第2話 邂逅(シグムンド)

 ゆっくりと世界が回っている。


 そこでは、彼は父親の城にいて、その庭にある三柱の神像の下に立っていた。


 首を垂れて、父は神像に祈っていた。


「……一族が愛し合い、みな親しく、強くなるよう成長させたまえ、アンヌアの上級王、インペリアルの長としてこの祈りを捧げん……」


(父上)


 彼は思わず声を上げようとしたが、全く口が開かない。父親は、顔をあげ彼を見たが、ひとことも口をきかない。


 すると、父の後ろに突然人が立った。


(母上)


 それは彼の母だった。


 歯が冴え渡るように白く、美しい鼻梁をした彼女は、記憶にあるよりはるかに若く、微笑んでいた。彼女の口が薄く開くと、父は振り向き、何かを言おうとした。


 そこで、世界が回転し、また暗転していった。混沌の中に二人の姿が消えていく。


 次に現れたのは、泉にひざまずいて泣く母の姿だった。彼はそのすぐそばに立っているが、その場から一歩たりとも動けない。


(なんなのだこれは)


 母は泉を覗き込み、何かを呟いているようだ。吐く息が白い。


(お身体が弱いのに、冷えきってしまう)


 しばらくして、母は立ち上がりかけた。しかし、完全に立ち上がらないうちに、その姿は消えていた。


 次に現れたのは、木剣を持った少年の自分で、城の中庭で少し年下に見えると激しく撃ち合っていた。撃ち合っているにはなぜか顔がなく、その部分は輪郭を除いて、黒い穴と化している。


 彼は、相手のぬるい突きや遅い斬り込みを払いのけ、どんどん追い詰め、完膚なきまでに打ちのめした。最後の強烈な打ち込みで、そいつは降参し、剣を足元に放り出した。


 そして、中庭の土に膝をついた顔のないが突然に、耳が不快でいっぱいになる、恐ろしく不気味な声色で呼びかけた。


《兄上》


 そこでまたしても、世界がめまぐるしく変化し、今度は視界全てに白い霧がかかったようになった。


 そして、彼は突然に猛烈な寒さを感じた。


(寒い、凍えそうだ。死んでしまう)


 神話に聞く、強大な悪魔の犬をも捉えた神々の鎖に縛られたが如く、指一本たりとも動かないが、彼は全精神を使って身をよじろうとした。思い切り歯を食いしばったり、足をばたつかせたり、首を振ろうとしたが、なにも出来ない。


 それでも暴れようとすると、ふと鼻先に違和感を感じた。顔の前に暖かいものがある。


 それを感じた途端、例えようもない安堵を全身に覚え、彼はそれに触れようと死に物狂いで身を捩った。


「触れてはいけません」


 突然、怜悧な声がした。


「火傷しますよ」


 はっとして身体を動かそうとするのを止めると、突然シグムンドの視界の霧が晴れはじめ、辺りがどんどん鮮明になってきた。


「大丈夫ですか?」


 最初に、指輪と指が見え、その向こうに、ごくわずかに煙を出すが見えた。そして、顔を巡らすと、の主のが目に入った。


「気が付かれましたか」


 反射的に身を起こしたが、後ろに壁があったらしい。シグムンドは、ゴツゴツしたそれに思い切り背中と頭の後ろをぶつけた。


「大丈夫ですか?」


 目の前の人物、恐らく背格好からみて男——がまた心配そうに聞いてきた。


 シグムンドが戦いに身につけていたはずの防具は、どうやら脱がされているようだった。背中と頭を打った感触に顔をしかめながら、彼は自分の体をまさぐった。


 どこにも、傷がない。


 それから顔をあげて、相手を見つめたまま、彼があまりに長い間黙っていたので、そいつは頭を傾けて、戸惑ったように繰り返した。


「大丈夫ですか?やっと、気が付かれましたね?」


 その男は、奇妙な細工物を顔にくっつけていた。


「…………なんだ?それは」


 思わず、間の抜けた声が出た。シグムンドが見たところ、男は顔面に細工物——人の顔の上半分を覆う、奇妙な材質の板を身につけていたのだ。


 は滑らかな、不思議な光沢を持ち、ふちに何か意味のある紋様であるのか、どこにも見覚えのないくねくねとした金線が走っている。


 それは、儀式用の面体や、戦闘用の兜に取り付けられた、一種の面頬のようにも見えた。


「飲みなさい、頭がはっきりします」


 相手はシグムンドに答えず、何かを差し出してくる。


「……誰だ、お前は?」


 自分が間抜けのように質問を繰り返していることに、シグムンドは気がついた。


 面頬の男が差し出したのは、見たところ緑色のガラスボトル——のようなものだった。それにうろんなものを見る目をやったシグムンドは、それからやっと、自分が寝ていた場所に気が付いた。


 ここは、なにか半分洞窟のようなところらしい。少し向こうに切れ長の入り口があり、半分以上外の景色が見えていた。それで、中はずいぶん明るい(たいていのアンヌアは夜目が効くものだが)ようだ。


 そして、さっきまで自分がそれで寝ていたらしい毛皮の敷き布が自分の両足の先、すぐそこにあり、男はその隣に座っている。敷布のそばには、さっき目に入った煙の出る穴があった。


 よく見ると、隣に大きさの違う穴があり、煙が出ているのは片方だけで、その片方の穴の中には炎があるらしく、ちらちらとその先が見えていた。


「口にしなさい」


 相手はまたシグムンドに答えず、膝を送って、ボトルを少し近づけてきた。


「変なものではありませんよ」


 そう言ってから、安心させようとしたのか、相手は見えている顔の下半分、つまり口の部分で微笑んだ。


「いや、いらん」


 シグムンドは、目の前でひらひらと手を振った。答えつつ、シグムンドは男と穴の向こう側に置かれた、自分の剣と防具、そして男のものらしい武器を見つけていた。


 一足飛びにはいかない距離だ。


「警戒なさらなくても、大丈夫です。飲んで暖まりなさい」


 男は、首を振って涼しい声で言った。


「中身は酒ですよ。それに、しばらく寝ていましたから、喉も渇いたでしょう」


 微笑んだまま、面頬の男は小刻みにボトルを振って見せ、その中身が水音を立てた。


(毒……のはずはない。殺そうとすれば、こっちは寝ていたんだ。いつでもやれたろう)


「確かに、喉が渇いた」


 シグムンドは唸った。


「貰おう」


 頷いて、シグムンドは手を伸ばした。細口のボトル、その膨らんだ縁を口に含んで傾けると、喉が焼けるような感触があった。


(強い酒だ、旨い)


「量は少ないですが、その方が頭がはっきりしていられます」


 相手はからからと笑って、懐から袋を取り出した。


「これも、口にして下さい。旅の道具で、あまり良いものではありませんが」


「かたじけない」


 シグムンドは頭を下げた。受け取ったそれは茶色い革製で、中に入っているもので少し膨らんでいた。


 シグムンドが袋を開いて、中身を手のひらに向かって転がすと、黒っぽくて丸いものが出てきた。親指の爪ほどの大きさだ。


「これは?」


「まぁ……丸薬です」


 男は肩をすくめた。


「腹は膨らみませんが、酒よりいいものです」


「いただこう」


 シグムンドは指に取ったそれを口に入れると、顔を顰めた。


「すまない、ずいぶん苦い」


薬神の癒しは苦味にある良薬は口に苦し、ということです。その丸いのは、調子が悪いほど苦く感じるそうです」


 面頬の男は、シグムンドの表情を見て言った。


「森の中で倒れておられました。あまり体調がいいとは言えないでしょう。あなたが見た目通り頑健だとしてもね。ここに運んだ時、とても身体が冷えていました。死んでいたかと思いましたよ」


「……無礼を許して欲しい」


 シグムンドはしばらく黙ってから、重々しい調子で口を開いた。


「さっきまで……かどうかは分からんが、戦って追われていたのだ——どうも不思議なもので、追っ手と切り結んで、もう俺は死んだと思っていた。ここはあの世には見えんから、貴方が追っ手から俺を救ってくれたのだろう」



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※はみだし小欄


 雰囲気が壊れるのであまりやりたくないのですが、ツッコミを避けるため、ここで断っておきます。


 ガラスボトルですが、中世では普通に初期からありました。ここで出てきたのは、細口のもので、球形の胴部に小さな平底をもっています。


 緑色なのは、原材料に酸化鉄を含んでいるためで、そのようなガラス瓶は広く存在していました。付け加えておくと、ボトルだけでなく、グラスなども存在していました。


 おいまて、庶民は持てないのではというツッコミは、この先の章の文に期待しましょう。


 また、シグムンドは酒を飲んでいますが、これはいわゆる気付です。決して、現実の中世民が水を飲まず酒を飲んでいたとか、そんな話を支持するものではありません。


あと、シグムンドを助けた?らしき人物の顔面についた板は、いわゆるマスケラというか仮面のようなものです。


欧州中世に、お面が用いられることは全くなかったでしょうが、まあその辺は理由があるのでご容赦下さい。

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サーガもどきをくらえ!英雄たちの群像記!!大陸統一王に俺はなる!!! 友情は人生の塩である @boots_fleak001

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