第60話 うそだと言ってよ、お兄ちゃん ③
「えぐっ……! ねえ、うそだって……うそだって言ってよぅ、お兄ちゃん! ぐすっぐす」
懇願するように、もう一度エイナは言った。大きくてくりくりした彼女の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちる。その眼差しは強烈に俺の胸を貫いた。聖騎士に斬り刻まれるよりも、どんなに罵声を浴びるよりも痛かった。
俺だってエイナの泣き顔が見たいわけじゃなかった。いつもニコニコと笑う彼女が好きだった。泣きじゃくる妹の姿を見た俺の頭に、彼女と笑いながら手を繋いで歩いた並木道や、彼女の頬を初めて叩いて二人で泣きながら帰った思い出、過ごした日々がまるで昨日のように次から次へと流れ込んでくる。
しかし、もう二度と触れ合うことのない愛。……運命は残酷だ。彼女は神に選ばれた勇者であり、俺は人族にとって忌むべき存在……魔族の血を引く半魔。もう……昔みたいにはいかないんだ。
エイナへ魔剣を向けたまま、一瞬言葉を失い立ち尽くした俺だったが妹への想いを振り払い、彼女に向けて容赦なく言った。
「エイナ、君も神に選ばれた勇者なら事実を受け止めろ。それに、俺は君たちとは違う。……わかるだろ?? なぜ俺が追放されたのかエイナも知っているはずだ」
「ぐすっ……! だからって、なんでお兄ちゃんなの……? 戦って、傷ついて、剣を振るって、ヒトを殺して……、お兄ちゃんがまぞくの味方をする理由って……」
「……ここに来るまで、数多くの罪もない魔族を蹂躙し、嬲り殺した人族を俺は嫌というほど見てきた……。弱きを打ち据える腐った聖騎士ばかりだった。エイナ、君は知らないだろうが、追放された俺を人族の血が流れてるからといって迫害することなく受け入れてくれたのは、魔族の皆だった……それが理由だ」
「そんな……」
「エイナ、もうひとつ教えてやる。俺はあの日、連れてかれた荒野でここにいる聖騎士どもに切り刻まれ、ゴミのように捨てられたんだ。そんな人族に対してどうして、どうして俺が味方するんだ? 復讐して当然だ。
……さて、エイナ……話しはもうおしまいだ。君は名高き聖印の勇者で……俺の……敵だ」
「……なんで? なんでなの?? なんでお兄ちゃんとわたしがたたかわないといけないの……いやだ、いやだよお兄ちゃんッ」
「……運命だった、多分それが答えなんだ」
「やだ、やだよう! そんなのぜったいいやだもん! うんめいうんめいってお兄ちゃん、そんなこと言わないでよう!! わたし信じないもん!! うんめいなんてうそっぱちだもん!!!! ……そんなのがわたしとお兄ちゃんが戦う理由だなんて……」
エイナは大声で叫んだ。取り巻く聖騎士たちや、傷ついたロウアンとウルフィがその様子を眺めるように見ていた。しかしエイナはそんな周囲の者を気にすることなく涙を流し続け、その悲痛な言葉に、声に……涙する勇者の姿に、この場にいる聖騎士たちはいつしか静まり返っていた。
心を打たれたのかどうかはわからない。しかし、シュンランを含め聖騎士たちは構えを解き、剣を下ろしていた。
ただ、それはあくまでも勇者であるエイナが……幼い少女が泣いているからかも知れない。
それに普通に考えて、俺がここまで派手に反逆の意志を明確に見せた以上、本来ならこの場で俺たちを殺したいはず。基本的に、魔族に対して情けや容赦はない聖騎士たちだ。
そして、その事はシュンランだって理解している筈だ。
にもかかわらず、彼らはさっきまでと違い、俺たちを罵倒したり非難するようなそぶりも見せない。
剣を抜いて俺たちに切りかかってきても何の不思議もなかった筈なのに──
そんな思いが一瞬、脳裏をよぎる。
とはいえ、今の俺にはその疑問を突き詰めている余裕はなかった。
◇
「どうしても……お兄ちゃんとたたかわないといけないの……?」
エイナは弱々しい声で呟き、俯いて唇を引き絞る。俺の有様は、エイナにとって受け入れ難いものだったことだろう。悲しげな声で話す彼女に返答をせず、俺はシュンランの方へと身体を向けた。
「おい、シュンラン」
「……なんだい、ロクス」
ようやく俺のことをまともに名前で呼んだ聖騎士に、本来の目的──人族への宣戦布告を告げることにした。エイナにしたらさらに重くのしかかる運命を突きつけることになろうとも、だ。
「ハンス、て聖騎士を知ってるよな? それから……ライモンていう聖騎士も」
「もちろんだ」
シュンランは冷静な口調で返答する。そして俺はこう付け足した。
「あいつらが今何をしているか、てのも知ってるよな? 聖騎士の頭なんだからな」
「……あぁ、君ら魔族の殲滅作戦を遂行中だ。いや、待て……なぜ彼らの名を今出すんだ」
「こういうことだ」
左の手のひらにキューブ状の黒い闇を発現させ、小さく『解放』と唱える。すると、闇の塊の中から現れた聖剣を握りしめたままのハンスの腕を無造作にシュンランへと俺は放り投げた。
地に落ちるハンスの腕の重たく濁った音と、金属が弾かれる甲高い音が重なり不愉快な音を立てると聖騎士たちの視線はそこへと集まり、一人の男が「こ、この腕……そしてこの聖剣は……まさか」と険しい表情で言った。
俺が聖騎士たちに向ける憎悪は本物だ。
妹が側にいようと関係ない。彼女の涙は見たくはないがそれ以上に──人猫族の少女の涙を見て俺は胸が張り裂ける思いだったのだ。
そもそも帝都ルガロを攻撃対象に指定し、宣戦布告することが今回の目的だ。
俺たちに手を出せば容赦なく殺す、そう言うとシュンランは眉をひそめながら転がった腕と聖剣を見下ろしていた。
すると、黙り込んでいた聖騎士たちの態度が再び急変、怒号が飛び始める。
「こ、これはハンス殿の……貴様あああ!!」
「なんと惨いことを! 許さんぞ小僧!!」
「シュンラン殿、その忌子に裁きを!!」
「否、ここは勇者であるエイナ様に──」
「やかましい!! 少し黙ってろよ掃き溜めの悪党どもが!! てめぇら自分のしてきたことを棚に上げやがって……ぶちころすぞ
俺は声を荒げた聖騎士たちを睨みつけ、ありったけの力を込めて叫んでいた。あまりの剣幕だったのか、後退りをする者もいるほどだった。
「いいか、今日ここに来たのはお前たちに宣戦布告をするためだ。もう魔族はお前たちに屈しない……!! 俺たちに手を出してみろ。ハンス同様、絶望も死も等しくお前らにくれてやるからそのつもりでいろ!!!!」
そう言って、睨み見た聖騎士たちから俺はエイナへ再び身体を向け、告げる。
「そういうことだ、エイナ。もし君が仲間たちを守りたかったら剣を抜け……。俺と戦わなければ生き残れないのだから」
ボクと魔剣と時々勇者 〜『忌子』と呼ばれ人間達から追放されたボクが泣き虫勇者な妹と戦うまで〜 愛善楽笑 @sibayou
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