第59話 うそだと言ってよ、お兄ちゃん ②
「お兄ちゃん……どうして……」
命を散らし、倒れている聖騎士たちを目にしたエイナは瞳に涙を浮かべ、悲しげな声を出す。エイナの心を読むことはできないが、きっとそうだ。久しぶりに再会したことを喜んでいるのではないのが伝わってくる。
そりゃあそうさ……。かつて慕っていた兄が魔族を引き連れて大暴れしてるどころか、命の奪い合いをしているのだから。
俺にとっても妹にしても感動の再会……とはいく筈もなかった。今にも涙が溢れそうなほど潤ませている妹の瞳が俺の心を刺す。
……俺は振り上げた魔剣をゆっくりと下ろし、エイナの方へと身体を向けた。しかし、真っ直ぐに見つめてくるその瞳が棘に触れたようにチクリと痛くて……俺は妹から目を逸らしていた。
そう……俺はエイナとこうして再会することを予想してないわけではなかった。いや、むしろ予想していたと言っていいだろう。
久しぶりに目にするエイナの翠色をした髪、深い黒の瞳で整った美しい顔立ち……そして、額の〝聖印〟を見て思い出す。
あの日。
追放されたあの日。俺の……俺の名を呼び、届かぬ手を伸ばして泣き叫ぶ妹を。
君と過ごした日々を。
忌子と呼ばれる俺を、兄として慕ってくれた君を。
忘れようったって、簡単に忘れられるものじゃない。そして、俺自身が人に傷つけられ、傷つけた記憶も……消せることなんてできやしない。
そんな今までの記憶が刹那的に駆け巡り、妹から一瞬逸らした視線を再び彼女に向け、開口する。
「エイナ……」
「……違うよね? ねぇ、なにかの間違いだよね? だって、だってお兄ちゃんがこんなひどいことするはずないもん……。そう、そうだよ! きっと暴れてるまぞくを止めようって、お兄ちゃんがみんなを守ろうとして戦って……そうだよね? だけどだけど、せいきしのひとたちはお兄ちゃんもまぞくの仲間だって勘違いして、だからシュンランも……」
「……間違いじゃない。それにこいつら聖騎士が勘違いをしてるわけでもない、俺を殺すために剣を向けている。……よく聞くんだエイナ、俺は魔族だ。この身体に流れる血の半分はダークエルフだ。君もその目で見たはずだ……俺がそのために人族から追放されたことを。そして……俺は今、魔族として人族に復讐するために、仲間の仇をとるためにここに立っている。つまり……そういうことだ」
そう言うと、エイナは言葉に詰まったのか視線を落とした。
そう……俺は自分の意思でここにいる。理不尽を突きつけ、弱きを蹂躙する悪党どもに罰を与えるために。ただそれだけだ。君が妹だろうと勇者だろうと関係ない。
君の兄はもう──君が大好きだと言ってくれたお兄ちゃんはもういないんだ。
と、告げようとしたその言葉を何故か……俺はすんでのところで飲み込んだ。
きっと俺はまだエイナの兄でいたかったのかもしれない。過去も妹への想いもかなぐり捨てたつもりだったのに、彼女を目の前にして、僅かだが迷いが出てしまう。
俺はまだ覚悟が足りなかったのだ。しかし、魔族のために戦うと誓った以上──迷いは捨てなけりゃならない。
それにエイナはおっちょこちょいで天然なところがあるが馬鹿じゃない。
きっと、このような戦いを俺が続けていけば彼女は遅かれ早かれ勇者として俺の前に立ちはだかるだろう。君が望まぬ聖印の勇者だとしても──いずれ魔族に対してその力を振りかざす……必ず。
……今の俺がそうしているように。
それにエイナが勇者だとして、俺が戦わない理由にはならない。
このまま心優しい魔族の皆が蹂躙され続けるのを見て見ぬふりなんてできないし、そんなのまっぴらごめんだ。
…………もしもだ。
もしも俺が純粋な人間であったなら……いや、たとえ魔族の血が流れていたって、エイナが勇者としての運命を背負うことがなければ……君と一緒に穏やかに暮らすことができたかもしれない。
戦わなくていい、頑張らなくていい未来があったかもしれない。
だけどごめんな、エイナ。
俺が魔族として生きることを誓った以上──こうするしかなかった。背負わなければならないものが俺にもできてしまったんだ。
力を持った俺は守るべき者のために戦わなくてはならないんだ。
強大な聖騎士の大軍が相手だって……、手足を折られ、胸を貫かれたって……何度だって立ち上がり、この剣を握りしめるだろう。人間でも魔族でもない俺を、家族として迎えてくれた者たちを守り戦うと心に誓ったのだから。
相手が誰だろうと──たとえ君が、勇者だったとしても。
すると、僅かの沈黙をエイナが破る。「お兄ちゃん……ウソでしょ……? ねぇ……」と再びそう言って、エイナは俺の方へと一歩足を踏み出そうとしたその時──そんなエイナに対して俺は魔剣の刃を向け、はっきりと述べた。
「来るな!! それ以上近づくと斬る!!」
「!?」
ビクっと一瞬身体を震わせてエイナが立ち止まった。
魔族と触れ合い、闇の精霊とともに歩んだ日々が妹への気持ちを、想いを、愛を抑えつける。エイナが妹だからといって、彼女を抱きしめる訳にはいかない──
俺は人族の敵対する魔王軍の一人なのだから。
それに、血で真っ赤に汚れたこの手で彼女に触れる資格なんてない。時計の針は戻すことなんてできないんだ。
それに、今は俺を必要としてくれる魔族のためにこの力を使いたい、と痛烈に思い始めている俺にとって、魔族を滅ぼし、人族を導く勇者と敵対することは避けては通れない道。
妹に刃を向けることは魔族の血を引く俺の運命だったんだ。
そう自分に言い聞かせ、今度は瞳を逸らすことはなかった。
すると、立ち止まったエイナはついに大粒の涙をこぼし、震える声で言葉を発した。
「どうして……? どうしてそんなこと言うの? ねぇ、うそでしょ? ウソだと言ってよ、お兄ちゃん……」
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