歳末チルドレン

渡貫とゐち

最愛の

「……今年も一年、ニートだったなあ……」


 木野きの葉月はづき、二十九歳の元会社員の現在ニートの女性が、年越しのその瞬間、一年を振り返ってそんなことを呟いた。


「え」


 その後は一瞬だった。


 幸い、窓を開けていたのでガラスが割れることはなかったが、空からの落下物が彼女の腹部に衝突した。……隕石だったら死んでいた。いや隕石でなくとも肋骨の数本、折れていてもおかしはない勢いだったが……、


 彼女が受け止めた『それ』は、完全な球体ではないが……丸くて……卵、か?


 宇宙の背景を貼り付けたようなデザインの卵である……、空から落ちてきたとは言え……宇宙? 宇宙に染まってこんな色になったのだろうか?


「――熱っ!?」


 手で触れてみると高熱を持っていた。それが分かると服の上でもその熱さがじんわりと伝わってくる。思わず飛び退いて、卵を床に落としてしまう。すると……ぴき、とひびが入った。

 咄嗟に、怒られないよね? と会社員時代のトラウマにびくびくとしたが……卵を観察する。


 割れた卵の隙間から、どろぉ、と液体が漏れ出してきた。粘着性が高く、たとえるなら元カレが顔にぶっかけてきたあれだった。あれよりは透明に近いので綺麗だったが。


 ちょっとオシャレなラグに垂れてショックである。


「…………卵の中から…………こど、も……?」


 割れた卵が、花弁のように広がった。ぱきき、と破片を握り締める子供は、赤ん坊ではない。

 既に六歳、七歳程度までは成長している、鮮やかなオレンジ色の髪をした女の子だ。


 いや、まだ女の子と決まったわけじゃない。こんな見た目でも美男子って可能性も――。

 だけど彼女は裸だった。男子にしかないあれがない、ということは、女の子か……。


(でも空から落ちてきた卵の中の女の子が、人間と同じ作りをしているって証拠もないし)


 彼女、意外と冷静である。このへんは元カレの影響が強いのかもしれない。宇宙なり陰謀論なり、ありそうで、でもないだろうことを考えるのが得意なあいつ。


 すると、目を覚ました少女が、起き上がった。

 破片をぱきぱきと素足で踏みつけながら立ち上がり、空を見上げる……、


「……まま、は、どこ……」


「ねえ、あんたは、」


 と声にすかさず反応した少女が踏み込み、葉月の懐へ潜り込む。

 卵の鋭利な破片を一瞬で見極め握り締め、彼女の喉元へ突きつけた。


「がるる……」


 猛獣のような唸り声……、近くで見ると少女の瞳は爬虫類みたいだった。

 ごくり、と唾を飲む葉月……、絶体絶命のピンチだが、焦りはなかった。もしもこのまま殺されたとしても未練はない。いっそのこと、このまま殺してくれとも思っている。

 自殺なんてダサいことをするくらいなら、殺された方がマシだ。しかもそれが後々に地球を侵略しにやってきた生命体の第一の被害者となれば、後世に名を残せるかもしれない。


「いいよ、ほら、ぐっと、刺しちゃって」


 少女をぎゅっと抱きしめる。その力で破片が首元をずぶっと刺し込まれる、かと思いきや、オレンジ色の少女は破片を落としていた。


 そして、


 ぐう、と、腹の虫が鳴いた。


 ぐったり、と倒れ込む少女をおっと、と支える葉月は、思わず笑ってしまった。

 さっきまで威嚇していた少女が、今では葉月にわがままを言うように、食べ物が欲しいと目でねだっていたのだから。


「新年一発目のコンビニ、一緒にいこっか」



 お菓子とスイーツを買い込んで、少女と夜を明かした。少女は言葉こそまだ満足に話せないが、意思疎通ができないわけじゃなかった。身振り手振りでも充分に伝わる。あと、単純にこの子は頭が良い、と葉月は思ったのだ。


 昼間、テレビをじっと見て、理解できるのかなと思っていたら、言葉をちょっとずつ覚えていた……、出演者がセリフを噛むと反応するところは自分と似ている、などと親近感を持ったものだった。


「名前は?」

「木野葉月」

「それは私の名前よ。あんたの」

「わた、し……」


 長い髪はばっさりと切って、肩くらいまでに整えた。おかっぱみたいになってしまったのは葉月が切ったからだ。この子の髪を他のやつに触らせてたまるか。


 困った少女が葉月を見てねだる。この子の上目遣いには弱いニートである。


「じゃあ……ヒガンでどう?」

「ヒガン……うんっ、わたし、ヒガン!」


 由来が悲願であることは内緒だ。



 それから。お正月ムードも過ぎ去った後、葉月はある人物に連絡を取った。元カレである石際いしぎわひかるである。


「復縁したいの?」

「するかバカ。……結婚したんじゃなかったっけ?」


「する寸前で浮気がばれた。だからまー、今はフリーだけどどうする、葉月」

「今がチャンス、じゃないから。どうせ私は愛人で本命じゃないんでしょ……」


「君だけが本命だ」

「え」


「ちょっと嬉しそうにするところがダメだなあ……でも、可愛いからやっぱ好き」


 ぶん殴っておいた。

 ともかく、復縁で連絡を取るわけがない。用件は、ヒガンのことだ。


「その子は僕の子? でも、産まないって言ってたけど」

「あんたが浮気しなければ産んでたわよ!」


 子に罪はないけど……やっぱり片親ではお互いに不幸になるだけだと思ったのだ。間に合わなかったならまだしも、選択できる段階なら……葉月は産まないことを選んだ。


「そっか。で、その子はなに?」

「……宇宙から落ちてきた卵から生まれてきたと言って、信じる?」


 集めておいた卵の破片を渡すと、彼の目の色が変わった。


「研究所に持ち帰って調べてもいい?」

「いいわよ、そのつもりだったんだし……ただあんただけ。他の研究員にはばれないように。なにか分かっても世間に公表なんかしないでよ?」


「分かった。でもなんで僕なんだ? まあ、知り合いに限りがあるとは言え――だって僕のこと、相当恨んでいるような感じだし……」


「恨んでるけど? だからまあ、巻き込んでもいいかなって。一緒に死んでくれるよね?」

「君ってやつは……まあ、葉月とならいいか」


 快く承諾してくれた彼が破片を受け取り、


「その子も一緒に。もちろん君も……僕の研究室に泊まっていいから、しばらくその子を貸してくれないかな?」


「……まあいいわ。この子のためだし」

「僕が宇宙とか地球外生命体に詳しいとは言っても、分からないこともあるからね?」


 未知であると分かれば、それ以上は探らなければ分からない。



 数か月の共同生活をし……、ヒガンの正体が分かった。

 分かった、と言うには、情報の真偽も不明だし予測でしかないが。


「その子、殺した方がいいかもしれない」


「……理由を聞きましょうか」


 葉月の後ろに隠れるヒガンが、光をじっと見つめる。


「他惑星の宇宙人であることは確定した。で、たぶんヒガンは侵略者、なんだけど……、ヒガンが侵略をする本人じゃないんだ。たぶんこの子は……僕たちで言うところの、GPSみたいな役割なんだろう」


 位置情報。広い宇宙、遠い惑星――地球の座標を特定するため……、


 点と点を繋げばラインとなり、そのラインの上をなぞれば必ず目的地に到達する。たとえば狙撃であれば、ラインに乗せるだけで逸れることはない。


「ヒガンが地球にいるだけで、いつ地球が侵略されてもおかしくな――」

「嫌よ」


 ヒガンを殺す? だったら地球が侵略された方がマシだ。


「クソ上司も、私を見下す後輩も、残業ばかりを強いる企業も私を振った男も陰口を叩くバカな女どもも、全員っ、死ねばいいッ!」


「僕も入ってるじゃん」


 ニートの葉月にとって、自分を含め、そもそも地球が大事ではないのだ。

 いつ終わってもいい。そんな彼女がいま最も大切にしているのが――ヒガンだ。


「この子は殺させないわ。公表するならあんたを殺す、今ここで」


「分かった、分かったから。……ナイフを置くんだ、危ないな……」


 葉月をなだめながら、光は考える……、地球侵略されるとして、それが困るかと言えば、そうではない。光も光でまともではないのだ。地球侵略されるなら、一瞬でもいいから見てみたいと思う異常者である。


「公表しない。ヒガンも殺さない。僕は傍観に徹するよ」

「…………本当?」

「ああ、本当さ。ヒガンの仲間がもしもいるなら、興味深いね」


「じゃあ――私の生活費とヒガンの養育費、払ってね」

「……それは、どういう理由で、なのかな?」


「傍観に徹するならヒガンの成長を見届けるってことでしょ? この子に私は必須。であれば、私とヒガンを生かす役目は、あんたが背負うべきでしょ」


「それもう、けっこ」

「結婚はしないから」


 ぴしゃりと斬られ、眉間にしわを寄せる光だったが……、今後、付き合いが途絶えることはないと知り、葉月の要望を受け入れた。



 ――五十年が経った。

 老いた葉月は車椅子に座り、一人娘に海へ連れてきてもらっている。


「落ち着く景色ね……」

「お母さん、体、本当に大丈夫?」

「平気よ。今ならクロールでもバタフライでもできるわ」

「それはしないでね……」


 呆れるヒガンが、くす、と微笑む。


「ありがとう、お母さん」

「こっちのセリフよ。あの時の私は人間なんて信用できなかったから。侵略者のヒガンのことが一番、信頼できたのよ」


 結局、ヒガンを目標とした侵略は遂になかった。


 光の妄想だったのかもしれない……、今は亡き、葉月の夫である。


「ヒガンは子供、作らなかったのね」

「うん……この後に大事な役目があるから」

「そっか……」


 そして、一時間が経った頃だろうか。


 葉月は静かに息を引き取った。……彼女は体調の異変を言わなかった。ヒガンにも気づかせなかった。痛みには慣れている。がまんするのだって、慣れている。だから堪えることができた。

 ヒガンに最後、想いを伝えられたから、満足だった。


『ヒガン、私の娘でいてくれて、ありがとう』


『じゃあ、あとはあなたの役目を果たしなさい――』


 母の死に、ヒガンは決意を固めた。

 涙を拭って、空——宇宙に向かって、伝える。



「――もう充分よ。侵略、始めましょう」

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歳末チルドレン 渡貫とゐち @josho

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