こっこのひとりごと
五右衛門
こっこのひとりごと
こっこはベットの上に寝転んだ。
宙に浮いたような脱力感。荒らげた声がドア越しに聞こえる。大きな雨粒が窓を叩きつける。
「うるさい。あんたが全部悪いのよ。」
「そうかい。俺はもううんざりだ。こんな家出てってやる。」
激しくドアを閉める音がした。
「勝手にすればいいじゃないの。」
母親は吐き捨てるような声で言う。
怒声に怒声が飛び交う。こっこはため息をつく。。
その時であった。雷の轟きが、地震のように部屋を揺さぶる。こっこはその音に怯えて布団の中に顔をうずめた。こっこはこの薄暗い視界に少し安心した。外は今、ここよりも暗くて恐ろしい所だと思うと、まだ大丈夫だと思えたからだ。
雨音が小さくなっていく。こっこは布団から顔を出す。
「おとうさんもおかあさんもなかよしがいいなぁ…… 」
そう呟き、瞼を閉じた。
窓から入る朝日を、こっこは瞼越しに感じた。起き上がり、手を大きく振り上げて体を伸ばす。まだぼんやりとした頭で、こっこは窓へ視線を向けた。
雲ひとつない晴天だった。
窓側の机の上にある花瓶が目に入る。
そこには手入れを怠ってしまい、しおれてしまった花がある。花弁も茶色く変色し、元気がない。こっこは何故か少し悲しくなった。
その花が何という名だったか考えるが、思い出せない。
ベットから降りる。そして、リビングに足を運んだ。昨晩のことが気がかりだが大丈夫だろうか。こっこは子供ながらにそう考える。
「おはよう。」
その声は、父親からだった。こっこは驚いた。続けて母親にもおはようと声を掛けられる。こっこもやや小さい声でおはようと言った。
昨日の喧嘩はなんだったのだろうか。
「もう仲直りしたんだね。」
「何を言ってるの。お父さんとお母さんはずっと仲良しよ。」
母親が笑顔でそう答える。父親はソファに腰かけテレビを見ている。
昨日の時点では考えられないような風景にこっこは不気味さを感じる。だが、二人とも仲良しならそれでいい。こっこは父親の隣に座り一緒にテレビを眺め、母親の朝食を待った。
テレビには天気予報が流れている。
「今日は晴れのち雨の予報です。」
テレビからそう聞こえた。これでは午後から遊びに行けない。こっこは父親に聞こえないぐらいの溜息を漏らす。
母親が朝食を並べるが、こっこは食べる気がなくなってしまった。半分ほど食べたところで残した。
昼下がり、外は予報通り雨が降っていた。雨が窓ガラスを叩いている音は、こっこの心をより暗くする。
「雨止まないかなぁ……。」
こっこは窓を見つめ、そう呟いた。今日はもうあの三人に会えない、そう思うとこっこは泣きそうになった。こぼれそうになる雫を瞼で塞ぐ。視界が真っ暗になる。
その時である。こっこの瞼にじんわりと、淡いオレンジ色が広がった。慌てて目を開くと、今日の朝に見たような晴天が広がっていた。涙のせいで、水彩絵の具の青色を、水で薄めたような景色に見えた。
こっこはソファに腰かけていた父親にこう言った。
「やった。晴れたよ。」
「前から晴れてたぞ。」
父親がそう言った。こっこは考える。もしかしたらさっきまでの出来事はすべて悪い夢で、今が本当なのかとも考えるがどこか釈然としなかった。親にこのことを話そうとしたが、先ほどのこともあるのであまり意味はない。こっこは不思議な出来事だと思ったが、全て自分の思い通りになってるのでいいと割り切った。
こっこは母親にいつもの公園に行くと言い、家を出て行った。こっこにはいつも遊ぶ友達がいた。『とうき』と『ゆうき』そして『ひとみ』である。
こっこはこの三人と毎日のように空き地で遊んでいる。また、家の位置は皆散らばっている。そして、皆の家から同じ位の距離に空き地は在ったので、自然とそこに集まるようになった。この辺りは住宅街で遊ぶ場所がなくてつまらない。でも、空き地周辺になってくると自然が増えてどこか遠くに冒険に来たような気がして面白い。
空き地に向かう途中、此方を見つめる女の子と目が合った。その子は十字路の真ん中に立っており、こっこの行く道を塞ぐようにしていた。
その子は白のブラウスと青いジーンズを身につけていた。しかし、ブラウスといっても使い古された後のようなシミがあり、明らかにサイズも合っていない。
青いジーンズもそうだ。穴だらけでシワもあり、こっこの知る子供達が着ているものとは大きく違う。色々と混ざったような身なりをしていた。
気味が悪い。しかし、その服装には見覚えがあった。最近いつもの四人で遊んでいる時によく見かけるのだ。バレないようにしゃがみ、隠れるようにして私達を見つめていた。だが背の低い私はすぐに気づいた。その子は私と目が合った瞬間直ぐにどこかに逃げてしまうのだ。いつ見ても同じ服で、その時から変な子だとは思っていた。
だが今回は目が合っても逃げない。その事が余計に気持ち悪く感じた。
こっこは下を向いてその子と目を合わさないように走り去った。
「……来てよ。」
こっこは聞こえてきた言葉を無視して空き地までダッシュした。ロングスカートなんて履いてくるのではなかった。走りづらくて邪魔だった。ジャージでも着てくればよかった。こっこは走りながらそう言葉を吐き捨てる。気づけば建物は少なくなり、所々にタンポポが生えている道に来た。
こっこは汗が滝のように出ていた。袖のフリルがお気に入りの白いトップスに汗がしみる。
しばらく時間が経ったことで冷静になれた。あの子は一体誰なのか。ひとみ達に聞いてみることにした。
こっこが空き地に入ると既に三人が揃っていた。赤く派手な色をした服を来ているのがひとみだろう。その目はこちらを向いている。ある程度距離があるのにはっきりと分かるのは、虎のように鋭い目をしているからだ。近くにいるのはとうきとゆうきだ。
「もうー、こっこ遅いよ。」
ひとみが気づき手招きする。とうきとゆうきもこっこに向かって手を振った。こっこも手を振り返す。
四人は空き地の中央に集まると、たわいのない話をしだす。その時にこっこは先ほど出会った変な子の話をした。
「そいつは『みやび』って子だ。」
とうきがそう言った。ひとみもゆうきも頷く。どうやらその子を知らないのはこっこだけらしい。
「気にしなくていいと思うよ。みやびは嫌われ者だからさ。」
ゆうきがそう言ってくれたおかげで、心のどこかにあった不安が消えていく。ゆうきは言動がはっきりとしていて一緒にいて安心する。
「まあ、あんま言いすぎるなよ。」
とうきがゆうきを宥める。とうきは優しい。しかし、それが裏目に出てどこか弱々しく感じる時もある。
こっこはひとみがイライラしているのを感じとり下を向く。
「私もうその子の話を聞きたくない。」
ひとみが怪訝そうな表情で言う。確かに嫌われ者の話をして楽しい訳がない。こっこは申し訳ないことをしてしまったと反省する。
「森に探検に行こうよ。」
この空気を変えようとこっこは言った。皆も賛成した。空には分厚い雲がかかっていた。雨が降らないことを願う。
この空き地の近くには森がある。この森は四季折々に色んな花があって面白い。家族以外とは行ったことはないので、とても楽しみだ。
こっこが手で服を触ると異変に気づく。砂利をなぞるかのようなざらっとした感触であった。見てみると、着てくる前とは違うジャージになっていた。
「私ジャージずっと着てた? 」
こっこが尋ねる。
「うん、来た時からずっとジャージだよ? 」
こっこは背筋が凍る。一体何が起きたというのであろうか。こっこは暫く考えるも、自分自身がおかしくなっているとする以外に答えは出てこなかった。こっこはこの不可解な出来事の連続に少しずつ恐怖心を持ち始めていた。
こっこ達は話しながら森に向かって歩き出した。そして、こっこはいつ頃からこのような食い違いが起こっているのか考えた。思い返してみると、あのみやびという女の子に遭いだしてからであった。みやびはいったい何者なのか。話を聞いてみないことにはわからない。出会ってすぐに走り去っていったことを後悔する。こっこは人差し指を靴ベラのようにして靴を履きなおし、また歩き始める。ひとみたちと距離が開いていたため、少し早く歩いた。その時、こっこは森を見ると一際目立つ木が一本生えているのに気がついた。
歩き出して数十分、ついに森に着いた。ここまでの疲れが達成感で吹き飛ぶ。
こっこは先頭を歩いた。ひとみ達がおしゃべりをしているのは分かっていたが、こっこはそれを無視して木々の匂いや魅惑的な花々に心を躍らせる。
「こっこ、話聞いてる? 」
「ごめんね。つい興奮しちゃって何も聞いてなかった。」
余りに楽しいことが一挙に続いて、ひとみの話を聞こえていなかった。
「なんだあれ。」
ゆうきがそう言い指さす。指の刺した方向はこっこ達の道から逸れた木々の間。垂れた草木が柵のようになっていたが、その間から森の緑に似合わぬ程白い花が咲いていたのが見えた。その花は緑色の茎から雪の塊が滴っているようであった。
こっこはその花に触れてみたいと思った。こっこは草木をかいくぐりその花に近づき手を伸ばす。その時、猛烈な頭の痛みがこっこを襲った。脳天を強く打ち付けたような痛さであった。両手で頭を押さえてしゃがみ込む。
「大丈夫? 」
とうきがそう言い駆け寄る。あとの二人もこっこのところに来た。
「興奮しすぎてのぼせちゃった? 」
ひとみがそうたずねた。
「そうかもしれない……。」
こっこはそう言う。ゆうきととうきはこっこの肩を持ち上げその花から離れるように急いで移動した。少し屈んで運んでくれたことに二人の優しさを感じた。
「あそこには近づかないほうがいいな。」
「危ないもんね。こっこを危険な目に合わせるわけにはいかない。」
二人の会話が聞こえる。こっこは静かに目を閉じる。
暫くの間こっこは木の幹にもたれかかっていた。こっこはとうきとゆうきがここに寝かせてくれたのだろうと思った。
こっこは呆然と雲を眺めていると、額に冷たさを感じた。草が少し湿っていることから雨だと確信した。その雨は昼前の雨よりも少し強く感じた。ただでさえ頭も痛くて最悪な気分なのにそれに追い打ちをかけるかのような雨でこっこは悲しくなる。森に行きたいと言ったことを少し後悔する。
「目が覚めたの? 」
「こっこ、大丈夫? 」
「うん、ありがと。」
こっこが起きたことに気づいたひとみ達が駆け寄る。こっこはそれがうれしくもあり、少し恥ずかしくもあった。ひとみ達の服は雨に濡れていた。その時こっこは自分が木の下にいることで皆が濡れてしまっていることに気づいた。
「雨宿りしよう。」
こっこは慌てながらひとみ達にそう提案した。ひとみ達は頷いた。前方にはこの森に来る前見えていた大きな木がそびえ立っていた。あそこなら四人全員が雨宿り出来るスペースがあるだろう。
四人はそこに向かい一目散に走った。四人はその木の幹の近くに集まった。近くで見るとやはり大きい。強かった雨も葉や木々に遮られ、僅かな雫だけになった。
「そろそろ帰ろうか。」
ひとみが濡れた髪を手で払いながら言った。
「そうだな。面白い花も沢山見れたしいいんじゃないか。」
とうきも賛成する。
「ちょっとまて。こっこが居ないぞ。さっき迄は近くにいたはずなのにどこにいった。」
ゆうきがそう言い辺りを見渡す。他二人も周りを見渡した。こっこは自分が見えていないことに気づき声を上げた。
「私はここにいるよ。」
三人が一斉に下を向く。
そして、どっと笑いだした。
「ごめんごめん、こっこの背が小さくて見えんかったわ。」
ひとみが馬鹿にするかのように言った。
「こっこは背が低いもんなぁ。」
ゆうきも笑って言う。
「急にいなくなんなよー。」
とうきがふざけてそう言った。
三人がこっこを囲むようにして笑い出す。悪魔の様な顔で笑う三人がいる。こっこは何処か遠くのほうから見下されているような気持ちになった。目の前の三人はこっこの知っていた優しい友達から変わっているように見えた。下を向く、草木に映る三人のおぞましい影がこっこを包みこむ。ハッとなってみんなの顔をまた見上げる。
木々の隙間から、暗い水滴がおでこに滴る。
こっこの中で何かが切れる音がした。ひとみの凛々しい顔も、ゆうきの元気な顔も、とうきの優しい顔も、重ね塗りした絵画のように粉になって少しづつ剥がれ落ちていく。
「みんななんか、消えちまえ。」
気づけばそんな事を言っていた。こっこはまた下を向き、微量の雨が土の中に染み込んでいく様子をしばらく眺めた。突如、空っぽの風が吹いた。こっこは辺りを見渡す。
「みんなどこ行ったの?」
こっこは戸惑った。大木の周りを三周ほどしたが三人は見つからない。こっこはまた不可解な出来事に陥ってることに気づいた。こっこの心は不安な気持ちでいっぱいとなり、とうとうその思いはあふれ出してしまう。
こっこはその場に泣き崩れ落ちた。今日一日の出来事がすべて嘘だったかのように思えた。そんな時にこっこにはある顔が浮かんできた。なぜ急にその顔が浮かんできたのかわからない。こっこの脳内の中で、その顔を黒いクレヨンを使って塗りつぶす。こっこは何もかもわからなくなり、泣きじゃくりながら森を走り抜ける。
小麦色の空が顔を覗かせる。まだ涙が乾ききっていない顔をサヨナラの近い太陽が照らす。こっこが気付かぬうちに雨は止んだらしい。
目の前の道は昼ごろに四人で歩いた道だった。帰り道は一人だけだった。
こっこは空を呆然と見つめながらゆったりと歩いていた。丁度十字路に差しかかる所で、青いジーンズを着た女の子を見つけた。サイズのあってない服を着たその女の子には見覚えがあった。みやびであった。
みやびは十字路の真ん中に立っていた。昼頃と同じく此方を見つめたまま動かない。なんとも不気味である。しかし、今は少し話をしてもいいかもしれないと、こっこはそう思った。
「こっこ。」
第一声はみやびからだった。こっこは自分の名前を知っていることに驚いた。
「なんで私の名前を知っているの? 」
「ずっとあなたを見てきたからよ。」
「いつから。」
「貴方が子供の時からよ。」
「何を言ってるの。私は今も子供だよ? 」
「本当に自分の世界に閉じこもってしまったようね。」
こっこはみやびが何を言っているのか理解が出来なかった。やはり変な人だと思い走り去ろうとした。
しかし、みやびに袖を掴まれた。振り払おうとするも、袖はしっかりと掴まれており逃げることは出来なかった。
「これはどういうことなの。」
「貴方は二十年前、孤児院の柵から転落して頭を強く打って、それから意識がもどってないの。」
「何でよ。」
「分からない。それは貴方本人が一番知っていることだと思うわ。」
みやびはこっこを見つめてそう言う。その目は至って真剣であった。こっこは首を横に振った。
「信じない。私そんなの信じない。それに、三人を消したのだってあんたでしょ。」
こっこは強い口調で言った。みやびは暫く俯いた。そして口を開く。
「こっこはどうして私にキツく当たるのよ。孤児院では親友だったのに。」
みやびは突然泣き出してしまった。
「こっこがひとみ達に虐められてるのを助けたのも私、こっこの父親が家出して母親に暴力を振られたのも知ってる。なのに……。」
みやびはその場に座り込んだ。
こっこは酷い頭痛に襲われた。森であったあの頭痛の比では無い痛みであった。脳みその、もっと深い所に封印された記憶が溢れてきているのを感じた。脳内に雷鳴が轟いた。
暫くたった後、こっこは全てを思い出した。この世界が偽物だということも、みやびがこっこの支えだったことも。
そして、辛い現実から目を背けていたことも。
「みやび……ちゃん。全部思い出したよ。みやびちゃんのメッセージ、ちゃんと届いているよ。まだ私諦めてないから。」
そう言って、こっこは泣きじゃくるみやびに抱きついた。
「ごめんね……。ごめんね……。」
二人の声がこの空虚な世界に反響する。二十年かけて創られたこっこの理想郷も、遂にヒビが入った。
こっこの目の前が少しづつ暗くなる。泣きじゃくるみやびの顔を最後に、こっこは静かに瞼を閉じた。
暗転。
病室には女性が二人。一人の女性はベットの上で目を閉じたまま動かない。一方の女性は近くの椅子に座り少し俯いて、でも笑顔で寝たきりの女性を見ていた。
「こっこ。みやびだよ。」
少し待っていても反応はなかった。みやびはそれでも笑顔でい続けた。
そして、人形のような手を掴み、両手で包み込む。
「お医者さんはもう目覚めないって言ってる。だけど私はまだ希望があるって信じてるから、いい加減そこから戻って来てよ。」
春暁の頃、病室に陽の光が差し込み、その光はこっこを包み込む。
窓際のスノードロップの花弁から、静かに雫が滴った。
(終わり)
こっこのひとりごと 五右衛門 @2021bungei02
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