ドッペルゲンガー

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ドッペルゲンガー

 今日の放課後、教室で帰りの支度をしている途中に、石動から「もし自分がいつどこでどのように死んでゆくのかわかるとしたら、知りたい?」と聞かれた。その時は、馬鹿馬鹿しい質問だと軽く笑って一蹴した。だけど、よくよく考えればなんで、超がつくほど真面目で冗談の通じないあいつがそんな質問をしたのだろうか。色んな推論を頭の中で巡らせながら、ぼくは家へと伸びる通学路を歩いていた。

 しかし、結局満足できる結論を出せないまま、ぼくは自分の家に着いた。正確には、「ぼくの家の玄関扉の前」だ。両親は共働きでまだ帰ってきていない。ぼくはいつも通り、ブレザーの胸ポケットの中に入れている鍵を取り出し、手早く解錠した。そしてドアノブに手をかけて少し回す、後はそのまま引くだけだ。何一つ変わりのない日常、ぼくはそんな日常に少し飽き飽きしていた。そんなぼくを、あっという間に非日常にした出来事が、ドアの向こうにあった。そこにはぼくが立っていた。

 ぼくはショックで、大声を出すこともその場から逃げることもできず、ただ石のように硬直してしまった。最初は金縛りにあって体が動かなくなったのではないかと思ったほどだ。そんな状態が三秒くらい続いた後に、やっと真っ白だった頭の中が思考を開始した。まず目の前にいる『こいつ』の外見だが、本当にぼくにそっくりだ。髪の本数まで同じだと言いきれそうなくらいに似ている。次は、この状況を考えてみた。最初は 「もしかしたら、これはテレビか何かの企画で、ぼくを模した誰かがその姿でぼくを驚かして、その反応を楽しむ企画とかじゃないのか」と考えた。しかし、目の前のこいつは家の中にいた。鍵のかかっていた家の中にだ。もしピッキングか何かで無理やり家の中に入ってきたのなら、それはもうただの犯罪だ。いや、しかし現にこうして人の家の中にいる以上、こいつは紛れもない犯罪者なんだし、犯罪繋がりで空き巣と考える方が妥当な気がする......それもぼくそっくりの。そんなことを考えていると、目の前のこいつががぽつりと一言、独り言のように言った。

「ぼくは......もうすぐ死んじゃう君......」

 さっぱり言ってる意味がわからなかった。空き巣の可能性を浮かべてしまったことと、訳の分からないことを言い始めたこいつに、ぼくは一気に恐ろしくなり、ここから早く逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。しかし、もし追いかけられて捕まったりでもしたら......などと最悪な想定を考えてしまったがために、実行に移すことができなかった。とりあえずぼくは、こいつを刺激しないよう頭の中で慎重に言葉を選び、そしてやっとの思いでその言葉を口にした。

「あなたは......誰ですか? なんの用があるんですか?」

 緊張と恐怖が拭いきれていなかった。声は震えているし、少し変な言い方になっている。

「もう、すぐ......」

 そう言うと、こいつは急に先程までの人型から、ドロドロした黒い液体のようなものになり、そのまま溶けていった。そして、それはまるで蒸発したかのように一瞬で消えた。もう跡形も残ってない。

 さすがに腰が抜けたし、情けない声も出た。ぼくは、一瞬ながらも、鮮明に映し出されていたその現実を夢だと思ってしまった。

 それが消えて十秒くらい経ったあと、ぼくは我に返り、すぐさま家の中に入って内側からロックをした。それが済むと、今度は各部屋の窓の鍵を全てチェックした。結局、どの鍵もしっかりかかっていたため、いよいよあれがどこから入ってきたのか分からなくなった。ぼくは自室に入り、机の椅子に腰をかけて少しの間ぼーっとした。そのぼやけた意識は時間が経つにつれてだんだん覚めていき、ぼくの頭はそれに呼応するよう思考を開始した。まずあの存在についてだが、二つだけ分かっていることがある。それは、ぼくそっくりであるということと、人の家に不法侵入するというれっきとした犯罪を犯したという事実だ。だから、ぼくはそれを基に、あれについて推理してみることにした。

 二、三分経ったあと、ぼくの中では最もありえそうに思える推論を導くことが出来た。それは、あの出来事はぼくのことを知ってる倫理観の足りない誰かが企てた、手の込んだイタズラであるという考えだ。そもそも普通に考えれば、ぼくのことを知っている人だからこそ、ぼくそっくりのあれを作ることが出来たのだと考えるのが妥当だろう。あのドロドロに溶けた現象も、よく考えれば何もおかしくない。プロジェクターか何かで、そういうホラー映画のような刺激的な映像を流しただけだと考えるのが自然だ。あの時のぼくは呆気に取られていたため、そんな見え見えな小細工にも気づかなかっただけだと思える。そう考えると、少し肩の荷が下りた気がした。一瞬ながらも、あれが非現実的なものだと考えた自分が馬鹿馬鹿しくなった。あとはこのことを、帰ってきた親に言えば済む話だろう、そう考えていた。しかし、安堵していたところに、ふと石動が言った質問が脳裏をよぎった。そして、それを思い出したのとほぼ同時に、さっきの推論とは方向性が全く違う、もう一つの推論を思い浮かべてしまった。ぼくは、まだ着替えてない学生ズボンのポケットに入ってある携帯を取り出して、そのまま何も考えずに彼に電話をかけた。自分でも、馬鹿馬鹿しいふざけた推論だと思えた。しかし、なにか嫌な気がしてならない。石動はワンコールで出た。多分ちょうど携帯をいじってる最中だったのだろう。石動から「もしもし、影山」と言われた。ぼくはそれを受けて、言いたかった言葉だけを率直に送った。

「なぁ石動、さっきドッペルゲンガーみたいなのに会ったんだが、お前が放課後言ってた言葉の意味を教えてくれないか?」

 色々抜けてる言葉があるだろうが、これだけで通じるだろうと思ってあえて言わなかった。ぼくは、あの物体が自分そっくりだという点と、石動の言っていたセリフを結び合わせて、ドッペルゲンガーなどという都市伝説があること思い出したのだ。石動は、その口を開くのに五秒くらいの時間を要した。

「......話がある、明日会えないか? 学校の校門前がいい。明日は休日で人もいないだろうし、いつもそこで俺達は待ち合わせしているしな」

 彼はゆっくりと、そう呟いた。ぼくは、うっすらながらも、もしかして本当にあの推論が当たっているのではないかと思い始めた。

「今じゃダメなのか? 話せないのか?」

「......うん」

 それを聞いて、ぼくは一言言った。

「わかった......」

 そして電話を切ろうとしたのだが、先に向こうが切ってきた。その後、パソコンでドッペルゲンガーのことについて詳しく調べてみたが、ぼくの知っている知識以上の情報は手に入れることが出来なかった。そして数時間後に両親が帰ってきたのだが、結局あの出来事については何も言わないことにした。

 翌日、ぼくは学校へ向かった。当然、石動に会うためだ。自転車でこいで学校に向かっているのだが、それで大体十分かかる。その間に、昨日の石動との会話の内容を頭の中で整理してみることにした。

 彼との会話の中で、二つ疑問に思うことがあった。一つ、なぜ石動は、昨日の電話で話をせずに、わざわざ学校に呼び出して直接話をしようと持ちかけたのか。これについては、通話料金がかさむから等という月並みな理由しか思いつかなかった。そしてもう一つ、なぜ彼は、あんなにも声が震えていたのだろうか。話すスピードや、声の高さなどは至って普通だったのに対して、それだけが強く目立っていた。ぼくは、その声の震えというのが、恐怖心から出るそれではなく、極度の緊張状態になった時に出るものだと思えた。自転車をこいでる中、頭をずっと回らせていたが、とうとう答えは思い浮かばず、ぼくは学校の校門前に着いてしまった。そこには既に石動がいた。そして、ぼくが自転車から降りようとしたその時、彼はこう呟いた。

「牛丼、食べに行かないか?」

 ぼくは、断る理由もないので適当に頷いた。

 目的の牛丼屋に到着した。ここの牛丼屋は常に冷房がガンガン効いている。真夏日にはありがたいが、今日のような中途半端な温度の日には、あまり嬉しくない。そんなことを思いながら、チラッと石動の方を見た。彼はぼくの目線に気づくと「これにしようかな」と言い、メニュー表の"牛丼特盛"を指でさした。意外だった、彼がこれを頼むなんて。確かに彼は牛丼が大好物ではあった。しかし元々彼は少食のため、いつも牛丼を頼む時は"並"にしていたのだ。しかし今日に限っては、並どころか中盛、大盛を飛ばして特盛を選ぶと言ったのだ。ぼくは、食欲があまりわかなかったため、ミニ盛を選ぶことにした。

 注文の品を待つ間、ぼくはおもむろに本題を持ちかけた。

「......石動、話したいことってなんだ?」

 彼はそれを聞くと、彼は笑顔でこう答えた。

「君の誕生祝いさ」

「......は?」

 聞き間違えではないかと思った。しかし、唖然としてるぼくの様子を悟ったのか、彼は言葉を足した。

「確か、二週間くらい前が影山の誕生日だったろ? 祝ってなかったからな、ちゃんと祝おうと思ったんだ。牛丼は俺の奢りだ」

 色んな疑問が頭に思い浮かんだ。なぜぼくの誕生日を祝おうという気になったのか。祝うんだったら、なぜぼくの好物ではなく、自分の好物である牛丼を選んだのか。

 しかし、そんなどうでもいい疑問はすぐに流して、ぼくは石動にもっともな怒りをぶつけた。とは言っても、いつもより少し声を荒らげたくらいだが。

「何言ってんだ、お前? ふざけるのもいい加減にしてくれ。ぼくが昨日言ったことを忘れたのか? ドッペルゲンガーに会ったんだぞ。何が誕生日祝いだ、言いたいことは結局それだけか?」

 一通り言い終えた後、気分を落ち着かせるためにコップの水を飲んだ。半分くらい飲んだところで、彼の顔へ視線を向けた。その時の彼は、なんとも物悲しい表情を浮かべていた。

「......ごめんな、俺はもう分からないんだ」

 ぼくはその時の彼の言葉と表情に、少し罪悪感が沸いた。客観的に見ても、ぼくの言ってることは間違ってないだろう。しかし、少し言い過ぎた気がしてきた。この次に発するべき言葉を頭の中で色々チョイスしている内に注文が届いた。

「お待たせいたしました、牛丼特盛と牛ミニ盛でございます」

 店員はそういうと、伝票を机の上に置かれている筒に入れて、そのまま戻って行った。ぼくはもう何も言わず、目の前の牛丼を食べることだけに集中した。横目で見ると、石動もどうやらそうしてるらしい。さっきまで悲しい表情だったのが嘘みたいに、牛丼特盛をガツガツとほおばっている。あんまりにも食べることに集中してる彼を見て、ぼくは彼に気づかれないように少し笑った。その時ぼくは、やはり昨日の出来事は現実的なことだったのではないかと思い直した。そもそも、普通に考えればドッペルゲンガーだなんてあまりに非現実的すぎる。もしかしたら、最近では巷でそういうドッキリみたいなのが流行っていて、それにぼくや石動が踊らされているだけなのかもしれない。そんな考えを頭の中でしばらく思ってると、石動がまだ中身が残ってる丼をテーブルの上に置き、それを指で指しながらこう言ってきた。

「さすがにもう食べきれないや、腹いっぱいだ。影山、残り食わないか?」

 彼の丼の中身を覗いてみると、まだ三分の一程度残っていた。多分、先程までのぼくだったら断っていただろう。昨日の出来事がぼくの食欲を削いだ要因の一つだからだ。しかし今は違う。完全に調子を取り戻したってわけじゃないが、ぼくはもう、ドッペルゲンガーのことなんてほとんど気にしなくなっていた。

「しょうがないな、食べてやるよ」

 ぼくはそう言うと、彼の丼を自分のところに寄せて、ムシャムシャ食べ始めた。食べてる間、彼はじっとぼくの顔を見ていた。いや、見ていたというよりは、考えごとをしているようだった。その時の目のやり場が、偶然ぼくの顔だったのだろう。そう割り切ると、ぼくはもう気にせずに、食べることに集中していた。しばらくすると、彼が一言

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 そして席を立った。ぼくはその間もただただひたすら食べ続けていた。

 彼が席を離れて二十分が過ぎた。もうぼくは食べ終わっていたため、彼が来るのを青空をぼーっと見ながら待っていた。そしてようやく、「おまたせ」と彼が後ろから声をかけてきた。ぼくは、もう外に出ておくと言い、店を出た。当然少しすると、お会計をすませた石動も店から出てきた。ぼくは彼に

「ぼくはもう帰るよ、あまりドッペルゲンガーのことは心配しなくてもいいと思うぞ。タチの悪いイタズラか何かさ。本物だとしてもどうせぼく達には何も出来ないしな、ははは、今日はごちそうさま」

 そう言うと、ぼくは自転車にまたいだ。そして、ペダルをこごうとする直前に、彼から

「ちょっと待って!」

 と石動の叫ぶような声が聞こえた。いつもの彼に比べるとかなり大きな声だったので、ぼくは少しビクッとした。

「なんだよ石動」

「影山......これを渡すよ」

 そう言うと彼は、ルーズリーフを差し出した。どこにでもありそうな至って普通のものだ。何も珍しくない。

「なんだよ急に、別にいいよ貰わなくても。家に結構予備があるしね」

「違うんだ影山、中身が重要なんだ」

 中身? なにか書かれているのか? ぼくは反射的に、ルーズリーフを開こうとした。そしたら、

「待って、影山! まだ開かないでくれ、家に帰ってから開いてくれ」

 大声で、彼はそう言った。

「なんで今じゃダメなんだ?」

 ぼくは当然の疑問を投げかけた。すると彼は

「ぼくも、分からない。けどなんとなくダメな気がするんだ、多分......」

 歯切れの悪い言い方だった。けれど彼がどうしても、今開くのはダメだと言うのなら、それに従わない理由はないだろう。ぼくは頷くと、そのままペダルをこいで、家へと戻っていった。

 一時頃、ぼくは家に着いた。ぼくは玄関で靴を脱ぐとそのまま二階の自分の部屋に行き、貰ったルーズリーフを開いた。この時最初のページから開いたのだが、何も記載されていなかった。石動はノートの使い方が雑だなと思いつつ、ページをパラパラとめくり、文字が書かれているところを探した。

「ドッペルゲンガーは実在する」

 初めに目に入った文はそれだった。ぼくは自分の体温が下がっていくのが感じた。石動はそんなつまらない冗談を言う奴じゃない、これは本当だ。ぼくは、その文の意味をしっかり受け止めると、下に書かれている続きの文を目で追った。「これは君と行った牛丼屋のトイレの中で書いている。一、俺は、初めてドッペルゲンガーに会って三日経ったあたりから、頻繁にそれが現れるようになった。君が電話をかけたあの時もそうだった。奴がいる時は必ずと言っていいほど吐き気や頭痛がする。二、奴は俺を死に招こうとしている。実際、後ろに誰もいないのに、押されて車に轢かれそうになったり、包丁を持ってる手が勝手に自分に刃を向けて、そのまま刺されそうになったりと、様々な方法で何度も殺されかけた。しかしなぜだか、最近はその兆候が消えた。だがあまり期待しない方がいい、油断したところを狙うはらかもしれない。三、奴は初めてあった時、『俺は、死んでいるお前。お前は、生きている俺』と言っていた、意味は分からない。 俺はもうすぐ死ぬだろう。だから、持ってる情報を全て影山に明かす。君が生きるために」

 それで文は終わった。その先のページをどれだけパラパラめくっても、結局文は現れなかった。そしてぼくは、何も考えずに石動に電話をかけた。まるで昨日の再現をしてるみたいだった。しかし今度は、ワンコールどころか、十五コールほどしても応答がなかったため、結局留守電で折り返すよう伝えた。今のぼくは昨日に比べて遥かに動揺している。しかし何もしないわけにもいかない。......やはりまずは対処法だ。とにかくこれを見つけて死を回避するしかない。一応昨日も対処法を調べたのだが、結局見つからなかった。しかし、ドッペルゲンガーが実在すると分かった以上、もう一度徹底的に調べる必要がある。ぼくはパソコンを立ち上げると、すぐさま対処法を探そうとした。しかし、その時電話がかかってきた、相手は知らない番号だ。ぼくはサイトを探しながら、電話に出た。電話の相手は張り詰めた声だった。

「影山くんだね?」

「え、あ、はい」

 以前石動の家に遊びに行ったことがあるから分かるが、これは石動の父の声だ。だからぼくは嘘をつかずに答えた。

「僕は石動彩斗の父だ、息子が死んだ、首を吊ったんだ。机の上に遺言書みたいなのがある。『影山ありがとう』とだけ書かれている。これ、どういうことか分かるか? なぜ君の名前が出てるんだ? 息子はなんで死んだんだ!」

 ぼくは電話を切った。反射的にそうした。石動が自殺って何だ? 首を吊った? どういうことだ? さっぱり分からない。分からないで頭が埋め尽くされたぼくは、立ちくらみのような感覚に陥り、そのまま倒れてしまった。

 どれくらいたっただろうか、目を開ける前に、上体をゆっくり起こそうとする。しかし動かない。上体を起こすどころか、体の至るところがビクとも動けなくなっていた。ぼくは瞬時に、「金縛り」という現象のことを思い出した。これはどう考えてもそれだ。そして金縛りについてのあまりよくない噂も知っている。ぼくは血の気がさーっと引いた。そして、さっきよりも強く意識して、目を強くつぶった。どうやらまぶたは動くそうだ。しかし当然、目が開くかどうかは試せるはずがなかった。なぜなら......多分いるのだ、この部屋に、ドッペルゲンガーが。ぼくはどうすればいいのかと、普段どうでもいいことにしか使わない頭で、目の前の危機を脱することに思考を巡らせた。しかし、何も思い浮かばなかった。体が動かせないのだから、考えるだけ無駄だ。結局ぼくは、世界に自分一人しかいないような暗黒と無音の中で、ただただ祈ることしか出来なかった。石動のノートに書いてあった「最近は殺す兆候がない」という文脈の文字を......。

「 ......た......た 」 音がした。いや、音と言うよりかは声に近い。ぼくは恐怖で叫びたかった、しかし声は出ない。もうぼくは、この声の正体が親であることに全ての望みをかけた。しかし、そんな淡い期待は無慈悲にも、次の奴の言葉で崩れ去るのだった。

「......しに、たくない......た、さ、ぼく......きみ......あ、あ......あ、ああああああああああ」

 ぼくは、叫びたい気持ちも逃げ出したい気持ちも叶わず、奴の言葉とノイズのような悲鳴を聞いて、もうまるっきり頭が機能しなくなった。そんな中でもまだ、奴の地獄のような悲鳴は続いている。そして更に、ぼくの首がだんだん締められていくのを感じた。ぼくは遠のく意識の中で、ただ一つ「死にたくない」と思い、再び意識を失った。

 ここは夢の中なのか、それとも死後の世界というやつなのだろうか。よく分からない不明瞭な世界の中に、ぼくとぼくがいた。その時のぼくは自分でも驚くほど酷く冷静で、目の前のドッペルゲンガーを見ても、恐怖や焦燥感をまるっきし感じなかった。そしてその冷静さを保ったまま、ぼくはぼくに、まっすぐな声で聞いてみた。

「君は生きたいのかい?」

 なぜよりによってこんな質問をしたのか分からない。「君は何者なんだ!」と怒りと恐怖に満ちた真っ当な質問をしたり、「殺さないでくれ」と涙ぐんだ目で必死に懇願するのが普通だろう。しかしなぜか、ぼくはこの質問を選んだ。もしかしたらこれが、ぼくの思考の根っこの部分に沸いた、いわば本能的に察した"一番聞くべき質問"だったのだろうか。

「......うん。けど、ぼくは......やっぱり、死んでる、みたいだ」

 言葉が点々と放たれた。どうやらドッペルゲンガーは死人らしい、それも正体はぼくだ。そして、今から本格的に質問や思考をしていこうと方針を決めた瞬間、この不明瞭の世界は崩れ去った。なんだろう、どこかで見た崩れ方だった。液体のように不明瞭なこの世界、崩れる時は溶けていくよう。ぼくが記憶でこの既視感を探っていくうちに、ぼく自身もこの世界から消えていった。それを驚くこともしなかった。

 目が覚めた、見知らぬ天井だ。起き上がる前に首を曲げて周りを見た。最初に視界に入った、自分の腕につながった点滴を見て、ここが病院なんだと悟った。それと同時に、あの時ドッペルゲンガーに会い、意識を失い戻らなかったため、それを見つけた親が救急車をよんだところまでも想像出来た。とりあえず、自分の体の状態を探ってみた。どこも痛みはない、少し体がだるいだけだ。そして一言

「......生きてる」

 次に考えたことは、結局ドッペルゲンガーとは何者だったのかということだ。近くにナースコールのようなものがあるのだが、それは一通り考えた後に押すことにしよう。確かドッペルゲンガーが"死んだぼく"だというところまでは分かった。しかし今の時点では謎が多すぎる。ぼくはこの疑問を追求する前に、他の疑問と答えを徹底的に探り、情報を組み合わせて再び解いていこうと思った。そしてぼくはじっくり考えて、いくつかの疑問を思い浮かべた。なぜ彼はぼくを殺そうとしたのだろうか。いや、そもそもこうして生きているのを鑑みるに、本当にぼくを殺す気でいたのだろうか。そして石動のことだが、なぜ彼はドッペルゲンガーに殺されたのだろうか。全神経を集中してこの疑問に取り組んだ

 ぼくは思考の末、ついに納得のいく仮説にたどり着いた。まずドッペルゲンガーについてだが、彼らの正体は「ぼくらの心の奥にある死にたい気持ち」であり、それが視覚化したものが、ぼくたちを死に導こうとしたのではないかと考えた。それも、唯一自分の意思で選べる死に方、すなわち自殺という形で......。例えば石動だが、彼はそれまでの過程はどうあれ、最終的に自分の意思で自殺した。なぜそう言えるのかだが、石動の父が言うに、彼はどうやら首を吊って死んだらしい。もしドッペルゲンガーが人を殺したいのならさっさと首を締めればいい、この前ぼくがされたように。しかし、結局石動のドッペルゲンガーはそれをしなかったし、ぼくも殺されはしなかった。つまりドッペルゲンガーは人を殺さないのだ。石動は以前から自殺を考えていたのだろう。多分 、"兆候"が消えたその時から。

 つまりドッペルゲンガーは、自分の一部であり、決してそれ以上でもそれ以下でもないのだ。だから人を殺すことも出来ずに、ただその感情を膨らませることしか出来ない。つまり結局のところ、石動もぼくもただの一人芝居だったのだ。

 最後に、「なぜぼくのドッペルゲンガーが消えたのか」という疑問についてなのだが、これは酷く自分勝手な解釈でカタをつけた。それは、"ぼくが、この世で生きたいと必死に懇願しているぼくを見て、本当は死にたくないことに気づいたから"というものだ。だから死にたいと思う心であるドッペルゲンガーは消えて、ぼくも死なずにすんだのだ。

 しかし結局のところ、これらは推測の域を出ない。違う可能性の方が高いだろう。なぜならドッペルゲンガーという、イレギュラーで非現実的な存在を考慮した推測は前例がないからだ。しかしぼくは、それでもこれを結論とした。いくら考えても真実が分からないのなら、一番腑に落ちるものを結論に持っていくのは当然だ。一つだけ確かに言えることは、ドッペルゲンガーも自分であるということだ。ぼくはナースコールを押して呟いた。

「知りたくないなぁ、自分が死ぬ時の状況なんて」


                   終

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