<11> 小さな来訪者

 羊皮紙の表紙で綴られた分厚い冊子はグレイも見覚えがあった。ルーニーが毎晩見ているもので、王都の魔術師団からの報告書が写し出される魔書だ。


「今夜はゆっくり休めるかと思ったが……そうもいかないようだ」


 数頁をめくると、彼はグレイを手招いた。

 示された所にはここ数日上がっている人攫いの件数の統計が載せられていた。


「ここ最近、各地で魔術師や地方の魔法学校に通う若い子の失踪事件が起きている」

「失踪事件……」

「規模の大きな町ばかりではなく、名もない町からの被害届も増えている」

「それがここでも起きている、と?」

「たぶんな。用心することはない。ただの人攫いならまだいいんだが……」


 ルーニーは言葉を濁すと杖を手にした。その杖先で床を叩くと、町一帯を飲み込むほどの魔力の波を放った。それに触れたグレイがぴくりと反応する。


 ──ガートの時よりは、少しは感じるようになったか。


 うっすらと笑みを浮かべたルーニーに瞳を閉ざした。そして、魔力の波が触れたものの中に、違和感を探す。


「ヤツはいないが……」


 ぽつりと零れた言葉に、グレイは黒い仮面の男を思い出した。


「気になる場所はあるな。やけに魔力が混濁している」

「混濁、ですか?」

「あぁ、気味が悪いほど入り混じっている。一人二人じゃないな。相当数の魔力を練り合わせてる」


 瞼を上げて厳しい視線を窓の外に向けたルーニーはふうっと長い息を吐いた。


「おい、グレイ。ちょっと剣、出してみろ」

「剣、ですか?」


 腰のホルダーから剣の鞘を外したグレイは、それをルーニーに渡した。

 杖を椅子に立て掛けると、ルーニーは鞘から引き抜いた刀身に片手を添え、深い息を吐いた。そして「力を込めておいてやる」と言ってにいっと笑った。


「黄昏に生まれし紅蓮の灯よ」


 白い指が刀身を撫でると、まるで炎に熱せられた鋼のように赤く輝き出した。


「猛火の息吹をその身に宿し、混沌に抗い闇を切り裂く刃となれ」


 ルーニーの声に共鳴するように刀身から赤い光が放たれた。それはまるで燃え盛る炎のように巻きあがり、彼の赤毛を弄ぶように揺らした。

 感じたことのない熱気に息を飲んだグレイは首筋にうっすらと汗をかき、瞬きすら忘れて立ちすくんでいた。

 ややあって赤い輝きが静まると、ルーニーはは長い息をついた。そして、剣をグレイに差し出して「ほら、持ってみろ」と言った。

 すでに赤い輝きの失われた刀身には、見覚えのない赤い文字が刻まれていた。

 それを受け取った瞬間、グレイは体の奥に流れてきた熱量に驚き、僅かに喉奥を低く鳴らした。


「これ、は……」

「俺の魔力を火の力に変えて込めといた。そいつで切ったものは燃える仕組みになってる。それ使ってりゃ、魔力を感じる訓練にもなるだろ? 嫌でも俺の魔力が柄から流れ込む。使い方にもよるが二、三日はもつだろう」


 そう言って鞘を放ったルーニーは杖を手にすると「さてと」と呟いた。

 部屋の唯一の入り口である扉に視線を向けると、それを待っていたように扉が叩かれた。

 グレイは驚きに肩を強張らせたが、それを予期していた様子のルーニーは顔色一つ変えずに「どうぞ」と扉の向こうへと声を投げた。


「旦那、休んでいるところ悪いね。ちょっと会ってほしい子がいるんだよ」


 返ってきた声は宿の女店主だった。

 ふむと頷いたルーニーは静かにドアを開けると、カンテラ片手に申し訳なさそうに佇む彼女を室内に招き入れた。彼女は一人の少年を連れていた。


「その子が、会ってほしい子かい? 生憎だが、弟子をとるつもりはないよ」

「そうじゃなくて──」

「僕の兄ちゃんを探して!」


 女主人が事情を話そうと口を開いたのを遮った少年は、泣き出しそうな顔でルーニーを見上げていた。


「これ、話には順番ってものがあるんだよ」

「気にしないよ。詳しい話を聞かせてもらおうか」


 不躾にもほどがあると少年をたしなめる様の女主人に、ルーニーはそう言いながら椅子に腰掛けた。

 少年の名はハウ。この町で年の離れた兄と二人で暮らしている。両親はすでに他界していて、兄はこの宿で働いていたらしい。


「兄ちゃんは、僕を魔法学校に通わせるためにお金が必要だからって、他にも仕事を探していたんだ。三日前、新しい仕事がもらえるかもって、町長の家に行って……」


 声を震わせたハウが俯くと、女主人はその小さな背をさすった。


「帰ってこない、ということか?」

「町長に聞きに行ったら、来ていないって言うんだよ。旦那にも、関わらない方が良いって言った手前、頼めたことじゃないのは分かっちゃいるんだけどね……」


 ちらりとハウを見る女主人は、言葉尻を濁した。

 目に涙をためて鼻を啜ると「兄ちゃんは、町長の家に行ったんだ」と彼は言い切った。その様子をじっと見ていたルーニーは、僅かに渋い顔をして口を開いた。


「町長の家は、どこだい?」

「すぐそこだよ。ここから歩いて五分もかからない、ほら、その窓からも少し見える、あの屋敷さ」


 女主人が指差した窓の外、降りしきる雨の中でレンガ造りの屋敷は街灯の薄明かりに照らされていた。

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この命、黄昏の海に沈もうとも 日埜和なこ @hinowasanchi

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