第二話


 小学校に上がると、私の心配をよそに、娘はあっという間に仲良しの友達ができた。

 やはり私の影響で幼稚園の時お友達ができなかったのだと余計申し訳なく思いながらも、苦痛だった送り迎えがなくなり、精神的にもかなり楽な生活が始まった。


「今日はOOちゃんと遊んだんだ」

「そうなんだ、よかったね。そういえば、少し前までOOちゃんともよく遊んでいたのに最近名前聞かないね」

「今はあまり遊んでないよ」

(何かあったのかしら?)

「ケンカでもした?」

「別にしてないよ」


 だけど、娘が幼稚園のクラスに馴染めず浮いているのを目の当たりにしてきた私は、今度は根掘り葉掘り子どもに聞いて、娘の小学校での状況を知ろうとする。


 また一人になっていないかしら。寂しい思いをしていないかしら。

 せっかく子供同士で仲良くなっても、幼稚園のように、お母さん同士が仲良くしないと、上手くいかなかったりするのかしら?


 送り迎えがなくなってからも、私の心配は絶えず、とにかく、娘が元気に楽しくお友達と過ごせますようにと祈りながら、1日1日を過ごしていた。


 そんなある日、欲しいものがあって、普段より少し離れたスーパーへ自転車で買い物へ行った帰り道、私は懐かしい場所で足を止める。

 そこは、私と娘が、幼稚園から少し離れた森の公園広場で見つけた、石畳が敷かれ、四隅に蔦の絡まった柱が立っている、まるで小さな神殿跡のような独特の場所。


『ここなわとびとびやすい!』

『いい場所が見つかって良かったね』

『ママほら見て!たくさんとべるようになったよ』


 思わず自転車から降りその石畳の上に立つと、縄跳びをする娘の姿と、二人でした会話を鮮明に思いだし、幸せだったなあという感情が、胸に自然と湧き上がってくる。


(あれ?私はあの頃、辛かったんじゃなかったっけ?)


 あの頃の私は、毎日のお迎えが苦痛でたまらなくて、私のせいで娘に寂しい思いをさせているという罪悪感から、数少ない友人や、実の母にも相談していた。

 皆が友達同士で仲良く近くの公園に遊びにいく中、私と娘だけ、幼稚園から少し離れた広場で縄跳びをしていた事は、孤独で寂しい思い出のはずだ。


 なのに私ははっきりと、この場所に娘といた時の感情を蘇らせることができる。 

 私はこの公園で、誰にも邪魔されることなく、娘と二人だけで過ごせる時間を、幸せだなあと、確かに感じていたのだ。


 仲間に入らなきゃ、友達作らなきゃと口では言いながら、本当の私は、娘の手をギュッと握って、自分の世界の中だけに止めておきたかった。

 何もできない赤ん坊の時のまま、私が抱きしめて、優しくして、あなたを一番大事に思っているのは私なのよと、ずっと手放さずにいたかった。


 自分が悩んでいるとばかり思っていた事は、自分の心の底にある、本当の望みだったのだ。

 私の望み通り、娘は幼稚園にいる間は、私だけの娘でいてくれた。そう気付いた途端、胸のつかえが取れ涙が溢れてくる。


(そうか…)


 人の心は不思議だ。

 まるで地球を覆う海のように、晴れて穏やかな時もあれば、荒れ狂う嵐の中を航海するように、辛く苦しい時もある。 

 だけどそれは、ただ表面に見える出来事でしかない。


暗くて深い、太陽の光すら届かない深海。

普段意識すらしたことのない、心の奥にある深淵。そこには私の、歪んだ願望が眠っていた。


お母さんが1番あなたを思っている。

友達なんてできなくても、お母さんがいるから大丈夫。

ずっと側にいるからね。ずっと見守っているからね。


 一見愛情に溢れた言葉に聞こえるが、私のそれは、きっと違う。私は、見えない鎖でユルク繋いで、娘をずっと自分の側に、いつまでも目の届くところへ置いておきたかった。

 娘を優しく抱きしめながら、見えない鎖で、ずっと繋げておこうとしていた。


「もうやめよう」


 縄跳びを跳ぶ娘の幻をみつめながら、私は自分自身に言い聞かせるように一人呟く。

 できればずっと、手を握っていたいけど、透明の鎖で、優しく緩く繋げていたかったけど、多分それは、娘の望む愛ではない。

 これからの私は、娘の手を離し、鎖を解いて、娘が自らの足で歩いていくのを見守っていく。


 私は再び自転車に乗り、家路に向かう。買い物用のエコバックには、今日の夕飯と、娘が大好きなプリンが入っていた。

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見えない鎖 安藤唯 @yuiandou

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