったんですけど。そいつらが夜になると毎晩のようにおっぱじめるらしくて、音がするんですよ。ギシギシギシギシ……
最初はトラブル起こしたくないと思って黙ってたけど、管理会社に言っても全然改善しないし、おまけに毎日面白いことなんか一個もないし……。
鬱憤が溜まってたんですよ。でも直接喧嘩しに行くほどの度胸はないっていう。わはは。
で、ある夜例によってギシギシ言い出したときにね、弟が護身用っつってくれた木刀を持ってきて、そいつでこう、天井をゴンゴンっと突いたんですよ。
そしたら気づいたのかな。スンッと静かになったんです。
あれ、これ俺怒られるかなと思ってビビってたんですが、結局上の住人が怒鳴り込んでくるとか、そういうことも特になくって。ひさしぶりに静かな夜を過ごせたわけです。
で、それからは上でギシギシ言い始めると、こっちからゴンゴンってやるようになったんですよ。そうするとわりとすぐ静かになるから。
上の人も案外聞き分けがいいんだな〜なんて、ちょっと和んじゃったりしてね。いや、だからと言って仲良くなったりはしないわけだけど。
でね、ひと月くらいかなぁ。ずっとそんな感じだったんですよ。ギシギシってきたらゴンゴンって。
その年の七月入る前だったかなぁ。
部屋にいるとなんか、臭くなってきたんですよ。窓開けると特に臭うから、ここじゃなくて別の部屋でなんか腐ってんのかなって思ってたんですけど。
で、同じ頃にね、天井に染みができたんです。それがなーんとなく人の顔っぽくてね。何でかわからんけど俺、その染みを狙ってゴンゴン突くようになったんです。
上でギシギシってやったらその、顔の真ん中辺りを狙ってゴンゴン。
そのうち昼間もギシギシ言うようになってね。待ってましたとばかりに俺もゴンゴンやるわけですよ。
もうそのころは大学なんか休んで、ほとんど一日中家にいました。だって、いつギシギシ鳴るかわかんないから。すぐ返さないと駄目でしょ、ああいうのは。ギシギシってきたらすぐゴンゴンやってやるとね、天井の顔が嬉しそうにするんですよ。全然表情が違うの。あれ、たぶん俺にしかわかんないんだろうなぁ。
そうやって過ごしてたらね、ある日警察がアパートに来たんです。管理会社の人と一緒に。
上の部屋で、女が死んでたんだって。一緒に住んでた男が殺して、ずーっと逃げてたらしいんですよ。
その男、よっぽど泡くってたのかなぁ、部屋の真ん中に死体ほったらかしてて。それが腐って物凄い臭いがしてたみたいなんですけど、俺、一日中部屋にいたから鼻がバカになっててね。もうそんなに臭いとも思わなくって。へぇ、そうなんですかなんて、バカみたいな顔で警察の人の話を聞いてたの、覚えてます。早く話終わんないかなぁ、またギシギシ言ったらゴンゴンしなきゃならないのになぁって考えてて。
でもね、その日から音がしなくなったんですよ。
もうがっかりですよ。え? いや死体しかない部屋で何がギシギシ言ってたのかなんていいんですよ、それは。一番大事なことは、ギシギシってきたらゴンゴンすることだから。天井の顔を見ながら、ギシギシ言い出すのをずーっと待ってました。やっぱアレかな、警察が死体持ってったから鳴らなくなったのかなぁとか考えながら、そのうち泣いちゃったりしてね。ああ俺孤独だったんだなぁって、もう一度思い出したりして。
でも鳴らないのは仕方ないからね。そのうち俺も大学行くようになったんです。なんとなく肩の力が抜けてたせいかな、普通に人とも話すようになって……最初の何ヶ月か休んじゃったけど巻き返して、ちゃんと四年生の三月に卒業できたんですよ。東京で就職もして、今に至るわけです。
その間ずっと、同じ部屋に住んでるんですよ。どうしてもここから引っ越す気になれなくて。
上の階、なかなか人がいつかなくってね。生活音がするようになっても、すぐ出てっちゃうんです。あのギシギシっていう音も、やっぱり全然しなくて。そう、足音とかとは違うんですよ、あの音は。
相変わらず天井に顔はあるんですけど、あいつもつまんなさそうでね。
でね。
半年くらい前に、上の部屋に若い女の子が引っ越してきたんですよ。ぽやぽや〜っとしてぱっと見天然っぽい、結構かわいい子で。
ああ今回は珍しく長く住んでるなぁ、なんて思ってたんですけど、その子もいつの間にか顔見なくなっちゃってね。
そしたら、今月入った辺りからなんか、臭いんですよ。
それに、上の部屋からひさしぶりに、ギシギシって音が聞こえるようになったんです。
もう嬉しくってね。俺、ちゃんとゴンゴンってやってやりました。天井の顔も嬉しそうだったなぁ。いつもより色が濃くなったみたいなんですよ。
そう、それで休んでるんです。会社。だってギシギシってきたらゴンゴン返さなきゃならないから。会社行ってたらできないじゃないですか。
え? また腐乱死体が上の階にあるんじゃないかって?
わはは、いいんですよそんなの。一番大事なのはそこじゃなくて、ギシギシってきたらゴンゴンすることだから。
ギシギシ、ゴンゴン 尾八原ジュージ @zi-yon
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