カワイソウニ

鋼の翼

第1話

 少年がいた。年は8、9歳だろう。周囲の子供に交じって一人黒い姿で遊んでいる。彼は楽しそうに笑い、見事周囲に溶け込んでいた。


 ――映像が乱れ、場面が移り変わる。


 この映像の主人公と思しき少年は、いつの間にか14、5歳に変わり、青年と言っても差し支えのない姿になっていた。変わっていないのは彼だけが全身真っ黒であるという点のみだ。

 映されている場面は夕暮れの教室だった。ある男子と女子を中央に、30人近い生徒がその光景を興味津々な様子で見つめていた。


「僕と、付き合ってください!」

「え、ふつーにイヤなんですけど」


 男子が告白すると同時、それを受けた女性は舌を出して嫌そうな顔をした。

 バラバラと生徒の円が崩壊していく。中には泣きそうな表情で崩れ落ちている男子へ声をかけている生徒もいた。

 そんな中で彼は『カワイソウニ』とだけ微かに頬を弛緩させて言った。


 ――再び映像が乱れる。


 教室の真ん中で彼が責められていた。


「うわ、最低」

「人としてどうかしてるよ」


 彼が黒いのは相変わらず。しかし、周囲は大きく変化していた。制服も、身長も、纏う雰囲気も何もかもから子供っぽさが消えている。

 少し離れたところには涙の跡が幾重にも残っている女子が座り込んでいた。


「もっかい言ってみろよ! 智子に何て言った、お前!」

「......別に、好きな子にフラれてカワイソウニって言っただけだよ」


 次の瞬間、彼の黒い顔が後ろに弾かれた。顔があった場所には一つの拳。それは先ほど彼を責めていた男子生徒のものだった。


「なんだよ。同情しただけだろ」


 不服そうに彼は殴られた頬を撫でている。しかし、男子生徒はその態度が気に入らないのか、怒りのボルテージを上げていく。


「ふざけるな! 笑いながら可哀想にっていう同情がどこにあんだよ!」


 ――その言葉を皮切りに映像が乱れた。


「カワイソウニ......」


 彼が内臓や血反吐を吐きだして息も絶え絶えの犬を抱える女性に対して薄笑いを浮かべながらそう言っていた。


 映像が乱れる。


「カワイソウニ」

――

「カワイソウニ」

――

「カワイソウニ」


 それから何度も何度も映像が乱れ、そのたびに彼は少し口角を上げて可哀想にと言っていた。まるで何かに憑りつかれているかのようだった。


 ――映像が乱れた。


 新しく映し出された世界は、線香の煙が空気中を漂い、木魚を打つ音とお経を読む声が大きな部屋に響いていた。

 黒い喪服を着た人々が様々な表情で遺影を見つめている。そこに飾られているのは黒い人型のシルエット。『彼』だった。


 重苦しい空気の中、親族が泣きそうな表情で俯いている。その後ろで小中と彼と一緒だった生徒たちは無表情に彼の遺影を見ている。

 不意に一人の子供が可哀想と声を漏らす。一斉に生徒たちの眼が子供へと集められ、またすぐに前を向く。


「......カワイソウニ」


 誰かが小声で呟いた。それに呼応するかのように細々とした声でカワイソウニ、と声が上がった。囁きと微笑みが最後列で蔓延していく。


「カワイソウニ」

「カワイソウニ」

「カワイソウニ」


 ――――――

「珍しいな。悪魔に堕ちた俺の記憶を覗ける奴なんて」


 視界が激しくブレ、如月真央の目の前に漆黒の世界が広がった。どこを見ても黒、黒、黒。自分の掌さえ見えない闇。その暗闇の中、目の前にいる異形だけが異様なほどに鮮明に見えている。

 小柄な体躯に細い手足、背中に巨大な翼。顔と思われる場所には細長く伸びた三角形。その三角形から四つの眼が一列に並び、口が大きく裂けている。


「ひっ」


 真央は小さく声を漏らした。生物としての格の違い。それが真央にはしっかりと伝わっていた。金縛りにでもあったかのように動けなくなる真央。

 異形の者はキヒヒと気味の悪い、けれどもどこかで見たことのあるような笑いを見せた。


「夢、だよね」

「夢といやあ夢だが、悪魔と出会った時点でもう現実だ」


 四ツ目がギョロリと真央を睨む。心臓でも掴まれたかのように肩を跳ねさせ、背筋を伸ばす真央。真央を睨む異形の眼には、純粋な好奇心しかない。それでも真央はその視線が怖かった。


「悪魔と会ったんだ。いいこと一つだけ教えてやるよ」

「な、なに......」


 自称悪魔はそれまでにないほど口角を上げた。四ツ目が焦点の定まらない様子であちこちを彷徨っている。

 契約成立。不意に黒い世界にその言葉が微かに響いた。その瞬間、異形の四ツ目全ての視点が定まった。


「同情ってするだろ?」

「うん」


 異形の口元が異常なほど裂け、体が僅かに震えだす。


「形だけの同情ってしたことあるだろ?」

「し、したことないよ」


 ピタッと異形の動きが止まる。四ツ目が大きく見開かれ、唖然としていた。一言話すたびに動きが変わる目の前の存在に、真央は怯え続ける。


「嘘だな。同情の悪魔に出会ってんだ。形だけの同情をしたことがないわけないだろ」


 低い声で異形はそう言った。直後、黒い世界に一瞬の光が差し込む。幾重にも重なるその光に希望を見出した真央は勢いよく顔を上げ、そして唐突な吐き気に襲われた。


「あーなんかもういいや。お前、ここに来るまでに見てきた黒い奴のことどう思った?」

「眼、眼は......?」


 怯えながら真央は周囲を確認する。自分の声が届いていないような真央の様子に自称悪魔は苛立ちを募らせる。


「質問に質問で返すんじゃねえよ。小学校で習うだろ」


 怒気を帯びた声に真央は肩を跳ね上げ、長考したのちに可哀想だったと答えた。その返答に対して四ツ目全てを細め、そうかと言って異形はその場に座り込んだ。


「覚えとけ。形だけの同情はあってもいいと思うけどよ、その先で得られるものは、友情なんかじゃなく、上辺だけの薄っぺらい関係だってことをな」


 自身の太ももに肘を乗せ、手の甲に顎を置き、異形は指を鳴らした。それが合図であったかのように真央の足元に光の円が浮かびあがる。


「その先はお前の夢の中。夢が覚めれば俺と出会ったことは忘れる。けれども、交わした言葉だけは覚えている」


 足元を見てすぐに行こうと意を決する真央。しかし、その行動は異形から伸びてきた紐のような尻尾に阻まれる。


「おい。悪魔と会ったってのにそのまま帰れるわけないだろ」


 異形の指の動きに合わせて尻尾が動き、真央は自称悪魔の目の前へと引き戻された。契約履行。暗い世界に小さい声が響いた。

 瞬間、真央の両目が抜き取られた。きゃ!と短い悲鳴が真央の口元から吐き出され、一寸の間もなく光の中へ真央の体が押し込まれた。


「あーあ。俺なんかのくっだらない話を聞かされて両目を失うとか、あの人間......カワイソウニなぁ」


 キヒヒヒヒヒ。不気味な笑い声が世界に反響し、数えるのも億劫になるほどの目玉が黒い世界を覆い尽くす。さながらスポットライトでもあてられているかのように悪魔は手を空に伸ばし、不気味な哄笑を続けていた。


 不意に笑い声が止み、四ツ目がギョロリと『此方』を見る。


「同情するなら、しっかりと向き合え。それができないなら、関わるな。

 誰に対しても優しいことは美徳だが、いずれよくない者まで引き寄せる」


 黒い世界が崩落し、映像が乱れ――消滅した。




 それ以来、真央が同情し、慰めたりするといったことは極めて稀有なものとなっていった。それがこの一件を起因とした変化なのか、視力を失ったからなのか、それは本人のみが知るところ。

 ただ一つ言えることは、如月真央を取り巻く環境が、前よりも数段よくなったということだけである。


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カワイソウニ 鋼の翼 @kaseteru2015

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